今回、八幡(偽)の名前がわかります。
そして、今回は皆さまにとって、あまり気分のいい話とはいえないかもれません。
要は、胸糞注意。
「『わからない』」
八幡の答えに八幡(偽)はニヤリと笑う。
「へえ…そう答えるんだ。一応、理由を訊いてもいいかい? 適当に答えるのと理由があるのとじゃあ、わけが違うからさ」
言われて、八幡は「ハッ!」と、馬鹿にするように言う。
「人間、「自分はこうだ」ってどれだけ言ったところで、その行動と言葉なんて簡単にすれ違う。言動が完全に一致する奴なんているわけないだろ。ライトノベルじゃねえんだから。だから、自分のことすらわかってないのに、そんな奴が他人に言う『自分』が『自分』なわけがない。よって、『自分』が存在したとしても、『自分』を理解することは誰にもできない……ってとこか?」
「いいねえ…その考え方は実に僕好みだ。まぁ、もっと言っちゃうとね、どれだけ『客観』だといったところで、その『客観』を作っているのは誰かの『主観』だ。『客観』とは別の視点の『主観』でしかない。故に、『正しく理解』なんてされるはずもない。常識だってそうだ。たとえば、『人間は飛べない』といくら言ったところで、それは『今』がそうだというわけで、永遠にというわけじゃない。生物の進化に『絶対』はない。今の『常識』が明日の『常識』であるなんてありえない。と、そんなところかな」
「で、ゲームクリアってことでいいのか?」
「うん。いい答えを出してもらえたからね」
八幡(偽)はにっこり笑い。パチンと指を鳴らす。すると、“契約書類”の文面が変わる。
『GAME CLEAR!
以降、このギフトの所有権はプレイヤーにあるものします
“ミラー・アリス” 』
『GAME ALL CLEAR!
全リトルゲームがクリアされました。以降、箱の中のすべてのギフトの所有権はプレイヤーにあるものします
』
「…やっと、終わったか」
「さて、それじゃあ、君にとっての本題に移ろうか」
八幡(偽)は八幡を見据える。
「君…この世界に来てから、思いのほか『積極的』だよね。がルドの時といい、ペルセウスの時といい、元の世界の君の知り合いが見たら、『らしくない』って言われるんじゃない?」
八幡はそっと、八幡(偽)から目をそらす。
「別に…そうなったつもりはねえよ」
「本当にそうかな」
にこっと笑いかけてくる八幡(偽)に八幡は不快そうな顔をする。
「……何が言いたい」
「君は期待してるんじゃないかな? もしかしたら、ここにならあるかもしれないって。彼らならそうかもしれないって」
「…………」
「ま、この箱庭って世界のシステムとこのコミュニティの現状じゃ、そうなるのは一種の必然だろうけどね。今集まってるメンバーも人間関係においては色々ある奴も多いみたいだしね」
「…本当に何が言いたいんだよ」
イラついたように言う八幡に八幡(偽)はニコニコした顔のまま答える。
「いやー、素晴らしいなと思ってさ。何も言わなくったって通じちゃって、何もしなくたって理解できて、何があっても壊れない『本物』。いや、本当に最高に至高に究極に極限に素晴らしいじゃないか」
楽しそうに笑う八幡(偽)とは対照的に、八幡は八幡(偽)が言葉を紡ぐたびに心が冷えていくのを感じる。
「いやー、本当にいいね。最高だね。
そんなのあるか馬鹿野郎。夢見てんじゃねえよ。わかり合う? アホか、できるわけねえだろ、そんなもん。単にできてると思い込んで妥協してるだけだっつの。はっきり言ってやる。おまえの欲しいものも、目指すものも存在しない。そんなの、ただの幻想だ。あるように見えても、そんなのおまえがそうだと決めつけてるだけの偽物なんだよ。わかってんだろ? おまえだって。いつだって、期待して、裏切られて、失望して、自己嫌悪して、騙されて、戒めて、それでも治せなくてまた自己嫌悪してきたんだ。おまえが憧れた雪ノ下雪乃だって、やさしいと思ってる由比ヶ浜結衣だって、いいやつだと思い込んでる葉山隼人だって、かっこいいと思ってる平塚静だって、他の奴らもみんなみんな、それだけじゃないことくらい気づいてんだろ?」
あざ笑うように言う八幡(偽)に八幡は体が震えるのを感じる。
「なんで、雪ノ下たちのことを知ってる」
八幡(偽)は馬鹿にするように笑う。
