雪風は赤い砂と共に   作:火の丘

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今回もサソリの出番がありません。
いまさらですが、独自設定多めの話です。


元素の兄弟

 鬱蒼とした森の中を必死に息を切らしながら駆ける少女がいた。年は五歳ぐらいの美しい金髪の少女。

 時刻は真夜中。暗闇が支配する森の中を少女は恐ろしいモノから逃げるように走っていた。少女の白い肌に木々の枝や伸び放題の雑草が当たり、小さな切り傷を作るが少女は気にも留めず、ただただ走り続ける。

 少女の視界に光が映る。森の切れ目だ。森を出た開けた場所は、夜空に浮かぶ双月の光が降り注ぎ、夜でも十分な明るさがあった。

 此処まで来れば、と少女が乱れた息を整えていると、不意に何者かの気配を感じる。

 

「追いかけっこは、もうおしまいかい?」

 

 少女に声が掛けられる。慌てて少女は声がした方に視線を走らせると、そこには、黒い羽帽子にマントを羽織った若い男が立っていた。

 少女が息を呑む。

 

「……なんで?」

 

 少女の口から疑問の声が上がる。その可愛らしい顔は恐怖で歪んでいた。

 若い男は首を傾げる。その仕草には妙な愛嬌があった。

 

「なんで?」

「わ、わたしをなんで追いかけるの?」

 

 ガタガタと身体を震わせながら少女は、男に尋ねた。

 

「おいおい、君はまだしらを切り通せると思っているのかい? 吸血鬼のお嬢さん」

 

 男の言葉に、吸血鬼と呼ばれた少女は目を見開く。

 少女の怯える様を瞳に映し、男は肩をすくませた。

 

「君がぼくの足止めに使った屍人鬼(グール)は、始末させて貰った。大男の屍人鬼だったから少しは戦いを楽しめるかと思ったけど、全然たいした事がなくてつまらなかったよ」

 

 男はため息と共に頭を振る。そして、気を取り直したのか、ゆっくりと腰のベルトから杖を引き抜く。時代がかった仕草で男は、杖で帽子のつばを持ち上げた。その帽子の下にあった顔が顕わになる。年の頃はまだ二十にも満たないだろう。金色の髪に通った鼻筋、糸のように細い目が印象的な美少年だった。

 少年がその切れ長の目で少女を見つめる。

 

「君はぼくを楽しませてくれるのかな? 吸血鬼のお嬢さん」

 

 無邪気な笑顔を浮かべ少年は少女に近づいて行く。少女は言い知れぬ恐れから自然と後ずさり、疑問を口にした。

 

「あ、あなたは何者なの?」

 

 その質問に少年は歩みをぴたりと止めて、おおげさに驚いた表情をつくる。

 

「まだ名乗っていなかったんだっけ? これは、失礼した」

 

 少年はそう言うと、少女に向かって優雅に一礼する。

 

「北花壇騎士ドゥドゥー。通り名は元素の兄弟。短い間だが、お見知りおきを」

 

 少女はドゥドゥーと名乗った少年が騎士だと分かり、恐怖で顔が蒼白になる。

 

「騎士!? ……わ、わたしを殺しに来たの?」

「そうだよ」

 

 少女が震える声でドゥドゥーに恐る恐る尋ねると、彼は何でもないように気軽な口調で答えた。

 その答えに少女は気がふれたようにかぶりを振り、叫ぶ。

 

「どうして! わたしは何も悪いことはしていない! 人間の血を吸わなきゃ生きていけないだけ。だからわたしは生きる為に人間を殺した。人間だって獣や家畜を殺して肉を食べている。どこも違わないでしょ? わたしは悪くないの! お兄ちゃんお願い、見逃して!」

 

 少女の叫びにドゥドゥーは首を傾げ、きょとんとした表情になる。

 

「それがどうしたの? 君が善い悪いは関係ないんだよ。ぼくは仕事だから君を殺す、それだけだよ」

 

 ドゥドゥーに少女の哀願は届かなかった。そして、少年は仕事を片付ける為に少女との距離をゆっくりと詰めていく。

 同情もせず、なんの躊躇いも見せないドゥドゥーを見た少女の顔に怒りが浮かぶ。

 

「お前たちメイジはいつもそうやって……。パパとママを殺したみたいに、わたしも殺すのか! 魔法で虫けらみたいに!」

「そうだよ」

 

 気安く答えたドゥドゥーに少女が激昂する。その小さな口から呪文が紡がれた。

 

「枝よ。伸びし森の枝よ。我に仇なす敵を討て!」

 

