雪風は赤い砂と共に   作:火の丘

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宿る魂

 時刻は深夜、草木も寝静まる頃。

 サソリは客間にて、休みもせず傀儡をいじっていた。傀儡を見つめる瞳は真剣そのもの。無駄のない熟練された動きで傀儡を完成へと導いていく。

 幼き頃から、繰り返してきた傀儡造り。それは答えを得た今でも変わらない。いや、昔以上にのめり込んでいた。

 ――造った者の魂が宿る。

 その答えは、救いだった。魂を縛る術に打ち勝つほどの。

 脳裏に浮かぶは、両親を模した傀儡に抱かれる幼き日の自分。

 傀儡に魂が宿るのなら、父と母は……。

 心が熱くなる。両親を亡くしてから、感じなくなっていた想いだ。

 その想いを、魂を込めてサソリは傀儡を造り続ける。

 それが彼にとっての……。

 

 

 

 傀儡造りが一段落つき、ふと視線を外し、自身の主に目を向ける。タバサはベッドであどけない表情を浮かべ、眠りについていた。少女の穏やかな寝息が耳に届く。

 少女の年相応な寝顔に、自然とサソリの口元に薄い笑みが浮かぶ。

 視線を戻し、気持ち新たに、サソリが傀儡造りを再開しようとしたその時、鼓膜を震わす破壊音が村中に響く。

 その音に反応してタバサが飛び起き、ベッドの横に立てかけていた杖を掴み、油断なく構える。それは、今まで一人で修羅場を潜り抜けて来たのは伊達ではないと思わせる素晴らしい反応だった。

 

「今の音は?」

 

 窓を開け、村の様子を窺っているサソリにタバサが尋ねた。

 

「村の門が破壊されたな。もともと村を囲う柵だってザルみたいなものだっていうのに、わざわざ正面からとは、ご苦労なこった」

 

 タバサの問いに、サソリが目を細め、忌々しげに答える。

 このタイミングで村に襲撃をかける存在は一つ。

 

「コボルドの襲撃?」

 

 タバサが襲撃犯に当たりをつける。

 

「……どうだろうな。とにかく、オレが様子を見てくる。お前は領主にこのことを伝えろ。後、早く村人を避難させろ、ともな」

「わかった」

 

 タバサが頷くさまを確認したサソリは、開け放たれた窓より外に飛び出す。向かうは破壊音の聞こえた村の正面。足にチャクラを纏わせ、凄まじい速度で駆けていく。

 障害物となる民家を物ともせず、壁を垂直に走り、屋根から屋根へと跳躍し、文字通り一直線に村の中を走り抜けていく。

 

 あっという間に村の正面付近まで移動したサソリの視界に、破壊された門が映る。そして、それを成したであろう異形の存在も。

 

「ウグルル、ウグルル」

 

 うめき声にも似た鳴き声を発する犬のような頭を持つ怪物。身長はサソリと同じぐらいだが、腕と足の筋肉は人間の比ではないほど盛り上がり発達していた。クンクンと鼻を鳴らし、赤く光る目をサソリに向ける。

 獲物を視界に捉えたことで、嬉しそうに鳴き声を上げ、手に握った武器を構える怪物たち。サソリを見たことで食欲を刺激されたのか、尖った牙が並ぶ口からは涎が垂れだす。

 サソリは、聞いていた特徴からこの怪物がコボルドだと判断する。ざっと数えただけでもその数三十以上。サソリにじりじりと詰め寄ってくる。

 サソリが袖口からクナイを出し、構えを取ったその時、微かな苦悶の声が聞こえてきた。声がした方に視線を走らせると、そこには、頭から血を流し地面に倒れ伏すユルバンがいた。

 舌打ちをするサソリ。

 門番を務めていると語ったユルバン。なら、コボルドが襲撃してくれば、誰が真っ先に危険に晒されるのかは考えるまでもない。

 まだ息はあるようだが、このまま放っておけば命を落としかねない。

 気付けばサソリは走り出していた。

 行く手を阻まんと数匹のコボルドが手に持った槍を構える。

 

「邪魔だ」

 

 コボルドが槍を突き出すもサソリを捉えること叶わず、槍は何もない空間は貫き、サソリはその脇を走り抜けていく。コボルドがサソリを追いかけようと振り向いた瞬間、その喉元から血が噴き出した。

