なりきり妖夢一直線!   作:月日星夜(木端妖精)

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第六十一話 賢者の警告

 開店からはや三日が過ぎ、すっかり接客術が板についてきた真。この店が噂になっているのか、初日ほどではないが、二日目からは一時間に一人か二人来るようになった。夕方は学校帰りの女子高生などがどっと雪崩込んでくる。噂の性別不詳を見に来ているのだろう。姿は女性よりな真だが、仕草や態度はわりと男性的なので、誰もまともに真の性別を判断できなかった。

 そんな野次馬根性丸出しの学生達には、店内の飲食スペースが、「買ってその場で食べられるのがいい」と好評だった。大型店の傘下のケーキ屋などは、こうして店内にスペースを作るのは普通なのだが、『まちのケーキ屋さん』のように小さな店でそれがあるのは珍しい。ただ、狭さ相応に座れる人数は少ないのだが、それでもないよりはましだ。

 夏だというのに、このケーキ屋はなかなか繁盛していた。真緒は一人ケーキ作りに忙しく動き回りながらも、嬉しそうにしていた。宣伝って重要ね。もっと宣伝しなきゃ! 弾んだ調子で言った言葉は、店内の真には届かなかったはずだが、真は妙に背筋が寒くなってぶるりと身を震わせた。

 

 また何日かして、安定した客入りに慣れてくると、真緒はようやく真にケーキ作りを教え始めた。とはいえ、営業時間内にそれをするのは人手の関係で難しく、もっぱら閉店後の僅かな時間を使っていた。朝は真緒が寝こけているために教わることはできない。そのため、真がまともにケーキを作れるようになるまではまだまだ時間がかかりそうだった。いくら真が物覚えが良いからといって、教えられていない事はやれないのだ。

 一月もすれば、仕事のサイクルができあがってきていた。

 真と瑞希は、一日の多くを真緒と共有しつつ、日々を過ごした。

 

 

 暗い部屋の中、佇んでいる女がいる。幼い風貌の真緒だ。

 調理場に一人で立つ真緒は、いつもの快活さは影もなく、ぼうっと台を見つめていた。

 台の上には作りかけのケーキがある。生クリームを塗る途中で手を止めたのか、銀のボウルの横にパレットナイフが無造作に置かれていた。台にはべったりとクリームがついて、半ば溶けてしまっている。

 ぼそりと、真緒が誰かの名前を呟いた。囁くような声量は耳に届くにつれてぼやけ、言葉の意味はわからない。ただ真緒は、何も映さない瞳で作りかけのケーキを眺めていた。

 やがて……。

 ようやく動き出した彼女は、足下に置いてあるバケツを持ち上げると、抱えながら中身をケーキに浴びせかけた。それだけにとどまらず、台や、器具や、床や壁や、シンクにもコンロにも、オーブンにも、冷蔵庫にも……。まんべんなく液体をふりかけた真緒は、もう一つ用意していたバケツを両手でつかむと、一気に頭の上へ持ち上げて、頭からかぶった。濡れた髪や服を気にせずバケツを落とすと、エプロンのポケットから小さな箱を取り出す。

 それはマッチだった。

 真緒は躊躇いなく火をつけた。

 すると、マッチは真緒の手の中で大きく燃え上がり、瞬く間に真緒を飲み込んだ。火はあたりに撒き散らされた液体の上を舐めるようにして這い、部屋中に広がった。

 炎の塊になった真緒は、しかし、穏やかに微笑んでいた……。

 

 

「――っ!!」

 

 がばりと布団を跳ねのけ、バネのように跳ね起きる。ベッドに手をついて軋ませ、バクバクとはち切れんばかりに跳ねる胸を押さえた真緒の顔は蒼白だった。酷い汗が顔だけでなく体中濡らして、パジャマが張り付いている。遮光カーテンの隙間から夏の強い日の光が漏れ出していた。

 

「……、……」

 

 荒い息を整えた真緒は、べたつく体に不快感を覚えて、漠然と風呂に入ろう、と考えた。鮮明に覚えている夢の事は、あまり考えたくなかった。

 着替えを引っ付かんでのろのろと一階に下りると、店内は外の地面に照り返された光で満たされ、早朝だというのに真昼間のように明るい。眩しさに目を細めた真緒は、今日は珍しく掃除をする真の姿が無い事に、どうしたんだろ、と首をかしげた。毎朝早く来ては店内を掃除している、綺麗好きの彼。なんで今日に限っていないかな、と漏らしつつ、真緒は脱衣所へ向かった。

 

