なりきり妖夢一直線!   作:月日星夜(木端妖精)

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あらすじ
魔法世界のとある集落で生まれたマコトは、集落が異形の者共に襲われた事によって天涯孤独の身となった。生きるために戦い、殺し、過去を夢見て歩く日々。彼女には前世の記憶があった。あの暖かい日常を取り戻そうと魔法を手にしたマコトは、いつしか神の一柱となり、強大な力を振るって過去を手に入れようとしていた。完全なる世界の末端組織に身を置き、研究に没頭するマコトの前に、千の呪文の男が現れた……。


マコトと言う名の女
第六十三話 新たな目覚め


 マーブル模様の壁が迫っていた。

 一枚の巨大な板は様々な色がまぜこぜになって混沌としている。

 辺り一面、そんな異様な光景だった。

 その中を意識だけで漂う真は、やがて高い波にのまれて消えた。

 

 

「――――……」

 

 意識が覚醒する。

 それは緩やかながらも急速で、寝起きのような意識が曖昧な時間を挟まない目覚めだった。

 

「……? …………?」

 

 大きなソファーにうつ伏せで寝転がる少女がいた。黒く長い髪は腰まで伸びて、簡素な布の服を身に着けた幼い子供。年は4つか5つか。肘をついて体を起こそうと試みた少女は、うまく腕に力が入らないのだろうか、何度か失敗しながらも身を起こした。

 俗に言う女の子座りでいる少女の顔は困惑に満ちていた。大きな部屋……リビングだろうか。照明のついていないこの部屋の内装に見覚えが無い。窓の外で断続的に光る赤や白の光が、明滅するように部屋の中を映していた。

 

「……ぅ」

 

 窓から目を離した少女が、持ち上げた手を見た。

 小さく、非力。そんな印象を抱かせる。

 自分の手は、こんなにも小さかっただろうか……。

 

「……っく、……ぁ」

 

 ちかりと、脳の奥で刺すような痛みがした。

 と同時、体の中、どこかにある大事な部分も熱を帯びて痛み始めた。

 痛みを恐れ、思わず自らを抱いた少女に、予想通り痛みが襲いかかった。

 

「あっ!? あ、あ、あ!?」

 

 しかしその大きさは予想外だった。

 頭の中も体の中も、灼熱の塊が暴れまわって、反射的に跳ねる体は止める事ができない。脳に焼き付く痛みはどうしようもなく、生理的な涙を流しながら耐え忍ぶ少女は……痛みの中で自分が何者かを認識した。

 賀集真――だった者。

 体が千切れそうになるのを必死で抑え込みながら、次々とあふれ出す記憶の波に、真は呻いた。

 途切れる事無く続く、経験した事のない痛み。身体に異常をきたしているかのような寒気と不快感。

 額に脂汗を浮かせ、歯を噛みしめて声を押し殺す彼女は、がくんと体が跳ねるのにソファーから投げ出された。

 頭も体もこれ以上ないくらい痛んでいるのに、カーペットが敷かれた床に身を打ち付ける痛みもしっかりと届く。真は、耐え切れなくなって、喘ぐように息を吐き出した。

 

「ふぅっ……! ぇ、あ、あ、」

 

 息を止めていたために、せわしなく呼吸を繰り返そうとして、しかし上手くいかない。痛みが邪魔をする。その間にも、真の体は跳ね、少し横へ動いた。

 家が震えている。

 それどころではない真には認識できなかったが、家全体が地震の時のように小刻みに震え、時折大きく動いていた。それは窓の外の光と関係があるようだった。

 

「あっ!」

 

 一際強い揺れに、真の体は容易く跳ね飛ばされ、壁に激突した。一瞬意識を失い、床に落ちる衝撃で気を取り戻す。先程まで真のいた場所に小さなシャンデリアが落ちた。小さいと言っても、今の真の体よりは大きい。当たればひとたまりもなく死んでしまうだろう。

 ぱらぱらと振る埃や木片が、この家が長くない事を物語っている。

 だが、今の真にそれを気にする余裕はない。もし真が今、辺りを見回す事が出来れば、ソファーの後ろに横たわる女性や、食器や無残に壊れた家具が散乱する部屋の様子に漠然とした恐怖を抱いていただろう。

 一瞬、窓の外から届いていた光が途切れた。

 

「ヌォオオオ!!」

 

