なりきり妖夢一直線!   作:月日星夜(木端妖精)

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TS系特有の男に恋するアレ。
俗に言う精神的BL。
ちょろい真姉さん。


第六十六話 命長くも恋せよ乙女

 

 ナギに引っ張られて、彼らの旅路に同行する事になった真。

 だが数ヶ月もしない内に、真はもう、この一団から抜けたいと何度も思うようになっていた。

 まずナギが鬱陶しい。次にナギが鬱陶しい。最後にナギが鬱陶しい。

 色々と悪い方向に変わってしまったとはいえ、それでも温厚な真が「うっとうしい!」と怒鳴りつけたくなるほど、彼は四六時中真に付き纏った。

 付き纏う、という言い方は正しくないかもしれない。なにせ戦場を飛び回るために移動する一団だ。早々メンバーが離れる事も無く、新入りである真はよくよく話しかけられた。

 野営時に張ったテントを掃除している時も、生成した水を用いて全員の衣服を洗っている時も、詠春に変わって食事を作っている時も、寝れずに一人星を見上げて感傷に浸っている時も、果ては水浴びをして身を清めている時さえ、ナギは「何やってんだ?」「何してんだ」「おーい」「なあ」「おい見ろよ」「そういや」「そうだ」と何かにつけて真に話しかけてくる。

 真はもう、うんざりだった。どのタイミングでこの一団を抜けるべきか真剣に悩むくらいにはうんざりしていた。

 何も考えずぼーっとしていれば「何考えてんだ」と横に来て、一人で寝たいからとテントの外に行こうとすれば「それよかなんか話せ」と引っ張り込まれ。

 自分のペースを乱され続けるのは、相当なストレスだった。

 そのストレスは各地の戦場を廻る際にある程度発散できてしまうから、未だ爆発せずにこうしてついていけているのだが……。

 それでも真は、そろそろ我慢の限界だった。

 自分が漠然と抱いていたナギの印象と、積極的に自分に踏み入って来ようとするナギの印象が合わない事もあって、いつしか真は無表情ではなくしかめっ面をするようになっていた。

 

 だいたい、なぜこいつは俺が水浴びをしているのを見ても、まだ男だと認識しているのだろう。

 そんな風に些細な事に憤って、ナギだから、でなんとか自分を落ち着かせる日々。

 大きく、ではないが、男四人の中に入って行って、いつ自分の性別がばれるだろうかと不安を抱いていた真は、誰もこれっぽちも気付く気配がないのに馬鹿馬鹿しくなって、最近はばれて追い出されないかな、なんて妄想までし始めた。

 女として生きてきて16年とちょっと。さすがに女としての自覚はでてきているが、それでも男の部分が多い。だから真は、たとえ裸を見られようが大して恥ずかしくないのだが、それで気付かれないのにはなんとなく納得いかなかった。

 なぜ気付かないんだろう。やはり男として振る舞っているから? そんなに完璧な振る舞いなのだろうか。前世とほとんど変わらない容姿だから、どんなに頑張っても女としても見られると思うのだけど……。

 ひょっとして気付いてる? それとも、そこまで自分に興味がない?

 うんうんと考える真は、いつの間にか『集団の中にいる自分』を受け入れ始めていた。ずっと一人でやってきた真だ。組織に身を置いていた時も、強いのに延々勉強ばかりをし続ける真は不思議な地位にあって、まともに言葉を交わすのはプリームムくらいのものだった。

 だから、こうして何人にも囲まれて親しげに話しかけられたりするのは、久しぶりの事だったのだ。

 真自身は気付いていないが、人に気をかけられ、心地良く思っている部分もあった。

 そうして旅を続ける内、いつの間にか名も無き集団は紅き翼と名を変えていて、リーダーであるナギは目覚ましい速度で成長を続けていた。……背の話だ。少年だったナギは、真が最初に会った頃より大人びて、真は、子供の成長は早いものだ、と、いつか考えた事と同じ言葉を頭に浮かべていた。

 

 

「なんだこりゃ。これも和食ってやつか?」

 

 ある日の夜。

 真が作った真緒直伝の中華系料理を囲んで食事をする中、いつものようにナギに話しかけられた真は、違うよ、と適当に説明しつつ、ふと、なぜナギはいつも俺を構うのか、と聞いた。