 サソリがすれ違いざまにクナイで切り裂いたのだ。

 苦しげに喉を押さえ、血を止めようとするコボルドたちだが、その行為は何の意味もなさず、とめどなく流れ出る血が大地を赤く染め、やがて力尽きたのか、次々に倒れていく。

 傀儡使いは接近戦が不得手。その常識は、サソリやその祖母チヨには当てはまらない。一流の傀儡使いは卓越した体術の使い手でもあった。

 コボルド如き傀儡人形を使うまでもない相手。

 まさに鎧袖一触。

 襲ってくるコボルドにサソリがクナイを振るうつど、血しぶきが舞い、コボルドは一匹、また一匹とその数を減らしていく。

 サソリがユルバンの元に辿り着くまでの十数秒の間に、コボルドはその数の半分近くを失っていた。

 

「おい、しっかりしろ」

 

 サソリがユルバンの傍らまで寄ると、その場にしゃがみ込み呼びかける。

 

「うう……」

 

 その声に反応するようにユルバンの口から苦しげな声がもれた。まだ、息があることを確認すると、サソリは素早く印を結び、医療忍術をユルバンの身体にほどこす。

 

 

 コボルドたちは治療に専念する隙だらけのサソリを、遠巻きに見つめることしかできなかった。

 何が起きたのか理解できなかったのだ。自分たちの餌でしかない人間の子供が、気付けば一瞬の内に同胞の半数を屠っていた。理解が追いつくわけがない。

 ただ、コボルドたちにも理解できたことが一つだけあった。あの人間の子供は餌などではなく、むしろその逆の存在だということを。

 

 

 包み込むような温もり。身体を襲っていた痛みが消え去り、ユルバンが瞼を開けると、赤い髪の少年と目が合う。

 

「小僧……」

 

 つい数時間前、自分を馬鹿にした少年が目の前にいたことにユルバンは眉をしかめるが、そこで気付く。村の門を破壊され、自分はコボルドの群れに襲われたのではなかったか、と。

 その際、棍棒で殴られ怪我を負ったと思ったが、身体に痛みはない。あれは、全部夢だったのか? そう思いユルバンが狐に摘ままれたような表情を浮かべ、少年から視線を逸らすと、その表情が驚愕に変わる。

 破壊された門、武器を構え自分たちを取り囲んでいるコボルドの群れ。それらを視界に捉え、やはりすべて現実に起こったことだ、とユルバンは理解する。

 

「なんたる、不覚……。またしてもコボルドの襲撃を許すとは」

 

 ユルバンはコボルドたちを見回し、顔を歪めた。あまりの悔しさに自然と握った手の平に爪が食い込むほどの力がこもる。

 

「……まだだ! これ以上は一歩たりとも進ませはせんぞ!」

 

 ユルバンには譲れない想いがあった。

 ――村人を守る。

 その想いが老人を突き動かす。震える膝に、全身に力を込め、槍を杖代わりによろよろと立ち上がり、コボルドたちを睨み付けた。

 

「もう二度と、皆を襲わせはせん!」

 

 血を吐き出すような咆哮。

 ふらつきながらも大地を踏みしめ、長槍を構える。その姿は、お世辞にも恰好が良いとは言えなかったが、老人の意気を十分に感じさせるものだった。

 

「あまり無理をするな。……死ぬぞ」

 

 背後より声が掛けられる。赤い髪の少年だ。

 ユルバンは正面を向いたまま、応える。

 

「おぬしがわしの傷を治してくれたのだな、礼を言う」

 

 負った怪我が治っているのは、目覚めた時、傍らにいた少年のおかげだろう、とユルバンは推測する。まだ少年に対するわだかまりは残っていたが、コボルドに襲われた自分を救ってくれたことを、ユルバンは心より感謝していた。

 

「あれほどの大口を叩いておいて、無様に醜態をさらした。……おぬしの言う通り、わしは役立たずだ」

 

 老人の口から自嘲の言葉がこぼれた。

 

「だが、此処で引くわけにはいかぬ。例え、この命散らそうと。わしは此処で引くわけにはいかんのだ!」

 

 死は覚悟の上。ユルバンは声を振り絞って宣言する。

 その覚悟を少年はため息で返した。

 

「頑固なじじいだ。……何で年寄はそう死にたがるんだ」

 

 はたして、それは誰に向けた言葉だったのだろうか。言葉の後半部分は誰にも聞こえないほど小さな呟きだった。

 少年は仕方ない、といったふうに頭を振ると、ユルバンの隣に並ぶ。

 

「お前を死なせるわけにはいかないからな。これも仕事の内だ、手伝ってやる」

「……かたじけない」

 

 年端もいかぬ子供に戦わせることは、ユルバンの矜持に反したが、彼は分かっていた。隣に立つ少年が自分など足元にも及ばぬほど強いということを。

 つい先ほどまで少年に恐怖を覚えていたが、今は頼もしく思う。

 周りをコボルドの群れに囲まれ、絶体絶命だというのに不思議と恐れはなかった。きっと少年のおかげだろう。

 ユルバンは口元に笑みをつくり、

 

