すべては思惑通り。
ミストの存在を感じ取り、バーンは口許を吊り上げる。
この瞬間、最強の魔王軍が誕生した。地上も魔界も天界も、およそあらゆる場において敵うものなど存在しない。
「愉快な反面つまらんな。なあ、ハドラーよ。お前もそう思うだろう?」
眼前に迫る凶刃。その威力をこともあろうに掌で受けたバーンは、世間話のような自然な口調で語りかける。
それもその筈。なぜならハドラーでは命を賭してもバーンに傷ひとつ付けることは出来ない。つまりこれはバーンにとって戦いですらなかった。
「竜の騎士を手に入れたとなれば、余の勝利はどうあっても覆らない。ここまでワンサイドゲームでは面白味に欠けるというものだ」
「舐めるなッ」
気勢に呼応し噴き出す魔炎気は敵よりも己の躰を蝕んだ。躰の至る所は罅割れ崩れていく。
同時に再生が始まるが、崩れる速度の方が早い。このままでは遠からず全身は灰となって消え去るだろう。
それでもハドラーは止まらない。否、むしろ一層激しく猛り狂う。
「ハドラー様ッ!?」
ヒムが叫ぶ。
これ以上は力を使えばハドラーは死ぬ。そして、そこまでやったとしても結果は火を見るより明らかだった。
だがヒムにはハドラーを止めることは出来ない。ヒムだけではない。アルビナス、シグマ、ブロック。彼ら全員がバーンとハドラーの戦いを見ていることしか出来ない。
皆が己のが主の姿を見つめていた。
「見苦しいな、いい加減諦めたらどうだ? 悪足掻きをして無様を晒すくらいなら潔く死に逝く方がまだマシというもの」
「生憎とそんな殊勝なものは持ち合わせていないッ。命ある限り最後の一瞬まで足掻き続ける。それがこのオレの生きる道だ」
「……愚かな。お前は人間に毒され過ぎた。まるで正義の使徒のようなことを言う」
ハドラーから迸る暴風に銀髪を踊らせて、憐れむような、憎むような、蔑むような声でバーンは告げた。
皮肉めいたバーンの言葉に、ハドラーは自嘲するように笑う。言われるべくもなく分かっていた。如何にもアバンの使徒の言いそうな言葉だ、と。
しかし、だからこそ強く思う。
「大魔王よ。ヒトを甘く見ると痛い目を見るぞ。このオレのようにな」
「フッ、敵わないと見ると負け惜しみか」
ーーピシーー
終わりの時は突然やってきた。
踵から大腿部に至るまで大きな亀裂が入ったかと思った矢先のこと。左手首は崩れ去り、顔の右半分が砂のように零れ落ちた。
声を出すことも忘れてその場に倒れる。
滲む視界の先に求めるのは生涯の好敵手……否、その意志を継いだ弟子の姿だった。
己の全てを賭けてまで執心した相手。その彼は今、敵の卑劣な奸計に陥り危機に貧している。だが案じてはいなかった。ハドラーは信じているのだ。
彼の意志を継ぐ者がこの程度で折れることなどない、と。
「言っただろう。ワンサイドゲームだと」
全身を苛む激痛は最早感じない。呼吸するだけで剥がれる皮膚は地に落ちる前に宙に消えていく。最期に探すのは宿敵の姿。その姿を求めて瞳を彷徨わせる。
「お前も知っての通りバランは元より余の配下だった。数々の軍団長を失い配下だったものが出戻っただけでは理屈に合わんだろう。つまりそれを補ってあまりある戦力が加わったということだ。いや、これから加わると言ったほうが正しいかな」
「ーーっぁ」
その言葉の意味することをハドラーは理解した。しかし気づいたとてもう遅い。
声すら発することも出来ず、ハドラーの意識は闇の中へと閉ざされていった。
+
「素晴らしい。竜の騎士とはここまで強力なものだったのか。バーン様のスペアには十分だ」
時間にして一分にも満たない内に、バランの顔貌を携えたミストは俺たち全員を地に叩き伏せた。
少し力を込めただけで、ミストを中心に烈風が巻き起こる。竜闘気は暗黒闘気と混ざり合い、尋常じゃないエネルギーを生み出していた。
「どうした。この程度か?」
「うあああアアアアアアアアアッ」
俺たちが地に伏す傍らで、ダイが叫び立ち上がると全身を眩く輝かせた。
空が低く鳴動し、暗くなった。雷雲が一際大きく音を発し、稲妻がダイの剣へと落ちた。
「ライディンストラァァアアッシュ!!!!」
