魔砲使いになった理由   作:タニアホテル

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温泉に入る

 今日の起床時間は何時もより遅かった。朝空の明るさに一度は目を覚ましたものの、寝る時間が遅かったせいか再び目を閉じるとそのまま二度寝をしてしまったのだ。

 少ない食事を終えたなのはは、まだ少しぼーっとするのか木に寄り掛かって座り、重なる枝葉から覗く小さな曇り空を、今日はどうしようかと考えながらだた黙って見上げていた。ユーノもなのはと似たようなもので2人の間に特に会話は無かった。

 なのはは昨日ユーノに言うつもりだった自分の行動に関する言い訳を頭に思い浮かべた。そして、やはりユーノは昨日のことが気になるんだろうか、と地面に横たわる細長いユーノを横目で見た。

 しかし改めて話を切り出すとなると少し緊張する。こう自分から何回も聞きたいことがあるんじゃないかと尋ねることが、まるで教えたくて仕方がないとユーノに受け取られるような気がして、それがなんだか恥ずかしいことのように感じた。

 とはいえ、もし話すなら今が丁度良い機会なのかもしれない。そう考えなのはは意を決して声を出した。

 

「ユーノくん……昨日のことについてなんだけど…………ええっと……」

 

 思い切って話し出したはいいもののやはり詰まってしまった。ふと、ユーノに尋ねられるまで話題に出さなくても良かったんじゃないかと考えつくがもう遅い。

 

「昨日のことって……ああ、聞きたいことがあるんじゃないかって話かな?」

 

 最後まで言わなくても理解してくれたことに、なのはは内心ほっとしながら頷いた。

 ほんの少しの間、ユーノは思案するようにその小さな瞳を目蓋で隠してから言った。

 

「そうだね、どうしてジュエルシードのある場所と、どんな暴走体なのか知っていたのかを教えて欲しいな。……もしかしてだけど、なのはが初心者なのに魔法を上手く使えてることにも関係があるのかな」

 

 なのははユーノの察しの良さに思わず苦笑いを浮かべる。ユーノが自分と同い年の子供とは思えなかった。

 

「えっとね、なんて言えばいいんだろう」

 

 一度そこで、このまま続きを言うか言わないか迷うように言葉を切った。それから少しの沈黙の後、続きを口にした。

 

「夢で見たの。最初の黒いやつも、おっきな犬みたいなやつも、そして昨日のも。そこにはユーノくんもいて魔法もあって。私はユーノくんからレイジングハートを受け取って暴走体と戦うんだ。何度も何度も勝てるまで。でも昨日の暴走体を倒す前に目が覚めちゃった。それで目が覚めたはいいけど、夢と全く同じことが起り続けるから私も夢と同じように行動してたんだ。……夢なのか何なのか分かんなくなっちゃうよね」

 

 なのははじっと耳を傾けているユーノに向けて笑った。

 これらは昨日のうちに考えていた説明だ。全く嘘というわけでもないが、繰り返していることだけは伏せていた。先程ユーノに言うかどうか迷ったのはそれが理由だった。ユーノと共に戦い勝利しその喜びを分かち合ったのは今回が初めてであり、今回ほどお互いの心が近づいたことはなかった。そんなユーノに、説明すると言って本当のことを言わないのはなんとなく憚られた。

 しかし、もし教えてしまえば、ユーノが「僕がジュエルシードを発掘しなければ」などと言って落ち込んでしまうと思い、妥協案として「夢の中で」ということにしたのだ。

 というより、そもそも初めから繰り返していることは誰にも教えるつもりはない。たまにぽろっと冗談めかして話すことはあるかもしれないが。それにたとえ言ったところでどうしようもないし、信じてくれるかもわからない。しかも何だか恩着せがましいし、まるで自分が感謝してもらうために戦っているようで嫌だった。ちょっとした自尊心のようなものだろう。

 