「小僧、死ぬなよ!」

 

 少年に発破をかける。

 

「オレの台詞だ、じじい」

 

 あきれたように少年が返す。

 かくして、老兵にとって二十年越しの、戦いの幕が切って落とされた。

 

 

 

 

 タバサは、ロドバルド男爵夫人に村の門が破壊されたことを伝えるため、彼女の元に急いでいた。

 これで何度目だろうか? タバサが部屋の扉を開ける。しかし、暗闇に包まれた部屋には誰もいない。

 おかしい。タバサは眉根を寄せる。屋敷中を捜しまわってもロドバルド男爵夫人はおろか、使用人の一人さえ見つからないのだ。

 屋敷の中は、不気味なほど静まり返っていた。空気の流れを読める風メイジであるタバサは、常人よりも耳が良い。耳を澄ませても、物音ひとつ聞こえてこない。

 先ほどの破壊音に驚いて、皆、すでに逃げ出したのだろうか? それぐらいしか、屋敷の人間がすべて消えている理由をタバサは思い付けなかった。

 だが――

 タバサは違和感を覚えた。何かを見落としているような。当初、村に来た時に蓋をした違和感と合わさり、それは、心の中でどんどん膨れ上がっていく。

 不安に駆られるように、タバサは屋敷から急いで飛び出ると、呪文を唱え、空へと舞い上がる。

 村を一望できる高さまで浮き上がり、村中を見渡す。あれほどの轟音が響いたというのに、様子を見ようと家から出てくる者も、明かりがついている家もない。唯一、村の正面から獣が鳴くような声が響いてくる。タバサが目をやると、サソリがユルバンと共にコボルドと戦っている姿が見えた。

 自分も加勢に行くべきだろうか、と考えたが、即座に否定する。

 先に確かめなければならないことがある。そう思ったタバサは、大地に降り立ち、手近な家の扉を叩く。中からの返事はない。

 タバサが意を決して扉を開けると、そこはもぬけの殻、家の中には誰もいなかった。隣接する家も調べるが結果は同じ。

 タバサの脳裏に嫌な考えが浮かぶ。もしや、村中からすべての人が消え失せているのではないか、と。

 タバサはその考えを振り払うように、かぶりを振った。村中に破壊音が響いてから、たいして時が経っていないというのに、その短い時間で、村人全員が行方をくらませるなどありえない。それとも、それ以前に村人は消え失せていたとでも言うのか……。

 わからないことだらけに、すべては推測の域をでない考え。

 タバサの心に焦りが生じる。

 深みにはまる心を落ち着かせるため、タバサは瞳を閉じ、深呼吸を一つ。

 落ち着いた心で考える。今なにをするべきかを。

 そして、タバサはすっと瞳を開け、行動に移る。呪文を唱え、再び宙に舞い上がる。向かうは自身の使い魔の元。

 わからないことを考えても仕方ない。今は、明確に迫っている危機を取り除くべきだと結論を出したタバサは、サソリの元へと急ぐ。

 

 

 

 コボルドとの戦いは一方的なものへとなっていた。

 

「ハッ!」

 

 掛け声と共にユルバンの繰り出した槍は、コボルドの急所を的確に捉える。コボルドは手に持った武器を力任せに振り回すだけだが、ユルバンは違う。長い年月、堅実に修練を重ねてきたのは伊達ではない。例え、コボルドに力は劣っていようとも、その差を埋める努力の結晶が彼にはあった。

 相手の有効攻撃圏外からの攻撃。突き、払い、斬る、変幻自在の槍捌きはコボルドに抵抗らしい抵抗をさせぬまま、その命を奪い去っていく。

 仕留めたコボルドを一瞥すると、またすぐ別のコボルドがユルバンに襲い掛かる。錆びついた剣で斬り掛かってくるコボルドを瞳に映し、ユルバンは後ろに下がりながら間合いを測る。でたらめに振り回す剣が空を斬った瞬間を狙って、一気に前に踏み込み、鋭い刺突を繰り出す。

 風を切る音が舞い、ユルバンの槍が怪物の肉を抉った瞬間、その隙をついて彼の横合いから一匹のコボルドが棍棒を振り下ろしてきた。

 

「ぬっ!」

 

 ユルバンの顔に焦りが滲む。コボルドの身体に深く突き刺さった槍が抜けず、反応が遅れてしまう。あわやこれまでか、と思ったその刹那、剣閃が走る。次いで、肉を切り裂く音と痛みに悶える悲鳴。襲い掛かってきたコボルドの身体が鮮血に染まり、大地に倒れ込む。

 いつの間に現れたのだろうか。ユルバンの傍らには赤い髪の少年がクナイを手に彼を守るように立っていた。

 