 時計を見ていなかったために、仕込みヤバい、仕込みヤバいと呪文のように唱えつつ素早く汗を流した真緒は、拭いて乾かして着てを五分で済ませると調理場に駆け込み、時計を見上げた。まだ六時前だ。先程見た店内の明るさから、寝坊してしまったのではないかと焦っていた真緒だったが、ほっと息をついて、台に手をついて脱力した。晩夏の朝は明るい。それを忘れて飛び起きてしまうのは、毎年ある事だった。子供の頃から変わらない真緒の癖。

 時計を見上げながら針の動く音に耳を傾けていた真緒は、ふいに視線を下ろして、固まった。真緒の前にはコンロがある。そこから、火を連想してしまったのだ。夢の中で見た火。感じた熱。抜け落ちた感情の中、肌が溶けながらも笑みを浮かべていた……。

 くらっとして、真緒は倒れた。

 

「おっと」

「ぁ……」

 

 いや。倒れる前に、真が支えた。

 真は、片手に箒とちりとりをいっぺんに持っていた。もう片方の手で真緒を抱いていて、立ち上がらせた。真の胸に頭を預ける形になっていた真緒は、その広さに、改めて彼が男なのだと実感した。それが妙に気恥ずかしくて、弾かれたように真から離れる。

 

「ま、マコトクン! ……えーと、おはよ」

「おはよう。どうしたの? 顔色悪いけど……体調が優れないのかな」

「んーん、なんでもないわ」

 

 気遣わしげに顔を覗き込まれて、慌ててぱたぱたと手を振りながら真緒が否定すると、「そお?」と不思議そうにした真は、店内にいるらしい妹を呼び寄せながら廊下へと出て行った。

 

「も、もう……なんちゅータイミングで来んのよ……」

 

 自分が倒れそうになった時に、ちょうど現れるなんて、ラブコメの星の下にでも生まれてるんじゃないかしら、などとてきとうな事を考えて羞恥心を散らした真緒は――そんな考えが自然と浮かんでしまう程に彼を意識している事には気付かず――、ぐるりと調理場を見回すと、小さく頷いた。

 真の顔を見て安心したのか、はっきりとあの夢を思い出しても、怖いと思えなかった。しかし、今はまだここにいたくない。真緒は、小走りで真の後を追った。

 

 

 真は瑞希を伴って屋上にいた。屋上には菜園が広がっている。屋上菜園というやつだ。総面積の半分以上が土と緑で占められている。風に揺れる植物の間には、如雨露で水をやって回る真と、座り込んで土を弄っている瑞希がいる。

 

「いつもご苦労様」

「ん。好きでやってるから」

 

 如雨露の先を持ち上げて水を止めると、真は頬にかかる髪を指で耳の後ろにやって、真緒を見た。いやらしさのない色っぽさは、きっと真緒には出せないだろう大人の雰囲気そのものだった。歩きながら、なんとなく真似して髪を掻き上げてみても、こちらは荒っぽさと雑さが入り混じって、とてもじゃないが色っぽいとは言えそうにない。しかし真緒は満足したのか、ふっ、と不敵に笑って、どーよ、完璧っしょ、と呟いた。

 

「にしても、んー。マコトクンが来てから、なんかうちの野菜、良く育ってる気がする」

「そうかな。普通に育ててるだけなんだけど」

「……やっぱ顔なのかしら。野菜もかわかっこいい人に育てられた方が嬉しいのね、きっと」

「かわかっこいい……?」

「可愛くて格好良い。マコトクンの事よ。みんなに大人気」

「人気かな」

「最近のお客さん、ほとんどマコトクン目当てで来てる人ばかりじゃない」

「そうかな。俺にはみんなケーキが美味しいから来てるように見えるんだけど」

「それは当然として」

「当然なんだ」

 

 自信たっぷりに言ってふんぞり返る真緒に、くすくすと笑う真。朝の爽やかな風が二人の間を通り抜ける。

 

「もう大丈夫なの?」

 

 縛った髪を揺らしながら、一心に土を弄っている瑞希を目を細めて眺める真が、先程の真緒の事を思い出してか、聞いた。こくりと頷いた真緒は、それが真の目に入っていないと気付くと、のびのびとして揺れる野菜の前に座り込んで、いくつか実るトマトの一つを撫でて、少しだけ持ち上げた。

 

「ちょっと怖い夢を見たのよ。……そう、怖い夢……」

 

