なりきり妖夢一直線!   作:月日星夜(木端妖精)

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第六十七話 叶わぬ恋

 いつからだろう。

 ナギに対して、特別な感情を持ち始めたのは。

 

 拠点内。

 用意された一人部屋で、真はベッドに寝そべり、枕を抱いてぼうっと考え事をしていた。

 思い出してみれば、それは最初からだったような気がする。

 失敗続きで失意に濡れ、色褪せた毎日を過ごす真の下に現れた男。

 名も知らぬ男達を薙ぎ倒したナギは、ずっと輝いて見えていた。

 それが魔力の残滓によるものだったなど、すでに真の頭には無い。きっと最初からそういう風に格好良かったから、こんな訳のわからない気持ちを持て余す羽目になってるんだ、と意味のわからない責任転嫁をしていた。

 ナギのせいだ。ナギのせいで。ナギの奴が。

 ぽい、と放った枕をボスボスと殴りつけ、最後は抱くようにキャッチして天井を見上げた真は、緩く息を吐くと、ふとして、唇に指を当てて這わせた。

 

「…………」

 

 ……。

 柔らかかったな、などと先日の事に思いを馳せる真は、まるきり恋する少女そのものだった。

 なぜ、元々が男の真が、こんなにもあっさりとナギを好きになってしまっているのか。

 それは、人の心は複雑だ、という一言で表せられる。

 (ほぐ)して言えば、前世での人との関係や愛情を失って失意に暮れる真に、ぐいぐい来るナギは空いた心の隙間を埋めるにはちょうど良く、そしてそれが離れたともなれば、意識せずにはいられない。そういった、複雑とは言えども単純な経緯だった。

 もう一つ理由がある。

 前世、真は女性ばかりに囲まれて過ごしていた。長時間を共にすれば、さすがに真も自身の男としての性質を幾度となく感じさせられてしまっていた。

 それと同じで、今度は男ばかりに囲まれて、真は何度も女としての自分を感じさせられていた。それは例えば、かつての一人旅の中で何度もあった貞操の危機や、無防備に肌を晒す危険等、経験からくる感覚だった。

 それでちょうど精神が女の方に寄っていた時期に、心を奪われてしまったという訳だ。

 これが前世の男の時のままだったら、ナギに惚れるなどあり得ない話だったのだが……。

 恋というのはいつどんなタイミングで姿を現すかわからないものだ。

 

 

 変だよ、おかしいよ、なんなんだこの気持ち、というか、あの時の行動の方がおかしい……あわわわ。

 枕を抱きしめてごろごろ転がったり、ぶつぶつ言っては恥ずかしさに自分の頭を小突いてみたりと、一人悶々とする真。

 と、そこへ来客があった。

 二度のノックの音に跳ね起きた真は、瞬時にそれがナギだと思った。

 気配を探った訳でもなく、声がした訳でもない。だというのにそう断定した理由は、言うまでもなくそうであって欲しかったからだ。

 好きは会いたい。会って話したい。単純な心の推移。

 どうぞ、と言いかけて、真ははっとして胸元に流れる髪を手に取った。今は、髪を解いている。それだけで誰かに女だとばれてしまうとは思えないが、扉を開ける以上は縛っておいた方が良い。

 でも、別にナギだけが相手なら、もう自分が女だと知っているから、縛る必要ないかも……。

 意識せず女としての自分をナギにアピールしようとしてる真の姿は、きっと正気の真が見ればすぐさま消してしまうだろう恥ずかしさがあった。同じ年頃の娘が見れば、きっと顔を覆いながらも「あるよねー」と同意してくれるような行為ではあるのだが……。

 手櫛でさっさかさっさか髪を梳きつつ自分に都合の良い方に考えた真は、いそいそとベッドから降りて部屋の中央付近に立つと、今度こそどうぞと声をかけた。

 

「よっす」

「や、やあ。どうしたん……どうしたんだ、それ」

 

 願望通り、ドアを開けて顔を覗かせたのはナギだった。だが、その顔には真っ赤な手形が張り付いていて、非常に痛そうだった。最近よく見かけるものだ。もう慣れっこなのか、ナギは普段と変わらない表情をしている。

 

「これか? これはだなあ」

「邪魔するぞ」

 

