機動戦士ガンダムSEED ZIPANGU BYROADS   作:後藤陸将

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……帰省の準備しながら霧の艦隊と戦っていたら更新が遅れました


アスランの結婚前夜

「こちらです!」

日本軍の兵士に先導されてアスランとパトリックは病院内を早足で歩く。これまで如何なる取調べでも焦慮を顕にすることが無かったパトリックだが、こればかりは慌てずにはいられなかったようだ。パトリックに続くアスランの顔も険しい。

そして二人は赤いランプが点灯している救急治療室の前に辿りついた。しかし、二人がそこでできることは何も無い。プラントを率いて人類未曾有の宇宙戦争を戦った巨人とも言える類稀なる能力を持つ政治家でも、日本軍のトップエースとほぼ互角に渡り合うザフト有数のエースパイロットでも、この場ではただ祈る以外のことはできなかった。

 

 幾ばくの時が流れたのかは分からない。二人は治療室の前の長いすに腰掛けて無言で治療室の扉を見つめ続けていた。

その時、救急治療室の赤ランプが消えた。反射的にアスランが立ち上がる。それに続いてパトリックが何かに耐えるような険しい表情を浮かべながら腰を上げた。そして治療室の扉が開かれ、中から青い手術着を着た壮年の男性が出てきた。顔につけたマスクのせいでその表情はよく分からない。

「……全力を尽くしましたが…………残念です」

その言葉を聞いて弾かれたようにアスランが治療室の中に駆け出した。

信じられない、そんな、まさか――この眼で見るまでは現実を受け入れられないと言わんばかりの勢いで治療室に駆け込んだアスランだったが、彼が見たのは手術台に横たわるもの言わぬ母の姿だった。

 

 血のバレンタインからおよそ2年。その間母は意識は戻らないまでも、ずっと容態は安定していた。それ故にここにきての容態の急変をアスランは信じられなかったのだろう。

「母上、そんな……起きてくださいよ、戦争は終わったんですよ。それなのに、こんな……」

アスランは目の前の現実を信じられないのか、必死に目の前で眠る母を揺さぶる。しかし、母は息子の言葉に何も応えない。アスランは目の前で眠り続けるもの言わぬ母の腕を手にとり、その拍動を確かめようとする。しかし、母の身体に命の拍動が無いことは明白だった。

アスランは在りし日の母のことを思い出す。人目を忍んでコペルニクスにやってきた父と3人で遊園地に遊びに行ったこと、学校の工作で造ったロボットを褒めてもらったこと、母が体調を崩した日に多忙な父の代わりに母の看病をしたこと。普通の親子の、ありふれた思い出が溢れでて止まらない。

現実を認めざるを得なくなったアスランは母の腕を抱き、慟哭した。

 

「……レノア」

アスランの後に続いて静かにパトリックが妻のもとに歩み寄る。そしてそっと彼女の顔を撫でた。意識を失ったままの長い入院生活のためか彼女の顔は少しこけており、その手足も彼女が元気だったころに比べると随分と細くなっていた。

無言で愛する妻の頬を撫でたパトリックだったが、妻の頬が次第に体温を失っていくことを感じて次第にその表情に変化が生じてきた。

「…………最後の言葉くらい、聞きたかった」

パトリックが浮かべていた能面のような表情が崩れ、悲壮な顔が顕になる。その瞳には大戦の間決して誰にも見せることが無かった涙が滲んでいた。

アスランも言葉を発することもできず、ただ母に縋り涙を流すことしかできないでいた。

護衛を兼ねている案内役も治療室の入り口から距離をとって立ち、ザラ一家だけの場をつくろうとしていた。

 

 妻との思い出がパトリックの脳裏に走馬灯のように駆け巡る。

平手打ちを食らわされた初めてのデート、友人の暖かな祝福を受けた規模は小さくとも幸せな結婚式、妻の研究の一環として製作された合成食糧が頻繁に出された恐ろしい食卓、日常のちょっとした愚痴を言い合ったティータイム、そして一人息子を囲んだ3人の日常……どれも幸せな思い出だった。

だが、もうそんな幸せは取り戻せない。全ては過去のことであり、もうあの日々は、妻と息子と3人で描く幸せな日常は二度と帰ってこないものになってしまったのである。

 

 そして自分も遠からず連合国が開廷する軍事裁判によって裁かれることになる。最初から自身の罪を弁護するつもりは毛頭ないので、自分は確実に絞首台を登ることになるだろう。自分は死をもってプラントの未来を繋ぐと決めているのだから、その運命が揺らぐことはありえない。