 すると、少女の声に応えるように近くにあった木々の枝が伸び、槍のように先端を尖らせ、四方八方からドゥドゥーを刺し殺そうとする。

 ドゥドゥーは迫りくる枝の群れを視界に映すと、虫でも払うかのように手に持つ杖を振るう。たったそれだけの動作で、ドゥドゥーに襲い掛かっていた無数の枝は切り刻まれ、バラバラになった。いつの間に呪文を唱えたのだろうか。ドゥドゥーの持つ杖は、妖しく青白い光を放つ魔法の剣へとその姿を変えていた。

 その光景に少女は唖然とした表情になる。少女は今まで幾人ものメイジを屠ってきたが、目の前の少年は今までのメイジとは格が違う、と本能的に察した。そして、その本能が警鐘を鳴らす。目の前のメイジの異質さに。

 

「……なんで? あなた何者なの? あなたみたいな人間いるわけない!」

 

 少女はドゥドゥーの異質さに気付き、信じられないと、頭を何度も振る。

 

「なんであなたの身体に『精霊の力』が宿っているの! こんなのおかしいよ!」

 

 今にも泣きだしそうな表情で少女は声を荒げた。

 ドゥドゥーは何も答えずに、魔法の剣にさらに魔力を込める。すると、強烈な光を放ち、見る見るうちに魔法の剣は大木のように太く長くなった。

 ドゥドゥーの放つ圧倒的な魔力の前に、少女の身体はすくみ、足は地面に縫い付けられたように動かなくなっていた。

 

「もう抵抗はしないのかい? だったらつまらないな。ぼくはお金にしか興味がない兄さんたちと違って、純粋に戦いが好きなんだけど……」

 

 少女は呪文を唱えようとするが、全身を覆う恐怖の所為で声すら発せなくなっていた。自然と瞳から涙がこぼれる。その姿にひどくつまらなそうな表情をドゥドゥーは浮かべると、魔法の剣を振り上げた。

 

「仕方ない。じゃあ、せめて痛くないように一撃でヴァルハラに送ってあげるよ」

 

 そう言うと、ドゥドゥーは魔法の剣を振り下ろした。

 少女は死を覚悟し、目をつむる。

 しかし、魔法の剣が少女の身体を傷つけることはなかった。

 魔法の剣が振り下ろされた瞬間、何者かが少女の正面に守るように立ち、魔法の剣を受け止めていたからだ。

 少女は恐る恐る目を開け、死の刃から自分を守ってくれた人物を瞳に映す。

 フリルのついた黒と白の派手な衣装に身を包み、腰まで届く赤みをおびた薄い紫色の髪と血が通っていないかのような白い肌。年のころは十八ぐらいの冗談のように美しい少女がドゥドゥーの魔法の剣を、同じく自身が創り出したであろう魔法の剣で受け止めていた。見るからに華奢なその身体のどこにドゥドゥーの魔法の剣を受け止める力があるのか、青白く輝く魔法の剣同士が拮抗するようにぶつかり合い、激しい音を響かせる。

 攻撃の邪魔をした少女にドゥドゥーは非難の声を上げる。

 

「ジャネット! なんでぼくの邪魔をするんだ!」

 

 その言葉にジャネットと呼ばれた少女は、大きなため息を吐くと呆れた口調で言い返す。

 

「それはこちらの台詞よ、ドゥドゥー兄さま。見た所、兄さまはこの子を殺そうとしていたでしょ?」

「そうだよ」

 

 ドゥドゥーの答えに、頭が痛いと言ったような表情になるジャネット。

 

「兄さま、わたしたちの任務は吸血鬼の捕獲なのよ。それを殺してどうするの!」

「……そうだっけ?」

「そうよ! 本当にドゥドゥー兄さまはバカなんだから!」

「バ、バカって言うなよ! ちょっと間違えただけだろ! ミスは誰にでもあるさ!」

「ちょっと間違えただけですって……。捕獲と討伐をどう間違うのよ! もう! だから、ドゥドゥー兄さまとは一緒に仕事したくないのよ!」

 

 ドゥドゥーとジャネットはお互いに創り出した魔法の剣で鍔迫り合いをしながら、口論を白熱させていく。

 突然の急展開に頭が付いていかず、呆然とその様子を眺める吸血鬼の少女。

 鍔迫り合いをしていたドゥドゥーとジャネットの二人が後ろに大きく飛び退り、お互いに距離を取る。

 

「まったく、こんなくだらない事で言い争うのはやめましょう。こんな所をダミアン兄さまやジャック兄さまに見られたら、怒られてしまうわ」

「……そうだね」

 

