雪風は赤い砂と共に   作:火の丘

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第1章  異世界への扉
召喚


 人の心と体を捨て、人形になろうとした男がいた。

 造形師として、傀儡使いとして誰よりも才能に溢れていたその男の名は、サソリ。

 両親を幼い頃に亡くし、その寂しさを紛らわせるように彼は、父と母を模した人形を造りあげる。

 だが、物言わぬ人形ではサソリの心が満たされることはなかった。

 孤独の寂しさ、苦しみが次第にサソリの心を歪ませていく。やがて、彼は一つの答えを求める。

 ――永遠に朽ちぬ美。

 答えを求めるようにサソリは生まれ故郷である里から忽然と姿を消すのだった。

 その日より天才造形師と謳われた男の名は伝説として語られるだけとなる。

 幾年もの月日が流れ、サソリの名が忘れさられた頃、彼は再び世にその姿を現す。

 忍び世界の変革を目論む組織『暁』の一員として、その異能の力を使い世界に悪名を轟かせるのだった。

 

 サソリは暁のある任務において、傀儡の師ともいえる存在、祖母チヨと相対する事となる。歴戦の傀儡使い同士の戦いは熾烈を極め、お互いに持てる力のすべてを出し尽くす死闘を演じていく。

 そして戦いは決着の時を迎える。

 サソリは勝利を確信していた。だが、敗れたのはサソリだった。

 ――なぜ? 

 サソリは祖母にとどめを刺すことができなかったのだ。無意識の内に肉親への情が攻撃を躊躇わせてしまう。それは一瞬のことだったが、致命的な隙でもあった。その隙をつかれ唯一の弱点である『核』を、両親を模した人形に抱きしめられるかのように貫かれ、サソリは命を散らす。

 

 結局のところ、サソリは本当の意味で人形になることは叶わなかったのだ。自らの肉体を傀儡人形に造り変えても、肉親への情を完全に消し去ることができなかったのだから。

 

「人形になりきれなかった人間」

 

 それが最期にサソリが自らを評した言葉だった。

 だが、これで彼の人生が幕を下ろすというわけにはいかなかった。

 

 『穢土転生』――死者を蘇らせ術者の意のままに操る禁術――により戦争の道具として、サソリは朽ちる事のない人形として蘇る事となる。

 サソリは望んだ体を手にしたことを喜んだが、それが間違いだったと戦争の最中気付かされる。そして、本当に求めていた答えを得るのだった。

 

「アンタの造った傀儡にこそ、朽ちる事のない魂が宿ってんのがオレには分かる」

 

 本物の『サソリ』を操る傀儡使いカンクロウに諭され、また答えを得たことによってその魂を縛っていた術が解けていく。

 

「……造った者の魂が宿るか」

 

 そう呟やくサソリの表情は穏やかなもので、瞼を閉じると脳裏に浮かぶのは、父と母の傀儡に抱きしめられる幼い自身の姿だった。

 幼き頃、願い追い求めた夢。いつしか叶わぬ夢と切り捨てた想い。

 

 傀儡に魂が宿るなら、これからは家族とずっと一緒に……。

 

 カンクロウに両親の傀儡を託し、すべての憂いを晴らしたことにより術が解け、サソリの人生は今度こそ幕を下ろす事となる……はずだった。

 

 

 

 

 

 どこまでも広がる青空を見上げる小さな女の子がいた。

 鮮やかな青い髪に、眼鏡の奥の透き通った碧眼が印象的な少女。白い肌は雪を思わせ、一種の美術品のような美しさがある。細く小柄な体躯に白いブラウス、グレーのプリーツスカート、そして羽織るように黒いマントを身に着けていた。その小さな手には、少女の体格に不釣り合いな、節くれだった大きな杖を握っている。

 春の穏やかな風が吹き、空と同じ少女の青色の短い髪をくすぐる。少女は気にした様子もなく、ただ感情の窺わせない表情で空を眺めていた。すると、背後から少女を呼ぶ声がする。

 

「ミス・タバサ。あなたの順番ですよ」

 

 タバサと呼ばれた少女が後ろに振り向くと、そこには中年の男性とその周りにはタバサと同じような格好の少年少女達、さらにはさまざまな動物や幻獣達がいた。

 そういえば今は、使い魔召喚の儀式の最中だったと思い出したタバサは、召喚試験の担当教師であるコルベールの隣まで歩いていく。

 

「それでは始めて下さい」

 