自分もそう遠くないうちにレノアに会いにいくことができる。むこうがあるとすれば、レノアは何と言って自分を迎えてくれるのだろうか――――パトリックはそんなことを想っていた。

 

 この日、この親子を大戦の間支え続けていた小さな希望の蕾が、何の前触れもなく絶望に彩られた大輪の華を咲かせた。

 

 

 

 

 

 アスランとパトリックが帰宅したころには既にコロニー内の照明がうっすらと光り始めていた。二人はフェブラリウスの病院からディセンベルの自宅までの帰路は終始無言であった。そして帰り際、ザラ邸の警備主任を任された灘逸平少尉がパトリックに遠慮がちに声をかけた。流石についさっき息をひきとった女性の夫に葬式について色々と注文を聞くというのは抵抗があるのだろう。

「それでは、奥方の葬儀と埋葬の手配はこちらでさせていただきます。もしもお二方の希望の宗教方式がございましたら、従軍僧や従軍牧師を呼びますが?」

もしも仏教式や神道式の葬式を希望するなら、僧侶や神官はすぐに都合をつけることができる。日本軍は戦地での戦死者や病死者を弔うために従軍僧侶や従軍神官を艦隊に派遣しているからだ。

また、キリスト教式の葬儀を希望する場合、他国の従軍牧師を呼ぶことも不可能ではない。大西洋連邦やユーラシア連邦は弔い以外にも日常的な宗教的儀式のために従軍牧師を派遣しているため、彼らを呼ぶのはそう難しいことではない。

宗教への信奉心が薄れているC.E.であっても、日常の生活や冠婚葬祭と密接に絡み合う宗教を完全に排除するところまでには未だにいたっていないのだ。

「……妻も私も無宗教だ。それに葬儀を開こうにもこの情勢下では弔問客も集めにくかろう。静かに故人を偲ぶ形でやれればいい。希望としては、ディセンベル市の墓地に妻を埋葬してほしいと言ったところか」

正直なところ、無宗教で葬式をやれと言われるほうが困るという本音を飲み込んで灘は敬礼した。

「了解しました。それでは訃報と葬儀の案内を送付する方々をこの用紙に記載してください。今日中に送付は終わらせましょう。東アジア共和国との手続きもありますが、明後日には葬儀が行えるようにするとのことですので、今日はもうゆっくりとお休みください」

「重ね重ね、ご好意に感謝する。しかし、葬儀は私と息子だけで進めさせてくれ。この情勢下だ。一個人の身内の葬儀のために時間をつくれる者も多くなかろう。……それに占領国が異なるコロニーからの来客は難しいだろう。私ですら日本側の好意がなければ妻のいるフェブラリウスには行けなかったのだから」

パトリックは灘に頭を下げて自宅に戻る。そして自宅に上がったパトリックは真っ直ぐに寝室にむかう。昨日から一睡もしておらず、また妻の突然の訃報で頭の中が整理しきれないのだろう。すぐに眠気が彼を襲い、そのまま深い眠りへと彼を誘った。

 

 その日、パトリックは妻の夢を見た。

目の前にいるのは死んだはずの妻だ。これが夢であると瞬時にパトリックは理解する。しかし、例え夢であっても彼女にもう一度会えることほど嬉しいことはない。パトリックは背中を向けている妻に声をかけるが、妻は全く反応しない。妻のもとに駆け寄ろうとするが、いくら走っても妻に近づくことができない。まるで逃げ水を追いかけているようだ。

次第に妻の姿が薄くなっていく。パトリックはそれでも必死になって妻の名を叫んだ。せっかく会えたのだ。夢であってもそばにいたい、話したい。パトリックの心はそれだけでいっぱいだった。

その時、初めて妻が自分の方を向く。そして少し笑いながら口を動かした。

「またね」

たった一言。それも夢の中での一言であるが、それでも久しぶりに妻の声を聞いたパトリックは涙を流さずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 それから2日後、ディゼンベル市の公共墓地区画にパトリックの姿があった。様々な手続きを経てフェブラリウス市の病院からレノア・ザラの遺体がディゼンベルに運び込まれたため、今朝から公共墓地に隣接する葬儀場でパトリックとアスラン、そしてアナスタシアの3人で静かに葬儀を行っていたのだ。

無宗教なので葬儀自体は非常に簡略化されており、一人ひとりが別れの挨拶をした後は棺の前で生前の関係者からの弔電を読み上げただけで式は幕を下ろした。後は埋葬するだけだ。

その時、葬儀場の扉が開く音がした。この情勢下でディセンベルまで弔問に来れるような人物には心当たりがないため、パトリックは怪訝そうな表情を浮かべて葬儀場の入り口に視線を向けた。しかし、一方で彼の隣にいるアスランは葬儀場に足を踏み入れた人物を見て目を丸くしていた。

