雪風は赤い砂と共に   作:火の丘

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お久しぶりです。ゆっくり更新ですがよろしくお願いします。


第2章  幻影の双月
北花壇騎士団


 もう、何年も前の色あせた思い出。

 色とりどりの花々が咲き乱れる庭園で、二人の少女が楽しそうに遊んでいた。

 

「待って、イザベラ姉さま!」

「こっち、こっち! エレーヌ」

 

 同じ青い髪を持つ二人の少女。少し背の高い少女イザベラが手を振り、エレーヌと呼ばれた少女に笑いかけ、エレーヌはイザベラに離されまいと後を追いかける。

 二人の顔には笑顔が溢れていた。

 姉妹のようにお互いを思っていた幸せな日々。

 まだ、世界の残酷さを幼い少女たちが知らなかったやさしいひと時。 

 永遠にこの時が続けばいいのに……。

 だが、世界は、時間は止まらない。

 世界は移ろう。

 時は流れる。

 そして、少女たちは……。

 

 

 

 トリステインの南西に位置したハルケギニア一の大国、ガリアの首都リュティス。

 都の郊外に築かれた、壮麗なヴェルサルテイル宮殿の一角に桃色の壁の小奇麗な小宮殿があった。

 プチ・トロワと呼ばれるこの小宮殿の中では、大きく豪華な冠をかぶり、煌びやかなドレスを身に纏い、豪奢な椅子にだらしなく腰かけるこの部屋の主が、侍女にもう何度目かの同じ質問をする。

 

「あの人形娘はまだなの?」

 

 イライラした声で侍女に尋ねるのは、目の覚めるような鮮やかな青色の髪を腰の上まで伸ばした美しい少女。その碧眼の瞳が苛立ちからわずかに吊り上り侍女を睨み付け、眉間にしわを作る。折角の美しい顔がその仕草の所為で台無しになっていた。

 少女の名は、イザベラ。

 大国ガリアを治めるジョゼフ王の娘。ガリア王国王女イザベラである。

 

 イザベラの問いに、困ったように侍女が俯く。

 

「その、シャルロットさまは……」

 

 侍女の言葉に、イザベラの表情が怒りに変わる。

 

「今、なんて言ったんだい? あいつはただの人形なんだよ! 今じゃわたしのおもちゃ。 わかったら二度と『さま』なんかつけるんじゃないよ!」

 

 イザベラの剣幕に侍女は、すいません、すいません、と何度も頭を下げた。

 侍女が恐縮し、謝る様子を見たイザベラの心に歓喜にも似た感情が生まれる。そして、口角を吊り上げ、その瞳に残虐な色を浮かび上がらせた。

 イザベラは、傍に置いてあった杖を手に取り、侍女に突き付ける。

 

「ひっ!」

 

 侍女は短い悲鳴を上げ、後ずさる。それは、恐れ。ハルケギニアでは、魔法は絶対の力だった。魔法が使えぬ者は魔法の前にただ恐怖し慄くだけ。だからこそ、王族は、貴族は、その力を持つが故にハルケギニアの支配層として君臨できるのだ。

 

「お前を、最近覚えた魔法の実験台にしてやろうか?」

「お許しを、お許しを……」

 

 侍女は恐怖から跪き、必死に許しを請う。それを見たイザベラは意地の悪い笑顔を浮かべ、その心を仄暗い感情が満たしていく。

 その時、呼び出しの衛士が待ち人の到着を告げた。

 

「人形七号さま! おなり!」

 

