「着いた!」
週末、私は静香ちゃんのステージを見るために劇場へとやって来た。
「うわぁ~! ここが会場か~!」
屋上に大きなネオン管で『765 LIVE THEATER』と書かれたその建物が今日の会場であり、静香ちゃんが所属している事務所の専用劇場らしい。
乗って来た自転車を手で押しながら会場の周りを見て回ると、私と同じように今日のライブを観に来たらしい人たちが大勢いた。
「っ! あぁ!?」
そんな中、私は掲示板のガラスの向こうに張られているポスターに気が付いてしまった。
「静香ちゃんだー!」
思わず自転車をその場に停めて駆け寄ってしまった。
ポスターの中の静香ちゃんはステージ衣装に身を包み、マイクを片手に笑顔を浮かべていた。さらには静香ちゃんの直筆と思われるサインまで書かれている。
「本当にアイドルなんだー……!」
制服姿で踊っていたときもカッコ良かったけど、こんな衣装で踊るともっとカッコいいんだろうなぁ……!
「よし! 私も早く会場に……!」
そこでいきなり振り返って動き出したのがいけなかった。
「きゃっ」
「わっ!?」
私のすぐ後ろを歩いていたお姉さんにぶつかってしまった。そのままバランスを崩して後ろに倒れるお姉さんの姿に「しまった」と手を伸ばすが、私の手が届く前に女性の隣を歩いていたお兄さんがその肩を優しく支えた。
「おっと。二人とも、大丈夫か?」
「あ、うん、ありがとう」
「ご、ごめんなさい!」
お姉さんが無事だったことにホッとするが、慌てて頭を下げる。危うく怪我をさせてしまうところだった。
「私は大丈夫。でもこれからは周りに気を付けてね?」
「は、はい!」
優しいお姉さんで良かった! ……っと、そうだ!
「あ、あの、もし良かったらお詫びにコレを……!」
ポケットから今日のチケットを取り出す。静香ちゃんは二枚くれたけど、学校の友だちを誘うことが出来なかったから結局一枚余らせてしまっていたのだ。
……って、あぁ!? 明らかにデート中の二人だっていうのに、チケット一枚だけ渡してどうするの私!? 二人ともそれに気付いてなんか逆に困ってるっぽいし!?
……う、うぅ……でも、私から言い出しちゃったし……こ、ここは二枚とも……!
「……ふふっ、そんな悲しそうな顔しなくて大丈夫だよ。実は私も、一枚だけチケットを持ってたの」
「え?」
「一枚しかないから、今日は諦めようかなーって思ってたんだけど……どうかな? 今日は私たちと一緒に観ない?」
優しいお姉さんは本当に天使のように優しかった。
「こちらこそ、是非よろしくお願いします!」
一人で観るのちょっと寂しかったから、同行者がいきなり二人も増えて嬉しいな!
(……ゴメン、勝手に決めちゃって)
(いいんじゃない? なんか面白そうな子だし)
開場時間になったため、ダークブラウンのロングヘア―のお姉さんと赤いメガネをかけたお兄さんと共に、私は劇場の中へと入っていく。
「でもごめんなさい……」
「え? さっきのことはもう大丈夫だよ?」
「そっちじゃなくて、デート中にお邪魔しちゃったみたいで……」
「で、デート!? 違う違う! そんなんじゃないから!」
顔色を変えてブンブンと首を横に振って否定するお姉さん。これだけならば照れて慌てているだけのようにも見えるのだが、顔色は赤ではなく青褪めているところを見ると本当に違うらしい。
(その反応は流石に傷付くんだけど)
(その誤解が
そんなやり取りをしつつ、劇場の中へ。私が貰ったチケットの席はお姉さんが持っていたチケットの席は偶然にも前後並んでいて、お兄さんのご厚意により私とお姉さんが並んで座り、お兄さんが後ろの席へと着いた。
席に座り、改めて劇場を見回してみる。
「テレビとかで見る劇場ってもっと広いイメージですけど、ここは結構狭いんですね!」
「え゛っ」
「ハッキリ言う子だなぁ……」
「で、でも765プロ自前の劇場だし、この座席数埋めるの結構大変なんだよ!?」
「埋める……」
「うん! 今日は埋まってないけどね! 今日は!」
何故か必死に弁明をするお姉さん。それだけここに思い入れがあるってことなのかな?
