雪風は赤い砂と共に   作:火の丘

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土くれのフーケ

 目がくらむほどの美少女の口から、鈴を鳴らしたような言の葉が紡がれる。すると、少女の美しい薄い桜色の髪が僅かに浮き上がり、その象牙のように白い小さな手に握られた杖が神々しい光を放つ。そして、宝石の如き鳶色の瞳に力を宿し、満を持して杖を振り下ろした。

 すると、少女の目の前にあった、樹齢数百年とも知れぬ巨木が浮き上がる。その姿は、夜に輝く双月と相まって幻想的な光景を創り出していた。

 その光景を見た少女の可愛らしい唇が弧を描き、笑みを作る。

 

「やったー! わたしって天才! 見た、見た! 何度やっても魔法が成功するわ! えへへ、魔法が使えるって最高に気分がいいわ!」

 

 少女もといルイズは、魔法が成功したことに有頂天になっていた。

 

「確かに……たいしたものだ」

 

 ルイズの魔法が創り出した光景を見て、サソリも感嘆の声を上げる。

 

「なにかコツを掴んだのか? 爆発しなくなったな」

「う~ん、なんとなくだけど、わたしの魔力の流れや大きさを感じることができるようになったわ。それと、これを見て!」

 

 ルイズが呪文を唱え、杖を振るうと、夜の闇に包まれていた辺り一面が、昼になったかのように明かりで照らし出される。

 

「すげえ! まるで太陽が出たみたいだ!」

「これ、もしかしてライトなの?」

「そうよ。なんだかコモン・マジックなら不思議と全部使えそうな気がするのよね。まだ魔力の制御がうまく加減できないから、いちいち大げさな規模の魔法になるけどね」

「これも、魔法を成功させた影響か? いや、それなら小僧を召喚した時から魔法が使えなくてはおかしいか」

 

 ルイズの使う魔法のデタラメさに驚く一同。そして、サソリはルイズの魔法について、考えを巡らせていた。

 

「今のわたしなら誰にも馬鹿になんかされない。母さまやエレオノール姉さまにだって、もう物覚えが悪いなんて言わせない。学院のみんなだってこれで見返せるわ!」

 

 今までの鬱憤を晴らす機会が来たと、喜び勇むルイズに、サソリが呆れた風に問いかける。

 

「小娘、お前はそんなくだらない目的の為に魔法を使うつもりなのか?」

「くだらないですって? くだらなくなんてないわよ! いつも、いつも魔法が成功しないことでみんなにバカにされて、わたしがどれだけ悔しい思いをしてきたか、あんたは知らないからそんなことが言えるのよ!」

 

 サソリの言葉にルイズが肩を震わせ噛み付く。そんな想いを叫ぶルイズを興味なさげにサソリは冷ややかに見つめる。

 

「少し落ち着け。お前が今までどんな気持ちでいたかなんて知らないし、知ろうとも思わないが、お前はその力を誇示するという事がどういうことか本当に分かって言っているのか?」

「どういう意味よ?」

「その力は危うい。さっきも言ったがお前の力は異常だ、オレの目から見てもな。そんな力を周りにひけらかしてみろ、その結果どうなるとお前は思ってんだ?」

 

 ルイズは胸を張り得意気に答える。

 

「それはもちろん、わたしのことをみんながバカにしなくなって、母さまもエレオノール姉さまもわたしのことを見直してくれて、ちい姉さまは、がんばったねって褒めてくれて――」

「馬鹿かお前は」

 

 ルイズの考えをサソリは容赦なく切り捨てる。

 

「なっ! 誰がバカよ!」

「お前が馬鹿だから、馬鹿と言ったんだ。もっとよく考えてみろ。お前のその力が周りに知られることによって起こるリスクを」

「リスク?」

「そうだ。お前の制御も満足にできていない魔法を見て周りの人間はどう思う? お前を褒め称えるだけか、そんな訳ないだろ。お前の魔法を見て抱く感情は恐怖だ。どこの世界でも大きな力というのは、恐怖の対象でしかない。その力を己の為だけに使うなら尚更だ。お前は周りから畏怖され、疎まれるだけの存在になるぞ」

「そんなことないわよ! 現に此処にいるみんなは、わたしの魔法を見ても怖がっていないじゃない!」

 

 ルイズは周りにいた一同を見渡す。皆ルイズの魔法に驚きはしたが、恐怖を抱いているようには見えなかった。

 

