雪風は赤い砂と共に   作:火の丘

21 / 27
ルイズとサイト

 抜けるような青空の下、ゼロの名を持つ少女は願いを込め、杖を振るう。

 使い魔召喚の儀式。それは少女にとって最後の希望。

 失敗する訳にはいかない。

 故に願う。心から強く、強く。

 そして――

 願いは届く。

 運命に導かれ少女は、黒髪の少年と出会う。

 その出会いは、少女の虚無に染められた世界を変えていく……。

 

 

 

 トリステイン魔法学院、学生寮の一室、床に藁束を敷き詰め、その上で毛布にくるまり眠る少年がいた。

 くうくう、と寝息を立て心地よさそうな少年の寝顔に、カーテンの隙間からこぼれた朝日の光が当たる。

 日の光は容赦なく少年を夢から現実へと引き戻す。 

 う~ん、という声と共に少年が眠たげにまぶたを開ける。もう朝か、とぼやくと二度寝の誘惑を振り払い、重いまぶたをこすりながら『ニワトリの巣』と主に名付けられた粗末な寝床から少年は起き上がった。

 大きな欠伸を噛み殺し、背伸びする黒髪の少年。

 少年の名は、平賀才人。

 どこにでもいる普通の高校生だった彼は、何の因果か異世界に召喚され、あれよあれよ、という間に学生から使い魔という怪しげな職業に強制的にジョブチェンジを果たしていた。

 ――なんでこうなったんだろう?

 そんな事を考えても詮無きこと。

 人生なにが起こるか分からない。ただそれだけのことだった。

 十七年間、平凡な人生を送ってこられたからといって、残りの人生が平凡とは限らない。いつ我が身に何が起きたとしても、おかしくはないのだ。

 平賀才人の場合、その何かが異世界に召喚されるという予想の斜め上を行く事態だったわけだが……。

 

 異世界ハルケギニアに召喚され、才人の瞳に最初に飛び込んできたのは、息をするのも忘れて見入ってしまうほどの可愛い少女の顔だった。

 

「あんた誰?」

 

 可愛い顔とは裏腹に、嫉辣な物言いをする少女でもあった。その少女こそ、才人をハルケギニアに召喚した張本人、桃色の髪の少女ルイズだった。彼女曰く、メイジで、貴族で、才人のご主人さまらしい。

 本人の意思も関係なしに彼女は才人を自身の使い魔にしてしまう。恐るべしルイズ。ハハハ、こやつめ、と何処ぞの忍びのように笑い飛ばせるほどの気概は、才人には当然なかった。

 召喚された頃はよく悲嘆に暮れたものだ。家に帰りたい、家族に会いたい、と。

 だが、帰る方法など見当もつかない。異世界に頼れる相手がいるわけもなく、才人はルイズの使い魔として仕方なく生活していくこととなる。

 良くも悪くも、才人は順応性の高い性格をしていた。普通の人間ならパニックに陥る状況もその持ち前の性格で乗り切っていく。

 今では、すっかりハルケギニアの生活にも慣れ、ギーシュとの決闘に勝利したことから学院の生徒たちから一目置かれるまでになっていた。

 

 

 そして現在。彼は使い魔の朝の仕事として、寝ているご主人さまを起こさなければならなかった。ちなみに、才人が寝過ごすと、朝ご飯抜きという地味に嫌な罰が待っている。ルイズは、使い魔にきびしいご主人さまだったのだ。

 労働環境の改善を要求したい。そんな事を思いつつも、真面目に仕事に取組む才人。

 なぜか最初は抵抗を覚えていた仕事も、今ではやってもいいかな、という心境になっていた。その心の変化に首をひねりつつも、才人はルイズを起こすべく、彼女が眠るベッドへと近づいて行く。

 ルイズはベッドの中ですやすやと寝息を立てていた。その愛らしい寝姿に思わず、才人の口から吐息がこぼれる。ルイズの寝顔は、あまりにも美しかった。まるで空想の世界から眠り姫が抜け出してきたのでは、と思えるほどに。

 あどけない寝顔から目が離せなくなった才人が、これでもう少し胸があれば、完璧なのになあ、と割と失礼な事を考えていたその時、

 

「ちい姉さま、わたし魔法が使えるようになったのよ」

 

 ルイズの声が静かな部屋に響く。その声に驚き才人の身体がビクッ、と震える。ルイズが目を覚ましたのかと思ったがまだ眠っているようで、えへへ、と幸せそうな寝顔を浮かべていた。

 なんだ寝言か、と才人が呟くと、先ほどの少女の言葉を思い返す。

 ルイズは魔法が成功したことがなかった。その事が原因で『ゼロのルイズ』と周りから馬鹿にされ、今までひどくつらい思いをしてきた。ハルケギニアでは魔法の才能が重要視され、貴族のアイデンティティーの根幹を成している。ルイズの気位が高く、負けん気の強い性格をしているのもその辺が原因なのかもしれない。だから先日、降って湧いたように十六年間、成功しなかった魔法が使えるようになった時の喜びは、ひとしおだったに違いない。

 今も夢の中で魔法が使えるようになった喜びを享受しているのだろう。幸せそうに口元をゆるませ笑みを浮かべている。

 そんな少女の幸せそうな寝顔を見た才人は、ルイズを起こすのが多少しのびなくなったが、起こさなければ後で何を言われるか分かったものではない。彼は心を鬼にして少女を起こすことにする。

 

「おいルイズ、もう朝だぞ。起きろ」

「う~ん。あと五分……」

 

 サイトがルイズに声をかけ、その身体をゆするとありきたりな台詞が返ってきた。ルイズはモゾモゾと身体を丸め、まどろみを逃がさないようにと、頭から毛布を引っかぶる。まるで蓑虫のようなその姿に、サイトから苦笑いがもれる。

