なりきり妖夢一直線!   作:月日星夜(木端妖精)

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第六十八話 VS千の呪文の男

 

 ぶつかり合う二つの力。

 神と人の力。

 暴風と明滅する魔力の光の中、真とナギはもう何度目か、ぶつかり合った。

 

「ぐ、くっそぉおお!!」

「…………」

 

 お互いが風を引き連れて杖や腕を打ち合わせるのは、鬼神兵同士が全力でぶつかり合うかのような被害を周囲に振りまいていた。異様な光景だが、優劣はわかりやすく、はっきりしていた。

 始終ナギが押されている。緩やかに振られた一振りは全力の拳でなければ打ち返せず、放たれる神力は何倍もの魔力でなければ撃ち合う事すらかなわない。

 百戦錬磨の英雄といえど所詮は人間。神である真に敵うはずがなかった。

 今もまた、真の振るった杖を潜り抜けて殴り掛かったナギが、膝に迎えられて吹き飛んだところだ。一度地面にぶつかって跳ねると、魔力を爆発させて真へと突っ込んでゆく。何度も繰り返されている光景。

 強大な力を制御しているために、一つ一つの動作が遅い真の攻撃を掻い潜り、拳や蹴りの連打で魔法障壁をバリバリと砕いて肉薄するナギ。それだけでも異常だった。神力によって張られた壁は、一枚一枚が最大級の魔法をぶつけてもビクともしないはずなのだが、それが嘘のように容易く引き裂き、砕き、邁進するナギ。

 それでも真には届かない。そして、真がこの力に慣れ始めた時が、ナギの終わりの時だ。

 今を無かった事にしようとする真は、容赦なく神力による攻撃を繰り返す。当たればただではすまない。だというのにそうするのは、今を失くしたくないという強い気持ちの表れだった。

 ナギを倒せば、今までして来た悪い事も、その悪い事を見られてしまったのも無かった事になる。

 ……そんな筈がないのはわかっている。わかっていて、でも、もうどうしようもなかった。

 長髪を揺蕩わせ、傷一つない黒いドレスを翻し、優雅に舞う真に対し、ナギはすでにボロボロだ。荒い息を噛みしめ、口の端から流れる血をそのままに、獣のように吠えて真に殴り掛かる。

 それをただ視線を送るだけで弾き飛ばす真の姿は、まさしく神と言える強大さだった。

 ザァッと両足で地面を削って勢いを殺し、ついた杖に体重をかけて肩を上下させるナギ。満身創痍に近い。だが眼光は鋭く、ゆっくりと宙から下りてくる真を睨みつけていた。

 

「ま、まいった……ぐ、む、無敵の俺様が、ぼ、ボロッボロじゃねえか……!」

「当たり前だ。お前でもこの俺には勝てない。神の力を持つこの俺に」

 

 まるで重さを感じさせない足取りで歩み寄って来る真を、待て、とナギが制止した。降参するつもりか。足を止める真に対して、ナギは真剣な面持ちで問いかけた。

 

「あの白髪の女の子は……いや、あの子らをどうして作ってんだ?」

「…………」

「それだけ、聞かせてくれ」

 

 息を整え、背を伸ばして立ったナギに、真は僅かに顔を背けて、考えを巡らせた。

 話しても話さなくても、こうして戦っている以上、どちらかが死ぬまで終わらない事に変わりはない。

 だから、理由を話しても意味はない。

 ……話しても同じなら、胸の中の大きな気持ちを吐き出してしまっても良いのではないか。

 一瞬よぎった馬鹿な考えに緩く頭を振った真は、仕方なしにといった風に、妖夢を作り出す理由を話した。

 

「俺の希望だからだ」

「希望……?」

「そうだ。あの子達を作り出す事は、俺の、俺にとっての……」

 

 具体的ではない説明に、しかしナギは納得したように笑みを浮かべた。

 なるほどなぁ、と口元を拭い、構える。

 

「のっぴきらない事情ってやつか。しゃーねーなあ、お前もよ」

「……ゆるして、く」

「許すわけねーだろ。どんな事情にせよ、お前のやってる事は絶対許せねえ」

「…………」

 