 頬の手形を指差して説明しようとしたナギが、ギィと扉が開かれるのにこけそうになった。そんな彼の横を通り抜けて入って来たのは、アリカ王女だった。

 真はたちまちしかめっ面になって、この闖入者を睨みつけた。不敬な態度だが、これが紅き翼における真の普段の顔なので、アリカ王女は何も言わずに真の前へ歩むと、体ごとナギへ向けて、早く来いと急かした。真が髪を解いている事には、なんの疑問も抱いていないようだった。

 

(……それも、そうか)

 

 それもそうかとは、アリカ王女の事だ。

 ナギが来た。それはつまり、アリカ王女の意向で、と言う事。

 彼が自分の意思で自室へ来てくれたのではないと知った真の不機嫌度は鰻上りで、不機嫌オーラまで発し始めたので、アリカ王女は表情を変えないながらも、許可が下りる前に部屋に入った事を短く詫びた。

 

「気にしません。それで、俺になんの用です」

「うむ。そなたに聞きたい事があって来た。その前に……ナギ」

「へーへー」

 

 ナギ。

 そう呼びかける声に、真は強く握り締めた拳を体の後ろに隠した。

 特になんの感情もこもっていないだろう声に、しかし真は親しみだとか、二人にしかわからない何かがあると感じて、不愉快だった。それが事実その通りだとしてもそうでないとしても関係ない。そう感じる事が嫌で、知らず真はアリカ王女から目を逸らし、ナギだけを見た。アリカ王女の横に並んで立ったナギは、頭の後ろで両手を組んで面倒そうにしていた。

 

「あー、なんつーの? すまんかった?」

「……何が?」

「知らん」

「……そう。わかった」

 

 適当な感じで謝るナギに、理由がわからないながらも受け入れる真。そんな二人をじっと見ていたアリカ王女は、ほんの少しだけ首を傾げて、これで解決か? と呟いた。アリカ王女がナギに謝まるよう仕向けたのは自明だった。

 ここ数日真がこもっている理由がナギだと知ったアリカ王女は、それが気にかかったのでナギに聞き、適当に返されて、少しの問答を挟んで頬を打ち、上に立つ者なら下の者を気にかけるのが責務ではないのかと叱責した。いや、んな堅苦しい間柄じゃねーし、と愚痴るナギを引っ張って、こうしてやって来たという訳だ。

 そこら辺を特に説明もされなかった真は、しかしナギに謝られるという出来事に心が浮わついて、先程までの怒りや不愉快さは見る影もなくなって、表情を柔らかくした。

 そうだ。自分とナギは仮契約をした間柄だ。無様に嫉妬する必要はない。余裕を持とう……なんて明確に考えた訳ではないが、それに似た優越感や何かは浮かんできて、真は笑みすら浮かべてアリカ王女の用とは何かを聞いた。

 

(ぬし)が所属していた組織に――」

 

 それは、あの白髪の青年、プリームムの事についてであった。

 戦争を裏で操る組織、完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)。その主犯格に浮かび上がった青年の情報を真が持っていると知ったアリカ王女は、すぐに聞きに来たという訳だ。土のアーウェルンクス、プリームム。真に親しげにしていた彼の事を、たしかに真は知っている。だが、真が彼と共にいた事は当然、当時の紅き翼の全員が知っている事だ。

 だが、これまで真はそれについて深く聞かれなかった。みんながみんな、真の秘密主義を容認しているのだ。話したがらない事を無理に聞いて、この地味に役に立つ男が敵に回りでもしたら色々と不便だと判断した。主に炊事洗濯家事全般。真がいるだけで家はこんなに綺麗になって、ご飯は美味いし風呂は熱い。甲斐甲斐しくそれぞれの身の回りの世話をする真がいなくなったとしたら、紅き翼は壊滅の危機に瀕するだろう。だったら黙って全力で調査した方が効率が良い。それを知らず直接聞きに来てしまったアリカ王女に、ナギが何か言いかけたものの、真は特に嫌な顔などはせず、組織にいた時の事を話した。