 

「早く起きないと、遅刻しちまうぞ」

 

 才人がやさしく声をかけ、今度は強めにゆすってみる。その様は、なかなか起きない子供に手を焼く母親のようだ。

 

「もう……、起きるから……」

 

 寝ぼけた声でルイズが答える。だが、その言葉とは裏腹にルイズが起きる気配はない。さらに身体を丸めると、二度寝に沈んだのだろう。ぐうー、と寝息をたて始めた。

 その姿に、起きないのかよ、と心の中で突っ込みを入れる才人。

 なかなか起きないルイズに、このままでは埒が明かない、と確信した彼は強硬手段に出る。

 

「いいかげん起きろ!」

 

 才人はルイズが包まる毛布を両手で掴むと、全力で引っ張った。それはもう、力の限り。すると、勢いよく毛布を剥ぎ取られたルイズはベッドから投げ出され、くるくると空中で華麗に三回ほど舞うと、ゴスッ、という痛そうな音を響かせ床に落ちた。

 

「……」

 

 一部始終を見ていた才人の顔から一気に血の気が引いていく。彼の予定では、ルイズからシーツを剥ぎ取るだけのつもりだったのだが、まさかこのような悲劇が起ころうとは、予想外もいいところだ。

 才人が呆然としていると、ルイズがゆらりと立ち上がり才人に顔を向ける。ルイズは笑みを浮かべていた。とても可愛らしい笑みだ。鼻から血がタラリと出ていたが、そのようなことで彼女の愛らしさが損なわれることはなかった。

 

「……おはよう、ルイズ。……その大丈夫か、鼻血が出てるぞ」

 

 才人が恐る恐るルイズに尋ねた。

 ルイズはネグリジェの裾を持ち上げ鼻血を拭う。その時、見せてはいけない所が色々と見えていたのだが彼女は気にした様子もなく、ニッコリと才人に微笑みかける。

 

「あんた、朝ごはん抜き」

「ですよねー」

 

 才人の朝の努力が水泡に帰した瞬間だった。

 

 

 朝ごはんを抜かれた才人だったが、たいして落ち込んではいなかった。なぜなら、彼にはご主人さま以外から、ごはんを貰えるあてがあったからだ。

 才人はルイズにばれないようにアルヴィーズの食堂の裏にある厨房に赴く。才人が厨房の扉を開けると、野太い声が鼓膜を震わす。

 

「よく来たな、我らの剣!」

 

 そう言って才人を出迎えたのは、年は四十ぐらいの丸々と太った男性、コック長のマルトーだ。

 平民でありながら貴族との決闘に勝利した才人は、魔法学院の使用人の間で人気者になっていた。平民には使うことのできない魔法。その魔法を使う貴族に平民が勝利したという事実は、使用人たちにしてみれば胸のすく思いだったのだろう。マルトーもその例にもれず、才人のことをいたく気に入り『我らの剣』と呼んで、今日も彼を持てはやすのだった。

 

「おい! 聞いたぞ、我らの剣! あの盗賊土くれのフーケを捕まえたんだってな。お前はどれだけすごいやつなんだ! 貴族の次は盗賊までやっつけちまうなんて。俺はお前がますます好きになっちまった! この気持ちをお前に伝えるには接吻するしかねえぞ! こら!」

「俺が捕まえたわけじゃないよ。それと接吻はやめてくれ!」

 

 怒鳴るような声でマルトーが才人を褒め称え、彼に抱きつくと自身の厚い唇を才人の顔に近づけていく。才人はマルトーの言葉を否定すると共に、迫りくる恐怖から身を守ろうと、手足をバタバタと動かし必死の抵抗をみせていた。

 その時――

 

「マルトーさん! なにをしているんですか!」

 

 女の子の大きな声が厨房に響いた。

 いきなりの大声に驚いた才人とマルトーは、声を出した人物に目を向ける。

 そこにいたのは、肩をくすぐるぐらいの長さで切り揃えた艶やかな黒髪と、黒曜石を思わせる双眸を持つ美人というよりは可愛らしい感じの少女。侍女服に身を包むその姿からは、まさに清楚可憐といった印象を受ける。

 少女は両手を腰に置き、口をへの字に曲げていた。

 

「いきなり大声を出すな、シエスタ。耳なりがしちまう」

「マルトーさんがサイトさんに変な事をしようとしていたからでしょ!」

「俺はただ、我らの剣に親愛の印としてだな……」

「マルトーさん! それ以上はわたし、怒りますよ」

 

 口調を強め、マルトーを叱責するシエスタと呼ばれた少女。怒っていてもいまいち迫力に欠ける童顔だが、マルトーには効果があったようで、才人からすごすごと身を引く。

 才人は心底ほっとした様子でシエスタにお礼を言う。

 

「助かったよ! シエスタ」

「いえいえ。いいんですよ、サイトさん」

 

 少女はにこやかな笑顔を返した。

 

 黒髪の少女シエスタは才人が罰として食事を抜かれ、お腹を空かしている時に出会った魔法学院で働く使用人で、才人の境遇に同情したのか、ルイズに内緒でこっそり食事を分けてくれていた。

 

「今日もミス・ヴァリエールからごはん貰えなかったんですか?」

「……まあ、色々あってさ」

 

 才人は朝の出来事を思い出し、バツが悪そうに頭をかく。

 その言葉にシエスタは顔を曇らせ、

 

「ちょっと待っていて下さいね」

 

 と言って厨房の奥に小走りで向かうと、すぐに銀のトレイを抱えて戻って来た。トレイの上には温かそうなシチューと白パンがのっている。

 才人の目の前にシエスタが料理を置くと、どうぞ召し上がれ、と微笑んだ。

 

「ありがとう。いただきます!」

 

