魔砲使いになった理由   作:タニアホテル

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プールの竜・中

 どうすればプールに行くことを中止できるだろうか。どうすれば皆を説得できるのだろうか。どうやって一人で封印に向かえばいいのだろうか。

 考えなければならないことが多すぎた。

 だがなのはにはもう、そんな細かいことを考える気力も余裕も無かった。もし仮に、それらの方法が考えついたとしても、ただでさえ変化の無い同じ日を繰り返すことに苦痛を感じているのだ。更にそれらも加わるとなると頭がどうにかなりそうだった。それになにより、そうすることが途轍もない時間の無駄に感じられた。

 そしてなのはは今、ただ盲目的に一つの考えにのみ囚われていた。

 自分が一緒にいることで皆を巻き込んでしまう。皆と一緒にいることで喜怒哀楽を覚え、やり直すことが辛い。だったら皆から離れればいいのだ。とても簡単な事ではないか。そうすれば巻き込まないよう頭を悩ます必要もなく、感情の起伏を最小限に止められる。皆に心配掛けさせないよう、無理して取り繕う必要もない。その分、一切を辿り着くということだけに集中すれば良いのだ。ただそれは、皆をとても心配させるだろう。しかし巻き込んでしまうより、守れなくて絶望するより遥かにましである。繰り返す必要が無くなったら、また皆の所に戻ればいいだけなのだから。その時は一生分叱られるかもしれないが、甘んじて受けよう。

 心の浮き沈みを抑えるため、まるで見ず知らずの他人のように皆と距離を空けて生活する方法もあった。しかし皆にそんな態度をとるのも、問い詰められ嫌われるのも、たとえ死んでその事実が無かったことになるとしても嫌だった。

 一度考えだすとそれが最善だとしか思えなくなった。

 なのははすぐにでもその考えを実行すべきだという、突き動かされるような行動力により鞄をひっくり返した。そして外に出した中身をしばらく見つめ、1冊のノートといくつかのペンを鞄に戻してから、他に何か必要になりそうなものはないかと部屋を見渡す。だが何が必要なのかさっぱり分からなかった。

 ふと、ベット脇のぬいぐるみに視線が止まったが、数秒後目を逸らした。

 

「あ、お金必要だよね」

 

 机の引き出しに仕舞ってある、全財産の詰まった丸型のがま口財布と、ついでに机の上にあった箱ティッシュを鞄に入れた。

 こんなものだろうか。あとは思いつかなかった。

 なのはは部屋を出よう扉に手をかけたまま、何か忘れていることはないだろうかと少しだけ考える。そして、はっと思い出したように踵を返しノートを1ページ破り取ると、これから起こることを簡潔に綴り、最後にこう書き加えた。「修行の旅に出ます。捜さないで下さい。なのは」

 完璧だと言わんばかりに頷くと机の上に置き、今度こそ部屋を出た。

 家から出ると学校には向かわず、遠回りしてでも人通りの少ない道を選び、人目につかないよう神社へと向かった。

 ユーノが倒れている場所に行くことも考えたが、いつからそこに倒れているかも分からない上、待っている間に人に見つかったら大変面倒だと考えたからだ。自由に動き回れる下校時間にでも迎えに行けば良い。とりあえず今は人に見つからない場所に行く必要があったのだ。

 なのはは神社の前に辿り着くと、嫌そうな顔を浮かべながら長い階段に向かって歩いた。今はレイジングハートを持っておらず、ろくに魔法を使えない。自力で上るしか無い。

 歩いてゆっくり上っても、走って上っても、疲労感はほとんど変わらなかった。むしろゆっくり上っているほうが疲れる気がした。しかし今回は急いでいるわけでもない。疲れる度に階段に腰を下ろし回復するのを待った。

 はじめ、目の前に広がる街の景色に、どこかくすんだ瞳で力強い視線を向けながら、前回の事と巨大樹から逃げまわった日のことを思い出していた。そして、絶対に乗り越える、自分は必ず辿り着ける、と決意を新たにしていた。それが落ち着くと何を考えるでもなく、その強い決意の余韻に浸っていた。

 そうしていると今度は、自分以外の子は学校にいるというのに今自分はそこにおらず、青空の下、木々に囲まれ、階段に座って街の景色を眺めているこの状況に意識が向いた。

 なのはは、ついに自分は学校をサボってしまったのか、と何とも言えぬ獏とした感傷に浸った。すると、この平和な非日常感が、実はもう一人の自分が普段通りに登校し、普段通りに皆と過ごしているかもしれない。そして彼女がユーノを助け、レイジングハートを渡され、ジュエルシード集めという戦いに挑むことになるのだ。彼女は自分と違って才能があり、あっという間にジュエルシードを集めてしまう。その時になって自分は彼女と入れ替わるのだ。というようなありえない妄想に駆り立てるのだった。