「おいおい、君は僕の世界に入る時、僕が憑いている鏡を見ているだろう。鏡っていうのは不思議なものでさ、『真実』を映すものであり、『嘘』を映すものでもあるんだ。だから、君を真似る時に君の『記憶』を全て見せてもらったよ。いや、最ッ高だね、君。実に僕好みのヒールっぷりだ。そして、なかなかにロマンチストだ。だけど、はっきり言おう。『本物』なんてこの世に存在しない。『自分』も『他人』も理解できてない人間に、『本物』になるなんてことは不可能だ」
足元が崩れて、空が落ちてくるような感覚。
もしかしたら、これが絶望なのかもしれない。
八幡は震える体を抑えるようにして、八幡(偽)を真正面から見据える。
「…お前の言う通り、そんなものは存在しないのかもしれない。『本物』なんてなくて、あるのは嘘に満ちた甘い果実かもしれない」
「でも、」と八幡は震える声で続ける。
「そんなのはいらない。俺は苦くても、酸っぱくても、不味くても、独でしかなくって、食べるのが苦痛であっても、それでも…それでも俺は、『本物』が欲しい」
目に涙を溜めて、しかし、八幡(偽)を真っ直ぐ見つめて言う八幡に、八幡(偽)はため息を吐く。
「そうかい。だったら、君のしたいようにすればいい。君には力がある。ここには、環境がある。探したいなら、見つけたいなら、気の済むまでそうすればいい」
聞き分けのない子供に言うような優しげな声音で言うと、八幡(偽)が光に包まれ、その姿形が変わっていく。
八幡(偽)がいた場所には、亜麻色の少しウェーブのかかった長い髪の美少女がいた。
「改めまして、この度よりあなたにお仕えさせていただく、鏡の精霊のアリスと申します。以後お見知りおきを」
「お、おう…」
突然、態度を急変し、深く頭を下げるアリスに、八幡は戸惑ってしまう。しかし、彼女は頭を下げるだけに留まらず、ついには跪く。
「今までの非礼の数々、深くお詫びいたします。これより、我らはあなた様の物。その御意志の礎としていただければ、それ以上の幸福はありません」
「ちょ、待て」
跪き、恭しい態度をとるアリスを八幡が制すると、アリスは顔を上げる。
「何でしょうか?」
「頼むから、その態度はやめてくれ。ただでさえ、あいつらがあんな態度なせいで慣れなくて精神的にキツイってのに」
「そうかい? だったら、僕は普段通りにさせてもらうよ」
そういって、アリスは立ち上がると八幡を真っ直ぐ見据える。
「だけど、さっき言った事に嘘はない。これから、僕らは君の物だ。だから、君の求めるものを手にする手助けくらいはさせてくれ」
真っ直ぐ自分を見て言うアリスに、八幡は照れくさくなって顔を逸らす。代わりに、右手を差し出す。
「…まぁ、なんだ、よろしく」
差し出された手を、アリスはそっと掴んで引き寄せ、八幡の手の甲と指先にそっと口づける。
「なっ…!?」
頬を赤くし、目を白黒させる八幡に、アリスは微笑む。
「これから、よろしく頼むよわが主」
♦
「というわけで、新しくこのコミュニティに加入させてもらうアリスだ。よろしく頼むよ」
鏡の世界から出てきた八幡とアリスは、コミュニティメンバーにアリスを紹介することになった。しかし、そこには大きな問題があった。
「マスター、私は反対です。こいつは信用できません」
「そうですね。私も御姉様に賛成です。この女はどうにも怪しいです」
「私も、この人は、危ないと、思います」
エリアたちがアリスを睨めつける。
そんな彼女たちに、アリスは平然とした様子で答える。
「信用できないって…ひどいな。同じ精霊同士、主のためにも仲良くしようよ。いや、君的には見せかけの仲良しこよしなんて、ごめんこうむるかな?」
アリスが八幡に笑いかけると、小町も彼女に食って掛かる。
「そもそも、お兄ちゃんをひどい目にあわせたのに、信用できるわけないじゃないですか!」
「おいおい、『ひどいこと』とは心外だな。あれは、僕らを所有するうえでは、正当な権利の上に成り立つ『試練』なんだよ。そうだろ、月の兎?」
いきなり、話題を振られた黒ウサギは、しどろもどろになりながら答える。
「そ、そうですね。今回のゲームには、まったくの不正がございませんでしたし、白夜叉様の方でも、鑑定の際に『呪い』などの罠の類ではないと明言されてます。それに、黒ウサギの独断で箱庭の中枢に訊いたところ、正当な所有者に対する試練であると箱庭の中枢からも審判が下っています」
「つまり、」と、十六夜がまとめるように言う。
「こいつは、なんの不正もなく、正当にギフトゲームを行った。だから、結果的に八幡がどんな目に合おうが、それは八幡自身の自己責任ってわけだ」
「さすが、十六夜君。頭の回転が速い。おかげで、話が早くて助かるよ」
「ですが…!」
