上空から見た東京の地は入り組み、俯瞰的に見てもどこがどこへ続いているのかわからない。
数百の転移を経た真は、水溜まりから飛び出した先ですぐさま深月の気配を探り、移動する二つの気配を捉えると、暮れ空へと舞い上がって全速力で追い始めた。真にとって初めての都会だというのに、この事態のせいでなんの感慨も抱けていない。遠目に有名な東京タワーがあっても、今の真は遥か前方を移動する小さな影しか見えていなかった。遠見の魔法を用いてその姿を正確に捉えてみれば、深月を肩にかついで高い建物の屋上を蹴りつけて移動しているのは、白髪の少年だった。――いや、少年と見紛う少女だ。はっきりと主張する胸は遠距離からでも見えて、真はその未知なる少女を殺す事に決めた。――妹を攫った者に慈悲など無い。
なぜ真が最初に彼女を少年と見間違えたのかには理由がある。真はもう覚えていないが、彼女はプリームムに似ているのだ。容姿を幼くして、少しばかり髪を伸ばし、より女性的にすれば、今どこかへ向かっている彼女が完成する。ぐんぐんと距離を縮めて行けば、彼女がピンク色のジャージ……制服に似たものを着用しているのがわかる。良い目印だ。その彼女が一つの超高層ビルへ入り込むのを見て、真は一度建物から離れた広場に下り立った。道半ばにある円状の広場だ。ベンチに座って休憩する人や、忙しなく歩いていくスーツ姿の人などで賑わっている。その誰もが今の真を大きく避けて動いていた。認識阻害とはまた違う、闇の女神たる彼女の技能の一つ。体の横で杖をつき、巨大なビルを見上げた真は、そこからでは頂上までが見えず、首が痛くなるのに顔を戻して、小さく唸った。思案顔であごに手を当てて考える事は、どうやってあのビルに入るか、だった。
未だ怒り心頭でいる真だが、我を忘れる程ではない。彼女の中にある影や闇が真の心を塗り潰し、掻き回し、嘆きや憎しみで満たす事で、なんとか冷静さを保たせていた。これは未来の深月と同じ状態だった。
真がビルに入る方法を悩むのには、もう一つ理由がある。魔法や何かを用いて力づくで突破する事もできるが、そうした場合、瑞希の未来は安定したものになるのか、という不安だ。
ここでやらかせば妹の将来に響く可能性がある。というのも、三原さくらが死亡した今、真は妹と共に暮らす気でいるのだ。そのため、最大限彼女の幸せを作り上げるために努力しようとしている。さくらを殺し、深月を拐かすよう命じた人物は、果たしてどのような人間なのだろうか。ただの父親? 裏社会の人間? はたまた魔法関連の悪人か。いずれにせよどのような魔の手からも妹を守り通す気でいる真ではあるが、それが
なんの危険も不自由もなく、自分で未来を選べる環境。たとえば瑞希が一人で生きていきたいと言ったとして、それが彼女の幸せならば、真は諸々の気持ちを封じ込めて彼女を送り出すだろう。だが過去に真がやらかしたことで彼女に害が及ぶとなると、そうもいかなくなる。一時も目を離さず、ずっと一緒にいなければ気が済まなくなるだろう。そういった心情や何かも加味すると、ここで無策で突っ込んでいく訳にはいかないという思考に至る訳だ。
真の神としての力は強大だ。人の目を欺く能力は並大抵の術者では見破れない。だが紅き翼のメンバー程となると、相手がゼクトであろうと詠春であろうと、真の術が通用しなくなってくる事の方が多いだろう。
それになぜ、あの子を誘拐する必要があったのか。彼女らの父親がさくらを殺した事と繫がりがあるのだろうと予測した真は、しかしそこで考えが行き詰った。ここでもまた、知識や常識の足りなさが壁となって立ち塞がる。
様々な漫画などを通していても、真にとって恋愛や結婚というのは綺麗なイメージしかない。偽装結婚や結婚後のトラブルなど、ほとんど想像もできないのだ。だからさくらが殺された理由もわからない。
これが普通の人間ならば、そこに複雑な事情を見出すのだろうが、真の場合はそうもいかず、少しの間考えを巡らせていた。
しかし結局は、こうしている間にも妹が酷い目に遭っているかもしれないと気持ちを
ビルの入り口、ガラス張りの大きなドアの両脇には、警備員だろうか、黒い重武装の――武装といっても、警棒程度が関の山だ――2人組がびっしりとして立っていた。腰の後ろに両手を回し、少し足を開いて立つ姿は威圧感がある。が、ビルに入る人間は彼らをちらとも見ず、気にしていない様子だった。