 才人は料理をほお張るたびに顔を輝かせ、美味しい、美味しい、と料理の味を絶賛し、目の前に出された料理をあっという間に平らげてしまう。

 そんな彼の様子をシエスタは嬉しそうにニコニコとしながら見守っていた。同じ平民でありながら貴族に決闘で勝利した才人に、彼女は強い憧れの感情を抱いていたのだ。

 

「美味しかったよ、ありがとう」

「どういたしまして。遠慮せず、お腹が空いたらいつでも来てください」

「そうだぞ、我らの剣。いつでも俺の自慢の料理を食わせてやるからな」

 

 シエスタとマルトーのやさしい言葉に、才人はホロリと感動してしまう。

 

 お腹もふくれ才人が人心地ついていると、シエスタがそういえば、と手を叩き、キラキラと輝かせた瞳を才人に向ける。

 

「サイトさん、すごい活躍をしたんですね。なんでも、あの土くれのフーケを捕まえたそうじゃないですか」

「シエスタもか……。あれは俺が捕まえたんじゃないよ」

 

 またその話か、と才人は手を振り、否定する。

 

「えっ? でもルームメイトのローラが、広場で山よりも大きいゴーレムをサイトさんが剣で切り裂くところを見たって、言っていましたよ」

「確かにゴーレムを切ったのは俺だけど……」

「やっぱり、サイトさんなんですね! すごいです!」

「流石は我らの剣! 自分の手柄を自慢しない! そんなお前が俺は大好きだ!」

 

 またも、才人に抱きつこうとするマルトーを力の限り押し返し、彼はブンブンと首を振る。

 

「いやいや、違うから、俺はゴーレムの腕を切っただけだから」

「じゃあ、捕まえたのは、誰なんですか?」

 

 サイトは少し疲れたような表情を浮かべ答える。

 

「俺と同じように召喚で呼ばれた、サソリって奴だよ」

「あ~! あのミス・タバサの召喚の魔法で呼ばれたという方ですね」

 

 シエスタが思い出したように言う。

 

「そうそう、そいつだよ」

「そいつなら俺も知ってるぜ。この前、広場の隅っこで竜の彫刻を作っていたな」

 

 マルトーの発言に興味を持ったサイトが聞き直す。

 

「竜の彫刻?」

「ああ、見事なもんだったぜ! 遠くから見ただけだが、まるで生きてるように見えたからな」

 

 マルトーはその光景を思い出すと、羽なんか動いているように見えたぜ、と手をパタパタと動かし、感動したように語る。

 

「でも、なんで竜の彫刻なんか作っていたんだ?」

 

 サイトが首を傾げ、疑問を口にした。

 その疑問に、マルトーがあごに手を当て自分の意見を述べる。

 

「たぶん主人に命令されて、作らされていたんじゃないのか?」

「そうなんですか?」

 

 シエスタが才人に目を向け尋ねる。

 

「いや、俺は知らないけど……」

「きっとそうだ。貴族ってやつは、平民を奴隷かなにかと勘違いしてやがるからな! いっつも無茶な注文をしやがるんだ! そのサソリって奴も可哀相に」

 

 マルトーが貴族との苦い記憶を思い出したのか、サソリの境遇に同情していた。

 

「それはないと思うんだけどな……。仲良さそうにしていたし」

 

 才人から見たタバサとサソリは、主と使い魔というより、仲の良い兄妹のような印象を受けていた。二人の纏う雰囲気、いまいち考えの読めない表情、眠たげな瞳と、赤の他人にしては似すぎているように感じたからだ。その上、タバサの口数少ない言葉もサソリには十全に伝わっているようで、二人のやりとりは以心伝心という言葉がぴったり当てはまる。

 それらの印象が才人にマルトーの意見を否定させたが、マルトーには届かなかったのか、

 

「これだから貴族ってやつは――」

 

 延々と貴族に対しての不満が口からもれていた。その隣で困った表情を浮かべるシエスタと才人の目が合い、二人は苦笑するのだった。

 

 

 一方その頃、少年の主であるルイズは、教室で授業を受けている真最中だった。

 彼女は眉根を寄せ、いかにもわたしは不機嫌です、という表情を浮かべ、誰にも聞こえないほどの小さな声で愚痴をこぼす。

 

「あのバカ犬どこに行ったのよ」

 

 自身の使い魔が授業はもう始まっているというのに、自分の元に帰って来ていないことにルイズは苛立っていた。いや、焦っているという方が正しいのか。

 ルイズと才人、お互いに負けず嫌いな性格をしている為、二人はよく喧嘩をしていた。だが、ギーシュとの決闘やフーケの一件を経て、ルイズの心に変化が訪れる。

 ありていに言えば、ルイズは才人のことを見直していた。フーケのゴーレムから救ってくれたことは、もちろん感謝している。だから、ご褒美として、舞踏会でダンスの相手に選んだというのに……。

 朝の出来事を怒っているのだろうか、とルイズはため息をもらし、今度は眉をハの字に変える。

 少しは優しく接しようと思っていたのに、ついカッとなってしまい、彼に朝食を与えなかった事をルイズは後悔していた。

 才人に悪気がなかったことは理解している。なかなか起きなかった自分も悪いという自覚もある。だが、もう少し優しく起こしてくれてもよかったのではないか、ともルイズは思っていた。そうすればこんな気持ちにならずに済んだのに……。

 謝るべきだろうか、という考えが思い浮かぶが、少女の火竜山脈よりも高いプライドがそれを許さない。

 う~ん、とルイズが忙しなく表情を変え、思考の海に沈んでいると、

 

「……ヴァリエール。……ミス・ヴァリエール!」

 

 自身を呼ぶ声に現実に引き揚げられる。

 

「は、はい!」

 

