「はぁ……! はぁ……!」
今日のステージを終え、舞台を下りた私は劇場の中を走っていた。関係者以外立ち入り禁止エリア内で、先ほど私の窮地を救ってくれた先輩の姿を探す。
「おっ、静香お疲れさーん」
「な、奈緒さん!」
その途中、今日共にステージに立った別の先輩である横山奈緒さんとすれ違った。
「お、お疲れ様です!」
「だからそんなにイチイチかしこまらんでえぇって」
思わず足を止めて一礼する私に、奈緒さんは苦笑しながら手を振った。
奈緒さんはかしこまらないでいいと言うものの、奈緒さんはあの伝説と謳われる765プロ感謝祭ライブでバックダンサーを務め、さらに劇場が始まった当初からステージに立ち続けている。さらに既にメジャーデビューも果たしている先輩でもあり、私が目標としている人物の一人でもあるのだから、どうしてもかしこまってしまう自分がいた。
「それで、何をそんなに慌ててたん?」
「えっと、慌ててるわけではないのですが……その、美奈子さんを見ませんでしたか?」
「美奈子? なんや人を待たせてるゆーて裏口出てったで」
「ありがとうございます!」
奈緒さんにお礼を言ってから、裏口へと向かう。
あのとき、私は何も出来なかった。突然の出来事に何も出来ず、自分の失敗に言葉を失くしてしまうという更なる失敗を重ねてしまった。たまたま観客席にいた美奈子さんが助けてくれなかったら、危うく今日のステージを台無しにしてしまうところだった。
辿り着いた裏口の扉を勢いよく開ける。
「美奈子さん!」
「はい、これでいいかな? 未来ちゃん」
「わぁ! ありがとうございます!」
「……は?」
何故か美奈子さんが春日さんのTシャツにサインをしていた。そして美奈子さんの隣に立っている男性は誰だろうか。
「あっ! 静香ちゃん!」
「静香ちゃん、お疲れさまー!」
「……あ、はい、お疲れ様です……って、春日さん!? なんでここにいるの!? なに!? 何してるの!?」
そういえばさっき美奈子さんの隣にいたような気がしたけど、どうやら見間違えじゃなかったらしい。
「ねぇねぇ静香ちゃん、聞いて! この人誰だか知ってる!?」
何故か興奮気味に私に詰め寄ってくる春日さん。
「なんとテレビにも出てるアイドルの佐竹美奈子さんなんだって! さっきのステージに立ってた横山奈緒と一緒にジャスミンっていうユニットに組んでるすっごいアイドルでね!」
「春日さんお願いだからちょっと黙ってて!」
それはもう嫌というほど存じております!
「み、美奈子さん、今日は本当に……本当にすみませんでした……!」
「そんなことないよ。私の方こそでしゃばっちゃってゴメンね」
「情けない初ステージになってしまい、危うく台無しにしてしまうところでした……本当に、反省しています……」
もし、美奈子さんがいなかったら。
考えたくもない。けれど、その可能性があったということを忘れてはいけない。
私は……私は……!
「……ねぇ、未来ちゃん。未来ちゃんは今日が人生で初めてのライブだったんだよね?」
「え? はい! そうなんです!」
突然、美奈子さんの隣に立っていた男性が春日さんにそんなことを問いかけた。
「……そう、ごめんなさい、春日さん……わざわざ観に来てくれたのに……」
もっと素晴らしいステージを観せてあげたかった。アイドルのステージはもっと凄いんだと、教えてあげたかった。
「ありがとう! 静香ちゃん!」
「……え」
「今日のライブ、すっごく楽しかったよ!」
「っ……!」
「歌ってるときの静香ちゃん、すっごいカッコよかった!」
春日さんは、そう言って笑ってくれた。それは子どものような無邪気な笑みで、含みなんて一切感じさせない本心からのものだということが手に取るように分かった。
(私のステージを……楽しんで、くれたの……?)
ジワリと視界が滲む。ペラペラと今日の感想を楽しそうに話す春日さんに悟られないようにそっと涙を拭った。
「そうだ! 次はもっと近くで静香ちゃんのこと応援するからね! 最前列で……最前列?」
何故か自分の言葉を反芻して動きを止める春日さん。
「……春日さん?」
「……見付けた」
「え?」
「ありがとう静香ちゃん!」
「え、何が?」
「私、今日観に来れて良かった!」
「それは嬉しいんだけど、え、何?」
私の手を握る春日さんの目は何故かキラキラと輝いていた。
「美奈子さんもお兄さんもありがとうございました!」
「え、う、うん」
「どういたしましてー」
今度は美奈子さんと男性に頭を下げる春日さん。美奈子さんも戸惑っている様子で、その一方で男性は無表情にヒラヒラと手を振っていた。
「見つけた! 私が一番やりたいこと!」
春日さんは、そう言って人差し指を空に向けた。
(これはこれは……)
愉快な少女の初めてのアイドルのステージ体験記を間近で見れると思っていたら、それ以上に面白そうな場面に出くわしてしまった。
「というわけで美奈子さん! アイドルってどーやってなるんですか?」
「え、何が『というわけで』なのかな……?」
「ふむ、アイドルになる方法ね。それなら劇場アイドルのオーディションを受けるといいんじゃないかな」
「オーディション、ですか?」
「そう。確か765プロライブ劇場は新しいプロジェクトのために劇場アイドルを募集してるはずだから。それに応募するのが、今の君にとってベストな方法じゃないかな」
だよね? と美奈子ちゃんに問いかける。
「う、うん。……詳しいね」
「ハッハッハ、アイドルのことにやたらと詳しいことに定評がある『遊び人のリョーさん』とは俺のことさ!」
「凄いです! リョーさん!」
「そうだろうそうだろう! 未来ちゃんは素直でいい子だなぁ!」
是非君はそのままの君でいてほしいものだ。
「安心して。いずれ彼女もスレていくから」
ポンッと俺の肩に手を置きながら何も安心出来ないことを告げる美奈子ちゃん。大丈夫、この子もきっと星梨花ちゃんと同じで最後まで無垢なままでいてくれると信じている……!