 時間を掛けてようやく上りきり、鳥居をくぐった。

 境内を見渡したが辺りには誰もおらず、ただ朝の気持ち良い空気と一日の始まりを予感させる暖かな日差し、可愛らしい小鳥の声だけで満ちていた。

 それを前に一息つくと、親と友人に対する申し訳無さと感傷の全てを追い払い、先程の決意を呼び戻す。そしてジュエルシードを集めるために自分がするべきことに意識を向け、これからそれらを行う自分に気合を入れた。

 恐れることなど何もない。いや実際はたくさんあるが今はそれについて考えず、そのくらいの意気込みで力強く歩き出した。

 どこか人目につかない、身を潜めるのにふさわしい場所はないものか。参道を歩きながら考えるが、見たところ社殿の裏が丁度良さそうだった。

 なのはは突然立ち止まりしゃがみこむと、落ちていたゴミを手にとった。それは砂で汚れた緑の使い捨てライターだった。

 

「ゴミすてるとか最低だよ」

 

 特に何の表情も浮かべず、シュッシュと何度か火を付けながら呟いた。まだオイルが残っているようだが、残念ながらなのはは良い子なので、ここで火遊びという考えは一切浮かばず、立ち上がるとそのまま社務所の軒先にあるゴミ箱に捨てに行った。ついでに中から空き缶一つ取り出し手に持つと、社殿の裏を目指した。

 後はひたすら魔法の練習と戦略を練ることに集中するだけだった。

 それから3時間ほど経ったころだろうか。腰を下ろしたなのはは、2つの魔法弾を揺らめかせながら空を見上げていた。

 

「暇だな。今何時なんだろ。時計持ってくれば良かった。失敗したな」

 

 やることがあるため決して暇ではない。ただ困ったことに、この単調で成果も確認しづらい作業に早くも飽きてきたのだ。

 なのはは、ジュエルシードを集めるためなのだから絶対に飽きることなく、一日中集中して練習に励むことができる、そう考えていたのだが想定外だった。朝の練習は限られた僅かな時間で行わなければならない。だから集中できた。しかし今は、ここまでという目安はなく、まるまる一日使うことができるのだ。しかも時間が分からないのだから途中で集中力が切れるのは無理も無い。

 

「だめだだめだ!」

 

 なのはは突然弾かれたように顔を戻し姿勢を正すと立ち上がった。そして魔法弾に意識を向け練習を再開した。

 自分は少しでも早くジュエルシードを集めなければならないのだ。また皆を守れずに終わるつもりなのか。自分の決意はそんなものなのか。そう過去の光景を思い出しながら自分に喝を入れた。

 投げ出しそうになる度にこうやって目的を再確認し、何度でも作業を再開できること。それがゲームでは低確率のレアドロップを可能にし、外の世界ではこうして諦めずに戦い続けることができる理由なのかもしれない。

 しかし、それから更に2時間ほど経った頃。なのはは2時間前と同じように座りこんで天を仰ぎながら、深い紺碧をたたえた澄んだ空に魔法弾を適当に泳がせていた。それはさながら、何かすることはないものかと座って尻尾を振る猫のようだ。休憩も大事である。

 なのはにとってこうやって一人でいることは、時々寂しさを覚えることがあっても苦ではない。以前は……今よりもずっと小さかった頃は、一人でいることが堪らなく心細くて、寂しくて悲しかった。でもゲームにハマりだしてからだろうか、だんだん一人でいることが平気になってきたのだ。それどころか居心地良さを感じることさえあった。そのせいか、いや、それだけではなく元々引っ込み思案なことと、ゲームのことで頭の中が溢れていたことも原因なのかもしれない。学校では周りの子と話こそすれ、なかなか友情を育むことはできず、そしてなのは自身もそれをどうにかしようとは思わなかったし平気だった。幼さ故か周りの目を気にすることもなかった。

 ゲームで埋め尽くされている思考が落ち着いてきたのは、アリサ、すずかと遊ぶようになってからだろう。今に至っては優先順位が低くなってしまい、時々思い出すだけとなってしまった。残ったのは大切な親友と、一人が平気なことだけだ。

 

「お腹空いてきた……」

 

