雪風は赤い砂と共に   作:火の丘

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アンブランの村

 旧オルレアン公邸の客間にて、赤い髪の少年が瞳を閉じ、ソファに身体を預けていた。一見するとそのさまは眠っているようにも見えるが、ピリピリと張り詰めた空気を纏っているので、ただ瞳を伏せているだけなのだろう。

 彼の名は、サソリ。不機嫌そうに眉根を寄せている理由は、彼が人を待っているからだ。サソリは人を待つのも、待たすのも嫌いな性分の持ち主だった。それ故、待ち人がなかなか来ないことに苛立ちを募らせているのだ。

 苛立ちが限界に達しようとしたその時、部屋の扉が開く音が室内に響く。サソリが瞳を開け、部屋に入って来た人物に目を向ける。

 そこにいたのは、鮮やかな青い髪と透き通る碧眼を持つ少女。サソリの待ち人であるタバサだった。

 

「お待たせ」

 

 タバサが感情の起伏を感じさせない声で言う。

 サソリの性格的に待たされたことに遅い、と文句が飛び出してもおかしくない所だが、不思議なことに少女の顔を目にした途端、サソリが纏っていた張り詰めた雰囲気が霧散する。

 

「母に挨拶は済ませたのか?」

 

 それどころか、少女を気遣うような声で尋ねてみせた。この様子をかつての彼を知る者が見たら目を丸くして驚いただろう。『サソリの旦那が待たされて文句を言わねえなんて、どうなってんだ? ……うん』と。

 タバサはサソリの言葉にやわらかに頷く。

 そうか、とサソリが呟くと、おもむろに立ち上がり、

 

「じゃあ、行くか」

 

 と確認するように言った。

 タバサは、トリステイン魔法学院に戻らなければならなかった。

 王家に無断で母に会いに来ていることを知られれば、反意ありと判断されるかもしれない。それはタバサにとって非常に都合が悪かった。そうならないためにも、早々と魔法学院に戻らなければならないのだ。

 母の元を離れるのは後ろ髪を引かれる思いだが、いつかきっと一緒に暮らせるようにしてみせる、と新たな誓いを胸に、自身の使い魔を見つめる。

 

「どうした?」

 

 見つめられたサソリは不思議そうに首を傾げた。

 

「なんでもない。……行こう」

 

 サソリの問い掛けに口元をほころばせると、タバサは首を左右に振り、呟くように言葉を紡ぐ。

 タバサたちが客間から出ようとしたその時、慌ただしく扉が開き、執事のペルスランが息をきらせ部屋に入って来た。

 彼は顔を青くさせ、怯えるように言葉を発する。

 

「た、大変です。お嬢さま。お、王家より指令が……」

 

 そう言う彼の手には、書簡が握られていた。

 そのことにタバサが眉をひそめる。王家には此処にいることは伝えていない、にも拘わらず此処に書簡が届いたということそれは……。

 

「……監視されている」

 

 タバサが押し出すように呟く。タバサの行動をすべて把握していると王家が暗に言っているのだ。

 言い知れぬ戦慄がタバサの全身を駆け抜ける。王家の見えない手はどこまで伸びてきているのだろう、と。

 

「そう不安がるな、タバサ」

 

 慄くタバサにサソリが声をかける。

 サソリはハルケギニアに召喚された日よりタバサが何者かに監視されていることに気付いていた。監視の目が自分にも及んでいることも。

 忍び世界にいた時は多数の部下を各里にスパイとして送り込んでいたサソリ。彼からすれば王家の行動は当然とも言えた。

 謀殺された王弟の遺児。現王家に取って謀反の火種になりかねない存在。監視が全くないと考えるのは楽観しすぎだろう。

 サソリは口の端をつりあげ、鼻で笑うように言う。

 

「今さら気にしても仕方ねぇことだろ?」

 

 その言葉にタバサは同意する。理解していたことだ。王家が自分の命を狙っていることなど。

 そう、サソリが言うように今さらなのだ。この期に及んで監視されている程度のことに怯えていては、これから先に進むことなどできない。

 タバサが深呼吸を一つ。すると、少女の纏う雰囲気が一変する。冬の風にも似た冷たいものへと。

 タバサから弱気な感情は完全に消えていた。その瞳に揺るぎない意志を灯らせ、ペルスランから書簡を受け取ると、無造作に封を開き、内容を確認する。

 