 笑みを消し、再び怒りの表情を浮かべたナギに、真は口の端を噛んだ。後悔の滲んだ顔だ。

 だが、その後悔はしてはいけないものだ。今までを否定するのは、妹を否定するのと同じ。沈痛な面持ちながらも、真は杖を掲げ、呪文を唱え始めた。ヴィタ・エト・モース・エトレイジ……。不思議に響く声は、ナギの聞いた事のない始動キーだった。綺麗な声に思わず動きを止めてしまっていたナギは、はっとして始動キーを唱え、魔力を練り始めた。

 

「来れ、浄化の炎、燃え盛る大剣。ほとばしれよソドムを焼きし――」

「契約により我に従え、高殿の王! 来れ、巨神を滅ぼす――!!」

 

 高等呪文の撃ち合い。

 だがその詠唱は、真の方が短い。新米といえど神であり、闇を統べる王たる存在ゆえに、契約を介さず高位の精霊を使役する真は、ナギよりも早く呪文を完成させ、放った。遅れてナギが放った千の雷を食らい尽くし、一帯を爆炎で包む。あふれた熱気は空間を揺らし、街の残骸だったこの場所は、いよいよもって荒野に変貌しようとしていた。

 

「ぐぅっ!」

 

 膨れ上がった黒煙の中から、ナギが飛び出した。千の雷を放った直後、撃ち負けると予感したナギは、魔力の全てを防御に回して回避行動をとったのだ。しかしそれでも、余波を躱す事はできず、そしてそれだけで甚大なダメージを負っていた。

 着地してすぐ、左へ瞬動を行う。一秒せず、ナギがいた場所を細い光線が通って行った。神力による簡易光線だ。だが見た目と裏腹に、何重もの障壁を貫く威力を持っている。これもまた、ナギにとって当たる訳にはいかない攻撃の一つだった。

 光線に巻かれた煙が晴れていけば、悠然と歩む真の姿。どれ程の魔法を放とうと尽きる事のない魔力と、ナギにとって未知なる力である神力。死者の魂を身に纏い、妖しい輝きを持つ杖を手にした真は、恐怖を引き連れて歩いているように見えた。

 知らず、ナギの体が震える。恐怖の根源を呼び覚ます神の力に恐れをなしたか……。

 違う。

 ナギはまだ、治まらない怒りに震えていたのだ。

 気に食わない。

 自分達に隠れてこそこそと悪事を働いていた真が。

 それに気付けなかった自分が。

 何より――。

 

「う、おっ!」

 

 真が手を持ち上げ、ナギに向けると、たちまちナギの体の中で魔力が膨れ上がった。爆発する! そう錯覚するほど急速に、体中の個々の細胞に宿る魔力が一斉に暴走状態に突入する。燃え上がる体に苦悶の表情でもがくナギは、しかし。

 

「オオオッ!!」

「!」

 

 炎が膨張する。噴出するオーラのように揺蕩い、紅い光となってナギの体に纏わった。

 ナギは、一瞬で暴走した魔力を制御してみせたのだ。そして、高まり切った魔力をそのままの状態でモノにした。歯を噛みしめ、荒れ狂う力と怒りに顔を歪めるナギに、今の真が初めて動揺を見せ、一歩後退った。力が通用しないなど、思ってもいなかったのだ。

 

「気に食わねーんだよ」

 

 ザリ、と地面を削り、歩き出すナギ。

 黒い杖を胸に抱き、瞳を揺らす真には、もう先程までの異様な恐怖はない。妖しい気配も濃密な力も残っているものの、ナギという一人の男に心を揺らす少女に戻ってしまっていた。

 それもそのはずだ。真の超然とした態度は、現実逃避に近い、ただの逃げだったのだから。

 

「またそんな顔しやがって……死にたいって顔してるぜ、アンタ」

「う……」

 

