なりきり妖夢一直線!   作:月日星夜(木端妖精)

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追記

注いぎで →注いで に修正しました。
お手を  →の手を に修正しました。
激励を  →激励の に修正しました。


第五十七話 お誕生日会

「ねえ、このか。さっきの」

「ほい、深月ちゃん。あーん」

「あーん……むぐ。……ねえ、このか」

「あーん」

「あーん……むぐむぐ」

 

 場所を移して、とあるファミレスに連れてこられた深月は、このかとセツナに囲まれて延々ご飯を口に詰め込まれていた。先程何を話して解散になったのか、珍しくよく聞こえていなかった深月は気になって何度も聞こうとしているのだが、そのたびにこのかのあーんによって口を封じられてしまっているので、数十分単位で時間が経っているのにも関わらず、何がなんだかわからないままであった。

 

「せっちゃ~ん。ほら、せっちゃんも!」

「え、いえ、私はその」

 

 せっちゃんも深月ちゃんにあーんしたげて、と言われて困り顔になるセツナ。しかし、このかに口に入れられたものを飲み下した深月がセツナを見上げると、ただここにいるだけではお嬢様に申し訳ない、とスプーンを手に取り、深月の前にある、半分ほど減っているグラタンをすくって持ち上げた。とろりとチーズの糸を引く。

 

「せっちゃん、ふーふーしてあげなあかんえ」

「はっ、そ、そうですね。では、失礼して……ふ、ふー」

 

 顔を赤らめながらもスプーンに乗せたグラタンに息を吹きかけるセツナを見上げながら、深月はなんでこんな事になってるんだろうと考えていた。最近は少しずつ常識がついてきて、何がやって良い事で悪い事、何をすると恥ずかしいか、恥ずかしくないかもわかってきた今、疎らにいる客の視線が集中するような環境で子供のような扱いを受けるのはこの上なく恥ずかしく、しかしながら、構われたり想われたりするのは嬉しかった。

 

「あ、あーん」

「……あーん」

 

 元々日が傾きかけていたところに、謎の待機が入ったため、窓から見える空は完全に橙色に染まっていた。およそ五時間近く待たされている秀樹の事が深月の頭に浮かびかけた時、このかの携帯に着信が入った。

 

「準備できたって」

 

 携帯の相手と二言程交わしたこのかは、そう言いながら通話を切り、残り少ないグラタンを深月にやっつけさせると、小休憩を挟んだ後に深月の手を引いて店を出た。会計はセツナ持ちだった。

 

 このかとセツナに連れられた深月がやってきたのは、大きな広場だった。所狭しと長テーブルが並べられていて、合間を縫うようにクラスメイトの姿があった。今もなおカートを使って料理が運び込まれ、並べられている。どこからか、と見回せば、広場の端に超包子の車屋台があって、四葉五月と見知らぬ女性が忙しなく動いていた。深月が見ている事に気付くと、小さく手を振ってくる。手を振り返した深月は、そのまま辺りを見回した。遠巻きに眺める見物人なんかもいて、凄い騒めきだ。ずっと向こうには何かのステージまである。

 こっちこっち、と声を張り上げるアスナの下へ移動する。その最中、深月は何度もクラスメイトに声をかけられた。いきなりみんなテンションが高いので、深月は目を白黒させて、ただこのかに手を引かれるまま歩いていた。

 アスナの下に来ると、ネギと雪広あやかも一緒にいて、深月が見上げると、あやかは満面の笑みで腰をかがめ、深月の両手をとって包んだ。

 

「聞きましたわ、妖夢さん。いえ、今からは深月さんでしたわね!」

 

 あやかまでもが自分が深月になったと知っている事に目を見開いた深月は、慌ててアスナとネギを見た。

 

「ごめんね深月ちゃん、びっくりさせちゃったかな」

「すみません、このような形で」

 

 このような形、という言葉の意味は分からなかったが、心構えができていないところに爆弾を落とされた気分だったので、深月はどういう事かと二人に聞いた。

 

「深月さん、まだ自分をちゃんと認識できていない様子でしたので、それならば、と、みんなで相談して誕生日会を開くことにしたんです」

「たん、じょう……び? だ、誰の?」

「深月ちゃんのよ。お兄さんと戦う前にそんな様子じゃ危ないからって、それから、クラスのみんなにも深月ちゃんを深月ちゃんだって認識してもらうために、いいんちょに頼んでみんなを集めてもらったの」

「まったく、急な話で驚きましたわ。いきなり『深月ちゃんの誕生日会を開きたい』などと……。というか、彼女に知らせていなかったのですか?」

 

 こんなに驚いてしまっているではないですか。

 そう言われて、ぎゅっと手を握られた深月は、それでようやく自分が呆然としていた事に気付いた。

 秀樹との戦いを前にして、まさかこんな大きな催しが開かれるとは、夢にも思っていなかったのだ。

 しかも主役はどうやら自分。そんな経験のない深月は、もうどうしていいかわからなくて、ただ説明を聞く事しかできなかった。

 慌てて謝ってくるアスナやネギに首を振って、このかを見て、セツナを見て、未だ自分の手を握っているあやかを見て。

 やっぱり深月は、これがいったいどういう事なのか呑み込めなかった。

 

「それにしても、今日が深月さんのお誕生日だったなんて知りませんでした。クラスメイトの誕生日を把握できていなかったなんて、この雪広あやか一生の不覚……!」

 

 その代わり!

 さっと体を上げたあやかが、片手は深月の手を包んだまま、どこか遠い所に顔を向けて腕を上げた。

 

「今日はせいいっぱい深月さんを祝福して差し上げますわ! きっとこれ以上ないくらい、思い出に残るお誕生日会にしてみせます!!」

 

 きらきらと光を振り撒いて宣言するあやかに、深月はぽかんとして見上げるのみだ。

 勢いに呑まれたまま、とんとん拍子に話は進んでいく。祝いの日に相応しい格好を用意しました、などと言われて簡易衣装室に放り込まれ、女性の使用人にもみくちゃにされて、あっという間に深緑色のパーティードレスに着替えさせられてしまった。左胸に走るフリルの縦線、その中心にあるサファイアのブローチは本物の宝石だろうか。カチューシャにはリボン代わりに黒い造花が添えられていた。当然刀は取り上げられてしまっていたが、次から次に予想もつかないことが立て続けに起こってショート寸前の深月の頭では抗議する事すら思いつかず、そのせいか、さほど気にならなかったようだ。

 薄く化粧までされてこのかやアスナに可愛い可愛いと囃し立てられ、なんとなく得意になった深月は、その場でくるっと回ってスカートを広がらせてみたりした。

 

「よくお似合いですわ、深月さん」

「わー、お化粧ですか! すっごく印象が変わって見えますねー!」

 

 大人っぽくて素敵ですよ!

 ネギやあやかにも褒められて、満更でもない深月。えへんと胸を張ってみたりなんかして。

 そうこうしている内にクラスメイトが全員集まり、料理も用意され、開催の準備が整うと、あやかは深月の手を引き、ステージへと導いた。

 え、え、と小さく零しながら引っ張られていく深月に、がんばってな~と暢気な声援を送るこのか。

 ステージに上がったあやかは、マイクの前に立つと深月の手を離し、マイクの調子を確かめた。騒めきはなくなり、みんなの視線がステージ上に集中すると、深月は初めてクラスメイトを前にした転入の日と同じようにかちんこちんに固まってしまった。かわいー、と複数の声が上がる。何人かがステージのすぐ傍に集まって来た。

 

「みなさま、本日は急なご招待にも拘わらず集まって頂き、ありがとうございます。本日は連絡した通り、こちらの三原深月さんのお誕生日会を開きたいと思います」

 

 そこで一旦あやかが言葉を切ると、どよめきに近い波が少女達の間に広がった。彼女らの知る魂魄妖夢を指して三原深月と言った事に困惑しているのだ。

 

「ええ、みなさん疑問にお思いでしょう。そうです、彼女、魂魄妖夢さんは、今日、三原深月さんとなったのです」

 

 それだけ聞くと意味のわからない言葉。疑問の視線ばかりが深月に集まると、深月はますます青褪めて、身を固くした。

 

「とある事情から魂魄妖夢と名乗っていた彼女ですが、本当の名前は三原深月と言うのです。それを周知するとともに、折良く彼女の誕生日が今日でしたので、クラスに新しく彼女が誕生するのを祝福するため、こうして大きな催しとしたのです」

 

 一息に説明されると、どよめきはやがて静まった。あやかがマイクに手を添え、キュ、と音を鳴らして胸より下程まで縮ませると、目をつぶって一歩引き、深月に視線をやって、「さ、ご挨拶を……」と小声で呼びかけた。

 どきりと心臓を跳ねさせた深月は、たくさんの視線に晒されながら、知ってる人、知ってる人と何度も口の中で呟く事で緊張を解しつつ、機械染みた動きでマイクの前に移動した。右手と右足が同時に出ていることに誰かが笑っても、それを気にする余裕は深月にはなかった。