「少しは周りに気を配れ」

 

 たしなめるように言ったのはサソリだ。

 

「おぬしにも獲物を残しておいてやろうと思ってな」

 

 軽口で返すユルバン。

 

「ぬかせ」

 

 サソリは不機嫌そうに眉根を寄せた。

 

 ユルバンがコボルドとの戦いを有利に進められている一番の要因は、サソリの存在だった。ユルバンがいくら研鑽を積んだといっても、数の暴力には勝てない。四方から襲われれば簡単にその命を落としてしまうだろう。

 サソリはそうならないよう、コボルドたちを牽制し、ユルバンが一対一で戦える状況を作りだしていた。一対一ならユルバンにも勝機は十分あった。加えて、コボルドたちはサソリに恐怖を覚え、身体がすくみ本来の力を出せていなかったというのもある。

 

 

 やがて、サソリたちの周りには、数十ものコボルドが屍に変わり果てていた。

 

「こ、これで……。ぜ、全部か?」

 

 老体にはやはり戦いはきつかったのだろう。息を切らせ、辺りを見回しながらユルバンが言った。周囲にサソリとユルバン以外、立っている者はいない。

 

「ああ、終わりのようだな」

 

 欠片ほども疲れた様子がないサソリが答えた。その言葉を受け、ユルバンは地面に大の字に倒れ込む。顔を満面の笑みに変え、笑い声が口からもれた。

 

「やったぞ! わしは、やっと……」

 

 気付けば彼の瞳からは涙が流れ出していた。言葉では言い表せない、万感の思いがあったのだろう。

 サソリは涙に濡れるユルバンを一瞥すると、空を見やる。二つの月を背にこちらに向かってくる人影をその瞳に捉えた。人影の正体、それはタバサだ。

 タバサはサソリの目の前にふわりと降り立つと、辺りを見回す。

 コボルドの屍の山を見て、彼女は目を細める。

 

「ぜんぶ倒したの?」

 

 別行動を取ってから、たいして時間が経っていないというのに、コボルドを全滅させたことを驚いているようだ。

 

「まあな」

 

 サソリは何でもない事のように答えた。実際、サソリからすればコボルドなど、たいした相手ではない。赤子の手をひねるようなもの。ユルバンを負傷させないように気を配る方が労力を使ったほどだ。

 

「それより村人の避難は済んだのか?」

「それが――」

 

 サソリの問いにタバサが言葉を紡ごうとしたその時、風切り音が二人の耳朶を打つ。

 刹那、タバサとサソリは視線を交差させ、タバサがその場から大きく飛び退く。

 

「我慢しろよ、じじい」

 

 サソリがそう言うや、地面に仰向けになっていたユルバンを蹴り飛ばす。蹴られたユルバンは驚きの声を上げながら五メイルほど地面を転がり、

 

「何をする、小僧!」

 

 突然、蹴られたことに怒った彼が立ち上がり、サソリに文句を言った直後だった。無数の石つぶてが三人の元いた場所に降り注いだのは。

 

「なにごと!?」

 

 突如、空から無数の石が降って来たことに驚いたユルバンが声を上げる。

 ユルバンの疑問に答えるように、一匹のコボルドがサソリたちの前に姿を現す。

 

「愚かな人間の分際で、この短い時間の内に、よもや我が配下をすべて屠ろうとは……! この場所と契約を交わすのに手間取り過ぎたか」

 

 低い声で言葉を発したのは、奇妙な格好をしたコボルドだった。鳥の羽や獣の骨でできた大きな仮面をかぶり、どす黒い獣の血で染め上げられたローブを身に纏い、その手にはメイジのように杖を握っている。

 

「……コボルド・シャーマン」

 

 タバサが息を呑む。

 コボルドの中には稀に知能の発達した者が生まれる。人の言葉を操り、精霊の声を聞くことができる存在。コボルドが崇める神の代弁者として、群れの頂点に君臨する強力な先住魔法の使い手。それがコボルド・シャーマン。

 

 タバサがいつでも魔法を放てるよう杖を突出し身構える。ユルバンもそれに習うように地面に転がる槍を拾い上げ、穂先をコボルド・シャーマンに向けた。

 二人が警戒するさまを見たコボルド・シャーマンが片手を前に突出し、制する。

 

「無駄なことはやめておけ、愚かな人間よ。この場所はすでに我が契約を交わした。お前たちが何かする前に、我の魔法がお前たちの命を奪う」

 

 コボルド・シャーマンは、ハフハフと笑いながら言った。

 コボルド・シャーマンの言葉は嘘ではない。タバサの頬を冷たい汗が伝う。

 亜人が使う魔法、先住魔法と呼ばれるそれは、人間の使う系統魔法より強力な力を有している。自然の力を借りて事象に干渉する力。唯一の弱点は、事前に周囲の精霊の力と契約を交わさねば、最大の力を発揮できないのだが、このコボルド・シャーマンは仲間を囮にして、すでに契約を済ませたようだ。

