夜空には金色の満月が輝く、そんなある晩……。
赤い髪の少年が、黒地に朱雲を縫い取った装束を纏う六人の男たちと死闘を繰り広げていた。
赤い髪の少年と男たちの戦いは壮絶の一言に尽き、その影響たるや辺りの風景に甚大な被害を
「流石は、赤砂のサソリだな」
六人の男たちの中、橙色の髪の青年が、赤い髪の少年サソリを褒め称える。
サソリは声をかけた青年を睨み付け、尋ねる。
「てめーら、何者だ?」
橙色の髪の青年が一歩前に出ると、威圧するような視線をサソリに向け、名乗りを上げる。
「オレはペイン。……神だ」
サソリは鼻で笑う。なにが神だ、ふざけやがって、と。しかし、ペインたちの実力は本物だった。歴代最強の三代目風影を屠ったサソリから見ても、眼前の男たちの力は異常ともいえた。その力の前にサソリ自慢の傀儡人形『ヒルコ』を破壊され、『自分』を使うまでにサソリは追い込まれていた。
サソリはペインたちとの戦いであることに気付く。ペインと名乗った男と他の五人、いずれもその眼に『輪廻眼』を備えているということに。
三大瞳術の中でもっとも崇高とされる眼、かつて忍びの祖、六道仙人が持ったとされる最強の眼、輪廻眼。
かつてない強敵を前に、サソリは怯えるどころか、薄い笑みを浮かべる。
おもしろい。
最強の眼を持つ者を倒し、その体を人傀儡にしてやる、と意気込む。
そして、サソリの持つ最強の切り札を使う為、胸に手を掛けた時、
「待て」とペインの口から停止の声がかかる。
サソリが訝しんでペインを見据える。
「サソリ、オレの仲間になれ」
「なに?」
ペインの突然の勧誘に、間の抜けた声でサソリは返してしまう。
「オレは、オレの野望の為、力のある者を求めている。そして、それにお前は選ばれた」
「フン……じゃあ、今までの戦いはオレの実力を計る為だったということか」
気に入らねえな、と内心愚痴り、ペインに射殺さんほどの視線を送る。
「断ると言ったら」
「その時は、お前に死んでもらう」
サソリの視線を気にした様子もなく、何でもないようにペインは、サソリに殺す、と言う。
サソリの体を悪寒が走る。
輪廻眼ですべてを見透かされているような感覚がサソリを襲う。
「さあ、どうする。オレの仲間になるか? それとも死ぬか? どちらだ」
ペインの勧誘を受けるにしろ、断るにしろサソリは聞いて置きたいことがあった。
「……お前の野望ってのは何だ? お前は何をしようとしている?」
サソリの質問にペインは厳かに言い放つ。
「世界を征服する」
ペインの答えを聞いたサソリは口の端を上げ、呟く。
「くだらねェ」
聞いて置いてよかったとサソリは思った。馬鹿げた野望に付き合わせられるのは、御免だった。
今度こそ、と必殺の気迫を乗せ、サソリが切り札を切ろうとする。しかし、ペインの次の言葉にその手を止めてしまう。
「お前はオレとよく似ている」
「……どういう意味だ?」
「戦争で両親を奪われた痛みをお前は知っている」
両親の名がペインの口から出たことでサソリが怒りを顕わにする。
「てめー、なんでそれを」
「情報収集は戦いの基本だ。お前のこともすべて調べている」
サソリは舌打ちをする。
「オレの両親も戦争の所為で死んだ。オレたちは同じ痛みを知るもの同士分かり合えるはずだ」
「だから、世界征服に手を貸せって言うのか、ふざけるな!」
ペインの言葉にサソリの怒りが増していく。
「落ち着け、サソリ。世界征服と言うのは仲間を集めるための建前にすぎん。オレの本当の目的は別だ」
「本当の目的だと?」
サソリの問いにペインがそうだ、と頷く。
「お前になら教えてもいいだろう。……オレの本当の目的、それは、この戦いだらけのくだらない世界から争いを無くすことだ。そうすれば、オレたちのように戦争で家族を亡くす者もいなくなる」