 扉が開かれ現れたのは、イザベラと同じ青い髪に青い瞳、その表情からは何の感情も窺いしれない少女。イザベラの従妹、シャルロットだった。

 今はシャルロットという名は捨てさせ、タバサと名乗っている少女にイザベラは目を向ける。

 自分より頭二つ分は小さい身長。しかし、その小さな身体に秘めた魔力は自分の数段上を行く。そのことを考えるとイザベラの心に自然と怒りが湧いてくる。

 タバサの魔法の才を王の器と見なしている者は少なくない。そのことがイザベラの劣等感を加速させていくのだ。魔法の才とはつまり人望でもあった。イザベラの父ジョゼフは魔法の才に恵まれず、無能王と揶揄されている。そのことからも分かるように、ハルケギニアでは、たとえ王族であろうと魔法の才が無い者は蔑まれ、侮辱されるのだった。

 イザベラは、自身の魔法の才が従妹であるタバサよりも劣っていることが許せなかった。いや、従妹だからこそ、余計にイザベラの心をかき乱すのだ。

 

 イザベラが憎しみと羨望のこもった眼差しをタバサに向けるとそこで、タバサの服がいつもの魔法学院の制服ではなく、黒いパーティドレスであることに気付く。

 

「珍しく着飾っているじゃないの?」

 

 タバサは返事をせずに、じっと立ち尽くしている。そのもの言わぬ人形のような態度にイザベラの苛立ちが増していく。

 

「随分といいものを着ているじゃない。こんなもの買えるほど、手当は貰ってない筈。盗んだんじゃないだろうね」

「母様のお下がり」

 

 少女の返答にイザベラは内心、動揺する。やさしかった叔母の顔が脳裏を掠めるが、その思考を振り払う。そして、いつものようにタバサを貶めるため、新たに得た手札を切る。

 

「そういえば、聞いたよ。あんたなんでも召喚の儀式で失敗して、人間を呼び出したそうじゃないか? とんだ能無しだね、そんなのでよく北花壇騎士が務まるものだ!」

 

 あはは、とイザベラがタバサをあざ笑う。そして、タバサを見ると、いつもの無表情が僅かに崩れたことをイザベラは見逃さなかった。

 

「今、その使い魔を連れてきているんだろ? お前が召喚したという人間、見てみたいね! お前に呼び出されるほどだ! さぞかし醜悪で下賤な盗人みたいな人間なんだろ!」

 

 イザベラは興が乗ったのか高笑いを上げる。自身の使い魔を貶められ、少しは人形のように無愛想なその顔を歪ませて見せろ、とタバサに視線を向ける。

 視線の先にあったタバサの表情はイザベラの予想を超えていた。

 氷のように冷たい眼差しでイザベラを睨み付けている。その視線の迫力に、イザベラは思わず怯みそうになるのを、なんとか意地で堪える。

 今まで、どんな嫌がらせをしても、タバサが怒ることはなかった。それどころか、その表情を変えることすらなかった。それがイザベラを睨み付けたのだ。これは何かある、とイザベラは勘ぐる。

 

「なんだいその眼は! そんなに使い魔を貶されたのが悔しかったのかい? おもしろい! 人形娘ご自慢の使い魔、一度目に入れておくのも一興というものさ!」

 

 イザベラは、衛士にタバサの使い魔を連れてくるよう命令する。

 

 

 

 ほどなく、衛士に連れられタバサの使い魔が姿を現す。

 現れたのは、赤い髪の少年だった。

 

「へえ~」

 

 少年の姿を頭から爪先までさっと一瞥し、イザベラは意外そうな声を出す。

 年のころは十五歳ぐらいだろうか。身長もイザベラとそう変わらない。赤い髪に鳶色の瞳、中性的な顔立ちは女性受けが良さそうだった。だが、身に着けている服のセンスは良いとは言えない。堅気の人間が着るような服ではない、道化師が着るような派手で珍妙な服と言えばいいのか、赤い雲の模様が入った黒い外套を身に纏っていた。どこの国の衣装だ? とイザベラは首を傾げたが、それよりも今は、シャルロットをからかうのが先だ、と些細な疑問を押しのけ、欲求を優先させる。

 

「あんたの使い魔にしては、マシな面をしてるじゃないか」

 

 ニヤニヤと嫌らしい笑みをイザベラは、タバサに向ける。

 

