雪風は赤い砂と共に   作:火の丘

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幕間
マチルダ


 女は過去を振り返る。

 女の名前はマチルダ。マチルダ・オブ・サウスゴータ。

 彼女は『白の国』アルビオン王国。サウスゴータ地方を領地に持つ大貴族の娘として生まれた。

 マチルダの両親は一人娘であるマチルダを大層可愛がり、蝶よ花よと育てられ、なんの不自由もない生活を送っていた。

 ある日。マチルダの父は、自身が仕える国王の弟にして、財務監督官でもあるモード大公からある親子を預かることとなる。

 波打つ金色の髪と透き通るような白い肌を持つ美しい親子。シャジャルとティファニア。エルフと呼ばれる亜人の母と娘。

 エルフはハルケギニアでは人間から敵視される存在だった。ハルケギニアの東方に広がる砂漠に暮らす長寿の種族。人間の何倍もの歴史と文明を誇り、強力な先住魔法の使い手として、恐れられる存在。そして、人間から敵視される最大の理由それは、聖地の簒奪。始祖ブリミルですら、ついぞ敵わなかったとされる忌むべき存在。それがエルフ。

 しかし、そんな存在を目にしても、マチルダの家族は誰一人として、恐れることも嫌な顔もしなかった。

 モード大公の愛妾だったシャジャル。そして、その娘ティファニアは、エルフということでその存在を秘され、日陰者として生活をしていた。ある日、その二人の存在が王家に知られそうになる。モード大公は二人の身を案じ、信頼していたマチルダの父に預けたのだった。

 マチルダの一家は皆そろって人情に厚かった。エルフの親子の境遇にいたく同情し、種族の違いなど気にもせず、家族同然としてエルフの親子を扱った。

 マチルダは、突然増えた家族に大いに喜んだ。一人娘ということもあり、つねづね姉妹が欲しいと思っていたのである。マチルダは、年は離れているが、慈愛に満ち、美しく老いを感じさせないシャジャルを姉のように慕い。その娘、陽だまりのような笑顔を自分に向けてくれるティファニアを妹のように可愛がった。

 マチルダは幸せだった。

 やさしい両親。

 美しい姉。

 可愛い妹。

 そんな家族に囲まれて、この幸せがずっと続くと信じていた。

 しかし、その幸せは脆くも崩れ去る。

 シャジャルとティファニアの存在が遂に国王の知るところとなってしまったのだ。国王は弟の醜聞を恐れた。王家に連なる者が、ブリミル教の敵とされるエルフとの間に子を成したと国民に知られれば、アルビオン王家の根幹を揺るがしかねない、と。

 そこからは、坂道を転がるようにマチルダの人生は絶望へと落ちていく。

 まずモード大公が投獄された。マチルダの両親はシャジャルとティファニアを匿った罪で捕まり、家を取り潰され、処刑された。そして、シャジャルは屋敷に踏み込んできた騎士にティファニアの目の前で殺された。

 マチルダはティファニアの手を引いて、逃げ出すことしかできなかった。姉のように慕っていたシャジャルを助けることもできず、ティファニアの使った魔法のおかげでなんとか逃げ出せただけだった。

 マチルダの瞳から涙が零れる。悔しくて、悲しくて、どうにかなりそうだった。気が狂わなかったのは、ティファニアのおかげだろう。妹を守らなければ、最後に残った温もりを離すまい、と自身に言い聞かせることでなんとか心を繋いでいた。

 マチルダたちが逃げ出して、行き着いた先は、ウエストウッド村。森の中にある小さな村。村といっても誰も住んではいない。過疎化が進み住む人間がいなくなった、皆から忘れられた存在の場所だった。マチルダがその場所を知っていたのは偶々だった。父の仕事を手伝った時、偶然耳にした廃村。

 マチルダは当面はこの村に身を隠すことにした。ここなら、皆から忘れられた村なら追手からも見つかりづらいだろう、と思ってのことだった。

 

 二人きりの生活にも慣れた頃、買い出しに出ていたマチルダは街の片隅で膝を抱える子供を見つける。それは、孤児だった。今の時代親を亡くした子供なんて珍しくもなかったが、マチルダはその孤児から目が離せなくなっていた。それは、同情だったのかもしれないし、同じ境遇の者をほって置けなかったのかもしれない。気付いた時には、マチルダは子供の手を引いて村まで連れて帰っていた。

 ティファニアは最初子供を見た時、目をまんまるにして驚いていたが、すぐに笑顔になり、姉さんらしいね、と微笑んだ。

 それからは、子供が一人増え、二人、三人とどんどん増えていき、いつの間にかウエストウッド村は孤児院と言っていいほどの大所帯になっていた。

 母を失ったことで塞ぎがちだったティファニアも子供たちの面倒を看るうちに笑顔を取り戻していた。太陽のように笑うティファニアを見てマチルダも自然と笑みがこぼれた。

 しかし、子供が増えたことである問題が起こる。それは生活費だった。

 今まで、屋敷から逃げ出す時に身に着けていた持ち物などを売り、生活費の足しにしていたがそれもとうとう限界が来る。

 ティファニアは母の形見である指輪を売って生活費の足しにする、と言ったがマチルダはそれを止めた。それはお母さんの形見なんだから、あんたが持っておくのが一番いいんだよ、なあに、生活費のことなら姉さんに任しておきな、と。

