かくも日常的な物語 作:満足な愚者
オレンジ色の電灯の光がアスファルトの黒を照らす。
都会の夜は明るい。それが日本一の都会にもなると更に明るくなる。
それは今日みたいな満月が輝く夜も例外ではない。人工灯がなくても明るい日。そんな日でもビルの看板、コンビニの明かり、そして街灯、それらが存在感を発揮する。
不躾な照明が穏やかな月あかりを遮断しているようだった。
そんな明かりの中を5人でテクテクと歩く。
家で雑談している時に気づいた。
我が家の風呂は狭い。
家賃が安いボロマンションにとっては嬉しくユニットバスではないのだが、大きはイマイチ心もとない。
いつもは泊まりに来るのは一人だけなので、良かったが今日は4人。
女の子だ。ゆっくり湯船には浸かりたいだろうし。
一人一人入って貰うのもいいけど、この際だ近くの銭湯に行こう。
そう提案した。
みんな快く了解してくれた。
春香ちゃんなんかは、銭湯なんて久しぶりにいきます! 楽しみだな〜。 なんて事を言っていた。
雪歩ちゃんの人見知りも気にしたけど同じ女性同士なら大丈夫みたい。
無機質な光の下に4人の賑やかな声が響く。
まだ19時なこともあり人通りもそこそこある。
仕事帰りのサラリーマンや高校のネーム入りのエナメルをもった学生、少し遅い買い物帰りのエコバッグを担いだ主婦らしき人。
そんな人々が行き交う中、4人の少女達は目立っていた。
存在感が違う。そう表現するのが正しいかも知れない。
輝いているのだ。彼女達は…………。
俺は彼女達が放つ輝きから少し後ろから歩く。
距離にして2、3mほど。
人には才能と呼ばれるものがある。これに対して異を唱える人は居ないだろう。
才能がなければ人間みな平等などという味気ない世界になってしまう。
努力してもどうしようもない、必死になっても届かない。その領域を才能と呼ぶ。
人間みな平等などという大前提を掲げているキリスト教は才能を持ってる人を差別した持たざる者の宗教だ!
そう痛烈に批判したのはかのニーチェだったか。よくニーチェのことは知らないが恐らく彼の言いたかったことはこれだ。
ニーチェが言いたかったことは分かる。頭が悪い俺だけど、キリスト教を強者へのルサンチマンや怨恨などと言う言葉で表しているのだから彼は相当持っている者だったということ位は分かる。
でも、持たざる者代表の俺からしてみれば才能があると決めてしまえば言い訳ができる。特に俺のような人間は努力しても無駄なのは無駄だ。どうしようもないのなら何もしない方がまだまし。何て端的な意見になってしまう。
数歩前を歩く彼女達を見る。
明らかに周りの雑踏とは違う。
輝いている…………。
アイドルになるための一種の才能。カリスマとも呼べるものを持っているのだ。
純粋に凄いと思う。
純粋に羨ましい。
こう言う考えは普段の学校生活でも頭をよぎる。
この感情は持たざる者のだけの感情だろうか? それとも彼女達も感じるのだろうか?
たった数歩。たった2、3m。
でも、俺にはこの距離がとても長く感じた。
家から4、5分の近所にその銭湯はある。昔はこの地域にも銭湯がたくさんあったらしいのだが、今ではここ一軒しか残っていない。
時代の流れと国道沿いの大きなスーパー銭湯の出現でどんどんなくなっていった。
少なくとも俺の親父が小さい時はここいらにも銭湯が腐る程あったとか。
唯一残った銭湯が一番近くの場所で良かった。
曲がり角を一個曲がると銭湯の看板がすぐに見える。
曲がり角を曲がると、ひょろ長い身長の男が銭湯の暖簾をくぐるところだった。
男と目が合う。
「ふむ。姫とお前か……」
SSKは顔色も変えずにいった。
「エスさん! お久しぶりです!」
真が嬉しそうに挨拶する。SSKと真は不思議なことに仲がいい。相性が良いというべきか。
とりあえず何故かしら馬が合うみたいだ。
仲のいいのはいいことだ。まぁ、SSKに真はやらないけど。
「姫。元気だったか?」
「はい! おかげさまで! この前は相談に乗ってくれてありがとうございました!」
相談? 相談だと……。俺は真に最近、相談とかされてないぞ!