「内容は?」

 

 サソリが端的に尋ねた。

 

「任務。……亜人の討伐」

 

 そう言うタバサの声音には、一切の感情は含まれていなかった。

 タバサを心配するような表情を浮かべるペルスランに向き直り、

 

「母さまをお願い」

 

 と言うと、タバサは迷いのない足取りで部屋から出て行く。

 

「……行ってらっしゃいませ、お嬢さま。どうかご武運を」

 

 過酷な運命に抗う少女の後ろ姿にペルスランは深々と頭を下げた。

 そんなペルスランに声が掛けられる。

 

「おい」

 

 ペルスランが頭を上げ、呼びかけた人物に目を向ける。そこにいたのはサソリだった。

 

「サソリさま?」

 

 タバサの使い魔であるサソリが主人に付いていかず、まだこの場に残っていたことをペルスランは疑問に思う。

 その疑問に答えるように、

 

「お前にコレを渡しておこうと思ってな」

 

 サソリがそう言って懐から一本の巻物を取り出し、ペルスランに手渡す。

 

「コレは?」

 

 巻物を渡されたペルスランは不思議そうな表情を作り、首を傾げる。

 

「もしもタバサの母の身に危険が迫ったら、それを開け」

「……コレを開くのですか?」

 

 ペルスランが巻物をまじまじと見つめ戸惑いがちに尋ねた。

 サソリはその問いに頷くと、もう用は終わったと言うように、タバサに追いつくため足早に部屋から出て行く。

 一人部屋に残されたペルスランは再び頭を深々と下げ、

 

「偉大なる始祖ブリミルよ。お嬢さまにご加護を」

 

 少女の無事を心から祈る。祈ることしかできない自分の不甲斐なさに自然とその顔が歪む。

 

「どうか無事お帰りになられますように」

 

 だが、それでも老僕は祈り続ける。目元に涙を滲ませながら、ただただ、少女の無事を願って……。

 

 

 

 

 

 視界いっぱいに広がる青空。

 穏やかな日差しが降り注ぐ中、空を颯爽と翔ける竜の傀儡。

 

「ところで、いったい何を討伐するんだ?」

 

 その傀儡を操りながら、いいかげん傀儡の背に乗るのにも慣れ、危なげなく黙々と本を読んでいるタバサにサソリが尋ねた。

 

「コボルド」

「コボルド? どんな生き物なんだ、それは?」

 

 聞き慣れない生物の名にサソリの口から疑問がこぼれる。タバサは読んでいた本をパタンと閉じ、サソリに顔を向けると、コボルドの特徴を説明し出す。

 曰くコボルドとは、犬の頭を持つ亜人の一種で、力も知能もたいしたものではないらしい。平民の戦士でも、なんとかなるような相手。

 

「雑魚か……」

 

 タバサの説明を聞いたサソリがぽつりとこぼした。その声色にはどこか落胆したような色が含まれている。強力な生物なら傀儡の材料に利用してやろうと考えていたサソリ。そのあてが外れ、失望感が声に表れたのだろう。

 

「油断は禁物」

 

 タバサが表情を変えぬまま、サソリをたしなめ、

 

「数は多い」

 

 付け加えるように言う。

 コボルドはその力の弱さを補うために群れで行動することが多い。個々の力は弱くともそれが数十匹からなる群れとなれば、脅威となる。平民だけで対処するのは難しいだろう。もちろんメイジといえど油断すれば足をすくわれる。

 だが、サソリはそれがどうした、と鼻で笑う。

 

「オレがやられるとでも思っているのか?」

 

 タバサは首を横に振る。サソリがコボルドに遅れを取るなど微塵も思っていない。数が多いだけではサソリの脅威には成りえないのだ。

 そのようなことは十分理解しているが、それでも少女はサソリの身を案じてしまう。

 