 言われて、思わず顔に触れてしまう真。

 今の真は、最初にナギと会ったあの頃と同じだった。今を失い、絶望して、漠然とした死を待つ……。

 気に入らねぇ。

 ナギが、吐き捨てるように言った。

 何より気に食わないのは、真がそんな顔をしている事だった。

 

「笑顔はどうしたんだよ、笑顔は」

「な……なに、言ってるんだ……わ、笑えるわけ」

「ない、か。だよなあ。でもよ、それじゃ嫌だぜ、俺は」

 

 なあ、笑えよ。

 そう言われても、真は戸惑うばかりで少しも笑えなかった。ナギがまだ怖い顔をしているのも理由の一つだった。

 数歩ほどまで距離を詰めたナギは、真の目を見据えて、にっと笑った。直前まであった怒りを感じさせない、いつも通りの不敵な笑み。

 

「色々抱えてんだろ? マコト。でも話したくない、話さないときた。だったらあれだ。もう拳で語る以外ないだろ?」

「……俺に敵うと思ってるのか」

「さぁな。やってみなくちゃわかんねーだろ、そんなもん」

 

 ぐっと腕に力を込めるナギに、慌てて真が杖を前に出して構えた。拳で語る。それは、また戦い合うと言う事。先程までの何も感じないような状態が解けてしまった真は、抵抗感を持ちながらも、今を脱するために力を振るわなければならなかった。

 勝てる訳がないのに。現に、一度たりともナギの拳は真に届いていない。魔法も同じだ。障壁を砕き、焼き尽くすのみで、真は最初と変わらない綺麗な姿のまま。魔力の残滓は闇に食われ、ナギの力は通用しないまま今になっている。

 暴走した魔力を操り、紅い光を身に纏っている今のナギでも同じ事だ。

 たとえ障壁を越え、真に拳が達したとして、それでやっとスタート地点だ。勢いを殺された拳や蹴り、ましてや障壁と影に力を奪われる魔法では何日かかっても真は倒せないし、接近戦を挑むにしても、耐性の無い人間は傍にいるだけで精神を削られる闇の衣が、長期戦を許さない。

 その中でナギがとった戦法は……いや、もはや、戦法とはいえないものだった。

 

「さあ、来いよ。口で駄目っつーんなら、その力で俺に伝えてみろよ」

「な……」

 

 杖を投げ捨てたナギが、構えも取らずそう言うと、何を言っているのか理解できなかった真が身を揺らして、なにを、とか細く呟いた。

 

「何って、お前の全部に決まってんだろ? 受け止めてやる。お前の気持ち、全部」

「……そんなの、無理に決まって……」

「いいからやれって! じゃなきゃ俺はお前を許さねぇ。それが嫌なら、全部ぶちまけろよ!」

「ぶ……!?」

 

 俺は避けねえぜ。

 腕を広げて受け入れる姿勢を見せるナギに、神の力をぶつければナギがただではすまない、と躊躇っていた真は、一度強く杖を握ると、歯を食いしばって怒りを燃え上がらせた。

 無責任な事を。なんにも知らないで。こんな気持ち、受け止められるはずがないのに!

 

「ぶちまけられる訳……ないだろうがーっ!!」

「!」

 

 腕を振るって杖を投げ捨て、高く跳び上がった真は、天に突き上げた手の先に一瞬の内に神力を注ぎ込み、巨大な光弾を作り出した。

 風を巻き起こし、スパークを散らす白い光。それが、真の体から流れ出る闇の力によって瞬く間に深い黒へと塗り潰されていく。

 

「これでも……!」

「ああ、避けねーよ! 俺様は一度言った事は撤回しねえぜ!」

 

 杖もなしに浮遊し、それを支える真が、やめるのは今しかないと頭のどこかで囁く声に躊躇しようとすると、お構いなしにナギが叫んで返した。

 だったらもう止まらない。死んでも知らない。ナギが死んだら俺も死ぬ。

 そう思って、目をつぶって力の全てを注ぎ込んでいく。

 数秒もせず、黒い光弾が出来上がった。

 