 

「状況が理解できたようだな。なら命が惜しければ、我の取引に応じろ」

「取引?」

 

 タバサはコボルド・シャーマンから出た意外な言葉にわずかに眉を持ちあげた。

 

「お前たちの群れが持つ宝を我に寄越せ。そうすれば、お前たちの命は助けてやろう」

「宝だと!」

 

 コボルド・シャーマンの言葉にユルバンの表情が険しいものへと変わる。

 

「そうだ。お前たちの族長が持つ宝、土精魂だ。お前たちが土石と呼ぶもの。二十年前、我はお前たちから奪おうとしたが、お前たちの族長に邪魔され、失敗した上に群れを失った。……失った群れを再び大きくするのに多くの歳月を費やしたのだがな。その苦労もあっけなく、お前たちに無に帰されたわけだ。だが、それは不問にしてもいい。宝を持ってくればな。どうだ、悪い話ではあるまい?」

「……二十年前? お前はあの時、村を襲撃したコボルドの生き残りだというのか!」

 

 まさか、という風に語気を強め問いただすユルバン。

 

「ああ、そうだ。思い出しただけで、はらわたが煮えくり返る。お前たちの族長さえいなければ! 我の魔法で身体を貫いてやったというのに、まだ生きているとは、まことに忌々しい人間のケチな魔法使いよ、あの雌は」

 

 吐き捨てるように言ったコボルド・シャーマンの言葉に、ユルバンの怒りが爆発する。

 

「お前がァァァァア!」

 

 のどを震わせ、ユルバンがコボルド・シャーマンに向かって走り出す。顔を怒りで歪ませ、瞳には殺意を滾らせて。

 がむしゃらに向かってくるユルバンを見たコボルド・シャーマンは、犬が息をするような笑い声を上げた。

 

「愚か者め。どうやら、命が要らぬとみえる」

 

 赤い瞳を細め、コボルド・シャーマンの口が単純な口語の調べを奏でた。無数の石つぶてがユルバンを襲う。

 タバサはユルバンを救おうと、呪文を唱えるが間に合わない。すでに石つぶては、ユルバンの目前まで迫っていた。

 死がすぐ間近にあるというのにユルバンに恐怖はなかった。あったのは怒り。

 ――例え、死のうと奴だけは!

 激昂に身を焼かれながら、ひたすら前に進む。しかし、想いだけでは届かない。数秒後には、ユルバンは無数の石つぶてに貫かれ、無残にも屍を晒すだろう。

 だが、その結果を覆せる者がいた。

 並み居る傀儡使いの頂点に立つ男サソリ。彼は、ユルバンを救うため、己が絶技を振るう。

 

 

 死が迫る。

 無数の石つぶてがユルバンの命を奪う。

 ――否!

 ユルバンは襲い掛かる無数の石つぶてを、手に持つ槍を縦横無尽に振り払うことで、すべて迎撃する。

 

「なっ!」

 

 それは、いったい誰の驚嘆の声だったのだろうか? 数十もの石つぶてをすべて打ち落とすなど、どれほどの研鑽を積めば可能にする業か。さらに驚くべきは、迎撃する際に打ち合った衝撃で武器を壊さないように取りまわしたその技量。

 瞳に映る光景が信じられないコボルド・シャーマンは頭を振る。

 

「そんな馬鹿な! ありえん!」

 

 声を荒げ、再び魔法を使おうとするが、手遅れだ。

 ごぽっと血を吐く音。

 コボルド・シャーマンが自身の胸を見れば、そこには長槍が深々と突き刺さっていた。

 恐るべき神速。ユルバンはその疾風の如き速さを持ってして、敵との距離を一気に縮めたのだ。

 驚愕に見開かられ瞳。

 

「わ、我が……。愚かな人間、などに……」

 

 コボルド・シャーマンは起こった出来事を信じられなかった。ユルバンに掴み掛かろうと伸ばした手が宙をさまよい、恨み言が口からもれる。

 ユルバンが槍を手放すと、コボルド・シャーマンは背中から大地に倒れ伏し、そのまま動かなくなった。

 ユルバンはしばらくの間、コボルド・シャーマンの亡骸を見つめていたが、くるりと身をひるがえし、タバサたちの元へゆっくりと歩いて行く。

 ユルバンがタバサの目の前で立ち止まると、深々と頭を下げた。

 

「ありがとうございます。騎士さまがわしを助けて下さったのですね?」

 