 自らが死ぬ夢。あまりにもリアルなその夢が与えた恐怖は計り知れない。

 かつて真緒は、これと似た夢を何度か見た。

 今日のような抜ける青空の夏のある日に、蝉の鳴く声が反響する中で、黒い手提げ鞄を持って歩く父の背中。高い気温で揺れる背が、ぐらっとふらついて倒れ込む。呻く父に駆け寄った男が呼びかけるも、呻くばかりで起き上がれない父に、真緒は跳び起きて、顔を青褪めさせたまま、父の部屋に駆け込んだ。当然真緒の父親は生きていた。冬の日の夜の出来事であった。

 その翌年の夏に、真緒の父は死んだ。人づてに聞いた父の倒れた場所は、夢で見た場所と同じだった。

 これは、真緒の持つ特殊な能力の表れだった。現実に起こる事を夢で見る……。かわいがって飼育していた兎が死ぬ夢や、グラウンドで転んで怪我をする夢。そういった不吉なものばかりではなく、たとえば週末に父がどんなケーキを持って帰って来るのかや、好みの男の子が転校してくる事、失くした消しゴムが勉強机の後ろ側に落ちているなんて夢まであった。

 そのどれもが実際に起きた事で、つまりそれは、今朝見た悪夢がいつが現実になるという事……。

 

「ま、このとーり大丈夫よ、うん。トマトは赤いし空は青い。私は元気ですってね」

 

 いや。なにも、見た夢の全てが現実になる訳ではなかい。時にはあんまりに酷い夢を見て、いつそれが現実になるかと気が気でなかったのに、結局起きずじまいだった事だってあった。

 今回もきっとそうだ。真緒は思った。だって、笑って死ぬような人生はまだ歩んでない。結婚もしてなけりゃケーキ屋だってまだまだ小さい。これで満足するなんてどれだけ枯れているんだって話だ。

 

「……ならいいんだけど」

「そんなに不安なら慰めてくれたっていいのよ~」

 

 なんちゃって、と笑いながら立ち上がった真緒に、真は神妙に頷いた。そっと地面に如雨露を置くと、真緒に近付いて腕を回そうとするので、真緒はぎょっとして、大慌てで避け、距離を取った。

 

「ちょ、ちょっと、冗談よ! 本気でやろうとしなくてもいいの!」

「……ほんとに大丈夫?」

「む……。お、おほんっ。大丈夫ったら大丈夫なのよ。マコ……や、こんな青空見て、気分良くならない訳ないし!」

 

 そう言われて、真は空を仰ぎ見た。どこまでも広がる青と、分厚い雲の白。たしかに、こんな空は見ていて気持ちが良い。胸いっぱいに息を吸いこんで吐き出したくなるくらいだった。

 

 

 ショーケースにケーキやタルトなどを並べて、時間を気にしつつ予約されたケーキの製造に取り掛かる真緒。接客を任された真は、開店直後に入って来た数人の主婦らしき女性達を相手にしつつ、今朝の真緒の様子を不思議に思っていた。

 怖い夢を見たと不安がる様子を見せた真緒だったが、真には、彼女がそれだけで怯えているようには思えなかったのだ。事実その通りなのだが、直接本人にでも聞かない限り、その正体は掴めない。彼女を心配しつつも、仕事をするしかなかった。

 

「Hi! 真ー、今日も私が来ましたヨー!」

 

 昼時になると、いつもの外国人風の女性が来店する。金と黒からなるカチューシャとトレードマークのサングラスが怪しい、門戸(もんど)と言う名の大学生だ。以前お茶に誘われた際、彼女は積極的に身分を明かして、その対価に真の情報を引き出した。その時一緒にいた金髪男は、真が男だと知ると無念で亡くなられた。引き取りに来た弟らしき男は金髪男がショックを受けている理由がまったくわからないまま引き摺って帰って行った。

 なれなれしく名前呼びでショーケース前に寄る門戸に、特に変わらず対応する真。彼はしつこいナンパくらいにしか嫌な顔はせず、ついでに言えばだだ甘な顔を見せるのは妹に対してだけだ。ただ、例外に好物のレアチーズケーキを食べている時は無警戒に頬を緩めるので、真を好いているらしい門戸は積極的にお茶に誘ってその顔を見ようと画策していた。今のところ43戦1勝42敗だ。忙しい真の予定を取る事はなかなか難しく、門戸は初めの一度きりしか彼とお茶の席を設けられていない。以来成功しないお誘いにやきもきしていた。

 

「おはようございマース! 外はいい天気デスよ!」

「そうですね。いい天気です」

 