 名前や扱う呪文の傾向がわかっても、詳しい経歴はわからない。要約するとそれだけだったが、これも重要な情報だ。

 しかし、話はそれだけに終わらない。

 戦場に現れる白髪の少女。紅き翼も、たびたび戦地で刀を振るう幼い子供と交戦する事があった。

 何も語らない個体と、必死に何かを探し求めて駆けずり回る個体。

 白髪という共通点から、それも完全なる世界、その重要人物であるプリームムに関係があるのではないかと推察されていたが、真の話では真相はわからなかった。

 

 話を聞き終え、感謝の意を示すアリカ王女に、しかし真は少しの間ナギを見ていた。すぐに、慌てて返答したが、不審がられてしまった。

 先日、真にとってあんなにも葛藤し心揺らした出来事があったのに、ナギはけろっとしていて、平常運転だ。それが少し気に食わなかったのだ。

 

 話が終わり、二人は出ていくかと思われたのだが、アリカ王女は再度話を最初に戻した。ナギが原因で引きこもっていた真、その理由が寂しいからだと聞いた。誰に、と真が聞けば、名前は言わなかったものの、ラカンだとわかる特徴をあげるアリカ王女。

 真を気にしたアリカ王女の近くに偶然ラカンがいて、ワケを話したのだが……その際、やけに面白がっていたのはなぜだったのだろうか。あいにくとラカンに興味のないアリカ王女には、その理由はわからなかった。

 

「寂しいと言うなら一緒にいてやれば良かろう。私は、今日はここにいる。遠慮せず行って来るが良い」

「んだそれ、聞いてねーぞ」

「…………」

 

 色々と考える事があって部屋にこもっていた事が、まさか寂しがって拗ねているなどと認識されていた事に微妙な表情になる真。

 一方的に予定を押し付けたアリカ王女は、ナギの文句など聞こえていないように部屋を出て行ってしまった。

 

「んだあれ。訳わかんねー」

「……ナギ」

「お? どした」

「……秘密、守ってくれてるよね」

 

 真は、アリカ王女の計らいに違和感を持った。なぜ、自分が寂しがっていると知ると、ナギを置いて行ったのか。ひょっとして、自分の性別を見抜いていたのか、それともナギが口を滑らせたか……。

 

「あれくらいはな」

「そう。……そっか」

 

 しかしナギは、秘密を守ってると言う。つまりアリカ王女は、真の性別を正しく認識して、その上でナギと一日行動して良いと言ったという事……?

 だとしたら、なんという余裕だろう。たった一日では、真には何もできないと踏んでいるのだろうか。あの女は、一日真とナギが二人で行動したとしても、自分の優位は崩れないと思っているのだろうか。

 などと被害妄想全開でアリカ王女の出て行った扉を睨む真だったが、真相は単に、ナギがリーダーなのだからメンバーのケアをしろと状況を整えただけだ。アリカ王女は、そもそも真の性別を知る知らない以前に、真に対してさほど興味を持ってない。認識としては雑用係……良い言い方をして使用人みたいな位置づけだった。

 

「しゃーねえな、姫さんのわがままも。仕方ねえ、今日はマコトに付き合ってやるよ」

「……わがままなのか、あれ」

 

 ナギがへの字口でアリカ王女の行動を評するのに突っ込みつつ、二人になった途端本名で呼んでくれたナギにどきっとしてしまう真。

 思わず胸に手を当ててしまったが、ナギにそういう気配りはできないだろう事に思い至ると、たぶん、真と言う名前と秀樹と言う名前を使い分ける機会がないくらい、二人が話す機会がないだけだと判断した。

 さて、一日ナギフリー権を手に入れてしまった真だったが、いざナギを前にしてしまうと、羞恥と葛藤に襲われてまともにものを考えられなくなってしまった。

 男だから、男相手にこんな感情を持つのはおかしい。そもそも相手は年下だ。というかこれは恋や何かではない。じゃあなんだろうこれ。なんかの病気かな。病気なんだろうな。

 その内に混乱し始めた真は、見かねたナギにベッドに座らされて、どうどう、と落ち着かされた。

 膝に手を置いて俯く真の横に、ベッドを軋ませて座るナギ。距離は遠くなく、しかし近くもない。それは、ナギが真に対して特別な感情を抱いていない事を表していた。

 考えて、考えて、考えて。

 足をぶらつかせて暇を持て余しているナギの横で、今の自分と自分の感情について考えを巡らせていた真は、いったんすべて投げ捨ててしまう事にして、昔に妹に接していたように、近しい年下を扱うようにと心がけて、ナギにこう提案した。