 驚きからルイズが椅子から勢いよく立ち上がり、ハッとした表情で名前を呼んだ人物に視線を向ける。視線の先にいたのは、長い黒髪に漆黒のローブを纏った男性。風魔法の担当教師であるギトーだった。

 彼は冷ややかな目線をルイズに送る。

 

「授業中に顔の運動かね、ミス・ヴァリエール。君は私の授業がよほど退屈のようだね」

「いえ、そんなことは……」

 

 ギトーの叱責に、ルイズはうつむき申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。

 元々ルイズは真面目な生徒だ。魔法を扱えるようになろうと、彼女は人一倍、勉強を頑張っていた。魔法学院の教師の間で彼女が努力家として評判になるほどに。

 ギトーもそのことは理解していた。だから彼は肩をすくめ、これ以上の叱責は不要と判断したのだろう、反省しているならいい、と言うと何事もなかったかのように授業を再開する。

 

「ミス・ヴァリエール。君は最強の系統が何か知っているかね?」

「それは……」

 

 ギトーの質問にルイズは答えあぐねてしまう。魔法の五つの系統。今は失われた虚無を除いた残りの系統魔法、『火』、『水』、『土』、『風』を四大系統と言う。どの系統が最強か、といことは昔から論じられてきた。だが結局、答えはでなかった。メイジは皆、自分の得意としている系統がもっとも優れていると信じている。だから、議論は平行線を辿るのだ。

 

 答えはない、が正解なのだろうか、とそこまで考え、ルイズは答えに思い当たる。ミスタ・ギトーの得意とする系統を答えればいいのだ、と。

 ルイズが答えを紡ごうとしたその時、

 

「ルイズが答えられるものか! なんたって魔法をろくに使えない『ゼロのルイズ』だからな!」

 

 なかなか答えないルイズを生徒の一人が馬鹿にする。その瞬間、教室中がどっと笑いに包まれた。

 それは、ルイズにとって日常茶飯事の出来事だった。貴族にとって魔法は己のすべてと言っても過言ではない。皆、自身の魔法に誇りを持っている。だからこそ、貴族は魔法の才を持たない者を蔑む。生徒たちにとって魔法の使えないルイズはからかいの対象でしかなかったのだ。

 

「わたしだって! ……っ」

 

 長い桃色の髪を揺らし、ルイズが思わず言い返そうとするが彼女は言葉の途中で詰まってしまう。わたしも魔法が使えるようになった、と言ってしまいたかった。だが、その言葉をルイズは飲み込む。魔力のコントロールができるようになるまでは、周りに魔法が使えるという事は秘密にすると約束していたからだ。

 

「図星をつかれて言い返すこともできないのか、ゼロのルイズ!」

 

 なにも言い返さないルイズに気を良くしたのか、生徒の一人がさらに彼女にやじを飛ばす。からかいの言葉に周りの生徒からはクスクスと笑い声がもれる。

 ルイズは悔しさから唇を噛み締め、肩を震わした。

 負の感情が彼女の心を満たしていく。だが、一時の感情に流されて約束をやぶりたくはなかった。 

 馬鹿にされることには慣れている。そう自分に言い聞かせ、ルイズは嘲笑に耐え続ける。

 

 喧騒に包まれる教室を静めたのは、ギトーだった。

 

「授業中です。静かにしなさい!」

 

 ギトーが腰に差した杖を引き抜き、そのまま剣のように振るうと、教室に風が舞う。その風は騒ぐ生徒たちを冷や水を浴びせたようにおとなしくさせた。

 

「落ち着いたようだね、諸君」

 

 ギトーは静かになった生徒たちを見回し、冷たい声で言う。

 

「私からすれば、諸君とミス・ヴァリエールはたいして変わらん。ここにいる者ほとんどがドットメイジではないか。他人を笑う暇があるのなら、少しは魔法の腕を磨きたまえ」

 

 ギトーが馬鹿にしたように鼻を鳴らし、授業を再開する。その態度に生徒たちは表情にありありと不満の色を見せたが、事実なので何も言い返すことができず、口惜しそうにすることしかできなかった。

 

 

 ルイズは気落ちしたように力なく椅子に座る。今日はなにをやってもダメね、と少女の口から小さなため息がもれた。

 そして、みんなから馬鹿にされないように、早く魔力のコントロールの仕方を覚えなくては、という強迫観念にも似た思いに駆られる。

 先日、魔法を使えるようにしてくれたサソリにまた教わろうかな、と考えていると、そこでルイズは気付く。教室にサソリとその主である青い髪の少女タバサがいないことに。

 何かあったのだろうか、とルイズは小首を傾げる。もしかして病気にでもなって部屋で寝込んでいるのではないか、と心配にもなった。

 二人がいなかったら、わたしは一生魔法が使えなかったかもしれない。そんな想いがあるからこそ、ルイズは二人が困っているのなら力になりたかったのだ。

 

 

 授業が終わるとルイズは、自身の天敵とも言える存在である赤い髪の少女キュルケに駆け足で詰めよる。

 

「キュルケ。タバサとサソリがいないみたいだけど、何か知らない?」 

 

 ルイズの質問にキュルケは肩をすくめる。

 

「さあ、あの子たまに授業をサボってどこかに行っちゃうのよね。サソリもそれに一緒に付いて行ったんでしょ」

「どこかって、何処よ?」

「あたしは知らないわ」

 

 キュルケが大げさな仕草で両手を広げた。その人を小馬鹿にしたような仕草にムッとしたルイズの口から皮肉が紡がれる。

 

「友達なのに?」

 

 キュルケもまたルイズの言葉に、ちょっとかちんときた。

 恋に生きると公言しているキュルケ。その奔放な性格の為、同性の友達はいなかった。ただ一人の例外を除いて。それがタバサだ。

 キュルケにとってタバサは唯一無二の親友。

 故に、ルイズの言葉は許容できなかった。

 