 

「…………」

 

 呼吸の音がマイクを通して広がった。ここに来て、深月は頭が真っ白になって、何を言えば良いのかわからなくなってしまっていた。

 それも当然の事。こんな経験は片手の指で足りるくらいにしかなく、しかも突然なのだ。事前にカンペを用意したわけでもなければ、スピーチの内容を考える時間もなかった。

 実のところ、アスナ達はあやかに誕生日会の開催を頼んだものの、その内容の運び方までは詳しく指示しなかった。ただ、深月である事を周知し、みんなに受け入れてもらえるようはかって欲しい、ただそれだけをお願いしたのだ。だから、まさか深月がスピーチする事になるなんて予想もしていなかった。

 固唾をのんで深月を見守るネギ達。

 何十もの視線が自分に集う感覚は、深月にとって地獄と同じだった。元来大人しい性格の彼女は、こういう風に衆目に晒されるのは苦手なのだ。戦闘において素晴らしく機転の利く頭は、日常に関してはポンコツ極まりない。最初の一言すら絞り出せないありさまだった。

 しかし深月は、この場を用意してくれたあやかが傍にいる事や、このかやネギ、アスナ、そして白き翼のメンバーが見てくれている事……また、クラスメイト全員が自分のために集まり、今、自分の言葉を静かに待ってくれている事を想い、勇気を振り絞った。

 

「ぁ……」

 

 キィィ。マイクが大きな音を発して、出鼻を挫かれる。

 ……いや。

 そんなマイクの叫びなど深月は関係ないように、深く息を吸って、吐いた。

 一度声を出して随分落ち着いた。改めてステージから辺りを見回せば、そこにいるのはみんな知っている人だけだ。よく話す人、そうでない人……違いはあるが、半年以上を共にしたクラスメイトに変わりはない。ずっと向こうにはエヴァンジェリンだっているし、料理をしていた五月だって、手を止めて屋台から深月を見ている。葉加瀬だって、綺麗な白衣を着て来てくれているし、幽霊のさよだって朝倉の隣に浮かんでいた。

 いなくなってしまった超を除けば、深月のクラスメイト全員がここにいる。

 それは、怖がったり、辛がったりするものではなく、嬉しく思える事のはずなのだ。

 そう認識すると、深月の胸に暖かいものが広がって、思わず深月は自分の胸を強く押さえた。

 

「――、こんばんは」

 

 驚くほどするりと喉を通り、透き通った声が出た。

 マイクを通して拡声されたそれに、こんばんはー! とクラスメイト達が答える。いつものノリだ。深月のよく知る、騒がしいクラスの、いつも通りのノリ。

 テンション任せに飛び跳ねる人の顔もはっきりと見えて、深月は自然と笑みを浮かべていた。

 幾度か胸の内で言葉を繰り返し、喋る言葉を纏めていく。直前にあやかがスピーチを行っていたため、それを参考にすればいいと気付いた深月は、その分気を楽にしてそっとマイクに口を近付けた。

 

「今日は、お忙しい中、私のために集まってくれて、ありがとうございます」

 

 いいよー、とか、気にしないでー、とか、そんな声が飛んでくる。一言一言、ゆっくり、噛んでしまわないように丁寧に。

 深月の囁くような声は、誰の耳にも心地良く届いていた。

 

「…………」

 

 離れた場所にいる秀樹の耳にさえ。

 

「先程、い、あやかさんがお話しした通り、私は、今日をもって魂魄妖夢ではなくなります」

 

 噛みしめるように、自分で言った言葉を自分の胸の中で繰り返す。

 みんなに伝えるのと同じくして、自分自身にも伝える。今から、本当の意味で変わるんだよ、って。

 日が沈み、月と星の光が降り注ぐ。ステージに備え付けられたライトが下から深月を照らし上げ、広場の左右に立つライトスタンドが、クラスメイト達に強い光を降り注いでいた。

 

「私は」

 

 くっと唇を合わせて、一瞬ためらう。

 過去との決別。未来への一歩。

 大丈夫、一歩を踏み出す勇気なら、みんなが与えてくれる。

 深月の緊張は、みんなにも伝わっていた。きゅっと目をつぶり、胸に手を押し当て、口を引き結ぶ彼女を、誰もが固唾をのんで見守り、心の中で後押しした。

 

 がんばって。

 

 想いは、しっかりと深月に届いた。

 

「私は」

 

 目を開け、顔を上げ、はっきりと声を出した深月には、もう迷いも恐れもなかった。

 ここに敵はいない。ここに、自分を否定する者はいない。

 その事を、深月は肌で、目で、心で感じていた。

 

「私は、三原深月です」

 

 どうか、これからもよろしくお願いします。

 そう言って深月が口を閉じると、場はしんと静まり返った。

 しかし深月は、それを不安に思ったりはしなかった。みんなの想いが自分に届いたように、自分の想いもみんなに届くと信じていたからだ。

 熱気が爆発する。

 そう錯覚するほど、一斉にクラスメイト達が深月の名を呼んだ。よろしくね、よろしくねと口々に言い、手を振って、深月へ好意を伝える。

 信じていても、緊張しない訳ではない。ちゃんと伝わった事にほっと息を吐くと、後ろであやかが拍手をした。つられてか、まばらに拍手が広がり、それが全体ともなると大きな音の波となる。

 深月はしばらくの間、新たな誕生を祝福された。

 

 

「それではみなさま、心行くまでお楽しみください」

 

 そういって締め括ったあやかに、「やっほー!」「ご飯だー!」「楽しむよー♡」と好き勝手に騒ぎ出す面々。あやかは深月に微笑みかけると、素晴らしい勇姿でした、と褒めた。

 

「深月ちゃん!」

 

 舞台袖からこのかが呼びかける。走り寄ろうとした深月を手で制したこのかは、深月の頑張りを最大限称え、労うと、今はクラスのみんなとお話しよ? と促した。

 スピーチの成功で気持ちが昂っていた深月は、それを拒絶と受け取ることはなく、素直にうんと頷いてあやかの元に戻った。

 このかとは、後で、たくさんお話しできる。でもそれまでは、今まで話していなかったクラスメイトとたくさんお喋りしよう。そう考えたのだ。

 あやかに先導されてステージ真ん中に備え付けられた階段から下りると、近くにいた四人が深月を囲った。和泉亜子、釘宮円、椎名桜子、柿崎美砂。深月とあまり話した事のない面々だったが、それを感じさせないほどの気安さで祝いの言葉を贈った。

 

「おめでとうさん。深月ちゃん、格好良かったよ」

「これからもよろしくね」

「うんうん。むしろこれまで以上によろしくしようねー!」

「私心の中でばりばり応援しちゃったよ。んー、若いっていいね!」

 

 美砂、それちょっとおばさんくさい。なんと、うら若き乙女に向かって!

 そんな風に目の前で盛り上がられるから、深月もつられて心が浮かび上がって、くすりと笑った。

 

「わ、よ、深月ちゃんが笑っとるの初めて見たわ」

「笑顔はいいよ~、人を元気にするよ~!」

 

 一度妖夢と言いかけて、すぐに言い直す亜子。ぱしぱしと桜子に肩を叩かれて、深月は恥ずかし紛れにお礼を言った。

 

「私の……お誕生日会に来てくれてありがとうございます。……えと、用事とか、あったかもしれないのに」

「いやいや、ここでお誘い蹴るほど白状者じゃないよ、私達」

「そーそー。カラオケなんていつでもできるしねー」

「とかゆって、ギリギリまで粘っとったやんか」

「ああん、それ言っちゃったらかっこつかないじゃん!」

「大丈夫、桜子は最初から格好良くないから~」

「可愛い系、可愛い系」

「そ、そう?」

 

 あはは、と自然な笑いが上がった。どうやら彼女達は、カラオケの最中に連絡を受け、すぐさま……いや、ギリギリで切り上げてパーティに参加したようだ。

 

「そうそう、私に敬語はいらないよ」

 

 口元に手を当てて控え目に笑う深月に、円が言う。すると連鎖して、他の三人も敬語の撤廃(てっぱい)を要求した。さらに駄目押しと、名前呼びまで要求する。

 深月は、こういう風に下の名前を許されて呼ぶ経験など少なかったので、少々恥ずかしがりながらもそれぞれの名前を呼んだ。

 

「……アコ」

「ん、オッケーや」

「……マドカ」

「うん、それでいいよ」

「……サクラコ」

「とってもカタカナチックだね。でも素敵だよ!」

「……ミサ……さん」

「ん? あれ、なんで私だけさん付け?」

「にゃははー、やっぱ美砂はおばさウ゛ッ!」

「鳩尾!」

「さ、桜子ーっ!」

「世の中言って良い事と悪い事があるんだよ、深月ちゃん。わかったかな?」

 