「あんたがわたしを睨み付けるなんて何事かと思ったら、そういうことかい? あんたこの使い魔に懸想を抱いているのかい?」

 

 こりゃ傑作だ、とイザベラは大声で笑い出す。

 タバサは首を横に振るが、イザベラには恥ずかしがっているようにしか見えなかった。

 そんな様子を見たイザベラは、タバサから大事な使い魔を取り上げてやろう、と考える。

 イザベラは赤い髪の少年に尋ねた。

 

「あんた名前はなんていうんだい?」

「サソリだ」

「変な名前だね。まあいい、あんたわたしに仕えないかい? そこの人形娘なんかより、私に仕えた方がよっぽど贅沢な暮らしができるよ。どうだい、悪い話じゃないだろ?」

 

 断られるはずがない、という確信がイザベラにはあった。なにせ自分は王女なのである、その自分に声をかけられ、召し抱えられるのなど普通なら、夢のまた夢、大変名誉なことだろう、と。

 しかし、イザベラの確信はあっさり裏切られる。

 

「断る」

 

 サソリの口から出たのは、否定の言葉だった。

 イザベラはしばし、サソリの言葉の意味を理解するのに時間を有した。サソリの口から出た言葉がイザベラには信じられなかったからだ。

 

「い、いま、あんたなんて言ったんだい?」

「まだ若いのにもうボケたか? 小娘。断ると言ったんだ」

 

 サソリの口から暴言が吐き出される。

 イザベラの表情がみるみる怒りの形相へと変わっていく。

 

「お前は、わたしが誰だか分かっているのかい? ガリアの! この国の王女イザベラさまだよ! それをなんだその口の聞き方は? お前を殺すことだってわけないんだよ! わかったら泣いて謝りな! そうすれば寛大なわたしだ、気が変わって殺すのだけは許してやるかもしれないよ!」

 

 怒り心頭と云った様子のイザベラは、捲し立てるようにサソリに言葉をぶつける。

 

「オレを殺す? 笑わせるな、小娘」

 

 サソリはククク、と軽薄な笑みを浮かべ、イザベラを睨み返す。すると、イザベラの体が凍りついたかのように身動きひとつ取れなくなってしまう。

 

「なっ!」

 

 イザベラには何が起きているか分からなかった。ただただ、その体を訳のわからない恐怖が支配していくのみだった。ドロリとした圧迫感が体を締め付け、まるで目の前の少年に心臓を鷲掴みにされているような感覚に襲われる。こんな感覚をずっと味わうぐらいなら、いっそのこと死んで楽になりたくなるほどだった。

 その時、緞子の向こう側から男の声が部屋へと響く。

 

「それ以上、姫殿下に無礼を働くことは許さんぞ!」

 

 緞子(どんす)をかき分けて現れたのは、年のころは二十ぐらいの、ぴんとはった髭が凛々しい、美男子だった。

 

「カステルモール!」

 

 イザベラが助けを求めるように青年の名を呼ぶ。

 

「東薔薇騎士団所属、バッソ・カステルモール参上仕りました。イザベラさま、御前での無礼お許しくださいませ」

 

 そう口上を述べ、カステルモールはサソリに杖を向ける。杖を向けられた少年といえば、身構えるどころか、眉ひとつ動かさず悠然としていた。

 

「怪しい魔法を使う者め、貴様人間か?」

「さあな」

「わたしを愚弄するか!」

 

 カステルモールの怒気が増し、杖を握る手に力が入る。

 その瞬間、部屋の空気が重く張りつめたものへと変わった。

 いつ、サソリとカステルモールの戦いが始まってもおかしくない一触即発の状態になる。

 しかし、その空気をタバサが打ち破った。

 

「だめ」

 

 タバサがサソリの前に立ち、二人の睨み合いに割って入る。短い言葉で自身の使い魔を注意する少女。すると、緊張を帯びた空気が和らぐ。

 タバサに見つめられ、サソリは頭を振り平坦な声で答えた。

 

