雪風は赤い砂と共に   作:火の丘

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感情

 トリステイン魔法学院。それは貴族の子弟たちが魔法だけでなく貴族としての礼儀作法や立ち振る舞いを教わる全寮制の学び舎。

 その造りは真ん中に一本の大きな塔、それを囲むようにして五芒星のかたちに配置された五つの塔。まるで大きな城を思わせる荘厳な建物だ。

 それぞれの塔には魔法の講義を受ける為の教室、図書館、食堂、さらには大浴場なども完備されていた。

 サソリはタバサに学院を一通り案内して貰ってから、タバサの部屋へとやって来た。タバサの部屋があるのは、五芒星に配置された五つの塔の一つ、その五階部分にあった。

 

「ここがお前の部屋か?」

 

 サソリは部屋の中を見回す。一人部屋にしては大きく、ベッドや机など置かれている調度品はどれも高価なものに見えた。そして部屋の中で一際場所を取る物に、サソリは目を引かれる。

 

「本が好きなのか?」

 

 彼の瞳に映ったモノ。それは本棚だった。

 持ち主の性格をあらわすように色々な種類の本がきれいに整頓されて並べられている。

 サソリの問い掛けにタバサは頷く。

 

「そうか」とサソリが呟き、適当に一冊の本を手に取りページをめくると、見たことにない文字の羅列が並んでいた。

 

「……?」

「どうしたの?」

「いや、文字が読めなかっただけだ。こちらの文字も覚えないとダメだな」

 

 元いた世界とは文化が違うので読めなくて当然なのだが、サソリはバツが悪そうに答えた。

 すると、タバサが本棚から別の本を取り出しサソリに手渡す。

 

「この本だったら、簡単」

 

 サソリが渡された本をめくると、剣を持った少年が竜に立ち向かう姿が描かれている挿絵が目に入る。

 サソリが受け取った本、それは絵本だった。

 幼い時に両親に読んでもらった本に似ているな、という感想をサソリに抱かせる。彼の脳裏にほんの少しだけ、懐かしい記憶が思い起こされた。

 

「イーヴァルディの勇者」

「それがこの本のタイトルか?」

 

 コクリとタバサが頭を縦に振る。

 サソリはペラペラと本のページをめくっていく。

 絵本だけあって文字が少なく、挿絵の方が紙面の殆どを占めていた。

 描かれた絵の内容から、文字の意味を推測しようとするサソリに、タバサが提案する。

 

「わたしが文字を教える」

「いいのか?」

 

 視線を本から少女に移し、サソリが尋ねると少女は小さく首肯する。

 

「かまわない」

 

 サソリはその言葉に甘え、タバサから文字を教わることにした。

 

 

 タバサから文字を教わりだして十数分、サソリは簡単な文章なら読めるようになっていた。

 

「すごい」

 

 サソリの呑み込みの速さに驚きの声を上げるタバサ。

 だが、彼女の言葉を否定するようにサソリは首を振る。

 

「いや、違うな。お前に言葉を教わるたびに、文章の意味が一瞬で理解できるようになっている」

 

 タバサがわずかに目を細める。

 

「召喚の影響?」

 

 サソリが文章を読めるようになった理由を推測するタバサ。

 

「恐らくはな」

 

 そこでふと、サソリは気付く。今、会話している言葉も普通に通じているということに。

 

「タバサ、世界地図はあるか?」

「……?」

 

 サソリの急な申し出に疑問を感じたが、タバサは本棚から地図を取り出し、机の上に広げる。

 地図を眺めながらサソリが呟くように語る。

 

「オレはこの世界の人間じゃない」

 

 サソリの語る突拍子もない内容に、タバサは訝しげに小首を傾げる。

 

「どういう意味?」

「そのままの意味だ。オレのいた世界では月は一つだった。それに世界地図も見たことのない地形だ」

「……!」

 

 サソリの発言にさすがに驚きを隠せないタバサ。

 彼女の眉がわずかに上がった。

 サソリは、少女の驚きを気にした様子もなく、さらに発言を続ける。

 

「なにより魔法がない」

 

 それはおかしい、と言うようにタバサが口を挟む。

 

「あなたも石を浮かせていた。あれは?」

「あれは忍術だ。オレには、お前が使った魔法のように空を飛ぶことはできない。それに、オレとの戦いでお前が見せた性質変化をすべて使える者も、オレのいた世界にはほとんどいない」

 

 サソリの話を聞いたタバサは、軽く目をつぶった。

 彼の語る言葉のすべてを理解することは、タバサにはできなかったようだったが、

 

「あなたが別の世界から召喚されたということは理解した」

 

 サソリのことは信じているようで、瞳を開けると、真っ直ぐに自身の使い魔を見つめて言った。

 

「話は戻るが。オレが別の世界から来たにも関わらず、オレ達の言葉は通じている。恐らく、オレ達は別々の言語で話しているはずなのに」

「犬や猫を使い魔にすると、人の言葉を喋ったりできるようになる」

「つまり会話が成立しているのも召喚の影響か」

 