 すっごく笑顔ですっごくテンションの高かった桜子が、鳩尾を押さえて無言で蹲っているのを見て、深月はこくこくと頭を振った。

 

「て訳で私にさんはいらないよ?」

「う、うん……わかった。み、ミサ」

「うむ、それでよし」

「って、酷いよ美砂ー!」

 

 ぐっとサムズアップする美砂に、復活した桜子がぷんすかと抗議する。ごめんごめんと謝られると、もー、ひどいんだからね、と許してしまうあたり、仲の良さが窺えて、深月はそういう関係に憧れを抱いた。

 じゃれ合いに似たそれが一段落すると、彼女達は深月に向き直って、

 

「今日は深月ちゃんのために演奏するよ」

「オールできなかった分まで、本気の本気で歌っちゃうよー♡」

「あわわ、き、緊張してきてもーた……」

「正式にオファーされるなんて早々ないからねぇ。お姉さん達の演奏、その胸に焼き付けてあげよう!」

 

 ステージは何も、スピーチのためだけに用意されていたのではない。彼女達『でこぴんロケット』の演奏のためでもあったのだ。

 自分のためにそこまでされるとなると、恐縮してしまう深月。でも、そうやって縮こまるより、楽しみにしてると彼女達に言った方が断然良い事はわかった。

 だから、「がんばって! 楽しみにしてる」と彼女達を応援した。

 

「ん、君のための演奏だから、最高の応援だね」

「やる気チャージ、マックスだよ~!」

「かか柿崎、柿崎、柿崎、ひ、ヒトって字ぃどう書くんやったっけ???」

「落ち着け」

 

 手の平に何やら書こうとして指をさ迷わせ、柿崎に助けを求める亜子を、他の二人が笑って眺める。理想的な友達の関係。そんな関係を自分は築けているだろうか。思い返してみても、深月は今、目の前で繰り広げられている眩しい光景を手にした記憶はなくて、結局、今までの自分はただ縋り付いていただけなのだと思った。このかにも、アスナにも、ネギにも、甘えっぱなしで。友達というのは、そういう一方通行の関係ではないはずだ。

 ……三原深月に戻った自分なら……素の自分なら……先生達と、そんな関係を作れるだろうか。

 先生なら、人殺しのこの汚れた手を包んでくれるだろう。……でも、それだけじゃ駄目だ。私も、先生の何かを……辛い部分、苦しい部分、悲しい部分を包み込まなきゃ。そうしなきゃ、友達にはなれない。

 心機一転。今から心を入れ替えた深月は、今度はちゃんとネギと友達になろうと決意した。

 

「ほにゃらば私達は、ライブまで食べまくるよー!」

「あんまり詰め込み過ぎるとお腹痛めるよ」

「ひっひっふー、ひっひ……」

「それは深呼吸ではない」

 

 食べ歩きとばかりに、お皿片手にテーブルへ向かう四人と別れ、深月は前に進んだ。

 

「おりゃー!」

「とりゃー!」

 

 しかしすぐに待ったがかかる。

 こちらもお皿片手に突進してきたのは、鳴滝風香と鳴滝史伽の姉妹だ。避ければ二人がぶつかってしまう事がわかっていた深月は、あえて突進を受け入れ、ちょっと後悔した。

 

「ミツキー?」

「ミツキはようむじゃなくてミツキだったんだね!」

「ミッキ――」

「こらこら、お皿を持ったまま暴れるのはいかんでござるよ」

 

 深月を両側から挟み、器用に片腕だけで腕を絡めてくる二人に困っていると、二人を諌める救世主が現れた。白き翼のメンバー、長瀬楓だ。

 かえで姉ー、かえで姉ーとテンションが振り切れた双子がお皿片手に楓の周りをぐるぐる回る。が、二人ともがっしと頭を押さえられて動きを止められた。

 

「二人とも。楽しむのも良いでござるが、まずは言うべき言葉があるでござるよ」

「今言おうと思ってたよ!」

「ですー!」

 

 楓に促され、お皿を預けた二人は、再度ぶつかるようにして深月の両サイドをとり、声を合わせて「お誕生日おめでとー!」と祝福した。そして、言うが早いか、何か食べないの何か食べないの、とってあげるねあれが良い、とってあげるですあれをです、とあっちへ行ったりこっちへ行ったりの大騒ぎ。和漢洋と並べられた料理はできたてほやほやの温かさで、風香と史伽と食べさせ合いっこなどをした深月は、やがて満足した二人に解放されて一息ついた。押し付けられたお皿には二人が選んだ料理が山と盛られている。少食の深月には明らかに入りきらない量だ。しかし、一度盛ってしまった以上、戻したり残したりする訳にはいかない。料理とは愛だ。かつて兄にそう教えられた深月は、十年生きてきて、よっぽどのことが無い限り食べ物を残した事はなかった。しかしそれは、いつも料理が自分に食べ切れる量だったからだ。口をつけたこれを他人に渡す訳にもいかない深月は、冷や汗が流れる思いで料理を見つめた。

 

「お困りですか~るるるのる~」

 

 ぼうっと料理を眺めている姿が気になったのか、一人の少女が深月の下に歩み寄って来た。

 白衣を身に纏った葉加瀬聡美その人だ。四葉五月と茶々丸も一緒にいて、二人ともがぺこりと頭を下げた。

 

「呼ばれなくても飛び出てじゃじゃん。むむむ、満腹度60%! これではそのお皿の料理を平らげる事敵わないでしょう!」

 

 妙なテンションでモノクル型の機械を弄り、深月をじぃっと見つめた葉加瀬は、大袈裟に驚く身振りをした後に、しかしご安心を! と笑みを浮かべた。

 

「茶々丸、深月さんに例のアレを!」

「……ハカセ、そのような物品、または機能は与えられていないと認識しますが」

「えー、あれー? 昨日? とか今日? とかなんか作んなかったっけ??」

「いえ、ハカセがここ数日発明した物品は全て損傷・廃棄しています。そして今開発中の機械はまだ稼働できる状態ではなかったかと」

「そうだったっけかなー」

 

 はかせさん、徹夜はほどほどにしないと、体を壊してしまいますよ。心配そうに、五月が葉加瀬に声をかける。

 よく見れば、葉加瀬の目の下には濃い隈があった。そんな状態でよく動けるものだと思うと同時、そんな状態なのに自分のお誕生日会に来てくれた事に感動する深月だった。

 

「まーそれでも問題、ないですねー。なんたって五月さんの料理は絶品ですから、べつばら、べつばらー」

「……すみません、深月さん、四葉さん。私はハカセを休ませてきます」

 

 さすがに葉加瀬の状態を危うく思ったのか、一言断った茶々丸が葉加瀬の背を押してこの場を後にしようとする。お願いしますね。向こうに疲労回復に効果のあるスープがあるので、帰る前に飲ませてあげてください。その背に、五月が声をかけた。

 二人の背中を見送り、それが見えなくなると、五月は深月に向き直って、お誕生日おめでとうございます、とにっこり笑った。

 

「ありがとうございます。……あの、これ」

 

 深月が困り顔を自身の料理に向けると、屋台にラップやタッパーがあるから、食べきれなかったら包んでください、と五月が言った。その言葉に甘え、さっそく屋台へ向かう深月。五月は別の誰かに用があるようで、その場でお別れだった。

 

「ん、お前か」

「みみ、深月!? ど、どどっど、どうしたんだ!?」

 

 そうして屋台にやってくると、そこにはセツナと龍宮真名が座っていた。店番はいないことから、単にベンチ代わりにしているだけだろう事が窺える。

 

「タッパーを貰いに来たの」

「どうしたんだ、そんなに盛って。誰かにやられたか」

 

 酷く慌てた様子のセツナを怪しく思いながらも、深月が簡潔に答えると、真名はふっと笑って深月の持つ山盛り料理を見た。いくつかの種類の料理が重なって半ば混ざり合い、なんとも言えない色合いになってしまっている。

 

「鳴滝姉妹。私が断れなかったから……」

「はは、あの子らは元気が有り余ってるからな。巻き込まれたらタダではすまんだろう」

「その結果そうなったんだな……」

 

 朗らかに鳴滝姉妹を評する真名は、随分と機嫌が良さそうだった。何か実入りの良い仕事でもあったのだろうか。落ち着いたらしいセツナは、憐れむような目を深月に向けていた。自分が対象だった場合の悲惨さを想像しているのだろう。

 屋台に入り込んだ深月は、わかりやすく張り紙で示されていた場所からタッパーを一つ抜き出して、せっせと料理を移し始めた。肉料理も野菜料理もごっちゃになってしまっている。スープ料理が無いだけましか。

 明日の三食はこれで決まりだな、と溜め息をつく深月に、遅まきながら、と真名。

 

「誕生日おめでとう。プレゼントなどはあいにく用意できていないが、祝いの言葉だけは送れるよ」

「そういえば、私も言ってなかったな。おめでとう、深月。これで、えーと」

「……いちおう、十歳?」

 