「……キラ?」

「久しぶり……なのかな?アスラン……」

そこにいたのはアスランの幼馴染、キラ・ヤマトだった。しかし、先日戦場で会った時とは異なり、彼は正式な喪服を着てこの場に立っている。

実は昨日、レノアの訃報を小耳に挟んだキラは情報通の黒木中佐にその詳細を訊ね、レノアの葬儀がここで行われる予定であることを知ったのだ。軍服を着込まなかったのは大日本帝国軍の一軍人としてではなく、一人の私人としてこの葬儀に参列することを望んだためである。

彼が戦争終結後もディセンベルに残っていたのは戦勝国間で権益を巡って小競り合いが発生したときに迅速に対処するためである。そのため、貴重なエースパイロットが未だに治安がよくないコロニーに足を踏み入れることは黒木も賛成しかねることであったが、キラの上司である武の計らいもあって私服の護衛をつけるという条件で外出の許可を得ることができたのだ。

 

 アスランに一声かけた後にキラはパトリックに歩み寄って会釈した。

「大日本帝国宇宙軍、キラ・大和少尉であります。幼少時、コペルニクスで過ごしていたころにはアスランと家族ぐるみの付き合いをしていました。……この度は心からお悔やみ申し上げます」

「痛み入ります。妻もよろこんでいるでしょう」

キラはレノアの眠る棺の前に花を手向け、黙礼した。そしてアスラン達の方に向き直る。

「ご家族のみで行われていた葬儀とは知らず、失礼しました。自分はこれで……」

「待ってくれ、キラ君」

親族のみで行われている葬式に顔を出すことはあまりよろしくないと考えたキラは早々に退散しようとする。しかし、そこでパトリックがキラを呼び止めた。

「……これが最後になる。時間があったら、埋葬まで付き合ってくれないか」

「時間はあります……しかし、よろしいのですか?」

「レノアなら一人でも多くの人に見送られる方を選ぶと私は思うのだ。今回は時期や情勢もあって弔問できる人も殆どいないために親族だけの葬式になったが、本来なら多くの人に見送られていたことだろう。明るくて人に好まれるような女だったからな」

キラはアスランに視線を向けるが、彼も苦笑しながら首を縦に振る。どうやら父の意見と相違ないようだ。

「後は出棺と埋葬だけだ。どちらも直接俺達の手で行ってやりたい。しかし、3人では少しキツイからな、手伝ってくれると助かる。キラなら母上も喜ぶだろうな。昔はキラもよく俺の家にも遊びに来ていただろう?」

「そうだね……これでお別れだし、僕も手伝うよ」

キラは久しぶりにアスランとただの幼馴染として対話をしていた。

 

 

 葬儀場からレノアの棺を運んだアスラン達は、そのまま棺を穴の中に納める。最後に棺の中に花を詰めた後、棺を閉じてその上に土を被せていく。しかし、その作業は全て人の手で行われていた。

これはパトリックのたっての希望だ。おそらく戦犯に指定されている自分がそう何度も墓参りすることは不可能だろうから、できる限り自分の手で彼女を埋葬したかったのだという。

パトリックも、アスランも、キラも、アナスタシアも汗をかきながら棺の上に土を被せてゆく。因みに彼女の埋葬に使われた土はパトリックの自宅の土だ。元はユニウスコロニーで使用されていた農業用の土だったが、アスランを妊娠していたころに暇を持て余していたレノアが家庭菜園を自宅につくった際に運び込まれていたのだとか。

数時間かけて埋葬作業は終わり、パトリックが自らの手で墓石を立ててそこに花を供えた。そして4人は汗を拭うことなく、土で汚れた礼服を着て静かに黙祷を捧げた。

黙祷を終えた後、キラはパトリックらに挨拶をすると足早に墓地から去っていった。彼はここからは親族のみにしておいた方がいいと思ったのだろう。

そしてパトリック達も日本の装甲車に乗って自宅への帰路につく。墓地から自宅まではコロニー間の移動もあるために決して移動時間は短くなかったが、その間彼らは一言も発することはなかった。

 

 

 

 その夜、パトリックとアスラン、そしてアナスタシアは一つのテーブルを囲んで食事をしていた。家族で食事をすること自体、もう何年ぶりか分からない。しかし、そこに妻の姿がないためにパトリックは複雑な心境であった。