 窓を突き破り、何者かが部屋の中に侵入してきた。

 ハルバードを模した木杖を手にした精悍な顔つきの大男だ。男はすぐさま窓から離れると、ソファーの後ろに倒れる女性に気付き、血相を変えて駆け寄った。

 

「キキョウ! 大丈夫かっ!」

 

 木杖を脇に挟み、慌てながらも優しく女性を抱き起した男は、その口元に手を当てて息が無い事を知ると、言葉を失くしてしまった。なぜ死んでいるのかわからない。浮かんだ表情は、言葉に表すとそんな感じだろうか。しばらく女性の顔を見たまま固まっていた男は、家が縦に大きく揺れ、どこかで何かが壊れた音がすると、はっとして周囲を見回した。

 

「マコトォーッ!! マコト、どこだーーっ!!」

 

 木材が軋むような大声だった。

 至近で自分の名を呼ばれた少女は、しかし痛む体を縮こまらせるだけで反応しない。だが、窓の外で起こった鮮烈な光の爆発が、男に真を発見させた。

 女性を床に寝かせた男が真に駆け寄り、先程女性にしたような手つきで抱き起す。

 

「――生きてる」

「う゛……う」

 

 安堵の息を吐いた男は、真の頭を撫で、頭を抱えて頬を強く当てると、顔を離した。その時にはもう、最初に入って来た時と同じように、険しいながらも冷静な戦士の顔に戻っていた。

 

「ラクト・エフェクト・エンベルト。大気の(アーエール)――」

「…………」

 

 杖を手にした男が短く呟くと、清涼な風が真の体を包み、痛みや熱を抑えた。幾分気が楽になった真が薄目で男を見上げようとすると、再びその胸に抱かれ、そのまま抱き上げられた。

 

「っあ、え……」

「大丈夫かマコト。ここは危ない。どこか、安全な所に……」

 

 長く味わっていなかった、誰かに抱かれるという感覚に混乱する真に、男は言い含めるように言って、裏口の方へ走り出した。半分独り言に近かったのは、幼い少女がこの状況や自分の言葉を理解できるか怪しいと踏んだためだろう。

 顔に押し当てらてた硬い胸に、男の着る衣服に残る熱。そして、焼けた何かの臭い。

 ちかちかと脳裏に浮かんでは消えるのは、真の最後の記憶。炎上する家から、死んだ妹を抱いて抜け出そうとしていた時の事。そして、自分を抱くこの男が、今の自分の父親だと言う事。

 『今の』だとか、『死んだ』だとか、乱れる思考では浮かんだ言葉の意味がわからず、ただ、走る男に振り落とされないよう、服を掴んでぐっと唇を引き結んだ。

 屋外に飛び出すと、怒号と悲鳴があちこちで響いていた。そこかしこに立つ家屋は燃え、ほとんどが倒壊している。その中を飛び回る異形の者達……。横目でそれらを垣間見た真は、何がなんだかさっぱりわからなかった。

 記憶を脳に焼き付ける痛みも、魂が更新された熱も、もう治まっている。しかし混乱は続いていた。ここがどこか、自分は誰か、この男はだれか。それらはうっすらとわかるのに、今何が起こっているのかがわからない。

 ただ、わからずとも異常な事は肌で感じていた。素肌を焼くような炎の熱が教えてくれていた。

 舗装されていない道を全力で走る男の腕の中は、しかし男の配慮のためか揺れは少なく、衝撃も伝わってこない。真は、だんだんと考える余裕を取り戻しつつあった。

 

(……瑞希。……瑞希は)

 

 そうして最初に頭に浮かんだのは、妹の事であった。

 身に降りかかるとは思ってもいなかった災害に見舞われ、真が目を覚ました時には、すでに部屋は火に襲われ、黒煙が充満していた。すぐさま家から出るべきだと判断した真は、慰めるために一緒に寝ていた妹を抱き寄せ、それだけを手に脱出をはかった。

 結果は……。

 

「っ!」

「ヌ! ぐ、おおおおお!!」

 

 腹の底に響くような重い音がしたかと思えば、真の体は男の手の内から投げ出され、宙を舞っていた。男を爆発が襲ったのだ。

 間を空けて落下を始める真の目に、小石や短い草がまばらにある堅そうな地面が入った。この勢いのままぶつかれば大怪我は免れない。最悪、死が待っている。

 男の助けがなければ、咄嗟の判断などできない真にはどうする事もできない。だが、その男も、攻撃を受けた衝撃で地を跳ねている最中だった。がむしゃらに杖を向け、攻撃がきた方向へ魔法を放とうとしているものの、それでは真を助ける事ができないのは明白だった。