 愛想笑いを浮かべる真に、今の受け答えの何かが琴線に触れたのか、きゃー、と黄色い声を上げる門戸。

 いい天気だから一緒にお茶しましょ、と続けようとしたのだが、自分に似た言い方で真が答えたのが嬉しかったのだ。

 ぐっどぐっどとサムズアップをしてみせる門戸。ちなみに彼女は、ちゃんと真を男だと認識している。むしろどこをどう見たら女性に見えるのだ、と金髪男に白い眼を向けていたくらいだ。

 

「真はそろそろ休憩のお時間でしたネ! 今日こそ私とお茶するデース!」

「ううん、でも俺、まだ覚えなきゃいけない事がたくさんあるし……」

「ああん! つれないデスネー」

 

 ティータイムは大事にしなくっちゃ、と真を促す門戸だったが、あえなく撃沈。しょんぼりと肩を落とした。そこへ、調理場の方からケーキを抱えた真緒がやって来た。できたてのホールケーキだ。4号と小さ目なのは、これが試作品なためだ。少ない予約をあらかたやっつけた真緒は、新たなケーキの創作に励んでいたのだ!

 そうしてできたのが、緑と赤の彩り豊かなこのケーキ。

 

「名付けて『彩りトマトと新鮮きゅうりのケーキさん』よ!」

「oops! お、お野菜デスカー!?」

「…………」

 

 どちらも屋上菜園で採れたばかりのみずみずしい野菜を使用している。緑っぽいクリームとトマトの切り身が乗せられたケーキは、お世辞にも美味しそうとは言えなかった。

 

「じゃ、マコトクン、休憩よろしくぅー!」

「……食べろって?」

「当然よ! 感想聞かせてねー。あ、デスデスさんも食べる?」

 

 ケーキの乗った皿を真に押し付けた真緒は、門戸を見上げて提案した。完全な善意からくるものだったが、門戸は慄き狼狽え、喜ぶ素振りは見せなかった。

 真とお茶を一緒したい。ちょうど今、真はケーキを食べようと(?)している。ここで一緒に食べようと誘えば念願のティータイムに突入できるかもしれない。しかしそのためには、この未知なる食物を口にする事になる。その勇気が自分に持てるのか。それを乗り越えなければ栄光を手にできないというならば……!!

 

「む~むむ、先生とお茶はしたい……でもあれは食べたくない……けど先生とお茶がしたい……それでもあれはー……」

「風矢さんは食べないの?」

「ケーキマスターを自称する私にかかれば、どんなケーキも美味しく感じちゃうからね。だからマコトクンに頼みたいのよ。こんくらいならぺろっといけるでしょ?」

 

 なんなら瑞希ちゃんも呼んでいいから。

 そう言われて、いや、瑞希にはちょっと……と思ってしまう真。

 

「まあ、いけるとは思うけど……」

「じゃあお願い。私はこっち出てるから、遠慮しないで! ほらほら」

「ま、待つデース! 私も……!」

 

 手を振りつつレジ前の椅子に移動した真緒を見送りつつ、ケーキを抱えて奥に引っ込もうとした真に待ったがかかった。もちろん、声の主は門戸だ。

 

「私も一緒に行きマス……! 覚悟を決めたワ……!」

 

 言葉通り、決死の想いを表情に滲ませ、まっすぐな瞳で真を見据える門戸。

 サングラス越しなのでその眼差しは届かず、大袈裟だなあ、と暢気に思う真。

 ただ、真も真で、このケーキを一人で食べるのは辛そうだと思っていたので、門戸のお誘いを受けた。そもそも仕事を覚えたりがなければ、断る理由がないのだ。定休日の水曜も、真はケーキ作りの勉強で忙しい。掃除もあれば家事もあるし、暇を持て余す瑞希の遊び相手もしなければならない。

 門戸の誘いを一度だけ受けたのは、最初のお休みは勉強しないで全力で休めと真緒に言われたからだ。上司に言われれば逆らわない真は、素直に従おうとして、恩ある二人に誘われて、乗った。いわばお返しのようなものだった。

 

 門戸がいるために店内の飲食スペースにて実食に移る真と門戸。彼女の方は、真と一緒に食事ができて嬉しいんだか、未知なるものを口にしなければならなくて嫌なんだかわからないような顔をしていた。

 

「いただきます」

「い、イタダキマス……」

 

 真緒がレジから見守る中、二人はおそるおそるフォークで切ったケーキを口にした。

 …………。

 予想よりダメージは少なかった事をここに記しておく。

 

 

