「や。お疲れさま、りっちゃん、赤羽根さん」
「良太郎……」
雨に濡れた少女三人を連れてアリーナまでやって来た俺は、着替えをする三人と別れてこちらで打ち合わせをしていたりっちゃんと赤羽根さんに顔を見せに来た。
「ありがとう、良太郎君。わざわざ春香たちを送ってくれて」
「わざわざお礼を言われるようなことじゃないですって」
別段何かこちら側に不都合があるわけじゃないし。しいて言うなら、自分も助手席に乗りたかったと美希ちゃんと真美がぶーたれたぐらいか。
ちなみに車中は助手席に座った春香ちゃんと俺が二・三言葉を交わしただけで、基本的に無言だった。後部座席の二人は奈緒ちゃんが可奈ちゃんに何か声をかけようとするそぶりは何度もバックミラー越しに見て取れたが、結局言葉は見つからなかった様子だった。
「アンタ、仕事の方は大丈夫なの?」
「ちょっとぐらいなら平気平気」
ぶっちゃけると結構時間ギリギリなのだがまぁ遅刻するわけじゃないし、それに今は彼女たちの方が気になるというのが本音だ。
「……ごめん」
「へ?」
何故か突然りっちゃんに謝られた。俺がりっちゃんに謝ることは数あれど、りっちゃんが俺に謝るようなことに心当たりは無いのだが。
「その……アンタや幸太郎さんたちが恵美ちゃんたちを預けてくれたっていうのに、問題ばっかりで……」
「い、いや! それは律子じゃなくて俺の責任で……!」
「あーあー、そういうの無し無し。止めましょうよ、誰も得しない会話とか」
りっちゃんに続き赤羽根さんまで謝罪の姿勢になってしまったので慌てて止める。雑談は嫌いというわけではないが、何の面白みも無い
「それを言うんだったら俺たちだってりっちゃんたちに恵美ちゃんたちを丸投げしちゃったようなもんだし、お互いさまってことでこの話はやめよう」
ハイ! やめやめと会話の流れを切る。
「……ありがと」
「そういえば、アンタに聞きたいことがあったんだった」
関係者通路の片隅にある自動販売機でそれぞれ飲み物を買っていると、りっちゃんがそんなことを言い出した。
「どうしてまゆちゃんをすぐにデビューさせなかったの?」
「……というと?」
ズズッとコーヒーを啜りながら先を促す。
「合宿の時からずっと思ってたんだけど、あの子たちはかなりのレベルで『出来上がっている』わ。あまりこういうことは言いたくないけど、他のバックダンサー組の子たちと比べ物にならないぐらい」
「……それは素人目に俺が見ても思った。経験を積ませたいからっていう良太郎君たちの言葉も分かるけど……」
りっちゃんの言葉に赤羽根さんも同意する。
「……まあ、別の思惑があったことは認めますよ」
経験を積ませたいっていうのも間違いではないのだが。
「……うちの事務所に来たばっかりのまゆちゃんは、何というか、こう、危うかったんだよ」
「危うかった?」
結構プライベートなことだから詳細は省くけど、と注釈してから話を進める。
「まるで悪い意味で『自分はアイドルになるために生まれてきた』んだとばかりにただひたすらアイドルになることだけを考えて、それ以外のことに関する『自分』に全くの無関心だった」
普段のこと、家族のこと、学校のこと、友達のこと。聞けば答えは返ってきた。けれど、そこに『佐久間まゆ』は見えなかった。
「心配だったんだよ。確かにまゆちゃんは最初からレベルが高くて、すぐにでもデビューさせることが出来る。でも……きっとそれじゃダメだって思ったんだ」
歌が上手くて、ダンスが上手くて、可愛くて、でもそれが『佐久間まゆ』でなくては意味がないのだ。
「だから俺と兄貴は、恵美ちゃんと一緒にデビューさせることを決めた」
同時期に事務所に入った同世代の同性。彼女と共にアイドルを目指すことで、彼女の何かが変わってくれるのではないか。一種の願望で、ある意味丸投げだった。
しかしその結果、まゆちゃんは『佐久間まゆ』を取り戻した。
「765プロのアリーナライブに参加させてもらおうって考えたのも、実はそれと似たような理由だったんだよ」