「そんなことが本当にできると思っているのか?」
「できる」
きっぱりと断言するペイン。その言葉は自信に満ち溢れていた。そして、サソリに手を差し伸べ、告げる。
「これで最後だ、サソリ。オレの仲間になれ」
サソリは思い出す、両親を亡くした痛みを。
目の前の男が語る内容に、無くしたはずの心がざわめく。
満月を背に、両手を広げ野望を語るペインの姿は神々しいまでに、美しかった。
「……いいだろう。お前の仲間になってやる」
「良い判断だ」
サソリの答えに、ペインが満足そうに頷く。
「だが、お前の語る野望が嘘だった時は、わかっているだろうな」
「安心しろ。オレが、オレたちの組織がこの世界を変えてみせる」
「組織?」
ペインは忘れていたというようにサソリに教える。
「ああ、言ってなかったな。お前がこれから入るオレたちの組織のことだ」
「そうか、それでその組織の名はなんていうんだ?」
ペインは自慢するように言った。
「暁だ」
そこでサソリの夢は途切れ、意識は現実へと戻る。
サソリが目を開け、最初に映った光景は、タバサが本の虫というように本に噛り付いている様子だった。
「二度目」
「あ?」
「あなたの寝顔を見るの」
本から顔も上げずにタバサが話しかけてくる。その内容にサソリは眉根を寄せた。
また、恥ずかしいところを見られたな。
青空が広がる空の上、サソリとタバサは竜籠に揺られ、任務の目的地、ゲルマニアとの国境沿い深い森に覆われた土地、『黒い森』と呼ばれる場所へと向かっていた。
目的地に着くまで、目をつむり考え事をしていたサソリはいつの間にか、眠っていたらしい。かつての自分では考えられない迂闊さに、サソリは困惑する。生き返ったことで弱くなったのか、それとも、それだけタバサの事を信用しているということか、と。
向かい合わせに座るタバサに、サソリが視線を向け、暇つぶしに話しかける。
「任務の内容は何だったんだ?」
「翼人の掃討」
「翼人?」
サソリは聞いたことのない名前に疑問が浮かぶ。
その時、地上からいくつもの悲鳴が聞こえてきた。サソリが窓から地上を覗くと、羽の生えた人間たちに襲われ、逃げ惑う村人たちの姿が目に入る。弓矢などで応戦している村人もいたが、矢はことごとく躱されていた。
「あれが、翼人か?」
タバサが頷くと、竜籠の扉を開け、躊躇なくその身を空に投げだした。サソリも後を追うようにタバサに続く。
サソリは何事もなかったように地面に無事着地する。そして、空を舞う翼人たちに目を向ける。
背中に一対の翼が生えた人間、それが翼人だった。空を翔るその姿は、美しくもあり、荒々しい印象をも与える。
空では、魔法の力で浮かぶタバサと翼人たちの戦いが繰り広げられていた。
「枯れし葉は契約に基づき水に代わる力を得て刃と化す」
翼人たちが呪文を口ずさむと、地面の落ち葉が浮き上がり、まるで鉄にでも変わったかのように硬く鋭利な刃物となり、次々とタバサに襲い掛かる。
タバサは空中で刃と化した落ち葉を、空を翔る魔法をうまく使い躱していく。しかし、タバサは翼人に反撃できないでいる。空を翔る魔法『フライ』を発動中は他の魔法が使用出来ないため、タバサは防戦一方となっていた。
サソリはタバサを援護する為、先ほど村人たちが落としていった矢をチャクラ糸で操り、翼人に向け、放つ。
地上から複数の矢が翼人を射ぬかんと、飛んでいく。しかし、翼人たちに向かった矢は、陽炎のように翼人たちの周りの空気が歪み、矢の軌道を逸らされてしまう。翼人たちが魔法で空気を操っているのだろう。
それを見たサソリは忌々しげに舌打ちをする。矢が外れた事以上に、空の敵に対しての有効な攻撃手段がない、今の自分の力のなさに苛立ってのことだった。