 八宝菜に似た魔法世界特有の野菜を箸でつまんで顔の前に持ち上げていたナギは、真が二言目を発した事を珍しく思って、その顔に視線を送った。

 

「そりゃあお前、いっつもネクラな顔してっからだろ。この世に絶望してますって顔だ」

 

 それが気にくわねーんだよ、と言われて、真は目を瞬かせた。

 箸を振りつつ、ナギは語る。

 最初に会った時もそうだった。

 ナギと戦ってる時も、真はまるで自分が倒される事を望んでいるかのようだった。真と撃ち合いながらもなんとなくそれを感じていたナギは、どうにか真の表情を変えられないか挑発したりしていたのだが、良い結果は得られなかった。

 おまけに最後の一撃は、わざわざ障壁を解いて生身で受けたのだから、ナギは真以上に苛ついて、絶対別の顔させてやる、と息巻いた。

 それで毎度毎度話しかけてきたわけか。

 たまに言葉を返してやると、より勢いを増して言葉を重ねてきていたナギの姿を思い出しつつ、真は納得して頷いた。

 

「で、どーだ? 俺達と一緒に来て、良かったって思ってるか?」

「思ってない」

「即答!?」

 

 どういう流れか、そんな事を聞かれたので、真は今の自分の気持ちを正直に話した。

 掃除はしないしだらしないし、ちゃんと体を綺麗にしないし、寝相は悪いし強引だし、ご飯は単純なものばっかりだし。

 ぶつぶつと文句を言う真に、ナギ達は顔を見合わせて珍しがった。

 不満たらたらだな、とナギが言えば、当たり前だ、と真。

 言葉をかければしっかりと返って来るのがそれ程珍しいのか、ナギは目を丸くして真の顔をまじまじと見た。

 

「……何?」

「んー、いや、なんでもねーよ」

 

 「こっちみんな」の意思を込めて睨む真に、ナギはへらへら笑いつつ食事を再開した。話してる間はものを口に入れてはいけない、を守っている真は、やっとご飯を食べられる、と箸を握り直して、荒い陶器製の皿を持ち上げた……ところで、再びナギに話しかけられて、露骨に顔をしかめた。

 

「俺はヒデキが一緒に来てくれて良かったと思ってるけどな」

「……え?」

 

 何の気なしに、といった風なナギの言葉は、だからこそ本音だとわかってしまって、真は動揺した。

 だって、まともに相手してないのに。かなり愛想が悪いはずなのに。

 自分の手に目を落とす真に、ナギは「そんな不思議がるもんか?」と首を傾げつつ言った。

 何も言わずともこっちに合わせて戦ってくれるし、指示にはきっちり従うし、人助けにだって積極的だ。これで仲間にしなけりゃ良かったなんて思う訳ねーぜ。

 ……それは、かなり好意的な解釈だった。

 たしかに真は彼らと共に戦った。一応の仲間だからだ。仲間なら指示に従うのは当然で、彼らの行動指針や思想を元に動くのもまた当然の話。それに、真がしてきたのは人助けだけではない。ナギ達の見ていないところで、死した人や今にも息絶えそうで助からない人を妖夢に変える事もしばしばあった。

 どちらかと言えば、未だに真は悪だ。それを自覚しつつも、やめようとせずに正義に加担する。意味のわからないもの……それが真だった。

 

「それにヒデキの作る飯はうめーしな。詠春のとは大違いだぜ」

「おいナギ、それがいつも人に炊事を押し付けてた奴の言う事か」

「今はほとんどヒデキがやってるだろー」

「というかだな、俺だってまともな料理は作れないんだ。俺がやってるのは武者修行だからな。花嫁修業じゃない」

 

 ナギの話に自分の名前が出ると、詠春は納得いかないとばかりに抗議した。

 剣に生きる詠春は、それなりに炊事の経験もあるが本格的な事はもちろんできない。詠春でなくとも、普通はそんなものだろう。和漢洋なんでもござれの真の方がおかしいのだ。

 ちなみに真が旧世界の料理が作れるのは、そこの出身だった母親に教わった事になっている。

 