 なのはは自分の胃がきゅっと締まるのを感じ取り、お腹をさすった。そして徐ろに鞄を開けると、財布を取り出し中身を確認した。

 3枚の紙幣と小銭が少々。それを見つめながら、これからどのくらいお金がかかるのかを頭の中で計算し、低く唸った。

 料金を払ってプールに行くとすれば、これからの生活はとてもとても厳しいものとなるだろう。一日三食は確実に無理だ。しかし、もし夜にでも忍び込めれば、その分のお金は浮き幾分生活が楽になるだろう。他の人を巻き込むこともない。

 できれば忍び込むことを選択したいが忍び込めるのか分からないし、夜の真っ暗闇で暴走体と戦えるとは到底思えない。

 少しの間考えこんだが、まだまだ時間はあるし、追々考えてゆけばいいだろうと保留することにした。

 なのはは家から何かしら食べ物を持ってくれば良かったと溜息をついた。そもそもしっかりと計画を立てずに決行したのが間違いだった、と少しばかり後悔する。必要な物は何かをもっとよく吟味してから出るべきだったのだが、まあ今更である。何が必要なのかはこれから嫌でも分かることになるだろう。

 さて、予算的にこれからの食事をどうしていけばいいのかと頭を悩ませる。朝を抜くか昼を抜くか夜を抜くか、それとも一食だけにするか。

 

「もともと学校が終わる時間まで買いに行けないし」

 

 どちらにせよ、今は身に感じる空腹を我慢するほかない。ユーノを迎えに行くついでに買いにでも行くとしよう、と大きく溜息をついた。

 初めての家出は溜息しかでなさそうだった。

 もうすっかり空腹の感覚が過ぎ去ってしまった頃、なのはは魔法の練習にも疲れ、膝を抱えながらぼんやりと物思いに耽っていた。

 気を紛らわすものがないせいか、自然と過去のことから未来のこと、自分に関わる色々なことに思考がが飛んで行く。

 

「なにが明日は何もない楽しい一日になるはずだから、だ。……バカみたい」

 

 ユーノに言った言葉を思い出し、自分自身を嘲笑した。

 まだ繰り返していることに気がつく前だが、その時は何も起こらなかった。だから何も起こらないと思ったのだ。だが実際はジュエルシードは発動し皆を巻き込んだ。浅はかだった。

 ジュエルシードが発動した時、ユーノも同じことを思ったのだろうか? 自分のことを嘘つきと罵ったのだろうか? お前の言葉を信じた自分がバカだったと後悔したのだろうか? いや、おそらくそんなことを考える暇もなかったのかもしれない。

 なのははあれこれ考えを巡らし自分を責めた。そして再度「バカみたい」と呟くと顔を伏せた。

 柔らかな午後の陽が差す中、さわやかな微風がなのはの髪を優しく撫でつけ、行ったり来たりする数羽の小鳥がせわしないさえずりを響かせていた。

 

 

 

 

 そろそろ時間だろうか。

 なのはは下校時間によく見る日の傾きを感じ、ユーノを迎えに行くために腰を上げた。

 途中、今日の夜と明日の分の食料、飲料水を買うため店に立ち寄った。減った財布の中身に不安を感じながら溜息をついた。

 声が聞こえる前にユーノの元へ辿り着いた。なのははぐったり倒れこんでいるユーノの身体をとんとんと指先で軽くノックする。するとユーノはびっくりしたのか、即座に起き上がり身構えた。

 

「病院に行く?」

 

 なのはは来る間に悩んでいたことをユーノ本人に聞いてみたが、別に答えは求めていない。

 院長先生によると怪我は大したこと無いらしいし、残った魔力を治療に回したから大丈夫と本人も言っている。だからこのまま連れて行っても問題ないだろう。ただ、ユーノのエサを買うお金は無いし、寝床も準備できない。まあ、それについてもユーノは飼われているフェレットではないから、いちいちこちらが手をかけなくても心配ないかもしれない。では何が問題かというと、前回のことが心に引っかかっており、ユーノには安全な場所に居てもらって自分一人で戦ったほうがいいのではないか、と悩んでいたのだ。おそらくユーノはそれを望まないだろうが。

 自分に触れたのが少女だと知り、緊張がほぐれたようで、ユーノの身体は弛緩した。

 

《もしよろしければ助けていただけないでしょうか?》

「いいよ」

 

 念話を使ったのはなのはが魔力を持っているかの確認だろう。顔色一つ変えず即答したことに呆然とするユーノを、なのはは優しく手の内に収めると、病院には寄らず神社に戻ることにした。

 歩き出すとすぐに眠ってしまったユーノを手に感じながら、まさか保護されたのに極貧生活を過ごさなければならないとは夢にも思うまい、と少しだけおかしくなり、小さく唇を歪めにっと笑った。

