雪風は赤い砂と共に   作:火の丘

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 太陽が中天に差しかかろうかという頃。

 首都リュティスから、南西に百リーグほど離れた地方にある小都市に向けて出発する馬車の中……。

 王女の衣装に身を包み、その顔を魔法でイザベラへと変えたタバサが、侍女に変装したイザベラから今回の任務の詳しい内容を聞いていた。

 

「謀反?」

 

 タバサの疑問の声にイザベラが大仰な仕草で頷く。

 

「そう謀反よ。今から向かう街は、アルトーワ伯という生意気な領主が治めているの。その領主が謀反を企てているという噂があるの。でね? わたしの元にその領主の誕生を祝う園遊会の招待状が届いた。ここまで言えばもう分かるでしょう?」

 

 イザベラが意地の悪い微笑を浮かべ、タバサを試すように問い掛けた。

 タバサは考える素振りも見せずにぽつりと呟くように答える。

 

「罠」

「そう、罠よ。王女であるわたしを捕まえて、人質にする気に違いないわ。で、わたしはそれを逆手に取ろうというわけ。わたしに変装したあんたを餌に、謀反人を釣り上げようって作戦。どう、わかった?」

 

 自身の考えた策を自慢するようにイザベラは言った。しかし、イザベラの策を聞いたタバサは、褒めるでも、驚くでもなく、無反応で返す。その少女の態度にイザベラがムッと不機嫌そうに眉間にしわを作る。

 

「あんたでは考え付かない作戦でしょう? シャルロット。多少魔法が上手でも、頭が悪いと宝の持ち腐れよ」

 

 タバサの態度にムキに成りつつあるイザベラは、タバサを馬鹿にするような口調で言う。だが、やはりというべきか、タバサは気にした様子もなく、ぴくりともその表情を変えない。

 

「ほんと、人形みたいね。眉の一つでも動かしたら? あなたのその顔、見ているとイライラするのよね」

 

 イザベラは表情を変えないタバサのほっぺをつまんで、くにくにと動かしながら、その顔に残忍な笑みをたずさえる。

 

「じゃあ、ちょっとは顔色の変わる話をしてあげる。その領主、わたしを捕まえる為に凄腕の暗殺者を雇ったみたいなの。地下水って名前の。あんたも名前ぐらいは聞いたことがあるでしょう?」

 

 タバサは頷いた。地下水のように、音もなく流れ、不意に姿を現し、目的を果たして地下に消えていく、性別も年齢も分からない謎の暗殺者。しかし、その名だけは裏の世界に何十年も前から知れ渡っている。狙われたら最後、命だろうが物だろうが、逃げることはできない恐怖の存在として。

 口元に笑みを貼り付けたまま、イザベラはタバサに問い掛ける。

 

「あんたに勝てるかしら?」

「わからない」

 

 タバサは正直に答えた。絶対に負けられない、という気持ちは常にある。だが、自身の力を過信してはいなかった。過信は油断を招き、足をすくう。まだ十五という若さにも関わらず、少女は今までの過酷な経験からそのことを学んでいた。

 

「あんたの使い魔なら勝てると思う?」

 

 イザベラが急に神妙な顔つきになりタバサに尋ねる。その声にはわずかな恐れの色が含まれているように感じられた。

 

「わからない」

 

 タバサは嘘を吐いた。自身の使い魔、サソリなら相手がどんな手練れでも、どんな化物でも、彼が負ける姿をタバサには想像できなかった。

 イザベラはタバサの答えに、ふ~ん、と考える素振りを見せた後、再度タバサに質問する。

 

「あいつは何者なの?」

「……ロバ・アル・カリイエのメイジ」

 

 一呼吸の間を置き、タバサは答えた。

 ロバ・アル・カリイエとは、エルフの住まうサハラを超えたさらに東の地の総称である。それは、サソリが異世界より召喚された『シノビ』と呼ばれる存在だと言っても、そんな荒唐無稽な話を信じてもらえないだろうと思ったタバサが咄嗟に吐いた嘘だった。

 

「本当かい?」

「ほんとう」

 

