アイドルの世界に転生したようです。   作:朝霞リョウマ

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作者が第三章で書きたかったことを全て詰め込んだ『決着』です。


Lesson107 Bright or Dark 4

 

 

 

「あれは……そうねぇ、私がまだ小学生の頃の話ねぇ」

 

 まゆちゃんは右手で左手の傷跡を撫でながら語り始めた。

 

 それはまゆちゃんにとって決していいものでは無い筈なのに、それでも彼女はその傷跡を愛おしいものに触れるように優しい手つきで撫でていた。

 

 

 

 『それ』は何処にでもある有り触れたもので、『それ』以上のものは幾らでもあった。

 

 故に『それ』は今なお世界中の何処かに溢れており、決して珍しいものなんかではない。

 

 だから『それ』の詳細を今ここに明記するつもりはない。

 

 しかし『それ』は、佐久間まゆという少女が世界を拒絶するには十分だった。十分すぎる理由だった。

 

 佐久間まゆは世界を拒絶し、しかし世界は佐久間まゆを拒絶せず、かといって受諾することもなく。

 

 

 

 結局、佐久間まゆには左手首の傷しか残らなかった。

 

 

 

「でもそんな時、私は出会ってしまったの……良太郎さんという、運命の人に……!」

 

 まゆちゃんがあの日、つまりビギンズナイトに出くわしたのは本当に偶然だった。小学生の身であるにも関わらず夜遅くに、ただフラフラと、何の当てもなく歩いていたところ、彼女はそこに辿り着いてしまったのだと言う。

 

「あぁ、こんなにも素晴らしい歌があるなんて。こんなにも素晴らしいダンスがあるなんて。こんなにも人々が熱狂し……そして、こんなにも私の心を強く惹きつけるものがあったなんて」

 

 そうして彼女はアイドルの道を志し……123プロダクションの門を叩いた。

 

 これは全て、彼女がウチの事務所のオーディションを受けに来た際に彼女の口から語られたことである。隠し事はしたくないからという理由で彼女は面接でそれを全て打ち明けてくれたのだ。普段は決して他人には明かすことのない、彼女の秘密を。

 

 勿論、これが彼女を合格にした理由ではないのだが……それでもほんの少し危ういと思ったと同時に、嬉しかった。誰かを笑顔にしたいという自分の活動理念がしっかりと果たされていることに対し純粋に嬉しかったのだ。

 

 あぁ、俺はこうして一人の少女を救うことが出来たのだ、と。

 

 ――だから、視野狭窄になっていたのだろう。必ず何処かに『同じように悲しませてしまった』人がいるということに気付かないぐらいに。

 

 

 

「……ねぇ、志保ちゃん」

 

 まゆちゃんに名前を呼ばれ、ただ茫然と話を聞いていた志保ちゃんは肩をビクリと大きく震わせた。

 

「私は、貴女じゃありません。だから貴女があの夜に抱いた感情を、私は理解できません。きっと貴女が私の思いが分からないように、私も貴女の思いが分かりません」

 

 でも、とまゆちゃんは器用に右手だけで左手首にリボンを巻き直しながら続ける。

 

「私は貴女と同じであの夜に周藤良太郎と出会い、そして人生が大きく変わりました。だからこそ、私は貴女に言いたいことがあります」

 

 リボンを巻き直したまゆちゃんはソファーから立ち上がり、そして顔を上げて真っ直ぐと志保ちゃんに向き直った。

 

 その表情は先ほどまでウットリとした恍惚な表情ではなく、いつもの笑顔でもなく、かといって不安げなものでも怒りに満ちたものでもなかった。

 

「確かに貴女のように、大切なものを無くしてしまった人もいると思います。それでも私のように、救われた人もいるんです」

 

 真っ直ぐと、ただ真っ直ぐと。

 

 真剣に、真摯に。

 

「だから、どうか『周藤良太郎』を、否定しないでください」

 

 まゆちゃんは、頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

「……ち……です……」

 

「え……?」

 

「……違うん、です……」

 

 まゆちゃんが頭を上げ、そうして再び視線を志保ちゃんに戻すと。

 

「私は……否定したかった、わけじゃないんです……」

 

 泣いていた。

 

「本当は、良太郎さんを……否定したかったわけじゃ、ないんです……」

 

 彼女は、ポロポロと涙を流していた。

 

「私が、本当に否定したかったのは、良太郎さんじゃない……! ましてや雪月花でも、テレビスタッフでも……アイドルのみんなでもない……!」

 