 眉根を寄せ、何か言いたげなタバサを一瞥し、サソリは今回の任務について考える。なぜ王家は、タバサにコボルド退治などをさせるのだろうか、と。

 話を聞く限り油断しなければたいした危険はない任務。任務中、いわば合法的に命を落とすことを期待している王家が命じたにしては、ぬるすぎる内容だ。

 なにか裏があるのか、とサソリは勘ぐるが、その考えを一蹴するように唇の端をつりあげる。

 誰が、何を企もうと叩き潰せばいいだけだ、と。

 己が力に対する絶対の自信。傲岸不遜とも言えるその考えは、かつて命を落とした時のように、彼を死へと誘う危うさを孕んでいた。

 

 

 

 

 ガリア南部の山地の中に、アンブランと呼ばれる村があった。そこが今回の任務の目的地。周りを山々に囲まれたその村は、一番近い町から徒歩で三日は離れている。まるで陸の孤島のような場所だった。

 村の周囲には鉄製の柵が建てられ、入り口には大きく立派な門柱がそびえている。おそらく亜人や害獣対策に建てられたのだろう。ハルケギニアでは、人間を好んで襲う生き物は多い。オーク鬼、吸血鬼、ミノタウロス、そしてコボルドなどの怪物に襲撃を受けて村が壊滅したという例は、掃いて捨てるほどあった。

 

 サソリが竜の傀儡を村の真ん中の広場に着陸させると、わらわらと村人たちが集まって来た。

 

「おお! 竜だ!」

「違うわ、ガーゴイルよ」

「こんな大きな竜のガーゴイルなんてすごいな!」

 

 村人たちは物珍しそうに竜の傀儡を眺め、驚いたような声を上げる。タバサとサソリが傀儡から飛び降りると、村人たちが朗らかに笑いかけてきた。

 

「おやおや! この村にお客さまとは珍しいな」

「子供が二人だけで何の用かな?」

 

 にこにこと笑顔を作り、話しかけてくる村人たちにタバサは違和感を覚えた。コボルドに襲われているというから、殺伐とした雰囲気を予想していたが、そんな気配を微塵も村人たちから感じられなかったからだ。

 それに笑顔を浮かべる村人たちを見ていると、何かが心に引っ掛かる。言葉では言い表せない何かが。どこにでもある普通の村の光景なのに、あるべき何かが足りないような……。

 

「きっとお城からコボルド退治に来てくれた騎士さまだよ」

 

 タバサのマントと節くれだった大きな杖を見取った村人の一人が言う。

 

 タバサが肯定するように頷くと、村人たちが喜色をあらわにする。

 

「ああ、よかった!」

「そうだね。あと三日遅かったらユルバンさんがコボルド退治に飛び出してしまうところだったよ!」

「これでじいさんが危険な真似をしなくて済むな!」

 

 タバサが騎士だと分かると、村人たちが口々に喜びの声を上げた。その様子を見たタバサは心に生まれた違和感を振り払う。きっと考え過ぎなのだろう。そう自分に言い聞かせる。

 

 喜びに湧く村人たちに水を差すように、一人の男の怒声が辺りに響く。

 

「こりゃああああ! きさまらぁあああ! なにをしとるか~!」

 

 大声を上げ、現れたのは長槍を担いだ老人だった。真っ白な髪と髭、顔には深く刻まれた皺が相当な高齢であることを窺わせる。だが、その体つきは年を感じさせないしっかりとしたもので、時代がかった甲冑をその身に纏い、油断なく長槍を構える姿は、歴戦の戦士といった様相だ。

 タバサとサソリをまなこに捉えると老人は目を細め、迷わずサソリに槍を突き付ける。

 

「珍妙な格好をしよって、怪しい奴め! 名を名乗れ!」

「あぁ?」

 

 どうやらサソリの格好は、老人の中では不審者に分類されるようだ。赤い雲の模様が描かれた黒い外套を纏い、足元はサンダル姿、手足の爪が全て黒く塗られていれば、怪しい奴と言われても仕方ないのかもしれない。

 不快そうに眉をしかめるサソリ。そんな彼にタバサが顔を向け一言。

 

「わたしは貴方がどんな格好でも気にしない」

「……」

 

 今まで口には出さなかったがタバサもサソリの格好は変だと思っていたようだ。慰めるように言うタバサ。逆にその優しさが痛かった。言葉も出ないサソリ。これでも『暁』のメンバーの中では、平凡な見た目だというのに……。

