かくも日常的な物語   作:満足な愚者

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第一話 その6

ポチャン。ポチャン。

 

天井の結露が湯船の中に落ちる。

 

時間帯がちょうどお客さんが多い時間帯だったのか、男風呂の方はだいぶ混んでいた。

 

年の層も年配の方が多く、俺たちのような若い人はほとんどいない。そんな中、俺とSSKは一番大きい湯船の壁に背中をもたれさせ、並んで浸かっていた。

 

「それにしても久しぶりだな。こうやってお前と銭湯にくるのは」

 

「ふむ。確かに……。最後にきた時は高校時代だったか」

 

白いタオルをたたんで頭の上においている彼は、右手を顎において頷く。そして呟く。

 

「もう、3年前か……。早いな」

 

3年。もう、3年もたった。この3年間はあっという間に過ぎたと言えばそうだったし、長かったと言えば長かった。

 

「そうだな。もう3年……。懐かしいな。高校時代から俺たちは変われたのか」

 

高校時代この銭湯にきた時は大抵の場合、学校に遅くまで残っていた時のことだった。俺とSSKとミズキ、そしてたまに我らがビジュアル担当のヒロト。この4人でこの銭湯にちょくちょく来ていた。

 

家族連れに人気なスーパー銭湯とは違い、湯船の数も3つしかない。それにサウナ何かも5、6人も入れば一杯一杯になる狭いものだ。

 

何もあの時と変わらなかった。 ペンキの剥げた、壁の絵。普段の家の風呂とは違い、熱い銭湯特有のお湯。俺の身長もSSKの身長も恐らく、あの時と変わらないはずだ。

 

俺たち……。いや、俺はあの時から変われたのか。

 

それともこの湯船にはられている肌に刺激を感じる位のお湯と同じように何も変われてないのか。

 

「さぁな、俺には分からん」

 

「ただ……。ただ、少なくともあの時と比べると3年も生きていた分、成長していると思うがな」

 

確かに3年、3年という歳月生きてきた分だけ成長してきたと思いたい。

 

「うわぁ。やっぱり春香、スタイルいいね!」

 

「本当ですぅ。春香ちゃん、スタイルいいなー」

 

「っく! 確かに春香はいいわね。それに雪歩だって」

 

「いやいや、そんなことないって! みんなも良いじゃない」

 

黄色い声が壁の向こうから聞こえてくる。銭湯独特の大きい声で話すと壁の向こうに聞こえる現象だ。

 

向こうは向こうで楽しくやったいるみたいだ。

 

「それはそうと、いつもすまないな。SSK」

 

いつもは言えない言葉もこういう場なら言いやすくなる。

 

「まぁ、気にすることはない。俺も共犯みたいなものだ」

 

いつも掛けているメガネをしてないせいか雰囲気というかどこか違う空気をまとっている様に感じる。

 

「しかし、毎度のことだが、本当にお前はこれでいいのか? 金の心配ならどうにでもなるのぞ」

 

「……どうなんだろな? 最近、そう思うようになってきた。あの時は少なくとも、こんなこと思わなかったのにな……。でも、俺はこれでいいと思う。あの時の俺がこの道を選んだんだから、後悔はない。それに、もう後には引けない」

 

「そうか……。お前がそれで良いなら構わんが……。姫を悲しませる可能性もあるのに、それでも良いのか?」

 

少しばかり声に真剣味を帯びてきた。

 

「こればっかりは引けない、俺の意地だ。引けない……。引けないんだよ」

 

「そうか……」

 

「智に働けば角が立つ、情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」

 

「漱石か。確かに、その通りだ。人の世は住みにくい。しかし、だからと言って人でなしの世に行ったところでもっと住みにくいと思うぞ」

 

夏目漱石の小説。草枕の冒頭の文だ。智に働けば角が立つ、情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

 

何ともこの世の心理を的に得たような言葉だ。

 

「まぁ、お前がいいのならいいけどな」

 

彼は諦めたように少し唇の端をあげる。そして続けて口を開く。

 

「こんな陰気臭い話は終わりにしよう」

 

「そうだな。せっかく何かの縁で一緒の湯船に浸かってるんだ。何か別の話をしようぜ」

 

壁の向こうでキャッキャと黄色い声が聞こえてくる。何て言ってるのかまでは聞き取れないが楽しそうな笑い声が交じっているので少なくとも楽しそうな会話なんだろう。

 

それから、あがるまで俺とSSKは他愛のない会話を続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、どうしようか?」

 

「うーん。どうしうようか、兄さん?」

 

「うーん……」

 

