『はい、それではみなさん、ご案内しますので付いてきてくださーい』
女性スタッフが拡声器を持つ手とは反対の手を挙げる。アイドルは全員静かにざわつきながらもその指示に従って彼女の後を追い……私もやや後ろ髪を引かれながらもそれに続いた。
「春香さん……本当に大丈夫なんでしょうか……?」
「うーん……」
隣に並んだ琴葉ちゃんからの質問に、手放しで「大丈夫大丈夫!」と即答することが出来ればよかったのだが……。
「まさかJANGO先生が事故に逢っちゃうなんてね……」
JANGO先生は、私たち765プロも度々お世話になっている演出家の先生だ。常にハートの形のサングラスをかけているため一見変人のようにも見えるが、なんと『周藤良太郎』のライブのほとんどの演出を担っているという凄い実績を持つ人で、彼の演出のライブを出来ることがアイドルにとって一種のステータスにもなっているほどだ。
そんなJANGO先生が、スリップした他の車に追突された形で交通事故に巻き込まれてしまった。命に別状はないらしいのでそこだけは一安心だけど、それでもかなりの大事である。
「……気にはなるし、心配にもなるよ。でも今は、私たちが出来ることに集中しよう」
現在、予定していた全体ミーティングを後回しにして、良太郎さんや麗華さん・各事務所のプロデューサー・スタッフさんたちが集まって緊急会議が行われており、その間に私たちは会場スタッフさんから先に会場全体の説明を受けて回っていた。
ステージの構造・出ハケの位置・プロンプトの位置など、ライブ前には確認をしなければいけないことが山ほどある。しかし時間は無限にあるわけではなく、刻一刻と開演時間は迫っている。
「大事なことは、きっと良太郎さんやプロデューサーさんたちがなんとかしてくれるから」
「……はい」
これだけで琴葉ちゃんの心配を全て拭えたとは思わない。そもそも私だって心配で心配で仕方がないのだ。
しかしそれでも、今はこれが私のするべきこと。演出家不在というイレギュラーな状況でも、せめて自分の力で把握できることは全て頭に叩き込むんだ。
「って、きゃあ!?」
『ここ足元が……って、天海さん注意の前に転ぶのは勘弁してくださーい』
「……さて」
『………………』
演者たちを会場確認ツアーに送り出してから、首脳陣による緊急会議である。出席メンバーは俺・麗華・兄貴、その他運営スタッフ、そして765劇場のプロデューサーである中村さん・346プロのプロデューサーである武内さん・315プロのプロデューサーである石川さんの三人にも出席してもらい、その他283プロと876プロと310プロとはリモートで参加してもらう。だいぶ朝早い時間ではあるが緊急事態なのだ。
「一応、あらかじめ先生からある程度の指示書は受け取っているのが唯一の救いか……」
兄貴がパラリと個人ファイルを捲りながら嘆息する。俺も麗華もその他の人も、兄貴同様に指示書を受け取っているし目も通してある。そもそもこの演出を決める打ち合わせにも立ち会っているので、基本的に今日の演出は把握済み。
問題は『ここで観客を煽った方がいいんじゃないか』とか『ここの移動中、すれ違いざまにハイタッチしてみようか』とか『リフターのカメラがこう動くから目線で追って』とか、実際にステージの上に立たないと詰めれないような細々とした演出。これらは基本的に当日のリハーサル中に、観客席側から演出家の先生が指示を飛ばすことになっていた。
「まさかJANGO先生が事故に巻き込まれるなんて……」
「中村さん、今は起こってしまったことを嘆いていても仕方ありませんよ」
さて、実際問題どうしたものか。
演出家不在のまま進めることは……まぁ出来なくはないだろう。アイドルのステージ全てに演出家が付いているわけはないし、現にミニステージなどでは基本的に演出はアイドルたちに委ねられる。しかし八事務所合同で行われるドームライブは文字通り桁が違う。
誰が演出家の代役として適任か……ということを考えると、間違いなく第一候補は兄貴……周藤幸太郎だ。『俺をアイドルにするため』という理由だけで一からプロデューサーとしての勉強を始めて、僅か数年で業界のトップに上り詰めた正真正銘の天才である兄貴ならば、これまでの現場の経験や間近で見てきた数々のステージから演出としての仕事も出来ないことはないだろう。寧ろそんじょそこらの演出よりも仕事が出来るという信頼がある。
ただ兄貴は今回のライブでは総合プロデューサーとしての役割がある。全体の流れを見つつ各スタッフに指示を飛ばして微調整を行う司令塔のポジションを担ってもらう必要があるため、いくら兄貴が完璧超人とはいえ負担が大きすぎる。
となると……。
「「………………」」
チラリと隣に座る麗華に視線を向けるとちょうど目が合った。どうやら同じことを考えていたようである。お互いに無言のままコクリと頷く。意見は一致しているらしい。
俺と麗華は同時に口を開く。
「「こいつにやらせましょう」」
お互いがお互いを指差した。
「なんでだよ!? そこは『私がやるわ』って頷くところだろ!?」
「はぁ!? アンタが『俺がやる』って言うと思って譲ってあげたんでしょうが!?」