「オレは何もしてない。そいつが勝手に勘違いしただけだろ」

「貴様! とぼけるつもりか!」

 

 その言葉にカステルモールが声を荒げる。

 

「やめな、カステルモール」

 

 憤慨するカステルモールを止めたのはイザベラだった。

 

「しかし、イザベラさま」

「落ち着きな、カステルモール。わたしはやめろと言ったんだよ。わたしの言葉に従いな」

「……わかりました」

 

 渋々といった様子でカステルモールが杖を収める。

 イザベラはサソリに目を向け、先ほど自身を襲った恐怖を思い出し、目の前の少年の認識を改める。

 そして、つい先日、タバサが召喚の儀式で人間を呼び出した、と報告に来た侍従とのやり取りを思い出した。

 

 

 イザベラの目の前に侍従は跪き、タバサの召喚の儀式での顛末を報告する。

 その報告を聞いたイザベラの口からは、笑みがもれた。

 

「愉快だねえ。あの人形娘が召喚の儀式を失敗するなんて!」

 

 部屋中に少女の笑い声がこだます。腹を抱えて笑うその姿は、王女としての品位をどこかに忘れてきているようにさえ見える。ひとしきり笑い終え、イザベラが落ち着いた頃、跪いていた侍従が口を開く。

 

「イザベラさま。その使い魔についてジョゼフさまより言伝を預かっております」

「父上から?」

 

 珍しいこともあったものだ、とイザベラは思った。イザベラの父ジョゼフはイザベラを避けていた。イザベラにはその理由がなんとなく分かっていた為、イザベラ自身もジョゼフとは距離を置いていた。したがって、ジョゼフと顔を合わせるのは公式の場だけといっていい。その父がわたしに言伝? とイザベラは小首を傾げた。

 そして、侍従がジョゼフからの言伝を告げる。

 

 ――シャルロットの使い魔には手を出すな。

 

 父からの言伝を聞いて、その内容にイザベラは困惑する。

 

「……それだけなの?」

「……はい」

「その言伝、どういう意味なの?」

「……わたくしめには、皆目見当もつきません。ただ、イザベラさまにお伝えするようにと賜った次第で」

 

 侍従に意味を尋ねても首を横に振るばかりだった。

 

「その使い魔、どこかの大貴族の子息だったりするの?」

「いえ、ただの平民との情報です」

 

 貴族でないなら礼を尽くす相手でも、外交問題でもない、とイザベラは考えを巡らせる。

 

「平民なら文武に優れているということも、利用価値があるということもないわね……。何か学院で問題でも起こしたの?」

「いえ、決闘騒ぎがあったようですが、別の使い魔が起こした騒動で、その使い魔は関わっていないようです」

 

 イザベラは頭に手を当てて、眉根を寄せる。ジョゼフは、普段から掴みどころのない人物ではあるが、この言伝を聞いて改めてイザベラは思った。相変わらず意味が分からない人だ、と。

 その後、ジョゼフの言伝のことなど、タバサを貶めるのに夢中になりすぎて、忘れてしまい。今に至るという訳だが、あの時の自分を殴り飛ばしてやりたい衝動にイザベラは駆られた。なんでもっと父の言葉を吟味しなかったのだ、と後悔したが、すでに後の祭りである。

 今この時になって、父の言葉の意味を理解した。

 

 シャルロットの使い魔、見た目はただの生意気なガキだが、中身はとんだ化け物だ。

 

 北花壇警護騎士団団長、それがイザベラの肩書だった。

 ガリア王家の汚れ仕事を一手に引き受ける組織。北花壇警護騎士団、その団長として、色々な裏稼業に携わる人間を見てきたイザベラだが、タバサの使い魔サソリは今までに見た事がない異質な存在に映った。もし、対応を間違えれば王女であるイザベラでさえ、躊躇なくその命を刈り取る存在。

 

 父上もこんな化物の存在を知っていたなら、詳しく教えてくれてもいいものを!