 コルベールの声に促され、タバサは杖を突出し構える。

 タバサは珍しくも少し緊張していた。どのような生き物が召喚されるのだろうか、という一抹の不安と期待。あの青い空を自由に飛べるような幻獣だったらいいのに、と少女は思った。幾重にも絡み付く鎖のように束縛された運命が青い髪の少女にそう思わせたのかもしれない。

 そして、タバサは無意識に求めた。

 ――絶望の運命から自分を救い出してくれる存在を。

 願いを込め、少女の口から召喚の呪文が紡がれる。

 

「我が名はタバサ。五つの力を司るペンタゴン。我の運命に従いし、使い魔を召喚せよ」

 

 呪文が完成し、白く輝く鏡のような形をしたゲートが現れる。眩い光が辺りを照らし、タバサの視界を奪う。やがて光がゆっくりと消えると、ゲートのあった場所には召喚された生き物が姿を現わす。

 

 召喚された生き物を見たタバサは息を呑む。自身の青い瞳に映ったのは、思い描いた青い竜ではなく、人間の男の子。その格好は、赤い雲の模様が描かれた黒い外套を纏う、まだ幼さが残る顔立ちの赤い髪の少年だった。

 

 水を打ったようにその場が静寂に包まれる。皆一様に少年が召喚されたことに驚いているようだ。

 

「おい、人間が召喚されたぞ!」

 

 沈黙を打ち破るように同級生の一人が、信じられないものを見たというように叫び声を上げた。

 次の瞬間、今までの静寂が嘘のように、その場がざわざわと喧騒に包まれる。

 

「ああ……、タバサが魔法を失敗した」

「でも、彼女はトライアングルメイジだぞ。失敗することなんてあるのか?」

「そうよ、タバサが魔法を失敗する訳ないじゃない! ゼロのルイズじゃないんだから!」

「いやいや、現に人間が召喚されているじゃないか!」

 

 騒がしくなった同級生たちの声がタバサには、どこか遠くに聞こえた。

 ――魔法を失敗した?

 目の前で起きた出来事が信じられず、呆然と立ち尽くすタバサ。

 周りで騒ぐ同級生たちが言うように自分の使った魔法が失敗したと彼女は思った。

 なぜなら、今までの長い歴史の中で人間が召喚されたという話を聞いたことがなかったからだ。

 タバサがその事実に動揺し、無意識に目の前の少年から距離を取るように後ろに下がったその時、彼女の隣にいたコルベールが声を荒げる。

 

「いけない!」

 

 召喚された少年の元へ素早く駆け寄るコルベール。

 その声に反応してタバサが視線を少年へ走らせると、少年の身体が地面へと崩れ落ちる光景が目に入った。その時になってタバサはようやく少年に意識がないことに気付く。

 

 タバサが少年に近づく頃には、コルベールが少年を芝生の生えた地面に寝かし、身体に異常がないか調べている所だった。

 

「身体に外傷はないようだが……。ミス・タバサ、この少年を医務室まで運びます。手伝って下さい」

 

 タバサは頷くと、呪文を唱え始める。レビテーション――空中浮遊の魔法――によって少年の身体が浮かぶと、コルベールが周りの生徒たちに指示を出す。

 

「私が帰って来るまで召喚の儀式は中断します。召喚を終えたみなさんは、使い魔と交友を深めていて下さい」

 

 生徒たちの間からは、歓声や不満など様々な声が聞こえたが、コルベールはその声を気にした様子もなく「さあ、行きましょう!」とタバサに急かすように声をかけた。

 普段温厚な彼にしては珍しく険しい顔つきを浮かべている。よほどこの少年の容体が気にかかるのかもしれない。

 

 

 

 医務室に着き少年をベッドに寝かせ、魔法などを使い身体を調べた結果、どこにも異常はなくただ気絶しているだけだと分かると、コルベールから安堵の声がもれる。

 

「よかった。どこにも異常はないようですね」

 

 本当に少年のことが心配だったようで、コルベールの緊張した顔が弛む。

 

「ミス・タバサはこの少年が目を覚ますまで傍で看ていて下さい。私は召喚の儀式が済んでない他の生徒の所に戻ります。みんなの召喚が終わり次第戻って来ますので、その時に少年が目を覚ましていたら『契約の儀式』をしましょう」

「……はい」

 

 タバサの返事に満足した様子で頷き、コルベールは医務室から出て行った。

 

 

 

 どれぐらい時間が経っただろうか。ベッドの横に置かれた椅子に座り、タバサは手に持った本のページをめくりながら考え事をしていた。本の内容は全く頭には入って来ず、その胸中は先の召喚の儀式の事で埋め尽くされていた。魔法の失敗、そのことがタバサの心を締め付ける。

 

