雪風は赤い砂と共に   作:火の丘

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サソリVS地下水

 傷だらけの黒髪の青年がゆっくりと歩みを進める。苦しげに血反吐を吐き、おぼつかない足取りながらも青年は歩みを止めない。青年の向かう先、定まらない焦点の先には、青年とよく似た顔立ちの少年がいた。その顔には、恐怖からくる怯えの色が見える。少年は青年から逃げようとするも背後にある石壁に阻まれ、逃げ道を塞がれていた。

 青年が少年の目の前まで迫ると、その血塗れの指先をゆっくりと少年の額にあてる。そして、青年は満ち足りた笑顔を少年に向けた。

 

「許せ、サスケ……これで最後だ」

 

 そう言うと、少年の額に触れていた指先は力を失い垂れ下がり、青年の体も糸が切れた人形のようにその場に仰向けに倒れる。その体からはもう生命の鼓動は感じられなかった。

 少年は何が起きたのか分からず、その場に呆然と立ち尽くしたまま、目だけを倒れ伏す青年に向けた。

 ポツポツと雨が降り始める。瞬く間に雨は勢いを増していき、青年と少年の体を濡らす。その雨は、まるで天が青年の悲しき運命に涙を流しているようだった。

 

 

 忍び世界を守った英雄がいた。

 英雄の名は、うちはイタチ。

 木の葉の里、名門うちは一族に生を受けた彼は、一族内においても類稀なる才の持ち主だった。八歳という幼さで写輪眼に開眼し、十歳で中忍に昇格、十三歳で暗部の分隊長になった神童。その心根も優しく、誰よりも平和を愛していた。

 

『なんて遠いんだ……』

 

 弟サスケは、兄を尊敬すると同時に嫉妬もしていた。いつも兄と比べられ自分を見てくれないというもどかしさと寂しさ。

 

『お前の超えるべき壁として、お前と共に在り続けるさ』

 

 そんな弟をイタチは唯一無二の兄弟として、優しく見守っていた。

 小さなわだかまりはあるも、二人は仲の良い兄弟として共に歩んでいけるはずだった。

 だが、二人の兄弟の日常は絶望という形で終わりを迎える。

 木の葉の里創設以前よりある確執、『千手』と『うちは』。二つの一族の間にある亀裂が時と共に徐々にひろがり、やがて薄氷を踏み砕くように平穏は脆くも崩れ去ることとなる。

 懐疑と迫害の末に、うちは一族がクーデターを画策。その企みを阻止すべく、里はイタチにある任務を命じた。それは、一族全員の抹殺という受け入れがたい命令。

 イタチは里と一族、その狭間で苦悩に苛まれる。どちらを選んでも彼を待つ運命は絶望だけだった。

 そして、イタチは決断する。

 

 ――己の手で一族の歴史に幕を下ろすことを。

 

 血の涙を流しながら感情の一切を殺して、里の為に両親を、同胞をことごとく殺し尽くした。イタチは任務を全うしたのだ。たった一点の失敗を除いて。

 

 ――弟だけは殺せなかった。

 

 彼にとって弟の命は、里よりも重かったのだ。

 弟に偽りの記憶を与え、あえて憎まれることを望み。いつか弟と戦い死ぬことを心に決めて、イタチは里を抜けた。

 

 名誉の代償に汚名を、愛の代償に憎しみを受け取り。それでもなお里を想い、そして最愛の弟にすべてを託し、笑って死んでいった。

 忍びでいるには、優しすぎた男。

 うちはイタチ。

 ――彼の真実を知る者は少ない。

 

 

 

 

戦術人形(せんじゅつからくり)イタチ」

 

 サソリが名を呼ぶ声に返事をするように、傀儡人形がカタカタと身体を揺らし不気味な音を鳴らす。その音はまるで傀儡人形が嗤っているようにも聞こえる。

 サソリが指先をわずかに動かすと傀儡人形は顔を上げ、カステルモールを見据えるようにその赤い双眸で射抜く。

 カステルモールは赤い瞳で見つめられ、心を見透かされているような不思議な感覚に陥った。

 