「『遊び人のリョーさん』……? それって、亜利沙さんのご友人だという……」
どうやら静香ちゃんも耳にしたことがあったらしい。良かった、琴葉ちゃんの不審人物としての側面が浸透していなくて本当に良かった……。
「美奈子さんとも知り合いだったんですね」
「うん……まぁね。そろそろ二年ぐらいの付き合いになるかな?」
「体感的にはそろそろ五年ぐらいになりそうだけどね」
いやホント長いなぁ……。
「そんなに長く……お、お付き合いされているんですか……!?」
そんな俺たちのやり取りを見ていた静香ちゃんが、顔をほんのりと赤くしながらそんなことを尋ねてきた。
「だから違うんだってえええぇぇぇ!」
そして先ほどの未来ちゃんのときのように全力で否定する美奈子ちゃん。まぁ俺としても誤解されて得することは一切ないからいいのだが、それでも複雑である。
「……さっきもそうでしたけど、美奈子さんがそんなに怖がるなんて、一体どんな恋人さんなんですか?」
純粋に疑問に思ったらしい未来ちゃんが首を傾げる。言葉を発しないものの、静香ちゃんも少々興味ありげな雰囲気を醸し出しているところを見ると、彼女たちも女の子なんだなぁと当たり前のことを思ってしまった。
「どんな恋人さんか、かぁ」
なんと表現するのが最も適しているのか。
――例え
――アタシは
……そうだな。
――だから、お願い……!
――……死ぬなんて言わないでよぉ……!
「
未来ちゃんにオーディションのアレコレを教えることになった美奈子ちゃんたちと別れ、俺は一人劇場からの帰路に着く。
……あれ? そういえば俺、今回劇場のみんなにサプライズするっていう目的があったような……。
(……面白そうな場面に出くわせたからいいか!)
当初の目標は何も果たせていなかったが、今後劇場へと足を運ぶ楽しみが出来たから今回はこれで満足である。千鶴他劇場アイドルに対するサプライズは……まぁ、もう少し後でいいや。
マンションの駐車場に車を停め、ロックをしてエレベーターに乗ったところでスマホがメッセージの着信を告げた。
――部屋で待ってるからね。
それはふんだんにハートマークが散りばめられた恋人からのメッセージだった。元々今日はウチで夕飯を食べていく予定だったが、どうやら仕事が早く終わったらしい。きっと母上様や早苗ねーちゃんと一緒に台所に立っていることだろう。
「『我、昇降機ニテ上昇中。現着所要時間十五秒也』っと」
返信を打ち終えたタイミングでエレベーターは目的の階に到着した。一瞬で既読が付いたことを確認してからスマホをしまい、自室へと歩を進める。
心の中で「ごー、ろーく、なーな」と呟きながら廊下を歩き、部屋の前でゆっくりと鍵を取り出しながらタイミングを合わせる。ドアの向こうから聞こえてくるパタパタというスリッパの音が近づいてきたことを確認してから、俺はドアを開けた。
「ただいま」
「お帰りー!」
バッと飛び込んできた彼女を全身で抱き留める。軽くて柔らかい身体をぎゅっと抱きしめると、ほんのりと甘い香りが漂ってきたような気がした。
「今日もタイミングバッチリだな」
「えへへ、そろそろ
それは凄い。これはそのうちタイミングを計らなくてもよくなる日が来るかもしれない。
玄関から飛びついてきた故に何も履いていない彼女の体を廊下に下ろし、改めて向き合う。
「ただいま、
「お帰り、りょーくん」
背中まで届く赤紫の髪を揺らしながら、りんは花が咲くような笑顔を浮かべてくれた。
・横山奈緒
久々の登場! 彼女他、元バックダンサー組は全員『先輩枠』となっております。
ちなみに彼女を含め、元バックダンサー組は全員年齢がプラス二歳です。
つまり……(詳しくは活動報告にて)
・ジャスミン
美奈子と奈緒のユニット『Jus-2-Mint』。
漫画版(ブルーミングクローバー)では『ダブルエース』というユニット名ですが、ジャスミンの方がカッコよかったので(個人の意見です)
・――例えアイドルである貴方を
反転文字ってワクワクするよね。
・「ただいま、りん」
ただ一人『愛する』ことが出来た女性。
ゲッサン版第一話編、これにて終了です。それと同時に本格的にミリオンライブ編のスタートとなります。まだ登場していないミリのアイドルたちも順番に登場させていきますので、気長にお付き合いいただけるとありがたいです。
そして約七年の時を経て、ようやく彼女の想いは成就されました。ご意見は多々あると思いますが、自分は『ハーレム』を書いてきたつもりはないので、こうして一人の女性と恋仲になることは最初から決めていました。
そこに至るまでの過程は、まだ語られるときではありません。そこには『朝比奈りんでないと辿り着けなかった想い』があるのですが、それを明かすのはこの物語の最後になるやもしれません。
まぁしばらくは何も考えず、良太郎とりんがイチャつく様を眺めていただければ幸いです。