「お師匠より魔法教えるの上手いし」

「……それは聞き捨てならんのう」

 

 わりかし失礼な事を言うナギに、今度はゼクトが手を止めてナギを半目で見た。

 教えるなんて言っても、真がナギに魔法を教えたのは、彼があんちょこを見つつ呪文を唱えているのを見かねた時の一回のみだ。ちょうど基礎を勉強していた真の知識と、魔法学校を中退していたナギの知識量が合致したのがそう思わせた原因だろう。

 

「アルみてーに表情変わんねえのに笑わねえし」

「おや? 私はそんなにいつも笑っているつもりはないのですが」

 

 最後にアルビレオが箸を止めてナギに問いかけた。ちなみに今も常と変わらない笑みを浮かべている。

 この胡散臭い笑みが、真は少し苦手だった。

 というか、このメンバーの中で真が苦手ではない人間はいなかった。

 ゼクトは見た目が子供ゆえ、妹の事を思い出してしまって話すのも難しいし、詠春は日本から来たため、その地に幻想郷がないというような情報が出てこないか怖くて話せず、アルビレオは怪しくてナギは鬱陶しい。

 あれ、なんで俺ここにいるんだろ、と自分の現状に内心首を傾げる真に、ああ、と三人が納得した。

 

「つまりナギは、秀樹の笑顔が見たいと」

「は?」

「ふむ、だから日頃からあれほどちょっかいをかけておったのじゃな」

「お?」

「なるほど、つまりナギは男色家、と。意外な事実ですね」

「あー?」

 

 先程のナギの言葉に対する意趣返しか、ここぞとばかりに変なナギ像を打ち立てようとする三人に、慌ててナギが否定した。

 いや、否定しようとして、「笑顔が見たい」はある意味事実で、「男色家」は有名無実な話なので、完全に否定する事もできず話はややこしくなっていた。

 食事中だというのに騒がしくする面々の言葉に、やっぱり女と気付いてなかったんだな、と思うと同時、真は無意識に頬を擦った。

 笑顔が見たいとは、なんというか、ストレートな好意だった。

 

 

 放浪の傭兵剣士、ジャック・ラカン

 幾度かの襲撃を経て彼を仲間に迎えた紅き翼は、一つの街に寄って一時の休息とした。

 というのも、戦争は膠着し、押すも引くもない状態が続いていたので、一度体勢を立て直して加勢しようという事になったのだ。

 新たな仲間、ラカンの事もある。ナギは彼と仮契約を結ぼうと言うのだ。戦いを通して随分と仲良くなったらしい。真としては、筋肉男のラカンは苦手だったのでそこら辺の話は聞き流していたのだが、そういやお前とはしてないな、というナギの言葉に思わずナギを見た。

 お前とは? ……つまり、ラカンを除いて他の三人とは仮契約を交わしているのか?

 真は、目の前に立つ少年と他の男達が仮契約(接吻)するのを想像して口元を押さえた。この想像は精神衛生上良くない。即座に頭の中から映像を追っ払った真に、ナギはこう提案した。

 

「ちょうど良い。仮契約(パクティオー)しようぜ」

「……正気?」

「なんで!?」

 

 ナギとしては、詠春アルビレオラカンときて、じゃあ次はヒデキだな、という軽い気持ちだったのだが、真にとってはそうではなかった。

 まさか男に仮契約……キスを提案されるとは思わなかったのだ。

 慌てて腕を振って拒否しようとした真は、ナギがなんの気負いもなさそうなのに、自分が間違っているのかと一瞬悩み、そして、一度ぐっと身を固くすると、ナギの顔を見つめながら考えた。

 ナギは文句なしの美少年だ。真の方が2つ3つ年上とはいえ、肉体年齢でいえばもはや真とナギは同じくらいだったし、成長期の伸びを見せるナギの背は、もうそろ真に並ぼうとしていた。