 イザベラが確かめるようにタバサを見つめ、タバサも真剣な眼差しでイザベラを見つめ返した。

 しばらく睨み合ったイザベラは、根負けしたように頭を振る。

 

「まあ、確かめようがないからね。あんたの言葉を一応信じてやるよ。東方から来たっていうならあの変な衣装にも納得できるしね」

 

 イザベラは肩を竦ませ、もう話は終わりだ、と言うようにタバサから視線を外す。あっさりと引き下がったイザベラにタバサは警戒心を抱く。

 目の前に座る従姉は、わたしの言った出まかせを信じてはいないだろう、とタバサは思った。疑り深いイザベラがタバサの言ったことを鵜呑みにするとは、到底思えなかったからだ。

 そして、タバサもイザベラの語った任務の内容を信じてはいなかった。

 今回の任務、不審な点が多すぎる。

 イザベラが影武者を立てているとはいえ、謀反を企てていると噂される領主の元にわざわざ自ら出向くだろうか? 下手をすれば自身さえ危険に晒すかもしれないのに。それに、王女をさらう為に雇った暗殺者の名を知っているのも怪しかった。そこまで調べがついているのなら、いちいちこんな任務をする必要はないはずだ。それを行うということは、この任務、全ては自分を貶めるための、王家の策略の可能性があるということ。

 

 現王家にとってタバサは目障りな存在だった。

 現国王ジョゼフはお世辞にも聡明とは言い難かった。魔法の才に乏しく、政務をほったらかし、ひとり遊びにふける日々。国内外から無能王と揶揄される愚王。ジョゼフが王座につけたのも、次期王と呼び声の高かったタバサの父シャルルを暗殺し、冠を奪ったにすぎないとガリア貴族の間では公然の秘密とされていた。そのような理由から、ジョゼフを真の王と認めてない者は多い。その筆頭がオルレアン公派と呼ばれるタバサの父を慕う貴族たち。王位継承争いの折りに多くの者が粛清され、その数を減らしたとはいえ、現王家に従うフリをして、雌伏して時を待っている者がまだ多数残っているのが現状だった。

 現王家がタバサを目障りに思う理由がこれだった。オルレアン公派の旗頭として、真の王位継承者としてタバサを担ぎ上げ謀反を起こす可能性が高いからだ。

 現王家はタバサを亡き者にしたいが、公然とそれを成せばオルレアン公派やその他の現王家に不満を持つ貴族が反乱を起こすのは必定。だから現王家は、タバサに生還不能と思われる任務を与え、合法的に命を落とすことを期待しているのだった。

 

 今回も任務にかこつけてわたしを葬ろうとしているのかもしれない。タバサは自身の考えは憶測にすぎないが用心に越したことはない、と気を引き締め、目の前に座る従姉に目を向ける。

 イザベラは、馬車の小窓から外の景色を眺めていた。その横顔を見たタバサにある思い出が横切る。

 それは幼い頃、仲の良い姉妹のように二人で遊んでいた記憶。

 タバサはイザベラを憎んではいなかった。会うたびに嫌味を言われ、いじわるをされるが彼女に怒りを覚えたことはなかった。

 かつては姉と呼んだ人をタバサはどうしても憎むことができなかったのだ。たとえ、父の仇の娘だとしても。

 もう、あの頃の関係に戻ることはできないだろう、と思うと少女の胸がチクリと痛むのだった。

 

 

 

 

 

 空が茜色から闇色に染まる頃。

 タバサたちは、途中の宿場町で一泊することになった。タバサには一番綺麗な宿の二階、一番豪華な部屋が用意さていた。イザベラは事情を知る腹心の部下数人と共に、階下の部屋にいる。

 やっと一人になれた、と一息ついていると、部屋の窓がトントンと叩かれる。タバサが窓に視線を走らせると、そこには窓枠に手を掛けぶら下がっているサソリがいた。タバサが窓を開けると、サソリが部屋にふわりと飛び込んで来る。

 部屋に入るなりサソリがタバサの姿を見て、一言つぶやく。

 

「似合わないな」

 