エリアがなおも食い下がろうとすると、アリスはエリアたちをため息交じりに見つめる。
「はぁ…まったく、随分と僕だけを目の敵にするじゃないか。自分たちのことは棚に上げてさぁ。君たちのギフトゲームは比企谷小町の身柄や比企谷八幡の命を賭け皿に乗せてたんだよ。しかも、半ば騙すような形でだ。僕のゲームは仮想空間だから、現実じゃ精々戦闘不能程度だったし、死の危険もない。君たちが彼らにやらせたギフトゲームの方がよっぽどじゃないのかい?」
「………ッ!?」
エリアたちは全員、不安と恐怖の混じった複雑そうな顔で八幡と小町を見て、目を逸らす。
そんな彼らを、アリスはどこか憐れむように見つめる。
「ま、そこらへんは君たちの問題だから、僕が何か言うってのもおかしな話なんだろうけどね。まぁ、これから少しずつ仲良くなっていこうよ。それじゃあ、僕は適当に本拠内を歩いて見て回るよ。」
そう言って、アリスはそっと部屋から出ていく。
「ふむ…。これから“ノーネーム”に所属するということは、彼女もメイドということでいいのか、八幡?」
「どうだろうな。そこら辺は本人に確認してくれ」
「そうだな。まだ近くにいるだろうから、私は彼女のところにいってくる」
「あ、レティシア様、それなら黒ウサギも一緒にも行きます。坊ちゃんや子供たちにも紹介した方がいいでしょうから」
「それじゃあ、黒ウサギ、捜すのを手伝ってくれ」
「YES! 了解しました」
足早に出ていく二人に、残された八幡と十六夜は二人の行動の意図を即座に気づいていた。
((あいつら、気まずくなって逃げやがった…))
十六夜は、「はぁ…」とため息を吐き、アリスの方を向く。
「とりあえず、このままじゃ埒が明かねえし、ここは一旦解散しようぜ」
十六夜の提案に、比企谷兄妹が戦慄する。
((こっちに丸投げする気だ!?))
「そ、そうだね、そうしよっか。お腹が空いてきたし」
「そ、そうね。それじゃあ、私たちは食堂の方に行きましょうか!」
耀と飛鳥もそそくさと部屋から出ていき、十六夜もそれについていくように出ていく。
「「「「「……………………………」」」」」
残された五人は気まずさに何も言えなくなってしまう。
(おい、小町! 何とかしろよ! こういうのはお前の領分だろ!)
(ちょ、小町に言わないでよ! 小町的にポイント低いよ!)
「少し、よろしいでしょうか?」
こそこそと言い合いをする二人に、エリアが声をかける。
「あの、小町様は食堂でご夕食を食べてきたらいかがでしょうか。マスターはお疲れでしょうから、一度湯浴みをしてきてはいかがでしょう」
♦
「ふぅ…疲れた」
あの後、思いのほか鏡中にいた時間は長かったようで、もう夜になっていたので、空気が気まずかったこともあり、エリアの提案を受け、一旦疲れを取るために“ノーネーム”の大浴場に入っていた。
「まさか、ギフトゲームで一日使うことになるとは思わなかった」
「おや、そうなのかい? だったら、これから覚悟した方がいいよこのコミュニティは魔王に挑むんだろ。魔王のギフトゲームは1ヵ月続くなんてざらにあるよ」
「うわっ、やりたくねえ」
「そこらへんは、しょうがないって割り切るしかないね」
「どうにかなんねえかな………ナンデイルンデショウカ?」
いつの間にか、隣で自分と同じように湯に浸かっているアリスの方を努めてみないようにしつつ訊く。
「いやー、ほら、君に仕えているエリア先輩たちがもうお通夜みたいな雰囲気でさ。嫌な汗かいちゃったから十六夜君にお風呂場訊いたらここだっていうからさ」
「なんで教えちゃうんだよアイツ。おまえも男がいるのに入るなよ」
「ん、忘れたのかい? 十六夜君とかレティシアさんとか子供達とかは普通に混浴してるよ。ああ、そっか、君はしてない組だったけ」
「そういや、そうだった…」
このコミュニティは大浴場がある代わりに、風呂場が一つしかないので、基本的に女、混浴、男のような内訳になっており、八幡は鉢合わせすると恥ずかしいのと気まずいので、速攻で入って速攻で出ていた。しかし、今回はかなり疲れていたために油断していた。
「…もう出るわ」
立ち上がろうとすると、アリスに腕を掴まれる。
「疲れはちゃんと取っていきなよ。じゃないと、明日に響くよ。それに、もう少し話したいことがあるしね」
八幡はしぶしぶ座りなおす。
「で、なんだよ話って」
「いや、さっきも言ったけど、僕は君をコピーする時、一緒に君の記憶もすべて見させてもらった」
「…すべてって、すべてですか?」
恐る恐る訊く八幡にアリスはにやっと笑う。