「それは、此処にいる連中がお前のことをある程度理解しているからだ。だが、お前を理解してない人間は違う。制御できない力を振り回す危険な存在としてそいつらの目には映るだろうぜ。ましてや、お前を馬鹿にしていた奴らはお前の魔法で報復されるのを恐れ、お前のことを化物としてしか見られなくなる」

「そんなこと……」

 

 ルイズは言葉に詰まってしまう。

 

「オレのいた場所でもお前みたいに大きな力を持つ者たちがいた。そいつらがどんな扱いを受けていたか、わかるか?」

 

 サソリはルイズを見据え、自身の世界の闇を語る。

 

「各里のパワーバランスを保つため、兵器として、戦争の道具として扱われていた。憐れなものだったぜ、そいつらの末路はな。里の者から忌み嫌われ、誰からも手を差し伸べられず、死んでも悲しまれず、むしろ喜ばれるぐらいだ」

 

 ルイズは息を呑み僅かに体を震えさせる。だが、彼女は躊躇いながらも勇気を振り絞り話の先を即す。

 

「……わたしもそうなるっていうの?」

「さあな。だが、お前がその力を考えもなしに使えば、そいつ等と同じような末路を辿る可能性があるって話だ。力を使いたいならそれ相応の覚悟が必要だ。特にお前のような大きな力を持つ者は」

 

 サソリが冷たい目でルイズを睨み付ける。まるでルイズに自身の力と向き合う覚悟があるのかを確かめるように……。

 その視線に耐えきれなくなったルイズの目からぽろぽろと涙がこぼれ出す。

 

「わたしはただ、悔しくて……。いつも、いつも馬鹿にされて……だから、みんなに魔法が使えるって……言いたくて……ただそれだけなのに」

 

 今まで、二人の話を見守っていたタバサがサソリを窘める。

 

「言い過ぎ」

 

 サソリはタバサの言葉に首を横に振る。

 

「タバサ、オレは勿体ないと思っただけだ」

「勿体ない?」

 

 サソリは頷くと、泣き腫らしたルイズに目を合わせ、諭す。

 

「お前には才能がある。此処にいる誰よりも強くなれる才能が……」

 

 真剣に語るサソリの言葉にルイズの目から溢れていた涙が止まる。

 

「そんな稀有な才能がつまらない目的に使われるのは勿体ないと思っただけだ。ルイズ、お前は自分の力を自覚しろ。お前は高みに至れる可能性を秘めている。誰も辿り着けないような高みにな」

 

 サソリは、彼なりにルイズの力を褒め称え、初めてルイズの名を呼ぶ。

 

「ぐす、あ、あんた今……わたしのこと名前で」

「これでも、お前の才能は認めていている。木を持ち上げるなんて、お前の力の一端にしか過ぎない。さっき体を操った時に感じたお前の内に秘めた力は、オレすら圧倒されそうになったほどだ」

 

 サソリはルイズの力を思い出し、感心したように語る。

 

「それに一生お前の力を隠しておく必要もない」

「それって……」

「時と場所を選べということだ。その力の使いどころを間違わなければお前は歴史に名を刻むことだってできる。お前を馬鹿にする奴には好きに言わせて置けばいい。所詮は目に映ることでしか判断できない連中だ、いずれお前がその力でなにか功績を上げた時は、あっさりと意見を翻してお前のことを褒め称えるだろう」

 

 それに、とサソリが言葉を続ける。

 

「そんなに魔法が使えると周りに言いたいなら、まずは力の制御を覚えろ。お前の場合、まだ力の制御ができてないのが問題で、うまく周りを誤魔化せるぐらいに、魔法の威力を制御ができるようになれば、隠す必要もなくなる。魔法でチャクラ量を調べる方法もないみたいだしな」

 

 ルイズの泣きはらした顔が笑顔に変わる。魔法を隠す必要がないと言われたことも嬉しかったが、自分を認めて貰えたのがルイズには、なにより嬉しかった。

 

「そうよ! その通りよ! もっと練習して、威力を制御できて、普通の魔法を使えるようになれば隠す必要なんてないのよね」

 

 嬉しそうに意気込むルイズを見て、怒ったり、笑ったり、泣いたりと忙しい奴だ、と目を細め、サソリはかつての相棒の言葉を思い出した。

 