 威嚇する老人を、村人が呆れた声でたしなめる。

 

「失礼ですよ、ユルバンさん。こちらのお嬢さまは、お城から来て下さった騎士さまですよ。そのお供の方に槍を向けるなんて……」

 

 ユルバンと呼ばれた老人がサソリから、その隣にいたタバサに視線を移す。

 

「確かに、マントをつけておられるな。だが、貴族さまといえど、わしの許可なくこのアンブランに立ち入ることは許されぬ! なに用でこの村に来られた。お答え下され!」

 

 ユルバンがずいっと槍をタバサに向ける。目の前に槍を向けられてもタバサは顔色一つ変えずに、短く答える。

 

「コボルド退治」

「なんと!」

 

 その言葉を聞いたユルバンの表情が驚きに染まった。次いでうめき声を上げ、悔しそうに顔を歪める。

 

「あれほどわし一人で十分と申したのに……。奥さまは、まだこのわしが信用ならぬとおっしゃるのか!」

 

 ユルバンは槍を肩に担ぐと、踵を返し足早にその場を後にする。

 いったいあの老人は何だったのだろう、とタバサが小さく首を傾げていると、

 

「あまり気を悪くしないで下さい、騎士さま。ユルバンさんに悪気はないんです」

「そうそう、あの爺さんはこの村を守る兵隊なんです。責任感が強くて仕事熱心だから、よそから人が来たら、あんな態度を取っちまうんですよ」

「根は良い人なんです。だから怒らないでやって下さい」

 

 村人たちが次々にユルバンを擁護するように言ってくる。頑固そうな老人に見えたが、村人たちからは愛されているのだろう。

 タバサは村人たちを安心させるように頷くと、この村の領主の居場所を尋ねた。

 

 

 

 この村を治めているのは、ロドバルド男爵夫人と呼ばれる人物で、その屋敷は小さいながらも手入れの行き届いた貴族屋敷だった。

 門をくぐり、玄関先まで赴くと、先ほど出会ったユルバンが執事と思しきでっぷりと太った中年の男性に詰め寄っていた。

 

「ユルバンさん、いったいどうしたんだね?」

「奥さまはおられるか!」

 

 ユルバンの剣幕に押され、執事の男性は戸惑いがちに答える。

 

「書斎におられるが……」

 

 その言葉を聞くと、ユルバンは執事を押しのけるようにして、屋敷の奥へと進んでいった。

 突然のことに困ったような表情を浮かべ、冷や汗を拭うような仕草を取る執事の男は、そこでタバサたちの存在に気付く。

 一瞬、怪訝そうな顔つきになるも、執事の男はすぐに表情を笑顔に変える。

 

「おや、お嬢さま。当家になにかご用ですかな?」

「花壇騎士タバサ」

 

 タバサが短く名乗りを上げると、執事の男は最初驚いた表情になったが、すぐに何かを察したのか、

 

「お城からいらした騎士さまですな! 遠いところをありがとうございます。ささ、奥さまがお待ちでございます。どうぞこちらへ」

 

 恭しくタバサたちを迎え入れた。 

 

 執事に案内され書斎に向かうと、ユルバンの大声が部屋の開け放たれた扉から響いてきた。

 

「奥さま! どういうことですか! 奥さまのお言い付けどおり、コボルド退治を延期してみれば、王都から騎士を呼ぶなど! わたくしを謀ったのですか!」

 

 タバサたちが部屋の中を覗くと、そこには興奮してまくし立てるように言うユルバンに困った表情を向ける銀髪の老婦人がいた。彼女がこの村を治めているロドバルド男爵夫人なのだろう。

 

「だって……、ユルバン。あなた一人ではさすがに……」

 

 ロドバルド男爵夫人の心配するような言葉に、老人の顔が赤く染まる。

 

「なにをおっしゃいますか! このユルバン、五十年以上もロドバルド家、ひいてはアンブランを守って来た男ですぞ! コボルドごときわたくし一人で十分! それとも奥さまは、わたくしの腕が信用できないと、そう申されるのですか!」

「そうではないの、ユルバン。どうか落ち着いて」

 