「それで魔法についてなんだけど……よく分かったね。正解だよ。魔法も同じなんだ」

「いくら才能があったとしても、初めて魔法を使うにしては制御が上手いなと思ってね。そのうえ魔法を使った戦いにも慣れてるようだし、きっと暴走体を知ってることとも繋がっていると思ったんだよ」

 

 言われてみればそうだ。

 なのはは、自分でも気付けそうな意外と普通な理由に、ユーノが鋭いわけではなく、ただ単に自分の思慮が足りないだけなのだと気付き自分にがっかりした。

 

「それにしても……夢か。うーん……レアスキルとかかな、未来予知とか……。これから先のことは知らないんだよね?」

「……そうだよ。目が覚めちゃったから」

「そっか……それは一回きり? そのあとはもう見てないの?」

「うん、見てないよ。だから次のジュエルシードが何処にあるのかも分からないの。ごめんね」

 

 なのはは、巨大樹のことや空を飛んでいる暴走体について話すべきか一瞬悩んだ。しかしジュエルシードが現れる場所も分からなければ戦ったこともない。そんなあまり役立ちそうにない情報を教えるより、昨日の暴走体までしか知らないことにしたほうが話がややこしくならなくて良いだろう、そう判断した。

 

「え、いや、謝る必要なんて全くないよ! むしろ僕が感謝しなきゃいけない。おかげで一気にジュエルシードを集められたし被害もほとんど無かった。僕一人じゃこうもいかなかったよ。全部なのはのおかげだね。ありがとう」

 

 感謝してもらうために戦っているわけではないが、この不意打ちに近い感謝の言葉はそんなことを思い出させないほど真っ直ぐ心に届き染み渡った。

 なのはは、はにかむように頬を赤く染めながら頭を軽く掻いた。そして動きを止めたかと思うと手を下ろし、徐に立ち上がってその場から数歩離れた。

 

「ユーノくん……私はレイジングハートと魔法の練習をしてるから、ユーノくんはジュエルシードでも探しに行ってくるといいよ」

「え、どうしたの急に。魔法の練習なら僕も付き合うよ? それになのはを一人残して行けないよ」

「私は大丈夫だから……お願いユーノくん」

 

 理由を聞こうか迷ったのだろう。ユーノはどことなくぎこちない笑みを浮かべるなのはをじっと見つめ、少し間を空けてから「わかったよ」と一言了解した。

 

「でも何かあったら念話で教えて。すぐ駆けつけるから。それと僕の方も見つけたらすぐに報告するよ。封印は僕一人じゃあどうにも無理そうだからね」

 

 そう言ってなのはに背を向けると、軽やかな足取りでその場から立ち去った。

 なのははユーノの姿が見えなくなったのを確認すると、近くの木にへなへなと寄り掛かり俯いた。その表情は、先程ユーノに向けていた笑みから一転、唇を噛み締めあらゆる責苦を耐え忍んでいるかのような苦悶を浮かべていた。目には薄らと涙すら滲んでいる。

 

「レイジングハート、お願いがあるの。今すぐ私の息の根を止めてほしいんだ。もう生きていけそうにないよ」

 

 何の前触れもないその突然の懇願に一切の返事はなく、ただ重い静寂が落ちた。

 なのはは呻き声を上げながら数回、ごつんごつんと首だけ動かし木に頭をぶつけた。その鈍い音はこの湿っぽい森の奥に吸い込まれていった。

 息の根を止めてほしい、つまり殺してほしいということだ。そして生きていけないと。それほどまでに精神的に追いつめられているのだろうか。しかしそれも無理はない。現代日本に住むごく普通の感性を持った少女が、こうして今まで正気を保っていられたことの方が異常なのだ。いや、今まで目の前の敵に集中しすぎるあまり、ただ忘れていただけ。それをさっき思い出したのだ。そうでなければユーノをあんなにも身近に置けるはずもない。

 考えてみればもう4日も風呂に入っていなかった。

 

”あのっ……あの…………”

 

 レイジングハートは必死に何かを言おうとするが、続く言葉が見つからないようだ。今まで勇敢に戦い続けてきた最愛の……自身の全てを捧げても良いと思っている最愛の主人が突然、生きていけない、などと言いだすのだから仕方がないだろう。それはきっと天地が裂ける程の衝撃だったに違いない。

 

”もしやユーノが何か……!”

