雪風は赤い砂と共に   作:火の丘

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 長らく更新できずに申し訳ございませんでした。
 もう、今までのストーリーなんて忘れちまったてばよ! という方に前回までのあらすじ。
 タバサの母の治療に成功したサソリ。タバサと共に魔法学院に帰ろうとしたその時、ガリア王家よりコボルド討伐の指令がタバサに下る。
 二人は、コボルド討伐の為にアンブランと呼ばれる村へと赴く。村人たちに歓迎されるタバサたちだったが、彼女らの来訪を不満に思う者が一人。
 その人物は、ユルバンという名の老戦士。彼は二十年前、村がコボルドに襲われた際に勤めを果たせなかったことを悔いており、どうしてもコボルド討伐を自分の手で成し遂げたかったのだ。
 だが、村の領主であるロドバルド男爵夫人は、ユルバンがコボルド討伐に赴くのを反対していた。彼女は長年仕えてくれたユルバンのことを本当の家族のように思っており、彼が危険を冒すのを見ていられなかったのだ。タバサを呼んだのも、ユルバンを思ったらこその行為だった。
 タバサはロドバルド男爵夫人から、自分もコボルド討伐に連れて行ってくれ、とユルバンに言われても断って欲しいと頼まれる。ロドバルド男爵夫人の想いを理解したタバサはその頼みを了承する。
 その日の晩。ロドバルド男爵夫人の予想通り、ユルバンがタバサの元を訪れ涙ながらに想いを語り、コボルド討伐に連れて行ってほしい、と願い出る。ユルバンの気持ちも理解できたが、ロドバルド男爵夫人との約束がある為、タバサは彼の願いを断る。
 そして、時刻は深夜という頃。村中に破壊音が響く。
 危険を察知したサソリが単身、破壊音のした現場へ向かうと、そこには数十匹からなるコボルドの群れとコボルドに襲われ倒れ伏すユルバンの姿があった。
 ユルバンを治療したサソリは彼と共にコボルドを相手取り、難なくこれを撃破する。遅れてタバサが二人の元に合流したその時、コボルドの群れの長であるコボルド・シャーマンが姿を現す。
 二十年前に村を襲ったコボルドの群れの生き残りで、その時、ロドバルド男爵夫人を負傷させたのは自分だと語ったコボルド・シャーマンにユルバンは激昂する。怒りに任せコボルド・シャーマンに突撃するユルバン。そんなユルバンを助成する為、サソリは己が絶技を振るう。サソリの力を借りたユルバンは、コボルド・シャーマンを倒すことに成功し、長年の悲願を遂げるのだった。
 だが喜びも束の間、新たな敵が三人の前に現れる。
 巨大な空飛ぶガーゴイルに乗る女シェフィールド。彼女は村人たちを操り、アンブランの村に隠された真実を語る。
 アンブランの村は二十年前にコボルドに襲われ全滅していたこと。そして村人たちは、一人残されたユルバンを悲しませないために、ロドバルド男爵夫人が自身の命と引き換えに創り出したスキルニルという魔法人形だったということを。
 その真実を前にユルバンは絶望し、タバサとサソリは想いをもてあそぶシェフィールドに怒りを顕わにする。
 サソリはかつての仲間『小南』を模した傀儡人形を口寄せし、操られる村人たちの動きを封じる。
 シェフィールドは次の手として、死んでいたはずのコボルド・シャーマンを生き返らせ、悪辣な方法でサソリに攻撃を加える。その攻撃を前に防戦を強いられるサソリを助けたのは、タバサ。彼女は、誰よりも強くなるという決意をサソリに告げ、コボルド・シャーマンに単独で戦いを挑み、見事これを討ち取るのだった。



夜空に舞うは想いの欠片

 ハルケギニアの東方、エルフの住む砂漠地帯サハラを超えたさらに東、ロバ・アル・カリイエと人々に呼ばれる地がある。

 その地にて、神に祈りを捧げる女が一人。

 美しい女だった。腰まで伸びた艶やかな黒髪、磁器のように白い肌、紫色の瞳は見る者の心を奪う宝石の如く。

 無言で一心に祈りを捧げる敬虔なその姿は、おいそれとは近づけない神秘的な雰囲気を醸し出していた。

 もっとも、それは女を見た周りの勝手な評価であり、ことのほか女が他の者より敬虔な心の持ち主というわけではなかった。

 目にしたこともない神の存在など、女は信じていない。

 なら何故、彼女は祈りを捧げるのか?

 それが彼女に与えられた役割だったからだ。

 女の人生に自由はなかった。

 まるで鳥かごの鳥のように。

 この世に生を受けた時から彼女の運命は決まっていたのだ。

 神官の娘として生まれ、親に命じられるままに生きてきた。

 まるで操り人形のように。

 それ以外の生き方を知らなかった。

 毎日、毎日、ただ繰り返される生活。

 そこに彼女の意思は存在しない。

 だから、女は願った。

 願うことしかできなかったから。

 神に祈るフリをして、女は願い続けた。 

 誰かこの檻のような世界から連れ出して、と。

 果たして、その願いが届いたのだろうか。

 ある日、女の目の前に光り輝く鏡のようなものが現れた。

 目の前の光の中に飛び込めば、この窒息しそうな生活から抜け出せる。そんな確証もない考えが女の心に湧きあがる。

 期待と不安。しかし、迷いは一瞬。

 女は光の中へと飛び込んだ。

 光を抜けた先は、数々の装飾華美な調度品や工芸品が並び、意匠を凝らした内装は思わず見惚れてしまうほどの絢爛豪華な部屋だった。だが、女の目を釘付けにしたのは贅を尽くした部屋などではない。

 息もできないとはこのことか。

 女の目の前には一人の青い髪の美丈夫が佇んでいた。

 年のころは三十過ぎだろうか。

 色鮮やかな青みがかった髪と髭に彩られた顔は、気品と高貴さを兼ね揃え、見る者を魅了する美貌に溢れていた。鍛え抜かれた剣闘士のような身体を眩いばかりの豪奢な服が包む。ただそこに立っているというだけで絵になる男だった。