「え?」
『周藤良太郎』はデビューしてからこれまで良くも悪くも一人で突っ走ってきた。961プロに所属していたジュピターの三人も、事務所の方針故に似たようなものだった。俺たちは共通して同世代のアイドルと肩を並べて、共にステージに立つという経験をしたことがない奴らばかりだ。
「恵美ちゃんとまゆちゃんには、そういう世界もあるっていうことを知って欲しかったんだ」
俺には説得力がないだろうが、という前置きを再び使わせてもらうことにはなるが。
『アイドル』ってのはただ個人が頂点目指すんじゃなくて、誰かと肩を並べたり、誰かを引っ張り上げたり、時には歩調を合わせたり、そしてステージの上に並び立てばより光り輝く。そういう風に成長していくものなんだっていうことを知ってもらいたかった。
俺には説得力がないからこそ、そんな仲間がいるがいるのもいいことだって知ってもらいたかった。
簡単に、そして格好つけた言葉で言うならば、俺は彼女たちに『青春』をしてもらいたかった。
きっと彼女たちは今、ただウチの事務所に所属していただけでは出来なかったであろう経験をしている。それは間違いなく二人の糧となる。
「だから、765プロのみんなには感謝してる」
こんな俺の、個人的な我儘を聞いてもらって。
「……何というか」
まるで呆れたように、けれどその表情はとても柔らかな表情でりっちゃんは笑った。
「まるで保護者ね」
「……あぁ」
雨に濡れたために周藤さんの車で先に向かった三人と合流し、アリーナライブの会場へやって来た私たち。
そして今、私たちはそのステージの上に立っていた。
「わぁ……!」
その感嘆の声は果たして誰のものだったのか。少なくとも思わず息を飲んでしまった私のものではなかった。
「広ーい!」
「すっごく広いの!」
「客席、あんな高いところまであるんだな!」
「なんかテンション上がって来たよー!」
765プロの皆さんも初めて足を踏み入れたアリーナに興奮した声を出す。
その一方で、バックダンサー組の声は圧倒された様子で少し震えた声だった。
「前やった会場とは、規模が違うね……」
今は静寂に包まれたアリーナは広く、ただただ広かった。
「ここにお客さん入ったらどうなっちゃうんだろ……」
その佐竹さんの呟きに、その場にいた全員が想像する。
この広い空間を埋め尽くす色とりどりのサイリウムの光、一万人を超える観客の歓声……を。
――……ぁぁぁあああぁぁぁあああ!!!
「……っ!」
想像し、背筋がゾワリと震えあがった。
こんな凄まじい場所で、私たちは踊るのか。天海さんたちは歌うのか。
そして、周藤良太郎はいつも『一人』でここに立っているのか。
「……!」
突然、何かを思いついたように天海さんが駆け出した。
まだ仮組みではあるもののメインステージから花道へと駆けていき、そしてその先端で立ち止まって大きく手を振りかぶってアリーナの奥を指さした。
「後ろの席までっ! ちゃーんと見えてるからねーっ!」
まるで山彦のようにアリーナ全体を天海さんの声が響き渡り、そして吸い込まれていった。
「……はぁ、広いなぁ……!」
それは、いつもライブの度に思うこと。今までも、そしてきっとこれからもここに立つ度に私は同じことを思い続ける。
振り返ると全員が私を見ていた。勿論、可奈ちゃんも。
可奈ちゃんがすぐそこにいて、私の話を聞いてくれる。ただそれだけで、私は少し嬉しくなった。
「……私ね、いつも一番後ろのお客さんまで声を届けようって思ってるの。ソロでも、全員のライブでも、全部。それでその度に『ステージって広いなぁ』って思うんだ」
でもそれと同時に、私一人じゃないと改めて実感する。
「えっと、うまく言えないんだけど……私の今いる場所は、私の今までの全部で出来てるってことなの」
同じ765プロで共に仕事をしてきた大事な仲間たち。伊織、真、雪歩、やよい、響ちゃん、貴音さん、あずささん、亜美、真美、美希、千早ちゃん、律子さん、プロデューサーさん、小鳥さん、高木社長。