「それはもしかして、『友達じゃ、ダメかな?』とか、『むしろ、蒸し暑いよね』とか、『それって、俺のこと?』とかのことかい?」
「殺すならいっそ殺せ。いや、誰か殺してくれ!」
思い出(トラウマ)を刺激された八幡はその場から走り去ろうとする。
「いや、まだ話は終わってないから」
そんな彼を、またも捕まえ座らせる。
「だから、君の見てきたもの、経験してきたことは全部知ってるんだけど、君の…いや、君たちのことについていくつか物申したくなったってだけだよ。ま、当事者でもないやつが何言ってんだ程度でいいから、聞いてもらえないかな?」
八幡は何も言わず、その場に座ったままでいる。
それを了承と取ったのか、アリスは口を開く。
「君がこの箱庭に来る前にいた世界で君が憧れた雪ノ下雪乃。彼女は、君が思う人間じゃないよ」
「…そんなの…言われなくてもわかってる」
それは、八幡自身がよく分かってることだった。勝手に期待して、勝手に失望して、そんな自分に自己嫌悪した、忘れようもない夏休みのこと。
しかし、八幡の物言いに、アリスは一瞬怪訝そうな顔をし、すぐに得心言ったかのような顔をする。
「ああ、ごめんごめん。勘違いさせたようだね。僕が言いたいのはそういうことじゃない。正確には彼女は『雪ノ下雪乃すら含めた』君たちが思うような人間じゃないってことだよ」
「どういう意味だ?」
「いろんな人が彼女を評してきたよね?
ある人は『正直すぎる故に傷つけることを厭わない』と。
またある人は『真剣でまじめな人間だ』と。
またある人は『どこか寂しげだ』と。
ある人は『優しくて往々にして正しい』と。
ある人は『とるに足らぬ』と。
ある人は『共にいて好きだ』と。
そして、君は彼女に憧れた。
『常に美しく、誠実で、嘘を吐かず、ともすれば余計なことさえ歯切れよく言ってのける。寄る辺がなくともその足で立ち続ける』…か、かっこいいねぇ…まるで英雄譚にでも出てきそうじゃないか。まさに、平成のジャンヌ・ダルクとでも呼べばいいのかなぁ…なんて
そんなわけねえだろ、バアカ。彼女は取るに足らないほどくだらないよ。雪ノ下雪乃は正しくもなければ優しくもないし、正直でもないし、一人で立ててもいない。彼女は間違いだらけだし、自分に甘くて他人に厳しいし、彼女の周りは寄る辺ばっかりで、その足元は泥の土台だよ。何より性質が悪いのは、彼女がそれにひどく無自覚なことだよ」
冷淡に、冷酷にあったこともない人間を蔑むように言い捨てる彼女に、八幡は鏡の世界で感じた以上に心が冷えていくのを感じる。
「それは、ある意味じゃ、由比ヶ浜結衣にも、平塚静にもあてはまることだけれど…。でも、よかったね」
いきなり、「よかったね」と言われるとは思ってなかったのか、八幡はわずかに驚いた顔をする。
「どういう意味だ」
「君がこの箱庭に呼ばれずに、あのまま、あの世界で過ごしていたら、遠くないうちに君たちは『破綻』していたよ。分かり合った気になって、結局許容できなくてね。あのままいけばきっと、彼女たちは『君のやり方だけ』を否定する。その依頼が最初から不可能ゲーに近いもので、それを無責任に自分たちが引き受けたことも、自分たちに対処法が思いつかなくて、任せたことすら忘れてね。それに、君たちは大きな勘違いをしているよ」
「勘違い?」
八幡が訊き返すと、アリスが「ふっ…」と優しく笑う。
「君たちが依頼された依頼は必ずしも成功しなくてもいいってことだよ。たしかに、引き受けた以上はある程度の責任が付きまとう。だけど、頼んでいるのは相手の方なんだ。君たちはできないと思ったらいつだって断る権利があるんだよ。なんだったら、顧問の平塚静にでも投げてしまえばいい。」
『依頼を達成できない』
それは、今までも危惧されてきたことだ。しかし、奉仕部では誰も、『依頼を達成しなくてもいい』とは言わなかった。
これは一体、どうしてだろうか。
八幡が思考の沼に嵌り始めた時、不意に背中に柔らかい感触が当たる。
アリスが八幡の体に後ろから腕を回しているのだ。
「おいおい、考えすぎるのは君の悪い癖だよ。ま、それが君のいいところでもあるんだろうけどさ」
「そ、それよりも、は、早く離れてくだひゃい」
緊張した様子で八幡が言うと、アリスはにやにやし始める。
「主が従者に敬語を使うものじゃないよ。するなら、ちゃんと命令しなよ」
からかうように耳元で囁くアリスに内心でビクビクしながら、八幡はアリスに命令する。
「とっとと、離れろ」
アリスは、「まぁ、及第点かな」と呟く。