 叫ぶように、そして懺悔するように。

 

 

 

「あの夜っ! あの公園で足を止めてしまった『私自身』を否定したかったんです……!」

 

 

 

 あの日、あの夜、志保ちゃんも家族と共にテレビ局へと向かっていた。大好きなアイドルである雪月花の番組収録を観覧するために。

 

 しかし、結局それはなされなかった。否、至れなかった。

 

 そこへ向かう途中の公園で、足を止めてしまったが故に。

 

「初めは、勿論好奇心でした。でも良太郎さんの歌を聞いた瞬間、ダンスを見た瞬間、もう私はその場を離れることが出来なくなってしまったんです……」

 

 拭われることがない涙が志保ちゃんの頬を伝って落ちる。

 

「ステージの上の良太郎さんが眩しくて、カッコよくて……その瞬間、私の頭の中に雪月花はいなかった……大好きだった雪月花を『私自身』が裏切ったんです……!」

 

 普通、ファンというものは別に一人の、一組のアイドルを絞るものでは無い。俺が魔王エンジェルのファンであり765プロのファンでもあるように、複数のファンになることは可能なのだ。

 

 しかし、その瞬間、彼女の心の中の天秤が確かに傾いてしまった。

 

 ……ファンを持っていかれる、と志保ちゃんは語った。それは『志保ちゃん自身』の話だった、ということだったのか。

 

 志保ちゃん自身がそうだったように。

 

 ファンの『心』が離れる瞬間を、身をもって体験してしまったのだ。

 

「本当は分かってたんです……こんなの醜い八つ当たりだって、酷い責任転嫁だって……私自身の問題だったんだって……!」

 

 ごめんなさい。

 

 そう何度も繰り返しながら、彼女は手で顔を覆った。

 

(……違う)

 

 ぐっと拳を握りしめる。

 

 志保ちゃんの言は正しいのだろう。でも、違う。

 

 少なくともあの日、民宿の食堂で出会うまで、きっと彼女はそんなことを考えもしていなかったのだろう。いや、考えていたとしても、それは彼女の中での問題だった。少なくとも、周藤良太郎に対する良くない感情はあれど敵意ではなかった。

 

 きっかけはきっと『俺が彼女の恩人の名前を騙った』こと。

 

 ファンだったアイドルを裏切ってしまった原因である『周藤良太郎』と『恩人の偽物』という二つのファクターが重なり合い、相乗し、明確な『敵意』となり俺へベクトルが向いたのだろう。

 

 『裏切ってしまった自分』を守るため、彼女の心は『周藤良太郎』という外敵を作った。その防衛本能を責めることは出来ない。何せ、まだ彼女は十四歳の少女なのだから。

 

 勿論、俺は彼女の心情全てを理解できるはずがないので、こんなのは所詮妄想だ。

 

 それでも、それが正しかったとしたら……俺の思い付きの悪ふざけが原因で、何の罪も無い『アイドルのファンである女の子』にただ辛い思いをさせてしまっていたのだ。

 

 結局、俺が彼女を苦しめていたという事実には変わりは無かったのだ。

 

 

 

「……しほぉ……!」

 

「……え?」

 

 ギュッと。唐突に、座って涙していた志保ちゃんが抱きしめられた。

 

「め、恵美さん……!?」

 

 彼女と同じぐらい涙を流す、恵美ちゃんの腕によって。

 

 先ほどから扉の裏で、こちらの話をずっと聞いていた恵美ちゃんの腕によって。

 

「えぐ、ひっく、大好きな人たちを裏切ったみたいで怖かったんだよね……本当は好きな人を拒絶しないといけないから悲しかったんだよね……!」

 

 気付いてあげられなくてゴメン。そう言いながら恵美ちゃんは志保ちゃんの体を強く抱きしめ、そして大粒の涙を流す。

 

「な、なんで恵美さんが泣いてるんですか……!」

 

「それなのに、酷いこと言おうとしちゃってゴメン……ゴメンね……!」

 

「だ、だからぁ……ど、どうして……め、めぐみさんまで……!」

 

 ポロポロ、ボロボロと。彼女たちは、涙を流す。

 

 

 

 

 

 

(……あの時と同じねぇ、恵美ちゃん……)

 

 少女が少女を抱きしめ二人で涙を流す光景に、私はシャイニーフェスタでの出来事……私が恵美ちゃんと『親友』になった夜のことを思い返し、そして彼女と仲良くなってからまだ三ヵ月しか経っていなかったことに気付きクスリと笑ってしまった。