「ガーゴイルですか? それとも、スキルニルですか? 舐められたものです。そんな人形遊びで私を倒せるとでも?」

「人形遊びだと……。遊びかどうかすぐに教えてやる」

 

 カステルモールはいきなり現れた傀儡人形に驚きながらも、サソリを挑発する。その言葉にサソリは不敵に笑い、流れるような動きで構えを取った。

 

「まずは、小手調べだ」

 

 そう言ってサソリが両手をゆっくりと動かした。その動きに反応するように傀儡人形も動き出す。

 傀儡人形はその場でトン、トン、と一定のリズムで小さく飛び跳ねる。その様を注視していたカステルモールは目を細めた。傀儡人形の体が段々と陽炎のようにぶれて見え出したからだ。

 幻惑するように小さく飛び跳ねていた傀儡人形が次の瞬間、カステルモールの視界から姿を消す。

 カステルモールは目をみはる。

 どこに消えた!? と辺りを見回したその時、背後に気配を感じ取り、カステルモールは咄嗟に身を屈めた。刹那、頭上を傀儡人形の貫手が通過する。

 いつの間に背後に? という疑問がカステルモールの脳裏を掠めたが、その口は反射的に呪文を唱えていた。

 

「デル・ウインデ!」

 

 カステルモールの体の周りに鋭いかまいたちのような風が纏わりつく。カステルモールが素早く杖を掲げると、風はうねりを上げて周囲に拡がった。至近距離で風の波に襲われた傀儡人形はそのまま吹き飛ばされるも、空中でくるりと一回転すると、何事もなかったように地面に着地する。

 すかさず、カステルモールが傀儡人形に向き直り、呪文を唱えた。

 

「ラナ・デル・ウインデ!」

 

 傀儡人形に向けられた杖の先端から、圧縮された空気の塊が飛び出した。迫りくる空気の塊をくるくると舞うように傀儡人形は躱し、サソリの傍らへと戻る。

 カステルモールが傀儡人形の次の挙動に警戒しながらも、サソリに尋ねた。

 

「今の攻撃、魔法ですか? 人形が私の視界から一瞬で消えたように見えたのですが?」

 

 その問いに、サソリは小さく頭を横に振る。

 

「いや、そんなたいしたもんじゃない。この傀儡のモデルとなった奴が幻術を得意としていたんでな。まあ、その真似事みたいなものだ」

 

 あいつには遠く及ばないがな、と自嘲気味にサソリは答えた。サソリが傀儡人形に取らせた行動は幻術というよりも体術に近かった。一定の動きに徐々に緩急をつけることで相手を惑わし、印象付けることで、無意識下に敵は次にこう動くと予測させ、それとは逆に動くことで、相手の予測を裏切り視界から消えたように見せたのだ。

 

「お前の方こそ、見えてなかったのによく躱せたな?」

 

 サソリの疑問に、カステルモールは大仰に肩をすくませた。

 

「先ほども言いましたが、私の体は空気の流れを読むことができます。視覚を惑わせるだけでは、私は倒せませんよ」

 

 なるほどな、とサソリは頷く。

 

「なら、次はこれだ」

 

 サソリが左手を掲げ、人差し指をクイッと折り曲げると、傀儡人形が上半身を低くし構えを取る。その手にはいつの間にか、黒い棒状の刃物が握られていた。それは、クナイと呼ばれる忍びの一般的な武器。

 サソリが勢いよく左手を振り下ろすと、傀儡人形が飛び出した。

 瞬きする間もなく、カステルモールとの距離を詰め、その手に持つクナイで斬りかかる。しかし、カステルモールも流石と言うべきか、レイピアを模した軍杖でクナイを受け止めた。