空気を焦がし直進するストラッシュは狙い違わずミストへ向かう。そしてミストの纏う黒い光によって阻まれた。
ミストは下から打ち上げるように腕を振るってストラッシュを上空へと弾いて除けた。
「ーーなッ!?」
剣と呪文と闘気に最強の武器の力。おそらくダイが剣を手に入れてから初めて放つ最大の攻撃は、今のミストには脅威ですらなく、毛ほどのダメージも追わせることは出来なかった。
それはこの場にいるただ一人としてミストに通用する攻撃手段を持たないことを意味している。
あるとすればポップのメドローアだが、そのポップは既に気を失っている。いや、仮に無事でもバラン共々倒すことなど出来るはずがない。
「打つ手が無いのならトドメを刺してやろう、と言いたいところだが」
ミストはそこで言葉を止めた。額の黒い帯が身体に染みこむように消え去ると、代わりに黒い竜の紋章が浮かび上がった。
紋章の強烈な黒い光に目を細める。
「……ぅぅぁあ。っく、くぁ」
同時にダイが膝から崩れ落ちて顔を俯かせた。苦しそうに呻き声をあげて右腕を押さえている。
拳の紋章が明滅し、波打つように黒いオーラを吐き出していた。
共鳴した紋章が甲高い音で鼓膜を刺激する。堪らず耳を両手で塞ぐが、それでも音は隙間をすり抜けて脳に響いてくる。
「い、何如ッ! ミストはダイの記憶を消そうとしているッ」
クロコダインが逸早く事態を察知し叫ぶ。
しかしそれはあり得ない。ダイの紋章はバランの支配から逃れるために額ではなく拳に移ったんだ。ならばいくら紋章を共鳴させようと無意味なはず。
だが、実際にダイは苦しみ藻掻いている。
「カアアアーーーッ!!!!」
ミストの雄叫びと共に紋章は一際大きく輝き、鳴り響いていた不快な音が止んだ。
一瞬の静寂。一拍の後、ダイは何事も無かったかのように立ち上がった。
「ダ、ダイ……? ーーァッ」
縋るようにダイの腕を掴むと、ダイの躰から電流のような何かが俺の中へと入り込んだ。それは俺の全身を駆け巡り、俺の魂の随まで染み込んで埋め尽くそうしてきた。
その正体は紛れもない暗黒闘気。邪気や悪意、害意といった負の感情そのもの。俺の奥底に眠るそれを、暗黒闘気は増幅させて蝕んでいく。
ガンガンとハンマーで叩かれたような頭痛に苛まれ、俺はダイの身に何が起きたのか理解する。つまりダイはーー。
「さあ、こちらへ来い。暗黒の勇者よ」
ダイは暗黒闘気に支配されてしまったのだ。
ダイはゆっくりと面を上げると、迷うことなくミストの元へ歩いて行く。
おそらくミストは紋章を通して大量の暗黒闘気をダイに送り込んだ。結果は見ての通り。暗黒闘気に侵されたダイは見事ミストの傀儡となってしまった。
用は済んだとばかりに、今度こそミストは俺たちを殺すため動き出した。
暗黒闘気と竜闘気が混ざり合い、額の紋章に集中していく。ただ力を集中させているだけなのに、まるで台風にでも巻き込まれたみたいな風が吹き荒ぶ。
避けたり防いだりどころの話じゃない。吹き飛ばされないように地面に縋りつくことしか出来なかった。
「力こそ真理とバーン様は仰られた。強者こそが善であり、弱者は悪。弱いお前たちは悪なのだ」
バランの顔で厭らしく嗤うミストと、無表情で俺たちを見つめるダイ。
放射線状の光が一箇所に収束し、解き放たれた。目を瞑り、最後の時を待つ。
しかし、待てどもその時は訪れなかった。
閉じた目をゆっくりと開く。すると俺の瞳に映ったのは光り輝く魔法陣と地面を白金色に輝く羽。そしてーー。
「なんとか間に合いましたね。しかし状況は最悪、と言ったところでしょうか」
アバンの後ろ姿だった。
アバンは振り返ると柔和な笑みを浮かべた。そして再び前を向くと、見なくても分かる程に怒りを露わにする。
「貴様……アバンか。どうやって此処へ……」
「あなたがミストバーンですか。よく覚えておきなさい。この場は退くが、二人は必ず取り戻す。覚悟しておけ」
「何をーー」
ミストが言い終わるよりも早く視界が暗転する。浮遊感に包まれるのも一瞬、直後に重力を全身で感じた。
驚き首を巡らすと目の前には大海原。そして空の彼方にはついさっきまで居たバーンパレスが浮かんで見えた。
そう、俺たちは逃げたのだ。………バランとダイを置いて。