それは雨の日の記憶。
思い出したくない。けれど何度でも何度でも思い出して絶対に
――おいタンカは!?
――急げ! 救急車もだ!
周りの声がとても遠くに聞こえる。
――俺は大丈夫だ!
だけど。
――お前は悪くない!
その声だけは。
――だから、後を頼む!
その声だけは……。
「えっ!? りっくんが!?」
それは突然の出来事だった。
その日、俺と志保ちゃんと美優さんと志希の四人は事務所のラウンジで雑談に興じていた。この後志保ちゃんと美優さんだけは現場に向かうことになっていたのだが、絶妙に隙間時間が重なったのだ。
しかしそんな穏やかな時間は、志保ちゃんの元にかかってきた一本の電話によって終わりを迎えることとなった。
「志保ちゃん……?」
「り、陸君が……!? ど、どうしたのでしょう……!?」
「んー……?」
電話の向こうの声は当然聞こえていない俺たちには、当然志保ちゃんが何に驚いているのか、彼女の弟である陸君の身に一体何があったのか、何も分からない。今はただ、目を見開き顔が青褪めている志保ちゃんからの情報を待つしかなかった。
「そんな……りっくん……」
「志保ちゃん!?」
ガクリと力が抜けたようにその場に倒れ込みそうになった志保ちゃんの身体を、間一髪のところで支える。
「しっかりしろ志保ちゃん!」
「り、陸君がどうしたんですか……!?」
「……り、陸君が……陸君が――」
――事故に遭ったって……。
「「「っ!?」」」
陸君が事故!?
「びょ、病院……! 陸君……! 陸君っ!」
「志保ちゃん、落ち着いて!」
慌てて部屋の入口へと駆けていこうとする志保ちゃんの腕を掴んだ。咄嗟のことだったので加減が上手くいかずに強く掴み過ぎてしまったが、志保ちゃんはそんなことを意に介する様子もなく「離してくださいっ!」と振り解こうとする。
「き、気持ちは分かりますけど……! し、志保ちゃんは、この後……ど、どうしましょう……!?」
オロオロと戸惑う美優さんが懸念しているのは、この後志保ちゃんと一緒に行く予定になっている仕事だろう。
「今はそんな……っ!」
志保ちゃんはそれに対して言い返そうとして、しかしグッと言葉を飲み込んだ。きっとアイドルとしての仕事を『そんなこと』なんて言おうとしてしまったのを堪えたのだろう。偉いぞ志保ちゃん。
「分かってる。なんとかしてみせるから少しだけ待ってくれ」
これから志保ちゃんが向かう予定だった現場への連絡をするためにスマホを取り出す。褒められたことではないが、緊急事態なので『周藤良太郎』の名前を使って多少強引にでもスケジュールを捻じ曲げて……。
「あたし、代わりにいく」
……そんな俺たちの騒ぎを他所に静観していた志希が、そう言って手を挙げた。
「「え?」」
「志希さん……!?」
「今日の仕事、向こうからの指定が無かったグラビア撮影でしょ? だったら志保ちゃんの代わりにあたしでもいいと思うんだー。ほら、あたしこの後オフだし、いちおーユニットだし」
真剣な表情の志希に、志保ちゃんが息を吞んだ。
「い、いいんですか……?」
「いいから言ってるの。志保ちゃんは早く行って」
「っ……! あ、ありがとうございます!」
志希の力強い後押しを受け、再び志保ちゃんは駆け出した。
「待って志保ちゃん、今から俺が車出すから! 美優さん後はお願いします、何かあったら俺の名前を使って! 志希も頼んだぞ!」
「は、はい……!」
「言われなくても、シキちゃんだってこーゆーときぐらい……」
どんがらがっしゃ~ん!