 ジャネットの疲れたような言葉に、上の兄たちが怒る姿を思い浮かべたドゥドゥーは顔を青くして同意した。

 二人のやり取りを呆然と見ていた吸血鬼の少女は、そこでハッと我に返り、この場から逃げ出そうと二人に背を向け走り出す。

 少女が逃げ出す姿をその瞳に捉えたジャネットは、光のような速さで追いかける。そして、人間とは思えない動きで少女に軽々と追いつくと、その腕を掴む。

 

「ひっ!」

 

 腕を掴まれた少女の口から小さな悲鳴が上がった。

 少女の怯える様にジャネットはひどく心外そうに眉根を寄せる。

 

「そんなに怖がらなくてもいいのに。折角の可愛い顔が台無しよ」

 

 ジャネットは翠眼の瞳で少女の顔をおもしろそうに覗き込む。その妖しく光る瞳に見つめられ吸血鬼の少女は、根源的な恐怖をジャネットに抱く。この人間も普通じゃない、と。

 吸血鬼の少女は掴まれた腕を振りほどこうとするが、びくともしない。尋常ならざる力がジャネットの細い腕に込められているからだ。

 

「離して! 離してよ!」

 

 吸血鬼の少女は掴まれていない手を振り回し暴れるが、その手も簡単にジャネットに掴まれてしまう。

 

「いちいち逃げられるのも、面倒くさいから足の一本でも斬っておこうか?」

 

 二人に近づいて来たドゥドゥーが恐ろしい事を顔色一つ変えずに、ジャネットに提案する。その内容に吸血鬼の少女は顔を歪め、掴まれた腕を振りほどこうと、より一層暴れ出す。

 暴れる少女をまったく意に介さず、ジャネットは非難するような視線をドゥドゥーに向ける。

 

「兄さまそんなことして、この子がショック死したらどうするのよ。……少しは考えてから喋ってよね」

 

 本当にバカなんだから、とジャネットは大げさに頭を振る。

 妹に罵倒された上に、正論なので何も言い返せないドゥドゥーは悔しさから唇を噛んで唸り声を上げた。

 冷ややかに兄の姿を一瞥したジャネットは、吸血鬼の少女に視線を戻す。

 

「でも、このまま暴れ続けられても面倒ね」

 

 そう言うと、ジャネットは少女の腕からパッと手を離し、その手に杖を握る。

 

「イル・ウォータル・スレイプ・クラウディ」

 

 ジャネットの口が呪文を紡ぐと、青白い雲が現れ、吸血鬼の少女の頭を包んだ。すると少女は、猛烈な眠気に襲われる。スリープ・クラウドと呼ばれる水魔法だ。

 魔法の効果で少女の意識は夢の世界へといざなわれる。全身の力が抜けていくようにその場に少女はパタンと倒れ込んだ。少女は深い眠りに陥っているのだろう。その口からは軽やかな寝息がもれていた。

 

「これで当分の間は、眠ったままでしょ」

 

 眠っている少女を見て、ジャネットが満足気に口元を綻ばせる。

 

「任務完了だな」

 

 ドゥドゥーが得意気に胸を張る。したり顔を浮かべるドゥドゥーを見てジャネットは、唇を尖らせ文句を言う。

 

「ドゥドゥー兄さまは何もしてないでしょ! 任務の内容を間違えたことはダミアン兄さまに報告するわ。今度という今度は、ダミアン兄さまにたっぷりと叱ってもらいますからね!」

「え~!」

 

 ジャネットの発言にドゥドゥーは子供のような声を上げる。そして慌てた様子でジャネットに縋りつく。

 

「待ってくれよ、ジャネット! ダミアン兄さんに言うのだけは勘弁してくれ!」

「だめよ! ドゥドゥー兄さまは仕事に対する責任感が足りてないんだわ! だから、いつも仕事でミスをするのよ!」

 

 頬を紅く染め、取りつく島もないジャネット。その様子を見たドゥドゥーは心底困った顔をして、何とか機嫌を直して貰おうと言葉を重ねる。

 

「そうだ! ジャネット、ダミアン兄さんに黙っていてくれたら、お菓子を買ってあげるよ! リュティスに戻ったら、とびきり甘くて美味しいお菓子を望むだけ買ってあげるからさ」

 

 ドゥドゥーの言葉に不機嫌だったジャネットの表情は一変した。花が咲き乱れるような満面の笑みを浮かべる。

 

「ほんと! 本当に好きなだけお菓子を買ってくれるの?」

「ああ、もちろんさ!」

 