銭湯でSSKと別れて帰ってきた。

俺もSSKも銭湯に行くと長風呂するタイプなので、上がった時間は真達とほぼ同じ時間帯。

 

それから、リビングでしばらく雑談をみんなでやっていたみたいだった。俺も話の中に聞き役だけでもいいから入りたかったが、そんな根性もないし、妹の友達と話すのもおかしいかと思い部屋でゆっくりとしていた。

 

それにしても風呂上りの女の子は何であんなに色っぽいんだろうな。真は一緒に暮らしている手前、風呂上りの姿も見慣れているけど、他の子の風呂上りになんかはどうしても少し色っぽいな、と感じてしまう。

 

まぁ、真は娘同然だし、他の子も娘みたいなものだ。色っぽいなと思う気持ちよりも、微笑ましいとか思ってしまうあたり俺も色々とおかしいのかもしれない。

 

それから二時間ほど課題レポートを書き、さぁそろそろ寝ようかと真達がいるリビングに顔を出した。

 

さすがは華の女子高生。話すネタは尽きないらしく、ずっと喋り続けたみたいだ。

 

まだまだ話足りないかもしれないけど、みんなアイドルだ。日頃の疲れが溜まってるかもしれないし、早く寝た方がいいだろう。

 

ここで寝不足で体調不良とかになったら申し訳ない。

 

みんなは快く、「はーい」と返事してくれた。

 

うん。みんないい子だな……。

 

で、ここで気づいた。

 

我が家は狭い。真の部屋も布団をもう一枚引けば一杯一杯だし、俺の部屋も同様だ。

 

それに……。

 

「布団が俺と真の分も含めて4枚しかないのはいたいな……」

 

布団が我が家には4枚しかない。真の布団と俺の布団、それに来客用が二枚。

 

「どうしようか兄さん?」

 

今日いるのは、俺、真、千早ちゃん、春香ちゃん、雪歩ちゃんの計5人。

 

誰かが余る。それは俺がソファーなり床なりで寝ればいい。俺の部屋も真の部屋も布団が引けるのは二枚が限界。せっかく泊まりに来てくれたんだしみんな同じ部屋に寝たいだろう。リビングの机を俺の部屋に持って行けば4枚は布団を引けるな。

 

なら、こうするか。

 

「とりあえず、机を俺の部屋に持って行けば、4枚布団は引けるだろ。それで真達はリビングで寝ればいい」

 

ただこれの問題は誰かが俺の使ってる布団で寝ないといけない。真には悪いけど俺の布団を使ってもらうか。

 

「真、悪いけど今日は俺の布団で寝てくれ」

 

「えっ。それは、いいけど兄さんはどうするの?」

 

「俺はリビングのソファーを部屋に持って行って寝るよ」

 

「ダメだって! 兄さん! ただでさえ、バイトなんかで忙しいのにソファーで寝たんじゃ疲れなんかとれないよ!」

 

「お兄さんそうですよ。私がソファーで寝ますから、布団を使ってください」

 

真につづいて春香ちゃんが言う。

 

「いやいや、真たちもアイドルで色々大変だろう? それに、俺は大丈夫だって、床で寝るとか結構あったし、ソファーで寝ても全然平気だって。春香ちゃんはお客さんだし、気にしないで。雪歩ちゃんも千早ちゃんも気にしないでいいから!」

 

「でも、だめだって!」

 

「そうですぅ。お兄さん。布団で寝てください」

 

真はどうしても俺が寝ることが嫌らしい。雪歩ちゃんも春香ちゃんも真も俺に気を使っているみたいだ。でも、布団は4枚。小学生でも分かる算数。

5−4=1。

 

一人余る。

 

うぅ……。と顔を落として唸っていた真が急に顔を上げる。

 

「じゃあ、兄さん。僕と一緒の布団で寝ればいいじゃないか!」

 

難しいテストの問題が解けたような顔だった。

 

「いやいやいや! 真、それはダメだろ!」

 

何を言っているんだ。我が妹は……。

 

「そうだよ! 真、そんなのはダメだよ!」

 

「真ちゃん! それはダメだと思うよ!」

 

俺の言葉に春香ちゃん、雪歩ちゃんと続く。二人とも常識人で良かった。

 

「別にいいじゃん! 僕も兄さんも細い方だし、一個の布団で十分寝れるよ!」

 

両手をぐっと握って真が言う。

 

「いや、物理的な問題じゃなくてだな。……そう、色々とマズイだろ? いくら兄妹とは言え一緒の布団で寝るのは。真も嫌だろ?」

 

「僕は全然平気だよ! だから僕と兄さんが一緒の布団で寝て、雪歩が僕の布団。春香と千早が来客用の布団でいいじゃないか!」

 