 タバサの今の格好は、王女のドレス、冠。そして、その顔はイザベラである。使い魔の言葉にタバサ自身も同意するが、面と向かって似合わない、と言われると何故か苛立ちを感じた。そのことにタバサが小首を傾げていると、サソリが今回の任務の詳しい説明を求めてきた。

 

 

「謀反、それに地下水か……」

 

 サソリの言葉にタバサが頷く。イザベラから聞いた任務の目的を聞いたサソリは、考えるような仕草を取る。

 

「どうしたの?」

「いや、何でもない」

 

 サソリは素っ気なく答えると、そのまま窓際まで歩いて行き、タバサに振り返る。

 

「オレのやることは変わらない。お前を守る、それだけだ」

 

 そう言うと窓から身を投げ出し、その姿が闇に呑まれ消える。

 

「オレは屋上にいる。何かあれば呼ぶか、巻物を使え」

 

 サソリの声だけが部屋へと響いた。すると、タバサの心に安心感が生まれる。

 サソリが守っていてくれるという事実が少女に安らぎを与えていた。思わず、その口元がほころぶ。

 タバサが穏やかな気分に浸っていると、不意に扉が叩かれる。タバサは咄嗟に傍に置いていた杖を掴む。その表情はいつもの冷たいものへと戻っていた。

 

「だれ?」

「わたしだ。カステルモールだ」

 

 警戒しながら扉を開くと、そこにはタバサにフェイス・チェンジをかけた若騎士が立っていた。

 

「なんの用?」

 

 タバサが不審そうに尋ねる。カステルモールは辺りを慎重に見回し、細かく部屋を調べ、さらに魔法を唱えた。

 

「魔法で聞き耳を立てている輩もいないようだな」

 

 そこで彼は恭しく帽子を取ると、タバサの足元に跪いた。青年の行動にタバサが目を細める。

 

「どうかわたくしめに殿下をお守りさせてくださいませ。昼夜を問わず、護衛つかまつります」

 

 まるで忠義を誓う騎士のようにカステルモールは慇懃に言葉を紡ぐ。タバサはその言葉の意味を計りかねるも、無表情を保ったまま首を横に振った。

 

「わたしは殿下じゃない。ただの影武者」

 

 今度は、カステルモールが首を横に振る。いえ、違います、と。

 

「シャルロットさまは、いつまでも我々の姫殿下でございます。東薔薇騎士団全員、表にできぬ、変わらぬ忠誠をシャルロットさまと、今は亡きあなたさまの父君シャルル殿下に捧げています」

 

 カステルモールがさらに深く頭を垂らす。その姿は真摯なもので嘘を吐いているようには見えなかった。そして、父の名が青年の口から出たことで、彼が亡き父を慕うオルレアン公派の人間なのだろう、ということをタバサは悟った。

 だが、少女の答えは変わらない。淡々とした口調でタバサは言った。

 

「わたしは北花壇騎士。以上でも、以下でもない」

 

 タバサの言葉にカステルモールが顔を上げ、タバサを見つめる。その瞳は憂いを帯びていた。

 若騎士はぎゅっと両手を強く握りしめ躊躇いながらも口を開く。

 

「シャルロットさま。あなたさまさえその気なら……、我ら、簒奪者より王座を取り返すお手伝いをしたく……」

 

 カステルモールの言葉には懇願するような声色が含まれていた。

 しばらく二人が見つめ合った後、タバサがぽつりと呟く。

 

「……危険。だから、他人を巻き込みたくない」

「何を申されます! 我らいつでも命を捨てる覚悟はできております!」

 

 タバサの言葉に、勢いよくカステルモールが立ち上がり自身の決意を告げる。しかし、タバサは、その決意を拒絶するように青く短い髪をわずかに左右に揺らした。

 

「あなたたちの家族にも危険が及ぶ」

 

 はっとカステルモールの表情が驚きに変わった。次いで感極まった面持ちになり、片膝をつき項垂れる。それはカステルモールたちの身を心配したばかりか、その家族まで気に掛ける目の前の少女の優しさに感動してのことだった。

 

 しばらく項垂れていたカステルモールが顔を上る。その表情は何かを決意したような真剣なものだった。

 カステルモールはすっと立ち上がると、タバサの手を取り接吻し、

 