 

「買い物とか……付き合ってくれる?」

 

 結局、浮かんだのはそれぐらいだった。

 買い物なんて言っても、女らしさが欠片も無い、食料の調達や衣服などの生活用品の買い出しになるだろう。真にはそれが限界だった。

 今夜の夕食の決定権を得たナギは、顔を輝かせて承諾した。

 

「女ってのはみんな買い物が好きなもんなのかね」

「……どうだろう。知ってる限りじゃ、あんまり買い物とかしなかったみたいだけど」

「ふーん。お、肉屋あんじゃん。今日肉にしようぜ。肉尽くし」

「駄目だよ、バランスが悪くなる。成長期なんだから、もっと野菜とか……というか、昨日も肉料理だったよね」

「毎日肉食えたら死んでもいいぜ、俺」

「大袈裟だな……」

 

 そんな風に、嬉しいハプニングも仲が進展するような出来事も無く、ただ買い物だけをして拠点に戻った二人だったが、真は大分満足して、その日はいっそう張り切って料理に取り組んだ。

 その際、全員の要望で結局肉料理をメインに作る事になったのは、当然と言えば当然の話。

 

 

 胸の中にあふれる暖かな気持ち。

 笑顔が見たい。傍にいたい。笑いかけられたい。触れ合いたい。褒めて欲しい。たくさんお話ししたい。

 そういったたくさんの「したいこと」があって、そのどれもが紛れもなく恋慕の情から来ているのはわかっていて。

 気持ち悪い。

 だって、男なのに。

 たしかに、この世界で目覚めた時、すでにこの体は女性のものになっていた。

 でも魂は違う。記憶も、男のままだ。

 だというのに、同性であるナギに惚れている。惚れて、しまっている……。

 

 太陽のような男。

 苛烈な魅力は抗いがたく、身を任せればどこまでも連れて行ってくれそうな熱があって、事実、今も引っ張ってくれている。

 

 ……『男』を捨てるのは嫌だけど。

 ……でも、奪われるのは……ナギになら、奪われても……。

 男だった何もかもをぜんぶぶち壊して、情愛でめちゃくちゃに塗り潰して、女にして欲しい。……そんな醜い欲求が、時折顔を出す。

 どうしていいかわからない。自分ではどうしようもなく沈められない熱。

 お腹の底が溶けるような、痛みはないのに、苦しくないのに、痛くて苦しいような感覚。

 そんな感情を隠そうと、男だった自分の時より男らしく振る舞おうとするたび、ナギはそんな稚拙な行いを飛び越えて、心に直接感情をぶつけてくる。

 だからどんなに取り繕っても駄目。

 がんがん心が揺さぶられてしまう。

 愛して欲しい。

 どんな風に、なんて、もう何度想像を巡らせたのだろう。

 あってはならないのに。

 男を相手に、そんな……気持ち悪いのに。

 ナギだってやだろう。こんな男女の相手なんて。

 

 

 紅き翼が完全なる世界の罠に嵌まり、反逆者として連合を追われる身となったのは、それから一月も経たない内の出来事だった。

 大小問わず街や村を避け、辺境を転々としつつ戦いを続ける日々。その中にアリカ王女の姿はない。反逆者となった際、彼女は捕らわれの身となってしまったのだ。

 それを秘かに喜んだのは真だけで、他のメンバーは一刻も早く彼女を救出するために居場所を突き止め、夜の迷宮へと飛び込んだ。逃亡者になってから翌年の事だった。

 同時に救出したヘラス帝国の第三皇女、テオドラと共に、再び新生紅き翼となる。

 その際、日の出と共にナギがその杖と翼をアリカ王女に託したのは、後の世紀にも語り継がれる有名な場面だ。その端で、暗い目をした女がいた事は、誰も知らない。

 

 