 

「!」

 

 目をつぶって、せめて衝撃を少なくしようと身を丸めた真は、しかし偶然か、上手く地面を転がって衝撃を殺す事に成功した。それでも体中が痛み、体を庇うように回していた腕は擦ってしまっていたが、大きな怪我もなく、当然命に別状はない。

 跳ねていた男の方も、すぐさま起き上がると、索敵を始めた。

 

「ホホホ……」

「む! ラクト・エフェ――」

 

 大きな翼で宙から下りて来た異形の者が、反応して呪文を唱え始めた男に指を向けた。放たれた光線が男の肩を貫き、体勢を崩させる。無詠唱の炎の一矢だった。尋常でない威力のそれは、そのまま敵が相応の実力の持ち主であると語っていた。

 

「ぐぐ……! 逃げろ、逃げろマコトォ! オオオ!!」

「ホホ……」

 

 傷口を焼かれたために、出血せずに立ち上がった男が、杖を掲げて気合いの叫びをあげた。張り裂けた口を歪めて余裕の笑みを浮かべる異形の者は、地に降り立つと、両腕を広げ、男の攻撃を迎え入れた。

 光の矢が飛び、炎の矢が迎撃する。駆け合った二人がぶつかり合い、腕や足を叩き付けあう。

 地面に倒れながらもその光景を見ていた真は、未だ目の前の現実を受け入れる事ができず、呆然としていた。頭が理解する事を拒んでいた。

 それは何も、この戦いが非現実的だからだとか、自分の体が縮んでいたりするからなどではなかった。

 時間が進んでいる事を理解したくなかったのだ。

 一人でここにいる事は、すなわち妹を救えなかった事を意味する。

 死んだ……瑞希が。

 優しいあの子が、なんの罪もないあの子が……ありえない。

 あっていいはずがないから、これは嘘だ。何もかも……。

 でも。

 

「ホホーッ!」

「ガァアアア!!」

 

 獣染みた叫びをあげる男の、光を纏った杖による一撃を紙一重で躱した化け物が、男に光線を放った。それは男の足を貫通し、その直線状に倒れていた真の頬を掠めた。

 地面を穿った魔法の痛みは、真に「これが現実だ」とはっきり突き付けた。

 ならば、男の言う通り、真は逃げなければならなかった。

 目の前で繰り広げられるような不思議な力……魔法を使えない真には、その選択肢しかない。この場を離れなければ、今、化け物に押されている男と同じように、痛めつけられ、殺されるだけだ。

 よろよろと立ち上がりはしたものの、父親であろう男を見捨てて逃げ出すべきなのかと悩む真に、刹那の間男が視線を寄越した。

 行けと、そう言っている。

 

「ヌォオオオ!!」

「ホ、ホホ……!?」

 

 そして、男は化け物に組みつくと、引き剥がそうと爪を刺され、切られるのも気にせず、押すように運んで家屋へと突っ込んでいった。

 土埃を撒き散らして消えた二つの影は、未だ視界の外で戦っている。

 自分を逃がそうとするあの男の好意を無碍にはできない。そう自分を納得させた真は、しかし、どこに逃げれば良いのかわからなかった。

 真とマコトが混ざって整理のつかない頭では、見覚えのあるはずの村も、まるで異界のように感じてしまう。

 ただでさえ異常な状況なのだ。それは無理のない事だった。

 下手に動けば、さっきのような化け物がうようよといる危険な場所に入ってしまうかもしれない。

 そう思うと、真は足が竦んでしまって、まともに動けなくなってしまった。

 今さらながら恐怖を感じ始めたのだ。

 頬の痛みや、体に残る痛みは本物だ。非力な自分でさえこんなに簡単に傷がつくのに、魔法を使うあの男はさらに大怪我を負っていた。運が悪ければすぐにでも死ぬだろう事は容易に想像できた。

 だが、だからといって逃げなければ……。

 

「キキーッ」

「……!」

 

 立ち竦む真の前に、小柄な化け物が現れた。小さな悪魔のような外見を持つ異形の者だ。銛を手に持ったそいつは、近くの屋根を伝って下りてきて、真を視認すると、ひょこひょこと走って近付いてきた。