『芸術家ってのは、より強い刺激を求めていねーと感情が鈍っちまうものなんスよ……旦那』

 

 確かにな、とサソリは同意する。類稀なる才能を持つルイズに触れ、感情が刺激されて、柄にもなくお節介を焼いてしまった、とサソリは自嘲した。

 結局、元いた世界では人柱力と戦う機会には恵まれなかったサソリだが、ルイズがその内に眠る力を十全に発揮できるようになれば、戦ってみるのも一興か、と考え、自然と口の端がわずかに上がる。

 

「じゃあ、早速。魔力のコントロールの練習ね!」

「眠い」

 

 さあ、やるぞ! と気合が入るルイズに、待ったをかけるようタバサが自身の欲求を伝える。

 

「そうね。もう時間も遅いし、今日はこの辺でお開きにしましょう。ヴァリエールもあまり無理しすぎたら体に毒よ」

「うっ、でも、せっかくコツを掴みかけてきたのに」

「みんなの言う通りだって、ルイズ。今まで、魔法が使えなかったのにここまで使えるようになったんだから、今日はこれぐらいにしとけって」

「……わかったわよ」

 

 ルイズが不満そうにするが、サイトにまで無理はするなと言われ、渋々といった感じで、諦める。

 ちょうどその時である。

 大地が揺れ、ドスンという音と共に何か大きな物体が現れたのに、気付いたのは。

 

「なによ、あれ!」

 

 学院の本塔の横に現れた物体を視界に捉えたキュルケの口から驚きの声が上がった。

 それは、巨大な岩の塊。三十メイルを超える岩の巨人だった。

 

「で、でけえ」

「……土魔法のゴーレム」

「なに?」

 

 ゴーレムは拳を振り上げ、本塔の壁を殴り出す。

 

「もしかして、あれって! 今、巷で噂の土くれのフーケじゃない?」

「フーケって、盗賊の?」

「そうよ。恐らく、本塔にある宝物庫を狙っているんじゃないかしら」

 

 キュルケがゴーレムの正体に当たりをつける。

 

「あんなでかいの、いいのかよ!」

「あんな大きなゴーレムを操れるなんて、トライアングルクラス以上のメイジに違いないわ」

「……」

 

 サイトがゴーレムの大きさに驚き、ルイズがそれを操るメイジの力を推し量る。

 

「このままじゃ、宝物が奪われるわ! なんとかしないと!」

「お、おい、待てよ! ルイズ!」

 

 ルイズがゴーレムを止めようと、走り出す。サイトが静止の言葉を投げかけたが、ルイズは聞こえていないのか、ゴーレムの元に向かって行ってしまう。

 

「くそ! 待てよ! ルイズ!」

「もう、ヴァリエールったら無鉄砲なんだから。あたしたちも行きましょう」

 

 サイトもルイズの後を追う。キュルケもその後に続こうと、タバサとサソリに声をかけた。タバサもキュルケの意見に賛成し、走り出そうとした時、先ほどからサソリが微動だにしてないことに気付いた。

 

「サソリ?」

 

 様子がおかしいサソリに、タバサが心配して声をかける。

 

「おい、タバサ。あれは土魔法のゴーレムなのか?」

 

 タバサはコクリと首を縦に振る。

 サソリの質問の意図が分からなかったが、相手に有無を言わせない迫力がサソリにはあったので、タバサはとりあえず答えた。

 

「この前、ギーシュとかいう奴が使っていた魔法と同じものか?」

 

 またの質問に、タバサは頷く。

 

「あのゴーレムを操っている奴のメイジとしての実力は?」

「たぶん、トライアングル以上」

「……そうか」

 

 サソリの質問が終わり、タバサが怪訝な様子でサソリを見つめていると、突然、サソリの体から殺気が溢れ出した。その様子に周りにいたタバサとキュルケは息を呑む。

 ゴーレムを見たサソリの胸中は怒りと失望で満たされていく。

 先日、ギーシュのゴーレムを見た時、その造形美に感心し、ギーシュがメイジとしては、最低ランクだと知り、驚き、喜んだ。ギーシュよりランクが上の者はより洗練された造形美で自分を魅せてくれるのだ、と。しかし、サソリの期待は裏切られた。