かくいう真も彼らなど眼中にない。感じる魔力も気も大した事がないからだ。たとえ隠していても、魂の質から見抜く真相手には無意味だ。よって彼らは常人。気にする必要もないという訳だ。しかし入口向こうの、もう一枚ガラス扉を隔てたロビーの方には、強い力を持った者がいる。かなりの力量だ。このまま正面から入れば、気配を消して隠蔽の術を振り撒いていても、たちまちに見つかってしまうだろう。そうなれば真は戦うしかなく、そうして妹を取り返せば、妹の未来を狭める事になってしまう。
深月を取り返した後にこのビルを地図上から消してしまえば良いのではないか、などという考えは出てこない。殺し救いを繰り返してきた真だが、常識だけでなく良識も失ってはいない。むやみな殺生は避けるくらいの事はするのだ。
どう潜入するべきか。裏口にでも回れば良いのだろうか。少し困りながら建物の周囲をぐるりと一周した真は、面倒になって、妹の気配のする階まで飛んで行ってしまおうかとも考えた。しかしそれは無理な話だ。今、深月はビルの地下にいる。少しずつ移動しているのがわかるから、ずっと地下にいる可能性は低いかもしれない。地下に何があるかをあまり想像できない真にしてみれば、きっとこの後上層階に連れて行かれてしまうのだろうという予測しか立てられなかった。そしてそれは正しかった。数分もせず、深月はあの桃色の少女の気配と共に上層部へと昇って行ったのだ。おそらくエレベーターか何かを使用したのだろう。ずっと上を見上げていた真が顔を戻すと、ちょうど裏口へ入ろうとしている女性を見つけた。これ幸いと暗示をかけて自らの下に歩み寄らせた真は、彼女の身分を確認した。スーパーの袋を手にした私服姿の女性の首には、社員証のようなものが下がっている。給湯勤めのようだ。ちょうど良い、と真は思った。これなら楽に侵入できそうだ。
安直な考えで自分用の社員証を作り出した真は、秀樹へと姿を変え、女性と共に建物内へと侵入を果たした。
室内はカーペットや壁の独特な香りで満たされている。女性は、真を同僚と認識している以外は普段通りのようで、足取りも確かに先へ進んでいた。真はそれにならって進むだけだ。とにかく上への階段を見つけたかったのだが、なかなか事がうまく運ばない。女性が買い物袋を手にしたままロッカールームへ入ってしまったのだ。
「何してるの? 急いで着替えましょう」
「…………」
暗示をかけた時の状態ゆえか、今の真をきっちり女と認識している女性に引っ張り込まれてロッカールームに入った真は、ここの制服を着た方が行動しやすいかと思い、てきとうなロッカーから制服を取り出すことにしたのだが……。
「…………」
『…………』
最奥の一番左端のロッカー。錆びついて古めかしいその中に、真は人の気配を感じていた。魔力や気の質は上々だ。なかなかの使い手のようだが……なぜこんな場所にいるのだろうか。
歩み寄って見てみれば、息を殺すような雰囲気。隠れているのは明らかだった。泥棒か何かの類か……暴いてやる義理はないが、真は女性に再度暗示をかけて先に行かせると、一思いに扉を開いた。
「っ!」
途端、勢い良く中から伸びてきた腕が真の目の前を通った。その後に、つんのめるようにして短い黒髪の少女が出てくる。真の口を封じようとしたようだが、開ける際に扉の影に隠れた真を捉える事は叶わなかったようだ。
「…………!」
「…………」
緊張した面持ちで真を睨みつける少女。その格好に、真はなんとなく見覚えがあった。
分厚いブラウスに、レッドチェックのプリーツスカート。真の喫茶店に時折来る女子高生のような装いだ。だがその面持ちはかなり大人びていて、夕日のような琥珀色の瞳は冷酷な光をたたえていた。
しかし大人という訳ではないようだ。背は真よりも数センチほど小さく、顔や体はまだまだ未熟な幼さを有している。雰囲気だって、なんらかの訓練を受けているのか、意識して抑えているようではあるものの、滲み出る若々しさは隠せていない。総じて、やはり『大人びた』という印象を受ける少女だった。
胸回りには細いベルトが通っており、一本のナイフがホルスターに収まって胸の上に乗っていた。ただの女子高生にはとても見えないが、それでも真が彼女を学生と捉えてしまうのは、薄く施された化粧や首から下げた水晶のペンダントが、少女を背伸びしたい年頃の娘に見せるからだろうか。……いや、単純に、15年前後しか生きていない彼女の魂を感じられる真ゆえの感覚なのだろう。