「「「………………」」」
……まるで春香ちゃんが転んだときのような効果音が部屋の外から聞こえてきた。
「なんでこんなところにバケツが置いてあるんですか!? ってそんなことしてる場合じゃないの! 待っててりっくん今お姉ちゃんが、ってきゃ~!?」
続けて聞こえてきたそんな志保ちゃんの声に、俺たちは張り詰めていた空気が一気に弛緩しているのを肌で感じるのだった。
(((あ、これシリアスになりきらないやつだ……)))
そんな感じで、今回のお話は始まるのである。
「事の経緯をまとめると」
下校中に風で帽子を飛ばされたクラスメイトの女の子が道路へ飛び出したところへよそ見運転をしていた車が突っ込んできたのだが、なんとそれに気付いた陸君が咄嗟に女の子の腕を掴んで歩道に引っ張って助けたそうなのだ。
最悪の事態は免れたものの、陸君は女の子を引っ張って倒れた際に縁石に腕を打ってしまい片腕を骨折してしまった……ということらしい。
つまり『陸君が事故に遭った』というのは志保ちゃんの早とちり……とまでは言えないか。事故に巻き込まれたことは間違いないし。とはいえ大事に至らなくて本当に良かった。
「周藤さんや皆さんにご迷惑をおかけしてしまったようで、本当に申し訳ありません……!」
「いやいや、いいんですよ」
志保ちゃんと共に駆けつけた陸君の病室で、志保ちゃんと陸君のお母様から深々と頭を下げられてしまった。志希のおかげで志保ちゃんの仕事に穴が開かずに済んだわけだし、123プロへの信頼もあって先方も快諾してくれた。普段の行いはやはり大事である。
ちなみに志保ちゃんは病室に飛び込むなりベッドで身体を起こして座る陸君に抱き着いていった。寧ろこっちの方が追突事故じゃないかなって思うような勢いだった。
「それにしても凄いな陸君、ヒーローじゃないか」
「え、えへへ……」
俺が称賛すると陸君は照れくさそうに笑った。
「良太郎さん! そんな無責任なこと言わないでください! 一歩間違えばりっくんだって……!」
「それはそうだけど、正しい行いをしたことはキチンと褒めてあげないと」
叱るのはその後でだっていい。彼の勇敢な行動によって一人の少女の命が救われた事実に変わりはないのだから。
そんな俺と志保ちゃんのやり取りを不安そうに見ていた陸君が、ポツリと呟いた。
「……僕、恭也お兄ちゃんみたいになりたかったんだ」
「恭也みたいに……」
どうしてそこで恭也の名前が……と疑問に思ったのは一瞬で、その理由はすぐに理解できた、というか思い出した。
――四年前の冬、北沢陸は高町恭也によってその命を救われていた。
「あのとき、恭也お兄ちゃんが助けてくれなかったらきっと僕は死んじゃってたから。だから今度は僕が恭也お兄ちゃんみたいに誰かを助けたかったんだ」
「りっくん……」
「でも、今回はお母さんやお姉ちゃんにも心配かけさせちゃったから……ごめんなさい」
そう言って陸君は素直に頭を下げて謝った。
……どうやら心配しなくても、陸君は一番大事なことがちゃんと分かってるらしい。
「……そうだな、陸君。次からは無茶しすぎないように。それでいて、その自分の考えをしっかりと大事にしてくれ」
それでもこれは誰かが言わなくちゃいけないことだから。
「……うんっ!」
「すみませんお母さん、俺なんかが出しゃばっちゃって」
「いいえ……本当にありがとうございます」
「……ふんっ」
陸君とお母さんが笑う中、志保ちゃんだけがツンと唇を尖らせていた。
「……もうっ、りっくんもお母さんも……ついでに良太郎さんも……!」
りっくんがジュースを飲みたいというので、私は病室を出て病院の自動販売機コーナーへと向かっていた。……少しだけ、一人になりたかったのだ。
(……りっくんが無事だったことは嬉しいし、凄く勇敢なことをしたねって褒めてあげたいのに……)
それでも私は素直に喜べなかった。素直に褒めてあげることが出来なかった。
もしりっくんの行動が間に合わず、女の子と共に車に轢かれていたら。どうしてもそんな最悪の可能性が頭から離れないのだ。結果として私の早とちりだったけれど、それでもあのとき、お母さんからの電話を貰った瞬間の、まるで足元から世界が崩れ落ちたような恐怖がどうしても拭い去れないのだ。
自分が怪我をすること以上に、自分の大切な人が怪我をすることの方が、ずっと辛いのだ。
「っ」
花瓶を持った男性とすれ違い、人目があることを自覚して私は自分の顔を触った。きっと今の私は酷い顔をしていたと思う。
……良太郎さんの言う通り、今はりっくんが無事だったことを喜ぶべきだろう。
そう自分に言い聞かせて気持ちを切り替えていると、私の足元にサッカーボールが転がって来た。
「あっ、すみません!」
すぐ傍にある入口が開いている病室の中から聞こえてきたそんな声。どうやらここから転がって来たらしい。
私はボールを拾い上げると、その病室へと顔を向けて……。
「……え?」
――そこにいたのは、たった今私がすれ違ったばかりの男性だった。
・北沢陸
志保ちゃんの弟。なんとしっかりと登場するのは初である。
ちなみに時系列的には既に小学生。
・「あたし、代わりにいく」
志希の成長。これには良太郎も心の中でホロリ。
・どんがらがっしゃ~ん!
シリアスなんてなかった。
・四年前の冬
Lesson65参照。
アイ転らしからぬシリアス風味から始まりましたが、今回からはsideMが誇る双子ユニット『W』編となります。なんとメインキャラは志保ちゃんです。対戦よろしくお願いします。
『どうでもよくない小話』
……アーカイブが終わっちまった……次にこのライブを見れるのは12月……ロスが……ロスが大きすぎる……。