「レイジングハート……私臭くないかな?」

”は、え? いえ、とても雅で芳しい甘美な香りかと。デバイスであることが心底悔やまれます。非常に……非常に残念でなりまっせん!”

 

 なるほどデバイスであるレイジングハートの意見はちっとも参考にならないようだ。

 なのははレイジングハートの言葉に返事することなく「うあああああ」と呻きながら再び数回頭をぶつけた。

 もしかしたらユーノはフードの中にいる時「うわくっさ、なんだここは地獄か!? こんなところに押し込めて、なのはは僕を殺そうとしてるのか!?」とか「かなり臭うけど直接言いづらいよな」とか「くっさ、近づかないでほしいな」とか思っているのではないか? 今、森から出た瞬間に「ふああ、やっと解放されたよ! 全くもっと早く言い出してほしかったものだね。なのは空気読まなさすぎ。僕の察しの良さを見習ってほしいね」と爽やかな笑顔を浮かべながら大きく伸びをし、新鮮な空気を吸っているのではないか?

 そう考えるとなのはは体温が急上昇し、汗が吹き出て、居ても立ってもいられないほど恥ずかしくなり、大声を上げて世界の果てまで逃げ出したい衝動に駆られ、穴があったらそこに入り永久に眠ってしまいたい気分になった。

 気になりだしたら止まらなかった。もうユーノに顔を合わせられる気がしない。

 

”ご主人様、おやめ下さい。頭を痛めてしまいます”

 

 なのはは、はっと閃いたように動きを止め木から離れると、鞄から財布を取り出し残金を確認した。そしてごくりと唾を飲み込んだ。

 風呂に入ろうと思えば入れる。しかしそうなると、風呂代の他に最小限の風呂道具が必要だ。洗えなければ行く意味が無い。

 食事か風呂か。なのはは今、選択を迫られていた。だがもう気持ちは完全に風呂に傾いている。このまま羞恥に耐えるくらいなら数日程度の空腹くらい我慢するつもりだった。

 そうと決まれば今すぐにでも入りに行きたかった。しかしまだ学校は終わっていない。

 なのはは早く下校時間にならないかと、そわそわしながら何度も時計に視線を向けるが、なめくじのように時間は進まない。どうしようもないなのはは、気を紛らわすためレイジングハートによる仮想空間で飛行訓練を行うことにした。

 もし次に暴走体と戦うとすれば巨大樹から逃げまわった日に見たことがある、あの空を飛んでいたやつだろう。もしかしたら巨大樹と同時に現れるのかもしれないが、どちらにせよ次の戦場は空であり、飛行技術の向上は必須だった。

 最初は姿勢制御や急加速、急停止、飛行速度と旋回半径の関係など基礎的なことを中心にレイジングハートから指示を受け、それからは魔法弾回避の練習を繰り返した。

 飛ぶことが余程楽しいのだろう。なのははすっかり風呂のことなど忘れ、ただただどうすれば上手く飛べるのかについて没頭し、飽きることなく納得するまで何度も同じことを繰り返すのだった。

 正午過ぎ、照りつける太陽が空気を暖め一日の内で最も気温が高くなる時間帯、なのはは意識を現実に戻し休憩していた。

 レイジングハートを鞄の上に置き立ち上がると、ほんの少し開けた空間まで歩きレイジングハートに振り返った。その目は子供らしい無邪気な輝きを帯びていた。

 

「見ててレイジングハート。後方宙返り無限ひねり!」

 

 そう言って地面を蹴り飛び上がると、錐揉み回転しながら凡そ秒速5センチメートルの速度で落下、時々上昇。そして着地した。かと思うと、全身の骨が溶けて無くなってしまったかのようにそのまま崩れ落ち、地面に突っ伏した。