 それは、目前まで石つぶてが迫った瞬間、自分の意思とは関係なく身体が動き、死を免れたのは、騎士であるタバサが魔法を使って助けてくれたのだろう、と思っての発言だった。

 

「わたしじゃない」

 

 タバサは首を横に振り、隣に立つ自身の使い魔に目を向ける。

 そのさまを見たユルバンは驚いた表情を浮かべた。

 

「なんと……! またもおぬしに救われるとは……。感謝の言葉もない!」

 

 ユルバンはまなこを閉じ、サソリに深々と頭を下げた。

 

「……気にするな」

 

 サソリが面倒くさそうに応える。

 あの時、危険に晒されたユルバンを救うため、サソリはある術を使った。

 ――操演・人身冴功(ひとみごくう)

 指先から出したチャクラ糸を人間の各部位に結び付け、操る術。

 その起源は、戦場で傀儡を破壊された術者が、屍を用いて戦ったことに由来する超高等忍術の一つである。

 サソリほどの使い手が十指すべてを使い、本気でこの術を使用すれば、操られた者は一騎当千の猛者へと変わる。

 ユルバンが人間離れした動きを見せたのも、すべてこの術のおかげだった。

 

 頭を下げたまま、ユルバンは礼を述べる。

 

「いや、おぬしのおかげで、わしは……。やっと奥さまに――」

 

 その時、ユルバンの言葉を遮るように、空が鳴り、巨大な影が辺りを覆う。

 皆が空を見上げた視線の先に、それはいた。

 平らな座布団のような身体を持ち、長く伸びた鞭状の尾を揺らし、空を泳ぐ『エイ』に似た姿のガーゴイル。その大きさは目をみはるものがある。体長三十メイルはあろうかという巨大さだ。

 パチパチという音が、巨大なガーゴイルから聞こえてくる。よく見れば、ガーゴイルの背に人影が見えた。黒いフードをすっぽりと頭までかぶり顔を隠している。その人影が手を叩いているのだ。そう、まるで拍手をするように。

 

「流石は、と言ったところかしら。コボルド如きでは前座にもならなかったわね」

 

 賛辞を贈るように言ったその声は若い女性のものだった。

 

「何者だ?」

 

 物怖じした様子など一切なく、サソリは率直に聞いた。

 

「そうね……。どの名を名乗ろうかしら?」

 

 黒いローブを纏った女性は困った、というように首を傾げる。

 

「ふざけるなよ」

「あら、怖い。そう怒らないでくれる。じゃあ、この場はシェフィールドと名乗って置きましょうか」

 

 シェフィールドと名乗った女性は、舞台役者のように大げさな仕草で一礼する。そして再び顔を上げると、フードの合間から見えるその口元は弧を描いていた。

 

「はじめまして、シャルロットさま。そしてその使い魔どの。此処からはわたしが貴方たちの相手を務めさせて貰うわ」

 

 シェフィールドの言葉に、タバサは瞳を揺らす。シャルロット、それはタバサの本当の名。その名を知っているということは……。

 

「ガリア王家の刺客?」

 

 なかなか命を落とさないことに、ついに痺れを切らした王家が刺客を差し向けたのだろうか、と思ったタバサは覚悟を決める。自然と杖を握る手に力が入った。

 だが――

 

「いいえ、違うわ。残念だけど貴女の命に興味はないの」

 

 シェフィールドは首を横に振る。そして、

 

「わたしが興味あるのは、そちらの使い魔」

 

 サソリを指差す。

 

「光栄に思いなさい。わたしの主は、貴方に興味を示された。わたしの目的は貴方の実力を測ること」

 

 シェフィールドの声には少し苛立ちが含まれているようにも聞こえた。

 

「それでわざわざオレの実力を測るために、コボルドを焚きつけたという訳か」

 

 シェフィールドの言葉から、コボルドの襲撃を画策したのは目の前の女だと推測したサソリは、気に入らねぇ、と鼻を鳴らす。

 

「コボルドだけじゃないわ。貴方のためにとっておきの舞台を用意しているのよ」

「舞台だと?」

 

 シェフィールドは大仰に頷くと、タバサに視線を向ける。

 

「シャルロットさまは、もう気付いているんじゃないの? この村に起きている異変に」

 

 そこでタバサは、ハッとした表情を浮かべた。

 

「村中から人が消えているのは、あなたの仕業?」

「なんだと!」

 

 タバサの言葉に反応したのは、ユルバンだ。突然の展開についていけてなかった彼だが、村から人が消えたという話は見過ごせなかった。

 ユルバンの驚く姿に、にんまりとした笑みを浮かべるシェフィールド。

 

「ええ、その通り。わたしが村人を預かっているわ」

「人質のつもりか?」

「まさか、そんなことしないわ」

 