 幼くも精悍な顔立ちは赤毛と共に強く印象に残るし、上下黒の服は鍛えられた体を窺わせる。お洒落か何かか、首にかけたネックレスは嫌味なしに似合っている。

 格好良くて強い男。そんな奴にキスしようと言われて、真は男として嫌悪を覚えるべきなのか、女として喜ぶべきなのか割と本気で悩んだ。変なところで真面目な女である。

 その時は結局仮契約の話を蹴った真だったが、翌日に仮契約が完了したぜと笑い合うナギとラカンを見て、『ナギは男色家』という単語が頭の中をぐるぐると回り続けていた。

 

 

 1987年。

 勢いを増した紅き翼は、グレート=ブリッジ奪還作戦に参加し、多大に貢献した。ナギが14歳、真が17歳の時の話だった。

 その一件で紅き翼はたちまち名を広げ、一躍有名になった。千の呪文の男という大層な呼び名に、しかしナギは当然といった顔をしていた。ガトウという男とその弟子、タカミチを加えた新生紅き翼は新たな局面を迎えていた。もちろん真も例外ではない。ただ、その方向性は戦争や戦闘とはかけ離れたものだった。

 

 その日真達は本国首都に呼び寄せられ、元老議員の者に協力者を紹介された。それが、ウェスペルタティアの王女、アリカだった。

 浮世離れした美女の登場に、真の周辺事情は大きく変わった。

 まず、ナギが真に話しかける事が少なくなった。というのも、アリカ姫の護衛のために、真にちょっかいをかける暇が無くなってしまったためだ。

 実質的な強さのためか、それとも他の要因か、アリカ王女がナギを指定して行動を共にする以上、真に何を言う権限もないのだが……。

 面白くない、と真は感じていた。

 今までしつこいくらいに構ってきていたナギが、今は王女にべったりだ。笑顔が見たいとはなんだったのか。王女様も無表情だから、そっちに鞍替えしたのか。

 よくわからないむしゃくしゃした気持ちに、しかし真は何もできずにいた。

 頭脳労働担当も戦闘担当もこなせる真は、時折調査の為にナギの下から離れなければならなかった。

 ……そう、『ならなかった』、なのだ。

 真は自分の心の変化に気付いていなかった。まさか、以前危惧していた事がその身に本当に起ころうとしているとは、夢にも思っていなかった。

 

 気に食わない女。

 それが、真がアリカ王女に抱いている印象だ。

 こいつがいる限り、いつものようにナギが話しかけてくる事は無い。

 真はそれが寂しかった。本人は自覚していないが、心の方は正直で、真はいつも遠巻きにアリカ王女を睨んでいた。自分を構わないナギにはさらにきつめの視線を送っていた。

 これに首を傾げたのはナギだ。最近の真がなぜか不機嫌な理由がわからない。他の面々に聞いてみれば、ひょっとして寂しがっているのでは、なんていう答えが返って来て、まさか、と笑い飛ばした。

 ナギとて自分の言動を真が迷惑がっているのはわかっているのだ。わかっていてやるのがナギという男なのだが……それが無くなった事で真が寂しく思っているなど、馬鹿な話だと思った。

 話しかけても二言返事をすれば良い方で、普段はたった一言で会話を切ろうとするし、ナギが寄って行くたびに嫌そうにするのだ。その真が寂しいなんて感情を抱くだろうか。

 

「ふーん。暇だし、俺が聞いて来てやろうか?」

「お? あー、頼むぜ。俺は姫さんの付き合いで忙しいからな」

 

 なんて会話の後に真を探しに出たラカンだったが、あいにくアリカ王女に嫉妬光線を送るのに忙しい真は不在で、徒労に終わった。これを機会に親睦を深めようと酒まで用意していたのに肩透かしをくらったラカンは、ナギ達が帰って来る頃には全力でだらけていた。めんどくせー、と気の抜けた台詞付きである。休暇中の話だった。

 

 

「ナギ」

「ん? ヒデキか。珍しいな、そっちから話しかけてくんのは」

 

 拠点の廊下を歩いていたナギは、壁に背を預けて立っていた真に呼びかけられて足を止めた。

 

「…………」

「ん? どした? なんか用があんだろ?」

 

 何やら襟元に指を引っ掻けたり、他所に目を向けたり、少し体の位置をずらしたりするばかりで、一向に何かを言おうともしない真に、ナギは後ろ頭を掻きながら問いかけた。その真が、くいくい、と襟にかけた指を動かすのに、なんだなんだと目で追う。