 ほとほと困り果てた様子のロドバルド男爵夫人は、眉を八の字にしてユルバンをなだめる。

 そんなやり取りが交わされる部屋の中へタバサは、躊躇なく入っていく。

 部屋の中に入って来た少女に気付いたユルバンは、一層大きな声で言う。

 

「これは騎士さま! せっかく遠いところからお越しいただいて恐縮ですが、コボルド退治ならわたくし一人で十分! 騎士さまのお手を煩わせるほどのこともありません。さっそく王都へお戻り願いたい」

「ユルバン、失礼ですよ。わざわざ王都から来ていただいたというのに」

 

 慇懃無礼な態度を取るユルバンをロドバルド男爵夫人がたしなめる。

 

「騎士とはいえ、まだ子供ではありませぬか。到底、戦いができるとは思えませんな」

 

 つまらなそうに鼻を鳴らすユルバンの横を通り過ぎ、ロドバルド男爵夫人がタバサの目の前まで近づいて来た。

 

「ようこそ。あなたが王都からいらしてくれた、花壇騎士どのね?」

「花壇騎士タバサ」

 

 タバサが頷き、名乗りを上げた。

 ロドバルド男爵夫人は、可愛らしい騎士を微笑ましく感じたのか口元をほころばせる。次いで、タバサの後ろにいたサソリにロドバルド男爵は視線を向けた。

 

「あなたは?」

 

 笑みを絶やさずロドバルド男爵夫人がサソリに尋ねた。

 

「わたしの使い魔」

 

 答えたのは、タバサだった。

 その言葉にロドバルド男爵夫人は目を丸くさせるも、

 

「変わった使い魔をお持ちなのね」

 

 と言うだけにとどめ、すぐにその顔は笑顔に戻る。

 

「奥さま、まだ話は終わっていませんぞ!」

 

 ユルバンが納得できないという風に、タバサとロドバルド男爵夫人の間に割って入る。

 

「奥さまは、こんな子供たちにコボルド退治をさせるつもりなのですか? わたくしの腕がこの子らより劣っているとおっしゃりたいのですか!」

「そうは言っていません。でもあなたには、この村を守るという大事な役目があるではないですか。コボルド退治は騎士どのに任せて、あなたは村を守っていて。お願い」

 

 ロドバルド男爵夫人の言葉に、ユルバンはワナワナと身体を震わし、苦しげに言葉を絞り出す。

 

「そのような詭弁でわたくしを騙そうというのですか……。奥さまは、わたくしから汚名をすすぐ機会を奪おうとお考えなのですか!」

「そうじゃないの! わかって、ユルバン」

 

 哀しげに頭を振り、想いを伝えようとするロドバルド男爵夫人。

 だが――

 

「失礼します!」

 

 ロドバルド男爵夫人の言葉を耳に入れたくないというように、ユルバンは勢いよく部屋から飛び出して行ってしまう。

 

「……ユルバン」

 

 ロドバルド男爵夫人の口からため息がもれた。

 

「見苦しいところを見せてしまいましたね、ごめんなさい」

 

 ロドバルド男爵夫人は困ったような笑みを浮かべ、タバサたちに頭を下げた。

 

「ユルバンの失礼を許して下さいね。悪い人ではないのよ。ただちょっと責任感が強いだけなの……」

 

 タバサは気にしてない、という風に頷いた。

 

 ロドバルド男爵夫人はタバサにコボルド討伐依頼の詳細を説明した。

 コボルドの群れが、村から徒歩で一時間ほどの廃坑に住みついたのは、二週間ほど前のこと。まだ村に被害は出ていないが、たびたびコボルドの偵察隊が村の様子を窺う姿が目撃されていた。コボルドは用心深い。村の戦力がどれほどあるのか調べているのだろう。村にたいした戦力がないと分かれば、近日中にも村に襲撃をかけてくる可能性があった。

 

「群れの規模は?」

「廃坑の大きさからいって、おそらく三十匹ほどかと。……大丈夫でしょうか?」

 

 小さな騎士とその使い魔の身を案じたロドバルド男爵夫人が戸惑いがちに尋ねた。

 

「大丈夫」

 

 タバサは迷いなく言った。

 

「よかった。では今日は当家にお泊りになられて、英気を養ってください」

 