だが、サソリの攻撃は無駄ではなかった。翼人たちは地上からの攻撃に気を取られ、タバサの警戒を緩めた隙にタバサは地面に降り立ち、隙だらけの翼人たちに狙いを定めていた。そして、魔法を放とうとした。その時、悲鳴のような声が辺りに響く。
「やめて! あなたたち! 森との契約をそんなことに使わないで!」
タバサは声の主へと視線を向ける。そこには、亜麻色の髪が美しい翼人が、空からゆっくりと降りてくるところであった。純白の翼を広げ天から舞い降りる、そのさまは、この世のものとは思えぬほど美しい。
「アイーシャさま!」
アイーシャと呼ばれた美しい翼人を見た他の翼人たちに、動揺が走る。
乱入者に気を逸らされたが、再度、タバサが呪文を唱えようとした瞬間、背後から何者かに腕を掴まれた。
「お願いです! お願いです! どうか杖を収めてください!」
緑色の胴衣に身を包んだやせっぽちの少年が、杖を握るタバサの右腕を両手で握り締めていた。
タバサが魔法の邪魔をされている内に、アイーシャは大仰な身振りで仲間たちに手招きする。
「ひいて! 人間と争ってはいけません!」
翼人たちはアイーシャの懇願に、戸惑いつつも引き揚げていく。
翼人たちが空へと飛びあがっていく様子を安心したように、タバサの腕を掴んでいた少年が見ていた。その視線の先には、アイーシャの姿があった。
少年の視線に気づいたアイーシャも少年を見つめかえしている。そして、悲しそうに顔を伏せ、そのまま、空の彼方へと消えていった。
呆然と事の成り行きを見守っていた村人たちの内、がっちりした体格の男が我に返り、タバサに駆け寄ってくる。
「俺はサムといいます。もしかしてお城の騎士さまで?」
タバサは頷いて、短く自分の地位と名前を述べる。
「ガリア花壇騎士。タバサ」
「みんな! 騎士さまだ! お城から花壇騎士さまがいらしてくれたぞ! 領主さまはちゃんとお城にかけあってくれたんだ!」
村人の間から歓声が沸いた。
「タバサ。おまえ、騎士だったのか? ……ところで、お前の腕にしがみついているそれは何だ?」
いつの間にか、タバサの隣に立っていたサソリが疑問を口にする。
サムが思い出したように、未だにタバサの腕を掴んだままでいた少年を殴り飛ばした。
「ヨシア! この罰当たりが! 騎士さまの腕から手を離せ! おまけに魔法の邪魔をするとはどういうことだ!」
倒れたヨシアと呼ばれた少年は、殴られた頬に手を当て、悲しそうに顔を伏せた。
「じゃあ騎士さま。あの鳥モドキどもを早くやっつけてくださいな」
揉み手をせんばかりの勢いで、サムがタバサににじり寄る。
タバサはぼーっと立ち尽くし、動かない。
「どうなさったんで?」
ゆっくりとタバサはお腹に手を当て、自身の欲求を言葉にする。
「空腹」
サソリは天を仰いだ。そして、誰にも聞こえない小さな声で呟いた。
「……またか」
タバサたちは村へと案内された。村長の屋敷の一番いい部屋に通され、目の前にありったけのご馳走が並べられた。
「騎士さま、よく来てくださいました。翼人たちが森の木を切るのを邪魔してきて、村の一同ほとほと困り果てていたのです。このままじゃあ冬を越せないだろう、と。領主さまに翼人退治を頼んでも、なしのつぶてで。でも、騎士さまが来てくれたならもう、安心です。本当に来てくれて助かりました。ありがとうございます」
村長が依頼を受けてくれたことへのお礼を述べ、ぺこぺこと頭を下げる。
タバサたちを見た村人の間からため息が漏れた。どうやら、翼人討伐にやって来た騎士がどう見ても子供なので、落胆しているようだ。サムはそんな村人たちを睨みつける。