 季節は巡って、冬。

 一年で最もケーキ屋が忙しくなる季節。

 24・25日は書き入れ時よー、と張り切る真緒に女性用のサンタ服を着せられて、初めて着るスカートに微妙な表情をしつつも客引きに励む真。恥じらいながらも声掛けをする彼の姿は多くの男性の心を掴んだのか、真緒が後悔するくらい客が集まった。この時期は何もしなくとも人が集まるのに、余計な宣伝をした結果だった。半泣きになりながらいつもの八割増しで動き回る真緒と同様、真も目の回るような忙しさを経験していた。トナカイの着ぐるみを着て店先ではしゃいでいた瑞希を慌てて家の中に引っ張り込んだくらいだ。

 ちなみに門戸はいつも通り昼頃から店内に居座って延々ティータイムを楽しんでいた。しかし、着替えた真の格好を見ると唇を尖らせてぶーぶーと抗議した。

 

「そりゃ似合ってマスケドー、真にはもっと格好良い服を着て欲しいデース」

 

 かくいう彼女もクリスマススタイルだ。赤を基調とした厚手の服に身を包んでいる。冬だというのにサングラスをつけているのは如何なものか。以前真がなぜサングラスをしているのかと彼女に聞いた時、彼女は自信満々に「これがあるから生活できるのデース!」とサングラスをつついて見せた。目が弱いんだろうか、とその時は納得した真だったが、よくよく思い出してみれば彼女は感極まるとサングラスを外して顔を近づけてくる癖があるので、その理由ではなさそうだった。

 予約とその場での注文が折り重なって、もう回らないもう無理もう死ぬと真緒がマジ泣きし出したので、ほとほと困り果てた真は、すかさず助太刀を申し出た門戸に、大いに悩んだ。悩みつつ客対応している内に勝手に店内に入って真のエプロン(制服)を探し出してきた門戸は、「思ったよりキツイネー」と言いつつヘルプに入った。接客業に携わった事が無いのか、普遍的な店のマニュアルに当てはまらない言動ではあったものの、持ち前のテンションの高さと素早さでどんどん客を捌いて行った。それには正直大助かりだったので、入ってしまったのは仕方ない、と自分を誤魔化しつつ、その間に真もケーキ作りを手伝いに行って、午後八時を回る頃には、用意していたケーキが冷凍も含めてすべてなくなってしまった。ショーケースの中さえほとんどガラガラだ。ホールが無いならカットでも、と言う人は多かった。

 そうして門戸に大いに助けられる形となった真は、元旦に行動を共にする約束を半ば無理矢理取り付けられて、その日の営業は終わった。ただ、閉店しても今度は翌日のケーキ作りが待っている。クリスマスにケーキ屋が休む暇はないのだ。10号のケーキを三箱も予約していた門戸は、それを持ってるんるんと店を出て行った。

 翌日も彼女が来た事は言うまでもない。

 

 

 光陰矢の如し。時間が流れるのは早い。それが子供の、ともなるとなおさらだ。

 半年もすれば真もいっぱしのケーキ職人になっていて(真緒は釈然としていなかったが)、真緒がレジに立ち真が製造する、という形になる事も珍しくなかった。

 しかしこれに黙っていなかったのは、常連を通り越して従業員レベルで入り浸る門戸だ。真に調理場に引っ込まれてしまうと、彼女は『ちんちくりん』と顔をつき合わせて過ごさねばならなかった。

 だからか、とうとう門戸は従業員になってしまった。大学はどうしたのだろうか。

 入って二日目までは「すっごく怒られマシター」と、親か何かに叱られたのかしょんぼりしていたが、それ以降は真に勝るとも劣らない物覚えの良さで店を支えた。ひょっとして私が世間一般に対して劣ってるのかな、と思ってしまう真緒だった。

 

 

「マコトクン、準備できた?」

「うん。瑞希も大丈夫」

 

 今日は瑞希が近場の小学校に入学する日だ。

 小学校前の並木道には桜の木がずらーっと並んでいて、どれも満開に咲き誇っている様は圧巻だ。風に吹かれて舞う桜の花びらはどこか郷愁を誘う。

 スーツ姿できっちり決めた真と真緒に、こちらも入学用の制服に身を包んでびっしり決めた瑞希が嬉しそうにくるくると回っている。まだまだ子供っぽさは残るが、ランドセルを背負って、普段は着ないような服を着込んだ妹を見ていると、真は思わず目頭が熱くなってしまって、目元を拭った。

 こんなに大きくなったんだな。そう思うと感慨深く、本日の主役が一段と輝いて見えた。

 

「んー、瑞希は可愛いデスネー!」

 