 キィィィン! と激突と共に空気が震える。

 両者がクナイを、杖を高速で振るい、その度に金属のぶつかる音が響き、火花が散る。

 打ち合う度に、交差する度に明滅する武器と武器。その様はさながら、星の瞬きのようだった。

 お互いに一歩も譲らぬ剣戟を繰り広げ、切り結んだ数が二十を超えた頃。このままでは埒が明かない、と判断したカステルモールが鍔迫り合いに持ち込み、呪文を詠唱する。

 

「イル・ラナ・デル・ウィンデ」

 

 すると、杖が青白い光を発する。

 『ブレイド』と呼ばれる魔法。杖に真空の竜巻が纏わりつき、風の剣を創り出す。その切れ味は鉄すら切り裂く。ヒュンと風か空気を割る音と共に、傀儡人形が持つクナイに容易く刃を食い込ませ断ち切る。

 相手の武器を破壊したことで、得意気にカステルモールが笑う。

 

「メイジが接近戦に弱いとでも、本物のメイジは杖を剣のように扱いつつ魔法を完成させるものですよ」

 

 カステルモールがそう呟いた次の瞬間、傀儡人形にとどめと言わんばかりに風の剣で斬りかかった。その攻撃を紙一重で避け、傀儡人形は、半ばで切断されたクナイをカステルモールに投げつけると同時に、後ろに飛びカステルモールから距離を取る。

 カステルモールは飛んできたクナイを事もなげに風の剣で払い落すと、新たな呪文を紡ぐ。

 

「ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ウィンデ」

 

 カステルモールの呪文の詠唱に応えるように、彼の体の周りに一瞬にして無数の氷の矢が現れる。それは、サソリも見たことがある、ウィンディ・アイシクルというタバサが得意とする魔法。だが、かつて見たタバサの魔法とは決定的に違う所がある。

 それは数だ。カステルモールの体の周りに現われた氷の矢、その数三十はくだらない。

 サソリの視界を埋め尽くすほどの氷の矢が、攻撃の合図を待ちわびるように空中に浮遊していた。

 カステルモールが残酷な笑みを浮かべ、大仰な仕草で杖を振るう。

 刹那、サソリに向かって一斉に氷の矢が殺到した。

 迫りくる氷の矢を見たサソリは、素早く指先を動かす。サソリの意を汲み取ったように傀儡人形は、瞬時にサソリの正面に移動すると、氷の矢を迎え撃つ。

 傀儡人形の両手首には不思議な文字が描かれていた。それは、武器を口寄せする為の術式。傀儡人形の指先が術式に触れると、煙と共に口寄せされた無数の手裏剣が出現する。     

 傀儡人形は、現れた手裏剣を目にも止まらぬ速さで放ち、襲い来る氷の矢をことごとく撃ち落していく。その正確無比な投擲にカステルモールが息を呑む。

 パリン、パリンと数多の氷が砕け散り、氷の粒がキラキラと月明かりに照らされ、蒼く輝く。氷の結晶が雪のように舞い散るその光景は、戦場に神秘的な美しさを創り出していた。

 カステルモールは氷の矢をすべて打ち尽くしたが、それがサソリに届くことはなかった。すべて迎撃されたのだ。そのことにカステルモールは怒りを覚えることはなく、むしろその心は歓喜で満たされていく。

 

「素晴らしい! 今の攻撃を躱すのではなく、すべて撃ち落とすとは! なら、この魔法は撃ち落せますか?」

 

 カステルモールは、笑みを貼り付けたまま魔法を構築していく。すると、一つの大きな氷塊が彼の頭上に現われる。それは、氷の槍。ジャベリンと呼ばれる魔法。その大きさは先ほどの氷の矢の比ではなかった。手裏剣で撃ち落せる質量ではない。

 だが、サソリは笑う。

 

「いいだろう。受けて立ってやる」

 

 サソリは氷の槍を避けずに、迎撃すると言う。それは虚勢ではなく、自信からなのだろう。その答えにカステルモールが満足気に頷くと同時に、杖を振るった。

 猛然と迫る氷の槍を打ち砕く為、傀儡人形は素早く手首の術式に触れ、武器を口寄せする。次の瞬間には、煙と共に口寄せされた巨大な手裏剣、風魔手裏剣がその手に握られていた。