「無礼な態度を取るんじゃねえ! このタバサ様たちはな、俺たちを殺そうとしたあの忌々しい翼人どもを追い払ってくれたんだぞ!」
サムの言葉を聞いた村人たちは、掌を返すように、恐れと称賛が混じった目でタバサたちを見つめる。
そんな視線を気にした様子もなく、タバサは目の前に並んだ料理を食べ始めた。
タバサの食べっぷりは見事と言うほかなかった。見るものの首を傾げさせる勢いで、次々と料理を平らげていく。タバサの隣で一緒に食事を摂っていたサソリも、相変わらずの食事風景にぽかんと呆れている。何度か食事を共にしたサソリでこれなのだ。タバサの食欲を初めてみる村人たちには、もしかして、このまま村の食糧全部食べられてしまうのでは? と思わせ、知らぬ間に村人たちに恐怖を与えていた。
タバサは、机の上に並んだ食事をきれいに食べ終え、ハンカチを取り出し、口の周りを拭う。その様子を見たサソリが、タバサに声をかける。
「食べ終えたか?」
「腹八分目」
「……」
タバサの発言に言葉が出ないサソリだった。それは、村人たちも同じだったようでタバサを見る目が若干、怯えているように見えた。
そんな微妙な雰囲気の中、サムがヨシアの首根っこを掴んで部屋に入って来た。見ると、ヨシアは縄で後ろ手に縛られている。
「さっきは俺の弟が大変失礼なことを……。煮るなり、焼くなり、好きにしてください」
タバサは首を横に振った。ほっとした顔でサムがヨシアの縄をほどく。
「優しい騎士さまに感謝しな! 本当なら殺されても文句は言えないんだぞ!」
しかし、ヨシアは唇を噛むばかりで何も言わない。そんな弟の様子で何か察したのか、サムは怒りでその顔を歪ませる。
「お前、まさかまだあの翼人と……」
村人がひそひそ声で、噂し始めた。ヨシアが翼人の娘と、村の恥だよ、と。
「どうなんだ? ヨシア!」
サムが声を荒げ問い詰めると、ヨシアは立ち上がり部屋から逃げ出してしまった。
タバサは、いつもの無表情で興味なさそうに、その光景から顔を逸らした。
その日の夜。
村長の家、一番の客間をあてがわれ、タバサはベッドに寝転がり本を広げていた。サソリは窓際に置かれた椅子に座り、夜空を眺めながらタバサに話しかける。
「昼間の翼人、どう思う?」
「……手加減されていた」
「ああ、あいつら村人を殺す気はなかったようだな」
タバサが翼人と戦った時に感じた違和感。翼人たちには、戦いの根幹ともいえる殺意がなかった。その証拠を示すように、昼間の翼人との戦いで怪我を負った村人はいなかった。タバサたちが村人たちを助けに入らなくても恐らく、死者は出なかっただろう。
「どうして?」
「さあな? 直接聞いてみればいいんじゃないか?」
サソリがそう言い、指を動かすと女性の悲鳴が聞こえ、次いで部屋に翼人が飛び込んできた。
タバサが部屋に入って来た翼人に目を向けると、昼間、他の翼人を止めに入った美しい翼人アイーシャだった。
「この部屋を覗き込んでいたから、捕まえてみたが……どうする?」
アイーシャは、何が起きたか分からず目をぱちくりさせている。すると、部屋の扉が勢いよく開き、タバサの魔法の邪魔をした少年ヨシアが入って来た。
「お前ら! アイーシャに何をしている!」
ヨシアはアイーシャを守るように、両手を広げ立ちふさがる。
「どうする?」
「話を聞く」
サソリがめんどくさい事になった、とタバサに意見を求め、タバサが表情を変えず、冷静に、話合いを目の前の二人に求める。
落ち着いたヨシアとアイーシャから、タバサたちは事情を聞いた。
「つまり、翼人たちは悪くないから、退治するのはやめてくれというのか?」
二人の話を聞いているのか、いないのか、その表情からは窺い知れないタバサの代わりにサソリがヨシアに確認する。