「避けるなよ……お前が避けたら、この星はおしまいだ。俺もお前も、あの女も、みんなも、全部死ぬ!」

「なめんじゃねーぜ。今さらんなもんに、び、びびるかよ」

 

 口角を吊り上げながらも、ナギは汗だくで震え上がっていた。怯えか、それとも緊張や疲れか。

 太ももを叩いて気合いを入れたナギは、改めて光球を見上げ、やべーな、と呟いた。

 さっきの言葉通り、今さらナギに前言を撤回する気はさらさらないが、しかしあの光弾をまともに受ければ、体の一片も残る気がしなかった。

 これ程の危機はさすがに初めてだ。それが仲間によってもたらされる事になろうとは……。

 そう考えると、ナギはもう心底怒って、これから毎日俺の好きなもん作らせてやると心に決めた。

 

「だったら受け止めて死んでくれ! ナギ!!」

「この俺が死ぬかぁあああ!!」

 

 ついに、光の玉が放たれた。

 ごう、と引き込まれるような風が最初に会って、次には地面や何かがぱらぱらと持ち上がり、そして、最後に……ナギの体を飲み込んだ。

 直後に起こった爆発は、放った真にさえ衝撃を伝え、弾き飛ばす程の威力を秘めていた。

 

「はっ、はっ、ふ……」

 

 ここまで大量の力を使ったのは初めてだった。底の見え始めた魔力と神力に、真は荒い息を呑み込んで、地上に下りた。

 飛来した杖を手に取り、ナギの立っていた場所を見やる。

 半球状に地面が抉れていた。その範囲は100メートルではきかない。底は深く、暗くて下までが見えない。

 ナギを殺した。自分の手で。

 少しずつ、綿に水が染みこんでいくようにじわじわと認識し始めた真は、閉じられない目を穴に向けたまま僅かに首を振って、それから、杖から光の玉を飛ばした。穴に落ちていく光が中を照らし出し、様子を知らせる。

 ……ナギはいない。消えてしまったのだ。

 穴に歩み寄ろうとする半ばでそれを知ってしまった真は、足を止めてうつむいた。

 後悔や何かは遠い。今は何も考えられず、頭の中が真っ白になっていた。

 

「……!」

 

 と……。

 穴の淵に手がかかり、のろのろとナギが這い上がって来た。腕に始まって頬や破けた服のどこかしらに火傷や傷を負っているのもも、五体満足だった。

 

「う、そ……」

「嘘に、見えるか? ざ、残念だったな、生きてらあ」

 

 しんどそうに立ち上がり、ぐわんと空を仰ぎ見たナギがその勢いのまま穴に落ちそうになって、おっとと、と持ち直すのを、真は呆然として見ていた。

 

「だ、だって、全力でやったのに……」

「んだよ……そんな死んで欲しかったのかよ」

「ち、ちが……! ……そういう訳じゃ、ない、けど」

 

 回復たのむー、と何気なく言われて、ナギの方に杖を傾けて無意識に治療魔法をかけ始めた真は、少しするとはっとなって杖を引き戻した。ナギが生きている。つまりはまだ、勝負はついてない。

 そう思って構えた真を半眼で見るナギ。どうやら呆れているようだった。

 

「おいおい、お前の全力を受け止めてやった俺様に、なんか言う事があるんじゃねーの?」

「ない……! 話す事なんて、なんにも!」

 

 言える事など何もなかった。

 酷く痛めつけて、悪い事をして、それでいて好きだなんて。

 言える訳がなかった。ぶちまけられる訳がなかった。

 だというのに、ナギは笑って、

 

「ま、そうなるよなぁ。でもよ、これでちょっとはすっきりしたろ?」

「…………」

「睨むなよ。あー、あれだ。お前のやってる事は許せねえけど、挽回できない訳でもないだろ?」

 

 悪い事したんなら、その分良い事しろよ。その力でくだらない戦争終わらせようぜ。

 そう笑いかけられて、手を差し出されても、真は躊躇った。

 そんな簡単な話ではない。そして、これはやめられる事ではない。妹との思い出を甦らせる事は……大切な、事で……。

 