 ありがとう、と二人に返しつつ、誕生日、今日じゃないんだけどなあ、と思う深月だった。

 無事全てをタッパーに収める事ができた深月は、備え付けのメモ用紙に名前を書いて張り付け、冷蔵庫を使わせてもらって、軽くなったお皿を片手に屋台を出た。ちょうどステージの方で亜子らのライブが始まろうとしていた。

 

「肴にはもってこいだな。そうは思わんか、三原深月」

「そうっスね~、いや、まじそうっスね~」

 

 ステージからもっとも離れたこの位置に、一人椅子に座って優雅にティーカップを傾けるエヴァンジェリンの姿があった。猫のような目をして同意する春日美空に、貴様には聞いとらん、と声音だけ不機嫌そうに言う。

 

「……何、してるんですか?」

「見ての通りだよ。紅茶を飲み、食に舌鼓を打ち、演奏を聞いている。それ以外の何に見える?」

 

 深月は、死んだ目で給仕紛いの事をし続ける美空を見やった。

 どう見てもクラスメイトを扱き使って偉そうに踏ん反り返ってるように見えたのだが、深月は賢いので、それを口にする事はなかった。

 とても賢いので、美空がエヴァンジェリンに見えないように深月に向けて必死のメッセージを送っているのも、気付かないふりをした。

 

 た・す・け・て

 

 口パクで訴えかける美空から目を逸らす深月。さすがの深月にも、これはどうする事もできそうになかった。

 

「ふん。私を前に異様にこそこそとしていたからな。ちょっとお灸を据えてやっていただけだ」

 

 視線を逸らした先がエヴァンジェリンだったためか、彼女は言い訳をするように経緯を話した。それから、もういいぞ、と手を振って美空を解放した。

 まじっすか、と大歓喜の美空に手を引かれ、エヴァンジェリンから離れた場所に来る深月。美空は手を合わせて深月に感謝した。

 

「いやー、助かったよ、マジで。ずっとあのままなんじゃないかと思ってたわ。あ、誕生日おめでと。これ、お礼兼誕生日プレゼントね」

 

 ささ、お納めください、と渡されたのは、食券六枚だった。なんとも微妙な枚数である。

 深月が食券から目を離し、顔を上げた時には、すでに美空は姿を消していた。

 いちおう貰い物は貰い物なので、大事に手に持って歩く深月。

 BGMはかつて学園祭で一度聞いたことのある曲だ。自然とふんふんとリズムをとりつつ、気になった料理の傍に行って一口だけ食べてみたりと、この催しを堪能する深月。時折ステージの方を向いては、誰かの上げる声に合わせて声援を送る。彼女達のライブは学園祭の時より観客が少ないというのに、負けないくらいの盛り上がりを見せていた。程良い緊張と本物の本番ではないという無意識下の認識がそれぞれにベストな演奏を可能とさせているのだろう。音楽に疎い深月が聞いていても、前より良いな、と思えた。もちろん、前が駄目だった訳ではない。自分の誕生日に、自分のための演奏。これを特別に思い、良いなと思わずして、何を良しとするのだろう。

 これまた離れた場所に一人で食事をする長谷川千雨の姿を見つけた深月は、興味本位に近付いて行った。

 どこか気落ちしているような彼女を深月が下から見上げると、うお、と露骨に驚かれてしまう。

 

「ああ、あんたか……。はぁー」

 

 わざとらしい溜め息。深月は素直にどうしたのかと聞いた。

 

「……あんたが本物じゃないっての、今さら実感しててな」

「……それは、ごめんなさい」

 

 どうしてそこまで落ち込んでいるのかは理解できなかった深月だったが、ひょっとして自分が嘘ついていたことに傷ついているのだろうかと推測して、謝った。すると千雨はばつが悪そうにして、いや、私こそ悪かった、と謝った。

 

「ちょっとあてつけがましかったな。いいよ、あんたは好きでやってたんじゃなかったんだろ」

「……でも、私」

 

 嘘ついてた。そう続けようとした深月を押し留めるように、それでも、と少し大きめの声でいう千雨。

 

「そうせざるを得ない状況に追い込まれてやってたんだから、好きでやってたんじゃないんだろ」

 

 と、同じ言葉。再度の否定は許されそうになかった。

 

「あら、なんのお話ですか?」

「げ、戻ってきた……」

 

 そこに、雪広あやかがやってきた。両手にそれぞれグラスを二つ持っているのと、千雨の言葉を鑑みれば、深月が来る前は彼女が千雨と一緒にいたのだろう。

 

「どうぞ。烏龍茶でよろしかったですわよね?」

「あー、わざわざご苦労さん。……もういいか?」

「ええ、よろしいですわ。……なーんていきませんわよ。せっかくのパーティ、壁の花は寂しいですわよ、千雨さん」

「いーんだよ、好きでやってるんだから」

「では私も、好きで千雨さんの傍にいさせて貰いますわ。これを機会に、もっと交友を深めましょう」

「なんなんだあんたのそのぐいぐい来るスタイルは! 冗談はその中学生にあるまじきスタイルだけにしてくれ!」

「ふむ……それを言えば、千雨さんも悪くないプロポーションであると思えるのですが」

「……、……。深月、ちょっとこの人引き取ってくれないか?」

 

 心底うんざりした目を向けられた深月は、静かに首を振った。自分も努めて友達作りに精を出してみているが、存外楽しいもので、その楽しさを千雨にも知ってもらおうと珍しくお節介を焼いたのだ。

 飲み物を飲んだりライブに集中したりして頑なに一人でいようとする千雨だったが、あやかのペースに乗せられて会話しだすのにそう時間はかからなかった。千雨も別に、人と話すのは嫌いではないのだ。ただ、3-Aの面々と話していると自分の常識が狂っていく感じがするので遠慮したいと思っているだけで。

 

「うんうん、良い感じ!」

『良い感じですー』

 

 パシャリと音がして振り返れば、朝倉和美と相坂さよの二人がそこに立っていた。食べる事もそこそこ、写真撮影に専念しているらしい。今のは仲良くお喋りしているあやかと千雨を撮ったのだろう。後日配られた記念写真に千雨が後悔しまくるのは、また別の話。

 

「どうよ、お姉さんのお仕事に感服したかな?」

『とっても頑張ったんですよー。朝倉さんさすがです~』

 

 夏休み中、方々に散っていた3-Aの面々に連絡を行き渡らせ、この場に呼び寄せたのは、何を隠そうこの朝倉和美なのだ。陰の功労者とは、正しく彼女を指す言葉だろう。

 

「はい。私なんかのために……ありがとうございます」

 

 深月は、彼女にもしっかりと感謝の念を伝えた。手を揃え、深く頭を下げると、おおっと、ストレートな反応だ、と頬を掻く朝倉。こういった真っ向からの好意的な反応を受けるのはあまりないらしく、照れ笑いを浮かべた。

 

「あんま謙遜するのも良くないよ。深月ちゃんには深月ちゃんの良さがあるん……お?」

『ひえっ!?』

「…………」

 

 いつの間にそこにいたのか、朝倉とさよの後ろに、ザジ・レイニーデイが立っていた。ぽんぽんと手と空を回るように行き来するのは、布製のお手玉だ。それを一気に九つも回しつつ深月の前へ来たザジは、一度七つを高く高く放り上げると、深月と目を合わせるように腰をかがめて、にっこりと笑いかけた。営業用に似た、しかし彼女自身の笑みだった。

 

「……くれるの?」

「…………」

 

 すっと差し出された二つのお手玉を思わず受け取ってしまった深月が聞き返せば、こくりと頷いて肯定するザジ。その瞬間を逃さず、朝倉はシャッターを切った。一瞬の光の後には、すでにザジは体を戻し、落ちてきたお手玉を次々と受け止めては放り投げ。繰り返しながら深月に背を向け、歩いて行ってしまった。

 

「貴重なもん見たなあ。ん、良い写真も撮れたし、満足満足。いや、私の満足はまだこれから! だってパーティはまだ続くもんね」

『朝倉さ~ん、それを言うなら私達は、じゃないんですかぁ』

「おっと、ごめんごめん。私とさよちゃんの満足は……」

『これからだー! ですね!』

「て訳で深月ちゃん、私達は私達の仕事に戻るね。良い誕生日を!」

『誕生日を~』

 

 ザジからの誕生日プレゼントだろうか、とお手玉を見つめていた深月は、朝倉とさよがそう言って去ってしまうのを、小さく手を振って見送った。

 

「…………」

 