 目の前のゴーレムは、サソリの知るゴーレムの術と同じ、美の欠片もないただの岩の塊である。そんなものを見せられて、サソリの心に怒りが沸々と湧き上がってきたのだ。

 完全にサソリの怒りは、理不尽なものだった。

 憐れなのは、フーケである。知らぬ間にサソリの怒りを買い、八つ当たりの対象と成ってしまったのだから、運が悪かったと諦めて貰うしかない。

 

「怒ってる?」

 

 そんなサソリにタバサが首を傾げ、尋ねる。突然、サソリの纏う空気が変わったのを不思議に思ったからだ。

 

「オレが怒る?」

 

 サソリはタバサに指摘され、初めて自身がフーケという盗賊に怒りを覚えていることに気付く。そして、サソリに疑問が芽生える。どういうわけか、この世界に召喚されて以来、自身の感情をうまくコントロールできていない、と。

 

「だいじょうぶ?」

 

 考え込んでいたサソリにタバサが眉をひそめ、声をかける。先ほどから様子のおかしいサソリのことを心配しているのだろう。

 サソリは小さく息を吐くと、タバサに瞳を合わせ、

 

「心配するな、オレは大丈夫だ」

 

 と言った。サソリから発せられていた殺気も幾分か和らいではいる。完全にサソリの怒りが治まったという訳ではないが……。

 その時、

 

「タバサ、サソリ。二人だけの世界に入るのもいいけど、そろそろヴァリエールたちを追いかけないと! あの子たちが無茶しないか心配だわ」

 

 二人のやり取りを見守っていたキュルケが急かすような口調で指摘する。すでにルイズがフーケを止めに行ってから結構な時間が経ってしまっていた。

 キュルケの言葉にタバサが頷き、サソリに呼びかける。

 

「サソリ」

 

 ルイズたちを追いかけよう、と言っているのだろう。

 

「ああ、わかっている」

 

 タバサに同意し、自分の所為で出遅れた自覚があったサソリは、

 

「オレは人を待たせるのは好きじゃないからな。先に行く」

 

 と言うと。ゴーレムに向かって、雷光の如き速さで走って行ってしまった。

 その様を見たキュルケの目が点になる。

 あまりにも常識はずれの速さで駆けていくサソリに驚いてのことだった。

 

「キュルケ?」

 

 呆然と立ち尽くしていたキュルケは、タバサに名を呼ばれ、ハッと我に返る。

 

「……すごいスピードね。あなたは驚かないの?」

 

 キュルケはサソリの人間離れした動きを見ても、タバサがいつもの無表情でいる姿に、自然と疑問がこぼれる。

 タバサは無表情のまま答えた。

 

「いつものこと。……もう慣れた」

 

 タバサの声は抑揚のない、いつもの声色だったが、彼女と付き合いの長いキュルケには、タバサの声にどこか達観したような口調が含まれていることに気付けた。

 

「あなたも苦労しているのね」

 

 キュルケは同情するように言うと、タバサの肩に優しく手を置いた。

 

 

 

「やめなさい! やめなさいって言ってるでしょ!」

 

 ルイズがゴーレムに近づき、両手を大きく広げ、停止するよう何度も呼びかける。すると、ゴーレムが本塔の壁を殴るのを止め、その大きな体の向きを変える。ルイズの居る方へと。

 うるさく喚くルイズを邪魔に思ったのか、それとも宝を諦め逃げようとしたのかは分からないが、ゴーレムはルイズの居る方へと歩みを進める。

 目の前まで迫る巨大なゴーレムを見て、ルイズは身の危険を感じ、ゴーレムに向け呪文を唱えようとする。しかし、ルイズの体はまるで石にでもなったかのように動かなくなってしまった。

 

「どうして!」

 

 ルイズが悲痛な叫びを上げる。ルイズは今まで、命を懸けた戦いなど経験したことがなかった。よくて友達と喧嘩をするぐらいである。それがいきなり命の危険が迫った状況に置かれたら、体が思うように動かなくなるのも仕方ないことだった。

 ルイズがなにもできないままでいると、ゴーレムが目と鼻の先まで迫り、その大きな足を持ち上げ、ルイズを地に這う虫を潰すように踏み殺そうとする。

 その時。

 間一髪、サイトが滑り込みルイズを腕に抱え、迫り来るゴーレムの足からなんとか逃れる。

 ズシン! と大きな地響きが聞こえ、ルイズが先ほど立っていた場所にゴーレムの足がめり込む。それを見た、ルイズとサイトは危なかった、と肝を冷やした。

 