 魔法至上主義。それがこの世界『ハルケギニア』の絶対的といってもいいルールだった。魔法が使えるものは貴族、魔法が使えないものは平民と呼ばれ、両者の間には埋めがたい格差が存在している。また貴族の家系に生まれても魔法が使えないものは、家格に関わらず侮蔑や差別を受けていた。

 

 タバサの同級生にも魔法が使えない少女がいる。

 魔法が成功しないことでよく周りの生徒から馬鹿にされていたが、彼女の生家はトリステインの公爵家である。国でも有数の大貴族の令嬢である彼女を馬鹿にするなど、本来なら不敬罪で罰せられてもおかしくない。だが、公然と少女に対する嫌がらせは行われている。その事実を鑑みると如何にこの世界で魔法が重要視されているかが窺えというもの。

 

 タバサには、自身の命と引き換えにしてでも成し遂げなければならないことがあった。

 彼女のタバサという名前は偽りの名。本当の名はシャルロット・エレーヌ・オルレアンという。その出自はハルケギニア一の大国ガリアの王族で、現国王ジョゼフ一世の弟シャルル・オルレアンの娘である。

 王族として生まれ、何の不自由もない生活。優しい両親からは惜しみない愛情を注がれタバサは幸せな日々を送っていた。

 だが――

 幸せな日々は突然、終わりを迎える。

 父が王位継承争いに巻き込まれ謀殺されたのだ。

 悲劇はそれだけに止まらず、母もタバサの身代わりとして毒を飲み、心を狂わされた。

 そしてタバサは、王族としての権利と名前を剥奪され、ガリアの汚れ仕事専門の役職『北花壇騎士』に任命さる。任務中に、いわば合法的に命を落とすことを期待されて……。

 

 仇であるはずの現王家に従うのも全ては、父の復讐と母の身を守るため。

 今回の召喚失敗が王家に知られれば無能者のレッテルを貼られ、今の立場よりさらに厳しい環境に追いやられる可能性があった。そうなれば父の復讐はおろか、母の身を守ることさえできなくなるかもしれない。

 

 

 タバサが暗い感情に囚われていると、小さな声が耳に届く。

 

「お父さま、お母さま」

 

 ベッドで眠る少年が発したであろう声にタバサが驚き、弾かれたように本から顔を上げる。

 少年が起きたのかと思ったが、まだ寝ているようなのでどうやら寝言を呟いたようだ。

 タバサは、先ほど少年が口にした言葉を反芻する。すると少女の無表情だった顔に変化が生まれた。眉根を寄せ、彼女は沈痛な表情を作る。

 

 彼女は気付いたのだ。召喚された少年にも家族や友人、それに居場所があることを……。

 

 タバサは自己嫌悪に陥る。召喚された少年のことを考えず、自分のことばかり考えていた己の浅ましさが許せなかったのだ。

 そして、少女は誓う。この少年が目を覚ましたらまず謝ろう。彼が望むなら家族の元に帰してあげよう、と。

 

 タバサが思いを新たにしていると、ドアがトントンと軽くノックされ部屋に燃えるように赤い髪の少女が入ってきた。

 

「タバサ。使い魔クンの容体はどう?」

 

 部屋へ入ってきたのは、身長、肌の色、雰囲気、胸の大きさ、全てがタバサと対照的な少女。タバサの友人キュルケだった。

 少年の身を案じているというより、友人であるタバサを心配して様子を見に来たのだろう。

 

「身体に異常はない。……ただ眠っているだけ」

「そう、それなら安心ね。それにしてもタバサが人間を召喚するなんて驚いちゃった。どれどれ、さっきは遠くてよく顔が見えなかったのよね」

 

 そう言ってキュルケが寝ている少年の顔を興味津々な様子で覗き込む。

 

「てっ、ちょっとタバサ! この男の子めちゃくちゃ美形じゃない。こんな美少年を召喚するなんて、きっとタバサにも恋をしろと、始祖ブリミルが遣わした運命の相手に違いないわ!」

 

 少年の寝顔を見たキュルケが捲し立てるように言ってきた。

 また始まった、とタバサは心の中で嘆息する。キュルケは何かにつけては、恋よ! 恋! 恋はいいわよぉ~、とすぐにそういう方向に持っていこうとする癖があった。本人曰く、恋と炎は家系の宿命らしいので仕方ないのかもしれないが……。

 

 キュルケの言葉を聞き流しながら、タバサも少年の寝顔を瞳に映す。

 確かにキュルケが言うように顔は整っており、まだ幼さは残るが美少年と言っても過言ではない。年齢も同い年ぐらいに見え、キュルケが騒ぐのも無理はない、とタバサは納得した。