「真の王位継承者に、変わらぬ忠誠を」

 

 そう言って、カステルモールが部屋を出て行こうとする。そしてドアノブに手を掛けた時、思い出したようにタバサに振り向き、苦言を呈する。

 

「シャルロットさま。あなたさまの使い魔、あれは信用なさらぬように。あの者、危険などと呼ぶのも生易しい、禍々しい存在にわたしには映りました。いつあなたさまに害をなすかわかりません。ゆめゆめ心を許さぬようお気を付け下さい」

 

 カステルモールはタバサに一礼をし、今度こそ部屋から出て行った。

 

 

 タバサは着ていた王女の服を脱ぎ、天蓋のついたベッドにその小さな身体を横たえた。先ほどの若騎士との会話を思い返すと、口から小さなため息がもれる。

 カステルモールからの誘いを受ければ、タバサの復讐の大きな助けになっただろう。しかし、タバサはそれを断った。自身の復讐に誰も巻き込みたくなかったからだ。タバサにとって誰かが自分の為に傷つくのは、自身を切り裂かれるよりも耐えられない。それほどに恐ろしいことだった。

 そして、それは自身の使い魔であるサソリにも当てはまる。彼にもタバサは傷ついて欲しくはなかった。お前を守る、サソリが去り際にタバサに言った言葉を思い出すと、心に嬉しさが込み上げて来るのと同時に、不安も生まれる。

 

 もし、彼がわたしを守る為に傷ついたら……。

 

 サソリが傷つく姿を想像するのは難しかったが、彼も不死身という訳ではない。魔法を受ければ怪我もする、剣で斬られれば血も流す、下手をすれば死んでしまう。そのことを想像するだけで心が悲鳴を上げた。

 さらにタバサの心をかき乱すことがある。それは、心を許さぬよう、とカステルモールが語った言葉だ。自身の使い魔が、サソリが皆から恐れられることがタバサは哀しかったし、悔しかった。

 そして、怖かった。

 皆から恐れられたサソリが、タバサの前から去っていく姿がなぜか脳裏に思い浮かんだからだ。

 先日、ルイズに魔法を教える際にサソリが語った大きな力を使うリスク。それは、サソリ自身にも当てはまるのではないだろうか。

 ――周りから畏怖され、疎まれるだけの存在。

 サソリがタバサを守る為にその力を使えば、使うほど周りから恐怖される。そして、その先に待つのは……。

 

 訳の分からない不安がタバサを襲う。少女はベッドに横たわったまま、背を丸めて膝を抱えた。不安を振り払うように、タバサの口から小さな歌声が漏れる。

 それは子守唄だった。

 幼い頃、まだ寝たくない、とタバサがベッドの上でぐずると、母がこの歌を歌ってくれたのである。この歌は、唯一タバサをこの世界に繋ぎとめる鎖のようなものだった。子守唄を歌うとわずかに過ぎないが、昔の気持ちが蘇るのだ。

 哀しい時、つらい時、不安になった時、この歌を口ずさむと心を癒してくれる。

 タバサが目をつむると、瞼の裏に楽しかった日々が思い起こされた。

 

 父さま、母さま。

 

 優しい両親の顔が思い浮かび、笑い声と光に満ち溢れていた思い出がタバサに安らぎを与えてくれる。

 タバサの心から自然と不安が消えていき、子守唄が少女を優しい夢へといざなう。

 

 

 

 カステルモールはタバサの居る部屋から出ると、天を仰ぎ目頭を押さえた。仇であるはずの王家にいいようにこき使われているタバサがあまりにも不憫で、そして、その父シャルルの優しげな顔を思い出し、深い哀しみと悔しさが込み上げて来た為だった。

 カステルモールには魔法の才能があった。だが、彼は貧乏貴族の生まれだった。いくら魔法の才があろうと家格が邪魔をし、出世の妨げになっていた。しかし、一人の男が彼を救う。それがタバサの父シャルル・オルレアンだった。カステルモールの魔法の才を認め、彼を騎士団へと引き立てた。