「死ぬ気か! お前!」

 

 サイトがルイズの無謀な行動に怒りを顕わにする。

 

「だ、だって! やっと魔法が使えるようになったのに、やっと戦える力が手に入ったのに……逃げ出すなんてできないじゃない! わたしは貴族よ! 戦う力があるのに、逃げ出すなんて貴族のすることじゃないわ!」

「それでも、死んだら意味ねえだろ!」

 

 ルイズの目から涙があふれ出す。

 

「泣くなよ!」

「ぐす、だって、やっと魔法が使えるようになったのに、わたし役立たずで、うっ、やっぱり、わたしは落ちこぼれなのかなって、思ったら、ぐす、涙が勝手に」

 

 目の前で泣かれ、サイトは困り果ててしまう。

 端正な顔をぐしゃぐしゃに歪めて、子供のように泣くルイズを見て、サイトは、すごい才能をその身に宿しているといっても、本当は戦いなんて嫌いで、苦手な、普通の女の子なのだと気付いた。

 しかし、今は泣き出したルイズに付き合っている暇はない。

 サイトが振り向くと、巨大なゴーレムが拳を振り上げていた。

 

「ちくしょう! ルイズ早く逃げろ! 俺が時間を稼ぐ!」

「ご、ごめん! ここ、腰が抜けて、う、動けないの!」

 

 ルイズの言葉を聞いて、サイトから血の気が引く。

 

「ああ、もう! やるしかねえ!」

 

 サイトは、ルイズを庇うように正面に立つと、手に持っていた剣を構える。すると、サイトの左手のルーンが光り輝く。

 ゴーレムの拳がうなりをあげて飛んでくる。サイトの脳裏に死の恐怖が思い起こされたが、それをサイトは雄叫びを上げ振り払う。

 

「うおおおおおお!」

 

 サイトの剣とゴーレムの拳がぶつかり合う。そして、大きな音と共にゴーレムの拳が砕け散った。

 

「やった!」

 

 その光景を見たルイズの口から歓声が上がる。しかし、サイトの顔は絶望で彩られていた。

 

「ど、どうしたの?」

「……剣が折れた」

 

 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、サイトは答える。

 ルイズがサイトの持つ剣に視線を向ける。確かにサイトが言うように根元からポキリと刃が折れていた。

 サイトの手に持つその剣はキュルケから贈られた物だった。

 

 何がゲルマニアの錬金術師が鍛えし、業物だよ! ナマクラじゃねえか! とサイトは内心愚痴る。

 そんなやり取りの間にも、ゴーレムは残ったもう一本の腕を振りあげ、サイトたちを屠ろうとしていた。

 

「わ、わたしのあげた剣は? あの喋るやつは?」

「……ごめん、部屋に置いてきた」

「バカ~!」

 

 ルイズの叫びがこだまし、そこにゴーレムの拳が振り下ろされた。

 地面にめり込んだ拳をゴーレムが持ち上げると、そこには無残にも潰れたルイズたちが……いなかった。

 

 

 

 ゴーレムの肩の上に乗り、ゴーレムを操っている者がいた。土くれのフーケである。フードで顔を覆いその表情は窺い知れないが、闇に映るシルエットはやわらかい女性特有のもので、長い緑色の髪が夜風に揺れていた。

 フーケは首を傾げる。

 邪魔者を確かに潰したと思ったのに、どこに行った、と辺りを見回す。

 ルイズとサイトはすぐに見つかった。ゴーレムから二十メイルほど離れた場所にへたり込んでいる。

 いつの間に、とフーケは疑問に思う。

 そして、よく見るとルイズとサイト以外に誰かいることに気付く。それは、サソリだった。

 

 

 

「……死ぬかと思った」

「あんたが助けてくれたのね、ありがとう」

 

 死んだ、と思ったら、いつの間にかゴーレムの攻撃から逃れていたルイズとサイトは安堵の息を吐く、そして、すぐ傍にいたサソリが助けてくれたのだ、と気付いたルイズがお礼を言う。

 

「気にするな」

 

 サソリが素っ気なくルイズに応え、ゴーレムに視線を向ける。その表情は不機嫌そうに眉根を寄せ、ゴーレムを睨み付けていた。

 

「どうしたの?」

 