「了解。もしもの時は、すぐに指示を出してもらわないと困るからね。いちいちもたつかれたら面倒で仕方がないよ」
「…それ関係ないだろ」
「さあ、どうだろうね。ああ、そうだ。それから、僕からもう一つ」
「…なんだよ」
ぶっきらぼうに言う八幡に、アリスはまたも耳元に顔を近づける。
「大丈夫。君は、きっと間違ってない。自意識過剰だろうと、自意識異常だろうと。僕らは君の味方だ。もしも、誰かが君を否定するのなら、僕らが君が正しいと証明して見せよう。誰かが君を『哀れ』だと下に見るのなら、僕らが君の強さを証明してみせよう。だって、君にはそれだけの力があって、それだけの力を僕らに見せてくれたんだから」
まさか、アリスが自分をそこまで高く評価してくれているとは、思ってもみなかったため、八幡は呆然とする。
「それじゃあ、僕はそろそろ上がらせてもらうよ」
アリスは立ち上がり、そのまま脱衣所まで歩いていく。
彼女が出ていくまで、ずっと顔を逸らしていた八幡はぼそっと呟く。
「アイツ…体洗ってなくね?」
アリスは脱衣所から顔を出し、八幡を半眼で睨む。
「精霊っていうのは、基本的に自分の最もイメージに合う自分だから、汚れることなんてほとんどないし、汚れてもリセットできるんだよ。それと、レディにそういうこと言うなよ」
「…聞こえてんのかよ」
「これでも、耳はいいからね」
しばらく待つと、脱衣所から人の気配がなくなる。
「他のやつが来る前に出るか…」
湯船から出て、脱衣所で素早く着替えると、八幡は自分の部屋へと向かう。
自分の部屋に向かう途中、八幡はふと、思った。
(にしても、誰も入ってこなくてよかった。来たら絶対に誤解されて終わってた。主に俺の社会的地位が。まぁ、元々そんな高くないけど…)
♦
「で、これは一体どういうことだ?」
「小町に訊かないでよ。アリスさんに言われて部屋に来たらこうなってたんだから」
現在、八幡の部屋には並んで、それは美しい土下座するメイド服の姉妹がいた。
「はぁ…説明してもらってもいいか?」
彼女たちを代表するように、長女のエリアが顔を上げる。
「アリスの進言により、我々のギフトゲームでのことを改めて謝罪しようと参った次第です」
どうやら、八幡が風呂に、小町が食事に行っている間に3人で話し合ったらしく、その話し合いの結果が土下座だったようだ。
そんな彼女たちに呆れるように、八幡はため息を吐く。
「はぁ…別に、今更そんなこと謝られてもこっちが困る。俺ですら忘れてたことだし、小町はお前らが来たことを喜んでたしな。だから、別に気にしなくていい」
「で、ですが…!」
「ほ、ほら、お兄ちゃんも小町もいいって言ってるんですし、それでいいじゃないですか!」
「…わかりました」
小町の言葉に、まだ少し納得がいっていないながらもエリアはしぶしぶ頷く。
そして、エリアは恐る恐るといった感じで八幡を見る。
「あの…それでは、これからもお仕えしてよろしいんでしょうか?」
「あー、それは「ぜひ、お願いします! …小町的にはお姉ちゃん候補が増えて万々歳だし。候補は多いに越したことはないし」なんで俺、妹に発言キャンセルされなきゃいけないの? 新手のいじめかよ。まぁ、小町の方もいいって言ってるし、俺には元々拒否権なんてないからな。だから…その、なんだ」
そこで、八幡は3人から顔を逸らし、アリスにそうしたように右手を差し出す。
「…よろしく頼む」
エリアたちは驚きに目を見開き、自分たちから顔を逸らす八幡を見る。八幡の顔は逸らされているため、その表情を見ることはできなかった。しかし、彼に耳が赤くなっているのだけはたしかに見えた。
エリアたちは、自分たちの胸に熱く込み上げてくるものを感じる。しかし、彼女たちはそれをこらえて八幡の手を握る。
「「「…………はい、かしこまりました!」」」
震える声で、けれど、強く彼の手を握り、彼女たちは再び心に誓う。
『絶対に彼を守り、彼についていこう』と。
♦
八幡と小町が姉妹たちと和解した頃、アリスは扉のすぐ前でそのやり取りを聞いていた。
「はぁ…まったく。誰も彼も世話が焼けるなぁ。それと…盗み聞きは感心しないよ」
呟くように言うと、廊下の曲がり角から十六夜、飛鳥、耀が出てきた。大方、耀がそのギフトによって優れた五感を活かし、部屋の中の様子を盗み聞いて、二人に話してるいたのだろう。
「なんだ、気づいてたのかよ」
「ちゃんと、隠れていたつもりだったのだけれど」
「音も出さないようにしてた」