 神社に着くとユーノを脇に横たえ、なのははこれからどうするかについて考えていた。

 黒い化け物はおそらく今日ここに来るだろうし、焦げ茶の獣はもともとここに出現する。とりあえず今日明日はここで待っていれば問題なさそうだ。ただ焦げ茶の獣を倒した後どうするかが問題だ。いや、そもそも確実に倒せるか自信がなかったが、倒せたと仮定してその後何処に身を潜めるのか。

 

「ま、明日考えよう。さて……」

 

 なのははユーノの首元にあるレイジングハートに目を向け、どうしようかと悩みながらしばらく見つめた。目を逸らすと、水竜との戦い方を考えることにした。

 空火照は瑠璃色に変わり、やがて星空に変わった。辺りには外灯がなく、静かな暗闇に包まれていた。

 なのははレジ袋の中のおにぎりをがさがさと漁った。おにぎりの中身が何か、手にとって確認しようと目を凝らすがよく見えない。仕方がないので、もうこれでいいやと適当に選んだ。そして、はたと気がつく。

 

「歯ブラシ持ってないや……。ま、いっか明日で」

 

 今ならまだ店は開いているだろうが、階段を往復するのはかなりしんどい。それに見慣れた場所にじっと留まるならともかく、この暗闇に包まれた神社を歩き回るのは恐かった。一日くらい磨かなくとも問題ないだろう。

 

「そっか、お風呂にも入れないんだ。それに着替えもない!」

 

 一つ気が付くと連鎖的に他のことにも気が付く。なのははずーんと沈み込み、暗鬱な目をさらに暗くして溜息をついた。

 

「ここは……?」

「あ、起きた? ふふ、ここは星空がきれいな素敵な場所。そして私は流浪の民なのは。今日からきみも仲間入りだよ。やったね」

 

 なのははユーノに視線を向けること無く、おにぎりの包を開けながら、自嘲の笑みを浮かべて言った。その声は落ち込んだ気分のせいか、憂いを帯び、疲れきり、やる気なさげだった。

 そんななのはの返答に困惑するユーノに、なのははおにぎりの半分をちぎると、取った包に置いて渡した。きっとユーノは、鵺のような人物に拾われてしまった、とでも思っているのかもしれない。

 それにしてもこのおにぎり。安かったから買ったのだが、具がやけに少ない。小さな具をわざと見えるように端に寄せてあり、見た目多く見えるが、これではただの米と海苔だ。他のおにぎりもそうなのだろうか。なのはは「騙された!」と内心で涙しながら叫んだ。

 半分のおにぎりはあっという間に無くなった。

 なのはは、もう何度も聞いたユーノの事情に適当に相槌を打ちながら、他のおにぎりを取ろうと伸ばす自分の手に気が付き、さっと引っ込めた。そして、危うく大切な食料を食べてしまうところだった、と胸を撫で下ろした。

 

「ところで、なのはさ……なのははどうしてこんな場所にいるの?」

「愚問だね。さっきも言った通り私は流浪の民。帰る家は無いのだよ」

 

 なのははこの設定が気に入ったのか、口調を変えて少し得意気に言った。きっといつかこの会話を思い出し、悶えることになるかもしれない。いや、ゲームの影響か、変わった口調やしゃべり方をすることが多々あるため、この会話に限らないだろう。

 ユーノは困ったような何ともいえない声を上げた。

 

「つまり、家出ってことでいいのかな……」

「うん」

「どうしてまた……」

「それが一番良いと思ったから。そんなことより魔法使ってみたいな」

 

 なのはは話題を切り替え、レイジングハートを受け取ると早速起動した。

 ユーノに指示を仰ぎ、魔法の練習を行っていると、ジュエルシードの反応があった。どうやら暴走体が来たようだ。

 ユーノを連れて境内で暴走体を待ち構えていると、幾許もしないうちに木の間から飛び出してきた。闇が染み付いたようなその身体は、この暗さでよく見えないが、赤く光る2点が爛々と浮かび上がっており、それを頼りに距離を予想した。

 なのはは特に気負うこと無く暴走体の攻撃を避け、一瞬のうちに封印した。なのはにとっては、この黒い化け物は最早序盤のスライム同然のあつかいだった。焦げ茶の獣が中ボスで、水竜がボスだろうか。

 封印が終わると、それにしても暗闇で見える方法はないものか、となのはは悩む。夜のプールもこんな暗さだとすると、敵が全く見えないことは間違いない。魔法でどうにかできるだろうか? きっとレイジングハートならそんな魔法を作ってくれるに違いない。なのはのレイジングハートに対する信頼は厚い。

 