 ロドバルド男爵夫人は安心したように満面の笑みを浮かべた。

 

 

 

 夕食の時間。

 タバサたちは食堂に案内される。屋敷の主人であるロドバルド男爵夫人はすでに席に付いていた。机の上には見るからに美味しそうな料理の数々が並んでいる。

 執事が椅子を引き、タバサたちは席に着く。ロドバルド男爵夫人がタバサたちに感謝の言葉を述べ、夕食は始まった。

 タバサは香ばしい匂いに誘われるように、目の前の肉料理にナイフとフォークで挑む。綺麗に一口大に切り分け、いざ。

 ぱくりと肉を口にしたタバサだったが、その顔がわずかに曇る。予想していた味と違ったのだ。

 味が薄い。塩気が足りていないのだ。

 タバサが眉をひそめ、サソリに目をやると、彼は何の感情も浮かべず、一種の作業のようにぱくぱくと料理を口に運んでいた。

 そこでタバサとサソリの目が合う。

 するとサソリは食事する手を止め、仕方のない奴だ、といったふうに肩をすくめると、自分の目の前に置かれていた料理をタバサの方へと移動させる。何か勘違いさせてしまったようだ。

 ロドバルド男爵夫人は高齢。さらに彼女は独り身のようだ。おそらく、この家の主に合わせた料理なので味が薄いのだろうと推測するタバサ。

 量が増えた料理を前に、味に文句をつけるのは失礼と思ったタバサは黙々と平らげていく。

 

 

 並んだ数々の料理を、ほぼ一人で食べきり、膨れたお腹をタバサがさすっていると、ロドバルド男爵夫人が声をかけてきた。

 

「先ほどのユルバンのことでお願いがあるのです。おそらく『自分もコボルド退治に連れて行ってほしい』とあなたに頼みに来ると思うのですが……。その際に、きっぱりと断って欲しいのです」

 

 タバサは、ロドバルド男爵夫人に瞳を合わせる。その真意を探るように。

 

「ユルバンは、この村のために何十年も尽くしてくれました。今や、夫も子もいないわたしに取って彼は、唯一の家族と言ってもいい存在なのです。もし、彼がコボルド退治で怪我を負ったらと思うと。わたしは心配で、心配で……」

 

 ロドバルド男爵夫人の言葉はユルバンへの慈愛で満ち溢れていた。家族に危険なことはさせられない。そう思ったからこそ、城にコボルド討伐の依頼を出したのだろう。

 大切な人に傷ついて欲しくない。タバサにもその気持ちはよく理解できた。

 タバサはロドバルド男爵夫人を安心させるようにしっかりと頷いた。

 

 

 

 夜も更けた頃。

 タバサは屋敷の二階、彼女のために用意された客間にいた。大きめの綺麗なつくりの部屋。ベッドに寝っ転がり少女はいつものように本を読んでいた。

 そして彼女の使い魔であるサソリは、床に胡坐をかき、傀儡造りに勤しんでいる。

 タバサとサソリには、別々の部屋を用意してくれていたが、襲撃や不測の事態があった時に動きやすいという理由でサソリがタバサの部屋へと転がり込んでいた。 

 タバサは、本を読みながら明日のコボルド退治の作戦を考える。今までの任務で相手取ってきた妖魔や亜人に比べると数段劣っている相手だが、油断はできない。ただのコボルドだけなら問題ないが……。

 タバサが考えに耽っていると、部屋の扉がノックされる音が耳に届く。

 

「だれ?」

「わしです」

 

 タバサが問うと、しがわれた声が響いた。昼間出会ったユルバンの声だ。扉を開くと、平服に着替えたユルバンが立っていた。

 ユルバンはタバサを瞳に映すと、その場に片膝をつく。

 

「騎士さま、お頼み申す! わしを明日のコボルド討伐に連れて行ってくだされ!」

「それはできない」

 

 タバサが頼みをきっぱりと断ると、ユルバンは平伏するように頭を深く下げる。

 

「そこを曲げて、お願い申し上げる! 足手まといにはなりません! なにとぞ、なにとぞ……」

 