 ティファニアに見栄を張って大丈夫と言ったが、マチルダに生活費を稼ぐ宛てがあったわけではなかった。アルビオンでは、王家の目があり仕事に就きづらい、おのずと外国に出稼ぎに行くという選択肢しかなかった。

 ティファニアたちを残して外国に行くのは、心配だったし、マチルダ自身も外国でなど働いたことなどなかったので不安だったが、ティファニアたちの為だ、と思えば不安は自然と掻き消えた。

 いってきます、とマチルダが皆に言うと、いってらっしゃい! とティファニアと子供たちが手を振り、大きな声で返事を返してくれた。

 村のみんなをあたしが支えてやるんだ、とマチルダは意気揚々と旅立った。

 だが、現実は甘くはなかった。

 外国から出て来たての、宛ても、コネもない女に仕事などなかった。いや、あるにはあったが、どれも賃金が安く子供たちの生活費を賄うだけの金額には至らなかった。魔法の才能があったマチルダはもっと簡単にお金を稼げるものだと思っていた。錬金の魔法で物を生み出し、それを売ればお金になる、と単純に考えていた。しかし、そのような仕事は商会お抱えのメイジの仕事であり、身元も晒せないマチルダが就けるような仕事ではなかった。

 それでも、マチルダは挫けなかった。朝から晩まで働き続けた。

 そんなある日。居酒屋で働いている時だった。一人の客がセクハラをしてきた。その場は怒りを我慢したが、腹の虫が治まらなかったマチルダは、セクハラを働いた客の財布を魔法を使い抜き取ってやった。気分も晴れ、さらには懐も温まった。すった財布の中身には結構な金額が入っており、多少の罪悪感が芽生えたが、それよりも簡単に大金が手に入ったことに喜んだ。

 一度覚えてしまった蜜の味をマチルダは忘れることができなかった。最初は嫌な客の財布をスルだけだったが、それがいつの間にか貴族の財布へと。さらには、貴族の宝へと手を伸ばすことになる。

 マチルダには才能があったのだろう盗賊としての、才能が。罪悪感に蓋をして、マチルダは『フーケ』と名乗り、散々宝を盗みまくった。ティアラを、杖を、指輪を、銀行を襲ったことだってある。しかし、それだけの品を盗んでもマチルダの手に入る金額はたいしたものではなかった。トリステインでは新顔の盗賊、それら盗んだ品を売りさばくにもブローカーを通さなくてはいけなかった。後ろ盾もない上に新顔ということで足元を見られ、マチルダの取り分はそう多くはなかった。

 盗賊稼業にも慣れきったある日。ブローカーから依頼が来る。破壊の杖というマジック・アイテムを盗んで欲しい、と。成功報酬が破格だった為、マチルダは二つ返事で頷いた。それが土くれのフーケの終焉となるとも知らずに……。

 すべては順調だった。学院長をたらし込み、簡単に学院に秘書として潜り込むこともできた。ある教師から、宝物庫の弱点も聞き出せた。失敗する要素はなかったはずなのに、一つだけ誤算が生じる。それはミス・タバサの使い魔に出会ってしまったことだろう。

 他人の命を雑草程度としか見ていないような恐ろしい使い魔に。

 

 そして現在。

 マチルダはトリステインの城下町の一角にある監獄に囚われていた。

 ぼんやりとベッドに寝転んで壁を見つめていた。

 思い起こされるのは自分を捕まえた使い魔の少年のことだった。

 

「何者なんだい……あいつは?」

 

 目を合わせただけで死を感じさせられ、渾身の魔法もなんなく躱された。そんな相手がマチルダには人間には思えなかった。そして、マチルダには一つだけあの使い魔の正体に宛てがあった。

 

「もしかして、エルフ?」

 

 杖も使わずに魔法を行使できる存在。それは亜人と呼ばれる種族。さらにその中でも、最強と謳われる者たち。それがエルフ。

 先住魔法には変化と呼ばれる、姿かたちを変える魔法があったはず、とマチルダは思い出し、あの使い魔もその姿を変え、エルフの特徴を隠しているのかもしれない、と推測する。

 

「罰が当たったのかもね」

 

 マチルダはため息交じりに呟いた。

 ティファニアや村の子供たちの為と自分に言い訳をして、悪事を働いた自分への罰。もっとまっとうに働くことだってできたのに……。

 

「ごめん、ティファニア。ごめん、みんな」

 

 家族への罪悪感から、謝罪の言葉がマチルダの口からもれた。

 そんな時。不意にマチルダは誰かの視線を感じる。視線の感じる方へと目を走らせ、その姿をマチルダが捉えると、驚きと恐怖が体に走る。

 