 今日の真は、いつもと変わりないスーツ姿だ。一つ縛りにした髪は綺麗好きな彼を表すように黒くさらさらで、手入れが行き届いているのがわかる。

 何かを示すように一定の動作を繰り返す真を上から下まで眺めたナギは、そういやこいつ髪アルに似てんな、と関係ない事に思考を走らせていた。

 ぽへーっとしているナギに痺れを切らしたのか、真は一つ息を吐くと、ナギの腕を取って歩き出した。ナギは、真の強引な動きに目を丸くして、「おいおいどうした?」と声をかけつつ、引かれるままに歩くも、返事はない。

 

「ナギ」

「はいはい、なんスかー」

 

 出入り口付近に来てやっと止まった真は、改まったように襟元を正すと、ナギに目を合わせた。見上げたり見下ろしたりはない、お互い真正面からだ。この頃になると、ナギの身長はそろそろ真の背を追い越しそうになっていた。

 

「その……今日は、予定ないんだよね」

「そースけど」

 

 少し躊躇いがちに、真。

 珍しく真から話しかけているというのに、ナギの反応は淡泊だ。ここ連日の王女の護衛で疲れているのか、それとも単に真が指をつっつき合わせてもじもじやっているのを不審に思っているのだろうか。

 

「戦争……大変だね」

「あん? そりゃ大変な事だろ。……なあヒデキ、言いたい事があるなら言えよ」

 

 いやに遠回しに話をしようとする真に、ナギは面倒そうにしながら促した。何やらまた疲れるような事が起こりそうな予感があったのだ。

 

「か……」

「か?」

「か、かり……や、やっぱりなんでもない!」

 

 なんとか絞り出したように何かを言おうとした真は、しかしいざナギを前にすると、自分の言おうとしている事が常識外に恥ずかしいと気付いたのか、言葉を打ち切ってナギに背を向け、逃げ出してしまった。階段を駆け上って行く真の後姿を見送ったナギは、ぽりぽりと頭を掻きつつ、その奇行の理由に考えを巡らせた。

 

「ほいほいほいっとー」

「や、やめ、ちょ」

「お?」

 

 しかし、理由を考えつく前に、階段の方からぴょんと真が飛び下りて来た。床に足をつけると、キッと階段の方を睨んで抗議しようとして、下りて来たラカンに背を叩かれ、大きくよろめいた。

 

「なんか俺の方に逃げて来たんでよ、捕まえといた」

「……放せ」

「ヤだね。俺様の誘いを蹴った罪は重い」

「なんの話だよ……」

 

 がっちり頭を掴まれて、その手を引き剥がそうともがいた真は、それが叶わないと見ると、ラカンを睨み上げて今度こそ抗議した。一蹴されたが。

 

「どっか行くのか?」

「なんか食いにでも、と思ってたとこだ。そこでそいつに呼び止められたんだが……」

 

 だから強引な奴は嫌いなんだ、と零す真を無視して会話する二人。そいつに、とナギが指差すと、ラカンは大袈裟な動きで真の顔を覗き込んだ。

 

「ようヒデキ。ナギになんの用だ?」

「……なんでお前に言わなくちゃいけない」

「そうかそうか、おいナギ! ちょっとこいつ借りてくぞ!」

「え、な」

 

 そっぽを向いた真に思う所があったのか、肩に手を回して拘束したラカンが聞くと、いや、俺に聞かれてもな、とナギ。いいんじゃないのと続けられて困ってしまったのは真だ。

 せっかく今日はガトウ達とアリカ王女が出ていてナギがフリーだというのに、こいつに連れてかれたら目的が果たせない。それは困る。というか、筋肉男と一緒にいるのは嫌だ!