確かにSSKと真は仲が良かったけどここまでとは……。
真が男の人に相談なんてするとは思わなかった。
うーん。真が女の子っぽくなったと喜ぶべきか……。
「真ちゃん。そ、そ、その人は?」
そんな俺を横目に会話が始める。
いつの間にか真の背中に隠れてた雪歩ちゃんが声をだす。
「あぁ。すまない。自己紹介がまだだったね。俺は、そこにいる男と同じ大学に通う者だ。名前は適当にSSKなり姫みたいにエスでも何でも呼んでくれ。ちなみにそいつとは中学時代からの腐れ縁だ。悲しいことに」
悲しいのはこっちの方だ。とは言わない。
大人だから。
「あっ。始めまして。私は真の友達で天海……」
ここまで言いかけたところでSSKが口を挟む。
「名前は知ってるよ。天海 春香だね。それで姫の後ろに隠れてるのが萩原 雪歩。そこの髪が青みがかった子が如月 千早。そうだろ?」
「え……。なんでご存知なんですか」
千早ちゃんは恐る恐る聞いてくる。
そりゃそうだ何でお前知ってるんだよ。
「あぁ。すまないね。姫がアイドルやるって聞いたものだから姫の所属プロダクションのアイドルは全てチェックしていたのだよ。無論、応援しているぞ」
「ありがとうございます! まだまだマイナーな私たちを応援していただいて」
春香ちゃんが満面の笑みで言う。
「ちなみに、765プロダクションの所属アイドルについてはプロフィールに書いてあることなら空(そら)でいえるレベルだ」
「さすがエスさん!」
真が彼を褒める。
他のアイドルは少し引いている見たいだ。初対面の男に応援していると言われたとはいえ、プロフィールを全部暗記していると言われればそうなるのも無理はないかもしれない。
「いやいや。姫の所属プロダクションだ。応援しない訳にはいくまい。ところで、お前らも銭湯に来たのか?」
SSKが俺に視線を変える。
「あぁ、久しぶりに銭湯にこようと思ってな。ところで、お前って銭湯通いだったか?」
SSKが銭湯に通っていた記憶はほとんどない。それどころか家も大学に近く、ここからは少し離れていたはずだ。
「あぁ、ミズキに呼ばれてな。少し機材を持って行ったんだよ。それで帰りに久しぶりにここにきてみたわけだ」
高校時代に何回かここの銭湯に仲のいいメンバーでいったことがある。体育祭の練習のあとや文化祭の準備のあと。帰りが遅くなる時にいった。いわば青春の思い出である。
「ミズキさんの家に行ったんですか!?」
真がミズキという単語に反応する。仲良いもんな真とミズキ。
「あぁ、何かまた企んでいるようだ」
少し疲れた顔をして言うSSK。
「げっ……マジかよ」
つい俺も引いた顔をしてしまう。
「ヒロトもなにか頼まれているみたいだ。ほぼ何かやるつもりだろう」
最近大人しかったのに、一体何を企んでいるいるんだ……。
「真、ミズキさんって?」
春香ちゃんが尋ねる。
「ミズキさんは、僕の空手の先生で兄さんと同級生だよ!」
「真の先生っていうことは相当強いのね……」
千早ちゃんが感心したようにふむふむと頷きながら言う。
「とっても強いし、それにとんでもなく美人なんだ!」
確かに容姿も格闘技の強さもずば抜けてる。
でも……。
「しかし、考えや行動までぶっ飛んでるのはどうだと、俺は思うがな……」
SSKが真に続く。
そう。ミズキは行動までぶっ飛んでるんだよな。
ミズキの伝説は数多くある。例えば、高校に深夜プールに忍び込んで、泳いだとか。深夜に学校の鍵をピッキングして肝試しをやったとか。文化祭で閉会式をやってる時にマイクジャックしてバンドをやったとか本当に様々だ。中でも体育祭の夜行祭と銘打って学校側の許可を取らずに校庭でキャンプファイアーと打ち上げ花火をやった時は、本当に退学になるかも知れないと内心ドキドキしすぎてぶっ倒れそうになった。
ちなみにそれら全ては本当の話だ。大抵の場合、SSKも俺もミズキに巻き込まれて一緒に大目玉をくらった。今では母校で伝説の生徒とか言われて語り継がれているらしい。
何故か、そこにSSKと俺も入っているから納得できない。
「へぇー。なんか凄そうな人だね」
春香ちゃんが興味深そうに頷く。
「一体今度は何をする気なんだ?」
SSKに尋ねる。
「まぁ、機材からしておおよその予想はつくが……。とりあえず、まだ今回はマシな方だと思うぞ」
少しウンザリした表情だ。
「四月とは言え、少し夜は寒い。こんなところで立ち話して姫たちに風邪を惹かせるわけにはいかん。とりあえず、中に入らないか?」
確かに、SSKのいう通りだ。こんなところで立ち話して真や春香ちゃん達に風邪をひかせるわけにはいかない。それにミズキのことは俺とSSKと真の三人しか知らないのだ。春香ちゃんや雪歩ちゃんは会話に入れない。
SSKに続いて、真、雪歩ちゃん、春香ちゃん、千早ちゃんの順番に暖簾をくぐる。
暖簾をくぐる前に空を見上げる。
大きな黄色い光を放つ満月が宙に浮かんでいる。人工の光に負けないと懸命に。
うん。いい風景だ。悪くない……。
少し冷たい風が吹く。
このままじゃ俺が風邪をひきそうだ。
銭湯の濃い紺色の暖簾を掻き分けてくぐる。
そんな俺の後姿を人工の光は優しく照らしていた。