「レイジングハート、暗くても見えるようになる魔法作れないかな?」

 

 レイジングハートの快い返事から待つこと数秒。足元に魔法陣が現れそして消えると、なのはの瞳は澄んだ桜色を帯び、視界が昼のように明るくなった。

 なのはは思わず感嘆の声を上げ、やっぱりレイジングハートはすごい、と喜んだ。

 これで夜の暗闇の中でも戦うことができ、何より財布の中身に余裕ができる。がんばれば巨大樹の日まで食いつなぐことも可能だろう。いいことずくめである。レイジングハートには感謝してもしきれない思いだった。なのはは少しだけ心が晴れるのを感じた。

 社殿の裏に戻った時、なのはは再び空腹を感じ始めたが、我慢して今日はもう寝ることにした。そして、バリアジャケットを解こうとしたその時、ふと閃いた。徐ろに襟元から中を覗いてインナーを確認したり……さすがにはしたないと思ったのかローブのスカートは捲らなかったが、タイツを摘んでみる。

 ずっとバリアジャケットでいれば着替えは必要ないのではないか?

 

「ユーノくん、バリアジャケットってずっと着ていられるのかな?」

「魔力が続く限り維持することは可能だけど、必要ないときは解除するのが普通かな。常に魔力を消費しちゃうからね。防御力によって消費量には差が出るけど」

「なるほど、ねえ、レイジングハート。魔力消費が一番少ない状態にしてもらってもいいかな?」

 

 なのはが言い終わるとほとんど同時に、一瞬で解除、再構築された。見た目は変わっていないが、おそらく防御力は下がっているのだろう。

 

「え、もしかして着たままで過ごすつもりなの?」

 

 ユーノはまるで不思議なものに出会ったかのような調子で聞いてきたが、なのははまるで気にせず頷いた。

 

「といっても、さすがに街中でこの姿はちょぴり恥ずかしいから制服に着替えるけどね。ありがとうレイジングハート」

 

 なのはは赤い宝石をそっと撫でると横になった。と思ったらすぐに起き上がりユーノの方を向いた。

 

「ごめん。ユーノくんの寝床作れないんだ。やっぱり寒いよね……」

「いや、僕はこのままで大丈夫だよ。気を使ってくれてありが……」

「あ、そうだ! これ使って」

 

 なのはは良いことを思いついたと言わんばかりに鞄からティッシュ箱を取り出すと、ユーノに渡した。渡されたユーノは戸惑うばかりだ。

 

「えっと……どうすればいいのかな?」

「入って寝るといいんじゃないかな」

 

 ユーノは箱をじっと見つめた後、するする中へ入っていった。そして中から頭を出すと「狭いけど悪くないかも」と少し楽しげな様子で言った。

 太陽のない静けさの中、なのはははじめ、じっと動かずにいた。

 魔法の練習により身体は確かに疲れを感じている。こうして静かに目を閉じていれば、いずれ眠れるだろうと思ったのだ。しかし、体を優しく受け止めてくれるベットではなく、この硬い地面と外の開放感がどことなく体を強張らせ、その無意識の緊張によりいつになっても眠れない。何を考えているわけでもないのに、脳は活発だった。

 花冷えする季節のせいか夜は肌寒いのだが、バリアジャケットのおかげか寒さは感じない。

 なのはは動かさずにいた身体がだんだんむずむずとしてきた。何時なのかも分からず、夜が永遠に続くのではないかと思われるほど長く感じられた。そしてついに起き上がると、眠れないと溜息をついた。

 ティッシュ箱に入っているユーノは、死んだように眠っている。やはり森で生活しているから野宿でもへっちゃらなんだろうなと、なのははユーノの適応性を羨ましく思った。

 鞄から水を取り出し一口飲んでから、眠くなるまで、月に照らされた柔らかな仄白さの中に2つの桜色を走らせた。

 月は空の旅を終え、いつとはなしに白んできた。

 なのはは光を感じ目を開いた。全然眠った気がしなかったが、いつの間にか朝を迎えているということは一応眠っていたのだろう。

 立ち上がると大きく伸びをし、何をしようか悩んだ。

 見上げた空は朝焼けで薄く染まっており空気も澄んでいた。

 なのはは、もっとちゃんと見たいという衝動に駆られ、境内から出て階段へ向かった。そして階段に腰を下ろすと、遠くに見えるバラ色と眼下の薄暗い街の対比を、飽きること無く見つめ続けた。野宿も悪くない、と思った。

 

 

 

 

 ユーノはジュエルシードを探してくると言って出かけてしまった。なのははそれを、まぁ別にいいか、と止めること無く見送った。

 ユーノには学校すらも休んでいることを告げているため、なのはが一緒に行けないことを知っている。言った時、どこか呆れたような声を上げていたが、特に咎められることもなかった。