 

”素晴らしい平衡感覚です。横59回、縦2回ひねりでした”

「気持ち悪い……しんじゃいそう」

 

 顔を青くしたなのはは、目を閉じながらぐるぐる回る世界が安定するのをじっと待った。胃がひくひくしているようにも感じる。まるで世界の終わりのような気分だった。顔面に樹の枝やら葉っぱやらがちくちく当たっているが気にする余裕も無く、苦しみが満ちるこの世界を呪った。

 しばらくそのままでいると下校時間を待たずしてユーノが帰ってきてしまった。

 倒れ伏しているなのはを見て心配そうに恐る恐る近づくユーノ。

 

「ただいま、なのは……どうしたの、大丈夫?」

 

 なのはは迫るユーノに気付かず、その突然の声に肩を跳ねた。同時に今まで忘れていたことが瞬時に甦った。反射的に身体を起こし素早く立ち上がると、ユーノから数歩離れた。しまった、勢い良く動いたせいで臭いが広がってしまったかもしれない、と全身を熱くさせ額に汗を浮かべながら。

 まるで敵と対峙した時のようなその行動にユーノもびっくりして一歩後退った。

 

「おおおぅかえり、早かったね夕方まで帰ってこないと思ってたよ!」

「うん、なんだか全然見つかりそうになくてね。探知にも引っかからないしまだ現れてないのかも。これならやっぱりなのはと一緒に練習してるほうが有意義だと思って……嫌だったかい?」

 

 まさか「ええ嫌です。あなたと一緒に居たらあまりの羞恥で死にたくなります」とも言えないなのはは、引き攣った笑みを浮かべたまま極めて明るい声で否定した。

 

「ううん、嫌じゃないよ」

「それならいいけど……。何だか顔色が良くないみたいだけど具合悪いの? 倒れてたみたいだし」

「そんなことないよ、元気元気、平気だよ」

 

 なのはは気分の悪さなど吹っ飛んでしまい、頭の中でこれからどうやって風呂に入りに行くかについて必死に考えを巡らせていた。

 とりあえず食料を買いに街に行くとして、そこからどうやって風呂に行くのか。ユーノを連れて行くのか別行動するのか。もし風呂に入りに行きたいと伝えて、「え、もしかして臭いのこと気にしてるの? 4日風呂に入ってないもんね。仕方がないよ」などと感付かれたり同情されるのは死にそうなほど恥ずかしい。できれば知られずに一人で入りに行きたい。

 しかしいつまでもこうして考えているわけにもいかない。ずっとこのまま2人でいるのは耐えられそうになかった。とにかく風呂に入るために行動を起こさなければならない。

 なのはは考えもまとまらないうちに声を絞り出した。

 

「これから……これから街に行こうと思ってたから。食べ物を買いにね。だからそっちで集合すればいいかなって」

「なるほど。大丈夫だよ気にしないから。僕もついていくよ」

 

 一体何が大丈夫で何を気にしてないのか分からなかったが、なのはは曖昧に微笑んでごまかした。

 ユーノの近くに行かないようにしながらレイジングハートを首に下げ、鞄を手に取り、ユーノと向き合った。

 

「それじゃあ」

「うん、行こうか」

 

 特に会話らしい会話も無く、お互い進行方向を向きひたむきに歩いた。前を行くユーノは足場が悪くても相変わらず軽やかで、なのはの歩く音が大きく聞こえた。

 歩き始めて少しすると、なのははふと閃いたように「そうだ」と小さく呟いた。そして飛行魔法を使って地面すれすれをなめるように移動した。

 

「疲れた?」

「ううん、空飛ぶ練習。でも楽したいって気持ちもちょっとあるかも」

 

 飛行に意識を向けると、ユーノと一緒にいることに対する恥ずかしさは忘れてしまった。

 森から出ると制服に着替え、飛行を解除しようとした。しかしそこで思いとどまる。飛行は解除せず、靴裏が地面に付くか付かないかくらい宙に浮き、歩く動作をしながら前に進むことを思いついたのだ。