 嫉妬だった。

 王女と騎士だなんて、あまりにも映える組み合わせは、真にはとてもではないが果たせない役割。

 日を追うごと、時間が進むごとにナギの想いはアリカ王女へ向かい、アリカ王女もナギに特別な感情を抱き始めていて。

 そうなるともう、真に勝ち目はなかった。

 そもそも舞台が違うのだ。真は元々男で、アリカ王女は生粋の女。女性としての魅力など語るまでもなくアリカ王女が上だ。容姿も、女性らしさも、真とアリカ王女では天と地ほどの差がある。

 意識もそうだった。

 真には絶対に捨てられない過去があるために、踏み出し切れない一歩がある。だが、そんな最初の一歩は、アリカ王女の場合簡単に踏み出せてしまう。そこに葛藤や何かはあるだろうが、真とアリカ王女では重さが違った。

 

 どうしようもない。

 何もかも、どうしようもなかった。

 膨れ上がる想いは止められず、だけどどこにも吐き出せなくて。

 戦争の影に隠れて、真は初めて目的なく少女を妖夢に変えた。……それをたまたま、ナギに見られた。

 たまたま、などという言い方はおかしいかもしれない。これからという時期にふらりとどこかへ行った彼女を、誰も追わない訳がないのだから。

 その中でナギが来た事にも、アリカ王女の影があった。

 経緯はこうだ。世界全てを敵に回して戦おうという時なのだから、いつも自分を睨む男・ヒデキを気にかけたアリカ王女が、不和があってはならない、言葉を交わそう、とナギに探しに行かせたのが始まりだった。

 大戦に現れる憐れな少女達を作り出していたのは誰か、が露見した時、英雄と女神の戦いが始まる。

 深夜の出来事だった。

 

 

「へっ、こんなとこに大物がいやがったぜ!」

「――……!」

 

 それは真が、魔法生物に蹂躙された後の村に降り立ち、かつて作り出した二人の妖夢が戦い合い殺し合うのを見届けた後に、ぽつんと一人でいた少女を見つけて、負の感情をぶつけるようにその命と魂を操ってしまった時の事だった。

 閃光が真を襲い、すぐ後に一人の男が飛び込んで来たのだ。

 長い木の杖に、黒い上下と大きなローブ。いつもと変わりない姿で、しかしいつもと違って敵意をぶつけてくるナギに、閃光を払った真は酷く動揺した。

 この姿は……この行為は、誰にも知られてはいけなかった。紅き翼の誰にも……。特にナギには、知られたくなかった。

 

「ナ、ギ……」

「あー? 光栄だな、死神さんよ。あんたにまで名前を知られて……?」

 

 思わず零してしまった名に、はっとして口を押えた真だったが、その動作がまずかった。気配の質や闇を纏う今の真と普段の真は、決定的に何かが違っていて、さしものナギでもわからないはずだったのに。

 口元を手で押さえ、目を見開いて自分を見る紅目の魔法使いに、ナギもすぐに気付いてしまった。無垢な命を弄んでいたのが、自分の仲間だという事に。

 

「マコト……てめぇマコト! 自分が何してんのかわかってんのか!!」

「ぁ、あ――」

 

 強い口調で問い詰められ、足早に近付かれて、真は頭の中がぐちゃぐちゃになった。

 見られてしまった。見られてはいけないものを。怒られてる。怒って欲しくない人に。もう戻れない。決定的に、壊れてしまったから……。

 

「っ!!」

「なっ!?」

 

 感情の爆発に合わせ、黒い杖を振り切った真の前に、連続して爆発が巻き起きる。その範囲内にいたナギは、まさか攻撃をしかけてくるとは思っていなかったのか、直撃を受けて吹き飛んだ。

 

「あ……」

 

 ナギを攻撃してしまった事に呆けた声を出す真。彼女にはもう、自分でも何がなんだかわからなかった。

 足は震えて、体も震えて、涙さえ流れ落ちそうで、ただ、拒絶されたくない一心でナギへと杖を向けていた。

 無かった事に……全部、無かった事に……!