 

 あの時の私は今よりもっと『歪んで』いて、良太郎さんに見初められて事務所入りした所恵美という少女が嫌いだった。

 

 だからあの夜、ホテルで同室になった彼女に私はリボンの下を見せた。

 

 

 

 ――私がアイドルになるのは『良太郎さんが救った命を使って』アイドルになることで、彼の偉大さを証明してみせるため。

 

 ――私は全ての人生を良太郎さんのために捧げてみせる。

 

 ――だから私は貴女とは覚悟が違う。

 

 

 

 そう言うつもりで、私は自身の過去を話した。

 

 しかし彼女は忌避することなく同情することもなく。

 

 

 

 ――辛かったね……!

 

 ――頑張ったね……!

 

 

 

 私のことを抱きしめながら、そう涙を流したのだ。

 

 他人と喜びを分かち合うことは簡単だ。でも、悲しみを分かち合うのは難しい。誰だって進んで悲しみたくはないし、辛い思いをしたくない。ましてや、他人のことなのだから。

 

 しかし彼女は、所恵美という少女は『私の過去』に対してではなく『私』に対して悲しみの涙を流してくれた。まるで自分のことのように、それまで私が流すことが出来なかった分まで泣くように涙を流してくれた。

 

 もう少し早く彼女に出会えていればという思い以上に、今こうして彼女と出会うことが出来て良かったいう思いが私の心を満たしていった。

 

 その涙は、それまでの人生で歪んで曲がった私の心を正してくれた。

 

 

 

 私は周藤良太郎に『生命』を救われ、所恵美に『心』を救われたのだ。

 

 

 

 だからきっと今回も彼女は、北沢志保という『運』と『()』が悪かったが故にほんの少し歪んでしまった少女の心を正すのだろう。

 

 ならばもう、きっと彼女は大丈夫だ。

 

 

 

「……まゆちゃんはさ、分かってたの?」

 

 未だに大声で泣き叫ぶ二人を見守りながら、良太郎さんはポツリとそれを尋ねてきた。

 

「志保ちゃんが本当に否定したかったものが、何なのか」

 

「……少なくとも、良太郎さんじゃないってことは気づいてましたよぉ」

 

 ついさっき気付いたというのが正解だが。

 

 あの夜に立ち会って良太郎さんに心奪われるのは、控えめに言っても当然のこととして……。

 

 「アナタを許さない」とそう言った志保ちゃんは、良太郎さんが視線を逸らしてしまって見ていなかった志保ちゃんは。

 

 

 

 ――見ているこっちが辛いぐらい、悲しい顔をしていたのだから。

 

 

 

 

 

 

「懐かしいなぁ……」

 

 もう五年前になるのかとステージの上に立ちながらリョータローさんはそう独り()ちた。

 

 アタシと志保の服が乾き、アタシたちをそれぞれの家まで送ると申し出てくれた良太郎さんが、少しだけ寄り道をさせてほしいと言ってとある公園にやってきた。

 

 雨はすっかり上がっており、雲間から顔を出した太陽はビルの向こうに消える直前だった。

 

「ゴメンね、俺の我儘につき合わせちゃって」

 

「アタシは別にいいんですけど、ここってもしかして……」

 

「そ。……俺の、俺たちの始まりの場所」

 

 始まり。つまり『ビギンズナイト』が起こった公園。アイドル史に残るであろう正しく歴史的な場所に、アタシたちは来ていた。

 

「始まりの場所だからこそ、ここからまた始めたいんだ」

 

 そう言ってステージから降りてきたリョータローさんは、志保の目の前に立った。

 

「まずは謝らせてほしい。君の好きだったアイドルが辞める『きっかけ』を生んでしまったことを。……すまなかった」

 

「……いえ、いいんです。『きっかけ』はともかく『原因』は、間違いなく彼女たち自身だったんですから。結局あれは、私の子供みたいな八つ当たりだったんです」

 

 志保はそう言って首を振る。散々涙を流し、赤くなった目のまま(アタシも同じだが)ではあるが、落ち着いた表情だった。

 

「それでも君の好きだったアイドルを奪ってしまったことには変わりない。それについて謝罪すると同時に……宣言したかったんだ」

 

「宣言……ですか」

 

 あぁ、とリョータローさんは頷いた。

 