『見込みがある』シャルルの言った言葉をカステルモールは今でも鮮烈な記憶として覚えている。きっと一生忘れることはないだろう。

 カステルモールはぎりりと奥歯を噛み締める。

 

 殿下、必ずや殿下のご無念を晴らして見せます。そして、奪われた王座をシャルロットさまに。

 

 カステルモールが思いを新たにし、タバサとの別れ際に語った忠言を思い出す。

 

 ですぎた真似だったか? いや。

 

 頭を振り、自身の考えを肯定する。

 カステルモールはサソリを危険視していた。タバサが召喚の儀式を失敗し、人間を呼んだということだけでも悪評になり、タバサの立場をより危ういモノへと変えてしまう可能性があるというのに。

 呼び出された使い魔の行動はそれだけに留まらず、イザベラに暴言を吐き、敵意を向けるなど、自身の行いがその主にどういう結果を及ぼすか全く考えていないように見えた。カステルモールからしてみれば、サソリは愚かとしか言いようがなかった。

 カステルモールがサソリを危険視する理由は他にもあった。それは、サソリを見た時、彼は猛烈な寒気に襲われたのだ。

 

 あの使い魔は何者なのだ? 本当に人間なのか?

 

 カステルモールには、サソリが人の皮を被った、人外の生き物に映った。サソリと睨み合った時のことを思い出しただけで、その膝が震える。

 カステルモールは震える膝を乱暴に叩き、自身に生まれた恐怖心を振り払う。

 

 わたしが、シャルロットさまをお守りせねば!

 

 カステルモールが自身を奮い立たせていると、そこに一人の侍女が近づいて来る。

 侍女はカステルモールの前で跪き、一本の短剣を差し出す。鞘に収められていない抜き身の短剣だった。廊下に備え付けられたランプの灯りに照らされて銀色の刀身が妖しく光る。

 

「何だ、この短剣は?」

 

 カステルモールは差し出された短剣を不審に思いながらも、反射的に受け取ってしまう。

 カステルモールは手に取った短剣をまじまじと見つめた後、

 

「今はあなたが持っておきなさい」

 

 そう言って、再び侍女に手渡した。

 

 

 

 サソリは屋上の先端に立ち、夜景を眺め佇んでいた。家々には明かりが灯り、まるで蛍火ように淡い光を放っている。

 その光景を瞳に映しながら、不意にサソリが暗闇に言葉を投げかけた。

 

「いいかげん、出てこい。オレは待たされるのは嫌いだ」

「……ばれていましたか? あなたが全然隙を見せてくれないから、出る機会を逸していたんですよ」

 

 サソリの声に応えて、暗闇から人影が姿を現す。長い亜麻色の髪を頭の左右でくくり、黒の長袖と足元まで伸びるスカート、白いエプロンと侍女の服に身を包む女性がゆっくりと近づいて来る。その姿からは不似合いな銀色の短剣が右手に握り締められていた。

 女性の病的なまでに白い肌は死人を連想させる。そして、サソリを見つめるその藍色の瞳はひどく無機質なモノだった。

 

「お前が地下水か?」

「よくご存知で」

 

 地下水は空いている左手でスカートの端を摘み、恭しくサソリに一礼する。

 

「私は地下水。以後お見知り置きを」

 

 暗殺者にも関わらず、馬鹿丁寧に自身の名を名乗る地下水。それは彼女の余裕のあらわれか、口元には微笑を携えていた。

 

「で、オレに何の用だ。王女を捕まえるのが仕事じゃないのか?」

「ええ、それも任務の一つですが、依頼者よりあなたの実力も測るよう命じられましてね。それに始末できるなら始末して来いとも、仰せつかっております」

 

 地下水はニッコリと笑うと、短剣を構える。そんな態度を見ても、サソリは顔色一つ変えずに地下水に尋ねた。

 

「お前を雇った依頼者は誰だ?」

「それを申し上げることはできません」

「当然だな。まあ、どうせあのイザベラとかいう王女だろ?」

 

 サソリが依頼者の正体に当たりをつける。そのことに地下水がわずかに眉を上げる。

 

「なぜそう思うのです?」

「お前は喋りすぎだ。オレを始末しようと思っている奴は、此処では限られているからな」

 