 一目見て、女は目の前の男に心を奪われる。

 運命を感じた。

 この方に仕えるのがわたしの使命だ。本能的に女は直感する。

 だが、男の青い瞳は女を見てはいない。絶望に染まったその瞳はここではないどこか遠くを見つめているようだった。

 胸が締め付けられる。

 悲しみに心が埋め尽くされていく。

 だから女は少女のように求めた。

 ――わたしを見て欲しい。

 

 

 

 

 タバサがコボルド・シャーマンと死闘を繰り広げていた頃。

 上空では、サソリの操る傀儡人形とシェフィールドの操るガーゴイルが対峙していた。

 奇しくも人形使い同士の戦い。その戦いの行方は……。

 

「さて、そろそろ遊びもおしまいにしましょうか」

 

 シェフィールドが笑みを貼り付けたまま、大仰な仕草で両手を広げる。自慢の玩具を誇るように、見せびらかすように。

 すると、夜空に小さな黄色い光がぽつぽつと現れ始めた。

 

「貴方に見せてあげる。わたしの力を!」

 

 現れたのは、ガーゴイルであった。瞳を黄色く輝かせ、頭に羊のような螺旋形の角を生やし、背には蝙蝠の羽に似た翼を持つ体長二メイルほどの悪魔の姿を模したガーゴイル。

 カラスの群れのように、空を圧する数のガーゴイルたち。

 その数およそ百体。

 これほどのガーゴイルを同時に起動させ操ることなど、どんなに優れたメイジでも不可能な業だった。

 だが――

 

「御託はいいから、さっさと掛かってこい」

 

 臆した様子など微塵もなく、サソリが言い放つ。

 サソリの言葉を受け、シェフィールドはクスクスと笑う。

 

「強がりはよしなさい。人形一体でなにができるというの?」

 

 シェフィールドからしてみれば、サソリは虚勢を張る子供にしか見えなかった。彼が実力者なのは知っている。だが、これだけのガーゴイルが相手では勝負はすでに決まったようなもの。

 サソリに勝ち目などないのだ。

 もし、目の前の少年がこの戦力差を理解できていないのであれば、ただの馬鹿でしかない。

 強がりを吐く少年が、今にこうべを垂れ許しを請う姿を想像すると、シェフィールドは腹の底から笑いが込み上げてくる思いだった。

 

 愉悦の笑みを浮かべ、勝利を確信するシェフィールド。

 彼女は気付けていなかった。

 自分が一つミスを犯しているということに。

 この時、シェフィールドは目の前の少年の実力を自分の常識に当てはめ、推し測ってしまっていた。

 主に命じられたサソリの実力を測れ、という任務の意味を彼女はもう少し吟味するべきだったのかもしれない。

 百体のガーゴイル? その程度の戦力では全く足りない。

 かつて、たった一人で一国を滅ぼしたサソリ。人傀儡を失い、戦闘能力は以前に比べれば落ちているとはいえ、その身に宿した力は今も強大。

 故に、勝負は一瞬の内に幕を閉じることとなる。

 

「強がりかどうか、とくと見せてやる」

 

 サソリが指を動かす。傀儡人形に結びついたチャクラ糸が引き絞られ、弦を弾くような音が鳴り響く。

 その音は戦闘開始の合図のようでもあった。

 

 傀儡人形がガーゴイルから距離を取るように天へと高く、高く昇っていく。翼が風を切り、白い軌跡を描きながら空を翔ける。

 釣られる形で猛追するガーゴイルたち。

 空を飛翔する傀儡人形の動きがピタリと止まり、眼下に雲霞の如く押し寄せるガーゴイルの群れを確認すると、翼をゆったりと構えた。

 すると傀儡人形の背に生えた翼がみるみる大きく、どこまでも広がっていく。

 背に刻まれた口寄せ印より、次々に呼び出される膨大な量の紙片によって、まるで夜空を浸食するように一対の巨大な翼が展開される。

 目を剥くほどの大きな翼が羽ばたき、無数の紙がガーゴイルに向けて放たれた。旋風に乗って舞う紙は、村人たちを包み込んだ優しいモノではない。触れたものすべてを切り裂く鋭利なモノ。

 チャクラを流し込み硬化した紙は鉄と同等の強度を得る。

 ――紙手裏剣。

 小南が得意とした術の一つ。その術の会得難易度は忍術の初歩と言っていいものだが、サソリの操る傀儡人形が放った紙手裏剣は、数えるのも馬鹿らしいほどの数量だった。

 宙に踊る膨大な量の紙片。

 夜空が白一色に染まる。

 

「なっ!」

 

 その数の多さにシェフィールドの口から驚きの声が上がる。

 圧殺するかのように夥しい量の紙がガーゴイルを呑み込む。

 ガーゴイルは、傀儡人形の攻撃を防ぐすべを持ち合わせてはいなかった。

 鋭利な刃と化した紙片は、次々とガーゴイルをバラバラに切り刻んでいく。

 それは、一方的な蹂躙。

 無残にして無慈悲な光景。

 百体いたガーゴイルがすべて破壊されるのに、そう時間は掛からなかった。

 

「こんなことが……」

 

 理解が追いつかない。

 目の前で起きた出来事が信じられなかったシェフィールド。

 あれだけいたガーゴイルが、数十秒ですべて倒されてしまった驚きから、彼女は放心状態にあった。

 そんなシェフィールドの乗るガーゴイルに一枚の紙が貼りつく。紙よりジジジ、と導火線に火か付いたような音。

 次の瞬間、閃光が弾け、鼓膜をつんざく爆音が轟く。

 

「きゅあ!」

 

 思わずといったふうにシェフィールドの口から悲鳴が上がった。

彼女に追い打ちを掛けるように、息つく暇もなくガーゴイルに紙が貼りつき、次々と爆ぜる。

 瞬く間に、エイに似た姿のガーゴイルがその身の半分を削られ、遂には空を飛ぶ力を失ったのか、地上に落ちていく。

 

「――っ!」

 