 それから、傍のテーブルにお皿を置き、ぽい、とお手玉を放り投げてみた。

 ぽす。

 キャッチできずに、少し離れた場所に落ちるお手玉。

 深月は頭を振って、要練習、と呟いた。先程のザジの手並みに秘かに惚れていたのだ。日課にお手玉の練習が加わった瞬間だった。

 でこぴんロケットの演奏も佳境を迎えたのか、いっそうの盛り上がりを見せる会場を見回し、比較的近い場所によく知っている顔を見つけた深月は、あんまり好いていないものの、今日ぐらいは自分から歩み寄ってやるかという気持ちで寄って行った。

 

「ぁん?」

「あ、こん……じゃなかった、三原さん」

「こんばんは、深月ちゃん。今日はお招き頂きありがとうございます」

「どうも」

 

 頭の後ろで腕を組んでステージを眺めていた犬上小太郎に、ひたすらぱくぱくと手に持った皿と格闘していた村上夏美に、畏まって深月に頭を下げた那波千鶴の三人。

 つられて頭を下げた深月は、夏美に対して「名前でいいよ」と気軽に言おうとして、全然気軽に言う事ができず、むむ、と口元を拭った。

 

「なんや空の皿持って歩いとって。ちゃんと食っとるんか?」

 

 小太郎が深月の持つ皿を指差してそう指摘するのに、深月はなぜ千鶴が妙に畏まって挨拶をしたのかわかった。

 今日のパーティの主役に対して、挨拶もなしに最初の言葉がこれである。彼にこういった礼儀や何かを求めるのは間違っているかもしれないのだが、深月の心情としてはむっとせざるを得ない。

 なので深月は、ちょっと嫌味でも言ってやる事にした。

 

「うちのクラスの人でもないのに参加してるんだ」

「そら、ちづ姉ちゃんも夏美姉ちゃんも誘われてしもたんやから仕方ないやろ」

「……なんで二人が誘われると、仕方なく君が来るの?」

「飯作る人間がいなくなるからな」

「自分でご飯作れないの?」

「あー? 簡単なもんなら自分で作れっけど……なんやその目は」

 

 嘘だあ、と目に込めて視線を送る深月に、小太郎がうへえと顔を歪めた。

 

「あれ、三原さんって小太郎君と仲良いんだね?」

「よくないです」

「どーだかなあ」

 

 深月に遅れて小太郎が否定に近い言葉を発したものの、言葉の順番のせいか、まるで深月の台詞を否定したような形になってしまっていた。

 あら、うふふと千鶴が笑う。あんまり売り言葉に買い言葉でヒートアップしてしまうのなら、先の夏美の発言に似た言葉を投げかけて鎮静しようと思っていたのだが、案外二人の息が合っていたので、安心したのだ。

 どうしてか深月は小太郎を敵視しているが、小太郎の方はそういった感情は無いらしく、なんでこいつこんな突っ掛かってくんねんとでも言いたげな表情を浮かべて深月を見ていた。

 これ以上小太郎と話していても意味はないと判断した深月は、んん、と咳払いのふりで喉の調子を整え、夏美に呼びかけた。

 

「え、なぇ、なんですか?」

 

 自分に声をかけられるとは思っていなかったのか、肉団子にフォークを突き刺して口に運ぼうとしていた夏美は、危うく取り落としてしまいそうになるほど動揺して、声を上擦らせながら聞き返した。

 深月とはほとんど話した事が無いのだから、この反応も無理はないと言える。

 

「せっかくですし、その……み、深月と、呼んでいただいても……」

「え、い、いいの?」

 

 名前で呼んでと言われた数も多くない深月だが、名前で呼んでと頼んだ事はそれに輪をかけて少ない。

 何が『せっかく』なんだ? と顔に書いている小太郎を無視して、深月は千鶴にも同様に名前で呼んで欲しいと話した。

 

「あら、なら私の事も千鶴でいいわよ」

「えーと、じゃ、じゃあ、その、深月、さん? どうぞ私の事は、夏美とお呼びください?」

「なんでそんな畏まっとんねん。てかなんで疑問形?」

「う、うるさいなあ。ちょっと黙ってなよ」

 

 いちいち突っ込むな、とでも言うように夏美が手に持っていたフォーク、その先に刺さる肉団子を小太郎の口の中に放り込んだ。

 特に文句も言わずむぐむぐと口を動かして飲み下し、一言。

 

「む、美味いな」

「四葉さんの料理だもん。美味しいに決まってるよ」

「あやかのところの料理人さんもここにある何割かを担っていたみたいよ」

 

 新事実。

 あやかへの恩がどんどん積もって行くのを感じながら、どう返せばいいのだろうかと深月は思い悩んだ。

 今日この誕生日会を催してくれた恩は計り知れないものがある。具体的にどれくらいかは深月にはわからなかったが、一朝一夕で返せるものではないだろう事は予想していた。

 

「それでは、なつ、ナツミさん、チズルさん、失礼します」

「うん、またね」

「うふふ、足下に気を付けてね」

「む」

 

 千鶴に言われて深月が自身の足元を見れば、今まさに小太郎の足がすすすっと戻っていくところだった。

 

「……コタロー君」

「気のせいや」

「気のせいかしら?」

「気のせいやあらへんでした、すんません!」

 

 女の子を転ばそうとしたのは見過ごせなかったのか、とぼけようとする小太郎を問い詰める千鶴。

 たとえ小太郎が足を引っ掛けた直後にすぐ支えるつもりだったとしても、おめかししている女の子にそんな事をするのは許される事ではない。

 異様に委縮している小太郎を眺めて溜飲を下げた深月は、さっさとその場を後にする事にした。

 

 深月は、少し歩きながらテーブルの端などを観察していた。

 使用済みの皿やその他の食器はどうしているのかと思えば、するすると人の合間を縫って来たお手伝いさんが何枚も重なっているお皿などをさっととって、すぐさま戻っていく姿があった。行き先は簡易衣装室の方なのだが、そちらに食器を洗えるような場所はあっただろうか。

 首を傾げる深月に、再びやって来たお手伝いさんが声をかける。それでようやっと空のお皿から解放された深月は、お手玉を弄りながらぶらぶらと歩く事にした。

 アンコールに応えてもう一曲を演奏し始めるでこぴんロケットを眺め、時折話しかけてくるクラスメイトに足を止めては、飲み物や食べ物をつまんで歩く。

 

「どーんっ!」

 

 再びステージ近くに戻って来た深月を待っていたのは、佐々木まき絵の猛烈なアタックだった。

 びっくりして体勢を崩しかける深月を抱きすくめてその場で一回転したまき絵が、深月を地面に下ろすと、深月の腕をとったまま、わあ、と感嘆の声を上げた。

 

「わー、わー、わー、深月ちゃんってばとってもきれい! すっごいよー、お姫様みたいだよー!」

「お姫様……?」

 

 それはちょっと大袈裟なんじゃ、と深月が首を傾げると、ああんもう、と深月を胸に掻き抱くまき絵。彼女もまた、テンションが振り切れている内の一人らしい。

 

「まき絵、それくらいに……」

「深月ちゃん窒息しかけてるぞー」

「ありゃ、ほんと?」

 

 自分の胸に押し当てていた深月の頭を離してみせたまき絵に、大丈夫? と大河内アキラが声をかけた。

 まき絵ってば、ちょっとテンション上がりすぎ、と明石裕奈がまき絵の手から深月を奪った。

 あんまりにもまき絵の登場が強烈だったからか、借りてきた猫のように大人しくされるがままの深月に、再度アキラが大丈夫かと聞いた。

 

「……アキラ。ん、だいじょーぶ」

「ごめんね、深月ちゃん~。深月ちゃんが深月ちゃんになったよって思うと、なんだかすっごく嬉しくなっちゃって」

「なに、その理屈は」

 

 えへへ、と頭の後ろに手をやるまき絵に、裕奈がツッコミを入れる。深月にもいまいちわからない理屈であったが、要するに深月のおめでたでまき絵のテンションが振り切れただけの話である。ネギが大好きな事で有名(?)なまき絵だが、実は結構深月の事も好きなのである。さすがに恋愛的な意味での好きではないはずだが、好感度も振り切れかかっているほどだ。

 

「んっん~、改めまして、お誕生日おめでとう!」

「同じく、おめでとう」

「おめでとう、深月」

 

 もう何度目の祝福の言葉か。頭の中で「誕生日、今日じゃないんだけど」と考えるのさえ面倒になってきた深月は、しかし感謝だけはしっかりとした。

 

「名前が変わっても、君と私は友達だ。これからもよろしくね」

「それじゃあ私は、名前が変わった事を基点に、これから友達になっていこうってことでよろしく!」

 

 深月の手をとったアキラがたどたどしく気持ちを伝えると、便乗した裕奈も深月の手を握った。

 二人分の温もりに、ありがとう、ともう一度お礼を言う深月。

 ずるいずるいと加わりそうに思えたまき絵は、意外にもむむむっと悩んでいる様子で、深月の手を握るのに参加しなかった。

 

「んー……。うん、深月ちゃんが妖夢ちゃんから深月ちゃんになるって聞いてちょっとびっくりしちゃったけど、おんなじ深月ちゃんなんだから、よく考えても考えなくても、今までと変わらないね!」