 傀儡人形が弓を引き絞るように上半身を限界まで曲げ、そこからの反動を利用して一気に腕を振り抜いた。腕より放たれた風魔手裏剣は大気を裂き、空を翔け獲物を屠ろうと牙を剥く。

 高速で回転する鉄の刃と氷の槍が交差し、激しい音と共に氷の槍は粉々に打ち砕かれた。そして風魔手裏剣はその勢いのまま、弧を描くようにカステルモールに向かって飛んで行く。彼をも切り裂くつもりなのだろう。

 自身に向かって飛来する巨大な手裏剣を視認したカステルモールの行動は早かった。素早く呪文を詠唱し、風の剣を造り出す。先ほど使ったブレイドの魔法。だが、その規模は先ほどのモノを大きく上回っていた。二メイルを超える風の大剣を造り出し、襲い掛かる風魔手裏剣に真っ直ぐ振り下ろし一刀のもとに両断する。

 自然とカステルモールの顔に笑みが浮かぶが、傀儡人形の攻撃はまだ終わりではなかった。切り裂いた手裏剣の死角に隠れるようにもう一枚の巨大な手裏剣がカステルモールに襲い来る。

 一瞬、その出来事にカステルモールは目をみはるも、すくい上げるように返す刃で迫る風魔手裏剣を見事に切り飛ばしてみせた。左右に分かれた鉄の刃は、宙を舞い放物線を描いて地面に深く突き刺さる。

 その一連の動きを見たサソリが感心したような声を出した。

 

「なかなか、たいしたものだ」

「お褒めに預かり、恐悦至極」

 

 サソリの言葉にカステルモールが慇懃に答える。その表情は笑みを携えていた。

 サソリも薄く笑い、ゆっくりと指を動かしながら口を開く。

 

「ククク……なら、今度はこちらが魅せる番だな」

 

 サソリの声に反応するように傀儡人形が腰を屈めたと思ったら、地面を蹴って大きく宙に舞い上がっていた。カステルモールが空高く飛び上がった傀儡人形に目を向けると、その手には再びクナイが握られているのに気付く。

 身体を回転させ、傀儡人形が疾風の如き速さでクナイを放つ。その数八つ。

 カステルモールは次々と襲い掛かるクナイを迎撃する為、体を半身にして杖を構える。

 カステルモールに焦りはなかった。所詮はただの投擲、当たらなければどうということはない、と。

 だが、その顔が驚きに変わる。耳障りな金属音が響いたと思ったら、真っ直ぐ向かっていたクナイがその軌道を変えた為だ。

 傀儡人形が投げたクナイは、クナイ同士がぶつかり合い、まるで玉突き(ビリヤード)の玉のように縦横無尽に駆け回り、その軌道を変幻させる。

 黒い刃が角度を変え、向きを変え、獲物を追い詰める狼の群れのように、いつの間にかカステルモールを取り囲むように四方八方から襲い掛かっていた。魔法と見紛うほどの投擲術である。

 その妙技にカステルモールは一瞬、魅入ってしまう。すぐに我に返るも、その時にはクナイが目前まで肉迫していた。

 

「くっ!」

 

 呪文を唱える暇はない、と判断したカステルモールは、体を独楽のように回転させ杖と短剣で襲い来るクナイを迎撃する。彼の体捌きは見事だった。ほぼ同時に迫るクナイを躱し、弾き、落としていく。人間離れした動きだ。だが、全てのクナイを防ぐことはできず、その左頬と左腕をクナイが掠め、小さな切り傷を作ってしまう。

 カステルモールは頬より流れる血を舌で舐めながら、傀儡人形を見つめ、その口元に獰猛な肉食獣を思わせる笑みを浮かべた。

 

「あなたを倒すには、まずその厄介な人形をなんとかしないと駄目みたいですね」

 

 そう言ってカステルモールは、おもむろに杖をベルトに収めると、獲物に襲いかかる獣のように深々とその身を沈め、呪文を呟く。すると、右手に持つ短剣に風が纏わりつき、再び風の剣を創り出す。