 シェフィールドは墜落するガーゴイルから振り落とされないように必死にしがみついていたが、彼女の身体に青い糸が絡みつく。

 瞬間、恐ろしいまでの力で引っ張られる。その力に抗うことはできず、彼女はガーゴイルから手を離してしまう。

 その後は成すがまま、糸を辿るように宙を走り、最後には地面に叩き落とされる。

 

「がはぁ!」

 

 したたかに身体を打ち付けたシェフィールドが肺から息を吐き出す。

 そして、彼女の前には人影がひとつ。

 やはりというべきか、シェフィールドの眼前に立っていたのは、サソリ。冷徹な視線でシェフィールドを見つめていた。

 二人の瞳が合った瞬間、サソリがシェフィールドの首を片手で絞め上げる。

 

「終わりだ。……死にたくなかったら、村人を操るのをやめろ」

 

 ゆっくりと首を絞める力を増し、サソリは言い放つ。そんな彼の声には、有無を言わさぬ迫力があった。

 脅しではない。断れば、死あるのみ。

 だというのに、シェフィールドは笑う。ニタニタと。死に恐怖を感じていないかのように。

 

「ま、まだ人形の心配をしているなんて、ほ、んとうに。甘いわね」

 

 ――メギッ!

 シェフィールドの首が嫌な音を鳴らす。

 サソリが何の躊躇もなく、彼女の首の骨を折ったのだ。

 サソリはシェフィールドの首から手を離すと、小さく舌打ちをする。

 

「……隠れてないで出てこい」

 

 そう呟いた瞬間、シェフィールドの姿が真っ白な人形に変わる。

 次いで、

 

『出てこいと言われて、出て行く馬鹿がいると思う?』

 

 シェフィールドの声だけが辺りに響く。

 サソリが今まで相手取っていたシェフィールドは偽物だったのだ。

 

『存分に貴方の力は見せて貰ったわ。わたしの主が興味を示されるのも頷ける。……化物染みた強さね』

 

 サソリは声の出所を探ろうとするが、周囲に響く声はすれど、人の気配はまったく感じられなかった。

 

『貴方の相手をするには準備不足だったわ。今回は、わたしの負けね』

 

 あっさりとシェフィールドは自分の敗北を認める。

 しかし――

 

『でも、負けたままというのも癪に障るから、あの人形たちは一生、わたしに操られたままでいて貰うわ』

 

 楽しそうにシェフィールドは笑う。

 

『わたしの命令にだけ従う人形。たいして役に立ちそうにないガラクタだけどね』

 

 闇に笑い声が木霊す。

 サソリを挑発するように。

 

「黙れ」

 

 サソリが怒気を孕んだ声を放つ。

 シェフィールドがわざと煽っていることは理解できていたが、心の内から溢れる怒りを抑えることができなかったのだ。

 

『滑稽ね。大層な力を持っていても貴方に人形は救えない。いえ、人形だけじゃない。貴方は存在するだけで周りを不幸にする』

 

 シェフィールドの言葉にサソリの眉がぴくりと跳ねる。

 

『だってそうでしょ? 貴方がいなかったらあの老人は残酷な現実を知らずに居られた。人形たちもわたしに操られずに済んだのに……。この事態を招いたのはすべて貴方の所為。その化物染みた力が不幸を呼ぶのよ』

「……」

 

 サソリは何も言い返さなかった。いや、言い返せなかったのかもしれない。シェフィールドの言葉に同意できる部分があったから。

 サソリの力は此処ハルケギニアでは異質。強大過ぎる力だ。

 先日、ルイズに語ったように大きな力を振るうということには相応のリスクがつきまとう。忍び世界にいた人柱力たちがそうであったように、大きな力は周りから疎まれ、畏怖される。

 そして、本人が望もうが望むまいが、その力を利用せんとする者、恐怖から排除しようとする者、さまざまな思惑はあれ、力の周囲には引き寄せられるように争いが集まる。

 忍び世界にいた頃は、犯罪者として手配書に名を記されていたサソリ。今さら、自身の命を狙われようが気にも留めないが、周りの人間は違う。

 今回のような事態がまた起こり、巻き込まれた人間は、……青い髪の少女はサソリをどう思うだろうか? やはり、恨まれ、疎まれるのだろうか、それとも……。

 

「しっかりせんか、小僧!」

 

 言われるがままのサソリに檄が飛ぶ。発した人物に目を向けると、

 

「……じじい」

 

 瞳に映ったのはユルバンだった。

 

「あんな奴に何を言わせておる! ビシッと言い返さんか! それとも何か? おぬしの所為でわしが不幸になったとでも思って責任を感じているのか? わしがおぬしを恨んでいるとでも思っているのか? だったらそれは、勘違いも甚だしい!」

 

 鼻息を荒くし、ユルバンがサソリを大喝する。

 先ほどまで、絶望に打ちひしがれていたユルバンの豹変ぶりにサソリは呆気に取られた。

 

「幾度もわしを助けてくれたばかりか、皆の為に怒ってくれたおぬしに感謝こそすれ、恨むなどしようものか。わしが恨む相手がいるとしたら……。それは、奥さまを、皆を守ることができなかった、……わし自身だ」

 

 顔のしわを深くし、こぶしを強く握り締め、老人の口から自嘲の言葉がもれた。

 

「薄々、気付いてはいた。……皆にあるわずかな違和感に。いや、目を逸らしていただけか。わしは真実を知るのが怖かったのだ。二十年間、ずっと犯した罪から逃げ続けていた意気地なしよ」

 

 アンブランの村人たちの微妙な変化に、長年共に暮らしてきたユルバンが気付かない筈がなかったのだ。

 かつて痛みを知る者は言った。『大切な人の死ほど受け入れられず、死ぬはずがないと思い込む』と。

 ユルバンはまさにその言葉通りだったのだろう。罪悪感と哀しみが彼に真実から顔を背けさせていたのだ。

 

「だが、その罪から逃げるのも終わりだ。……わしが皆を止める。それが二十年前に皆を守れなかったわしの役目だ」

 

 サソリはユルバンの決意を聞いて、何事か言葉を紡ごうと口を開くが、そこから言葉が発せられることはなかった。彼には分かっていたからだ。操られる村人たちの魂を救うことができる者がいるとしたら、ユルバンしかいない、と。