「マコトはさ」

「……?」

「笑ってる顔がかわいいんだよ」

「……は? ……え、なに……?」

 

 いきなり自分の笑顔を褒められて、真は聞き間違いかと目を白黒させた。

 それでちゃんと思い返してみれば、彼が先程口にしたのは「笑ってる方が良いんだよ」という言葉だった事に気付いて、顔を赤くさせた。どれ程褒められたい願望を持っていたのだろうか。そう思うと、恥ずかしくてたまらなくなった。

 勝手に聞き間違えて、勝手にもじもじやっている真を不思議そうに見たナギは、焦げて固くなってしまった衣服を鬱陶しそうに撫でながら、だから、と続ける。

 

「笑えねーっつーんなら、また俺が笑わせてやるよ。だからほら、あー……行くぞ」

「……!」

 

 最後の最後で良い言葉が思いつかなかったのか、適当な感じでしめて、ほれ、と手を差し出すナギに、真は、頬を朱に染めたまま、躊躇いがちに手をとった。

 

「ん? どうした?」

「…………」

 

 いや。

 とろうとして、誰かの手に止められた。

 半透明の腕の先は、赤い着物で覆われている。さらりと流れる黒髪が真の肩にかかると、彼女の背に覆いかぶさるようにして、女性が現れた。

 だがそれは、真にもナギにも見えていない。

 

 

もどるひつようはないわ。

 

 

 肩に手を置き、耳に口を寄せて息を吹きかけるように囁く女性に、真は、今自分が戻っても問題は何も解決しない事に思い至った。

 ナギの手をとっても、アリカ王女がいなくなる訳でもなければ、恋する気持ちが叶う訳でもない。むしろ、妹との思い出を作り出す事が出来なくなって……それでもいいかな、なんて考えを、真はすぐに打ち消した。

 だって、それはいけない事だ。過去の何もかもを否定するのは、瑞希が死んで良かったと言うのと同じ事で……。

 だから真は、ナギの手を振り払った。

 

「なっ、おい!」

「っ……!」

 

 ばっと距離をとると、きつく睨みつけて、手に持つ杖を振り回す。

 そうして近付かれないようにしてナギから離れた真は、自分に手を伸ばすナギに一瞬泣き顔を浮かべ……。

 だけど、彼女の背後で囁く女性に、そんな感情を振り払った。

 逃げないと。

 逃げないと、全部終わってしまう……!

 そんな強迫観念が、ナギをもう一度攻撃するという選択を真にとらせた。

 腕を突き出し、手の平の先に神力を注ぎ込んで溜める真に、ナギも、彼女が何をしようとしているのかに気付いて、気合いの声と共に再び紅い光を纏った。

 

「こんの……!」

「ずあっ!」

 

 光線が放たれる。今日数度放たれたような細い物ではなく、ナギをまるまる飲み込めてしまう大きさだった。迫る光を目前に、腰だめに構えた拳を固めたナギが、地面を砕いて前へ跳ぶ。

 

「大馬鹿野郎がーっ!!」

 

 振った拳は光を切り裂き、光線へ放つ真へと届き、その左頬を捉えた。

 振り抜いた時には、倒れて地面を転がっていく真の姿があった。

 砂埃を巻き上げる中で止まった真は、地面に腕をついて身を起こすと、信じられないとでも言うように紅く腫れた頬に触れた。びりっとした痛みと、口の中に広がる血の味が、殴られたという事実を示していた。

 杖をついて身を起こせば、怒りの形相のナギが迫る。

 捕まれば終わりだった。

 

「おい、マコ――」

「っ!」

 

 カシャン! と地を突く杖の音。

 闇に包まれた真が姿を消すと、腕を伸ばして捕まえようとしていたナギだけが残った。

 慌てて追跡しようにも、今のは影による転移や他の何かではなく、魔法の行使は残留する嫌な気配に打ち消されてしまった。

 

「……くそっ、なんだってんだよ」

 

 悔しげに顔を歪めても、もう、真は戻って来なかった。


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