「なんで、あんたが此処に……」

 

 マチルダの囚われている牢屋の外、鉄格子の向こう側にいたのは、タバサの使い魔サソリだった。

 

「お前を此処から逃がしに来た」

 

 サソリは何でもないように平坦な声で言う。

 

「はぁ?」

 

 マチルダの口から思わず間の抜けた声が上がる。

 その様子に少し苛立ちを感じたのか、サソリは片眉をわずかに上げ、もう一度言う。

 

「だから、お前を此処から逃がしてやると言っているんだ」

 

 マチルダはますます混乱した。訳が分からない。自分で捕まえて置いて、なぜ、わたしを逃がす。それをして目の前の使い魔に何の得があるというんだ、と。

 

 混乱するマチルダを見て、サソリはさらにそのイライラが増していくのか、眉根を寄せ、眉間にしわを作る。

 

「お前は此処から出たくないのか?」

「そ、そりゃあ、出たいさ! でも、あんたがわたしを助ける意味が分からない。あんたはどうして、わたしを此処から出したいのさ」

 

 マチルダの問いに、サソリは頭を掻きながら、ぽつりと呟く。

 

「ただの気まぐれだ」

「……その言葉をわたしに信じろと?」

 

 サソリは頷く。

 マチルダは葛藤する。目の前の使い魔の言葉を信じるか、否か。どうする、どうする、と迷ってしまう。

 

「早く決めろ。オレは待たされるのも、待たせるのも嫌いなんだ」

 

 そこに、サソリが苛立たしげに声をかける。その声に即されて、マチルダは決心する。元々、選択肢なんてなかったのだ。

 

 此処にいても待つのは死のみ。なら、目の前の使い魔の口車に乗ってやろうじゃないか!

 

「わかった。此処から出してちょうだい」

 

 その言葉にサソリが頷くと、懐から鍵を取り出し、鉄格子についた錠前に差し込み、牢屋の扉を開ける。

 

「あんた何で鍵なんて持っているんだい?」

「牢番から預かってきた」

「そういえば、牢番がいただろう? どうやってここまで来たんだい?」

「正面から、牢番の連中は全員寝てたな。鍵は誰かに盗まれたら大変だろうから、オレが預かっている」

「ぷっ!」

 

 マチルダはサソリの言葉に思わず吹き出してしまった。

 

「嘘つくんじゃないよ。預かっているんじゃなくて、盗んだんだろ? これじゃあ、あんたもわたしと同じ盗人じゃないか」

「後で返すさ」

 

 サソリは鍵を手で遊び、薄く笑う。

 マチルダが牢屋から出て、訝しげにサソリを見る。

 

「しかし、あんたがわたしを此処から助ける理由がほんと、分からないね」

「お前もしつこい奴だな。ただの気まぐれだと言っただろ。お前も帰りを待ってくれている家族がいるんなら、さっさと帰ってやれ」

 

 ぶっきらぼうに答えたサソリの言葉に、マチルダは、あはは、と笑い出す。

 

「あんた、もしかして? わたしが待っていてくれる家族がいるって言ったから助けてくれたのかい?」

 

 サソリはなにも答えずに、マチルダから顔を逸らしてしまう。マチルダにはその仕草がおもしろくて仕方がなかった。あれほど怖いと思っていた使い魔が今は、年相応の少年に見えたからだ。

 

「あんたも不思議な奴だね。あんたみたいな奴、初めて会ったよ」

 

 サソリは無言で、もう、用は終わった、というように、この監獄から出ようと歩いて行ってしまう。

 

「ちょっと、待ちなよ! かよわい女を一人置いて行くつもりかい」

 

 マチルダがサソリの後を追う。そして、サソリの横に並び歩き出す。

 

「ただ助けられっぱなしてのは、わたしの性分じゃないんだ。あんた何か欲しい物はないかい? お金以外で」

「オレは何も欲しい物なん……」

 

 マチルダの問いに、サソリが断ろうとして、途中で考えるそぶりを見せる。

 

「お前は、武器を造れるか?」

「武器? まあ、錬金で大抵の物は造れると思うけど……」

「だったら、恩を返したいと言うなら、武器を造ってくれ」

「どんな武器なんだい? あんたの強さじゃあ武器なんていらないと思うけどねえ」

 

 マチルダはサソリとの戦いを思い出し、苦笑いを浮かべる。

 

「大鎌と大刀だ」

「鎌? 麦刈でもするのかい?」

 

 マチルダの問いに、サソリは苦い顔をする。

 

「まあ、わかったよ。杖さえ戻れば、あんたの要望通りの武器を造ってやるよ」

 

 その言葉を聞いて、サソリは満足そうに頷く。そして、思い出したようにマチルダに問い掛ける。

 

「そういえば、お前の名はなんて呼べばいい。フーケか? ロングビルか?」

 

 マチルダは一瞬だけキョトンとした後、朗らかに笑いながら答える。

 

「マチルダ。わたしの名はマチルダって呼んでちょうだい」

 




ワルド「あれ? 誰もいない!」

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