「そ、それにホラ、狭いからいいこともあるんだよ! どの席からでもステージが凄く近いでしょ?」
「え?」
お姉さんのそんな言葉に、少し身を乗り出してステージを覗き込む。
「本当だ! っていうか、一番前の席近すぎだよ!?」
席とステージの距離が二メートルぐらいしか離れていなかった。あんなすぐ近くまでアイドルが来るなんて!
「……ハッ!? 大変! あんなに近いとパンツ見えそう!」
「そう! いいところに目を付けたな少女よ! それがこの劇場におけるいいところの一つと言っても過言ではない! ステージ衣装故に中身は当然アンダースコートなのは決定的に明らか! しかしスカートという布がチラリと捲り上がったことにより見えるものこそが『下着』という神秘の存在に近しいものであり、それはすなわちブベラッ!?」
「わっ!?」
突然風切り音が聞こえたかと思うと、スパンッという乾いた音が静かに響いた。何が起きたのかと振り返ってみると、何故かお兄さんが鼻っ柱を抑えながら呻いていた。
「……一体何処から……ナオちゃんのハリセンを……!?」
「……どうしたんですかね?」
「なんでもないよ。鼻先に蜂が止まってたから、追い払ってあげたの」
なんと、蜂! それは危ない!
「気を付けなきゃダメだよお兄さん! お姉さんが追い払う前に、自分で追い払わないと!」
「うん、そうだね……でも自分で追い払うのは難しいんだ……何せ百八匹もいるから……」
一体何処にそんな蜂の大群が!?
(
(なに、この程度では怒られんさ……)
(声震えてるよ)
「………………」
「……静香」
「………………」
「……しーずーか」
「ひゃっ!?」
突然ポンと背中を叩かれ、台本に集中していた私は驚き思わず台本を落としてしまった。
「あ、ごめんなさい……でも、集中しすぎもいけませんわよ」
わざわざ台本を拾ってくれた上に、そんな言葉まで投げかけてくれたのは、私と同じく今日のステージに立つ二階堂千鶴さんだった。
「あ、ありがとうございます」
「緊張を誤魔化すために何かに集中すること自体は悪くはありません。けれどこれからステージに立つというのに、周りが見えていないというのは困りものですわよ?」
「は、はい……」
私よりも先にステージに立っている先輩からの苦言に、思わず身が縮こまってしまう。
何故か普段からお嬢様口調で喋るという少々変わり者な先輩ではあるが、それ以上に曲者揃いの劇場の中では圧倒的にまともな頼れるお姉さんである千鶴さん。そんな彼女からの言葉は、自分でも予想以上に心に響いた。
「……静香、口をお開けなさい」
「え」
「はい、あーん」
「あ、あーん」
千鶴さんに言われるがままに口を開けると、彼女は「えいっ」と何かを私の口の中に放り込んだ。
思わず口を閉じて咀嚼してしまったそれは……。
「……お、美味しい……!」
「ふふん、わたくし手作りの肉団子ですわ。美奈子が作ったものにも負けない自信作ですのよ?」
本当に美味しくて、すぐに食べてしまった。
「まだまだありますが……これは、ステージを無事に終えてきてからお食べなさい。肩の力を抜いて挑めば、あっという間に終わりますわ」
そう言いながら千鶴さんが浮かべた柔らかい笑みは、同性の私でもドキッとしてしまうほど魅力的なものだった。
「けれど、ただ漠然とステージに立つのではなく、しっかりと自分がどういうアイドルなのかということを意識すること」
「は、はい!」
思わず背筋が伸びてしまったが、それでも先ほどよりも身体の強張りはなくなっているような気がした。
「いいお返事ですわ。頑張りなさい、静香」
「はい、頑張ります、千鶴マ――」
「……マ?」
「………………」
「静香?」
「……違うんです」
「静香」
「言ってません」
「まだ何も言ってないですわよ?」
「……私、そろそろ出番です!」
「……行ってきなさい」
「は、はい!」
「あっ! そうだ! 実は今日、私の友だちが初めて一人でステージに立つんです!」
「あら、そうなの? どの子どの子?」
「この子です! 最上静香ちゃん!」
パンフレットを取り出し、静香ちゃんの写真を指差す。先ほどの笑顔のポスターとは違い、こちらの静香ちゃんはキリッとした表情でカッコ良かった。
「実は同じ学校の同級生で、今日のチケットも静香ちゃんから貰ったんです!」
「そうだったの……静香ちゃんが」
あれ、もしかしてお姉さんも静香ちゃんをご存じ?