 直後、カステルモールは全身の筋肉に力を滾らせ、地を這うように駆け出した。

 傀儡人形との距離を詰めながらカステルモールはさらに呪文を唱えると、彼の体に風が纏わりつく。

 ――刹那。

 パァン! と空気が弾ける音と共にカステルモールの動きが急加速する。カステルモールは纏わせた風を後方に放つことで、己の体を弾き、目にも止まらない速さを得たのだ。

 傀儡人形の眼前に一瞬で移動したカステルモールはその勢いのまま、走り抜けるように高速の斬撃を放つ。

 

 ――斬!

 

 カステルモールの手に獲物を切り裂いた感触が伝わり、その口元に笑みが浮かぶ。

 しかし、次の瞬間には、カステルモールの顔が驚愕に彩られる。

 切り裂いたと思った傀儡人形の体が幻影のように消え、その場所に残されたのは切り裂かれた黒衣だけだった。

 中身はどこに消えた!? とカステルモールが目を白黒させていると、空より傀儡人形が目の前に舞い降りた。

 カステルモールは傀儡人形の姿を見取ると素早く風の剣で切りつけるが、傀儡人形はその斬撃をひらりと躱すと同時に、身体を旋回させカステルモールの頭部に回し蹴りを放つ。

 

「っ!」

 

 カステルモールは咄嗟に地面を転がるように飛び攻撃を避けると、体勢を素早く立て直し傀儡人形を油断なく見据える。

 いつの間にか傀儡人形はサソリを守るように傍らへと移動していた。外套をはずしたその姿は、無数の巻物を腰の辺りにぶら下げ、さらに背中にも身体と一体化するように大きな巻物を四本背負っていた。

 その姿を見たカステルモールは思わず破顔する。

 

「アッハハハ! ここまで手札を切って人形の服を切り裂けただけとは、おもしろい! おもしろい! これこそ私の求めていた心躍る戦いだ! さあ、もっと! もっと殺し合いをしましょう!」

 

 カステルモールは、高々と笑い声を上げる。この戦いが楽しくて仕方がないといった様子だ。

 だが――

 

「いや、もう終わりだ」

 

 サソリが首を振り、カステルモールの言葉を否定する。

 

「それは、どう……っ!」

 

 カステルモールは最後まで言葉を紡げなかった。自身の体に起きた異常の所為だ。

 

「な、なに、が」

「毒だ」

 

 サソリの言葉を聞いて、カステルモールが顔を歪める。先ほど頬を掠めたクナイに毒が塗られていたのだ。だが気付いた時にはすでに遅い。カステルモールの体に毒が周り、その自由を奪っていく。

 視界は霞み、全身の力が抜け片膝をつくが、カステルモールは歯を食いしばり咆哮を上げる。

 

「まだだぁぁぁぁ!」

 

 裂帛の気合と共に立ち上がると、カステルモールは呪文を詠唱する。精神力を振り絞り、猛り狂う魔力を一気に放つ。短剣より氷交じりの嵐が生まれ、サソリと傀儡人形共々屠ろうと魔法は包み込むように襲い掛かる。

 サソリは魔法を迎撃するために両手の指を巧みに動かす。すると傀儡人形がその手で印を結びつつ背を逸らし、空気を吸い込む動作をとる。そして、顔を突出しその口を開けると、壮絶な熱と光を伴って巨大な炎の塊が吐き出された。

 ――火遁・豪火球の術。

 イタチを知る者が、傀儡人形が行なった動作を見たらその術を思い起こしただろう。

 炎の塊と氷の嵐がぶつかり合う。炎と冷気、相反する力の衝突。拮抗していた力のぶつかり合いはそう長くは続かなかった。

 氷の嵐の力が徐々に弱まっていく。刻一刻とカステルモールの体を毒が蝕んでいく為だろう。やがて、短剣から放たれていた氷の嵐が消える。時を同じくして傀儡人形の口から吐き出されていた炎も消えた。すると、傀儡人形の背に縫い付けられていた火遁用の巻物がその役目を終え、破裂音と共に弾け辺りに紙吹雪が舞う。