 必死に頼み込みユルバンの姿にタバサは疑問を覚えた。どうして危険な討伐などに行きたがるのだろうか、と。

 命を懸けた戦いに赴きたがるのは貴族だけだ。貴族は名誉をなによりも重んじる。無辜の民を苦しめる亜人や妖魔を倒すことを誉れと感じる者は多いだろう。だが、平民は違う。食うに困って傭兵になる者はいるが、基本、名誉とは無縁の存在である平民は戦いに行きたがらない。名誉を得た所で何の足しにもならないからだ。

 

「どうして、あなたは討伐に行きたがるの?」

 

 タバサの問いに、ユルバンが悔しそうに顔を歪め、語り始める。

 

「……わしは失態を犯したのです」

「失態?」

「はい、今から二十年前、この村をコボルドの群れが襲ったのです。……わしは村の門番を務めていましたが、コボルドの群れを止めることができませんでした」

 

 ユルバンは、当時のことを鮮明に覚えていた。襲い来るコボルドの群れ。一人立ち向かったが奮闘虚しく、コボルドの攻撃で不甲斐なくも気絶してしまったこと。

 そして目が覚めた時には、すべてが終わっていた。

 

「村を襲ったコボルドは奥さまが魔法ですべて倒されたそうです。……幸いにも村人に犠牲者はでませんでしたが、わしは村を守るという任を果たせなかったのです。そればかりか、奥さまはコボルドとの戦いで傷を負い……」

 

 ユルバンは瞳に涙を滲ませて、首を振った。

 

「神の御業である魔法を失ったのです」

「魔法を失った?」

 

 タバサはユルバンの言葉に首を傾げた。そんな話聞いたことがなかったからだ。例え、瀕死の重傷を負ったとしても魔法が使えなくなることはない。だが、目の前の老人が嘘を吐いているようにも見えなかった。

 

「貴族さまが魔法を使えなくなるということが、どれほどの苦しみか平民であるわしには想像することしかできません。奥さまは気にしなくていい、とおっしゃって下さりましたが……」

 

 ユルバンが両手で顔を覆う。瞳から溢れる涙を隠すように。

 

「奥さまは魔法が使えなくなって以来、……村から一歩も外に出なくなられたのです」

 

 貴族にとって魔法は己のすべて。それが失われたとなれば、手足をもがれたも同じ。精神に及ぼす負担は計り知れない。そして公の場や催し物に出向けば魔法が使えないことで、心ない嘲笑や侮辱を浴びることもあるだろう。

 ロドバルド男爵夫人が村から出なくなったと言う話は納得できるものだった。

 ユルバンは額を床に押し付け、涙ながらに懇願する。

 

「後生です! わしは、今度こそ仕事をやり遂げ、奥さまに報いたいのです! 奥さまの剣として、村の盾として! 騎士さまに決して迷惑はかけませぬ! なにとぞ、わしにコボルド討伐の末席を汚すことをお許しくだされ!」 

 

 ユルバンの気持ちを知ったタバサは迷ってしまう。彼に名誉挽回の機会を与えてあげたいという思いに駆られる。

 だが――

 

「あなたを連れていくことはできない」

「なぜです! あの日より鍛錬を怠ったこともありません! 必ずお役に立ってみせます!」

 

 ユルバンが顔を上げ、縋るように言う。それでもタバサは首を横に振る。ロドバルド男爵夫人と約束したのだ。ユルバンを戦いに連れて行かない、と。

 それでも諦めきれないユルバンが言葉を紡ごうとした時、

 

「お前では足手まといだ」

 

 それまで、我関せずを通していたサソリが立ちあがり、ユルバンに声をかけた。

 

「なんだと!」

 

 サソリの言葉をユルバンは看過できなかった。

 ユルバンの身体は老人とは思えないほど鍛えあげられている。腕も胸も引き締まり、がっしりとした体躯。日々の修練が偲ばれる身体つきだった。その努力を否定されたのだ。怒りが湧いて当然。

 

「小僧! もう一度言ってみろ!」

「ああ、何度でも言ってやる。じじい、お前は足手まといだ」

 

 馬鹿にするようなサソリの言葉にユルバンの顔が赤く染まり、サソリに詰め寄る。

 

「きさま~!」

 