 当然のようにいる門戸に、褒められててれてれてと太ももに手を挟んで恥じらう瑞希。上目遣いで見上げられてやられてしまったのか、がばりと門戸が抱き付き、ひゃー、と瑞希が声を上げる。

 瑞希の人見知りを心配していた真だったが、今の彼女を見て、ふと安心した。

 彼女は最初は怖がって真の後ろに隠れたがるが、相手が無害だと判断すると懐くのは早い。学校でも友達ができないという事はないだろう。

 

「ね? 大丈夫そうでしょ?」

「……そうだね。安心した」

 

 門戸に頬を擦り付けられて、きゃあきゃあと歓声を上げつつ顔を押し返そうとしている妹の姿を見て、微笑む真。その横に、寄り添うように真緒が立った。門戸もそうだが、真緒もまた真と親しくなっていた。共に働き、共に食べ、同じ事に頭を悩ませていれば、こうして距離が縮まるのは当然の事だった。ただ、真緒が淡い恋心を抱いているのに対して、真は友達感覚で付き合っているのが涙を誘う。

 真緒が真を振り返させるには、多大な時間が必要そうであった。

 

 

 瑞希が無事に入学を済ませると、真は教育費を稼ぐためにいっそうケーキ作りに精を出した。

 立地が良く、味が良く、注目を集め、個人経営ながらも十年以上開いているとなれば、テレビに小さく出る事もあったりして、着実に真緒の目標に近付いていく。

 人見知りを卒業した瑞希がお友達第一号のクラスメイトを連れて来て一騒動あったり、創作ケーキではなく普通にはない需要のあるケーキを、とウェディングケーキの予約を受け付け始めた。イギリスの伝統、シュガーケーキから始まって、全部が全部ちゃんと食べられるフレッシュケーキなど、種類は豊富だ。もちろんオーダーメイドにも対応している。

 予約を開始してから最初に注文がされたのは、開始から実に三秒の出来事であった。お買い上げ第一号は門戸だった。相手もおらず式を開く予定もないのに注文してしまうあたり、彼女の思い切りの良さが窺えた。真と食べようと提案して、当然二人だけでは食べきれない量なので、真緒と瑞希に、遊びに来ていた瑞希の学友もケーキ討伐に加わった。

 その姿が宣伝になったのか、式を開かなくとも、パーティ用などに注文する若い客も出てきて、概ね好評だった。

 

 

「お兄ちゃん。ねー、お兄ちゃんってば!」

「ん、どうしたんだい?」

 

 学校生活は彼女の成長に大きく貢献しているのか、これまでよりも早く、瑞希の自意識は形成されていった。世界が広がれば、友達の輪も広がり、最初は一人だけだった、店に連れ込む友達の数も、二人、三人と増え、しまいには男の子も手を引いて連れてきてしまうくらいになった。

 日々背も伸びているようで、そんな彼女の成長に思いを巡らせていた真は、ショーケース越しに背伸びをして自分を見上げる妹に、はっとして聞き返した。

 

「モンブランケーキのご注文だよ」

「ああ、すぐ取るね」

 

 言いつつ、皿を用意してトングでケーキを取る真。

 瑞希は、学校から帰って来ると、友達と遊ぶかこうしてお店の手伝いをするようになった。仕事などはあまりさせたくない真だったが、彼女の自分から動こうとする気持ちを汲んで、受け入れた。ただでさえ昔より妹と過ごす時間が減っているから、こうして一緒にいられるのが嬉しいというのもあった。妹離れのできない兄である。しかしそれは、瑞希も同じだ。活発に、快活に、天真爛漫に。ぐんぐんと育っているものの、まだまだ真にべったりで、甘えたがりだ。

 いつか反抗期などがくるのだろうか、なんて考えてしまう真の思考は、完全に親のものになっていた。

 

 

 アイドルタイムなどには門戸がべったりとくっついてきて、真を困らせる。夕飯を共にしたり、休日に共にケーキ作りの勉強をしたりと多く時間を共有しているから、最近は誘い文句を口にする事は減ってきたが、代わりにスキンシップが過剰になってきた。豊満な胸を押し付けられては、さすがの真もドキドキせずにはいられないから、そういう風にすれば良い反応を得られると学習した門戸はかなり積極的になった。