 

 後悔の念がイザベラの心に湧き上がるのと同時に、警戒心も芽生える。こいつは危険だ、と。

 イザベラは思考を高速で回転させる。シャルロットの使い魔、今のうちにその実力を測って置かないと、後々厄介な事になる。例え父の言葉に逆らってでも……。 そして、イザベラは思いつく。

 

 ちょうどいい策があったじゃないか。

 

 イザベラの唇が弧を描く。

 イザベラは椅子から立ち上がりタバサにゆっくりと近づいていく。

 

「ねえ、シャルロット。わたし地方に旅行に行くことになったんでけど。あんたの次の任務はわたしの影武者をしてもらうことなの」

 

 イザベラがタバサの髪を見つめ言葉を続ける。

 

「カステルモール。この人形に化粧をしてあげて」

「御意」

 

 カステルモールは呪文を唱え、杖を振り下ろす。すると、タバサの顔の形が微妙に変わり、イザベラと瓜二つになった。

 カステルモールが使った魔法『フェイス・チェンジ』と呼ばれる高度な系統魔法。しかし、その効果は限定的だった。この魔法は対象の顔を変えることしかできない。

 イザベラはタバサの顔からひょいっと眼鏡を取り上げた。

 

「知っているでしょ、わたしたち王族の青髪は決して染料などじゃあ真似できない高貴な色だってね。だから、あんたがわたしの影武者には最適ってわけ。だって」

 

 イザベラは言葉を区切って、笑い出す。

 

「そっくりじゃないの! あんたはもう王族じゃないけど、髪の色は王族だもんね」

 

 あはは、とイザベラはタバサを馬鹿にするように笑う。

 それを見たサソリが一歩前に踏み出そうとしたが、タバサが手で制する。

 

 二人のやり取りを横目で見ていたイザベラがタバサに提案する。

 

「今回の任務、あんたの使い魔もわたしの従者ということで、連れていくことを許可してやるよ。嬉しいだろ? 愛しい使い魔と一緒に旅行ができるんだから。まあ、わたしの影武者としてだけどね」

 

 イザベラは嫌味気な笑みを作る。

 

「任務の詳細は移動中の馬車の中で話してやるよ。わたしはまだこの後も仕事が残っているからね。あんたたちは先に行ってな」

 

 カステルモールにタバサに掛かっているフェイス・チェンジを解除させた後、イザベラがしっしっと手を振るポーズをとる。

 それを見たタバサとサソリは無言でイザベラの部屋から出ていった。

 後に残されたカステルモールが口を開く。

 

「よかったのですか? イザベラさま」

「あの使い魔のことを言っているんだったら、今はあのまま放って置くのが一番さ。ここで暴れられたら敵わないからね」

「しかし!」

 

 納得できないのかカステルモールはイザベラに食い下がる。イザベラは小さなため息を吐き、彼を窘める。

 

「なにを拘っているのか知らないが、あんたにあの使い魔を倒せたのかい? わたしの目にはあの使い魔の方があんたよりよっぽど強いと感じられたんだけどね」

 

 イザベラの言葉にカステルモールは顔をしかめる。カステルモール自身もサソリに絶対に勝つ自信があったわけではないのだろう。向き合ってみて初めて分かる強さというものもある。先ほどカステルモールがサソリに杖を向けた時に、あの使い魔の得体の知れなさに気付いたのかもしれない。

 

「あんたももう下がりな。わたしにはまだ仕事があるんでね」

 

 カステルモールはイザベラに一礼し、部屋を後にした。

 イザベラは椅子に座ると、大きなため息をひとつ吐いた。

 サソリが危険な存在だと気付いた後も、イザベラはタバサに普段通り振舞った。陰険でいじわるな態度をいつも通りに。タバサにその使い魔に恐怖して、態度を変えたなどと思われるのは、屈辱以外のなにものでもないからだ。