 それに、とサソリが言葉を続ける。

 

「わざとあの王女がオレに恐怖心を抱くように仕向けたんだしな。なにもして来なければ拍子抜けというものだ」

 

 地下水はサソリの言葉に、口を半開きにして絶句する。

 

 サソリの視線に射抜かれた者の反応は大体決まっている。大抵の者が彼に恐怖を抱く。今までに感じたことのない殺意を向けられたイザベラは、サソリを無視出来なくなる。絶対の恐怖の対象として、その心を独占し、支配する。

 イザベラが恐怖の対象である自分を探ろうと何かしらの手を打ってくるとサソリは予想していた。

 

 地下水がおずおずとサソリに問い掛ける。

 

「なぜ、そのようなことを?」

「タバサがこの国でどんな扱いを受けているかは知っている。命を狙われていることもな。そしてあの王女が、タバサによからぬ感情を抱いるのも見ればわかった。だったら、タバサよりオレの方が邪魔だと思わせた方がなにかと都合がよかった」

 

 おかげでお前という獲物が釣れた、とサソリの視線が地下水を射抜く。その瞳はサソリの残酷さをあらわすような闇を携えていた。

 視線を向けられた地下水からは、うっ、と小さなうめき声がもれる。目の前の少年に言い知れぬ恐怖を覚えたからだ。地下水は、恐怖を拭うように小さく頭を左右に振る。

 そんなさまを瞳に映しながら、サソリは話を続ける。

 

「オレに恐怖を覚えた者は大抵が命惜しさに、媚びへつらい、取り入ろうとするか。危険と見なして、消そうとするかのどちらかだが……あの王女は後者だったようだな」

 

 サソリの顔に冷淡な笑みが浮かび、クククと笑う。

 

「ただの自尊心が高いだけの小娘かと思っていたが、なかなかいい判断だ。邪魔者はさっさと消すに限る」

 

 自身の命を狙われたというのに赤い髪の少年は気にも留めず、むしろ命を狙った相手が思ったよりも骨があったことを喜んでいた。しかし、その表情からすぐに笑みが消える。

 

「だが、お前を差し向けたのは悪手だったな」

 

 サソリの口から言葉が投げ出される。その声にはわずかな怒りが含まれていた。

 

「お前を雇ったのが王女だとすると、タバサが受けたこの任務自体、最初から仕組まれていたと自分で白状しているようなものだ」

 

 図星をつかれて顔をしかめる地下水。

 

「タバサが命を狙われているという話も本当みたいだな。元々、お前はタバサの命を狙う為に雇われていたというところか?」

 

 サソリの質問に地下水は何も答えない。いや、答えられない。もしも地下水が馬鹿正直に「はい」とでも答えようものなら、次の瞬間には、地下水の首と胴が泣き別れしていただろう。それほどの迫力が今のサソリにはあった。

 タバサの命が狙われていたという事実がサソリ自身も気付かぬ内に、その身体から怒気を溢れさせていたのだ。

 サソリの怒りを感じとり、地下水は息を呑み額に汗を滲ませる。だが、その口元はわずかな笑みを携えていた。

 

「だんまりか? まあいい」

 

 サソリの全身から放たれていた威圧感が膨れ上がった。

 

「お前には色々と聞きたいことがある。素直にオレに従うというなら命は助けてやってもいい、どうする?」

 

 圧迫感に晒されながらも地下水は首を横に振る。その表情に恐怖心は窺えなかった。

 

「たいへん魅力的な提案ですが、一度も刃を交える前に降参するというのは、私の矜持が許さないのですよ」

「交渉決裂だな」

「ええ、それにあなたは一つ勘違いしています」

「勘違い?」

 

 地下水の言葉にサソリがわずかに眉を上げる。地下水は頷くと、手に持つ短剣を構えた。

 

「はい。それは、あなたが私を倒せると思っていることです。これでも、今まで狙った獲物は一度も逃したことがないのですよ!」

 