 カステルモールの視界の先には、無傷のサソリと傀儡人形が佇んでいた。精神力を振り絞った最後の魔法も標的を傷つけることは叶わなかった。

 不本意な幕切れにカステルモールの顔に悔しさがにじむ。

 そして――

 

「ぐっ……!」

 

 苦悶の声を上げると、カステルモールは力尽きたのか、地面に倒れ伏し、ピクリとも動かなくなった。全身に毒が周りその自由を奪った為だろう。

 サソリは傀儡人形と共にカステルモールに近づき、傀儡人形にカステルモールが右手に握る短剣を奪い取らす。

 

「お前が地下水だな?」

 

 傀儡人形が握る短剣にサソリが声をかける。しかし、何の返事もない。短剣に話かけるそのさまは、なかなか物悲しいものがある。

 

「人の体を乗っ取らないと喋れないのか? それとも喋れないふりか? まあどちらでもいい。喋れないなら、このままへし折るだけだ」

 

 傀儡人形が短剣の刃の先端と柄の部分を持ち、折り曲げようとする。ミシミシと短剣から嫌な音が鳴るのと同時に、慌てた口調で短剣より言葉が発せられた。

 

「まってくれ! 喋れる! 喋れるから、折るのだけは勘弁してくれ!」

 

 その口調からは余裕が抜けていた。いや、こちらが本来の喋り方なのかもしれない。

 

 

 

 

 

「……インテリジェンス・ナイフか」

 

 サソリが興味深げに短剣を眺めながら呟く。

 折る、とサソリが脅すと地下水は自身の能力をペラペラと喋り出した。 

 地下水の正体は、意思を込められた魔短剣。インテリジェンス・ナイフだったのである。

 握った者の意思を奪う能力で、次々に宿主を変えてきたナイフ。それが謎のメイジ地下水の正体だったのだ。

 一度握らせれば簡単な命令を埋め込むことも可能なようで、カステルモールには、戦いを見守り、侍女が倒れた場合は戦いに割って入れと、短剣を受け取れ、と命令していたようだ。

 握った者の意思を奪えるほどの魔力を持つ魔剣はハルケギニア全土を見渡しても珍しい。

 よほど高位のメイジが、意思を付与したのだろうが、その者は何の目的で地下水を造り出したのだろうか……。

 

「いつから私の正体が短剣だと気付いたんですか?」

「もう一度言うが、お前は喋りすぎだ。カステルモールが短剣を持った瞬間にチャクラの質が変化し、口調まで変われば、誰でも気付くだろう。お前のように意思を持つ刀ならオレの仲間も持っていたしな」

「あはは、いや~ついつい興奮してしまって、喋り過ぎましたね。あなたが強いのがイケないんですよ。こんなに強い相手と巡り会えたのは、本当に久しぶりだったんでね」

 

 自身の失敗を悪びれもせずに、地下水は嬉しそうに語る。

 

「なぜ、暗殺者をしている?」

「暇だからですよ。こちとら意思を吹き込まれたら最後、退屈との戦いですよ。気が遠くなるほどの時間を生きていると心がじわじわと壊れていく。なにか刺激を求めていないといずれ心が死んでしまいます」

 

 地下水は自嘲気味に答えた。

 永遠の命を持つ地下水。それは、かつてサソリが求めた答えの一つでもあった。己の体を傀儡人形に造り変えたサソリ。それは永遠に朽ちることのない身体。自ら至った者と他者によって造られた者、その違いはあるが、サソリと地下水は似ているのかもしれない。

 

「お前は使えるな。その能力は有用だ。それに、お前の在り方はかつてのオレに似ている」

 

 地下水を褒め称え、傀儡人形が握っていた短剣をサソリは右手で無造作に掴む。

 