 

「~~~っ!!」

「うおっとぉ!?」

 

 それだけはなるものかと全力で魔力を練ってラカンを突き飛ばし、拘束から抜け出した真はさっとナギに駆け寄って腕をとると、そのまま扉を蹴り開けて外に飛び出した。後に残ったのは、壁にめり込んだラカンだけだった。

 

 

 拠点を出てからおよそ1時間と26分。とある施設の一室に、ナギと真は二人きりで座っていた。繋がれた手に、寄せ合った体。何も言わずに俯く真に、暇そうにしているナギ。

 ここは仮契約屋だ。真の目的は、ナギと仮契約を結ぶ事だったのだ。

 それを提案するまでに要した時間が1時間と7分ほど。そして、仮契約の方法がキスだけに限らないと知った真がショックから立ち直るまでに要したのが15分ほど。

 ラカンも詠春もアルビレオも、ナギとこうして特別な施設で仮契約をしたと知った時の真の頭は、一瞬でパンク寸前になった。

 だって、漫画だと全部キスだったのに。

 そんな風に、中途半端な知識を元にして動くから、ナギに仮契約を持ちかけるまで非常に悶々として過ごし、戦争だから、力が必要だから、みんなやってるからと自分を納得させ、そもそも今の自分は女だから男とキスしてもなんの問題もないと錯乱しつつ、最終的には、これを正式に紅き翼の一員となる意識表明としようという言い訳で自分の心と決着をつけたのに、真実がこれでは浮かばれなかった。

 

 仮契約をキスで行う事が多いのは、口づけという行為そのものが特別な意味や意識を持ちやすいからだ。さらに、口内では互いの魔力をやり取りしやすく、魔力の馴染みも早い。ゆえに、キスによる仮契約はほぼ一瞬で終わるのだ。

 キスを介さない契約の仕方は、そういった特別さを補う構築をした魔法陣と、特別な意識を持ち、体の一部を密着させて魔力をやりとりする。それを6時間。もちろんナギはこの方法をそれぞれと行った。

 ラカンとは力比べを延々、詠春も同じ。アルは手を合わせたままずっとにこにこしていた。

 真は、そんなナギに「力比べでもすっか?」と提案されたのを断り、こうして無難に手を繋いで6時間を過ごそうとしている。間違った知識でアタックを仕掛けた事も、馬鹿みたいな痴態を晒してしまった羞恥も、密閉空間でナギといる事になぜか意識してしまう事も、何もかもが混ざり合い、真の頭はぐるぐる渦巻く思考で満杯だった。

 どきどきどきどき。うるさいくらいに鳴る心臓はいったい何に対してか。ここに来てまだ、真は自分の心に気付いていなかった。女神になった際に考えた、「これでまかり間違って男を好きになる事もないだろう」という考えがただの思い込みだったとは露知らず。真が人の心を持つ以上、こういった感情とは切っても切れないというのに、真はもう、そういったものとは無縁なつもりでいた。

 そこに理由を見い出せず、恋などした事もない真には、この嵐のような感情の正体が掴めない。

 アリカ王女を疎ましく思い、そのアリカと一緒にいて笑うナギに怒りを覚え、何も言えない自分にもどかしくなり。そんな風に毎日を過ごしているのに気付けないのは、やはり経験不足が原因なのだろう。

 真は、恋愛という意味でなら、好意を向けられる事はあっても好意を向けた事は無い。

 そして、好意を向けてくれていたというのがあの門戸なので、真の中の恋愛観や好意の表し方はほぼあれで固定されていた。

 自分の気持ちをあけすけに、正直に相手にぶつける。それがどれ程珍しいものなのか、真は知らなかった。

 

「――っ!」

「お? おい、どうした?」

 

 結局一時間経たずギブアップして、手を離してしまう。体の中で増大する羞恥や、鼓動の音が漏れ出してしまわないかという不安に耐え切れなくなったのだ。

 離した手をもう一方の手で押さえて胸に押し当てる。服越しに心臓の音。高い体温は季節のせいか。

 いつにも増して行動や表情で感情を表現する真に、珍しいなおい、とナギが声をかける。また一から仮契約をやり直す必要があるためか、若干面倒くさそうではあったが、真の様子を気味悪がったりはしていないようだった。

 

「ほい」

「…………」

 

 ナギが差し出した手に、真が手を乗せる。

 そうしてまた、二人は黙って6時間が過ぎるのを待つのだ。

 だが、やはりというか、10分経たずに手を離してしまって、またか、とナギに呆れられた真は、泣きそうになって謝った。

 