 様子のおかしいサソリに疑問を持ったルイズが心配そうに声をかける。すると、サソリがルイズに目を向ける。

 ひっ、とルイズの口から小さな悲鳴が漏れた。

 蛇に睨まれた蛙。ルイズの今の状態はまさにそれだった。サソリと目を合わせただけで全身の毛が逆立つような悪寒にルイズは襲われる。ゴーレムなんかよりサソリのほうがルイズにはよっぽど怖かった。あのキュルケがサソリを怒らしてはダメと言っていたのを思い出し、納得する。確かに、これは怒らしてはダメだ、と本能が告げていた。

 サイトもまたサソリの殺気に当てられ、身体をすくませ、呆然と座り込んだまま身動きが取れないでいる。

 サソリとしてはルイズたちを怯えさしている自覚はなく、ただ視線を向けただけだったのだが、まだゴーレムの造形に納得できてない心情が無意識にサソリの視線を鋭くし、周囲に殺気を撒き散らしているのだった。

 

「ルイズ」

「はい!」

 

 サソリに呼ばれ、ルイズはへたり込んでいた状態から、一瞬で立ち上がり、姿勢を正し、見事な返事をする。

 

「あれに念力をかけろ」

 

 サソリはゴーレムを指差し、底冷えする声で言い放つ。

 

「あ、あれですか?」

「ああ、あの不細工な石にかけろ」

 

 いつの間にか敬語になるルイズ。そして、サソリは忌々しげにゴーレムを睨み、ルイズを即す。

 

「で、でも、わたし魔法が……」

「なに?」

 

 サソリは、言い淀むルイズに目を細め、無機質な声で問う。

 

「いえ、すいません! すぐやります!」

 

 先ほどゴーレムを目の前にした時、魔法が使えなかったと伝えようとしたが、サソリに冷たい視線を向けられ、まるで土下座をせんばかりの勢いで答える。サソリにしてみれば、普通に尋ねたつもりだったのだが、ルイズにはそう受け取られなかったようだ。

 二人の間にはこの時、大きな認識のズレが生じていたが、その事を指摘できる者は二人の周りにはいなかった。

 

 ゴーレムはルイズたちを無視して、再び本塔の壁を何度も殴りつけていた。

 ルイズはそのゴーレムに向けて、魔法を放とうとする。先ほどは恐怖で竦んでいた体が、今は自由に動く。

 

 ゴーレムなんか怖くない!

 

 ルイズはゴーレムの恐怖から脱していた。ルイズは知ったのだ。ゴーレムより怖いものがあるということを。

 

 サソリの方が怖い!

 

 今のルイズを突き動かすものはゴーレムを超える恐怖だった。 

 呪文を紡ぎ、ルイズが魔法を発動させる。すると、三十メイルを超えるゴーレムが空中に浮き上がる。

 

「な、なんだい、一体? どうなってんだい?」

 

 ゴーレムの肩に乗っていたフーケが、ゴーレムが浮き上がったことで、驚き、慌てる。

 何が起こっているのか分からないが、このままではまずい、と裏稼業で培った経験から判断したフーケは、この危機から早々に脱しようと、呪文を唱え空を翔け逃げようとする。

 フーケが他の魔法を使ったことにより、ゴーレムは崩れ落ちだだの土の塊へと還っていく。

 

「やった!」

「まだだ。逃げられると思うなよ」

 

 ゴーレムが崩れ落ちる姿を見たルイズから喜びの声が上がる。そして、サソリは逃げ出すフーケを視界に入れており、捕えようと走り出す。

 

 

 

 

 空を翔るフーケは視界の端にルイズが喜ぶ姿を捉え、内心愚痴る。

 

 今のはヴァリエールが使った魔法かい? 悔しいねえ、今日は諦めるしかないか。不測の事態が起こりすぎだ。おかげで時間を掛け過ぎちまった。これ以上は教師どもも出てくるだろうし。しかし、ヴァリエールの使い魔に特別な力があるってのは、本当みたいだね。それにヴァリエール自身にも。

 

 自身の造り出したゴーレムの拳を切り裂いたサイトと、ゴーレムを浮き上がらせたルイズ。二人を思い出しフーケは認識を改める。

 今は此処から逃げるのが先決だ、と飛ぶ速度をあげようとした瞬間、フーケの体が地上に引っ張り落とされる。

 大きな悲鳴を上げながらも、フーケは地面にぶつかる手前で呪文にありったけの魔力を流し込み、フライを唱え、なんとか地面に潰されるのだけは回避する。しかし、無理な着地だった為に体のあちらこちらに擦り傷を作ってしまう。