……あっ! もしかして、静香ちゃんのファン!?
「ここで会ったのも何かの縁ですし、良かったらサイン貰ってきてあげましょうか!?」
「え?」
「実はまだ私もサイン貰ってなかったから、それと一緒に貰ってきてあげますよ! お兄さんもどうですか!?」
「ん? 俺? ……そうだね、折角だからお願いしようかな。でも貰うだけじゃ悪いから、代わりに俺のサインをあげちゃおう。アイドルのサインと同じぐらいの価値はあると思うよ」
「またまたー! お兄さん冗談ばっかりー!」
「はっはっはっ」
全然表情が動かないからちょっと怖い印象のお兄さんだったけど、喋ってみるととても愉快のお兄さんだった。
(……劇場の子たちが束になっても、この人のサインの価値には届かないんだろうなぁ……)
「っと、そろそろ準備しないとね」
そう言いつつお兄さんはショルダーバックの中からオレンジ色の棒を何本も取り出した。
「それなんですか?」
「これは『サイリウム』。折ると光るから、これを振って応援するんだ。はいお裾分け」
「わっ、ありがとうございます!」
お兄さんは五本もくれたので、試しに一本、力を入れて折ってみる。するとパキッという音と共に棒が明るく光り始めた。
「わー! キレー!」
「アイドルのステージが始まると会場は暗くなるから、サイリウムのおかげで客席も負けないぐらいに綺麗に光るんだよ。光の海みたいに」
なんかテレビで見たことあるかも! そっか、客席が光ってたのは、みんなこれを持ってたからなんだ!
「……今日は観てく予定じゃなかったって言ってたのに、なんでそんなに持ってるの?」
「俺はファンとしてもいつだって全力なのよ」
「……流石、あの亜利沙ちゃんと仲良くしてるだけのことはあるよ……」
そのとき、ふっと会場の照明が暗くなった。
「わっ、暗くなった!?」
キョロキョロと周りを見回す私に、お姉さんはフフッと笑った。
「ほら――」
――始まるよ。
・ダークブラウンのロングヘア―のお姉さん
・赤いメガネをかけたお兄さん
一体コノ二人ハ誰ナンダー?(ヒント:お互いの口調)
※指摘があったのでお姉さんの髪型を変更
・「いいところに目を付けたな少女よ!」
誰だか知りませんが、やけに生き生きとしてますねこのお兄さん(棒)
・「はい、頑張ります、千鶴マ――」
千鶴ママの躍進は止まらない!
再び未来&静香の視点でお送りした二話目でした。この当たりからちょっとずつ漫画の展開と差異が生じていきます。
『どうでもいい小話』
祝! ミリオンライブアニメ化決定! やったぜ!
……いや、もうちょっと早くその情報欲しかったなぁ……。
こういうことにならないように、わざわざ一年以上外伝書いて時間を稼いでたっていうのに……。