 それに他にも確認したい事があった。サソリが何をすれば怒りを覚えるのか、何を優先するのか、サソリの行動すべてをイザベラは観察していた。大国ガリアの王女として、北花壇警護騎士団団長として、色々な人間を見てきたイザベラの目は本物だった――タバサの事が絡むとその視野は極端に狭くなるという欠点はあったが――少し話をすれば相手の性格などイザベラにはすぐに見抜けた。そして、サソリをイザベラは分析していたのだが、分かったことは少なかった。いや、なにも分からなかったと言った方がいいのかもしれない。

 イザベラから見たサソリは、チグハグな存在だった。王女であるイザベラに暴言を吐いたりする時点でまともな人間ではない。

 イザベラの命などそこらの雑草と同じぐらいにしか考えていないように思えた。

 ジョゼフが手を出すな、と言ったのも頷ける。目を合わせただけで自分の命を握られている感覚に陥るなど、あの使い魔が如何に異質な存在かということが分かるというもの。

 そんな使い魔がタバサの言うことは唯々諾々と聞いている。そのことがイザベラには不思議だった。サソリのような人間がタバサの言うことを聞くようには思えなかったからだ。

 なぜ、なぜ、とイザベラの頭の中を疑問が駆け巡る。

 どれだけ考えてもイザベラには分からなかった。ただ、あの使い魔は危険だ、という事と、タバサの手駒として持たせて置くのは、さらに危険だということ。

 使い魔一匹で国を相手どることは無理でも、イザベラの命を奪うことは容易いことかもしれない。もし、タバサが命じたら……。

 イザベラは恐怖を振り払うように頭を振る。大丈夫だ、と自分に言い聞かせ、イザベラは先ほど思いついた策を思い出す。

 今回のタバサが受ける任務。それはすべてタバサをいたぶる為に仕組まれたものだった。北花壇警護騎士団が有する『地下水』と呼ばれる実力者を使い、タバサと戦わせ、恐怖をその身に味あわせ、さらに疑心を植え付けてやろうとイザベラが考えた罠。

 その罠に修正を加えることにイザベラはした。タバサの代わりにサソリと戦わせ、その実力を測る。地下水がすんなり勝てば御の字。もし手に余るようなら……。

 

「北花壇騎士四号さま! おなり!」

 

 イザベラが思考の海に沈んでいたそんな時、衛士の声で意識を現実に引き上げられる。

 イザベラが部屋に入って来た来訪者に目を向ける。そこに居たのは、金髪の少年。年は十歳くらいのいたずら坊主といった風情の男の子だった。

 

「北花壇騎士ダミアン参上仕りました」

 

 金髪の少年ダミアンはイザベラに向かって優雅な一礼を披露する。その所作はとても子供とは思えぬものだった。

 イザベラはダミアンを見据える。先ほどのタバサの使い魔も異常だったが、こちらは見た目という点に置いては、遥かにその上をいく。

 

「さっそくですが、ぼくを呼んだということは任務ですね? それで任務の内容は?」

 

 王女であるイザベラに対しても、物怖じせず堂々とした態度で、ダミアンはその青い双眸でイザベラを見つめる。 

 

「あんたたちの次の任務は吸血鬼の捕獲だよ」

「捕獲? 討伐じゃないのですか?」

「そうだよ。最初は討伐だったんだけど、途中で変更になったみたいでね。討伐なら他の団員にやらせてもよかったけど、捕獲となるとあんたたちが適任だろ?」

 

 ダミアンは納得したという風に頷く。

 

「確かに、ぼくたち『元素の兄弟』に掛かれば吸血鬼を捕まえるのも苦じゃありませんからね」

 