「はい、翼人たちの所為で冬を越せないなんて、大嘘なんです。翼人たちの住んでいる辺りの木を切らなくても、生活はできるんです。他にも木はたくさん生えているから、でも翼人たちが住んでいる辺りの木が高く売れそうだって村のみんなが言って……」
ヨシアは悔しそうに声を震わす。
「もともと、この森に住んでいたのも翼人たちなんです。後からやって来たのは僕たちなのに……。昼間の事だって、村のみんなが翼人たちの住処を奪おうとしたから、翼人たちは仕方なく反撃しただけなんです。村のみんなにアイーシャたちの住むところを奪う権利なんてないのに」
「……ヨシア」
うなだれるヨシアの手にアイーシャがそっと手を置く。ヨシアはその手を握り返し、アイーシャに微笑みを向ける。
「僕はアイーシャに助けられたんです。森で足を怪我した時に魔法で治して貰ったのが切っ掛けで、何回かこっそり会って話をする内に、気付いたら、お互い惹かれあっていて、種族は違うけど、愛し合うようになっていたんです」
話し終えたヨシアは、タバサの足元に跪き、懇願する。
「お願いします! 騎士さま! 翼人たちに危害を加えるのを、追い出すのをやめて下さい! 僕はアイーシャと離ればなれになるなんて嫌なんです! どうかお引き取り下さい! それかお城に訴えてください、翼人たちは悪くないって! 村のみんなは僕が説得します! だから、どうかお願いします!」
小さくタバサは言った。
「無理」
「そこをなんとか! お願いします!」
ヨシアは唇を噛み締め、握り拳を振るわせ、頭を下げる。
「任務……だから無理」
ヨシアの顔が歪んだ。
「そんな! これだけ頼んでもだめなのか? あなたには、貴族には心というものはないのか? 命令どおりに動く? それじゃあただの操り人形と同じじゃないか!」
ヨシアが怒りから、勢いよく立ち上がり、タバサを親の仇を見るように睨み付ける。
そんなヨシアをサソリが叱責する。
「落ち着け、小僧。タバサもガキの使いで来ている訳じゃないんだ。翼人は悪くないから、討伐できませんでした、と言って任務を放棄できると本当に思っているのか?」
「それは……」
ヨシアは言葉に詰まる。
「仮にできたとしても、すぐに代わりの騎士が来て、翼人を討伐するだけだ」
「じゃあ、どうすればいいんだ!」
「オレが知るか。自分で考えるんだな」
サソリは無慈悲に言い放つ。
ヨシアは八方ふさがりの状況に、力なく床にへたり込んでしまう。
そして、悔しそうに自身の想いを語る。
「皆が悪いんだ。翼人たちと協力すれば、もっと生活が豊かになる可能性だってあるのに、お互い協力しなければ、できないことだってあるのに。同じ森で暮らす仲間なのに……」
「ヨシア」
意気消沈するヨシアをアイーシャが悲しそうに見つめていた。
そんな二人を見たタバサがすっと立ち上がり、なんの感情も窺えない、いつもの目をしたまま言う。
「いい考えがある」
皆の視線がタバサに集まる。タバサの顔はいつもの無表情だったが、サソリには、タバサの顔が自信満々という風に映った。その顔を見たサソリは、言い知れぬ寒気が背筋に走るのを感じた。
翌朝……。
村に恐るべき事態が起きた。
「竜が! 竜が出たぞ!」
「逃げろ! 早く逃げろ! 食べられるぞ!」
十五メイルはあろうかという一匹の竜が村の広場に降り立ち、天を裂かんばかりの咆哮を上げる。それを見た村人たちは、蜘蛛の子を散らすように、我先にと逃げ出す。
竜はハルケギニア最強の幻獣である。田舎に暮らす平民にとって、竜といえば嵐や寒波と並ぶ恐怖の対象だった。自然災害に近い、どうにもならない相手であった。村人たちが悲鳴を上げ、逃げ出すのも無理からぬことだった。