 目くじらをたてた真緒が「外でやれ!」と怒り出すか、真が「今はやめて」と強めの口調で言えば素直に離れるのが救いだ。奔放でやりたい放題に見える門戸だが、意外と規範や秩序には厳しく、言いつけられれば破らないし、失敗は全力で挽回する。真と一緒にいるために入ったとはいえ、店のために尽力しているのがわかるから、真緒とて多少のスキンシップには目をつぶらざるをえない。私もくっつきたいのに、と乙女心を全開にする真緒に、すればいいのに、と門戸。できたら苦労はしない。想いばかりが募って、今日もせっせと創作ケーキ作りに勤しむ真緒であった。

 

 真も門戸も、最初は素人同然だったのに、今はもう真緒に次ぐ実力を備えている。真緒の技術を全て受け継いでいると言っても過言ではない。

 そして受け継がれているのは、何も職人魂だけではないのだ。

 

「カカロットはいつ見ても格好良いデース」

「……海賊が主人公っていうのも珍しいよね」

「私もさくらちゃんみたいに魔法使いたいなー」

 

 趣味を隠したがる真緒だが、最初に瑞希に漫画を読むよう画策したように、潜在的にはこの趣味を拡散したがっていた。元来語りたがりなのだ。自分の趣味で盛り上がれる相手が欲しかった。

 言えば拒否しない真に、真がやれば自分も、と追従する門戸に、兄の真似っこをする瑞希。これ程浸透させやすい相手はいない。真緒は笑いが抑えられなかった。

 漫画に始まり、家庭用ゲーム、PCゲーム、ドラマCD……勧めれば絶対に拒否しない相手というのは、心地良くて仕方がない。ただ、段階を追ってとなるとなると、なかなか時間がかかる。ケーキ屋家業を営みながらとなればなおさらだ。誰か一人が欠ければこの趣味はそこで終わり。

 真と瑞希はひとまずこの生活から離れないだろうとして、今は真にぞっこんの門戸が、いつ辞めてしまうか真緒は心配だった。そもそも、彼女がどこの大学に通っていたのか、家はどこかなども知らないのだ。

 家に連絡する必要が無い程この店に入り浸っているからなのだが……もうここに住めばいいんじゃないかな、と時折思ってしまう真緒だった。

 

 

 巡り巡って再びの冬を越し、新しい春が来る。真は14歳になった。二年生に進級した瑞希は7歳になっていた。瑞希の誕生日が12月9日なので、少し年齢にずれが生じている。

 ちなみに門戸の誕生日は12月10日だ。瑞希の誕生日に豪華な夕食と共に手作りのチョコレートケーキを用意した真を見て、門戸が自己申告したのだ。特に疑問に思わず次の日に門戸の誕生日を祝おうとした真だったが、直前になって門戸が訂正した。本当は1月の17日という事になっているらしい。らしい、という言葉の意味はわからなかったが、「私にもバースデーソング歌って欲しいヨー!」とぶんぶん腕を振る門戸が微笑ましくて、真は彼女のついた嘘を不問とした。翌年1月にしっかりお祝いした。ただ、蝋燭の本数を用意しようと年齢を聞くと、やたらとはぐらかして教えてくれなかったので、大学生になったばかりだったと仮定して6本の蝋燭を用意した。10の位が1本に、5の位が1本、1の位が4本だ。三人の歌うバースデーソングに嬉しそうにしながらも、どこか申し訳なさそうにする門戸だった。

 

 

 真夏日の事だった。

 定休日の水曜、瑞希はお友達の家に遊びに行ってしまって、真緒はお勉強会に行ってきますと遠くに出掛け、珍しく門戸がおらず、暇を持て余した真は古書店めぐりでもしようと駅前に繰り出した。

 男らしく、しかしカジュアルな着こなしでお気に入りの夏服を着て歩く真に、しかしよくよくかかる声。この感覚は久し振りだった。真に声をかけるのは、ここらでは見た事のない者が大半だった。ケーキ屋の常連ならば彼の性別を知っているので、余程の事が無ければ声をかけようとはしない。挨拶くらいならされるが、それくらいなら良いのだ。

 おかしいなあ、ちゃんと男を意識した格好をしてるのに。

 寄って来る男にも女にもまちのケーキ屋さんの宣伝をしつつ追い払う真。長く伸びた髪がさらに彼を女性的にして男性を引き寄せ、スマートに格好良い服装はたしかに男の色があるため、女性を引き寄せる。

 そして未だに声をかけられると立ち止まって話を聞く癖は治っていないので、やっぱりちょろそうと思われて声をかけられる真だった。

 