「お生憎様、僕は鏡って性質上、自分の眼に映ってさえいれば、映っている範囲内の状況を十全に把握できるんだよ」
アリスの言葉に、十六夜は感心したように、飛鳥と耀は驚いたような声を出す。
「へぇ…そりゃ、すげえじゃねえか」
「そんなすごいことができるなんて…」
「私より広範囲が索敵できるかもしれない」
「お褒めに預かりどうも、先輩方。一応、明日からは僕もメイドとして働くことになっているから、何か用件があったらその時に。ま、仲良くやっていこうじゃないか」
アリスが手を出すと、十六夜は気軽に、飛鳥はおずおずと手を握った。しかし…
「おや、春日部さんは握手してくれないのかい?」
耀は、手を出そうとして、アリスから八幡や十六夜とは別種の『得体の知れなさ』を感じて、手を握れずにいた。
「んー、あんまり僕なんかを警戒しなくてもいいと思うんだけどなぁ。それに…」
一旦言葉を止めたアリスに、耀はまるで自分の心身が鷲掴みにされたかのような錯覚を覚える。
「君みたいに勘の鋭い人間は嫌いじゃないしね」
にやりと笑っていうアリスに耀は背筋に薄ら寒いものを感じる。
「おいで、君にはちょっといいものを見せてあげよう」
アリスは耀の手を取る。
「……………ッ!?」
唐突の強烈な浮遊感に、耀はバランスを崩しそうになる。
「…なに、ここ?」
そこはどこかの学校の教室だった。
♦
「ここはある人の記憶の中だよ」
「ある人の記憶…?」
「誰の記憶…?」そう聞こうとして、耀は部屋に人がいることに気づく。
「わぁ…」
そこにいたのは、長い黒髪の美少女だった。
静かに手元の本を読んでいて、時折吹く風に髪が靡くさまは、一枚の絵画のようだった。
そして、耀は彼女から八幡とどこか近いような印象を受けていた。
「おや…君、まさかそっちの気が…」
「ない! そういうのじゃない!」
面白いものを見たような顔をするアリスに必死で否定していると、耀の耳がこの教室に近づいてくる人間の声を拾う。
『俺、教室に入ると死んでしまう病が』
『どこのながっぱな狙撃手だ。麦わら海賊団か』
(あれ? この声って…もしかして)
聞き覚えのある声に、耀が教室の扉の方を見ると、その扉が開けられる。
扉を開けたのは、白衣の女性だった。恐らく、この学校の教師なのだろう。
そして、その女性の後ろにいたのは、
「…八幡?」
そこにいたのは、箱庭世界に来たばかりのころに、八幡が着ていたブレザー姿の比企谷八幡だった。
(じゃあ、ここは…)
「八幡のいた世界?」
「その通り。正確には、ここは八幡の記憶によって構成された、彼の世界かな」
アリスの説明を聞きながら、耀は八幡を見る。彼は少女に見惚れているようでぼーっとしていた。
「…むー」
なにか気に入らないような、イライラした気分になる。
「お断りします。そこの男の下心に満ちた下卑た目を見ていると身の危険を感じます」
少女が自分の身を守るように襟元を掻き合わせるような仕草に、八幡は「えー」と若干不満気な表情をする。
話を聞いていると、あの少女は雪ノ下雪乃というらしい。
そして、八幡はレポートでふざけたことを書いたため、この部での奉仕活動を命じられた、ということらしい。
もう少し現状を把握するため、耀は八幡を見る。
「ガルルルルーッ!」
彼は一体何をやっているのだろう。
おそらく威嚇なのだろうが、威嚇をする意味も理由もわからない。さらに、雪ノ下雪乃は八幡の唸り声に対し、『ギロッ!』という擬音が似合いそうなほどの勢いで八幡を睨む。
「…キャイン」
どうやら、力関係は彼女の方が強いらしい。
本当に彼らは何をやっているのだろう。
「さて、ここで問題だ」
耀が二人の様子を観察していると、アリスが唐突に話しかけてきた。
「ここは一体、何部でしょうか?」
見ると、八幡も同じ問題を出されていた。
耀は先ほどの教師のセリフを思い出し、口を開く。
「ボランティア部?」
「惜しいね。ここはね…ほら」
アリスが示すと、雪ノ下雪乃が口を開く。
「持つものが持たざる者に慈悲の心をもってこれを与える。人はそれをボランティアと呼ぶの。困っている人に救いの手を差し伸べる。それがこの部の活動よ」
そこで雪ノ下雪乃は立ち上がり、八幡の方を向く。
「ようこそ、奉仕部へ。歓迎するわ」
「さっき思いっきり『断る』って言ってなかった?」と、突っ込みそうになるのを、既の所で思いとどまる。
「平塚先生曰く優れた人間は哀れな者を救う義務がある、のだそうよ。頼まれた以上、責任は果たすわ。あなたの問題を矯正してあげる。感謝なさい」