「友達だからよ。あなたも聞かれたくないことはあるでしょ。友達だからって何でも聞かれたら嫌じゃない。あたしとタバサは、お互い話したくなったら話すし、聞かれたくないことは無理やり聞いたりしないのよ」

 

 キュルケの口調は、普段のからかうような軽いモノではなく、真剣で硬いモノに変わっていた。その変化に気付いたルイズは口をつぐみ、顔を伏す。

 こんなはずじゃなかったのにな、と後悔が心を苛む。自分はただ、タバサとサソリの心配をしていただけなのに、いつものようにキュルケに突っかかってしまい、彼女を本気で怒らせてしまった、とルイズは自身の短気な性格が恨めしくなった。

 これまでのルイズなら、キュルケを怒らせても気にも留めなかっただろう。だが、使い魔召喚の儀式からの様々な出来事が、少女の心に微妙な変化をもたらしていた。その変化が、キュルケを怒らせてしまった自身の浅慮な発言に罪悪感を抱かせる。

 

 いつになく意気消沈した様子のルイズを赤い瞳に映したキュルケは、熱くなった頭を冷やすように、はあ~、と息を吐くと、ルイズの額に自身の指先を当て弾く。

 

「痛っ! なにするのよ!」

 

 ルイズは額をさすりながら、いきなりの仕打ちに口から文句が飛び出す。

 

「らしくないわよ、ルイズ。あなたは負けん気ぐらいしか取り柄がないんだから、変に色々考え込まない方がいいわよ」

 

 キュルケが珍しくヴァリエールと呼ばずに、ルイズと名前で呼び、少女に微笑みかける。キュルケの言葉には、ルイズへの気遣いが垣間見えた。

 

「気持ち悪いわね。あんたの方こそらしくないわよ、キュルケ」

 

 辛辣な物言いだったが、言葉とは裏腹に普段向けられない種類の笑みにむず痒くなったルイズは頬を赤らめ、そっぽを向く。

 ルイズの素直じゃない態度にキュルケが困ったような笑みを浮かべると、

 

「心配しなくても、あの二人ならそのうち帰って来るわよ」

 

 元気づけるように、ルイズの肩をポンポンと叩くと、そのまま教室から出て行ってしまう。彼女が消えた扉の向こうを見つめながら、しばし、ルイズはその場から動けなかった。 

 

「ほんと、あんたらしくないわよ、キュルケ」

 

 ぽつりとルイズの口から独白がこぼれた。

 いつもルイズをからかっていたキュルケ。ルイズも家同士の因縁から彼女を馬鹿にしていた。でも、もしかしたらお互いに歩み寄れば友達になれるかもしれない。キュルケのやさしさに触れたルイズに、そんな思いが芽生えるのだった。

 

 

 

 授業もすべて終わり、自室に戻って来たルイズ。部屋の中に才人の姿は見当たらなかった。

 

「どこいったのよ、あいつ……」

 

 少女の口から寂しげな呟きがもれた。

 ルイズはそのままベッドに倒れ込むように寝転がる。枕に顔を埋め、しばらく微動だにしなかったが、突然、う~、う~、と唸りだし、駄々っ子のように足をバタつかせた。今日一日の出来事を思い出し、悲しいやら、悔しいやらと、さまざまな感情が彼女の心に渦巻いている所為だろう。もんもんとした気分を持て余し、唸ったり、足をバタつかせたりしているのだ。

 そんなルイズに、声がかけられる。低い、男の声だ。

 

「ずいぶん楽しそうじゃねえか、貴族の娘っ子。何かいい事でもあったのか?」

 

 その声にルイズの動きがピタリと止まり、羞恥から見る間に耳の先まで熟れた林檎のように真っ赤に染まっていく。そして、声のした方へとゆっくりと顔を向けた。

 

「……あんた居たの?」

「そりゃあ居るさ。俺は一人じゃどこにもいけないからね」

 

 ルイズに声をかけた主は壁に立てかけられた大剣だった。それはルイズが才人に買ってあげたデルフリンガーという名の言葉を操る魔剣。

 鍔の部分がカタカタと動き、デルフリンガーは言葉を発する。

 

「それで娘っ子、何があったんだ? 俺に話してみな」

「なんであんたに話さなきゃならないのよ?」

 

 ルイズはむくれたようにデルフリンガーからぷいっと顔を背けてしまう。そんな彼女にデルフリンガーが簡潔に言う。

 

「暇だから」

「暇って、あんたね~!」

 

 ルイズの目がつり上がり、声が震える。

 だが、デルフリンガーはルイズの怒りなどどこ吹く風、会話を続ける。

 

「だって誰も相手してくれねえんだもの。戦いにも連れて行ってくれねえし、舞踏会の時だけだよ部屋から出られたの。それ以外、ずっと部屋に置かれたままだぜ。相棒も娘っ子も俺のこと置物か何かと勘違いしてないか? 暇すぎて死んじまうよ、まったく……。で、そんな暇を持て余している俺になにか言うことがあるんじゃないの?」

「……ごめんなさい」

 

 切なそうにカタカタと鍔を鳴らし、哀愁を感じさせるデルフリンガーの妙な迫力に、ルイズは居たたまれなくなって、気が付けば姿勢を正し、ぺこりと頭を下げていた。

 

 

 

「相棒の朝飯を抜いたことを後悔していて、魔法が使えることをみんなに言えなくて悔しいし、自分の短気な性格が恨めしいと。……なんつーか、娘っ子はめんどくさい性格しているね」

「うっさいわね!」

「ほら、また怒った」

 

 デルフリンガーに今日あった出来事を話すと、呆れたような口調で感想を言われ、思わずルイズは怒鳴ってしまう。そのことをすぐにデルフリンガーに指摘され、ルイズはバツが悪そうな表情を浮かべた。