「……父上」

気づけば食卓に並んだ皿が殆ど空になったころ、アスランが突然に口を開いた。実はこの食事中ずっと視線がうろうろしていたり、何かを言い出そうとして止めるといった不審な挙動をしていたのだが、半ば呆然としていたパトリックは気がついていなかったのだ。

「……ん?何だ?」

「実は……その……俺たちは」

口ごもりながら話すアスランの姿にパトリックは既視感(デジャヴュ)を覚えた。あの姿は前にどこかで見たことが……いや、自分がかつて同じことをした記憶がある。そんなことをパトリックが考えているとは露も知らず、アスランは続ける。

「結婚……しようと思っているんだ…………」

 

 パトリックは答えを得た。

そうだ、これはレノアの実家に結婚の報告に行ったとき、彼女の父君に向かって話を切り出したかつての自分の姿だ。彼は若き日の自分と己の息子を重ねあわせ、一人感慨に耽っていた。

しかし、沈黙しているパトリックの様子を見て昨日の正座を思い出したのか、慌ててアスランが続ける。

「あ、あの……これまではあくまで、その、同棲段階にあったというわけで、き、今日正式にプロ……プロポーズをしたというわけです…………」

「……アナスタシアさんはそれを受けたということか」

パトリックはアナスタシアに視線を向ける。突然視線を向けられたアナスタシアは緊張する。

「はい……私はアスランさんのプロポーズを受け入れました」

「それが、君の見つけた幸せなのかね?」

「はい」

静かだが、はっきりとした声でアナスタシアはパトリックの問いに答えた。

「母上のことがあったその日に報告することはあまりいいことではないと、自分でも自覚はあります。でも俺は、今彼女と結婚したいんです」

アスランはパトリックを真っ直ぐ見据える。

「今日、母上とお別れをしてふと、思ったんです。……俺が父上と一緒にいられる時間も、そう長くはないんだって」

「お義父様は、連合国から戦犯に指定されています。遠からず、お義父様は今大戦の戦犯として起訴されることとなるでしょう。そうなれば、もう私達と会うことは不可能になります。……そして、恐らく……」

口を噤むアナスタシアに続いてアスランが口を開く。

「父上はこの大戦の責任を取る形で絞首台に登ることになります。…………元々、俺は情勢が落ち着いたらアナスタシアと正式に籍を入れて、夫婦になるつもりでした。でも、俺が家庭を持っても、俺が築いた家庭を母上に見せることはもう絶対にできないんです。もしかすると、情勢が落ち着くのを待っていれば父上にも俺の家庭を見てもらう前に会えなくなってしまうかもしれない」

だから、とアスランは続ける。

「俺は少しでも長く、俺の築いた家庭を、家族を父上にも見てもらいたい……せめて結婚式、俺の生涯の晴れ舞台だけでも見てほしいんだ。これが、16年間俺を育ててくれた父上にできる最後で、最高の恩返しだから」

 

「……それなら、私は許すだの許さないだのと、とやかく口を出すべきではないな」

そう言うと、パトリックはアナスタシアに頭を下げた。

「アナスタシア、息子を頼んだ」

突然の行動にアナスタシアもアスランも目を丸くする。

「アスランはきっと君と共に生き、共に暮らし、喜びも、悲しみも、苦しみも、全てを君と分け合うことができる。親馬鹿かもしれんが、愛するもののために全てを尽くすことができる男であり、家庭を護る男として一番大切なことをちゃんと理解している誇らしい息子だ」

これまで父の口から聞いたこともない言葉にアスランは驚きを覚えるとともに、羞恥で顔を赤くする。

「これから、私の息子は何度も苦難に喘ぎ、躓いて地に這い蹲ることになるだろう。しかし、君がその都度支えてくれれば、きっと息子は何度でも立ち上がることができるだろう。それだけの勇気と、心の強さが息子にはあると、私は信じている」

アスランも、アナスタシアも、その瞳に涙を浮かべている。アナスタシアは息子をこんなにも真摯に思う善き義父の姿に、アスランはいつも厳格だった父が初めて見せた心からの祝福の言葉と優しい表情に、それぞれ涙を見せずにはいられなかったのだ。

「アスラン、アナスタシア…………幸せになれ」

 

 

 

 

 その翌日、ザラ邸の庭園で静かな結婚式が執り行われた。出席者は新郎の父親だけという寂しい式であったが、新郎新婦は唯一の出席者である新郎の父親と共にとても幸せそうな顔を浮かべていた。




ちなみに衣装はアスランの両親が20年ほど前に使った衣装を拝借、食事は事情を把握した日本側の好意による差し入れです。
……流石に祝いの席であのクソ不味い合成タンパク料理は悲しすぎると灘少尉が気をきかせてくれました

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