そろりそろりと太ももへ手を伸ばす少女の動きを目で追いながら、さてどうしようか、と真は考えていた。どうやらこの娘は泥棒ではないようだ。しかし紛れ込んだ一般人という訳でもない。それは今、スカートを捲り上げ、中に隠していた銃器を抜いて真へ突き付けた事からも窺える事だった。これにどう対処するかが悩みどころだ。
黒い自動拳銃を両手で構え、真を睨む少女は、しかし何も言わなかった。紅潮した頬は、長時間ロッカーの中にいたせいか、それとも真からする強者の気配のせいか、それとも先程真を捉えられずに転びそうになった失敗のせいか。いずれにせよ、考えを巡らせる真と何も言わない少女の間には沈黙が下りていた。
真の力量を計ろうとしているのか、引き金に指をかけて威嚇する少女に、しかし真はどうでも良さげに背を向けて、手近なロッカーを開いた。言葉こそないが、それに動揺する少女を放って置いて、大きめの制服を取り出した真は、今の服の上から羽織った。さっと袖に腕を通すと、元々スーツに近いデザインのズボンと合わさって、ここで活動しているであろう社員とほとんど同じ格好になった。これで力を抑えれば実力者を欺けるだろう、一般社員ならば暗示でどうにかなる。完璧な潜入工作員の完成だった。
襟元を正した真は、もうここに用はないと出入り口へ向かって歩き始めた。少女の事は無視する事に決めたのだ。面倒事の臭いを嗅ぎ取ったのかもしれない。
だが、これに困ってしまうのは少女の方だ。隠れていて、それがばれたから威嚇して他に知らせないようにしていたというのに、銃を突き付けられた人間の反応ではない真の行動に呆けてしまったものの、はっと気をとり直すと慌てて後を追った。この部屋から出すまいと手を伸ばしたものの、時すでに遅く、真は外開きの扉を押し開いて廊下へと出てしまっていた。その襟を掴んで部屋の中に引きずり込もうと走り寄る少女だったが、真が扉の向こうへ行ってしまったために失敗して、閉まりつつある扉に腕をぶつける羽目になった。
「~~~~!!」
突き指でもしたのか、片手を押さえて声も無く悶える少女に、真は気にせず階段を探して廊下を行く。遠目に踊り場が見える。恐らくそこから上へ向かえるだろう。ここからが正念場だ。事を荒立てず、必ず妹を取り返す。気合いを入れる真は、しかしすぐに足を止める事になった。それは、真のすぐ後ろにまで迫っていた少女も同じだった。
「ん……? ……む!」
施設内を巡回する警備員だ。外に立つ者よりも重武装の人間で、真を見つけると脇に退こうとし、しかし少女を見つけると鋭い目つきになった。マズ……! 少女が呟く。
「侵入……!」
声を張り上げようとした警備員は、言葉半ばから口をぱくぱくとさせるだけで声を出さなくなった。目を見開いて喉を押さえる様子からは、それがなんらかの要因によってなされた事だと表していた。
真ではない。真の背後の少女が、
床に落ちた男が気を失っているのを確認した少女は、念のためとでも言うように男の腰についている無線機を踏み壊すと、改めて真に向き合った。
「……
クールな見た目通りの凜とした声だ。静かながらも強い意志の乗った言葉に、知らず真は笑みを作っていた。生命力の高い若い個体を見るのは、その反対を見るよりも遥かに気分が良い。それは対象が純粋であればあるほどだ。
身を固くして緩く肩を上下させる少女に、真は何も言わずに先に行こうとした。しかし少女はそれを許さず、ずいと一歩踏み出すと、真の鼻先に銃口を突き付けた。ほんのりとする鉄の香りに、眉一つ動かさない真。それも当然だ。ただの拳銃など普通の魔法使いでも防げるし、対魔法障壁用の貫通術が施された銃弾であろうと、真には通用しない。当たれば怪我はするかもしれないが。
ただ、真はこの少女に思うところがあった。……この子をこのままここに置いて先に行ってしまって大丈夫なのだろうかという心配だった。
対象が瑞希程の子供でもないのに、真がこんな風に気をかけるのは珍しい事だった。特に、さっきの戦闘とも言えない戦闘を見た後なのだから、なおさらの事。
華奢な体つきをしているとはいえ、彼女は魔法使いのようだ。一人でいても大丈夫だろうと思うのだが……しかし、構えられた拳銃を見てしまうと、真は彼女を心配せずにはいられなかった。
この建物内にかなりの実力者が複数いるから? 対魔法使いに効き目の薄い拳銃を持っているから? 人を殺傷する意思を持っていないから?