「いや、別にそんな怒ってねーけど……え? 泣きそうなの?」

「べ、別に……」

 

 ナギの方も、ようやく真の様子がおかしいと気付いて不審がり始めた。慌てて腕で目元を拭う真に、大丈夫かと声をかける。おそらく熱や風邪など、病気の類かと推測しているのだろう。

 しかしそのどちらも否定されると、じゃあなんだよと口を尖らせた。せっかくの休日を真のために使っているのに、その真がこう不明瞭では、ナギも不満が溜まる。

 それを知ってか知らずか、真は酷く思い悩んでいるようだった。

 きっとこの後、何度手を繋ごうが自分は耐えられずに手を離してしまうだろう。6時間なんて、とてもじゃないが無理だ。それなら一瞬で終わるキスの方がまだマシ……。

 

「そ、そうだ。キスにしよう!」

「は?」

「あ?」

 

 これは良い案だ、と声を弾ませてナギに顔を向けた真は、何言ってんのという表情に迎えられて、自分が何を口走ったのかに気付いた。

 

「あ、い、今のは、その」

「いや、さすがにそれはなー。男とっつーのは勘弁だぜ」

 

 真正面から否定されて、真は、ガンと頭を殴りつけられたようなショックを受けた。

 それは、そうだ。自分だって、ついこの間までそう思っていた。

 でも、そんな、そういうのは……。

 自分で思っている以上のショックに、動揺して言葉が出なくて、だから一度ナギに背を向けて顔を見られないようにした真は、背を丸めつつも、呟いた。

 

「俺が……女でも?」

「え、なんスかそのIFは」

 

 真の物言いに引いた様子を見せたナギだったが、真が背を向けてそう言ったきり、僅かに身を震わせるばかりで動かないのを見ると、さすがに事情を察した。

 そこまで鈍い訳でもないナギは、真の言葉から彼女が女なのだと推察した。それだけに止まらず、真の言動からその先まで予想すると、あごに手を当てて「ほっほ~う?」とわざとらしく言った。

 

「……? 何?」

「へっ、つまり、あれか? 俺様に惚れちまったって解釈でいいんだな?」

「え、それはない」

「えー」

 

 さすがにこうしてショックを受けてしまっては、自分の気持ちの正体に気付き始める真だったが、ナギの言い方に久々に凄くイラッとしたので、即座に否定してみせた。ナギの方も、本気で言っている訳ではなく、冗談めかして言ったようで、真の言葉に笑いながら「そりゃ残念」と言った。もちろん、本心ではない。

 つられて笑みを浮かべた真に、お、このタイミングで笑顔が見れるとは、とナギが反応した。

 

「さすが俺だな。とうとうヒデキから笑顔を引き出しちまったぜ」

「……なんの話?」

「って、おい! 笑顔はどうした笑顔は」

 

 やけに得意気にするナギに、真は笑顔を引っ込めて仏頂面を作った。素直に笑っていてやるのは、なんだか癪だったのだ。

 でも、そういう風にやりとりをしていると、また自然と笑ってしまって……真は、ずっと昔の、まだ妹が生きていた頃の事を思い出した。

 すーはーと深呼吸をして、改めてナギに向き直った真が真剣な目をすると、ナギもならって姿勢を……正したりはせず、足を組んで偉そうにしていた。

 そんな彼が空気を読んで姿勢を正してくれるのをしばらく待っていた真だったが、その気配が一向にない事を悟ると、溜め息をついて、自分を指差した。

 

「ちょっとだけ……秘密を話すけど」

「秘密? あー、実は旧世界出身でーす、とか?」

「茶化さないで。その、名前……」

「名前? 名前っつーと……ああ、なるほど」

「うん。今の名前、父さんの名前なんだ」

 

 真は、ナギに自分の本当の名前を明かした。

 それにどういった意味があるのか。どんな気持ちが込められているのかは、今のところ、真本人にしかわからない。

 

「マコトねぇ。で? そのマコトさんは、俺に名前教えて何しようってんだ?」

「だから、仮契約を……あ」

「話が繋がってねーんスけど」

 