 キュルケがタバサの隣で騒いでいると、再びドアをノックする音が室内に響く。キュルケが返事をすると、ドアを開けて入ってきたのはコルベールだった。

 

「おや? ミス・ツェルプストーあなたも来ていたのですね」

「ええ、ミスタ・コルベール。親友の恋の相手が見つかったかもしれないのに駆けつけない訳にはいきませんわ」

「恋の相手? 何のことですかな?」

「気にしなくていい」

 

 キュルケの言葉にコルベールが疑問の声を上げるが、タバサに疑問は切り捨てられる。

 

「まだ少年は目を覚ましていないのですね」

 

 コルベールが心配したように呟く。その言葉を聞きタバサも不安になってきた。もしこのまま起きなかったらどうしようかと。

 そんなタバサの心情に気付いたキュルケが彼女を元気づける。

 

「大丈夫よ、タバサ」

「そうですぞ。体に異常はありませんし、もう時期に目を覚ましますよ」

 

 キュルケの言葉にコルベールも同意する。そんな二人の気遣いにタバサは、少し心が温かくなる感じがした。

 

 少し暗くなった雰囲気を変えようとコルベールが話題をふる。

 

「しかし、今日は二人も人間が召喚されるなんて、珍しいこともあったものです」

「……二人?」

 

 コルベールの言葉に、タバサが疑問の声を上げる。それに答えたのはキュルケだ。

 

「ええ、そうなのよ。ゼロのルイズも平民の男の子を召喚したのよ」

 

 タバサは驚いた。自分以外にも人間を召喚したクラスメイトがいたことに。しかも召喚をした術者が、今まで魔法を一度も成功させたことのないクラスメイト『ゼロのルイズ』だったからだ。

 コルベールが授業のおさらいをするかのように語り出す。

 

「召喚によって現れた使い魔で、術者の潜在能力を測る目安や魔法の適正を見ることができます」

「あたしがサラマンダーを召喚できたのも、あたしが火属性を得意とするからですね」

「ええ、その通りです。ミス・ツェルプストー」

 

 教え子の答えに、コルベールが満足するように頷く。

 得意とする魔法や属性によって召喚される使い魔が決まるということは、ハルケギニアでは常識的考えだった。だから進級試験として召喚の儀式が行われ、召喚した使い魔を見て、今後その生徒に合った専門課程に進むことになる。

 

「人間の場合は?」

 

 タバサが疑問を口にした。

 その質問にコルベールは顎に手を当て、考えを巡らせるような仕草を取る。

 

「召喚される使い魔が決まる条件は、能力や属性以外にも術者の性格や雰囲気が近いものが呼ばれるという説があります」

「性格?」

「ええ、気ままな性格の者には猫。真面目な者には犬と云った様に。まあ、確証はないのですけどね……」

 

 タバサはコルベールの答えを聞き、この少年は私と似たような性格や雰囲気なのだろうか、と考えていると、

 

「ああ、それと運命によって召喚されると云う説もありましたね」とコルベールが付け加えるように言う。

 

「素敵ですね。あたしは其方のほうが好みですわ。ああ! タバサと美少年の燃えるような恋の運命~!」

 

 キュルケは運命と云う言葉を非常に気に入ったようで、タバサのこれからの恋模様を想像し、演劇の役者のようにポーズを取りながら歌い上げるように言うのだった。どこから恋という言葉が出てきたのだ、とツッコミを入れたかったが何時もの事なので諦めて、コルベールの言葉をタバサは思い起こす。

 

 運命。

 その言葉がタバサはあまり好きではなかった。

 人生が予め決まっているなど、父の死も母が心を病んだのも最初から決まっていたなど認めるわけにはいかなかった。

 

 タバサが考え事をしているそんな時だった。目の前の少年が目を覚ましたのは。

 

「……ここは……どこだ。オレは一体……」

 

 呟くような声。自身に何が起きたか理解できていないのか、問いかけるような言葉をもらす少年。

 

「おお! 目を覚ましましたか。どこか痛いところや気分は悪くないですか?」

 

 コルベールが少年の身を案じて声をかける。

 

「お前は誰だ? それにここは……」

 

 少年が体を起こし、警戒するようにあたりを見回す。

 その時、タバサと少年の目が合う。

 少年の瞳は冷徹で他人を寄せ付けない雰囲気を醸し出していた。その容姿はタバサと似ても似つかないが、タバサは不思議とこんなことを思った。

 

 わたしと似ている。まるで……人形のよう。

 

 これが人形になれなかった男と人形になろうと誓った少女の出会いだった。




読んでいただき、ありがとうございます。

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