 明らかな害意に怯んでしまう真。彼は……彼女は、運動はからっきしなのだ。たとえ相手が自分より小さい者でも、武器を持っているとなると対処できそうになく、ただ怯える事しかできなかった。

 しかも、今の真は幼い少女なのだ。本人はまだ理解していないが、目線の高さの違いやリーチの違いは致命的だった。

 

「……?」

 

 絶体絶命かと思われたその時、真の前に一匹の蝶々が現れた。

 淡い光を放つ、青い蝶。それがひらひらと真の目の前を横切り、くるりとターンして、真の周りを飛び回る。

 それはあたかも真に何かを伝えているようだった。

 しかし、真の目には蝶の姿など映っておらず、ただ、足を止めて警戒する化け物の姿だけがあった。

 なぜ敵が動きを止めたのか、なぜきょろきょろと頭を動かしているのかわからず困惑する真は、ふいに、思い出した。

 ……いや。頭の中に浮かび上がった一文を読み取った。

 

「……プラクテ・ビギ・ナル」

 

 知っている言葉だった。

 そしてそれは、今の状況を打開できる可能性を秘めていた。

 誰しもが持つ可能性の一つ。

 漫画で見た技能なのに、今ここで試すようなものなのか。そんな事をするなら、足に鞭打って逃げ出すべきではないのか。

 そう考えながらも、真は歌うように、頭にはっきりと浮かぶ言葉を口にする。

 

「――魔法の射手(サギタ・マギカ)光の一矢(ウナ・ルークス)

 

 

 蝶が飛ぶ。

 まばらに立つ家屋の間を、背の低い草の生い茂る中を、道なき道を。

 まるで真を先導するように、光る蝶が先を行く。

 

「はっ、はっ、はっ」

 

 ばたばたと不格好に手足を振り回しながら走る真には、どうやら蝶の姿は見えていないようだ。

 ただ、『こちらに行けば良い』と、それだけはわかっていた。

 それを真が意識する事はない。先程呪文が頭に浮かんだ事も、真には疑問に思えないだろう。

 不思議な蝶は、真が(つまず)いて倒れると、ひらりと回って滞空し、真が立ち上がるのを待った。

 擦り剥いた膝に血が滲むのを見て、真はそっと『治癒(クーラ)』の魔法を使った。これもまた、頭に浮かんだものだった。

 そうして治療を終え、スカートについた草や土を払った真は、再び走り出した。

 驚異から逃げる真が頭の中で巡らせる考えは、どれもこれも今とは関係ない、前の事であった。

 前――この場合、前世と表すべきか――で真が最後に見たのは、眠ったままの(死んでいた)瑞希の顔だ。真はたしかにあの場所で倒れたはず……。

 それがなぜこんな場所にいて、こんな事になっているのか。

 そんなのは、真にとってどうでも良い事だった。

 重要なのは、妹である瑞希がどうなったかだ。

 救助され、命は助かったのか。しかし、自分がこうなっている以上、まさか瑞希は……。

 そのまさかである事を、真は認めたくなかった。

 こんなに理解不能な事が起こっているのだから、あの子が死んでいなくても……そう思ってしまう程だった。

 

 考えながら走る内に、真は一つの結論に達した。

 この目で確認していない以上、瑞希は生きている。自分が認めなければ、瑞希は生きている……。

 現実から目を逸らす思考だった。

 だが、そうでもしないと、真の心は持ちそうになかった。

 逃避するように、考えは今に移り変わっていく。

 ここはどこか、あれは何か。

 ……答えは最初から頭の中にあった。

 『マコト』は、ボレアリスの集落にて生まれた。戦士の父と、旧世界《ムンドゥス・ウェトゥス》から来た母の間に生まれた、今年で5歳になる少女だ。

 そこまで考えて、ようやっと真は、今の自分の性別に気付いた。

 

「…………」

 

 男、ではなくなっている。

 思わず足を止めて、そっと股に手を当てた真は、少しばかりショックを受けてしまった。

 前世でも母の面影を濃く引く真は、男ながらに中性的な容姿を持ち、どちらかといえば女性に見られがちだったが、自意識はしっかり男だったのだ。

 思考も行動もある程度は男寄りだった。思春期には色々と持て余すものがあったし、門戸や真緒に惹かれる事もあった。

 それがこうなって、ショックを受けないはずがない。ないのだが……。

 今の真は、それよりももうちょっと重大な事に気付いて、自分の手をまじまじと見た。

 