 

 むしろ今まで以上に仲良くなれちゃうねー、と笑いかけるまき絵。

 それぞれがちゃんと考えて自分と向き合ってくれることに、深月は心の底から感謝した。こんな風に人との関わりを感じさせてくれるのが嬉しくて、涙さえ流しそうになったくらいだ。

 

「そいで、誕生日プレゼントなんだけどー」

「あっ、うー、今あげられるもの、なんも持ってないや」

「私も……。そのお手玉は、誰かからのプレゼントなの?」

「うん。ザジさんがくれた」

 

 紅と白からなる二つのお手玉をアキラや裕奈に見せる深月。

 へえ、ザジさんが、と意外そうに裕奈が言うのは、仕方のない事だろう。ザジには謎が多いのだ。どんな行動をするのか、三人には想像もつかなかった。

 

「こっちの食券は、ミソラさんがくれたの」

「へー、良かったねえ」

「うん」

「む、む、むむむむむ~……!」

 

 やたらと『む』の多い唸りをあげるまき絵。どうやら、他の人はちゃんと形あるものでプレゼントをあげているのに、自分は持ち合わせが無くて、このままではなんにもしてあげられないという事に焦っているらしい。

 

「今日はちょっと急だったから、プレゼントはまた今度でも良いかな?」

 

 祐奈がそんな提案をした時だった。酷く思い悩んでいた様子のまき絵が、一大決心をしたかのように「よしっ」と気合をいれて、深月に抱き付いたのは。

 

「ん~♡」

 

 そのまま両目をつぶり、唇を突き出して深月の頬へ近づけていく……。

 

「何しとるかお前はー!」

「あたーっ!?」

 

 何をされようとしているのかさっぱり理解していなかった深月に代わり、祐奈がまき絵をすっ叩き、アキラが引き剥がす事で『それ』を阻止した。

 

「なにするのー! お誕生日のちゅーをしようとしただけだよー!」

「ちゅーってアンタ」

「よ、よくないと思うよ、まき絵」

 

 アキラに羽交い絞めにされてばたばたと手足を振り回すまき絵は、さながら子供が駄々を捏ねるようにちゅー、ちゅー、と繰り返す。一種異様な光景に気圧されて深月が一歩後退ると、引かないでー!? と涙目に。

 

「まき絵ってば、それはないよー。ほんとは別の何かを考えてんでしょ?」

 

 フォローの意味も込めてか、祐奈がそう言ってまき絵の肩をぽんと叩いた。手足のばたつきが止み、まき絵が大人しくなったのを落ち着いたと捉えたアキラが彼女を解放する。

 しかし……。

 

「まき絵、目が本気だ……!」

 

 アキラが見たまき絵は、わりと冗談にならない目つきで深月を見ていた。それはまるで、ネギに向けるものと同種の熱を持っているように見えて……。

 

「なぬっ!? ちょ、取り押さえろー!」

「あーん離してー! 私は深月ちゃんとちゅーするのー! そんでもって連れて帰るのー!」

「……ごめんね深月ちゃん、すぐ連れて行くから」

 

 暴走するまき絵を祐奈とアキラの二人がかりで引き摺って行くのを、深月は黙って見送った。一瞬でもちゅーぐらいなら、などと思った自分の愚かさに後悔しながら。

 はーなーしーてー。まき絵の声が遠くに消えると、深月は気を取り直してステージの上を見た。ちょうど曲が終わって、撤収前の言葉をみんなに投げかけている所だった。今は亜子がマイクを握っている。

 

「深月ちゃーん、どやったー!?」

 

 ステージと程近い位置にいた深月の視線に気付いたのか、亜子が普段からは考えられない大きな声で深月に呼びかけた。ぱっと散る汗や紅潮した頬が興奮の余韻を感じさせる。

 

「最高でした!」

 

 お手玉や食券を持ったままの手をメガホン代わりに、深月も叫び返す。お互いの表情さえわかる近い距離だったので大声を出す必要などなかったのだが、深月も普段とは違い、気分が高揚しているのだろう。亜子達は、揃って嬉しそうに笑った。

 

 ステージから楽器類の姿も消えてしまうと、些か寂しい風景になってしまう。今の楽しい気持ちに水を差されたくなかった深月は、するすると幕の下りるステージから目を離し、てきとうにぶらつき始めた。

 クラスメイト全員が揃っているこの場では、出会いと別れはひっきりなしにやってくる。今もすぐに深月に寄って来る少女がいた。大きめの皿を手にした古菲だ。

 

「やーやー、ここにおったか、深月」

 

 白き翼のメンバーで、深月と親しいネギの拳法の師匠。そんな間柄にも拘らず、古菲が深月と話した回数は少ない。

 そんな会話のきっかけを携え、古菲はやって来た。

 

「ほれ」

 

 すっと目の前にお皿を差し出されて、深月は思わず視線を移した。作り立てのシュウマイ……深月にはその名前でしか判断できない、小籠包(しょうろんぽう)が八つほど乗っていた。

 

「これは?」

「私の手作りアル」

 

 そう言われてよく見れば、どの小籠包も、ちょっとばかり形が歪だ。

 

「やー、慣れない事はするもんじゃないアルねー」

 

 照れ隠しにあははと大袈裟に笑う古菲を、「私に?」と見上げる深月。

 

「ウム。誕生日と聞いて何かないかと探したアルが、私にはこれくらいしか思いつかなかたアル。……受け取てくれるか?」

「……はい。すっごく嬉しいです」

 

 大したプレゼントでないと申し訳なさそうにする古菲に、深月は首を振って、声に感謝を滲ませた。

 自分を想ってくれる。それが一番のプレゼントなのだ。

 割り箸も一緒に渡された深月は、古菲と共に近くのテーブルに寄って、さっそく実食に移った。

 

「……! おいしい」

 

 多少形が崩れていても、深月のために作られた料理の味が、悪いはずがない。

 瞬く間に平らげた深月に絶賛されて、今度は照れ笑いを浮かべる古菲だった。

 

「誕生日おめでとうアル。私は一緒に戦えないが、心は共にあるアル」

「それは、とっても心強いです」

「ウムウム。頑張るよろし、ね」

 

 ネギに対するような師匠然とした態度で激励した古菲は、最後には一転して年相応の笑みを浮かべ、小さく手を振った。

 古菲に手を振り返し、その場を後にする深月。

 やる気も気合も十分。

 どこかで感じていた兄と戦う事への躊躇いや何かは今は消えうせ、自らの未来のために戦う覚悟ができていた。

 そうして歩いていると、深月の向いている先、簡易衣装室の方によく知る三人の姿を見つけて、向かって行った。

 

「あ、深月さん。お誕生日おめでとうございます」

「お、お洒落してるね。むー、似合うなあその格好」

「こんばんは~……」

 

 綾瀬夕映、早乙女ハルナ、宮崎のどかの三人に笑顔で迎え入れられた深月は、それぞれからお祝いの言葉を貰って、会話に加わった。

 

「何をしているんですか?」

「私達は、ネギ先生を探しに来たのです」

「ほら、ちょうど今、演奏も終わってパーティも終了ムードに入ってるでしょ?」

先生(せんせー)がいらっしゃらないと、その、締まらないという事でー……」

 

 始まりのスピーチがあれば、終わりのスピーチも当然ある。それを務めるのは、我らが担任たるネギ・スプリングフィールドの他にいないだろう。

 彼女達は、そのネギを探してここに辿り着いたらしい。他の場所には見当たらず、他の生徒に話を聞きながら歩いた先が、ここ、簡易衣装室。

 

「なにやら取り込み中らしいのでここで待っているのです」

「深月ちゃんはネギ君に用があるのかな?」

 

 入っちゃ駄目って事はないと思うよん。

 そう後押しされて、じゃあ大丈夫か、と入口代わりの布を潜る深月。室内用の電気の眩しさに目を細めつつ、あれ、いや、でも私、別に先生に会いに来たわけじゃなかったような、と思い至ったが、他に特に用事もなかったので、そのまま歩を進めた。入ってすぐの通路は、目の前に衣裳部屋に続く扉がある。深月も放り込まれた場所だ。左に続く通路はすぐ曲がり角になっていて、奥からは水や食器の音がしていた。

 

「あや、深月ちゃん」

「どうしたの? ネギに用事?」

 

 扉脇に立つこのかとアスナに歩み寄った深月は、素直にただ入ってみただけだと伝えた。今、中ではネギが着替えを行っているらしい。

 

「でも、ちょっと時間がかかり過ぎてるみたいなのよね。羽織るだけっていうのに、何してんだろ、あいつ」

「鏡で確認しとるのかもしれんなー」

 

 このかの言葉に、そういえば衣裳部屋の中には大きな姿見があったな、と思い出す深月。

 大きな、というのは深月から見ての話だけではない。雪広あやかはやることなす事も大きいが、用意する家具も大きいのだ。

 