事務所は違うけど私たちにとても良くしてくれる先輩たち。良太郎さん、天ヶ瀬さん、伊集院さん、御手洗君、麗華さん、りんさん、ともみさん。
沢山の人に出会って、私は今ここに立っている。
「誰か一人でも欠けてしまっていたら、私はきっと辿り着けなかった。だから、出会って今一緒にいるってことは、私にとって大事なことなの」
今回のアリーナライブで出会うことが出来たバックダンサーのみんな。奈緒ちゃん、美奈子ちゃん、星梨花ちゃん、杏奈ちゃん、百合子ちゃん、志保ちゃん、恵美ちゃん、まゆちゃん。
「ね? 可奈ちゃんだって一緒だよ」
それぞれ、目標も考え方も違う。それでもこのライブのために集まった。
私たちは『今』ここにいる。
「誰か一人でも欠けちゃったら次のステージには行けない」
それは以前、良太郎さんに示してもらった私の夢。
――『前のステージみたいにみんなと一緒に楽しみたい』じゃなくて『次のステージをみんなと一緒に楽しみたい』って、こう考えるだけでいいんだ。
私はみんなと一緒に次へと進みたい。
私のこれまでがそうだったように、私のこれからもそうであり続けたい。
ここにいる全員で走り抜きたい。今の全部でこのライブを成功させたい。
「他にももっといい方法があるのかもしれないけど――」
――私は、天海春香だから。
私は今、このメンバーのリーダーだけど、その前にやっぱり、私だから。
「――……たい……」
ポツリ。
それは、今も外で振り続けているであろう雨の一滴のように落ちた、可奈ちゃんの瞳から流れ出た涙だった。
「一緒に、行きたいです……! 私も、一緒に……! 諦めたくない……! アイドル、諦めたくないです!」
――私も一緒にステージに立ちたいっ!
「……うん……!」
それは、ようやく可奈ちゃんの口からちゃんときくことが出来た……彼女の偽らざる心の声だった。
「全くもう、相変わらず恵美ちゃんはこういうことに関して涙腺が弱いんだから」
「今度こそこれから一緒に頑張ろう」と可奈に負けず劣らずの涙を流しながら彼女に抱き付く恵美さんを見ながら、いつの間にか私の横に立っていたまゆさんが苦笑する。
「……それで、志保ちゃんはいいの?」
「え……?」
「天海さんも可奈ちゃんも、どうしたいかを言っただけ。言いたいことがあるなら言うべきよぉ」
そのために天海さんはあそこで待っていてくれるのだから、というまゆさんの言葉に、私は首を横に振った。
「……あるはずないです」
顔を上げてアリーナの一番向こうに目を凝らす。一番奥の席は、本当に自分の声があそこまで届くのかと思ってしまうぐらい、ここから遠く離れているように感じた。
「このステージは、今立っているこの場所は」
周藤良太郎がいつも一人で立っていたが故にずっと気が付かなかったこの場所は。
……私が思っていたものよりもずっと重たかったから。
・この話はやめよう。ハイ! やめやめ
ファイヤーヘッド兄さんのことをゾフィーって言うのヤメろよ!
・『青春』をしてもらいたかった。
多分気付いた人はいないでしょうが『花物語』のラストで阿良々木君が神原に言ったセリフをインスパイアしました。物語シリーズ個人的名言ランキング上位に入るセリフです。
・春香の長台詞
これまででお気づきの方もいらっしゃるでしょうが、こういう大切な場面の台詞は基本的に原作から引用しつつ「良太郎がいること」によりほんの少し変化しております。
間違い探しレベルですが、是非その辺を楽しんでいただければ(楽しめるとは言っていない)
・おや、いおりんの出番が……?
減ってるなんてことはないですよ()
というわけで劇場版の最大の山場を乗り越えました。あとは〆の空気に入りつつライブシーンを迎えるだけですが……当然まだ回収してない伏線があるのでこの小説ではまだ山場は残っております。
さて、本当にあと二話で収まりきるのだろうか……。