 真の纏う闇の衣から影が噴き出した。怨嗟の声を撒き散らす、今までに集めてきた死した人々の魂。その無念は、真でもナギでもなく、世界に向けられていた。

 濃密な神の力があふれ出る。この世界にはない未知なる力。

 だがわかりやすく言うならば……それは造物主(ライフメイカー)ど同質のプレッシャーを周囲に撒き散らす。あのラカンですら勝てないと思わせる力。

 

「――! ……そうかよ。やるってんなら、相手するぜ」

「はっ、はっ、ぃ、や……!」

 

 だが、その強大な神力を操る真は弱々しく後退ろうとして、反対にナギは、額に汗を滲ませながらも、一歩前に踏み出した。脱ぎ捨てられた煤けたローブが風に舞い上げられ、瓦礫の向こうに落ちていく。

 成長した女神の真は、この世界に並ぶ者のない力を持っている。実戦を繰り返して得たそれに隙は無く、ゆえに最強……そのはずなのだ。

 

「行くぜっ!!」

「……!」

 

 纏わりつく粘質な恐怖を気合いの声で弾いたナギが、杖を片手に地を蹴った。

 真はもう、頭を振りながらも杖を構えて、応戦するしかなかった。

 

「っらぁ!」

「くっ、う!」

 

 雷を纏った拳が影を突き抜け、真の杖に押し返される。影を通しても魔法が消えていない。それ程の魔力が込められている。杖を握る手が痺れると、拳から伝わって来たナギの怒りに、真は恐ろしくなって、杖で自らを庇いながら左手を突き出した。

 二撃目を繰り出そうとしていたナギは、真の放った不可視の魔力に吹き飛ばされ、しかし空中で体勢を整えると危なげなく着地し、ぶんと杖を振った。

 

「てめぇには聞きてぇ事が山ほどあるぜ! なあマコト!!」

 

 パワーが足りない。怯えてしまって、最高の力を出せない真は、このまま押し切られた先に何が待っているのかを考えるのも怖くて、恐怖に押されるまま空へ杖を掲げた。

 そうすると、迸る神力が暗い空へと打ち上げられ、瞬く間に膨れ上がった。

 昼のように周囲を照らす巨大な球状の光。半透明の薄い膜の中で爆発と圧縮を繰り返す力は、見る間に大きさを増していく。

 落とせばここら一帯が焦土と化すだろう光弾に、ナギは怒りに任せて呪文を唱え始めた。戦争中に何度も使用し、真に教えられて完全に覚えた千の雷の呪文。

 

「あああっ!」

「百重千重と重なりて――!!」

 

 だが、呪文の完成間際、地面に叩きつけるように杖を振り下ろした真によって、太陽が落ちてきた。そう錯覚するほどの光がナギの視界を塗り潰す。もはや的を定める時間はない。前方へ向けて体ごと腕を振り下ろし、完成した魔法を放つ。

 無音だった。

 一瞬眩い白があって、それが収まると、何も変わらない地上に、闇と光を纏う真が立っていた。

 そこにもう、怯えや恐怖はない。増幅させた力を体に取り込んだ真は、紅く輝く瞳でナギを見据えて、カシャンと杖を鳴らして地面をついた。

 

「うおっ!」

 

 広がる衝撃波に飛ばされないよう堪えるナギへ、ふわりと浮いた真が迫る。バチリと体の表面で弾ける青白い光は、人の畏れる神の力だ。ナギといえど、一瞬でも怯まずにはいられない。

 ようやく体にかかっていた圧力が解けた時には、ナギの前に真が下り立っていた。

 

「俺がこの姿になってしまった以上、お前はもう終わりだ」

「……へっ、なんだよ。急に強気になったじゃねーか」

 

 囁くような声量にも関わらず、はっきりと耳に届く声。

 聞きたい事が多いと言ったナギだが、その大半は今の真の姿を見て理解した。

 その異質さが秘密の多さの所以(ゆえん)か。だが解せないのは、自分達と共に戦う真が、なぜ白髪の少女を作り出すのか。

 浮くように移動した真が距離をとると、ナギの体中にどっと汗が吹き出した。今の彼女の傍にいる事は、それだけで精神を摩擦させる。だが止まる訳にはいかない。強く握った拳をそのままに、再度杖を振ったナギは、真っ向から真を睨み返した。

 

「いいぜ……とことん付き合ってやるよ!」

 

 ひしひしと感じる力の差など存在しないかのように叫ぶナギ。

 真は、表情も無く、ただカシャンと杖を鳴らした。


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