竜は逃げ惑う村人たちを尻目に、広場で暴れ狂い、その成人男性の胴より大きい尻尾をうねらせ井戸のつるべを破壊し、前足に生えた大きな爪で地面を抉り取った。
このままでは、竜に家々を破壊され、住むところがなくなってしまうと思った村人たちは、城から来た騎士に助けを求めるため、タバサの居る部屋に駆け込む。
「騎士さま! 助けてください! 竜が! 広場で竜が暴れているんです!」
部屋で精神統一をしていたタバサに、村人たちが縋るように助けを求める。
「いいでしょう。竜退治この花壇騎士タバサが引き受けた」
タバサが無表情のまま、重々しい口調で言うと、村人たちの間から歓声が上がる。
「竜と戦えるなど武人としての血が騒ぐ。精神集中、一呪入魂、仇敵殲滅、雪風魔法」
そして、タバサがなにやら怪しい言葉を呟きながら、マントをひるがえし、颯爽と竜の居る広場へと向かう。それを見た村人たちは、尊敬と興奮の入り混じった眼差しでタバサを見ていた。この騎士さまなら、自分たちにはできないことをやってくれるに違いない、と。
広場に着いたタバサは、竜と対峙する。
「竜よ。今すぐ暴れるのをやめろ。さもないと、最強呪文が貴様を滅ぼすだろう」
タバサは淡々と呟くように竜に警告するが、竜は気にした様子もなく、羽をはばかたせつむじ風を起こす。
「所詮は獣、言葉は通じないか。ならば喰らえ」
タバサは手に持った杖を振った。
「最強呪文。風棍棒!」
戦いを見守る村人たちから、どよめきが起こる。最強呪文だ! 最強! でも棍棒? と一部首を傾けながらも。
タバサの杖の先から、風の塊が飛んだ。しかし、竜はその巨体に見合わぬ速度で、風の塊を躱す。
「今のを躱すか。ならば! 次はこれだ!」
タバサは竜に向けて、次々に魔法を放つ。その度、村人たちから歓声が上がる。
竜に向かって、氷の矢が、風の塊が、雷が放たれた。
次々襲い来る魔法に、たまらず竜は空高く舞い上がる。
「竜が飛んだ! 空に逃げたぞ!」
村人たちが叫ぶ。タバサは頷き、呪文を唱える。
「騎士とて空ぐらい飛べる。竜よ、逃げられると思うな」
タバサの体が魔法で空に浮き、竜を追いかける。
騎士と竜の空中戦である。村人たちは固唾を飲んで見守っていた。そして、村人たちの死角に潜んでいたサソリもタバサの戦いを見守っていた。それどころか、竜を操って戦いに参加していた。
サソリたちが乗って来た竜籠の竜を操り、三文芝居を演じている自分たちに、サソリの口から大きなため息が出る。
何でオレがこんなことを……。それにしても、あいつあんなにも喋れたんだな? とタバサの普段見せないテンションの高さに驚きながら、タバサの作戦通り事を進めていた。
タバサは竜の攻撃を器用に避けているが、魔法を使わない姿を見た村人が叫ぶ。
「騎士さま! 魔法を使わないとやられちまいますよ!」
タバサは空中で首を振った。
「今はフライを唱えている。他の呪文を唱えることはできない」
それを聞いた村人たちから血の気が引く。
「心配無用、村人たちよ。わたしにはこの杖がある。騎士の、メイジの武器といえば杖だ」
タバサは、節くれだった杖を高らかに掲げる。その姿は物語に出てくる勇者のようだった。
「竜如きに魔法など不要。この杖で叩きのめしてみせる」
自信ありげに語るタバサを見た村人たちからは、感動から大きな声援が上がる。
「騎っ士さま! 騎っ士さま! 騎っ士さま!」
村人たちが声を揃えての、騎士さまコールが起こった。この村人たちノリノリである。
あの騎士さまなら竜に勝てる! と村人たちの期待と興奮のボルテージが否応なく上がっていく。
「いくぞ!」
満を持して、タバサが杖を最上段に構え、竜に突撃していく。そして、竜の頭に向けて、杖を振り抜こうとした瞬間、ベシ! という間の抜けた音が辺りに響く。それは、タバサが竜の前足で羽虫の如く、叩き落とされた音だった。