「お前たちの仲が良いのは分かったからとりあえず座れ」
「………………」
「ひっ!? り、りんさん……!? どうしたんですか……!?」
「なんでもないわよ志保ちゃんオホホホホ」
(なんでもない人は缶コーヒーの空き缶を握り潰したりしないと思う……)
「まぁ、良太郎か麗華ちゃんが演出っていうのはいい案だと俺も思う」
麗華とのいがみ合いに発展しそうになったが今はそんなことしてる場合じゃないとお互いにクールダウンしたところで、兄貴が俺と麗華の意見に肯定的な反応を見せた。
「二人とも長年JANGO先生の演出でのライブを経験していて先生の考え方や魅せ方は熟知しているだろうから、今回のライブの演出の意図を汲みやすいだろう」
「そうですね。それに、そもそも二人とも『魅せ方』に関して言えば間違いなくプロですし」
兄貴の言葉に石川さんも同意してくれたが、武内さんは「ですが……」と眉根を潜める。
「お二人もお忙しいのでは……実際にステージに立たれるわけですし……」
「いや、逆にステージに立つ側だからこそ見えるものもありますよ」
「確かに本番が始まっちゃうと自由に動けなくなるけど……」
再び麗華と視線を合わせる。先ほどとは違い、今度こそ間違いなく、お互いに同じことを考えていることを確信して頷く。
「それなら
「私たちが同時にステージに立つタイミングは終盤以外殆ど無いしね」
武内さんは静かに「確かにそれなら……」と思案顔になるが、やはり何処かで俺たちへの負担を危惧しているのだろう。顔に似合わず、相変わらず心配性で優しい性格である。
「兄貴、正直こうして緊急会議をしている時間も惜しい」
「皆さんも、私たちに任せてもらえませんか?」
この場にいる
彼らの意見は、一致した。
会場の確認が終わり、会議室に戻って来た私たちを出迎えたのは……スタッフ側に立ってマイクを持つ良太郎さんと麗華さんだった。
『今回、演出家の先生が不在という不測の事態が起きてしまったので』
『急遽私と良太郎が演出も担当することになったわ』
『『『っ!?』』』
そんな二人からの宣言にアイドルたちは当然動揺した。かく言う私も驚いている。
「あの、質問いいですか?」
『はい春香ちゃん』
「えっと、お二人で演出をするってことですか?」
『そうなるね。船頭が多くなって船が山に上る可能性もあるけど、お山はいくら上ってもいいと思うんだよ、なぁ、未来ちゃん! 隼人!』
「はい! そう思います!」
「え!? なんで俺!? なんのことですか!? ……あ、そういうこと!?」
私の質問を使って小ボケを挟まないで貰いたい。
『勿論、私たちが演出をすることに対するアンタたちの危惧も理解しているつもりよ』
(いや、その点に関して言えば特に危惧というか心配はなにもしてませんが……)
正直なことを言えば、こういう状況で動くのは幸太郎さんだと思っていた。しかし彼以外の人物で次にそういう適性が高そうなのは誰かと問われれば、間違いなく良太郎さんか麗華さんだ。
ここにいるアイドルは全員、多かれ少なかれ『周藤良太郎』と『東豪寺麗華』のカリスマに惹かれた人たちばかりだ。今更二人のアイドルとしての才能を疑うような人は一人もいない。
『だから……今回のライブの演出は、俺たちに任せてほしい』
『今回不在の演出家のときと同じぐらい……いや、それ以上のライブにしてみせるわ』
そう言って……二人は頭を下げた。
本当はお願いするのは私たちの方だというのに、ただでさえ大変な二人に更なる負担をかけてしまうというのに、良太郎さんと麗華さんは私たちに『演出を任せて欲しい』と頭を下げたのだ。
そんな二人の行動にみんなが慌てる中、私はその場で立ち上がった。立ち上がったのは私だけじゃなくて、りんさんやともみさん、ジュピターの三人。そしてそれに続くように他の人たちも全員立ち上がり……。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
『『『よろしくお願いします!』』』
こうして私たちアイドルだけではなく……各事務所の代表やスタッフを含めた全員の満場一致で『周藤良太郎』と『東豪寺麗華』の演出担当が決定した。
そんな彼らの下で……いよいよ、当日のリハーサルがスタートである。
先ほどまで感じていた不安は……いつの間にか、何処かへ消えていた。
「……は? 麗華お前なんつった?」
「えーえー何度だって言ってやるわよ?」
リハーサル始まった途端に不安が帰ってきちゃったんですけどぉ!?
・JANGO先生
長編外伝の感謝祭ライブでも登場の演出家が本編でもようやく登場。
見た目はワンピのジャンゴ。
・石川社長
もしかして初出……? な876プロの社長です。実は朝焼けは黄金色にも出てたらしい。
・お山はいくら上ってもいい
愛海ちゃんも「そうだそうだ」と言っています。
というわけで良太郎と麗華が演出として就任です。なんだコイツラいそがしそうだな……(他人事)
『どうでもいい小話』
山形公演お疲れさまでした。片道五時間半かかったことを除けば、今までで最高クラスの現場でした! 演者が近いっていいね……(なおほぼ最後列)