「何を考えているのです!? 私を掴めば、あなたの体は私の物ですよ!」

「お前にオレが操れるのか?」

 

 サソリの考えが分からず、慌てる地下水。それを見て挑発するサソリ。

 

「馬鹿め! 後悔してももう遅いですよ! ……あれ?」

 

 地下水はサソリの体を操ろうとするが、どういう訳か動かせない。サソリは何でもないように短剣を手で弄んでいた。

 

「……なぜ?」

「操られるのが分かっていたからな。事前に精神防壁を張って置いた。それに、お前とオレではチャクラ量に差がありすぎて、術自体がきかないというのもあるがな」

 

 サソリは静かな口調で言い放つ。

 

「オレを操りたかったらイタチ以上の憧術使いでも用意することだ」

 

 サソリが冷たい笑みを浮かべ、手に握る短剣を見つめる。地下水はその視線にかつてないほどの絶望感を抱き、ふるふるとその刀身を震わせた。目の前の少年が、体を奪おうとした自分を許す訳がない、と地下水は死を覚悟したが、サソリの口から出た言葉は意外なものだった。

 

「地下水。オレの部下になれ」

「……あなたの部下に?」

 

 突然の勧誘に地下水は戸惑った声を出す。

 

「ああ、さっきも言ったがお前は使える。お前自体に興味も湧いた。音を消し、匂いを消し、己を消す。お前はまるでオレの傀儡のようだ」

「あなたが私を掴んだ理由が分かりましたよ。私を屈服させる為、お前ではオレには絶対に勝てない、ということを知らしめる為、私の心を折り、そして部下へと勧誘ですか……」

 

 ケタケタと笑うように地下水は刀身を震わせる。

 

「やはりあなたは、おもしろいですね。私の正体を知っても恐れないどころか、興味を示すとは……。そんな人間に出会ったのは永遠の時の中でも二人だけですよ。うれしいですね。誰かに必要とされるというのは、心が満たされていきます」

 

 地下水から歓喜の声がもれる。だが、

 

「……ですが部下になるというのはお断りします」

 

 次に出た言葉は拒絶だった。

 

「理由は?」

 

 サソリの短い問いに、地下水はきっぱりとした口調で答える。

 

「そう節操なく主を変えては、私はただの心ない道具と同じです。なんの因果か心なんてモノを持って生まれたからには、私は人のように生きたいんですよ」

「……」

 

 しばらく押し黙っていたサソリが脅すように低い声で言葉を発する。

 

「オレに盾突いた奴を許すと思っているのか? 部下にならないと言うのなら、今ここでお前を殺す」

「……覚悟はできていますよ。自分の感情を優先させ命令を無視した上に、命惜しさに主を裏切るなんて恥さらしなことはできません。……どうです、死ぬ間際まで忠義を尽くす、まるで人間みたいでしょ?」

 

 地下水の口調はおどけたものだったが、死の恐怖から刀身は小刻みに震えていた。

 

「ああ、お前の心は人間だ。それもどうしようもない馬鹿のな」

 

 サソリは呟くように答えると、両手に力を加え短剣をへし折ろうとする。だが、いつまで経っても短剣が折れることはなかった。

 

「……折らないんですか?」

 

 地下水がサソリの手に力が入ってないことに気付き、恐る恐る問い掛ける。

 問い掛けられたサソリ自身も不思議そうに眉根を寄せる。次いで、その口からため息がもれた。

 

「オレも甘くなったものだ」

 

 誰にも聞こえないような声で呟くと、サソリは地下水を毒が回って動けないカステルモールの右手に戻す。そしてカステルモールの口に錠剤のような物を呑ませる。それは、解毒薬だった。

 すると、カステルモールの体がわずかに動き、ゆっくりと上半身を起き上がらせる。

 

「……どうして、私を殺さないんですか?」

 

 まだ、毒の所為で満足に動かせない体に鞭打ちながらも、地下水は疑問を口にした。

 その疑問にサソリは頭を振り、肩をすくませる。

 

「オレにも分からねェ」

「……はぁ」

 