「ええええええ!」
村人たちは目がこぼれ落ちそうなほど見開き、驚きの声を上げる。あれだけ自身満々だった騎士が呆気なく竜にやられたのだ。村人たちからしてみれば、絶頂からいっきに絶望にまで落とされた気分である。
竜の攻撃を体に受け、タバサがよろよろと地面に落ちていく。
「そんな……」
村人たちは地面に膝をついた。騎士さまがやられるなんて……。もうおしまいだ、と村人たちを絶望が支配する。
サムが地面に落ちたタバサの元に駆け寄る。
「騎士さま! 大丈夫ですか!」
「まさか、このわたしが、やぶれるとは、グフ」
タバサが棒読みで言うが、サムは気付かない。
「あの竜に弱点はないんですか?」
「一人では無理。皆が一致団結しなくては……勝てない。ガク」
そう呟くと、タバサは気絶した。
サムは困り果てた。騎士が勝てなかったのだ、村人たち総出で戦っても勝てる気がしなかった。しかも相手は空の上である。
その時。うなだれる村人たちを怒るようにヨシアが叫んでいた。
「罰が当たったんだよ! 翼人たちを追い出そうとするから! 翼人たちと仲良くしていれば、あんな竜なんて倒せたかもしれないのに!」
「翼人たちと仲良くなんてできる訳ねえ!」
サムがヨシアの胸倉を掴み、否定するが、ヨシアはサムの目を見据え、反論する。
「できるさ!」
ヨシアが叫ぶと、アイーシャが茂みからから出てきた。少し後ろめたいような表情をしている。
「てめえ……、やっぱりその鳥モドキと別れていなかったんだな!」
「今はそんな事を言っている場合じゃない! いいから僕たちに任せて!」
サムは怒りに顔を歪ましたが、いつになく頼もしいヨシアの言葉を聞いて、怒りを治める。
ヨシアとアイーシャが見つめ合い。そして、頷く。それが合図だったようにアイーシャが竜に向かって行く。
「みんな! 力を貸して!」
アイーシャが叫ぶと、茂みから翼人たちがいっせいに飛び出してくる。そして、十人ほどの翼人たちが幻惑するように竜の周りを飛び回る。
「今だ、みんな! アイーシャたちが竜の気を引いている内に、矢を射かけるんだ!」
「わ、わかった! でも、矢が翼人にも当たるんじゃ……」
「大丈夫だ! アイーシャたちには、矢除けの魔法が掛かっている。矢が当たることはない」
村人たちは頷くと、ヨシアを筆頭に弓矢を手に持ち、次々と矢を射る。
雨のように降り注ぐ矢に、これはたまらないというように、竜は村に背を向け、逃げ出していく。
それを見た村人たちから勝利の雄叫びが上がる。
「やった! 竜が逃げていくぞ!」
「俺たち助かったんだ!」
「翼人たちが助けてくれたおかげだ!」
村人の中から翼人に感謝をする声も聞こえる。命が助かったという安堵感から、村人たちの表情はみな笑顔だった。そして、それを見た翼人たちの顔にも笑みが浮かぶ。
ヨシアとアイーシャは手と手を取り合い、その光景を嬉しそうに見守っていた。
「調子のいい奴らだ」
気絶しているタバサの隣にやって来たサソリが吐き捨てるように言った。
その声を聞いたタバサがむくりと立ち上がる。
「作戦成功」
村人たちと翼人たちが喜び合う姿を見て、タバサはいつもの無表情のまま、呟く。
そんな二人の元のサムが駆け寄ってくる。
「ありがとうございます! 騎士さま!」
タバサは首を横に振り、答えた。
「わたしは何もしていない」
「いえ、この状況、騎士さまが考えたんでしょ。でなきゃ話が出来すぎていますよ。弟は良い奴だがこんなこと考え付くはずがありません」
サムはタバサに深々と頭を下げた。
「騎士さま、本当にありがとうございました! もしかしたら、今回の事で翼人と仲良くやっていけるかもしれません。弟も想い人と一緒になることができるかもしれません」