 ドゥドゥーは何度も頷き返す。ジャネットの怒りはどこかに飛んで行ったのだろう。その顔はニコニコと上機嫌そのものだった。

 ジャネットの機嫌が直り、内心でホッとするドゥドゥー。

 

「それじゃあ、ドゥドゥー兄さま。さっさと、この子を兄さまたちとの合流場所まで運びましょう」

 

 ジャネットの言葉にドゥドゥーは頷くと、吸血鬼の少女に近づき、その身体を抱きかかえる。その様子を一瞥し、ジャネットが急かすように一言。

 

「じゃあ、行きましょう」

 

 ドゥドゥーとジャネットは兄たちが待つ場所へ向けて歩き出した。

 

 

 

 

 

 ドゥドゥーたちが吸血鬼の少女を追いかけていた森から数百メイル離れた草原にその者は立っていた。夜空に浮かぶ双月をじっと眺めている十歳ぐらいの金髪の少年。元素の兄弟の長兄、ダミアンだ。

 そしてダミアンのいる場所に近づく人影が一つ。灰色のローブを纏った大男。ローブの上からでも男の筋骨隆々とした、はちきれんばかりの筋肉が見て取れた。男の顔には、隈取りのような奇妙な刺青が施されている。

 ダミアンが視線を月に向けたまま、巌のような白髪の大男に喋りかける。

 

「ジャック、もう任務は片付いたのかい?」

 

 ダミアンの問い掛けに、ジャックと呼ばれた男は首を横に振る。

 

「いや、ドゥドゥーとジャネットに任せてきた。あいつらにも経験を積ませて置いた方が良いと思ったんだ」

 

 その言葉にダミアンは頷いた。

 

「そうだね。あの二人は己の力に振り回されているところがあるからね。場数を踏ませるのは良い考えだと思うよ」

 

 穏やかな声でダミアンは言った。子供とは思えないひどく落ち着いた声色だ。

 月を眺め続けるダミアンを瞳に映しながら、ジャックは思い出したような口調で言った。

 

「そう言えば、兄さんに頼まれていたアルビオンの情報が手に入ったよ」

 

 そこで初めてダミアンがジャックの方へと顔を向ける。

 

「どうだった?」

 

 ダミアンの簡潔な問いに、ジャックは頭を振る。

 

「王党派がだいぶ押されているらしい。持って後一ヶ月と言ったところみたいだ」

 

 ジャックが語る内容に、ダミアンは眉をひそめた。

 

「六千年続いた三王国の一角が滅びの危機とはね。これも『彼女』の力が弱まってきている影響か……」

「じゃあ兄さん。……ついに始まるのか?」

 

 躊躇いがちにジャックがダミアンに尋ねた。それにダミアンは神妙な顔つきで答える。

 

「ああ、世界の終焉が始まる」

 

 ゴクリとジャックが唾を呑みこみ、その大きな身体をわずかに震わす。

 ジャックが慄く姿を見たダミアンが、彼を安心させるように微笑みかける。

 

「大丈夫だよ、ジャック。これはチャンスでもあるんだ。ぼくの夢……、理想を実現する為の」

 

 ダミアンはどこまでも優しく語りかける。世界すべてに自身の想いを届けるように。

 

「苦しみも悩みもない世界。優しさと愛だけが支配する場所……。今度こそ、ぼくは創る。理想の世界を!」

 

 その壮大な夢にジャックは感極まった面持ちになり、肩を震わす。

 

「ああ、そうだ! そうだった! 兄さんの夢の為なら、おれは何でもする! 例えこの命と引き換えにしても惜しくはない!」

 

 ジャックは両手を大きく広げ、力強く声を張り上げる。その表情は歓喜に彩られていた。

 ジャックの様子をその碧眼に映したダミアンは嬉しそうに頷いた。

 

「ありがとう、ジャック。頼りにしているよ」

「任せてくれ!」

 

 ジャックは笑みを浮かべ、自身の胸板をドン、と叩いて返す。

 ダミアンはしばらく微笑を口元に携えていたが、不意にその顔から感情が消えたような表情へと変わる。

 

「これから世界は一気に加速していく。滅びから逃れようと人々は聖地を目指す。まるで砂糖菓子に群がる蟻のように」

「それまでに力を集める必要があるんだな」

 

 ジャックの言葉にダミアンが頷く。

 

「今のぼくは、ただの形骸化した存在でしかないからね。大したことはできない。だから、マジックアイテムや精霊の力の結晶を集める必要がある」

「その為に莫大な金がいるんだな。でもそれなら、いっそのこと強盗でもした方が早いんじゃないか? おれたちを止められる奴なんていないぜ」

 