 古本屋に入れば、涼しい風が体を撫でる。店内ならば早々声をかけられないだろう。

 真緒の策略によってすっかり漫画を好きになってしまった真は、少年誌も少女誌も関係なしに見て回って、興味を惹くものがないかを探した。自分の分だけではなく、瑞希や真緒や門戸の好みにあったものも探す。真緒はなんでも好いていて、どんなジャンルも楽しめるらしい。瑞希は少女漫画系列の、特に恋愛を主題にしたものに強く興味を惹かれているみたいだ。門戸はああ見えてバトル漫画が好きらしい。真はなんでもないような日常系の漫画が好きだった。

 

「ん……」

 

 趣味に合うものはないかとタイトルを眺めながら移動しつつ、時折手に取ってぱらぱらと読んでみたり。

 棚と棚の間を移動していると、CDコーナーやPCゲームコーナーに入り込んでしまう。真にとって目に毒なものもあるので、すぐさま退散しようとしたのだが、ふと、知っているタイトルが目に入った。

 

「……東方……たしか、とうほうって読むんだっけ」

 

 近くに寄って見てみれば、CDケースと同形状のものが、棚の一角に大きくスペースをとって並べられていた。

 『東方紅魔郷』。『東方妖々夢』。『東方永夜抄』。『東方花映塚』……。

 その内の一つ、並び順からして一作目にあたるだろう紅魔郷を手に取った真は、裏面を見てみたりして、それがシューティングゲームだと知ると、眉を寄せた。……シューティングゲームは苦手なのだ。しかし瑞希は好きだったはず。値段は1500円と高くはないが、安くもない。お試しに買うには少し抵抗がある。むむ、と悩む真。真緒の部屋にあった『東方』は漫画だった。ゲームを持って行って喜ぶかどうか……。

 そんな真に近付く影があった。

 

「それを買おうと思ってるのかしら」

「……?」

 

 金髪の、美しい女性だった。流暢な日本語だな、なんて考える真の横にぴったりくっついた女性が、内緒話をするように顔を近づける。

 

「あなたは、それに関わらない方がいい」

「……」

 

 唐突な警告だった。

 真は、すぐには彼女の言葉が呑み込めなかった。

 買うな。そう言いたいのだろうか。

 しかしなぜ、彼女はそんな事を自分に言うのだろうか。

 頭を疑問で満たし、怪しげに女性を見る真。

 夏の暑い日に似つかわしい薄手の……ドレス。全体的に紫で統一されたその服に違和感を抱き、彼女の手を肘まで覆う薄手の手袋を見つけて、不信感を高める真。

 そんなに警戒しないで、と軽い調子で女性が言った。女性……女性で正しいのだろうか。背は真と同じくらいか、それより低いか。少女とも言える風貌の女性に、真は、なぜ関わらない方が良いのか、と問いかけようとして、妙な事に気付いた。

 人の気配がしないのである。

 店内に満ちていた活気。人の行き交う気配。息遣い。

 それらがまったく感じられず、店内に流れる軽快なBGMが、真の耳に虚しく響いていた。

 

「人は、人のままでいれば良い……そうは思いませんか」

「……失礼ですが」

 

 仰る意味がわかりません。そう続けようとして、妖しく輝く瞳に捕らわれた真は声が出せなくなった。身体が強張り、手に持つゲームを取り落としてしまいそうだった。

 

「選択ですわ。踏み出すか、踏み留まるか。選ぶのは自由ですが、私は引き留めます」

「……なぜ」

「それは――」

 

 ふっと微笑んで理由を説明しようとした女性が、次には「あっ」と間の抜けた顔になった。

 

「あ、う、うふふ。まさか、引き留めたりなんかしませんわ。ええ、しませんとも。私はちょっとお勧めを言いに来ただけで……こちらの妖々夢や永夜抄などは特にお勧めよ? なんたって美人で賢い妖怪が出てるんだもの。買うならこれね~。で、では、私はこれで」

 

 ささっと棚から二つのゲームを取り出した女性は、それを真の胸に押し付けると、何かから逃げるように立ち去った。気のせいか、自分の後ろを気にしていたような……。不思議に思った真が背後を振り返ってみても、どこかから入り込んだ蝶々が一匹飛んでいるだけだ。青くて綺麗だな、としばらく蝶の軌跡を目で追っていた真は、我に返ると、腕の中にある三つのソフトに目を落とした。

 

「……全部、買うか」

 

 気に入らなかったらその時はその時だ。

 先程の女性の警告は、瑞希の喜ぶ顔に押し流されて、消えてしまっていた。

 喜ぶといいな、と妹の事に頭を巡らせつつバッグを肩にかけ直した真は、新たに取ったソフトを含めた4つを持って、人の気配の戻った店内を歩き、レジへと向かうのだった。


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