「ぶっ…くくっ…あははははははは! あー、もう、最ッ高だなー! あはははは!」
雪ノ下雪乃の言葉に大笑いし始めたアリスに耀はどうしていいかわからず、その場で雪ノ下雪乃とアリスを交互に見る。
アリスは一頻り笑った後、耀の方を向く。
「あー、笑った、笑った。いやー、今のは滑稽この上なかったね」
同意を求めるように言うアリスに、耀はどういうことかわからず、頭に疑問符を浮かべる。
「滑稽って…どういうこと?」
アリスは未だ笑いが治まらないのか、若干、涙目になりながら雪ノ下雪乃を指さす。
「僕らのいる箱庭世界に君たちが呼び出されたことは、八幡の記憶から知っている。で、その箱庭に君たちを召喚した“ノーネーム”の黒ウサギやジンは優秀な人材を欲したはずだ。そして、君や十六夜、久遠飛鳥、そして、八幡が呼び出された。この意味がわかるかい?」
問いかけるようにいうアリスの言葉を、頭の中で反芻させて、耀はある考えに行きつく。
「もしかして、この箱庭に呼ばれたってことが、八幡の方があの子より優秀だっていう証明になる?」
耀の答えに、アリスはにやりと笑う。
「少なくとも、“ノーネーム”が求める人材としてはね。なのに、あの子ときたら、『あなたの問題を矯正してあげる』だって。あはははははは! まったく、上から目線も傲慢もここまできたら滑稽だよ!」
耀は雪ノ下雪乃を見る。
彼女はどう思うのだろう。
八幡がいなくなったことを。
悲しむのだろうか。喜ぶのだろうか。
彼がいなくなった理由が、もしも、本当に彼が彼女より優れていたということならば、彼女は何を思い、何を想うのだろうか。
「本人が問題点を自覚していないせいです」
「…ッ!?」
考え事をしていた耀は、雪ノ下雪乃の言葉に再び彼らの方を向いた。
そこには、いつの間にか戻ってきていた教師と話す雪ノ下雪乃と八幡がいた。
どうやら、彼に『問題』がありそれについて話しているようだった。
「あの……さっきから俺の更生だの変革だの改革だの少女革命だの好き勝手盛り上がってくれますけど、別に求めてないんすけど…」
八幡の言葉を受け、教師は「ふむ…」と、少し考えるような様子を見せ、雪ノ下雪乃は「こいつ、何言ってるんだ?」とでも言うような様子で八幡を見る。
「……何を言っているの? あなたは変わらないと社会的に不味いレベルよ」
雪ノ下雪乃は、あたかも自分が正論を言って、相手を説き伏せでもしているかのような様子で言う。
「傍から見ればあなたの人間性は余人に比べて著しく劣っていると思うのだけれど。そんな自分を変えたいと思わないの? 向上心が皆無なのかしら」
雪ノ下雪乃の言葉に、耀は自分の中に言いようのない怒りがこみあげてくるのを感じる。
自分の同士であり、自分をガルドから命がけで助けてくれた彼を『劣っている』と侮辱した彼女に対し、耀は今まで感じたことのないような怒りを感じていた。
「そうじゃねぇよ。……なんだ、その、変わるだの変われだの他人に俺の『自分』を語られたくないんだっつの。だいたい人に言われたくらいで変わる自分が『自分』なわけねぇだろ。そもそも自己というのはだな…「自分を客観視できていないだけでしょう」」
雪ノ下雪乃は八幡の言葉を途中で遮り、その言葉を斬って捨てる。
「あなたのそれはただ逃げているだけ。変わらなければ前には進めないわ」
「…………ッ!」
遂には、我慢できなくなり耀が雪ノ下雪乃の方へ駆け寄ろうとする。しかし、八幡は雪ノ下雪乃の言葉を「ハッ」と鼻で笑う。
「逃げて何が悪いんだよ。変われ変われってアホの一つ覚えみたいに言いやがって。じゃあ、お前はあれか、太陽に向かって『西日がきつくてみんな困っているから今日から東に沈みなさい』とか言うのか」
「詭弁だわ。論点をずらさないでちょうだい。だいたい、太陽が動いているのではなく地球が動いているのよ。地動説も知らないの?」
「例えに決まってんだろ! 詭弁っつーならお前のも詭弁だ。変わるなんてのは結局、現状から逃げるために変わるんだろうが。逃げてるのはどっちだよ。本当に逃げてないなら変わらないでそこで踏ん張んだよ。どうして今の自分や過去の自分を肯定してやれないんだよ」
その言葉を聞いた瞬間、雪ノ下雪乃の表情が怒りのそれに変わる。
「……それじゃあ悩みは解決しないし、誰も救われないじゃない」
吐き出すように言われるその言葉に、耀は足を止め、複雑な気分になる。
「それじゃあ、戻ろうか」
アリスが言うと、気づけば“ノーネーム”の本拠に戻っていた。
「か、春日部さん! 大丈夫!?」