そのどれでもない。
「! な、なにを」
真が手を持ち上げて銃に触れようとすれば、少女はさっと躱して距離をとった。何も言わず、表情も変えず動く真は不気味な事この上ない。少女が警戒して思わず身を引いてしまうのも無理はなかった。
「……それ」
「え?」
そんな事は気にせず、銃を指差す真。そうされると、少女は怪訝な顔をして真を睨んだ。注意を逸らそうという魂胆だと思われたのだろうか。真には、彼女を害する意思はないというのに。
「外さなくていいの」
「……なんの話」
なんの話とは口にしつつも、そろりと銃に目を向ける少女。
真が言っているのは、ずばり安全装置の事だ。拳銃の知識は深くない真だが、それを外さない限り撃てない事くらいはわかる。最初から外していたなら別だが、少女はスカートの内側、太ももに巻いたベルトからこの自動拳銃を抜け出して今まで、一度もセーフティレバーには触れていない。それだけなら撃つつもりはなく、ただ威嚇のために構えているのだと思えるが、しかし今の問答で彼女がそれを認識していない可能性がぐんと上がってしまった。
「それ」
「……? ……!」
仕方なく、真が安全装置を外していないのではないかと指摘してやると、少女はぎょっとして銃を顔下に引き寄せた。そして、指摘された通りだと知ると静かに赤面しつつ、カチリと安全装置を外した。
しかしできたのはそこまでだ。再び真に銃口を向けようとした少女は、少し考える素振りを見せてから銃を下ろした。なぜ真がわざわざこの事を教えてくれたのかを疑問に思ったのだろう。そのまま「どうして」と問いかけてくる少女に、真はただ肩を竦めるのみに留めた。特に他意はない。そういった意味だったのだが、少女は別の解釈をしたようだ。
「ひょっとして……あなたが今回のサポーター……ですか?」
「……?」
サポーターかと問われても、真にはどういう意味かわからなかったが、表情を動かさなかった事が答えになってしまったらしい。そういう事なら話は早い、と銃をしまった彼女は、銃を向けた事を短く詫びると、自分の胸に手を当てて自己紹介をした。
「シェリー・ルーン。関東魔法協会のエージェントです。あなたが……レディ?」
「……レディは来られなくなった」
関東魔法協会の名は、真も知っている。楽園を探す際、西と東とに大きな組織があるのを確認していた。その片一方が、西洋魔術師の集う関東魔法協会だ。彼女、シェリーはそこから送り込まれて来た者なのだろう。目的はわからずとも、暗示をかけて追い返したり、ここで害す事は得策ではないと判断した真は、彼女の話に乗る事にした。すなわち、自分こそが彼女のサポーターなのだと名乗ったのだ。本物のサポーターが今どこで何をしているのか、当然真は知らない。だからこその『来られなくなった』。もし本物が後から来ても、情報の行き違いだと言い訳できる。そうでなくともそんな些細な事は記憶を操作すれば解決する。
「詳しい話は、こいつを隠してからにしましょう」
肩越しに親指で警備員を指すシェリーに、真は鷹揚に頷いた。
◆
ロッカールームに戻り、その一つ、あまり人が使わなさそうな場所に警備員を押し込んだシェリーは、さて、と真に向き直ると、今回の作戦のおさらいをし始めた。
大手ネット通販企業、サンコーポレーションの実態は、ここら一帯を影から支配する組織犯罪集団『
「なぜレディは来なかったのでしょう……」
当然の疑問に、しかし真は答えを持ち合わせていなかったので、てきとうにはぐらかした。
それから、つい数十分前の出来事をシェリーに話した。
「銀髪の少女が飛行機を落とし、三原さくらという女を殺害した。同時にその娘、三原瑞希を別の少女が攫っている。ワタシの目的は三原瑞希の奪還」
「飛行機を……わかりました。今回の目的を『三原瑞希の奪還』に設定します。その理由を突き止める事も必要ですね。……三原?」