「そういえば、もう少しでお誕生日会もおしまいになるから、センセを呼ばないとって」

「あや、もうおしまいかー。時間が経つのは速いなあ」

「あっという間ねー。どう、深月ちゃん。楽しかった?」

「うん。ありがとうアスナ、このか……私のために、こんなに大きなパーティを開いてくれて」

「そう? 喜んでもらって私も嬉しいよ」

 

 まあ、いいんちょの力添えが無かったらできなかったんだけど、と頬を掻くアスナに、深月は改めてお礼を言った。

 この気持ちは言葉ではうまく言い表せない。すっごく、すっごく、すっごく楽しくて、嬉しかった! そうやって体全体で表しても、伝えきれないくらいだ。

 アスナとこのかも、深月が今を全力で楽しんでいる事を感じて、笑みを浮かべた。

 

「ふふ、それじゃあ深月ちゃん、ネギ君呼んできてくれる?」

「私が?」

「そや。深月ちゃんの気持ち、ネギ君にも伝えたげて?」

 

 このかに促されて、深月は、ネギと本当の友達になろうと思っていたのを、改めて心に浮かべた。

 今の自分はとても気分が良く、今ならなんでもできるかもしれないという全能感に包まれている。みんなが祝福してくれた自分なら、きっと誰も拒まないだろうという自信が深月にはあった。

 人を(あや)めた負い目は消える事はないが、今なら、この気持ちでなら、素直に言えるだろう。

 このかとアスナの二人にも背を押されて、衣裳部屋へ踏み込む深月。

 深月のために用意されたドレスがずらりと並ぶ部屋の奥に、ネギの気配があった。奥にはたしか、姿見があったはず……服の海を擦り抜けながら進む深月。

 果たしてそこにいたのは……ローブを着た一人の男だった。

 

「――ッ!!」

 

 ぞわりと総毛立つ感覚。身体の奥底に隠れていた影がずるずると出てきて、体に纏わりつき、不調と快調が一息に押し寄せる奇妙な感覚が深月を襲う。

 そこにいたのはまさしく、影達が求めてやまない仇の、その後ろ姿だったのだ。

 忘れるべくもない、怨敵の杖。

 視界を覆い隠して揺れるボロボロのローブ。

 ふとすれば塗り潰されてしまいそうなほどの存在感。

 ざっと足を開き、腰に愛刀桜月を下ろそうとした深月は、得物は取り上げられていた事に気付いて歯噛みした。彼女がベストな状態でなくとも、影は嘆き急かし、そして、怨敵は深月の存在に気付く。

 振り返った男の顔には薄く影がかかっていた。ブラウンの瞳は真っ直ぐに深月を突き刺し、その佇まいはいかなる攻撃をも跳ね退けようという気迫があった。

 やられる前に、やる――!

 瞬時に戦闘へ心を切り替えた深月が床板を抉り飛ばす勢いで瞬動を行おうとした時、にへ、と仇が相好(そうごう)を崩した。

 

「深月さん。どうしたんですか、こんな所に」

「……? ……!?」

 

 これに驚いたのは影達だ。

 混乱する深月をおいて抜け出した影は、今の今まで仇だと思っていた大人姿のネギの周りを取り巻いた。

 わ、と驚く素振りを見せるネギにおそるおそる触れてみては、疑問を持つようにうねる。

 少しの間そうしていた影は、彼が仇ではないネギだと気付くと、すごすごと深月の体の中に戻って行った。

 

「はー、びっくりしました……。えーと、深月さん?」

 

 ネギに呼びかけられてはっとする深月。慌てて居住まいを正してネギと向き合い、その顔を見上げた。

 ナギのローブを着て、ナギから譲り受けた木製の杖を持った彼は、なるほど、恐ろしい程ナギに似ていた。

 もともと顔つきなどはそっくりだったところに、ネギが早々しないような冷えつく表情を浮かべていたのだから、直前にネギの気配を感じていた深月も勘違いしてしまうという訳だ。

 

「大丈夫ですか?」

「――っ!!!」

 

 心を落ち着かせようと奮闘する深月を心配してか、歩み寄ったネギが腰を折って顔を近づけてくるのに、不意打ちされた形になった深月はますます動揺して息を呑んだ。

 近くで見るネギの大人びた顔は、見慣れた少年の顔以上に格好良い。

 ……そう、格好良いのだ。

 

(……え)

 

 深月は今、はっきりとそう感じてしまった。

 誰々がそう言っていたから、確認してみればたしかにその通りだ、だとか、こういった時にこういう顔をするのは常識的にいって良い事なのだろうだとか、今まで深月がネギを見てきて、そういった事を考えるのは、必ず他の要因が介していた。

 しかし今、なんの繫がりも脈絡もなく、一番最初にそう思ってしまった。

 一際大きな音をたてて跳ねた胸に手を当てる深月。

 顔に血が上るのを感じながら、深月の返事を待つネギの顔を見つめた。

 恥ずかしいような、嬉しいような、苦しいような、そんな感覚。

 深月がこの感情を持ったのは、初めてではなかった。

 今までも何度か感じていた。それらは、全てネギに対してであった。

 初めて出会った、肉親以外の異性。もっとも年が近く、大人びた少年。

 その少年と共に数々の問題を乗り越えてきた深月。

 完全なガール・ミーツ・ボーイ。幼い心が恋をしてしまうのは、当然の流れだったのかもしれない。

 しかしそれがいつからだったのかは、本人にも定かではなかった。

 最初に会った時は憎んでいた。次は情けなく思った。次は。次は。次は……。

 いったいどの段階でこの感情を持つに至ったのだろうか。

 偽りの名前を呼ばれるたびに心を痛め、本当の自分を見て欲しいと強く感じ始めたのは、いつからだったか。

 

「深月さん?」

 

 無警戒に、無遠慮に、なんの下心も挟まずに。

 間近にあるネギの顔に、深月は釘付けだった。

 

 だって今、自覚してしまったから。

 今自分が抱いている感情が何か、を。

 しかし深月は、それをぐっと胸の奥に押し込んだ。

 自分が彼を好くのは、彼に告白したのどかに申し訳がない……そんな思いもいくらかあったが、だいたいは別のところ。

 それは友達を飛び越えた想い。

 これから本当の友達になろうと思っている相手に抱くような感情ではない。

 未だ発展途上どころか未発達と言っても過言ではない深月の心は、この感情がどれ程大きく、そして大切なものかを判断できなかった。

 今は、お友達になる方が大切。こんな気持ちはぽいしよう。

 そんな気軽さで、しかし多大な精神力をもってその感情が抑え込まれれば、いつの間にか深月の顔からは赤みが引いていた。

 ん、と一度唾液を飲み込んで乾いた喉を潤す深月。

 

「センセ……」

 

 はい、なんでしょう。

 穏やかな笑みを湛えて聞き返すネギに、深月は次の言葉を口にするのを躊躇ってしまった。

 実のところ、深月にとってネギに「お友達になりましょう」と言うのは、愛の告白をするのとなんら変わらない一大決心が必要な行為なのだ。

 そのため、先程までの熱気や興奮、与えられた喜びや嬉しさをどれだけつぎ込んでも、なかなか一言を絞り出すには至らない。

 それでもネギは待ってくれる。

 いつもそうだ。

 怖がったり、苦手に思ったりしていても、ネギは深月の口下手な部分をしっかり認識し、いつもこうして深月の言葉を待ってくれていた。

 無駄に急かすような事はせず、安心する笑顔で、じっと深月の顔を見ている。

 深月はそれがたまらなく嬉しく思えた。

 本当の自分を見てくれている。

 その顔のどこを見ても、自分を拒絶する意思は見当たらない。

 そこまで認識して、やっと深月は口を開いた。

 

「お友達に……なりませんか」

 

 え、と疑問を顔に浮かべたネギも、深月の、言ってすぐ不安に染まった、泣き出してしまいそうな顔を見て、これがただの確認や何かではない事に気付いた。

 自分の全力の心で以て返すべき場面。身体を戻したネギも居住まいを正し、びしっとして立つと、真剣な表情で深月を見下ろした。

 深月は、そんな風に見つめられて、胸がはち切れんばかりにどきどきするのを抑えられなかった。

 ただただその鼓動の音がネギに届かない事を祈って……返事が良いものである事を祈って、永遠とも思える時間を待った。

 やがて。

 

「僕で良ければ、喜んで……!」

 

 言って、にっと笑うネギに、深月の頬を涙が伝った。喜びの涙だ。

 

「ありがと……センセ」

 

 感極まってぽろぽろと涙を流す深月を、優しく見守るネギ。彼女のせいいっぱいの心は、たしかにネギに伝わった。二人が本当の友達になった瞬間だった。

 

「さ、これで涙を拭いてください」

「……はい」

 