 足首と身体の上下の動きに合わせて高度を変えないと地面に足がついてしまったり、逆に浮きすぎたりする。また足の動きと歩幅に合わせて前に進まなければとても不自然な動きとなってしまう。地面を普通に歩いているように見えて実は飛んでいる。それがこれの最終目標である。

 

「それも飛行の練習? 何というか……変な人に見えるね」

「うん…………すごく……難しい」

 

 集中しているのだろう。なのはは険しい顔で前を見つめながら、途切れ途切れに返事をした。変な人に見えるという指摘すら気にしていない。というより理解しないまま右から左へ通り抜けているようだ。

 それでも人に見られないように気を使っているようで、人が来る度に中断し、人通りが多くなると普通に歩いた。

 街中には下校時間よりも少しだけ早く着いてしまった。なのははどうするか迷ったが、数秒で考えるのが面倒になり、まあいいか、とそのまま店を目指した。

 店の前に着くと立ち止まり、少し考える素振りをしてからユーノに言った。

 

「ユーノくんは外で待っててくれるかな。……人の姿なら大丈夫だけど」

《ああ、そうだね。魔力も回復したし、もうこの姿でいる必要はないんだった。忘れてたよ。ちょっと待ってて、すぐ戻るから!》

 

 ユーノはそう言い残して店の裏に走って行ってしまった。なのはが胸をどきどきさせながら待っていると、同じ方向から金髪の少年が少しはにかんだ笑みを浮かべて走ってきた。

 

「おまたせ」

「うん」

 

 それから少しの沈黙が落ちた。お互いどこか恥ずかしそうに視線を彷徨わせ、必死に次の言葉を探した。なのははが窺うように横目でユーノを見ると、まるで示し合わせたかのようにユーノと視線が重なり、2人は咄嗟に目を逸らした。

 

「あ……えっと、ユーノくん。その格好……」

「……変かな?」

 

 一拍遅れて自分の服を確認するユーノは、まるで冒険家が着ていそうな半袖短パンにアニメチックな模様をを施したものとカーキー色のマント、黒の手袋という格好だった。似合っていないわけではないがかなり浮いている。おそらくまだ子供であるから、そのままでも周りからは微笑ましく見られるだけで済むだろう。ユーノの精神が鋼鉄ならば全く問題ない。

 

「変じゃないけれど……せめてマントと手袋は外したほうがいいかも」

 

 なのははちらりと周りの人に目をやった。ユーノもそれに釣られて周りを見渡し他の人の服を確認した。その時、自分に視線を向ける人……特に大人の女性の優しい視線に気付いた。目が合うと微笑んで軽く手を振る人まで居た。ユーノは白い頬を薄っすら朱色に染め、黙ってマントと手袋を外し脇に抱えた。

 2人並んで店に入りながら、なのははいよいよどうやって風呂に行くことを告げようか考え始めた。ユーノが人に戻ったせいで益々恥ずかしくなってきた。

 物珍しげに店内を見回していたユーノはなのはがカゴを手にしていることに気付き、「僕が持つよ」と言ってなのはの手から自分の手にカゴを移し、なのはが見ていた白い固まりについて尋ねた。

 

「なにそれ?」

「豆腐だよ。今日のごはん」

「とうふ? それっておいしいの?」

 

 なのはは曖昧な顔をしながら首を傾げた。

 

「私はあまりおいしいとは思わないかな。たぶん食べてる途中で飽きると思う」

 

 ユーノはなのはの懐具合をなんとなく察しているのだろう。特に何を言うでもなく、値札を見ながら「そうなんだ」と頷いた。

 

「ねえユーノくん、買い物終わったらお風呂入りに行こっか」

 