飛鳥が耀に駆け寄るが、耀は未だ先ほどの二人のやり取りのことを考えていた。
耀は友達を作るためにこの箱庭世界に来た。自分は友達が欲しいと願い、その中で、自分を変えていかなければならないと思ったこともある。しかし、彼の世界での過去の彼は言った。
『なんで過去の自分を肯定してやれない』と。
その通りだ。過去の自分を否定して、自分を変えたところで意味はない。それは、過去の自分を形作った人たちすら否定する行為だ。
過去の自分は間違っていたといって、そこから考えずに自分を変える。
それがきっと、彼の言っていた『逃げる』ということだろう。
ならば、自分はどうなのだろう。
「てい!」
「いたっ!?」
耀が考え事をやめて周りを見ると、アリスが自分に手刀を入れていた。
「まったく、ほんとに世話が焼けるなぁ。久遠飛鳥さん、悪いけど、もう少し借りていくよ」
アリスはそう言って、耀の手を引いていく。
「春日部さん、彼らの主張は基本的にどちらも正しい。だけど、比企谷八幡と雪ノ下雪乃では、比企谷八幡の方が圧倒的に正しいと僕は思う。だけど、君は君の答えを出さなきゃいけない。自分がどうとかじゃなく、自分はこうだという答えを」
耀はアリスの言いたいことがあまりよく分かっている気がしなかった。代わりに、これだけは訊いておかなければと思っていたことを口にする。
「どうして、私に八幡の世界での八幡の過去を見せたの?」
アリスは耀の顔を見ずに歩く速度を少しだけ落とした。
「それは、君が八幡を気にかけているからだよ。君は、彼らのやり取りに何を感じた」
耀は先ほどの八幡と雪ノ下雪乃のやり取りを思い出す。
どこか近くて、でも反対の思想を持つ二人。
反目しあっているようで、どこか噛み合っていた二人。
自分や飛鳥、十六夜や黒ウサギには見せないような表情や声音をしていた八幡と彼女。
そんな二人を見て、耀はイライラしていた。
胸が締め付けられるような複雑な感情を覚えた。
「ああ、そっか」
耀はそこでどうして自分がイライラしていたのか理解する。
「私は…羨ましかったんだ」
自分は羨ましかった。
彼といがみ合いながらも、彼とちゃんと噛み合っている雪ノ下雪乃が。
彼とまるで『友達』のように気の置けないやり取りをかわす彼女が、自分は羨ましかったのだ。
「…その答えを得て、君はどうしたいんだい?」
自分がどうしたいか?
そんなのはもう決まっていた。
耀はアリスを真っ直ぐ見据える。
「私は、八幡のことをもっともっと知りたい。もっと知って…八幡の友達になりたい」
耀の言葉に、アリスは「そうかい」と呟くと、耀の手を離す。
「じゃあ、ここからは自分でやってみなよ。あとは、君次第だ」
耀は、飛鳥たちのところへ戻る。
「十六夜は?」
「今日はもう休むって。アリスとの話はどうだったの?」
「うん。すごく参考になった」
そう言う耀に飛鳥は笑う。
「なんだか春日部さん、すごく楽しそうね」
「うん。頑張りたいことが見つかったから」
「そう。それじゃあ、私も応援するから、手伝えることがあったら言ってちょうだい。いつでも力を貸すわ」
「…うん」
耀は自分の中に生まれた温かい気持ちを確かめるように胸に手を当てる。
(うん、大丈夫。きっと…大丈夫)
自分に言い聞かせるように、自分に染み渡らせるように、繰り返す。
まず、彼を知るために明日からどうしようか。
そんなことを考えていると、自然と頬が緩む。
ああ、明日が楽しみだ。
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「…あれ、一応これって俺の話だよな。途中から趣旨変わってない? 絶対、また読者の人たち俺のこと忘れてるよ」
本日も、ステルスヒッキーは絶好調です。
みなさん、終盤は八幡のこと忘れていませんでしたか?
さて、今回はいろんなキャラのいろんな考え方や関係が変わりました。主にアリスによって。
彼女は、これから物語が進んでいく上で、色々やってくれると思います。
いい意味でも、わるい意味でも。
ちなみに、アリスが笑う時はスーダンの狛枝凪斗みたいに笑ってます。
笑っているというか、嗤ってます。それはもう、狂ったかのように。
次回ですが、次回は耀が八幡をストーキングする話です。
題して、『春日部耀の比企谷八幡観察記』です。
それでは、次回もできるだけ早くかけるよう頑張ります。
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