 そんなルイズにデルフリンガーが慰めるように言葉をかける。

 

「まあ、相棒のことはいつものことだから大丈夫だろ」

「……ほんとう?」

 

 ルイズがベッドから身を乗り出して、心配そうに尋ねた。

 

「ほんと、ほんと。朝飯抜かれたぐらいでいちいち怒っていたら、娘っ子の使い魔なんて勤まらねえよ。相棒がなかなか帰って来ないのは、厨房にいるっていう黒髪のメイドの所にでも行ってんだろ」

「……」

 

 デルフリンガーが軽い調子で答えた。その内容にイラッとしたが、短気はダメ、短気はダメ、と心の中で何度も呟き、ルイズは怒りを我慢する。

 

「それから、お前さんのその性格はそうそう直らねえと思うぜ」

「なんでよ?」

 

 ルイズが唇を尖らせ、不満そうにする。

 

「いいか娘っ子。性格なんてもんは簡単に直りやしないんだ。俺なんか六千年生きているがずっとこの性格のままだぜ。それこそ魔法でも使わなきゃ性格なんてすぐには変わらねえよ」

「……そっか」

「まあ、その短気な性格をどうにかしたいんなら、焦らずゆっくり直していくこった」

 

 デルフリンガーの言葉に、うん、とルイズは頷いた。

 

 そして――

 しばしの沈黙の後、デルフリンガーが疑うような口調で呟いた。

 

「魔力の量が多すぎるから、魔法が爆発するねえ……。そんな話、初めて聞いたね」

「もう、爆発しないわよ」

 

 えっへん、とルイズが胸を張り、自慢するように言う。ルイズは魔法が使えるようになった、と誰かに言いたくて仕方がなかったのだ。相手は無機物だったが、それでも溜まっていた鬱憤がいくらか晴れる思いがした。

 へえ~、と感心したような声がデルフリンガーから出る。

 

「娘っ子、俺の柄を掴んでみな」

「……なんでよ」

 

 突然のデルフリンガーの提案に、ルイズが身体を強張らせ怪訝そうにする。そんな少女の態度を気にもせず、デルフリンガーは追いすがるように、言葉を繰り返す。

 

「いいから、掴んでみなって」

「……わかったわよ」

 

 ルイズは渋々といった様子でデルフリンガーに近づき、その柄を掴む。するとデルフリンガーがプルプルと震えだす。

 

「おでれーた! 確かにすげえ魔力量だな、こりゃあ」

「わかるの?」

 

 まあね、とデルフリンガーが頷くように鍔を動かした後、しみじみとした口調で語る。

 

「しかし、お前さんと似た魔力をどこかで感じたような気がするな。ずいぶんと懐かしい。一体どこだったかな……」

「あんた、どこかでわたしと似たようなメイジと会ったことがあるの?」

 

 デルフリンガーの発言に興味を引かれ、ルイズが尋ねた。

 デルフリンガーはなんとか思い出そうと、う~ん、と唸りを上げていたが、

 

「忘れた」

 

 諦めたのか、あっけらかんと答えた。

 その物言いに、ルイズが反射的に突っ込む。

 

「あんたねえ~!」

「またまあ、そう大声を出しなさんな。そのうち思い出すだろ、たぶん」

 

 ルイズの突っ込みなど気にした様子もなく、デルフリンガーは気楽な感じで返す。その態度にルイズは疲れたように息を吐いた。

 そんなルイズにデルフリンガーが確認するように尋ねる。

 

「お前さん、系統魔法は使えるのか?」

 

 唐突な質問に頭の上に疑問符が浮かぶが、ルイズは悲しげに目を伏せ、首を横に振る。

 

「使えないわ。コモン・マジックを使えるようになってから試したけど、やっぱりダメだった。……前みたいに爆発はしなくなったけどね」

 

 ルイズの言葉を聞いて、なるほどね、とデルフリンガーが納得したという風に呟く。

 

「何か分かったの?」

「ああ、お前さんが魔力のコントロールをうまくできないのは、正当な手順を踏んでないからだと思うぜ」

「……どう言う意味?」

 

 デルフリンガーの原因の提示に、ルイズの表情が真剣なものに変わった。

 

「普通は自分だけの内に秘めている魔法、系統魔法に目覚めてないと魔法は使えねえ。でも、お前さんの場合は、他人に力を貸して貰って、過程を一つ飛ばして魔法が使えるようになっちまった。だから……」

「……魔力のコントロールがうまくできないの?」

「たぶんな。お前さんはまだ本来の力に目覚めていないんだろうな。だから、自分の魔力を完全に支配できてない不安定な状態になっているんだと思うぜ」

 

 デルフリンガーの説明の中で気になった点をルイズが指摘する。

 

「でも、サソリの力で魔法を使う前に、サモン・サーヴァントの魔法をわたし成功させているわよ?」

「ああ、使い魔の儀式は別と考えた方がいい。あれは、ことわりが違う魔法だから」

 

 ルイズは意味がわからない、といった様子で眉をひそめる。

 

「……ことわりが違う?」

 

 デルフリンガーは、う~ん、と唸り、なにかを必死に思い出すように言葉を紡ぐ。

 

「……おぼろげにしか思い出せねえから、うまく説明できねえけど、何か違う力が作用していたはずだ。よく考えてみろよ、遠く離れた場所の生物を呼び寄せて使役しちまおう、て魔法が簡単な魔法(コモン・マジック)なわけねえだろ」

「そう言われれば、そんな気もするけど……」

 