 クスクス、とシェフィールドは口に手を当て笑う。そして、彼女はひとしきり笑うと

おもむろに真っ白な人型の人形を取り出した。

 

「これが何かわかる?」

「……スキルニル」

 

 タバサが答える。スキルニル。血を吸った者に化けることができる魔法人形。この魔導具の恐ろしいところは、血を吸った者の能力を模写できるということ。人形自体が魔力を生み出せないため、魔法を使うことはできないが、古代の王たちはスキルニルを使い、『メイジ殺し』と呼ばれるような猛者たちの血を吸わせ、戦争ごっこに興じていた。

 タバサの答えに満足そうにシェフィールドが頷くと、手に持つ人形を地面に放り投げる。

 何かあるのかと警戒し、身構えるタバサたちをよそに、何も変わったことは起こらず、人形は大地にぶつかり、カツンと音を立て転がる。

 

「貴方たちに村人を返してあげる」

 

 シェフィールドがそう言って指を鳴らすと、人形が光り輝きその姿が変わる。大きく膨れ上がり、形作るその姿は……。

 

「……奥さま」

 

 変化した人形の姿を見たユルバンの口から驚きがこぼれた。スキルニルが変化した姿。それはロドバルド男爵夫人だったのだ。

 

「なんのつもりだ?」

 

 サソリが視線を強め、シェフィールドに問いただす。彼女は口元に笑みを携えたまま、答えた。

 

「言ったでしょ。村人を返してあげると」

 

 エイの姿をしたガーゴイルが口を開けると、何十体ものスキルニルがボトボトと地面に降り注ぐ。すべてのスキルニルが地面に落ちたのを確認すると、シェフィールドは再び指を鳴らした。

 次々とその姿を変えるスキルニル。

 変化したスキルニルの姿は、

 

「皆まで……」

 

 アンブランの住民たちだった。

 

「村人をスキルニルで真似たの?」

 

 村人の姿に変わったスキルニルを見たタバサが眉根を寄せ呟いた。

 

「いいえ、違うわ。最初からこの村に人間はいなかったのよ、そこの老人をのぞいてね」

 

 シェフィールドがユルバンを指差す。その言葉にユルバンの表情が驚愕に染まる。

 

「ねえ、そうでしょ? ロドバルド男爵夫人」

「……はい」

 

 うつろな瞳をしたロドバルド男爵夫人が口を開く。やさしい笑みを絶やさなかった彼女。だが今は、その表情は無機質なモノ。そう、まさに人形のよう……。

 ロドバルド男爵夫人は語り出す。アンブランの村の真実を。

 

 二十年前、アンブランの村はコボルドの群れに襲われ、全滅した。村人はコボルドに皆殺しにあっていたのだ。たった二人をのぞいて。

 生き残ったのは、ユルバンとロドバルド男爵夫人。

 ユルバンは頭に怪我を負い意識を失っていたが、命に別条はなかった。だが、ロドバルド男爵夫人は違った。コボルドとの戦いで深手を負い、その命は風前の灯。

 ロドバルド男爵夫人は思った。わたしが死ねば、ユルバンはたった一人になってしまう。そして目を覚ました時、村が全滅したことを知れば、責任感の強い彼は自分を責め、己の命を絶ってしまうかもしれない。

 ロドバルド男爵夫人にとってユルバンは、まさに家族とでもいうべき存在。そんな大切な存在が絶望に打ちひしがれるのを許せなかった彼女は、傷ついた身体にむち打ち、自分の命と引き換えに村人全員を模したスキルニルを作り上げる。もちろん彼女自身を模したスキルニルも……。

 村の秘宝である土石をも用いて作成したスキルニルは、ある程度の自由意思を持ち、年の移ろいと共に見た目も老い、半永久的に動き続ける。村人たちをスキルニルと見抜くのは、高位の水メイジでも難しいほど精巧に創られた存在。

 ロドバルド男爵夫人が行なったのは、まさに奇跡とでも言うべき魔法だった。ハルケギニア全土を捜してもロドバルド男爵夫人が成したことを真似出来るメイジなどいるのだろうか? 