 

 無言で佇むサソリに、ユルバンが口元に淡い笑みを浮かべ、

 

「心配せんでも、わしなら大丈夫だ。だから、そのように辛そうな顔をしてくれるな」

 

 元気づけるように言う。

 その言葉に戸惑ったのはサソリだ。

 

「……オレが辛そうだと?」

 

 ユルバンに思わず聞き返してしまう。実のところ、サソリの表情は常と変らぬモノだったが、老人には彼が苦悩しているように見えたのだ。まるでサソリの心の奥底にある感情を読み取ったかのように。

 

「ああ、辛そうな顔をしておるよ」

「……そうか」

 

 サソリは表情を隠すように顔をうつむかせ、ぽつりと短く応えた。

 しばしの沈黙の後、彼がおもむろに顔を上げ、ユルバンに真剣なまなざしを向ける。

 

「今から、村人を縛る術を解く。その後は」

「ああ、分かっておる」

 

 決意を胸に、力強くうなずくユルバン。

 

『フフ、村人を止める? その老人に何ができるというの? わたしの力は絶対。魔導具である限り、わたしに操れないモノはないわ。縛りを解いた瞬間、人形たちは貴方たちに襲いかかるわよ?』

 

 二人の話を聞いていたシェフィールドが嘲笑う。できるはずがない、と。

 そんなシェフィールドの言葉にサソリは冷笑を浮かべる。

 

「操れないモノはない、か……、くだらねェな」

 

 サソリが呟くように発した言葉は、せせら笑うシェフィールドの耳には届かなかった。

 

 ユルバンがゆっくりと歩みを進め、無数の紙に包まれ身動きのとれない村人たちの前に立つのを確認すると、サソリが印を結び一言。

 

「解」

 

 すると、村人たちに張り付いていた無数の紙がはらはらと力を失い、大地に舞い落ちる。

 

『ハッ! 本当に縛りを解くなんてね、わたしの力を甘く見過ぎよ。さあ、お前たちその老人を殺しなさい!』

 

 シェフィールドが村人たちに命令を下す。

 命令を受けた村人たちは手に持つ武器を振り上げ、ユルバンに襲い掛かった。

 迫る凶刃を前にユルバンは両手を大きく広げ、無防備な姿をさらす。村人たちの攻撃をその身で受け止めようというのだ。

 操られる村人たちを止める方法など正直な話、ユルバンには分からなかった。ただ身体が勝手に動いたのだ。

 例え、どれだけ傷つけられようと村人たちを止めてみせる。

 自身の身体がどうなろうと構わなかった。ユルバンの心にあったのは、ただただ村人たちを救いたいという気持ち。

 それは、どこまでも純粋な想い。

 ――そんな想いだからこそ届いたのかもしれない。

 瞬きもせず真っ直ぐに村人たちを見つめるユルバン。振り下ろされる刃がユルバンの身体を切り裂こうとした瞬間、村人たちの瞳に意思の光が灯る。

 振り下ろされる刃の動きがピタリと止まった。

 次いで、辺りにカランという音が響く。

 村人たちの手から振りかざしていた武器が滑り落ち、地面を打ち鳴らしたのだ。

 

 その姿にイラついたようにシェフィールドの命令が飛ぶ。

 

『何をしているの! さっさと目の前の老人を殺しなさい!』

 

 声に反応して村人たちの身体がわずかに震えるも、足が地面に縫い止められたように一歩もその場を動こうとしなかった。

 そのさまを見て焦ったのはシェフィールドだ。

 

『なぜ、動かないの! わたしの命令が聞こえないの!』

 

 シェフィールドは声を荒げた。彼女は村人たちが自分の命令に逆らえる理由が分からなかったからだ。

 シェフィールドの言葉通り、魔道具である限り、彼女の命令には逆らえない。それは覆すことのできない法則のはず。

 なのに、何故?

 シェフィールドの心が疑問で埋め尽くされていく。

 焦りをにじませるシェフィールドに、サソリが口元に薄い笑みをつくる。

 

「お前の方こそ、村人たちを甘く見過ぎだ。人の気持ちを簡単に縛りきれると思うな」

 

 サソリは知っている。彼がそうだったように。想いの力はどのような術にも打ち勝てると。

 ただの魔道具ならシェフィールドの命令には逆らえなかっただろう。だがアンブランの村人たちは、その身体に朽ちぬ魂を宿している。シェフィールドに人の想いまで操る力はない。その結果が、サソリの視線の先にある光景。村人たちの想いがシェフィールドの力に打ち勝ったのだ。

 そして――

 

「……ユルバン」

 

 村人たちの先頭に立っていたロドバルド男爵夫人がユルバンの名を呼んだ。シェフィールドの力に必死に抵抗しているのだろう。その身体を震わしながら。

 

「奥さま!」

 

 ユルバンも応えるように彼女の名を呼ぶ。

 

「……真実を知った今でも、わたしをそう呼んでくれるのですね」

 

 多くの哀しみを含んだ声でロドバルド男爵夫人が言った。真実を知られたくなかったのだろう。ユルバンに悲しい思いをさせてしまったことを悔やんでいるのだろう。彼女の瞳からは大粒の涙がこぼれ落ちた。

 ユルバンは瞳に涙を滲ませ、かぶりを振る。

 

「何をおっしゃいます! 貴女は間違いなく、わたくしの主で相違ありません。それとも奥さまは、五十年以上もロドバルド家に仕えてきたわたくしの目をお疑いになるのですかな?」

 

 目元を濡らしながら、それでもユルバンはロドバルド男爵夫人に笑ってみせた。

 ロドバルド男爵夫人もまた、ぽろぽろと涙を流しながらその表情を変える。操られる力に抗っているため、ぎこちないものだったが彼女はにっこりと微笑んだ。

 

「いいえ、長年ロドバルド家、ひいてはこの村のために尽くしてくれた、あなたを疑うなどするものですか」

 