 サソリのあんまりな答えに地下水もなんと返していいのか分からず、間の抜けた声がもれた。

 そんな地下水をよそに。サソリは地下水に操られていた侍女の所に歩いていき、その傍らにしゃがむと侍女の体に手を当て医療忍術で傷を治していく。

 

「こいつらは、お前に操られていた時の記憶はあるのか?」

「いえ、ありませんよ」

 

 そうか、とサソリは頷き、侍女の治療を終えると、侍女の服の襟を掴み引きずるように地下水の傍らまで運ぶ。 

 そしてサソリは、地下水に背を向け独り言を呟くように喋る。 

 

「今回はお前を見逃してやる。あの王女もな。だが次、タバサに危害を加えるようなことをしたら容赦はしない。わかったら、さっさとその女を連れて消えろ」

 

 地下水はその言葉に目を見開くも、口から押し殺したような笑い声がもれた。

 

「くく、恐ろしい方だと思っていましたが、意外と甘いのですね、蕩けるようだ! くくく、本当におもしろい!」

 

 地下水の言葉を受けたサソリが振り返り、無言で地下水を睨み付ける。

 その視線の迫力に慌てたように地下水は言葉を取り繕う。

 

「いや、褒めているんですよ。本当ですって、馬鹿になんてしていません。だから、そんなに睨まないでくださいよ」

 

 しどろもどろの地下水を見たサソリはフン、と鼻で笑う。

 

「この任務はあの王女に仕組まれていたんなら、もう茶番に付き合う必要もないな?」

「ええ、もう帰って頂いて結構ですよ。主には私から言って置きます」

 

 地下水は体に力を入れて立ち上がり、気絶している侍女を担ぎあげる。そして楽しそうな笑みをサソリに向けた。

 

「あなたには、礼を言います。久々に心躍る戦いができました。死ぬのは嫌ですが、あなたとはまた戦ってみたいものです」

「タバサを巻き込まないなら、いつでも相手をしてやる。お前の本気はあんなもんじゃないんだろ?」

 

 サソリがわずかに口元に笑みを携えて言った言葉に、地下水は目をしばたたかせた後、おかしくてたまらないといった様子で笑った。

 

「アッハハハ! あなたは最高だ! どこまでも私を楽しませてくれる!」

 

 地下水はひとしきり笑うと、

 

「見逃して貰った礼はまた会った時に必ず返しますので、それでは」

 

 と言ってサソリに一礼すると、闇の中にその姿を消す。

 サソリは地下水の消えた方向をしばらく眺めていたが、その視線を空に輝く双月に向ける。

 今宵も月は淡い光を放ち、地上を優しく照らしていた。

 

 

 

 翌日、タバサが目を覚ますのを見計らったように、窓が叩かれサソリが部屋へと入ってくる。

 

「帰るぞ」とサソリの言葉に、タバサが小首を傾けながら短く答える。

 

「任務がある」

「任務ならもう終わった」

 

 そう言って薄い笑みを浮かべるサソリを見たタバサは、なんとなく事情を察した。サソリが暗殺者を捕まえるか、それに類することをしたのだろうと。

 

「ごめん」

 

 タバサの口から出たのは謝罪の言葉だった。のんきに寝ていた自分の不甲斐なさにいたたまれなくなって、思わず口から飛び出したのだ。

 

「気にするな。オレも久方振りに楽しめたからな」

 

 サソリが口角をわずかに上げる。タバサから見たサソリの表情は本当に満足そうにしているように映った。

 

「わかったなら、さっさと帰るぞ」

 

 タバサが小さく頷くと、サソリがタバサの顔を見て目をすがめる。

 

「ところで、その顔はいつ元に戻るんだ?」

 

 タバサの顔は魔法の効果でイザベラと瓜二つのままだった。

 タバサは相変わらずの無表情で答える。

 

「……わからない」

 

 二人の間に微妙な空気が流れる。

 しばし二人が見つめ合った後、サソリの口からは今日もため息がもれた。

 


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