 強い感情は、魔力に影響を与える。ロドバルド男爵夫人の命を賭した想いが、村人全員を模したスキルニルを作り上げるという不可能を可能にしたのだ。

 

 そこまで聞いて、タバサは気付いた。この村に足りないと思っていたモノの正体に。

 それは子供だ。アンブランの村には子供がいなかった。当然だ。村人は皆、人形。新たな生命が生まれるわけがない。

 そして、ロドバルド男爵夫人がコボルドとの戦いで怪我を負って以来、魔法が使えなくなった、という話の真実もわかった。スキルニルは魔法が使えないという欠点がある。ロドバルド男爵夫人が死に、スキルニルが成り代わっていたのならば、魔法が使えないのは当然だ。

 村から一歩も外に出なくなったのも、正体を見破られるリスクを減らすため。公の場に出向けば、多くの貴族に会うことになる。中にはロドバルド男爵夫人をスキルニルと見抜く高位のメイジがいるかもしれないからだ。

 思い返せば、夕食に出された料理の味が薄かったのも、ロドバルド男爵夫人に合わせたのではなく、ユルバンに合わせていたのだろう。ここで食事を必要とするのはたった一人、老人のユルバンのみ。すべての食事はユルバンを基準に作られる。それ以外は必要ないのだから。

 

 アンブランの村は、一人の老人を悲しませないために創られた箱庭だったのだ。それは優しさに満ちた小さな世界。だが、真実を知った今、その優しさが牙を剥く。

 

「お、おおお……」

 

 ユルバンがその場に膝から崩れ落ち、嗚咽をこぼす。守るべき存在がとっくの昔に死んでいたと知った彼の身にかかる絶望はどれほどだろうか。

 嘆く老人を見て、シェフィールドは笑う。面白くてたまらない、というように。

 

「どう? 楽しんでもらえたかしら? 貴方のために用意した舞台なのよ」

 

 シェフィールドはサソリに目を向け言葉を続ける。

 

「貴方は人形を使って戦うんでしょ? ならわたしもそれに合わせて、人形で戦ってあげようと思っての趣向なの。このアンブランの村人という人形を使ってね」

 

 シェフィールドがタクトを操る指揮者のように腕を振るう。すると、村人たちが動き出す。地面に転がるコボルドたちが使っていた武器を拾い上げ、タバサたちを取り囲むように緩慢な動きでひたひたと距離を詰めてくる。

 タバサが咄嗟に杖を構えるが、村人たちの顔を見た瞬間、彼女は言葉にならない声を上げた。

 

「……っ!」

 

 皆、泣いていた。

 能面のような表情。されどその瞳からは頬を伝う雫が溢れている。

 ユルバンのためだけに存在する村人たち。

 真実を知って苦しむユルバンの姿に心を痛めているのだ。

 操られその使命に反する行動を取らされていることに怒っているのだ。

 タバサの脳裏にロドバルド男爵夫人や村人たちの笑顔が思い起こされた。その笑顔が今は、涙に濡れている。

 

「あら、どうしたの? まさか人形に同情して攻撃できないの? あっはっは! 遠慮しなくていいのよ。そいつらは、人間じゃないんだから」

 

 白々しいまでの言葉。シェフィールドは分かっているのだ。タバサたちが村人を攻撃できないと。

 彼女の思惑にまんまとはまり、悔しさから奥歯を強く噛みしめ、シェフィールドを睨み付けるタバサ。

 

「……ゆるさない」

 

 想いをもてあそぶシェフィールドに怒りを覚えた少女の口から、珍しくもそんな台詞がこぼれた。

 タバサは誓う。ユルバンを絶望に落し、ロドバルド男爵夫人の想いを踏みにじったシェフィールドに必ず報いを受けさせる。

 冷たい怒りが心と身体を包んでいく。

 

「オレがやる。お前は手を出すな」

 

 そんなタバサに制止の声が掛かった。発したのは、自身の使い魔サソリ。タバサの身体が、ぞくりと震える。サソリの声に、魂が凍りつくような戦慄を覚えたからだ。

 

 サソリが冷たい視線をシェフィールドに向ける。

 シェフィールドは知らぬ間に、サソリの逆鱗に触れていた。

 ――造った者の魂が宿る。

 サソリには理解できた。アンブランの村人たちには、ロドバルド男爵夫人の朽ちることのない魂が宿っているということを。

 死してなお、ユルバンを想うロドバルド男爵夫人の優しさ。その魂の輝きをサソリは造形師として美しいと思う。

 だからこそ、村人たちを操り、その魂を穢すシェフィールドを許すことはできなかった。

 自然と怒りが身体から溢れ出す。

 

「お前の望み通り、オレが相手をしてやる」

 

 そう言うと、懐から一本の巻物を取り出すサソリ。紐解かれた巻物に描かれた文字は『白』。

 爆音が響き、辺りに白煙が舞う。

 そして――

 白煙の中より現れるは、赤い雲の描かれた黒い外套を纏った女性の人形。

 肩まで伸びた青紫の髪に映える白の花飾り。黄色い瞳は氷のような冷たい輝きを宿し、綺麗に整った唇は、固く引き締められていた。その愁いを帯びた美しい面貌はどこか脆く儚い。

 

 それは、かつての仲間『小南』を模して造りあげた傀儡人形だった。

 


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