かくも日常的な物語   作:満足な愚者

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高校二年生と言えば早い人で受験を意識する季節らしいです。受験勉強したことない俺には関係なかった話ですが。


閑話

真夏のある日の午後。いつも通りの日だった。クーラーも何もない炎天下の部屋は数年前に買った扇風機が申し訳ない程度に回っていた。家具なんかは最低限しかなく、シンプルな部屋というよりかは殺風景な部屋と言った方がしっくりとくる。

 

そんな部屋で俺はベットに腰掛け本を読んでいた。何度も読み返したせいでひどくヨレヨレの本はすっかりくたびれていた。

 

 

 『山路を登りながら、こう考えた。

 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通とおせば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。

 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう』

 

何度も何度も読み返したお陰か空でもすっかり言えるようになってしなった冒頭。昔から本を読み返すのが好きだった。それは漫画にしろ、小説にしろ、評論にしろ、とりあえず本は何度も読むことが多かった。

 

物語は何度読んでもその流れもその結末も変わらない。今読んでいる本もそうだ。頭のあまりよくない俺でもこれだけ読み返せばすっかり話の流れも結末も覚えている。

 

物語を読み返す度に画家は同じ行動を繰り返す。そして結末はいつだって同じだ。そこには一つも違う行動も結末もない。当たり前の話だ。

 

もしかしたら、俺はその繰り返しの中に例外を求めているのかもしれない。あり得ないとは頭の中で重々に理解はしているのと同時に少しでも例外を求めている、そんな矛盾した気持ちがあるのかもしれない。

 

------コンコン。

 

控えめなノックが一つ部屋に響く。

あれ、珍しいな……。そう思った。

 

今日は誰も我が家を訪れた人はいない。となると二人暮らしの我が家にいるのは俺とあと一人ということになる。そうなれば必然的にノックの相手も分かる。

 

「はーい」

 

ベッドに腰掛けたまま木製の扉の向こうに声をかける。

 

「兄さん、いま大丈夫?」

 

「うん、大丈夫だよ」

 

その声に返事をしながらベットから腰を上げ、扉を開ける。

 

「兄さん、少しお願いがあるんだ」

 

扉の先には黒髪のショートヘアにピコピコと揺れる特徴的なてっぺんの癖毛。いつも通りの服装で下は俺のお下がりの黒色のジャージに上は少し大ききめの薄いTシャツ。

 

「あっ、本読んでたんだ。兄さん好きだよね、本読むの」

 

いつも通りの笑顔で俺の持っていた本を見ながら言う。

 

「まぁね。暇な時は本を読むのが一番かなと思ってね。それで何かあった?」

 

「あ、うん。でも、本読んでた見たいだけど少し時間取れる?」

 

「あぁ、全然大丈夫だよ。どうせ何度も読み直したものだしね」

 

どうせ何度読んだところで何も変わらないのだ。なら別のことをした方が気晴らしにはなるだろう。

 

「良かったー。実は少しお願いがあったんだ」

 

「うん、俺に出来ることなら何でも言って」

 

お願いかー。最近は少なくなってきているけど誰か友達を泊めたいとかかな。別にそれなら全然OKである。夏休みで基本的に学校は休みだろうし、真の友人なら大歓迎である。

 

「うん、実は……」

 

しかし、そんな俺の予想とは裏腹に真のお願いと言うのは全く異なるものだった。

 

 

 

 

 

 

 

俺の部屋と間取りも大きさも同じ部屋は若干家具屋やぬいぐみが増えたが若干女子の部屋にしては質素すぎると言った方がいい部屋。質素なのはきっと俺の影響受けたんだと思う

俺に部屋とは違いエアコンが付いているため室温は快適であり、先ほどまで若干汗ばんでたがすっかり汗も引いていった。

 

そんな快適な部屋の中、俺は綺麗に整頓がなされている勉強机に座っている真に並ぶように並べてある椅子に腰をかけていた。

 