 夜の眠りが浅かったせいか、昼時になってほわほわとした眠気が意識を包み込んだ。なのははその心地良い眠気に身を任せフードを被ると、日だまりの中、太陽に背を向けて横に丸くなった。

 普通なら固い地面が骨の節々に当たり鈍い痛みを感じるところだが、バリアジャケットはとても優秀だ。体を何度か動かし良い塩梅になると、日差しの暖かさを背に受けながら微睡んだ。

 家出をし学校を休んでこんなことをしているとは、一体誰が想像できたであろうか。誰もできまい。これではただの不良少女高町なのはだ。

 ユーノはジュエルシード発動前に戻っており、今回はユーノを連れて暴走体と対峙することとなった。考えてみれば今日一緒に戦うのは初めてであり、なんとなく新鮮に感じられた。

 なのははごくりと唾を飲み込み唇を舐めた。

 前回攻略できたとはいえそれは一度だけであり、まだ完璧とは言い難い。油断すればすぐにやられてしまうだろう。気を引き締めていかなげればならない。

 といいつつ、なのはの動きは全く危なげなく、相手の身体の動きから攻撃を予想し、絶妙なタイミングで避けていく。無意識で身体が反応するほど、もうすっかり骨身に染み込んでいるようだった。少し肝が冷えた瞬間があったが、魔法弾も難なく避け続け、なんとか今回も封印して、なのはは安堵した。

 

「なのは……すごいね」

「別にすごくなんかないよ。ユーノくんの方がすごい」

 

 何でもないようにさらりとユーノに返し、これからのことについて考える。空に浮かんだ魔法陣と穴だらけの地面のせいで、もうここには居られないのだ。

 なのはは荷物を取ってくると人目に付かないよう山を降りた。

 

「これからどうするの? 家に帰る?」

「まさか、そうだね……ちょっと見に行きたい場所があるから、そこに行こうかな。ユーノくんは?」

「もちろん僕も行くよ」

 

 なのははプールの場所の確認と、明後日の夜に忍び込めるかどうかの下見をするつもりだった。歩いて行くとなると少しばかり遠いが、ユーノもいるし色々話してるうちに着くだろう。ついでに店で買い物もしなければならないな、と考えながらなのはは歩き出した。

 付いた頃にはもう、日は沈み、辺りはすっかり暗くなっていた。

 物影に隠れ眼に魔法を掛けると、プール施設をぐるりと一周し建物を観察した。残念ながら入れそうな場所は見当たらなかった。方法は無いわけではないが、ガラスを割らなければならないため、なのはの良心が咎める。しかし、人混みの中でジュエルシードを発動させない代わりにガラス一枚割ると考えれば、どちらが良いかは明白だろう。

 

「なのはが来たかった場所ってここ? 何かあるの?」

「うーん、特に何か用事があるわけじゃないんだけど……なんとなく来たかっただけだよ。ところで今日は何処に泊まろうか」

「家に帰るって選択肢は無いのかな?」

「そうだね……じゃあユーノくんは先に帰ってていいよ?」

「え、いや、僕なのはの家知らないし!」

「うん、知ってる」

 

 もし相手がアリサなら「だったらなんで言ったのよ!」とつつかれたり、体を激しく揺すぶられるところだが、ユーノはなのはの返答にがくっと頭を落とした。完全になのはにペースを握られ、なんだか精神的に疲れてしまったのだ。しかも、いまいち感情が読み取れないため変に気を使ってしまう。決して居心地が悪いというわけではなかったが。

 なのはからしたら、ユーノのことはそれなりに知っているため、気を使わず割りと自然体だった。これが初対面の人物だとしたら違った対応になっていただろう。

 

「やっぱり山かなぁ」

 

 なのはは山のある方角を見た。ユーノもそちらを向いたがよく見えないようだった。

 山に向かう前に一先ず夕食を食べて空腹を紛らわす。そして、暗いし分からないだろうとバリアジャケットを纏うと、魔法を使いながら移動した。

 なのはには周囲の景色が昼と同じように見えるため、普段なら足がすくんでしまうような外灯の無い真っ暗道でも、全く怖いと感じなかった。

 住宅街を過ぎ、人家はまばらになり、森が見えてきた。もし一人ならば恐怖を感じただろうが、隣にはユーノが居るため心強い。

 あまり深くまで入って迷わないよう入り口周辺を歩きまわり、何処か寝るのに丁度良い場所はないかと歩きまわった。たとえ迷ったとしても、魔法で足場を作り木の高さまで上れば方角はわかるが、こんなことは初めてなため、少しでも道に近いほうが安心だった。