 なのはは少し緊張しながら、飽く迄なんでもないかのように、今思いついたかのように提案した。人姿のユーノを見て自分だけ入りに行くという考えを改め、同時にもしかしたらユーノも自分と同じことを思っているのかもしれない、という考えが浮かび、ならば同じ者同士何を恥ずかしがる必要があるのだ、と自分に言い聞かせ声を掛けたのだ。

 

「え、お風呂? それは是非賛成したいところなんだけど……その、お金の方は大丈夫かい? もし余裕が無いならなのはだけ入ってくるといいよ」

「大丈夫だよ……多分。ただ道具は一つしか揃えられないから、代わりばんこに使うことになるけど」

 

《ご主人様! 私も、そのお風呂というものにですね、少しばかり興味がありまして、それで、それでですね、是非ご一緒させていただいきたいのですが……もちろんこれは純粋な知的好奇心によるものであり、他意などありません》

《レイジングハートも? うん、いいよ》

 

 あと3日凌げればいいのだ。財布の中はすっからかんになるだろうが仕方がない。

 なのはは風呂道具をカゴに入れユーノと一緒にレジへ向かった。

 温泉に着くとユーノにタオルを渡し、2人分の入浴券を買った。もういくらかの小銭しか残っていない財布を見て、数日食べなくても死にはしない、と焦る気持ちを落ち着けた。

 どちらが先に入るか聞くと先に入ってもいいと言われ、ゆっくり入ってという言葉を背に赤い暖簾をくぐった。

 風呂からあがると、ソファーに座ってテレビを見ているユーノを見つけた。片腕を背もたれに置き、あぐらをかく姿は随分リラックスしているようだった。初めて見るユーノのだらけた姿に、なんだか他人の生活風景を覗いているような気がして少し楽しい気分になった。

 

「おまたせ。時間掛かっちゃった。ごめんね」

「いや、大丈夫だよ。もっとゆっくりでも良かったのに」

 

 なのははユーノの横に座ると、少しぼうっとした意識でテレビを見た。ユーノが立ち上がって何処か行ったかと思うと、水の入ったコップを差し出された。それを受け取ると一口飲み、ほっと一息ついた。

 ユーノは再び座ると少し頭を引き、なのはに気付かれないようにその横顔に視線を向けた。風呂あがりの顔は上気していた。急いで乾かそうとしたのか、まだ完全に乾ききっていない茶髪はしっとりと柔らかそうな光沢を帯びている。いつものように結っておらず、ほのかなシャンプーの香りを漂わせていた。両手でコップを持ちソファーに沈む姿が可愛らしい。

 

「ユーノくんも入ってくるといいよ。気持ちいいよ」

 

 突然振り向いたなのはと視線がぶつかり、ユーノは慌てて視線を戻し立ち上がった。

 

「あ、ああ、そうだね。僕も入ってくるよ!」

 

《ユーノ……私は今日という素晴らしい日を決して忘れはしません。温泉とはとても良いものです》

《へえ、そんなに温泉っていうのはいいものなのかい?》

《ええ、とても》

 

 ユーノは、それは楽しみだ、と期待するように笑みを浮かべ青い暖簾の向こうに姿を消した。

 それから十数分でユーノは戻り、ユーノが一息つくまで休んでから帰ることにした。

 なのはは身体が綺麗になったおかげか清々しい気分だった。もう臭いを気にする必要もない。風呂に入るという選択は間違っていなかったようだ。しかしそんななのはの晴れ晴れした心境とは違い、見上げる空はどんより曇って雨が振りそうだった。おかげで何時もよりも暗くなるのが早い。

 

「なんだか雨が降りそうだよなのは」

「そうだね。雨が降るなら森に戻るのはまずいよね。どこか雨を凌げる場所探さないと」

 

 そう言いながらも立ち止まることはせず、足は森へ向かう帰り道を歩んでいた。

 

「なのは?」

「……なのはちゃん」

 

 不意に後方から聞こえたしばらく聞いていない大好きな声。なのはは反射的に立ち止まり振り返った。そこにはアリサとすずかがいた。その表情には驚きと困惑の色が浮かんでいた。

 


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