 そこには、やさしさがあった。ロドバルド男爵夫人の想い。ユルバンの気持ち。お互いを想い合う純粋な心は、温もりに満ち溢れていた。

 二人の想いに偽りはない。

 真実を知ってなお、二人の間にある絆が揺らぐことはなかったのだ。

 この温かな気持ちがあれば、これから先も今までと変わらず、穏やかな時を皆と共に歩んで行ける。

 そんな淡い希望をユルバンは抱く。

 しかし、その希望は……。

 

『とんだ茶番ね』

 

 シェフィールドのどこか馬鹿にしたような声が辺りに響いた。

 そんな彼女をサソリは鼻で笑う。

 

「負け惜しみか? お前は村人を操れなかったことを認めたくないんだろ」

『……黙りなさい』

 

 押し殺した声をシェフィールドは発する。サソリの言うように、認めたくなかったのだ。絶対と思っていた自分の力が通じなかったなど。しかもその相手がただの村人を模した人形たちだったことが、彼女のプライドを余計に刺激した。

 そして彼女の心をかき乱す要因がもう一つ。

 ユルバンとロドバルド男爵夫人の間にある『絆』。

 お互いを想い合うその姿を見せられると、シェフィールドは身震いするほどの憤りを感じた。

 彼女の脳裏に最愛の主の顔が浮かぶ。

 

『わたしの力は絶対でなくてはいけない。あの方にとってわたしが最も優秀な手駒。そうでなければいけないのに……』

 

 今までの高圧的な声は見る影もなく、弱々しく自分に言い聞かせるような小さな呟きをもらすシェフィールド。

 それは、嵐の前の静けさに似ていた。

 シェフィールドの心に沸々と感情が湧きあがってくる。

 不安、嫉妬、怒り。

 それらの感情は、大きなうねりとなり、彼女の心を震わす。

 心の震え。それは力の源泉でもあった。

 激しく震える心は、皮肉にもシェフィールドの力を限界まで引き出す。

 

『こんなことあってはいけないのよ。そうあってはいけない! だからお前たちは――』

 

 ゾクリと悪寒が走る。

 サソリは、シェフィールドが紡ぐ言葉に何か不吉な予感がした。

 それ以上言わせてはいけない。

 そう直感したが、彼女を止めるすべはなかった。

 そして、紡がれる。

 

『壊れなさい』

 

 終わりを告げる一言が。

 

 ――ピシッ!

 何かが割れるような乾いた音が聞こえた。 

 

「なっ! 奥さま!」

 

 ユルバンが息を呑む。ロドバルド男爵夫人の身体がぐらりと傾いて、ユルバンに倒れかかってきたのだ。

 咄嗟にユルバンは彼女の身体を受け止める。ロドバルド男爵夫人の身体を優しく支えながら地面に腰を下ろし、その顔を覗き込むとユルバンの表情が驚愕に染まった。

 ロドバルド男爵夫人の顔や身体に無数の亀裂が生まれていたからだ。

 いや、ロドバルド男爵夫人だけではない。村人たちも次々に地面に倒れ込み、ロドバルド男爵夫人と同じように身体中にヒビが走る。

 

「……これは一体!?」

 

 事態が呑み込めないユルバンの口から慄くような声がもれた。

 その疑問に答えたのはシェフィールド。

 

『聞こえていたでしょ? 壊れろ、と。その言葉通りよ。あと数分もしない内に人形たちの身体は崩壊するわ』

 

 村人たちを操ることができなかったシェフィールド。だが、想いを操ることはできずとも彼女の限界まで引き出された力を持ってすれば、その器たる身体を破壊することはそう難しいことではなかったのだろう。

 シェフィールドの言葉を裏付けるように、村人たちに刻まれた亀裂が乾いた音をたて、徐々に全身に広がっていく。

 

「ああ、そんな……、わしはまた奥さまを、皆を救うことができないのか……」

 

 ユルバンは顔を歪め身体を震わす。

 無力な自分が悔しかった。

 目の前で命の灯が消えようとしている村人たちを救うことができない己が許せなかったのだ。

 その時、ユルバンは自身の顔に温もりを感じる。気付けば頬には、慰めるようにロドバルド男爵夫人の小さな手が添えられていた。

 

「貴方の所為ではないわ、ユルバン。だから自分を責めないで」

 

 ロドバルド男爵夫人が哀しそうに表情を曇らせる。

 自身の命が尽きようとしているのに、ユルバンを慮るロドバルド男爵夫人。そのどこまでも深い愛情にユルバンの胸が締め付けられる。

 皆を救う方法はないのか、頬に触れるロドバルド男爵夫人の手を握り締め、老人は神に縋るように願った。

 

「諦めるな。まだ村人を救う手ならある」

 

 ユルバンの願いを聞き取ったかのように、成り行きを見守っていたサソリが、二人の傍らまで近づきしゃがみ込むと、ロドバルト男爵夫人に手をかざす。すると彼の手からは、蒼い光が発せられる。それはタバサの母を救った転生忍術の光だった。

 サソリの使った術『己生転生』は元来、傀儡に魂を与えるために開発されたモノ。スキルニルである村人たちを治すことも可能なはずだった。

 

「おお!」

 

 ロドバルド男爵夫人の身体に刻まれたヒビがみるみる内に消えていく。その光景を見たユルバンの口から歓声が上がった。

 しかし―― 

 

「……なに?」

 

 サソリが眉をしかめる。

 喜びも束の間、治したはずのロドバルド男爵夫人の身体に、再び亀裂が走ったからだ。

 

『無駄よ。こと魔道具の扱いに関しては、わたしが上。どれだけ特別な治癒魔法を使おうと、人形たちの崩壊を止めることはできないわ』

 

 シェフィールドが断言する。その声は、どこか達観したような響きがあった。

 彼女は理解できたのだ。能力が限界まで引き出されたことによって、今まで感じることすらなかった魔道具の奥底、真理に至るまで手に取るように。

 これが、知恵のかたまり神の本と謳われた始祖の使い魔の力。

 脳髄より叡智がとめどなく湧きだすような感覚。

 シェフィールドの全身を高揚感が包み、彼女の口からは自然と笑い声がもれる。

 今この瞬間、シェフィールドは『神の頭脳ミョズニトニルン』として真の覚醒を果たしていた。

 

「ちっ」

 

 サソリが忌々しげに舌打ちをする。

 だが、彼が治療する手を止めることはなかった。

 すべての力を搾り出すようにチャクラを練りあげていく。

 その行為は、容赦なくサソリの命を削る。

 忍び世界でもたった二つしか存在しない転生忍術。死者すら蘇らせることのできる奇跡のような術だが、その代償も高い。

 死者を蘇らせた時の対価は、術者の命。

 タバサの母を救った時は、彼女が生者だったからこそ、命を失うことはなかったが、崩壊し続けるロドバルド男爵夫人に術を使い続ければ、待つのは死。

 それが分からないサソリではなかったが、それでも諦めたくなかったのだ。

 ――なぜ?