まさか、この机に真が座っているところを見れるとはな……少し失礼だけどそんなことを思ってしまった。新品のように綺麗なそれは普段からあまり使われていない証拠だ。俺自身、この机を使っている姿を見かけたのはこれが初めてかもしれない。

 

誰に似たのか真はどうにも勉強と言うものが苦手で嫌いなみたいだった。まぁ、学生のほとんどが勉強何か嫌いな学生が多いだろうし、俺自身も嫌いだった。それに勉強が出来ること以上に真は大切なものを持っている。勉強なんか少しくらい苦手でも問題ない。そう思っていままで俺も勉強については何もいってこなかった。

 

そんな真からまさかこんなお願いをされるとはな……。

 

真のお願いは簡潔に勉強を教えてほしいというものだった。真からそんなお願いをされるなんて欠片も思っていなかったため、よく考えることを忘れて首を縦に振ってしまった。それに兄として勉強が出来ないという失態を晒すのは恥ずかしい。

 

しかし、真は高校二年生。高校時代は理系にいたが、大学は文系の学部に入った俺にとって理系科目は少し厳しいかもしれない。しかし、一度見栄を張った手前そうそう出来ませんとは言えない。

 

兄はいつだって見栄っ張りなのだ。

 

「ねぇ、兄さん。高校時の得意科目ってなんだったの?」

 

机の上に並べたプリントを整理しつつ真が聞いてくる。机の上にはプリントとコーヒーの入った色違いのマグカップが二つ。赤いマグカップには砂糖とミルクが両方入ってるコーヒー、青いマグカップにはブラックコーヒー。真も初めはブラックコーヒーしか飲まない俺の真似をして飲もうとしてたが、どうにも苦過ぎて飲めず、ついに諦めて砂糖とミルクをいれるコーヒーを飲むようになった。

 

「得意科目ね。得意科目というより好きな科目になるのかな。一回だってSSKやミズキに点数で勝ったこともないし……」

 

「それは比べる相手が悪いよ。Sさんもミズキさんも全国模試でも毎回トップ10に入る人たちだよ」

 

まぁ確かに比べる相手が悪かったかもしれない。SSKとミズキの解答用紙を見たことあるのだが、模範解答と遜色なかった。本当に漫画みたいな連中だ。それにミズキとSSKと比べて俺が勝ってることなどないんだしね。比べるまでもなかった。

 

「それもそうだね。まぁ、点数が取れた取れなかったは置いといて好きだった高校時代に好きだった科目は倫理、国語、物理だったかな。まぁ物理なんて大学に入学したら全くもって使ってない科目なんだけどね」

 

そう言って笑う。大学に入ってからと言うもの物理どころか計算する科目すらないからな……。寂しいと思う反面苦手な微分積分がなくて良かったと思う気持ちもある。

 

「倫理かー。今年から公民の授業で倫理とってるけど、僕にはイマイチ理解出来ないよ。何か意味不明な言葉多くて……」

 

「うーん、確かに倫理は哲学も少し齧るからね。難しい表現なんかが増えてわかり辛いかもね」

 

哲学者の言葉はいつだって回りくどく難解だ。それが哲学の面白みでもあるし、難しい面でもある。本を昔から読む俺にとってはその言葉遊び的な言い回しが好きなのだ。

 

「それに何か昔の人の考えも理解出来ないし……。ソクラテス……? だっけ? あの人何にも悪くないのにインキチな裁判で負けて毒を飲んで死んじゃったし。……僕には理解出来ないなよ。お弟子さんと逃げることも出来たんでしょ?」

 

ソクラテスか。社会系統の科目でお馴染みの古代ギリシャの哲学者である。プラトンの師匠とも言われる哲学者であるが、彼が本当に存在したのか確証が取れず、もしかしたら存在しなかったかもしれないと言われる人物だ。

 

「まぁ倫理は色々な話と複雑に絡まったりしているからね。色々な雑学というか話を聞けば面白いかもしれないね。例えば、ソクラテスが毒杯を仰いだ問題は悪法論とも取れるんだ」