「……魔法」

 

 魔法が使えている。

 先程まで、普通の魔法使いのように自然と魔法を扱っていたのに、今になってその異常性に気付いたのだ。

 だけどこれは嬉しい事だった。

 この体になって早々に一人になり――父が追い付くのを期待していたが、一向に来ない事に諦めてしまった――無一文で着の身着のまま、先の見えない道……道とも言えない地面の上に立っている。魔法が無ければ、とてもじゃないが生きていくのは難しいだろう。

 それもあるが、真は、真緒と同じ魔法を手にできた事を嬉しく思っていた。

 魔法が使える事を打ち明けられてから、真が死んでしまうまでの三週間、忙しくしながらも、真緒は常に真の顔色を窺っていた。

 真緒から見て、魔法の存在を知った直後に門戸が失踪したために、真もそうならないかと不安だったのだ。

 真は彼女が魔法を使える事に心理的抵抗など何もなかった。驚きはしたが、彼女が人を害する事はありえないとわかっていたからだ。

 だが、真は当然魔法を使えなかったから、真緒の気持ちを(しん)に理解する事はできない。それが悔しかった。

 できれば彼女と同じ目線でものを見て、同じものを感じたかった。

 だが、真緒のいないだろうこの世界に来て魔法を手に入れて、それがなんだというのだろう。

 間を置いてその事に気付いた真は、眉根を寄せてうつむいた。

 

「…………」

 

 瑞希に会いたい。無事を確認したい。

 真緒に寄り添わなければ。彼女を不安がらせてはいけない。

 門戸を探さないと。彼女がいなければ日常を取り戻せない。

 

 そう思ってみても、真は女になって、ただ一人、夜の空の下にいる。

 どこへ向かえば良いのかは、なぜかなんとなくわかるが、何をすれば良いのかはさっぱりわからなかった。

 この世界で得た魔法の力を用いて元の世界に帰ればいい? その時には、元の姿に戻れるのだろうか。

 真がこの姿のまま元の世界に戻っても、話を聞けば瑞希も真緒も門戸もわかってくれるだろう。その程度で壊れる絆ではない。

 だがそれは、元の世界に瑞希が生きていて、門戸がいた場合だ。

 認めない、認めたくないと思っている真だが、あの火災の中、抱き寄せた瑞希が最初から息をしていなかった事は霞がかった頭でも認識できていた。だからこそ、重い体を動かして脱出をはかったのだ。彼女を生き返らせるために。

 医者ならなんとかできると真は思っていた。息が止まっていても、心臓が止まっていても、医者なら蘇生させられる事を知識として知っていた。

 だがそれまでだった。結局真は、妹を医者の下まで運ぶ事はできず、炎の中に倒れた。

 

「…………」

 

 辛い。

 考えるのは、辛い事だった。

 できれば考えたくない、思い出したくない。

 でも、それでは駄目なのだ。

 前世よりも細く非力な腕を見て、歩き始める真。

 暗闇の先を見据えながら、真は門戸の事を考えた。

 いつもにこにこと明るく、しかしほとんどサングラスをして過ごす変な女性。

 手を引かれ、腕に抱き付かれ、真正面から見つめられる。簡単に思い出せるのは、常に真の気を引こうとしている彼女の姿だった。

 どうしてか好かれていて、真、真と親しみを込めて呼ばれていた。時折り真を前に「先生」と口走る事もあったが、おおむね真の名を呼びながら擦り寄って来るかわいい子だった。かわいいの方向性が妹だとか、そういった方向性だと知ったら、きっと門戸は地団太を踏んで悔しがるだろう。

 そんな真大好きな彼女だが、四六時中節操なしという訳ではなく、時間と場所は弁えていて、食事中、勤務中のほとんど、妹と一緒にいたい……なんて時は、遠巻きに見守るか、真面目に仕事をしているか、真から離れて真緒にちょっかいをかけに行っていた。

 その彼女は、真の目の前で唐突に消えた。瞬きをした一瞬の間だった。

 それもまた、魔法のような事で、だからこそ、真は思った。

 ひょっとして、二人とも……。

 二人も、この世界に来ているのではないか。

 一縷の望みだった。

 おそらく死んだであろう自分が、こうして同じ名前を持って再び生を受けていた。

 では瑞希は、門戸は。

 同じ名前で、違う性別でこの世界に……?