 痛むのだ。

 何も感じなかったはずの心が、どうしようもないほどに。

 自分でも理解できない感情にサソリは突き動かされていた。

 自ら命を投げ捨てるように治療を続けるサソリ。

 そんな彼を止めたのは、

 

「もういいのです、使い魔どの」

 

 ロドバルド男爵夫人だった。

 

「それ以上魔力を使っては、あなたが死んでしまいます」

 

 ロドバルド男爵は、首を小さく振り儚い笑みを作る。

 やさしく諭すような言葉にサソリは口元を歪めた。

 彼の手より発せられていた光がゆっくりと消えていく。

 口惜しそうに瞳を伏せるサソリに、ロドバルド男爵夫人が穏やかな口調で言った。

 

「あなたは優しいのですね」

 

 その言葉はサソリの心を揺さぶる。

 

「違う、オレは……」

 

 咄嗟に否定の言葉がサソリの口から飛び出すが、彼女は首を振る。

 

「他人の為に心を痛めることのできる優しい人ですよ、あなたは」

 

 ロドバルド男爵夫人が、ありがとう、とやさしく微笑む。

 その笑顔にサソリは何も言葉を返せなくなってしまった。

 もう自分にできることは何もない。

 己の無力さに歯がゆい気持ちを抱きながら、ミシミシときしむ心に蓋をしてサソリは静かに立ち上がると、ロドバルド男爵夫人とユルバンから離れる。せめて最後の時を邪魔しないようにと。

 

 去りゆくサソリの後ろ姿にロドバルド男爵夫人は小さな会釈をした後、ユルバンに顔を向ける。

 ユルバンは随分とひどい表情だった。

 無理もないだろう。

 村人たちを救う手立てが完全に失われてしまったのだから。

 希望が断たれ、絶望に打ちひしがれるユルバン。

 そんな彼の表情を見たロドバルド男爵夫人の心に湧きあがる感情があった。

 ――彼を救いたい。

 作りモノでしかない自分たちの為に、心を痛めてくれるやさしい人を絶望から救いたかった。

 その想いは、与えられた使命から来るものだろうか? 

 いや、違う。

 彼女は、自分の意思で考え、想い、ユルバンを救いたいと願ったのだ。

 ロドバルド男爵夫人に残された時間があと僅かしかなかった。身体を動かすことすらままならない状態だったが、それでも諦めない。

 大切な人には笑っていて欲しいから。

 だから彼女は想いを綴る。

 心の底から溢れる気持ちを伝えるために。

 

 ロドバルド男爵夫人がユルバンにやさしく語りかける。

 

「今まであなたと暮らした日々は掛け替えのない、幸せなものでした」

 

 ユルバンは、ハッとした表情を浮かべる。ロドバルド男爵夫人の言葉は、絶望に染まる心に一筋の光を差す。脳裏に、アンブランの村で暮らした様々な想い出が駆け抜けていく。

 それは掛け替えのない記憶。

 色あせることなく老人の胸に刻み込まれている大切な想い出。

 そして、同時にロドバルド男爵夫人の温かな想いが伝わってくる。

 長年共に暮らしたユルバンには、彼女がなにを思い、なにを願ったか、簡単に理解することができた。

 なら、その想いに応えなければ。

 

「……わたくしもです、奥さま」

 

 ユルバンが穏やかな表情で同意するさまに、ロドバルド男爵夫人が童女のような笑顔を浮かべた。心の底から喜んでいる。そんな無邪気な笑顔。

 

「覚えているかしら、五年前の降臨祭の時のことを……」

「ええ、もちろんですとも」

 

 思い出を懐かしむように二人は語り合う。

 二人の口から紡がれる話は、どれもたわいのないものだった。どこにでもある日常の光景。だが、二人にとっては、どれも大切な宝物だった。

 そして、想いの輪は広がっていく。

 

「あの時のユルバンさんは傑作だったな」

「そうそう、じいさん年甲斐もなく張り切っちゃうから……」

 

 村人たちが二人の会話に次々と加わっていく。

 語る話は、どれもユルバンに関するものばかりだ。楽しそうに、時に冗談まじりに語り合う。

 身体がゆっくりと崩れていっているというのに、想い出を語る村人たちの顔には笑みが浮かんでいた。

 村人たちの笑い声がユルバンの耳朶を打つ。

 瞳を閉じるとまぶたの裏に過去の光景が鮮明に蘇った。

 自然とユルバンの顔にも笑みが浮かぶ。陽だまりのような記憶が老人にやすらぎを与えていた。

 ――ありがとう。

 感謝の言葉しかなかった。

 ロドバルド男爵夫人や村人たちの優しさが心に広がっていく。

 皆を救えず、逆に元気づけられることに己の不甲斐なさを感じながら、同時に心の底から溢れる想いがあった。

 ――きっとこの想いがあれば……。

 ユルバンは、想いを胸に決意する。

 皆の為に自分ができることをしよう、と。

 

 

 穏やかな時間はそう長くは続かなかった。

 村人たちの声が段々小さくなり、ゆっくりと消えていく。

 夢の終わりだ。

 ひとり、またひとりと、村人たちの身体が崩壊し、白い土くれへと変わっていく。

 やがて――

 周囲からは、もう村人たちの声は聞こえてこない。

 村人たちは皆……。

 最後に残されたのは、ユルバンの腕に抱かれるロドバルド男爵夫人のみ。

 彼女の命の灯もまた、消えゆこうとしていた。銀色だった髪は真っ白に変色し、肌も同じように色を失っていた。

 ユルバンが握る彼女の手からは、体温がどんどん失われていくのを肌で感じる。

 