 デルフリンガーの言うように、サモン・サーヴァントは他のコモン・マジック――物を動かしたり、扉の鍵を掛けたりする魔法――と比べると、その異質さが浮き彫りになる。

 離れた空間同士を繋げ、距離の概念を無くした道を創り、自分の性質に合った生物を引き寄せる魔法など、ルイズの知る限りどの系統魔法を使っても不可能な業だった。

 

 デルフリンガーの言葉にも一理ある、と納得したルイズは、考えを巡らすようにデルフリンガーに尋ねる。

 

「だったら、わたしが系統魔法に目覚めれば、魔力のコントロールもできるようになるってことなの?」

「一概にそうともいえねえけどな。お前さんの魔力が馬鹿みてえにあるから、細かな調整ができないってのもあるだろうし。まあ、試してみる価値はあるだろ」

「……うん」

 

 ルイズが元気なく頷く。その姿にデルフリンガーが不思議そうに問い掛ける。

 

「まだ、なんか問題でもあるのか?」

「……わからないの」

「わからない?」

 

 ルイズがぽつりと呟いた言葉の意味が分からず、デルフリンガーがおうむ返しをする。

 

「わたし小さい頃からどの系統魔法を唱えてもぎこちない感じがするの。姉さまが言ってたわ。自分の得意とする系統魔法を唱えると、身体の中になにかが生まれるんだって。それは、懐かしいような愛おしいような不思議な感覚がするものなんだって……」

 

 ルイズは哀しい表情を浮かべ、言葉を続ける。

 

「わたしそんな感覚がしたこと一度もないの。サソリに魔法の使い方を教えて貰って、魔力の流れや大きさを感じることができるようになってからも同じだった。どの系統魔法の呪文を唱えても、わたしの魔法はこれじゃない、てもう一人の自分が囁くように違和感が溢れるの」

 

 力なくルイズは笑う。

 

「わたしには得意な系統なんて存在しないのかも……」

 

 だんだんとルイズの声が小さくなり、諦めにも似た呟きがもれる。

 落ち込む少女の姿は、見ているだけで胸が締め付けられてしまいそうな、悲壮感が漂っていた。

 そんなルイズをデルフリンガーは放っておけなかった。元気づけるようにキンキンと鍔を鳴らし、声に力を込める。

 

「おい、娘っ子。自分の力に自信を持ちな! お前さんがすげえ力を秘めてんのは、確かだ。俺にはわかる!」

「……デルフ」

 

 デルフリンガーの言葉にルイズが驚いた表情を浮かべた。いつも飄々とした態度をとるこの魔剣にしては珍しく、その口調は真剣なものだったからだ。

 デルフリンガーは捲し立てるように言葉を続ける。

 

「周りから馬鹿にされて悔しかったんだろ、辛かったんだろ! だったら、諦めんな! お前さんならできる。なんたってお前さんは……」

「わたしは?」

 

 いつの間にかデルフリンガーの言葉に心打たれ、聞き入っていたルイズ。言葉の続きを即すように身体を前のめりにして、ルイズは尋ねた。

 デルフリンガーは鍔をゆっくり動かし、答える。

 

「……忘れた」

「……あんたね~」

 

 その肩透かしの言葉に、ルイズから落胆の声が上がった。

 

「いや~、落ち込む娘っ子を見ていたら、誰かの姿と重なって見えて、なにか大切なことを思い出していたような気がするんだけど、なんだっけ?」

「知らないわよ」

 

 とぼけた口調で言うデルフリンガーから、ルイズは顔を背けてしまう。だが、デルフリンガーの励ましは少女の心に確かに届いていた。その証拠に、顔を背けたルイズの口元には小さな笑みが浮かんでいたのだから。

 

 わずかに頬を染めるルイズに、

 

「自分の系統が分からねえってんなら、あの赤いのに聞いてみたらどうだ?」

 

 いいことを思い付いた、というようにデルフリンガーが提案した。

 

「赤いの? ……それもしかしてサソリのこと? あんたサソリと会ったことあった?」

 

 一瞬、誰のことか分からなかったルイズだったが、思い当たる人物を察すると、顔を引きつらせデルフリンガーに確認する。

 

「ああ、あの派手な服着た奴のことだ。一度この部屋に来たことが会っただろ。お前さんが決闘するだなんだと言っていた時に」

「……あんた少しは人の名前覚えた方がいいわよ」

 

 赤いのなんて呼んでサソリが怒ったらどうしよう、とルイズは顔を青くし、デルフリンガーに釘を刺す。

 人の名前を覚えるのは苦手なんだよなぁ、とぶつぶつと文句を言いながら、デルフリンガーは話を続ける。

 

「魔力量の多さを見抜き、不完全にしてもお前さんが魔法を使えるようになったのは、そいつのおかげだ。系統魔法の調べ方も何か知ってるんじゃねえか」

 

 デルフリンガーの意見にルイズは同意する。確かにサソリなら知っていても不思議ではない、と思えたからだ。

 

「そうね、彼が帰ってきたら聞いてみるわ」

 

 ルイズはやわらかな表情で頷く。もとよりルイズは、サソリに魔力のコントロールの仕方を教わろうと考えていたが、その思いがますます強くなった。

 

「それにしても、あの小僧っ子は何者だ? 杖もなしに魔法を使うことができるってことは、亜人なのか」

「小僧っ子って……」

 

 ルイズは、先ほど言った忠告をあっさり忘れているデルフリンガーに頭が痛くなった。このボロ剣には言っても無駄だと悟ったルイズは、あきらめて話を進める。

 

「よくわからないけど、サイトと同じように違う世界から召喚された『シノビ』って言っていたわ」

「そのシノビってのは何だ?」

「さあ、わたしにはわからないわ」

 

 ルイズが首を振るさまを見たデルフリンガーはカラカラと楽しそうに笑い出す。

 