「その名に何か覚えが?」
「……三原というのは、この会社の社長の名前だったかと。たしか、三原
その男だ。
真は、三原正玄こそが彼女らの父であり、殺害と誘拐を命じた男、
それに、正玄とドーンが同一人物とは限らない。端末から目を離してそう言うシェリーに、真は納得して頷いた。情報が足りない。まずはそれを集めるしかない。だが真が優先すべきなのは妹を取り戻す事だ。それさえできればこの場所には用がなくなるのだが……。嫌な予感が、真の胸の中にあった。
飛行機を落としてまでさくらを殺した理由はわからないが、魔法を悪用する彼らが膨大な魔力を持つ『瑞希』を攫った理由には、なんとなく予想がつく。その魔力を何かに使おうと考えているのだろう。
それだけなら瑞希の命に大きく関わる事態が起こる確率は低いだろう。だがもし、ドーンという男が人身売買に手を染めていたら……そうでなくとも少女性愛者であったら……。数々の不安が真の中で巻き起こっては増大していく。
とにかく一刻も早く助けに行きたい。気持ちをそのままに出入り口へ向かおうとした真に、ああ、とシェリーが声をかけた。
「資料によると三原瑞希ではなく三原深月のようです。お間違えなく」
「……瑞希?」
「深月です。み・つ・き」
「……どうでもいい。さっさと行こう」
「そ、そうですか。でも待ってください。まだあなたのネームを聞いていません」
ネーム? と首を傾げる真に、コードネームです、と傍に寄ったシェリーが重ねて言う。マコトでいいよ、と真は投げやりに言った。
「ではマコト、まずこの施設にあるという地下に向かいましょう。なんらかの資料を得られればそこから彼らのしようとしている事がわかるはずです」
「地下に? 彼らは上にいるようだけど」
「わかるのですか? ……それでも、です。ドーンという男が魔法に関わり始めたのは最近らしいですが、様々なマジックアイテムを集めていて、自在に操ると聞きます。迂闊に近付くのは危険です」
危険などない。そう言おうとして、真はその自身の力への信頼がさくらの死と、みすみす深月を奪われてしまう事態を引き起こしたのだと思い直した。それに、真がどのような術であろうと捩じ伏せる事ができたとして、その時に妹に被害が及ばない保証はないし、もし盾にでもされたら真はどうしようもなくなるだろう。普通の人間と言うならば、暗示が効くかもしれないが……普通ではないあの桃色の少女や他の実力者がいた場合、絶対安全という訳にはいかなくなる。
なんとももどかしく、鬱陶しい展開だった。いっそ杖の一振りでこの建物を塵にしてしまえれば、どんなに楽だろう。その誘惑にとらわれて足を止める真を、シェリーは不思議そうに見上げていた。
「…………誰か来る」
「え?」
そんな時だった。
ロッカールームの近くにあるエレベータを使用して、人間が下りてくる気配が真にははっきりと掴めていた。ただの人間ではない。魔力や気は常人より少し上くらいだが、異様な雰囲気を複数身に纏っていた。
廊下へ出たその気配が真っ直ぐロッカールームへ向かってくるのに、真とシェリーは出入り口の両脇にぴったり張り付き、息を殺してその人物の登場を待った。
だが、そいつはロッカールームには入って来ず、出入り口の前を通り過ぎてしまった。それでようやく裏口へ向かっているのだろうと予測した真は、念話でシェリーにその事を伝えた。
『お待ちください』
シェリーが返答しようとした時、ちょうど出入り口の真ん前に唐突に気配が現れた。ゲートを使用した転移。気配の主は、あの桃色の制服の少女だった。
もう一つの気配が立ち止まり、振り返る。
『
『ロセウム……あの子の世話を命じたはずだが』
『申し訳ございません。しかしながら主様。お一人で外に出るのは危険だと進言させて頂きます。それにあの子は、未だ目を覚ましていないので……』