 地下水が叫ぶと同時にサソリに襲い掛かる。地下水は地面を踏み砕く勢いで蹴って、六メイルはあったサソリとの距離を一気に詰めた。そして、サソリの体を切り裂こうと右手に持つ短剣を振るう。サソリは短剣を難なく躱すが、次の瞬間、地下水が左手をサソリに向けた。

 

「ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ウィンデ」

 

 地下水が口早に呪文を唱えると、手のひらより無数の氷の矢が現れ、サソリに向かって飛んでくる。

 

「!」

 

 サソリが目を見開く。それは、魔法は杖が無ければ使えないと油断していたが故の驚きだった。

 サソリは無理やり自身の体をひねり氷の矢を回避し、地下水と距離を取る。

 その様子を見た地下水がサソリを褒め称えた。

 

「今のを躱すとは流石です。うまく虚をつけたと思ったのですが」

 

 地下水の顔には余裕めいた笑みが浮かんでいた。

 その顔を見たサソリは、口角をわずかに上げる。

 

「オレを舐めるなよ。今度はこちらの番だ」

 

 サソリが両足に力を込める。わずかに体を屈めた次の瞬間、地下水に向かって放たれた弾丸の如く飛び出した。

 速い! 地下水がサソリの動きの俊敏さに目を丸くする。地下水が呪文を詠唱する暇もなく、サソリは地下水の目の前まで接近していた。

 

「くっ!」

 

 地下水が右手に持っていた短剣を横なぎに振るう。しかし、サソリはその攻撃を当たり前のように身を低くして躱すと同時に、地下水の足を右手で払う。

 足を払われ、バランスを崩した地下水はドサッと倒れ、尻餅をつく。その姿を嘲笑うようにサソリが見下ろしていた。

 サソリの勝ち誇ったような笑みを見て、地下水の顔に苛立ちの色が描かれる。

 

「一度、攻撃を当てた程度でもう勝ったつもりですか?」

「ああ、オレの勝ちだ」

 

 まだ、戦いは始まったばかりだというのに、サソリは自分の勝ちだと言う。その言葉の真意を理解できない地下水は困惑した様子で眉をひそめた。

 

「どう言う意味ですか?」

 

 地下水の問いにサソリは不敵な笑みで返す。そして掛け声と共に右腕を大きく振りかぶる。

 

「ソォラァ!」

 

 すると、地下水の体が四メイルほど上空へと浮き上がった。

 思わず地下水の口から驚きの声が上がる。

 

「なっ!」

 

 地下水が己の身に起こった出来事を理解する間もなく、サソリは次の行動へと移る。サソリが右腕を勢いよく振り下ろすと、今度は、地下水の身体が上空から地面へと吸い寄せられるように急降下していく。

 衝撃音が周囲に響き渡り、地下水はその体を地面に激しく打ち付けた。

 

「ぐっ!」

 

 地下水は短い苦悶の声を上げ横たわる。体中に走る痛みに耐え、すぐに立ち上がろうとするが身体が動かない。なぜ、と地下水の表情に焦りの色が出る。

 身体が動かない理由。それは、地下水の足に結ばれたサソリの指から伸びるチャクラ糸によるものだった。先ほど地下水の足を払った際に付け、それを操ることによって、地下水の身体を浮かし、地面に叩きつけ、今は地下水の身体の自由を奪っているのだ。

 

「……先住魔法ですか? あなたの相手は、今の私では荷が勝ちすぎるようですね」

 

 自身の体に起きた異変に気付いた地下水はあきらめにも似た呟きをもらす。

 

「大口を叩いていた割に存外たいしたことがないな」

 

 落胆したようにサソリの口から失望の言葉がもれた。

 まあいい、と気を取り直し、サソリは地下水に近づこうとしたその時、風を切る音が耳朶を打つ。

 サソリに向かって背後より風の刃が迫っていた。サソリは振り向きもせず軽く身を反らし、風の刃をあっさりと躱す。

 

「貴様! その侍女に何をした!」

 

 怒気を孕んだ声と共に風の刃を放った人物が現れる。それはカステルモールだった。カステルモールが倒れ伏す侍女を見て、サソリに詰め寄る。

 

「正体を現したな、化け物め!」

 