「……奥さま」

 

 最期の時を感じ取り、自然とユルバンの口は彼女の名を紡いでいた。

 

「……ユルバン」

 

 ロドバルド男爵夫人は最後に残された力を振り絞るように口を開く。

 

「……ごめんなさい、貴方を一人残して逝かなくてはならない、わたしたちを許して」

 

 それは、謝罪の言葉だった。

 ユルバンに村人たちを二度も失う痛みを与えてしまったことに対する後悔からか、彼に謝らずにはいられなかったのだ。

 最後は笑って別れるつもりだったのにできなかった、とロドバルド男爵夫人の表情がかげる。

 そんな彼女にやさしい声が届く。

 

「いいえ、奥さま」

 

 ユルバンがゆっくりと頭を左右に振る。そして彼はロドバルド男爵夫人と瞳を合わせた。彼女を安心させるようにユルバンが透明な笑みを浮かべる。それは想いを携えた笑み。

 

「心配せずとも、わたくしなら大丈夫です。奥さまや皆の想いがあれば、この先も歩いて行けます。……必ず皆の分まで生き抜いてみせます」

 

 それは決意だった。一人になろうとも生きていくという。

 ロドバルド男爵夫人は、ユルバンに生きて欲しいと願ったからこそ、自身の命を賭してまで村人たちを模したスキルニルを創り出したのだ。

 その優しい想いを裏切るわけにはいかない。

 

「ああ、ユルバン」

 

 やわらかい声音。

 どこかほっとしたように穏やかな口調でロドバルド男爵夫人が名を呼ぶ。

 ユルバンの決意は、彼女にとって温かな救いとなったのだ。

 直後――

 老人の眼前で白銀の光が溢れ出す。

 

「……これは?」

 

 その光景にユルバンが目を見開き、驚きの声を上げ辺りを見回すと、村人たちの亡骸、白い土くれが無数の光の粒へと変わっていくではないか。

 宙に舞う光の粒は、けがれのない白銀の雪のよう。

 それは、温かでやさしい光。

 光の粒は、それ自体に意思があるかのようにユルバンの周りをくるくると回る。まるで彼を祝福するように。

 そして、ロドバルド男爵夫人の身体もまた、ゆっくりと光りの粒へと変わっていく。

 彼女は幸せそうな笑顔を浮かべ、最期の言葉を紡ぐ。

 

「掛け替えのない想い出を、ありがとう」

 

 ロドバルド男爵夫人が言葉を発する度に、腕に感じていた彼女の重みが消えていく。

 

「貴方に出会えて幸せだったわ。……ユルバン、わたしの大切な家族」

 

 そして、彼女の身体は光となった。

 光りは別れを告げるようにユルバンの頬をやさしく撫でると、彼の周りに漂っていた光の粒と共にゆっくりと空へと昇っていく。

 自然と老人の手が宙に伸びるが、光の粒はその手をすり抜けた。

 

「……奥さま、……皆」

 

 ユルバンは無数の光の粒が天へと昇っていくさまを、呆然と見つめていた。

 皆は心安らかに逝くことができただろうか?

 老人は村人たちの魂に想いを馳せる。

 その時、不意に視界が歪む。

 気付けば瞳から涙が溢れていた。

 拭っても、拭っても涙は止まってくれない。

 抑えていた感情が決壊するように、両手で顔を覆い、肩を揺すってユルバンは嗚咽をこぼす。

 

「……う、ううう」

 

 やがて嗚咽は号泣へと変わる。

 

「うああああああああ!」

 

 村に老人の泣き声が響く。

 哀しみを雫に変え、感情を吐き出すようにユルバンはただただ涙する。

 

 

 

 サソリもまた村人たちが光の粒に変わり、天に昇っていく光景を見つめていた。

 美しい光だ。

 だけど、どこか切ない光でもあった。

 ただじっと空を眺めるサソリの耳元に声が響く。

 

『結局、貴方は人形たちを救えなかったわね』

 

 シェフィールドの声が、囁きかけるように聞こえてくる。

 

『これからもそう。貴方は誰も救えない。貴方が守ろうとする者も、今回のように救えず失うことになる』

「……」

 

 サソリは何も応えなかった。人形のように無機質めいたその表情からは、彼がなにを考えているか読み取ることはできない。

 

『フフフ、今度はもっとおもしろい舞台を用意してあげるわ。貴方のその顔が絶望で歪むくらいのね』

 

 サソリが苦しむさまを想像し、哄笑するシェフィールド。

 

『じゃあ、またいずれ会いましょう、使い魔どの』

 

 そう言い残し、シェフィールドの声は闇に消えた。

 戦いは終わったのだ。

 だがその結末は散々たるもの。

 老人の慟哭が耳朶を打ち、サソリの心を虚しさが包んだ。

 

 

 

 

 

 翌日、落ち着きを取りもどしたユルバンと共に、サソリとタバサは簡素ながら村人たちの墓を作った。タバサの魔法をもってすれば造作もないことだったがユルバンは二人に感謝し、何度もお礼の言葉を口にしていた。

 そして、タバサたちが別れ際にユルバンに尋ねる。近くの村まで連れて行こうか、と。

 アンブランの村にはもうユルバン一人しか残っていない。おそらく普通に生活することさえ、ままならないだろう。それに孤独というものは、本当につらく、苦しいものだから……。

 

「本当にいいのか?」

「ああ、その気持ちだけもらっておくよ」

 

 サソリが確認するように尋ねるが、ユルバンは首を横に振る。

 タバサたちの申し出をユルバンは断った。アンブランの村は老人にとって大切な想い出の詰まった特別な場所。彼にこの村から離れるという選択肢はなかったのだろう。例え、どれほどの苦労が伴うとしても。

 老人の意思が固いことを感じ取った二人は、それ以上は何も言わなかった。

 

 サソリとタバサが竜を模した傀儡に乗り、ユルバンに別れを告げようとした時、彼はサソリに大きな布袋を手渡す。

 