 最初、熊や猪に出会ったらどうしようと不安になったが、よくよく考えれば暴走体の方がずっと怖くて危険なことに気が付き、気にしないことにした。

 なのはは、ふと綺麗な緑色をした草を見つけ歩みを止めた。そして考えこむかのように謎の草をじっと見つめてから、ぷちんとちぎり手に取ってまじまじ観察した。すると何を思ったのか、口元まで運ぶとぱくりと咀嚼した。

 

「にがっ! にがっ! なにこれっ!」

 

 なのはは口が曲がりそうな程の苦さに、顔を顰めペッペッと何度も口の中の苦さを追い出しながら、すぐさま鞄から水を取り出し口を濯いだ。そして顔を青くさせながら、ひどい目にあったとぼやき、憂いを帯びた足取りで歩き出した。

 

「なにしてるの……」

「だって……美味しそうに見えたから……なんとなく」

 

 無言が気まずかった。

 結局、開けた場所などは見つからず、なのはたちは適当にその辺で眠った。

 

 

 

 

 次のジュエルシードが現れるまで、特に何処かに行くこともせず、魔法の練習と戦略を考え、時々気分転換として周辺を散策しながら時間を費やした。

 なのはは最初に比べて2つの魔法弾を大分操れるようになっていた。しかしまだまだ正確ではなく、少し注意を怠ると片方ばかりに意識が無いてしまう。これについて何かコツのようなものはないのかと、ユーノに聞いた。

 

「複数の魔法弾を操るコツねぇ。うーん……なんだろ。あまり意識しないこと……じゃないかな? 勝手に脳が処理してるとでもいえばいいのかな。なのはも音楽聞きながら歩いたり勉強したりって、複数の動作をしながら何かをする経験あるんじゃない? 気付いてないだけで日常的に並列思考は行われてるんだ。簡単に言えばそれと同じだよ。脳は意識にあがってないだけで膨大な量の情報処理を行ってて、それを上手く活用するというわけ。2つなら割とすぐにできるようになるんだけど、3つ以上となると難易度が一気に跳ね上がるし、正確さも極端に下がってしまうんだ。それで結論を言えば、まぁ、訓練するしかないね!」

 

 やっぱりそんな甘くないよね、となのははがっくり肩を落とした。

 そんな風にユーノの講義を聞いていた時、突然ユーノの動きが固まった。かと思うと首を傾げた。

 

「どうしたのユーノくん」

「いや、ちょっと魔力反応があったような無かったような……気のせいかな」

 

 やっとジュエルシードが現れる時間なのか、となのはは空を見上げた。なのはには全く感じられなかったが、ユーノは感じたらしい。ただ距離が離れすぎているためか、ひどく曖昧なものだったようだ。

 なのはは、自分とユーノが行かなければ、とりあえず今日は発動しないと予想している。それが間違っている可能性も考えられるが、今までの経験と考察から少なからず自信があった。だから夜に向かうことにしたのだ。

 

「気のせいじゃない?」

 

 きっとジュエルシードの反応だと教えれば、ユーノは今すぐ封印しに向かってしまうだろう。だからなのはは、これ幸いと何も言わず誤魔化した。

 その日の月が真上から見下ろす頃、なのははプールに向けて出発した。

 ユーノは、なのはが何をしたいのかさっぱり分からない、といった様子だったが、なのはが詳しく説明しないことと、突飛な行動をすることに慣れてしまったのだろう。ユーノは二言ほど疑問を口にしただけで、特に何も言わず付いてきた。何しろ家出をして山に籠もるし、暴走体もあっという間に封印してしまうし、何もかも知っているというような雰囲気を醸し出しているし、掴みどころがない、そんな少女だ。もうそういう、自分の常識が通用しない特別な……つまり変人なのだと、この4日間でよく理解していた。

 なのは自身、わざとそんな態度をとっているわけでないため自覚はない。ただ、抱いた疑問はすでに前の世界で聞いており、何が起こるのかもユーノの人柄も知っていて、毎回自分の行動について説明するのが心底面倒臭いだけなのだ。決して不思議系少女でも変人でもなく、ただの平凡少女にすぎない。

 この悲しき認識のすれ違いのおかげで、なのはは円滑に行動できていた。

 到着すると、足場を作って屋根まで上り、屋内プールの窓ガラスに近づいた。なのははガラスの硬さを確認するようにノックすると一歩下がり、ハンマーを出現させ軽く握りこんで横に構えた。

 