 得心がいった、という様子のサソリ。

 

「さっき感じた違和感の正体がこれでわかった」

「違和感?」

「あなたが文章を読んでいる時、書いてある事と微妙に違う言葉を口にしているときがある。でも間違っていない。むしろよく要約されている」

「なるほどな。いったんオレの頭の中で翻訳されて、口に出すときにまたこちらの言葉に翻訳されているから、その差異が違和感の正体という訳か」

 

 サソリの考えを聞いたタバサが頷く。

 

「まとめると。言葉の意味を教わるだけで、文字自体を憶えなくても文章を読めるようになるということか」

「そういうこと」

 

 召喚にはなかなか便利な機能が付いているな、とサソリは感心した。

 

「それならやることは決まったな」

「言葉の意味を重点的に教えていく」

「ああ、頼む。文字を覚えるのはとりあえず後回しだ」

 

 サソリがタバサに言葉の意味を教わりだしてどれぐらいの時間が過ぎた頃だろうか。部屋のドアがノックされ、部屋の主の返事を待たずにドアが勢いよく開かれたのは。

 

「フフフ、タバサ。男の子と二人きりで何をしているのかしら?」

 

 部屋に入って来たのは、いやらしい笑みを携えたキュルケだった。

 彼女は部屋の中で二人が机に向かい勉強している様子を見て、

 

「若い男女が二人きりで部屋にいるのに、何をしているのかと思えば勉強しているなんて……」

 

 肩を落とし、ひどくガッカリした様子でため息交じりに呟く。

 

「タバサにもやっと彼氏ができて、恋の季節が来たと思ったのに」

「彼氏じゃない使い魔」

「似たようなものよ」

「全然違う」

 

 相変わらずのキュルケに、タバサが辟易とした様子で応える。

 

「何の用で来たんだ?」

 

 二人の会話を聞いていたサソリがキュルケに尋ねた。

 サソリの質問に、今思い出したというようにキュルケが用件を伝える。

 

「あ! そうよ、タバサ。もう夕食の時間よ。あなたが来ないから迎えに来たのよ」

 

 タバサが時計に目をやる。勉強に集中しすぎて、夕食の時間を忘れていたのだろう。

 タバサがサソリに向き直り「夕食」と呟く。

 彼女の短い言葉の意味は恐らく、自分も夕食に誘っているのだろう。

 だが、その会話を聞いていたキュルケが少し言い難そうに、タバサに声をかける。

 

「タバサ。サソリは使い魔だから食堂で食事はできないわよ」

「お願い」

 

 短い言葉を発し、透き通るような青い瞳でキュルケを真っ直ぐ見つめるタバサ。

 少女の視線に根負けしたというようにキュルケが小さく頭を振り、口元に微笑を浮かべる。

 

「ハァ~。仕方ないわね。今日は無理だけど、明日からサソリが食堂で食事できるように頼んでおくわ」

「ありがとう」

 

 キュルケに一礼するタバサ。

 二人の会話を聞いていたサソリは、タバサの短い言葉をキュルケはよく理解できたな、と二人の仲の良さを実感した。

 タバサがサソリに向き直り、頭を下げる。

 

「ごめんなさい」

「食事のことを言っているのか? それなら気にするな。オレは……」

 

 言葉の途中で言い淀むサソリ。

 そんな彼を不思議に思ったのか、タバサが首を傾げる。

 

「どうしたの?」

「いや、何でもない」

 

 サソリは、食事は必要ない、と言おうとした。自らの身体を傀儡に造り変えてからは、食べ物を必要としない身体になっていたから。

 しかし、タバサに召喚された時に、なぜか生身の肉体に戻っていた。生身の肉体という事は、食事をしなくてはいけないということである。

 

「オレに気にせず行って来い」 

「……わかった。行ってくる」

 

 少し申し訳なさそうなタバサとキュルケの二人が部屋から出て行ったのを見送ったサソリは、開け放した窓に視線を向ける。

 夜空には、大きな赤と青の二つの月が浮かんでいた。

 彼は幻想的な双月を鳶色の瞳に映しながら考えを巡らす。

 

 心を殺したはずの自分がなぜあんな少女に興味を持ち、使い魔になったのだろうか? 

 

 それはかつてのサソリからでは考えられない事だった。

 サソリは何百何千と人を殺してきたがそれで、心が何かを感じたことはなかった。

 他者のことを顧みない、個人主義者。それが少女の従僕になった現状を是としている。

 ――なぜだ?

 心が変わる切っ掛けがあったとしたら、あの時、答えを得た事によってオレの心にも変化があったということなのか……。

 

 考え事に没頭するサソリ。そんな彼の思考は、突然、真下の部屋から響いてき大きな声によって現実に引き戻される。

 

「じゃあどうして俺は、この世界にやって来れたんだよ!」

「そんなの知らないわよ!」

 

 少年と少女が怒鳴りあっているようだ。

 痴話喧嘩か?