『問題ない。ロセウム、この下層階には普通の人間も出入りする。ここでは正玄と呼べ』
『はっ、ショーゲン様。……それで、どちらに』
三原正玄。
早々に登場したボスに、真とシェリーは顔を見合わせた。彼が深月を攫ったので間違いなく、さらには少女らの上に立っているのも間違いない。正玄こそがドーンだと判断するには十分な会話だった。
些か早急過ぎる真の思考の流れに待ったをかける人間はいない。彼らが外に行くのであれば、それを待って深月を取り戻し、転移で住処に戻れば良い。真は息を殺して、二人が去るのを待った。
『なに、六花の帰りが遅いのでな。またあのたい焼き屋にでもいるのだろう。俺自ら迎えに行ってやろうという訳だ』
『…………。恐れながらショーゲン様。
『……何?』
『三原さくらの殺害には成功したようですが、その後に現れた
『まさか! ……そうか。六花が死んだか……』
惜しい奴を亡くした。そう心底口惜しそうに言った正玄は、次になぜ報告しなかったとロセウムと呼ばれた少女を問い詰めた。
それは、と言葉を詰まらせる少女。叱責への恐怖と何かへの不満が乗った声だった。
『……いや、よい。それが本当なら、もう外に出る必要はないな……。ロセウム、あの子をカエルレウムに移せ』
『……! いよいよ終わらせるのですか、世界を』
『いいや、始まらせるのだよ、世界を』
息を呑んだシェリーが、信じられないものを聞いたという様子で壁に身を寄せた。
何かを目論んでいるとはわかっていたが、その目的はどうやら小さい物ではなさそうだ。予想が正しいのなら、若輩のシェリーの手に負えない事態であった。
真は、名前は出ていないが、自分の妹が訳のわからない事に使われようとしているのに、怒りを堪えるので精いっぱいだった。
『だが、そのシチュエーションはまだだ。一時間以内に邪魔な奴らを全員帰らせる。その間にお前達もカエルレウムへ入る準備をしておけ』
『はい……! ついに、ついに私と主様が一つになる時が来たのですね……!』
『……俺はウィオラーケウムを調整している。誰の邪魔も入れるな』
『承知いたしました……!』
それで話は終わったのか、正玄の気配は裏口とは反対へと歩み始めた。エレベータに乗り込むと、上へと昇って行く。ウィオラーケウムとは上階にあるものなのだろうか。カエルレウムとは何か。謎を残して会話は終わってしまった。その上、二人共が施設内に残ってしまった。これでは深月を連れ帰るだけ、というのは難しいだろう。それに、もし奪還に成功しても彼らの言葉を深刻に捉えるなら、それだけでは深月の未来は約束されない。彼らの目論見を阻止し、その上で深月を連れ戻す必要がある。
「ん……」
「なっ!?」
びりっと走る魔力の波動に、真が壁から身を離すと、鋭く尖った魔力の槍が壁から生えた。魔法障壁で受け止めた真と違い、遅れて飛び
顔を歪めたシェリーが着地してすぐ傷口を押さえ、あれ? と不思議そうにするのと、独りでに開いた扉から少女が入って来るのはほとんど同時だった。
「やはり、鼠が紛れ込んでいましたか……」
「くっ!」
後ろ腰で手を組んで悠々と歩む彼女へ、片膝をたてたシェリーが銃を引き抜いて構えた。魔力の流れから、それが彼女の魔法発動媒体でもあるのが窺える。杖や指輪でないのは珍しいが、ない事もない。グリップを握る手に添えられたもう片方の手には、胸元から引き抜かれたコンバットナイフが逆手に握られている。
「私は桃き命のロセウム。
室内中央、並んだロッカーの前まで行って振り返った少女が、構えないまま告げる。
「あなた方を消去します」
抑揚のない声が途切れた瞬間、彼女の背後から水と光の波が溢れ出した。
戦闘は避けられない。仕方なしに、真は迫る水の壁に手を向けるのだった。