「それでいいの?」
サムはヨシアとアイーシャの仲を反対していたのでは、と疑問に思ったタバサがサムに尋ねた。
「俺は村長の息子だ。……村の事を考えて、心を鬼にしなくちゃならねえ時もある。でも、弟が大切だって気持ちもあります。あいつには幸せになって欲しいって、立場が気持ちに従うことを許さないんです」
だから、とサムは言葉を続け。
「今回の事は本当にありがとうございました!」
サムはにっこりと笑った後、再び頭を下げた。
サムの気持ちを聞いたタバサは考える。
仲の良かったはずの父と叔父。でも、父は叔父に殺された。そのことにも何か理由があったのだろうか、その立場が気持ちに反して、あのような事が起こったのだろうか。
そこまで考えて、タバサは頭を振る。何を迷っているのだ、余計なことは考えるな、父は殺された、それが全てだ。それ以外の事実はいらない。
タバサは自身の心に芽生えた疑問を押し殺した。
三日後……。
村の広場は陽気な騒ぎに包まれていた。
ヨシアとアイーシャの結婚式が行われていたのである。
竜を協力して撃退したことで、村人たちは考えを改め、翼人たちと和解することになった。もちろん、翼人掃討の依頼は取り下げられた。
これからも、些細なことで二つの種族が対立することもあるだろう。しかし、お互いが協力しあえるということを学んだ二つの種族は、きっと共に同じ道を歩んでいけるだろう。なにせ、二つの種族の間には、架け橋となる微笑ましいカップルがいる。
広場の真ん中、翼人たちの礼服を着たヨシアと、純白のウェディングドレスに身を包んだアイーシャの姿がきらめいていた。二人の幸せそうな姿を、村人たちが、翼人たちが、心の底から祝福していた。
そんな騒ぎをよそに、タバサたちは竜籠に揺られ空の上にいた。どうしても式に出席して欲しいとヨシアとアイーシャに頼まれたので、村に残り、とりあえず式に出席はしたので、式の終わりを待たずに帰路についていた。
竜籠に乗りしばらく揺られていると……。
アイーシャに跨ったヨシアが追いかけてきた。二人はありがとうございます! と何度も叫んだ。
しかし、タバサはじっと本を見つめるばかりで、二人の方を見向きもしない。二人はしばらく並行して飛んで、最後に花束を窓からサソリに渡すと、村へと引き返していった。
サソリは受け取った花束を、タバサに突き出したが、タバサは首を振る。
「いらない」
タバサが興味なさげに呟く。
さて、この花束をどうするか? とサソリが考えながら、花束を目に映す。白くて美しい花だった。まるで先ほどの翼人の花嫁を表しているようなそんな花だった。そして、サソリはあることを思い出す。
サソリは花束から花を一輪抜き取ると、チャクラ糸で操り、目の前に座るタバサの髪にそっとさした。
「……なに?」
タバサは本から顔を上げ、サソリの行動の意味を尋ねてくる。
「……似合っているぜ」
「似合わない」
サソリがいつもの薄い笑みを浮かべ、答えるが、タバサはからかわれたと思ったのか、いつもよりぶっきらぼうに否定する。
タバサの髪に飾られた花を眺めながら、サソリはかつての仲間のことを思い出していた。
『神からの命令よ』
タバサの髪の色と似た青紫色の髪を持つ女性。アイーシャと同じように翼を、紙の翼を操る天使。紙使いにして、神の使い。儚くも美しき花、小南。
いつも紙でできた造花を髪にさしていたな、とサソリは昔を懐かしむ。
「どうしたの?」
タバサの髪を見つめていたことを、訝しんでタバサが聞いてくる。
サソリは何でもない、と手を振り、窓から外を眺めながらぼんやりと呟いた。
「あいつらの傀儡でも造るか……」
サソリはかすかに笑みを浮かべた。