 真は、たとえ妹が弟になろうと気にしないだろうとは思ったが、しかし門戸が男になると思うと、少し嫌だった。彼女は彼女なのだから、彼女でなければならない。自分勝手ではあるが、真は門戸に女でいて欲しかった。

 瑞希には思わなかったのかといえばそうではないのだが、どちらかというとその思いは門戸への方が大きかった。

 

「キ、キュイ……」

 

 かさ、と音がして、真の前に動物が現れた。後ろ足で立つ兎のような魔法生物だ。赤い単眼を真に向けた兎モドキは、明らかな敵意をたたえて体を持ち上げた。

 淡く光る蝶が兎の周囲を一回転し、真の下へ戻る。その輝きが目に入らない真は、目の前の敵におよび腰になりながらも、頭の中に浮かんだ呪文を口にし始めた――。

 

 

 歩く先、歩く先。

 そのたびに何かしらの生物と遭遇し、襲いかかられて迎撃するのを繰り返しつつ、夜も深まる森の中を歩く真。

 森の知識など無く、歩き方もわからないのに、どうして入ってしまったのか。自分を責めつつも、こちらに進んだ方が良いと思う気持ちは変わらず、歩き続けていた。

 真は、自分の魔力の多さに感謝していた。今はまだ具体的にどれくらいあるのかなどわからないが、何度も遭遇する生物を撃退し、血や臓物を見て顔を青くしながら歩く真は、魔力的な消耗をさほど感じていなかった。だから、たびたび転んでしまっても治療できたし、いつの間にかできていた擦り傷や切り傷も同様に。敵に受けた打撲なども治す事ができた。

 そして、真はこの体の体力や身体能力の高さにも感謝していた。

 飲まず食わずで数時間歩き、合間に戦闘を幾度か挟んでいるのに、疲れが見えてこない。名前は同じなのに、このマコトはどうやら運動が苦手ではないようだった。最初に転んだりしていたのは、やはり遠近感や体の変化の擦り合わせによるものだったのだろう。それが終われば、残ったのは元気な身一つだけ。

 魔法が使え、身体能力もあるこの体だからこそ、真は発狂せずに夜の不気味な森を歩くことが出来ていた。真の意識としては、5歳の少女に17歳の男が色々と負けているのだから、悔しい事この上ないのだが、やがてそれも薄れるだろう。真の記憶を覗いてみればわかるのだが、真もマコトも、元はどちらも一緒なのだ。

 生まれた時から、この少女には真として生きた17年間の記憶や思いがあった。それが今になって表に出てきたので、真にとって前世の死んだ瞬間からの地続きな現実に感じられているのだが、実際はそうではない。魂を同じとするこの二人は、元々が同一人物と言っても過言ではないのだ。

 真はそんな深いところまで考えを巡らせてはいないが、そこら辺はなんとなく理解していた。だから、元々の少女を塗り潰してしまっただとか、他人の人生を奪っただとか、そういった後悔の念に襲われる事はなかった。

 自分を助けようとしてくれた父親の事は気掛かりではあったが……今は、自分が生き延びる事が大切だ。

 なぜあの集落が異形の者に襲われていたのかなどを考える必要もない。考えたとして、答えが出るとは思えないからだ。

 だから真は、とりあえず今はどこか眠れる場所を探して歩いている。

 寝床を確保すれば、食べ物と飲み水の確保だ。

 心配する事はない。サバイバルの経験など無くとも、この少女の持つポテンシャルは森で生き抜く事を可能としている。

 それをなんとなく理解しつつ歩く真の前に、再び何かが立ち塞がった。

 そろそろ嫌でも戦う事に慣れてきた真は、ぶつぶつと呪文を唱えつつ、瑞希と門戸、そして真緒の姿を思い浮かべた。

 もしこの世界にいるのなら、絶対に探し出す。だから待ってて、二人とも。

 また会えたら、一緒に元の世界に帰ろう。真緒がケーキを作って待ってる。

 

 迸る光が小型の魔法生物を貫く。光の残滓が真の姿を闇の中に浮かび上がらせた。

 青い蝶が舞う。

 真の背後には、赤い着物を纏った女性が、妖艶な笑みを浮かべて立っていた……。


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