 

「うっ、い、痛! ……な、何が起こったんだい?」

 

 反射的にフーケは立ち上がろうとしたが、足の痛みで尻餅をついてしまう。どうやら、無理な着地がたたり、足も捻挫してしまったようだ。

 フーケは何が起きたのか分からない、と頭を振り、冷静さを取り戻そうと努める。

 そんなフーケの前に立ちふさがる影があった。フーケがその影の正体を確かめようと、目を凝らすと、それはタバサの使い魔サソリだった。

 サソリを目の前にして、フーケは咄嗟に杖を構える。

 

「死にたくなかったら、そこをどきな!」

 

 フーケはサソリを脅す。しかし、フーケには戦う力は余り残っていなかった。ゴーレムを維持するのに魔力を大量に使い、地面に叩きつけられまいと残った魔力も大半消費した。加えて、落下の際に負った怪我で、集中力が散漫になっている。

 

 今、教師どもが来たら逃げ切れない!

 

 フーケの頭の中にあったのは、この場から逃げ出すことのみだった。だから、気付けなかった。目の前の使い魔が恐ろしい存在だという事に。

 フーケが逃げ出そうと、呪文を唱えようとした瞬間、フーケの杖を持つ腕がボキッと鈍い音を立て、折られる。

 フーケの口から苦悶の声がもれ、杖を地面に落とす。

 いったい何が、とフーケが顔を上げると、底冷えするような視線を向けるサソリと目が合う。

 

「っ!」

 

 フーケが声にならない声を上げる。そして、フーケは理解する。目の前の使い魔が自分を地面に叩き落としたのだと。

 フーケの体が恐怖で支配される。体が寒くもないのに震えだす。歯の根も合わない。全身の血が流れ出したのでは、と思えるほど血の気が引いて行くのが感じられた。今までいくつもの修羅場を潜り抜けて来たが、このような状態になったのは初めてのことだった。

 自分は目の前の使い魔に殺される、それは、予想ではなく、確信だった。

 本能が逃げろ、逃げろ、と警告を発していたが、理性がそれを拒否する。どこに逃げる、無理だ、と。

 フーケが生を諦めかけたその時、脳裏に走馬灯ように今までの記憶が思い出される。

 

 碌な人生じゃなかった。家を取り潰され、両親は殺されて、父が仕えていた人も処刑された。姉のように慕っていた人も守れず、盗賊に身をやつし、本当の名を語ることさえできない。そして今、目の前の得体のしれない使い魔に殺される。

 

 本当に、碌な人生じゃない。

 

 フーケが諦め、達観した時、胸の奥に熱い想いがあることに気付く。

 

『マチルダ姉さん』

 

 金色の髪をなびかせ、太陽のように明るい、見る者を温かくする笑顔を自分に向けてくれた少女をフーケは思い出した。

 

 まだ、わたしは死ねない! わたしが死ねば、あの娘が、村の子たちが路頭に迷う。そんなこと許せる訳がない。あの娘たちは世の中の不条理でつらい思いをしてるんだ! あの娘たちがこれ以上、不幸になるなんて絶対に認めない!

 

 フーケは折れてない腕で、地面に落とした杖を拾い上げた。そして、杖をサソリに向ける。その眼には強い意志が宿っていた。絶対に死ねないという気迫を感じさせる瞳の輝きだ。

 

「ホウ……」

 

 フーケの鬼気迫る様子を見て、サソリは感嘆の声をもらした。しかし、それでサソリが見逃してくれる訳もなく、サソリが少し指を動かしただけで、無慈悲にもフーケは見えない力で吹き飛ばされる。

 吹き飛ばされた衝撃でフーケは、杖をどこかに落としてしまう。辺りを見回すと、杖が少し離れた場所に落ちているのを見つけ、拾いに行こうと歩き出す。しかし、フーケの足は捻挫しており、満足に歩くことさえできない。

 小石につまずき、折れた腕では受け身も取れず、地面に激しく体を打ち付けてしまう。それでもフーケは杖に向かって、這いつくばってでも進んでいく。

 フーケを突き動かすものは、愛情だった。

 妹ともいえる存在が今のフーケを支えていた。

 

 諦めない! 絶対に、諦めてやるもんか!