「ねえ……ねえ、なのは……何するつもりなの?」

 

 ユーノも眼に魔力を纏わせているため、なのはの動きがよく見えていた。

 なのははユーノの声を無視して腰を捻りハンマーを加速させた。と思ったらぶつかる直前で止め、顎に手を当て少し考え込んだ。隣のユーノはほっと胸をなで下ろしていた。

 きっと普通にやっても一撃で綺麗に割れてはくれないだろう。どうせ割るなら一撃で綺麗に割りたい。

 妙案が浮かんだのかもう一度構え直すと、圧縮魔力を纏わせ、ガラス目掛けて軽く振った。それがガラスと接触した瞬間、魔力が炸裂、ガラスは弾けるような小気味よい音を立て、木っ端微塵に吹き飛んだ。

 なのはは全身を駆け巡る爽快感に打ち震えた。

 

「え、ちょ、何してるんですかなのはさん!?」

 

 今この瞬間、ユーノ中で、なのははなのはさんにクラスチェンジした。

 

「さ、行こう」

 

 なのははユーノをフードの中に押しこみ、室内にいくつかの足場を作り降りていく。その態度は泰然としているように見えるが、当然ながら暴走体と戦うのはとても怖い。あの窒息の苦しさも、攻撃を食らった時の痛さも、想像しただけで今すぐ引き返したくなる。お前はバカか、倒せるわけがないだろう、やられることが目に見えてるじゃないか。そんなことを叫ぶ自分がいた。しかし、今までだってその恐怖をねじ伏せて勝利を目指し戦ってきた。今回もそれと変わらない。

 なのはは先日の、繰り返した日の朝のことを思い出していた。恐怖も不安も無い、すっと澄み渡ったまっさらな心の状態。どこまでも冷静で、自分の湧き上がる感情にすら客観的なもうひとりの自分。そんな戦い続けるための心の状態を思い出していた。

 ジュエルシードはすぐに反応した。それに気づいたユーノが直ぐ様結界を張った。

 床まで降りること無く、宙に浮く魔法陣で待ち構え、そこを先頭に幾つもの足場を横一列に構築していく。

 移動できなければ攻撃を避けることすらできない。少しでも自分にとって戦いやすい環境を作る必要があった。しかし、数が全然足りない。十数個の足場を作った時点で水竜は姿を現し、淡い水色の光を放つ幾つもの水球を発射する直前だった。

 

「なのは……これまずくない? あんなの……」

「あんな倒せそうにない。でも戦わなきゃいけないんだ」

 

 なのはは隣の魔法陣にすっと移動し、一瞬止まってからすぐにまた隣へ移動した。それと同時に水球が目の前に迫り、先ほどまで居た2つの足場を破壊した。それを確認すること無く、新たな足場を継ぎ足しながら避けていく。時々移動している最中に、水中に潜む鎖が足場を突き破り伸びてくるが、レイジングハートが小さな魔法陣のようなシールドで的確に受け流していった。

 まるで機関銃のごとく発射される水球に、足場の供給が間に合わない。なのはは無意識に、2つの魔法弾を操る要領で足場を2つずつ作ることを試みた。

 

「ユーノくんも作って!」

 

 なのはの切羽詰まった声に、ユーノもなけなしの魔力を使い足場を作った。これで僅かに余裕が出来る程度に供給が追いついた。

 桜色と翠の魔法陣がまるで道のように連なり、なのはたちの命を繋ぐ。ただそれはランニングマシンで走り続けているかのように、なのはの体力をガツガツ削った。

 目の端で水球が止んだ瞬間を捉えると、なのはは一旦足を止め、水竜が水中に消えるのを確認した。それと同時に一番端っこの足場に跳んだ。

 先程いた足場と近くの足場2つを突き破って姿を現した水竜に、なのはは間髪入れず全力で魔法弾を放った。その鋭い一撃は水竜の身体に強烈な衝撃を与え、その硬い鱗に罅を入れた。

 水竜は一度宙で静止すると、再び水中に潜った。なのはは急いで身を翻し、足場を作り、その上を駆けて、飛び移って、水竜からの攻撃に当たらないよう距離を取ろうとした。

 水竜はなのはを翻弄するかのように、出鱈目に飛び出しては潜り、その長大な身体で暴れまわった。鞭のように翻る尾は、それだけで必殺の威力を持ち、激しい水しぶきをまき散らす。

 後を追ってくるのかと思いきや、突然なのはの目の前から出現した。回りこまれ、不意を突かれたなのはは、為す術もなく、予測の付かない暴力の嵐に巻き込まれた。

 静かになった室内に、激しい波の音だけが反響した。

 


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