 ジャックの強気な発言にダミアンは首を横に振る。

 

「それは最終手段だ。お尋ね者になったら色々やりにくいからね。それにお金で済むならそれに越したことはない。何でもお金で買えるなんて、時代も変わったものだ」

 

 むかしのことを思い出すように感慨深くダミアンが言う。

 そこでふと、思い出したようにジャックがダミアンに尋ねた。

 

「そう言えば、兄さんが前に言っていた『虚無の担い手』ってのはどうするんだ?」

「ああ、それなら放って置いてもロマリア辺りが勝手に集めてくれるだろうから、すべてが揃ってからでも遅くはないよ。ロマリアも虚無のすべてを理解しているわけじゃないからね」

 

 そうか、とジャックが頷く。

 

「虚無と言えば、アルビオンの貴族派『レコン・キスタ』と言ったか。奴らの総司令官はなんでも虚無を使うらしい」

 

 ジャックの言葉にダミアンの眉が上がる。そして、考え込むように、顎に手を当てた。

 

「それは、興味深いね。虚無がアルビオンを滅ぼすか……。一度、その担い手に会ってみたくなったな」

 

 目をすがめ、そう呟くダミアン。

 

 そんな時、遠くから二人を呼ぶ声が聞こえてきた。

 

「お~い! ダミアン兄さん! ジャック兄さん!」

 

 声の聞こえた方にダミアンとジャックが視線を向けると、そこには脇に少女を抱えたドゥドゥーが空いている方の手を大きく振っていた。その隣にはジャネットもいる。

 

「どうやら任務は無事、終わったみたいだね」

「ああ」

 

 どこか少し安堵したような声で言ったダミアンの言葉に、ジャックが同意する。

 

「褒めて来てあげなよ、ジャック」

「兄さんが褒めてやった方があいつらは喜ぶんじゃないか?」

 

 そんなことないよ、とダミアンが肩をすくめ、首を振る。

 

「ぼくは、いつもあの子たちに甘いからね。いつも厳しいジャックが褒めてあげた方がきっと、あの二人も喜ぶよ」

「……兄さんがそう言うんなら」

 

 ダミアンの弟たちを気遣った言葉にジャックが仕方ない、と言った風に頷くと、ドゥドゥーとジャネットの方に向かって歩き出す。

 

「ジャック兄さん、見てよ! 吸血鬼を捕まえたよ!」

 

 自慢するようにドゥドゥーが抱きかかえていた吸血鬼の少女をジャックに見せる。

 

「よくやった、ドゥドゥー。今回はミスしなかったんだな、偉いぞ!」

「ミ、ミスなんて、このぼくがする訳ないじゃないか! ひどいなあ、ジャック兄さんは~」

 

 ドゥドゥーは兄の言葉に頬を引きつらせ、ぎこちない笑みで返す。その隣ではジャネットがドゥドゥーをジト目で見つめ、なにか言いたげな様子だった。

 

 

 少し離れた場所から、弟たちが団欒としている光景にダミアンは慈しむような視線を注ぐ。そして、その視線を再び、双月に向けた。

 ダミアンの口からぽつりと言葉がこぼれる。

 

「結局、六千年経っても人は変わらなかったよ」

 

 どこか寂しそうにダミアンは、誰かに話しかけるように独白する。

 

「人とエルフ、いや、エルフだけじゃない。人は他のどの種族とも分かり合うことはできなかった。きみが与えた力も無駄になったね……」

 

 ダミアンは左手を自身の胸に当て、悲しい表情を作る。

 

「ぼくもそうだ。きみのことを分かったつもりになっていた。だから、きみが苦しんでいるのに気付いてあげられなかった。……本当にすまないと思っているよ」

 

 碧眼の瞳に双月を映しながら、ダミアンは言葉を続ける。

 

「いい訳でしかないけど。あの時、追い詰められていたぼくには、あの方法以外なかったんだ。エルフの半分を犠牲にするしか……」

 

 ダミアンは神に懺悔するように、これから自身がしようとすることに悲嘆する。

 

「きみは、ぼくを許さないだろうな。ぼくはまた、あの時と同じことをする。いや、あの時以上の『生命』を……」

 

 悲痛な表情を作り、その瞳からは一筋の涙が零れた。

 

「もう一度、きみに会いたいな」

 

 ダミアンが呟いた言葉は、かつて愛した人に向けた小さな願いだった。

 

 


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