「なんだ、これは?」

「わしからのほんのお礼だ。おぬし達には随分助けられたからな」

 

 サソリが渡された布袋を開け、中身を確認すると、袋の中には沢山の光り輝く小石が入っていた。宝石の原石のような見た目だったが、サソリが小石を一つ手に取ると、彼は目を細める。小石から発せられる莫大なチャクラを感じ取ったからだ。

 

「土石」

 

 サソリが興味深そうに小石を眺めていると、タバサが短く答えた。

 

「土石? コボルドが欲しがっていた村の宝か」

 

 コボルド・シャーマンが語っていた言葉を思い出したサソリが、ユルバンに視線を向ける。

 

「いや、それはあ奴が欲しがっていた村の宝とは違うよ。あれはその石の数十倍は大きいものだ。それはこの村の特産物でな。近くの鉱山で採れた通常の大きさの土石だ」

 

 土石。それは精霊石とも呼ばれる精霊の力の結晶。結晶自体が魔力を蓄えており、使用することで様々な効果を発揮する。その効果は絶大で、通常の魔法では不可能な力をも行使可能にする代物だった。

 伝説に語られる精霊石の中には、死者に生命を与え、意のままに操ることも可能なものもあると言われており、その力の異常さが窺える。

 他の精霊石よりも比較的入手しやすい土石だが、それでも市場価格は高値で取引されており、ユルバンに渡された土石をすべて売れば一生遊んで暮らせるお金を手に入れることも可能だろう。

 

「もらえない」

 

 その価値を知るタバサが土石を受け取るのを拒否しようとする。だが、ユルバンが軽く手を振り、

 

「遠慮しないでくだされ。メイジではないわしが持っていても宝の持ち腐れというもの。それに、あなたたちに貰って欲しいのです。きっとその方が皆も喜ぶと思いますから」

 

 と言った後、頼みます、と頭を下げた。

 そこまでされては受け取らないわけにもいかず、タバサはユルバンの厚意に甘えることにした。

 

「ありがとう」

 

 タバサがお礼の言葉を口にする。

 その言葉に老人は嬉しそうな笑みを浮かべた。

 そして――

 

「では騎士さま、お元気で」

 

 深々と頭を下げユルバンが別れの言葉を口にし、タバサは小さな頷きで応える。

 顔を上げたユルバンはサソリに顔を向けた。

 

「おぬしたちにどのような事情があるかは知らんが、負けるなよ」

「ああ」

 

 真剣な表情で激励する老人の言葉に、首肯するサソリ。

 そのさまに満足したようにユルバンが口元に微笑を浮かべる。

 

「達者でな、小僧」

「じじいもな」

 

 サソリも薄い笑みで返す。

 言葉少なく、別れを済ませたサソリとタバサが乗る傀儡が空へと舞いあがる。傀儡が翼を羽ばたかせるたびに、アンブランの村が遠ざかっていく。ユルバンがずっと二人に向かって手を振っているのが見えた。

 その光景を見たタバサがサソリに何事か呟く。すると傀儡は向きを変え、アンブランの村の上空をゆっくりと旋回しだす。

 タバサがユルバンから貰った土石を袋から一つ取り出し、宙に放り投げる。そして彼女が土石に向かって『錬金』の呪文を唱えると、空に花々が咲き乱れた。

 色とりどりの花びらが宙を踊る。

 それは、手向けの花。

 タバサは瞳を閉じ、村人たちの魂に祈りを捧げた。

 少女の想いをのせて、花弁は空を舞う。

 

 

 

 抜けるような青空を翔ける傀儡の上、タバサは珍しく本を広げるでもなく、考え事にふけっていた。

 思いを巡らせるのは、アンブランの村で起きた事件のこと。

 シェフィールドは否定していたが、おそらく今回の事件を画策したのはガリア王家。

 タバサにコボルド討伐を命じたのはガリア王家、なら裏で糸を引いていたのが誰だったかは容易に想像できる。

 無関係な人間まで巻き込んだそのやり方に、タバサは強い怒りを感じていた。そして、村人たちを助けられなかったことに対して、己の不甲斐なさを痛感もしていた。

 タバサは傀儡を操るサソリの背に視線を向ける。タバサには彼もまた心を痛めていることがわかった。

 そのことが、なによりも少女の胸を締めつける。

 自分の使い魔にならなければ、サソリは苦悩せずにすんだのではないか、と思うと少女の胸はより一層、痛みを増す。

 彼の悩みを払ってあげたいという想いが湧きあがったが、こんな時どうすればいいのかタバサには分からない。

 青く短い髪を風になびかせながら、少女は自身の使い魔の後ろ姿をもどかしげにただ見つめることしかできなかった。

 

 

 傀儡を操りながらサソリは考えていた。ロドバルド男爵夫人を救えなかった時に感じた心の痛みについて。

 己の欲望を満たすために多くの命を踏みにじってきたサソリ。

 誰が死のうが、なにも感じなかったはずの心がなぜ痛むのだ?

 村人たちの魂をもてあそぶシェフィールドを見ていると、かつての自分を見せられているようなひどく不快な感情を抱いていた。

 このような感情を持ったことなど、今までなかったというのに。

 答えを得たことによる心の変化。

 そして、タバサと共感することによって呼び覚まされていく感情。

 それらは、サソリに温かな想いを与えたが、同時に心の奥底に封じていたある感情をも思い出させていた。

 ――大切な人を失う痛み。

 かつてサソリは、その痛みに耐えることができなかった。それは、きっと今でも変わらない。

 ロドバルド男爵夫人を、村人たちを助けたいと思ったのは、無意識の内に自分と重ねていたからなのかもしれない。

 この想いを、くだらない、と笑うことは今のサソリにはできなかった。

 

『アンタは人の命を……何だと思ってんだ!』

 

 かつて『サクラ』という木の葉のくノ一に言われた言葉が脳裏に思い起こされる。

 今なら、彼女が激昂した理由も少しは理解できるような気がした。

 サソリの頬を風が撫でる。

 何故か、左頬がチクリと痛んだ。

 




読んでいただきありがとうございます。

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