 

倫理だけじゃない。社会系統の科目全般に言えることだが、ただそれを暗記するのではなくて裏の話とか雑学と絡めて覚えると覚えやすい。

 

「あくほうろん……?」

 

「そう悪法論さ。真、例えば法律を守ることはいいことだとおもう?」

 

その問いに真は間髪もなく答える。

 

「うん、いいことだと思うよ!」

 

日本だとそう言う意見が多いのかもしれない。基本的に日本の教育では法律を正義と教えるのが多い。俺はその考えを否定はしない。

 

「うん、そうだね。でも例えば真、悪い法……他に悪法で有名なナチスの例を出せば、ナチスドイツがWW2の時に引いていたユダヤ人を迫害する法律を守ることは正しいことかな……?」

 

「そんなことは間違っているに決まってるじゃん!」

 

「うん、そうか。でも、真はさっき法律を守ることは正しいって言ってただろ?」

 

そう言うと真はむむと一つ唸った後ではっきりとした口調で話し始める。

 

「法律を守るのはいいことだと思うけど……。でも、ダメな法律もあると思う」

 

「うん、ならそのダメな法律は法たり得ると思う?」

 

「うんうん、ダメな法律は法律じゃないと思う」

 

「うん、真のその考えはソクラテスとは違う立場なんだ。ソクラテスは悪法も法であると考えたんだ。悪法でも法は法。なら、その法で決まった刑罰は受けなければいけない。そうソクラテスは考えて毒杯を仰いだんだ」

 

そう言うと真は顎に手をおいてむーっと唸りながら何かを考えると首を傾げながら口を開く。

 

「やっぱり、よく分からないや。僕にはソクラテスの考えを理解出来そうにないよ……」

 

「まぁ倫理だし、理解出来ないことが多いのはしょうがないよ。他人の思想の勉強だしね。その考えに納得するんじゃなくてそう言う考えもあるんだ、って思うのが倫理や哲学さ」

 

倫理や哲学は数学のように答えがない。それがもし、あるとするならば人それぞれ自分自身の生き方なんだろう。そして、その答えが出るのはそしてきっと、舞台の幕引きをする瞬間。

 

「分かったような、分からないような……」

 

そうやって言葉につまる真。まぁきっと分かってないんだろうな。もっとも真は倫理なんて勉強しなくてもきっと豊かな人生を送れるはずだ。

 

「まぁ、社会科目は納得しなくても暗記すればいいしね。ひたすらに読むことだね」

 

「うぇー、やっぱりそうなるのか……。そう言えば、兄さんはどちらの立場なの? 悪い法は法としてどうなの?」

 

机に突っ伏した真がこちらに顔を向けながら話す。

 

「俺は……。悪法も法たり得ると思う」

 

「えー、何で?」

 

「運命だからかな……」

 

きっと俺が悪法で裁かれる立場だったらそれを受け入れるだろう。法律はその時、その場所によって決まる。そして、その悪法で裁かれるというのはある意味でそこに産まれた俺の運命ではないかと考える。それに法が悪となれば俺たちは何を信じればいいのかの指針がなくなる。法律はいつだっけ正義の指針になるべきなのだ。俺個人が悪だと思っても、それが法律という正義なら黙って受け入れる。

 

「運命って、どういうことなの?」

 

「まぁ、ソクラテスと同じ考えと思ってもらったらいいよ」

 

「えー、兄さんもかー。僕にはやっぱりよく分からないや」

 

「まぁ、ただ俺の意見だし何も気にする必要はないよ。それはそうと、何の科目が分からないの?」

 

「あっ! うん、結構バラバラにあるんだけどいいかな?」

 

「うん、もちろん。俺がわかる範囲ならいくらでも大丈夫だよ」

 

全部と言えないところが恥ずかしいが、可愛い妹の頼みだ出来る限りの力にはなりたい。

 

「えーと、じゃあ最初は英語からお願いしていいかな?」

 