「六千年生きて来ても分からねぇことがまだまだあるとは……。まったく、この世界は飽きなくて面白いねぇ」

「あんたの場合、知っていたけど忘れちゃっただけかもしれないわよ」

「そうかもしれねえな!」

 

 悪戯っぽい笑みを見せ、ルイズがしれっと言った言葉に、デルフリンガーの笑い声はより一層高くなる。

 

 そんな時、笑い声に包まれる部屋の扉が開く。部屋の中に入って来たのは、才人だった。

 

「ただいま。……えらく楽しそうだな? なにかあったのか」  

 

 楽しそうに笑うデルフリンガーを不思議に思った才人が首を傾げ、尋ねた。

 

「まあ、色々あってね。それよりも相棒、娘っ子がお前さんに話があるそうだぜ」

「ルイズが俺に?」

 

 才人が視線をルイズに向ける。見つめられたルイズは慌てて、耳打ちするようにデルフリンガーに詰め寄る。

 

「ち、ちょっと、デルフ!」

「後悔しているんなら、早めに謝っておいたほうがいいぜ。……謝る相手がいなくなっちまってからじゃあ遅いしな」

 

 デルフリンガーが真剣な口調で言う。その忠告めいた言葉にわずかに疑問を感じたが、ルイズはゆっくりと頷く。

 

「……わかったわよ」

 

 ルイズは才人に向き直ると、恥ずかしそうに頬を染めゴホンと咳払いをする。

 

「サイト、あ、朝は……。そ、その……。あ、あのね」

「ど、どうしたんだ、ルイズ」

 

 口ごもり、もじもじと指を絡ませるルイズを見た才人は、驚いた表情を浮かべた。ルイズの恥じらう姿は妙に愛らしく、才人はどぎまぎしてしまう。

 デルフリンガーは、ガンバレ~、ガンバレ~、と小声でルイズに声援を送っていた。

 声援を受け、意を決したようにルイズが口を開く。

 

「……あんたの朝ごはん抜いたでしょ。そのことを謝ろうと思って」

「へ?」

 

 才人は鳩が豆鉄砲をくらったように目を丸くする。プライドが人一倍高いルイズが自分に謝るとは思えなかったからだ。

 思わず才人は素っ頓狂な声で尋ねてしまう。

 

「なんで?」

「……なかなか起きなかったわたしも、少しは悪かったかな、と思ったの」

 

 視線を逸らし、呟くように答えるルイズ。

 その言葉に才人は狼狽える。ルイズが反省するなんて、俺に謝ろうとするなんて、と。

 常に我が道を行くご主人さまが……、信じられない。驚愕が脳を駆け巡る。

 これは夢か、と思った才人は自分の頬をつねってみる。

 痛い。夢じゃない。

 現実なのか、と才人はわなわなと震え、言葉を絞り出す。

 

「なにがあった?」

「はぁ?」

「熱でもあるのか?」

 

 才人の心配するような言葉にルイズが眉をひそめた。

 才人はルイズの両肩をガシッと掴むと、覗き込みようにルイズの瞳を見つめ、至極真剣な表情で、

 

「ルイズが俺に謝るなんてありえない」

 

 きっぱりと言った。

 一瞬、唖然とした表情を浮かべていたルイズだが、すぐに反論する。

 

「し、失礼ね。わたしだって謝ることぐらいあるわよ」

「いや、ない」

 

 反論は間を置かず、脊髄反射並の早さで否定された。

 

「短気で、生意気で、意地張りで、負けず嫌いで、自分勝手で、高慢ちきな俺のご主人さまが謝るなんて、あるわけない」

 

 やれやれ、そんなことも分からないのか、という風に才人は肩をすくめる。

 すると、ブチっと何かが切れる音が聞こえ、

 

「こここ……」

「こここ?」

 

 ルイズが顔をうつむかせ、ぷるぷると身体を震わせていた。

 

「こここ、この使い魔ったら、このバカ犬ったら、いい、いつもわたしのことをそんな風に思っていたのね」

 

 ルイズが怒りから声を震わせ、その可愛い顔を歪ませる。

 その姿を見た才人は、やばい、と自身の発言の不味さに今更ながら気付いたが、もう遅い。

 ルイズの激しい怒りは目に見えぬオーラとなり、才人を圧迫する。そして、ルイズが才人に向かって一歩を踏み出した。

 

「ひっ!」

 

 恐怖からガタガタと才人の身体が震え、無意識に後ずさる。

 

「ルイズ、早まるな!」

 

 才人が両手を突出し、静止の声をかけるが、ルイズは止まらない。目にも止まらぬ速さで才人との距離を詰めると、ルイズは拳に力を込め、下から突き上げるようにパンチを放つ。放たれた拳は才人の顎を的確に捉え、

 

「ナイスアッパー……」

 

 突き抜ける痛みと共にそんな呟きがこぼれ、才人の身体が宙を舞い、受け身をとることもできず床に転がる。

 ルイズは仰向けに倒れる才人の腹に足を乗っけて言い放つ。

 

「朝はわたしも悪かったわ、ごめんなさい!」

 

 ルイズは勢い任せに謝罪の言葉を口にした。

 

「……怒るのか、謝るのかどっちかにしてくれ」

 

 才人が情けない声で抗議をしたが、ルイズはフン、と鼻を鳴らし、そっぽを向く。

 

 そんな主従のやりとりを眺めながらデルフリンガーは、一種のデジャヴュのようなものを感じていた。

 

「なんか遠い昔にも同じような光景を見たような気がするが……」

 

 デルフリンガーは、自身の記憶を手繰ろうとするが、まあいいか、とすぐに諦め、

 

「しかし、娘ッ子は性格を直す気がホントにあるのかね~」

 

 あきれたような声で呟いた。

 

 

 春の召喚の儀式以来、騒がしくなった少女の日常が今日も過ぎ去っていく。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。