「もう二度と誰かを君のように悲しませることをしない……とは、とてもじゃないけど俺には断言できない。どんなに頑張っても『王』は『神』にはなれない」

 

 でも。いや、だからこそ。

 

 

 

「俺は『俺が悲しませてしまった人』ですら笑顔にするような……そんな『夢のようなアイドル』になってみせる」

 

 

 

「……良太郎さん……」

 

「みんなが『夢』に向かって頑張ってるんだ。俺だってまだまだ『夢』を目指してみるさ」

 

 だから今日この場で『あの夜』をやり直す。

 

 そう言って、リョータローさんはステップを踏み始めた。

 

 それはこの場にいる全員が知っている、いや知らない方がおかしいとまで言えるステップ。正しく『あの夜をやり直す』というリョータローさんの言葉の通り、あの日のこの場所でリョータローさんが披露した曲の振り付け。

 

 周藤良太郎の代表曲『Re:birthday』だった。

 

『俺はもう一回生まれ直す』

 

 そう宣言しているようだった。

 

 ……あれ?

 

(どうしてアタシがあの夜のことを知ってんだろ?)

 

 突然のリョータローさんのパフォーマンスにテンションが上がっている隣の二人を尻目に、アタシはそれに気づいた。

 

 アタシはこの二人と違って、あの夜に立ち会って無かった筈なのに……あれ?

 

 

 

 ――ママー、あの人たち何やってるのー?

 

 

 

 ……違う。

 

 

 

 ――誰かが歌ってるのが聞こえるー!

 

 

 

 『この場所』でのリョータローさんの歌が、ダンスが、アタシの幼き日の記憶を呼び起こした。

 

 目の前に浮かぶのは、幼き日の情景。両親と車でお出かけし、夕方遅くになってしまった帰り道。交差点の信号待ちの最中、車から見えた人だかり、そして車の走る音や人々の歓声にすら負けない力強い歌声。

 

(……アタシも、そこにいたんだ……!)

 

 胸の奥底からこみ上げてくる感情は、純粋な歓喜だった。

 

 あぁ、自分もまゆや志保と同じだったんだ、あの夜に立ち会った彼女たちと同じ場所に立っていていいんだという歓喜。

 

 今の熱意は勿論負けていない自信はあれど。

 

 アイドルを始める理由が劣っていたアタシに対して「君はそこにいていいんだ」と。

 

 他ならぬリョータローさんから、告げられたような気がした。

 

 

 

 四人の新たな『再誕日』を祝うように、リョータローさんの歌声は夕焼けに染まる夏の空に響いていった。

 

 

 




・佐久間まゆの『それ』
『それ』はもうまゆちゃんには存在しないものなので、明言しないしするつもりもない。

・北沢志保が否定したかったもの
乱暴に言ってしまえば「自分が雪月花を裏切ってしまったことに対する自己嫌悪が理由の八つ当たり」だったということです。当時九歳、現在でも十四歳の少女と考えれば何ら不思議ではない……はず。
ちなみに彼女は「雪月花がしてきたことを知って」いましたが、雪月花がしたことと彼女がしてしまった(と彼女は考えている)ことはまた別の問題です。

・シャイニーフェスタでの出来事
以前から話していた「あの南の島」での出来事のことです。いずれまた改めて語る機会があるとすれば、傷物語的な感じの番外編になるかと。

・まゆちゃんの歪み
原作のまゆちゃん「一緒に幸せになりましょう」
今作のまゆちゃん「私の人生をアナタのために使います」
大体こんな感じ↑の違い。

・所恵美の『ビギンズナイト』
Lesson91より。
無意識的に、深層心理的に、彼女もまた良太郎の影響を受けていた的な感じ。



 何も言うことはない(カール・アウグスト・ナイトハルト並感)

 とりあえず第三章で書きたかったことを詰め込んだ最大の山場でした。ごちゃごちゃしすぎた感もありますが、これにて『三人娘』のお話は終了です。くぅ~疲れましたw

 ……まぁお気づきの方もおられると思うので先に注釈をしておくと、今回わざと途中から良太郎視点を省きました。今回の一件(劇場版本編の件は除く)は一応の解決ということになりますが、この時に良太郎が考えていたこと、考えた末に至った結論等はまたいずれ別の機会にということにします。



 てなわけで次回から、第三章最終話を開始……ではなく、お察しの通り番外編です。

 次回は『黄色の短編集』をお送りします。果たしてアナタの推しメンは出てくるのかな?

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