 言い争う声を聴いたサソリは真面目に考えるのが馬鹿らしくなり、窓を閉め、ため息まじりに呟くのだった。

 

「くだらねェ」

 

 

 数十分後……。

 部屋のドアがノックされ、サソリがドアを開けると、そこにいたのは銀のトレイを持ったタバサだった。トレイには温かそうなスープと白パンそれにミルクがのっていた。甘いにおいが鼻腔をくすぐる。

 

「夕食」

「ああ、悪いな」

 

 サソリは生身の肉体に戻ったからといってすぐに食事が必要な訳ではなかった。数日ぐらいなら飲まず食わずでも問題なかったが、タバサの厚意を無下にもできず、食事を有り難く頂くことにした。

 何十年ぶりの食事だろうかと思い起こしつつ、スープをスプーンで一口すすって口に運ぶ。

 温かさと懐かしさを感じさせる味が口の中に広がる。

 

「おいしい?」

「ああ」

 

 タバサの質問に頷き、無言で食事を進め、あっという間にサソリは夕食を食べ終えた。

 食事を終え、一息ついているとタバサが無言で見つめていることにサソリは気付く。

 

「何だ?」

「どうしてわたしの使い魔になってくれたの?」

 

 タバサはずっと感じていた疑問を口にした。もし立場が逆なら、自分が召喚されていたら、使い魔になってくれと頼まれても断っていただろう、と考えるタバサ。でも、サソリは自分の使い魔になってくれた。有り難いと思う反面、不思議にも思っていたのだ。

 タバサの問いに、サソリは彼女に瞳を合わせ、言葉を紡ぐ。

 

「お前に少し興味があるからだ」

「興味?」

 

 タバサが反芻するように呟いた言葉に、サソリが首肯する。

 

「ああ、お前は自分を人形と言った。それがかつてのオレ自身と重なって見えた。それで少しお前に興味がわいたという訳だ」

「人形になりきれなかった人間?」

 

 サソリの台詞を思い出したタバサが確認するように尋ねた。

 すると彼は、自嘲するように肩をすくめる。

 

「そうだ。オレは人形にはなれなかった。感情を完全に消すことができなかったからな」

 

 タバサの感情の窺わせない青い瞳を見つめ、サソリは言葉を続ける。

 

「そして、それはお前もだ。タバサ、お前はやさしい奴だ」

 

 彼の言葉に、タバサは瞳を揺らす。

 

「なぜそう思うの?」

「召喚したオレを家族の元に帰そうとしただろ。それに」

 

 サソリは薄く笑い、答える。

 

「一流の忍びは拳を一度交えただけで、相手の心の内が読めてしまうものだ」

 

 サソリの答えを聞いて、一瞬呆気に取られた表情を浮かべるタバサ。すぐにいつもの無表情に戻ると、彼女はお返しとばかりに切り返す。

 

「あなたもやさしい」

「なに?」

 

 タバサの発言に怪訝な声を出すサソリ。

 

「わたしの使い魔になってくれた」

 

 少女の紡いだ言葉にサソリが反論しようと口を開く前にタバサが、

 

「それに、一流のメイジは杖を一度交えただけで、相手の心の内が読める」と言葉を続ける。

 

 今度はサソリが呆気に取られ、そして笑い出す。

 

「ククク……お前はやさしい奴じゃなく、おもしろい奴だったみたいだな」

 

 サソリは笑いを噛み殺しながらタバサを見ると、彼女の顔は無表情だったが、サソリの瞳には、タバサが微かに笑みを浮かべているように映った。

 

 

「ところでシノビってなに?」

「知らないで言ったのか? 忍びというのは……」

 

 タバサが今までサソリとの会話で疑問に思っていたことを尋ね、それにサソリが答えていく。

 

 しばらく、そんなおだやかな時間が過ぎ……。

 

「そろそろ寝る」

 

 そして、タバサは言いづらそうに、口を開く。

 

「ベッドが一つしかない」

 

 確かに、サソリが部屋を見回してもベッドは一つしかない。部屋の隅に藁を重ねているが、もしやそこで寝ろということか、と考えていると、

 

「……一緒に寝る?」

 

 タバサが消え入りそうな声で呟いた。その顔はほんのり紅く色づいて見える。

 

「気を使うな。オレなら藁の上だろうがなんだろうが大丈夫だ」

 

 サソリからしてみれば、任務で野宿することなど当たり前だったので、雨風が凌げるだけで十分だった。まあ、傀儡になってからは寝る必要もなかったが。 

 

 タバサがまだ何か言いたげにサソリを見つめてくる。

 

「何だ?」

「……服を着替える」

 

 恥ずかしげにぽつりと言葉を発するタバサ。

 

「ああ、気が付かなかった。お前でも恥ずかしがるんだな」

 

 サソリが皮肉を言うと、タバサが無言で睨んでくる。

彼女の視線から逃げるように「着替えたら呼べ」そう言って、サソリは部屋から出ていく。

 廊下に出たサソリは、壁に背を預け考える。

 これからのことを……。

 夜が一層闇を深くして、サソリの長かった一日がやっと終わる。

 


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