 

 フーケには、地面を這いずるのも苦ではなかった。怪我の痛みもどうということはない。ただ、あの少女が悲しむのだけは我慢できなかった。

 ようやく、杖まで辿り着き、杖を拾い上げようとした瞬間、フーケの前にまたしてもサソリが立ちふさがる。

 

「どうして、お前は諦めない?」

「わたしの帰りを待っている家族がいるんだ! こんな所で死んでたまるか!」

「……そうか」

 

 フーケが自身の想いを叫ぶと、フーケの体に掛かっていた圧迫感が消えていく。

 これはチャンスだ、とフーケは地面に落ちていた杖に手を伸ばし、呪文を紡ぐ。その時、フーケの内なる力が覚醒する。

 フーケの絶対に諦めない、という思いが彼女のメイジとしての位階を引き上げる。

 数多いるメイジの中でも、選ばれたほんの一握りの者しか至ることのできない領域スクウェアクラスへと。

 魔力は気力だ。

 気力は感情だ。

 激情がフーケに新たな力を与える。

 魔力が一瞬で膨れ上がり、今までにない体内を巡る魔力のうねりをフーケに実感させる。今ここに、ハルケギニアでも屈指のスクウェアクラスのメイジが誕生した瞬間だった。

 フーケがサソリに向け、魔法を放つ。フーケが唱えたのは『アース・ハンド』地面から土の腕を伸ばし、対象の足を掴む魔法。しかし、今のフーケが使えばその威力は桁外れのものと化していた。瞬きするまもなく、巨大な、それこそ先ほどフーケが操っていたゴーレムの腕にも匹敵する大きさのアース・ハンドを創り出す。

 生きているかのように土の腕はサソリを捕らえようと動く。その姿は、地面を這う大蛇のようだった。迫りくる土の腕を見てもサソリはその場を動こうとはしない。そして、簡単に土の腕に捕らえられてしまう。

 

「やった!」

 

 フーケの口から喜びの声が上がる。そして、そのままサソリを絞め殺そうと、呪文に持てるすべての魔力を流し込む。その行為は自身の命を削ることと同義だった。しかし、フーケは構うものか、と目の前の敵を倒すことに命を懸ける。

 後のことなんて考えない捨て身の行動だった。生き残る為に己が命を懸ける。一見矛盾した行為だがフーケは理解していた、命を賭さなければ目の前の敵は倒せない、と。

 サソリを捕らえた土の腕が鋼鉄へと変質し、万力のように締め付ける力がさらに増していく。あと数十秒もしない内にサソリは潰され、死んでしまうだろう。その時、サソリの体に異変が起こった。サラサラとサソリの体が崩れ、砂に変わっていくではないか。

 フーケはその光景に目を剥く。

 

「……どうなっているんだい?」

「砂分身だ」

 

 フーケの思わず出た疑問に背後から答えた者がいた。

 フーケは慌てて振り返る。そこにいたのは、サソリだった。フーケはサソリが何かの魔法で逃れたのだろう、と判断する。そして、再度魔法を放とうとした時、フーケの心臓がドクンと大きな鼓動を一つ刻む。それが合図だったかのように全身から急速に力が抜け、地面に倒れ伏す。フーケの魔力がついに尽きたのだ。

 フーケの体はとっくのむかしに限界が来ていた。それを気力と自身の命を燃やすことで補って来たが、それもここまでだった。

 今のフーケは体中キズだらけ、加えて魔力も底を尽き、満身創痍もいいところ。視界がぼやけ、急激に眠気が襲ってくる。

 ここで眠れば、自分に待っているのは絶望しかない、とフーケは自身を奮い立たせようとするが、体がいうことを聞いてくれない。まるで神経が切り離されたように指一本すら動かせなくなっていた。

 瞼が鉛のように重く感じられる。眠るな、眠るな、と唱えても、瞼は自分の意思とは関係なく閉じていく。

 

「ごめん……ティファニア。姉さん……帰れそうにないや」

 

 後悔の念がフーケの胸を焦がし、家族への謝罪の言葉が自然と口から零れ落ちる。

 フーケが薄れゆく意識の中で見た光景は、サソリが無機質な感情のこもらない鳶色の瞳で自分を見下す姿だった。

 


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