 カステルモールの怒りを受け流し、呆れた風な口調でサソリは言う。

 

「おいおい、オレはそいつにいきなり襲われたから、返り討ちにしたまでだ」

「戯言を!」

 

 カステルモールはサソリの言葉を信じず、サソリに杖を向ける。

 

「……騎士さま」

 

 侍女の苦しげな声がカステルモールの耳に届き、カステルモールはサソリを警戒しつつも、倒れ伏す侍女の元へと駆け寄り声をかける。

 

「大丈夫か?」

「……これを」

 

 地下水はカステルモールに右手に持っていた短剣を手渡すと、糸の切れた操り人形のように力なく意識を失う。

 カステルモールは地下水より受け取った短剣をしばし見つめた後、短剣を自身の体になじませるように虚空を数回切る動作を取る。空気を切る音が辺りに響き、カステルモールの口が三日月を描く。

 カステルモールがサソリに顔を向ける。その瞳は、先ほど地下水と名乗った侍女のように無機質なものへと変わっていた。

 サソリは気付いた。チャクラ糸から伝わっていた地下水のチャクラが消えたことに、そしてカステルモールのチャクラが短剣を受け取った瞬間、変質したことに。

 

「なるほどな。お前も地下水か? カステルモール」

 

 サソリがカステルモールに低い声で問い掛ける。

 

「お強いですね、あなたは。私の退屈を紛らわせてくれる相手に出会えたのは、本当に久しぶりだ! ただの偵察のつもりでしたが、もうやめです。こんな獲物に出会えたのだ、任務なんてもう関係ない! さあ、あなたの本気を見せてください! 私の心をもっと震わせてください!」

 

 サソリの問いを無視するようにカステルモールは独白する。その表情が歓喜で歪んでいく。その口調はカステルモールのモノではなく、地下水と名乗っていた侍女のそれに近かった。

 

「さあ、殺し合いましょう! 私は地下水! あなたの首を上げて、わたしの名の誉れにして差し上げましょう!」

 

 カステルモールがサソリに向かって突撃してくる。サソリは指からチャクラ糸を出し、カステルモールを絡め取ろうとする。それを見たカステルモールが、

 

「先ほどのようにはいきませんよ!」

 

 そう叫び、片手をかざす。左手より風の刃が放たれ、チャクラ糸を寸断し、そのままサソリをも切り裂こうとする。サソリは大きく横に跳び、迫りくる風の刃を避けた。

 

「この体は風のスクウェアメイジ。空気の流れを読む。あなたの不思議な魔法が起こすわずかな空気の揺れもこの体は捉えていますよ!」

 

 カステルモールは得意気に自身の力を語る。

 

「ホウ……」

 

 感心したような声がサソリの口からもれた。サソリはカステルモールの認識を改め、懐から一本の巻物を取り出す。

 サソリの鳶色の瞳が戦意に満ちて輝き、口元に笑みが浮かぶ。漸く、傀儡使いとして戦える相手と巡り会えたことが嬉しかったのだ。  

 

「お前にオレの本当の戦い方を見せてやる」

 

 自慢するようにサソリが言い放ち。カステルモールに見せつけるように、手に持つ巻物をゆっくりと解いていく。

 そこには一文字『朱』と書かれていた。 

 カステルモールには巻物に描かれた文字が何を意味するのか分からなかったが、全身を何かが這うような感覚に襲われる。アレは危険だ、と直感的に感じ取った。

 

 ボンッという爆発音が辺りに響き、白い煙が立ち込める。渦巻く煙の中から現れたのは、サソリと同じ外套を纏った青年の人形。肩まで掛かる夜色の髪を首筋で一房に束ね。額には、描かれた模様を消すように横一文字の傷が入った鉢金を巻いていた。その顔立ちからは、どこか涼やかさを感じさせられる。

 サソリの指先から青白い糸が伸び、人形の体に結びついた。すると、命を吹き込まれたように人形の目がゆっくりと開いていく。紅に染まる双眸は、儚くも美しい光を宿していた。

 

 それはサソリが、『うちはイタチ』と呼ばれたかつての仲間を模して造りし、傀儡人形だった。

 


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