 怒り心頭といったユルバンが声を荒げるが、次の瞬間、ユルバンの身体を寒気が走り抜ける。

 

「なっ!」

 

 ユルバンは驚愕する。目の前の少年と瞳を合わせた途端に、背中から冷たい汗が滝のように吹き出すのを感じたからだ。

 身体を重圧が襲う。言葉も出ない。目の前の少年は何なのだ? ユルバンは動物の本能ともいえる根源的な恐怖をサソリから感じた。

 

「オレと視線を合わせただけで、恐怖を覚えるような奴が、戦いの役に立つと思っているのか? 笑わせるな」

 

 サソリが鼻を鳴らすと、ユルバンの身体にかかっていた重圧が消える。

 ユルバンは息を吐き出し、その場に倒れ込むように膝をつく。

 

「わかったら、さっさと部屋から出て行け」

「……くっ」

 

 サソリが無慈悲に言い放つ。その言葉に悔しそうに唇を噛み締め、ユルバンは肩を落としトボトボと部屋から出て行った。

 部屋にタバサとサソリの二人だけになると、

 

「言い過ぎ」

 

 タバサが叱るように一言。

 

「あれぐらい言わないと、引き下がらなかっただろ? 実際、足手まといだしな」

 

 悪びれた様子もなくサソリが返す。

 確かに、ユルバンは身体を鍛えているといっても高齢。魔法で戦うメイジならいざ知らず、身体を張って戦う平民にとって、老体という事実はなによりの足かせだった。ユルバンでは、コボルドの一撃さえも致命傷になりかねない。

 それでも、もっと穏便な言い方があったのではないか、とタバサは自身の使い魔の行動に少し不満を覚えた。 

 

「それに……」

「なに?」

「いや、何でもない」

 

 サソリは何かを言いかけてやめる。不思議に思ったタバサが首を傾げるが、サソリはこの話は終わりだ、というように床に座り傀儡造りを再開した。

 

 傀儡を造りながらサソリは思い起こしていた。家族のように想う存在を心配していたロドバルド男爵夫人を。

 両親を待ち続けたサソリには、ロドバルド男爵夫人の気持ちはよく理解できた。だからこそユルバンに恨まれてでも、彼を戦いに連れて行くことはできなかったのだ。

 サソリは口元を歪め、己の行動を自嘲する。他人がどうなろうと興味なかったオレが、赤の他人に気を使うなど、随分と腑抜けたものだ、と。

 心の変化。それが何を意味するのか、それが何をもたらすのか、まだ彼自身気付けてはいなかった。

 いつか、サソリがその意味に自ら辿り着いた時、それは……。

 

 

 

 同時刻。

 アンブランの村より数リーグ離れた小高い丘の上、黒いローブを頭まですっぽりとかぶった人影があった。そのやわらかい身体のラインから女性であることが窺える。人影はアンブランの村を見下ろすように眺めていた。

 人影がおもむろにローブをずらすと、その顔があらわになる。あらわれたのは、紫色の瞳を持つ妖艶な女性。年は二十代半ばぐらいだろうか。やや吊りがちの目元からは怜悧な印象を受ける。腰まで伸びた黒髪が、月明かりに溶け淡く輝いていた。

 女性がポケットから手のひら大の人形を取り出し、口元に近づける。すると、女性の額に文字が浮かび上がり、妖しい光を放つ。

 

「ジョゼフさま、シャルロットさまとその使い魔、命令通りアンブランにやってきました」

 

 女性が人形に語りかけると、人形が男の声を発する。彼女はその声に嬉しそうに頷き、笑顔で答えた。

 

「はい、手筈通りに。すでに、シャルロットさまを監視していたロマリアの目は排除しております。これで、無粋な視線を気にせず、あの使い魔の実力を測れるというもの。すべてわたくしにお任せくださいませ。必ずやジョゼフさまのご期待に応えてみせます」

 

 言い終わると、女性は人形をポケットにしまい、村に視線を向ける。その口元に猛禽類のような笑みを浮かべて。

 

「ジョゼフさまのおっしゃる通り、おもしろい村のようね。わたしの力を振るうに相応しい舞台じゃない」

 

 女性は酷薄に笑う。これから起こる悲劇を想像して……。

 


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