そう言ってプリントを取り出す真。A4サイズの大きさのそれは7割程度が埋まっていた。英語なら大学の授業でもあるし、有る程度は出来そうな気がする。まぁ出来るといっても簡単な読解と書くことが出来る程度で会話なんて全く出来ないけどね。まぁ、会話なんて出来なくても外国人の人と話す機会もこれまでなかったし別に話せなくても大丈夫なような気がする。

 

「読解はどうにかなったんだけど、英作文がどうしても苦手で……」

 

確かに空白のところは英作文の問題ばかりだ。あれ、意外と難しいかも。それになんだか、埋まっている問題もなかなか難しい読解の問題のような気がする。

 

「えーと、じゃあこれから行こうか。まずこの問題はin spite ofというイディオムを使って……」

 

こんな感じで真との初めての勉強会は始まった。机の上のコーヒーは未だに減っていなかった。

 

 

 

 

 

勉強会が始まって長針が二周ほどした時、ようやく物理のプリントの最後の問題が埋まった。今までやった科目は英語、社会、物理と三科目を迎えていた。机の上のコーヒーは3杯目になっていた。

 

「うぅー、やっと物理終わったー! ありがとう兄さんっ! おかげでケプラーやニュートンの万有引力も理解出来たよ!」

 

教えていて思ったのは真の理解力はすごいということだった。言葉を簡単なものに変えて説明するだけでスルスルと吸収していく。勉強嫌いさえ直せばすぐに成績も良くなりそうな気がする。……と、言うか今更思ったけどプリントの問題が結構難しかったような気がする。真の高校のレベルからいってここまで難しい問題が出ることはないと思うんだけどな。

 

「いやいや、真の理解力がいいだけだよ。ところで真、何か問題が難しくない?」

 

「う、うん。実は少し目標があって……」

 

真は少し恥ずかしそうに下を向きながらはにかむ。

 

「実は、兄さんと同じ大学に行きたいんだよね……。今のままじゃ無理だけどさ今から勉強すればいけるかもしれないし、アイドルも大変だけど兄さんもバイトと勉強を両立させたんだ! 僕はバカだけど、今から勉強すればもしかしたらいけるかもしれない。僕は兄さんやミズキさんと同じ大学で勉強したいんだ」

 

照れ臭そうに時々頬を掻きながら彼女は微笑む。その笑みは柔らかいものだった。

 

なるほど、そういうことだったか。それにしても真が俺と同じ大学に行きたいか……。俺の大学は一応、地方国公立大学。そこそこの難易度はあると思う。

でも、真ならきっと合格してくれるはずだ。俺でも出来たんだ。真に出来ないはずはない。

 

「うん、そうだね。頑張れ、真。真ならきっと大丈夫さ。もちろん、俺が力になれることがあったら言ってくれよ」

 

「うん、ありがとう兄さん。頑張るよ! それと最後に数学の証明問題を一つだけいいかな……」

 

証明問題か……。数学的帰納法とかΣとかでてきたら解ける気しないな。さっき協力すると言ったのにすぐに解けないというのは避けたいんだけどなぁ。

 

「数学と言っても定義も公式も何も使わないまるで国語のような問題らしいんだけど……。中学生までの知識でできるんだって」

 

そう言って真はファイルからまたプリントを取り出しその問題に丸の印をつける。

 

「えーっと、nとn+2がともに素数でn>3のとき、n+1が6の倍数で有ることを証明しろか……」

 

「うん、国語が得意な兄さんなら出来るかなって思ってさ」

 

数学的帰納法もその他の定理も使わないか……。国語のような問題か……。

 

エアコンにより程よい室温の中俺は考える。

 

「あぁ、なるほどこう言うことか……」

 

結局その答えが出たのは5分後、三杯目のコーヒーを飲み終わるのと同じだった。

 

こうして、ある真夏の午後は静かに過ぎていった。

 




最後の問題は私自身が教えて欲しいと聞かれた問題です。

私自身、皆さんは何分で解けますか?

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