 ダミアンは事もなげに言ってのける。ハルケギニアに住む妖魔の中でもっとも手ごわいとされているのが、吸血鬼だった。残忍で狡猾。街ひとつが全滅したという話があるほどの恐ろしい相手。その吸血鬼をたいしたことがないようにダミアンは言う。それは、虚勢やはったりではない。確かな実力に裏付された自信だった。間違いなく北花壇警護騎士団最強は目の前の少年とその兄第たち、通り名を元素の兄弟と呼ばれる者たちだろう。しかし、元素の兄弟には致命的な欠点があった。

 

「ところで、討伐から捕獲に変わったんなら、その分報酬は上乗せしてくれるのでしょうか?」

 

 そう元素の兄弟は金に汚かった。タバサがシュヴァリエの給金だけで、任務を請け負っているのに対して、元素の兄弟は多額の報酬を要求してくるのだ。その金額は一回の任務で郊外に立派な城が買えるほどのものだった。これさえなければ、とイザベラは舌打ちをする。

 

「わかっているよ。いつもの報酬に特別手当を上乗せしてあげるよ」

「さすがは、イザベラさま。ガリア王家は金払いがいいから助かりますよ」

 

 ダミアンが嬉しそうにする。その様子を見たイザベラが尋ねた。

 

「それにしても、あんたたちはそんなに金を貯めていったい何に使うんだい?」

「夢があるんですよ」

「夢?」

「ええ、夢です」

 

 ダミアンがそこで初めて少年のように微笑んだ。イザベラはダミアンの夢が何なのか気になり問い掛ける。

 

「その夢ってのは何なんだい?」

「教えてもいいですけど、高いですよ?」

「金を取るのかい?」

 

 呆れた風にイザベラが言った。ダミアンが頷く様子を見て、こいつは本気で金を要求するつもりだ、と思ったイザベラはこの話は此処までにする。

 

 

 

「じゃあ、ぼくはそろそろお暇しますね。イザベラさま」

 

 任務の詳しい内容を聞いたダミアンはイザベラに一礼をして、部屋から出て行こうとする。それを思い出したようにイザベラが呼び止めた。

 

「もしかしたら、今度あんたたちに暗殺を依頼するかもしれない」

 

 ダミアンは振り向き、見る者をぞっとさせるような凄惨な笑みで応える。

 

「報酬さえ頂ければ、相手が誰であろうと始末してさしあげますよ」

 

 そう言って、ダミアンは部屋を退出した。

 イザベラはダミアンを見送った後、再び考える。タバサの使い魔サソリのことを。

 サソリが地下水の手に余るようなら、元素の兄弟をぶつけるのが最良だ、とイザベラは考えていた。実力が折り紙つきということもあるが、それ以上に元素の兄弟は部下として、信用が置けないというのもある。

 北花壇騎士としての実力はずば抜けて高い。今まで与えた任務はすべて完遂している。あまりにも優秀、あまりにも有用。そのことが同時にイザベラを不安にさせる。

 切れすぎるのだ、元素の兄弟は。

 元素の兄弟の欠点は金に汚いこと。それは金さえ払えば、誰の依頼でも受けるということでもある。金の切れ目が縁の切れ目、という言葉があるように、ガリア王家に利用価値がなくなるか、新たな出資者が現れれば、あっさりとイザベラを裏切り、ガリア王家に杖を向けかねない。

 それに元素の兄弟は得体が知れなさすぎた。サソリと同じでダミアンもイザベラには、危険な存在に映った。十歳程度の子供が北花壇騎士として、国の汚れ仕事を請け負っているのだ。これを異常と言わずしてなんと言う。不安要素は早いうちに処理できるのなら処理しておいた方がいい、と考えるのも当然ともいえた。

 危険な者同士潰しあって、共倒れになってくれれば一番いいのだが、とイザベラは非情な考えを巡らせる。

 イザベラは椅子からゆっくりと立ち上がり、まずは地下水をぶつけて見てからだ、と思考を切り替え、これからの策を実行に移すために動き出す。

 




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