何がどうなったらそれでいいのか。その辺を少し問い詰めて行きたいところだ。

 

「年頃の女の子何だから少しは貞操概念とか持ってくれよ。何か間違いがあるかもしれないだろ?」

 

「兄さんはそんなことしない!」

 

これは信用されていると取るべきか、しっかりと貞操概念を教えれなかったと嘆くべきか。

 

「それに、兄さんになら……。うんうん、何でもない! とにかくこれでいいでしょ?」

 

だから、よくない。

 

「ま、真ちゃん。やっぱり良くないよぅ」

 

「雪歩は少し黙ってて!」

 

真は何をそこまで向きになってるんだろうか?

 

親としては、人のことを思いやることができる優しい子に育ったと喜ぶべきなのかな。

 

「もう、春だし風邪もひかないから大丈夫だって!」

 

「うぅ……。でも……」

 

そんな不毛な会話をしていると、今まで静かだった千早ちゃんが口を開いた。

 

「あの、こうしたらどうですか…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何か同じ布団で誰かと一緒に寝るのは久しぶりですぅ」

 

「そうだね、僕も久しぶりだね」

 

千早ちゃんの提案はこういうものだった。私たちの誰か二人が一つの布団で寝れば、お兄さんは布団で寝れますよね。

 

それに、雪歩ちゃんと春香ちゃんが賛成してジャンケンの結果、真と雪歩ちゃんが一緒の布団に寝ることとなった。

 

真が少し不機嫌そうに見えたけど気のせいだろうか。多分気のせいだろうな。

 

寝る場所はみんなリビング。俺は部屋にもどって寝ようと思ったが、真のいいじゃん! 兄さんもリビングで寝ようよ! と言う言葉に春香ちゃんと雪歩ちゃん、そして千早ちゃんまでもが賛成してリビングで寝ることとなった。

 

何もやましいことはないとはいえ、年頃の女の子と同じ部屋で寝るのはどうだろうか。それが、ましてやアイドル。ファンの人達にばれたら消されるんじゃないだろうか……。

 

玄関に近い方から俺、真、雪歩ちゃん、春香ちゃん、千早ちゃんの順番で布団をひく。

 

「なんだか、修学旅行みたいだね」

 

春香ちゃんの声が聞こえる。

 

電気はすでに消してある。あたりは暗闇に包まれていた。

 

「そうね。たしかに、そんな感じがするわ」

 

「何だかワクワクしますぅ」

 

「修学旅行かー。そういえば、雪歩と僕は今年だね! 雪歩はどこに行くの?」

 

「えーっと、確か、アメリカだったよ。真ちゃん」

 

「えぇー! 雪歩、アメリカなの!?」

 

真がすびっくりしたような声をだす。

 

「うん。確か……」

 

「いいなー。海外」

 

「羨ましいなー。私と千早ちゃんは来年かー」

 

「そうね。今から楽しみだわ」

 

「真ちゃんはどこに行くの? 修学旅行」

 

「確か、北海道と沖縄に分かれるんだよ。僕の学校」

 

「へぇー。修学旅行で行く場所が分かれる学校もあるんだ」

 

「真はどっちに行くのかしら?」

 

「僕は北海道に行くよ! 北海道でスノボーするんだ!」

 

「なーんか、真にあってるね」

 

ふふふと春香ちゃんの笑い声。

 

「確かに真ちゃんらしいですぅ」

 

女の子って本当に話すのが好きなんだな。会話もドロドロしたものじゃないし、微笑ましい。

 

「そういえば、お兄さんはどこにいったんですか? 修学旅行」

 

会話の矛先が俺に飛んできた。

 

修学旅行か……。懐かしいな。

 

あんまり、いい思い出とは言えないけどインパクトはもの凄くあった。

 

「北海道だったな。確か」

 

「えぇー! 兄さんも北海道だったの!?」

 

「まぁ、北海道だったな」

 

色々と本当に色々とあったけど。

 

「へぇー。なんか修学旅行って楽しそうだね! 来年だけど今から楽しみだよ!」

 

春香ちゃんがウキウキした感じの声で言う。

 

「雪歩、羨ましいなー。僕も行きたいよ。アメリカ」

 

「私は真ちゃんの方が羨ましいですぅ」

 

 

 

 

 

結局、この日は夜遅くまで彼女たちの談笑が終わることはなかった。真っ暗な闇の中、笑い声が途絶えない光景は、何とも日常の平和な風景を表しているようで、穏やかな時間が流れていた。

 

日常はやっぱりこうでないといけないような気がする。


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