 名前を伝えただけでは、本当の性別までは伝わらない。名前からして男とも女ともとれる名前なのだから、なおさらの事。じゃあ今は女だ、と明かそうとして、はた、と真は動きを止めた。

 …………どうやって女だと伝えれば良いのだろう。

 一応、真がナギに女だと伝えると、ナギは胡散臭そうな目で真を眺めて、

 

「あー、まあ、女だって思ってみれば、確かにそう見えらあな」

「……信じてないだろ」

「いやいや、信じてるっスよー」

 

 わざとらしい。

 半笑いで肩を竦めてみせるナギに、ああ、信じてないんだな、とわかってしまって、少し悲しくなる真だった。

 女だとわかってもらえない事自体が悲しいのではなく、自分の言葉を信じてもらえないのが悲しいのだ。

 これが普通の女性ならば、見ればすぐ女だとわかるから話は簡単なのだが、真の場合はそうもいかず……。そもそも相手は、真の裸を見てもまだ男だと思っているような奴だ。もしここで真が胸をはだけて見せようが、もうちょい鍛えたら、で終わってしまう事は容易に想像できた。

 どうしよう、どうやってわかってもらおう。考えてみても、なんにも思いつかない。お手上げだった。

 

「まあそんなに落ち込むなよ」

「……落ち込んでない」

「睨むなって。心配すんな、別にお前が嘘言ってるとは思ってねーよ」

「え……?」

 

 言ったろ。そう思ってみれば、女に見えるって。

 そう言って不敵に笑ってみせるナギに、真は戸惑いつつも、女に見える? と問いかけた。おうよ、と頷いて返される。

 そこで真は、髪を纏めている紐を解いた。はらりと髪が広がると、癖もなくさらりと流れた。

 

「これで、もうちょっとは……どうかな」

「んー……20点?」

「殴っていいか?」

 

 拳を握りしめて震わせる真に、ナギは即座に「ちなみに50点満点な」と言い直した。それでも酷い点数だ。そんなに女としての魅力がないのだろうか。……ナギの視線が真の胸辺りに送られたのを見る限り、無いのだろう。

 それに、男として接した時間が長ければ長い程、ナギの真に対する認識は男として固定されているだろうから、今さら素性を明かして女と扱えと言っても、そう簡単にはいかないだろう。

 

「ま、そんなにしたいっつーんなら、してやんねー事もねーけど」

「え、な、なんで?」

「……なんとなく?」

 

 足を揺らしつつ、投げやり気味にナギが言った。部屋の方に向いた顔には、つまらなさそうな表情が浮かんでいる。

 照れ隠しだった。

 ナギは、たしかにこれまで真を男だと認識していたが、その振る舞いに女性的なものを感じていたのもたしかだ。それでここに来て女だと言われて、結構すんなりと納得してしまった。

 それでキスによる仮契約を承諾したのは、初めて秘密を明かし、拒絶されないかと不安がっている真がわりかし可愛いのもあった。最近接しているアリカ王女とはまた違った美しさと可愛さ。それは、胸の残念さで大きくマイナスしたとしても、十分女としての魅力を備えていると思える程だった。

 

「じゃ、移動するか」

「…………うん」

 

 ナギの物言いが曖昧だったせいか、どこか納得いかないながらも、素直に従って立ち上がった真は、ナギが先導するのに合わせて同建物内の別室に移動した。

 そこで口づけによる仮契約を交わしたのだが……口づけを交わすまでにまたえらい時間がかかってしまった。

 真もナギも、キスはお互いこれが初めてらしく、ナギが意外にも照れてしまった事も含め、二人が施設を出たのは2時間ほど後の事だった。

 こんなに緊張した仮契約は初めてだぜ、とはナギ談。

 真も、妹の額にキスをした事や、門戸が挨拶と称して頬にキスをしてきた事はあるものの、口に、という経験はなかったので、緊張は凄かった。

 

 そうして仮契約が終わると、真は正気に戻ったように酷く赤面して、ナギに自分が女なのも、マコトという名前なのも秘密にしてくれと頼み込むと、拠点に戻った後は今日抱いた気持ちも感じた何かもも全部忘れようと酒を飲んだ。

 酒に強かった真はほとんど酔えず、忘れる事などできなかったのだが……。


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