 深月が落ち着くのを待って、懐から取り出したハンカチを渡すネギ。深月がそれで涙を拭うと、二人の間に沈黙が下りた。

 深月は、こんなに改まってしまうつもりではなかった恥ずかしさからで、ネギは、そんな深月を微笑ましく思っていたからだ。

 

「若いねぇお二人さんよお」

「!」

「カモ君」

 

 ネギのローブの中に隠れていたのか、肩元からにゅっと顔を出すカモのニヤケ面にぎょっとした深月は、次いで、その言葉が何を指しているのかに気付いて赤面した。

 第三者(?)に改めて指摘されると、いっそう恥ずかしさがこみあげてきて、いてもたってもいられなくなってしまう。

 素早い跳躍と手の動きでカモを奪い取った深月は、ネギとカモが反応するより速く雑巾絞りの刑に処し、襤褸雑巾となったカモを返却した。

 

「か、カモ君!?」

「ごはっ……あ、兄貴……故郷(くに)の妹を……頼みましたぜ……ガクッ」

「カモくーん!?」

 

 茶番だった。

 ふん、と息を吐いた深月は、カチューシャを外すと、部屋の隅に見つけた化粧台に置いた。代わりにすぐ隣にある馴染みのカチューシャを手に取り、頭につけた。

 傍に並ぶドレスの最後尾にかけてあった妖夢の服を手に取り、そこでようやくネギを振り返る深月。ネギはカモに治療魔法をかけていて、深月の視線には気付かなかった。

 

「…………」

 

 いっそこの場で着替え始めてやろうか。

 当て付けがましくそう思った深月は、しかし考えただけで死にたくなるくらいの羞恥心に襲われて断念した。まだパーティは終わってはいない、と服を元の位置に戻し、ネギの前に歩み寄る。

 復活していたカモがキーキー喚きながらローブの中に潜り込んでいった。

 

「センセ、みんな待ってる」

「え? 僕をですか?」

 

 不思議そうに首を傾げるネギに、事情を説明する深月。

 

「スピーチですか、緊張するなあ」

「センセなら大丈夫」

「へへ、ありがとうございます、深月さん」

 

 襟元を正してから、ぽん、と軽い音と煙を出して子供に戻るネギ。ローブを脱ぐのを手伝い、畳んでから手渡した深月は、再び言い辛そうに言葉を濁しながらも、ネギに寄り添った。

 

「その、センセ……」

「?」

 

 深月の様子に、怪訝にしながらも、きっと大事な事なのだと体ごと深月に向けるネギ。

 深月は決心したように頷いて、ネギの顔を見上げた。

 

「この戦いが終わって、ほんとのほんとに私を受け入れてくれるというなら……け、敬語は無しで、お願いしたいな、って」

「……!」

 

 それは、今までのネギと深月との間で交わされてきた会話を大きく変えてしまう提案だった。

 しかし、ネギははいつもの困り顔で笑いながら、わかりましたと快く受け入れた。仲良くなれるなら、是非もない。そういった気持ちの表れだった。

 外に出れば、お開きの時間が近付いていた。妙な寂しさを感じる深月だが、会場は笑顔で溢れている。

 深月の用事が上手くいった事を察しているこのか、アスナ、そしてハルナ、夕映の四人も笑顔だった。若干一名、のどかだけは、少しばかり不安げにしていた。

 暫定恋のライバルといつの間にか認識していた相手が、ネギと急接近しているのは察していたから、この短時間で大きく進展してしまったのではないかと危惧しているのだ。

 その心配はまったく不要だと彼女が知るのは、次の日か次の次の日か。

 やって来たあやかに連れられてネギと深月はステージに昇り、まずネギがあやかに代わって閉会の挨拶をする。ネギくーん、と複数の声があがるのにネギは苦笑しつつもマイクの高さを調節し、あー、と声を出した。

 

「みなさん、今日は深月さんのために集まってくださり、本当にありがとうございます。僕からも深い感謝を」

 

 頭を下げるネギに、舞台袖で見ていた深月は、ぎゅうっとドレスの胸元の握った。ネギの言葉は嬉しいのか恥ずかしいのかわからない感情を彼女にもたらした。

 

「これを機に、みなさんと深月さんとの距離が縮む事を願っています」

 

 相手がネギだからか、クラスメイト達はあやかがスピーチをした時より騒がしい。しかし、誰もネギの言葉を無視したりはしていない。しっかり聞いて、それぞれが好き勝手に言葉を返しているだけだ。

 

「いっぱい食べて騒いで疲れているでしょうから、あんまり長く話してもしょうがないですね。僕からはこの辺にしておきます。あ、みなさん、宿題はちゃんとやってくださいねー!」

 

 ネギの言葉に、何人が悲鳴をあげただろうか。

 私は終わってる、とちょっと得意になっている深月の前で、ネギのスピーチは随分とあっさり終わりを迎えた。

 

「へへ、緊張しちゃいました」

 

 舞台袖に引っ込んできたネギは、頭の後ろに手を回しつつ深月にそう言って笑った。全然そう見えないよ、と呟く深月の背を押して、今度は深月さんの番ですよ、と促す。

 マイクの前まで移動した深月は、初めと同じように緊張しながらも、マイクの位置を調整しようとして、すでに自分にあった高さに整えられている事に驚き、ネギを見た。笑顔と、「がんばって」の口パク。

 それだけでもう緊張など跡形もなくなってしまうのだから、友情パワーというのは偉大だ。

 実際には深月がネギに対して感じているのは友情だけではないのだが、理解できていないものはないのと一緒だ。

 

「みなさん、本日は私の誕生日会に来てくださり、ありがとうございます。改めてお礼申し上げます」

 

 そう言って頭を下げる深月。

 言葉がするすると出てくる。みんなに気持ちを伝えられる。それがこれほど気持ち良いなんて、深月は生まれて初めて知った。

 

「私……私は」

 

 ステージの上からは、一人一人の笑顔がよく見える。

 深月の視力ならば、たとえずっと向こう、会場の端にいたって、その人の表情がわかる。

 誰もがみんな笑って深月を見ていた。

 誰もがみんな、パーティの最中に深月にお祝いの言葉をくれた。

 今、この場でみんなにそれを感謝して、全部を、全部の人にあげたくて、しかし深月は言葉が出てこない事に戸惑った。

 大きな気持ちを一気に伝えようとする経験は初めてだ。だから、どうやって一息に伝えられるのかがわからなかった。

 言葉を失って、マイクの前で口をパクパクとさせる深月。

 その真正面。ステージの中央に立つ深月の真っ直ぐ前の位置。

 階段の傍に、あやかが歩いてきて、立った。

 そのまま昇ってくるのだろうか。マイクを譲った方が良いのだろうか。

 慌ててマイクスタンドに手を伸ばす深月の前で、あやかはさっと両腕を挙げた。

 

『私達3-A一同は』

『三原深月さんの誕生を』

『歓迎しまぁ~~~す!!』

 

 わーぱちぱち。

 いつ打ち合わせていたのだろう。このタイミングで、クラスが一丸となって、再び深月の誕生を祝福した。たくさんの手を打ち合わせる音の中、深月はもう何もいえず、深く頭を下げて感謝を表した。

 

 

 そうして、深月が三原深月として生き始めるための誕生日会は大成功の中で終わりを迎えた。

 オールするぽよー、と誰かが言うのに合わせて主役無しの二次会へ移行していくクラスメイトの面々。残っているのは、白き翼を含めて少数だけだ。

 時間は午後十一時を回っていた。決戦へ向け、それぞれに気力回復魔法をかけたネギは、真剣な表情を浮かべて整列した全員の前に立った。

 

「いよいよ、秀樹さんとの戦いに臨みます。このまま、すぐ後にです。みなさん、準備はよろしいですか」

 

 戦闘組は戦いへ意識を切り替え、待機組は、そんな戦闘組に激励の言葉を送る。

 妖夢の服に着替え、長短二本の刀を身に着けた深月も、気合い十分に、丈の合わないローブを着ているネギへと目を向けた。

 

「初めはネギ先生が、お父様に変装して近付くのでしたね」

 

 夕映の確認に、少しばかり躊躇いがちに頷くネギ。

 ネギ自身、この作戦がメリットよりデメリットが高い事を理解している。

 しかしながら、ハイリスク・ハイリターン。

 

「ぼーや。あの女にぎゃふんと言わせてやれ」

「あ、はは……」

 

 不敵に笑って腕を組むエヴァンジェリンの言葉に、曖昧に笑って返すネギ。

 覚悟の決め時だ。自分が頑張らねば深月は連れ去られてしまうし、秀樹がそれだけで満足する保証もないのだから。

 

「ちゃんと『マコト』って呼ばなきゃ駄目だよ、ネギ君」

『ファイトですー』

 

 朝倉に注意されて、あっと声を上げるネギ。本名が判明してからも、誰も彼女をマコトと呼ばないので、すっかり忘れてしまっていたのだ。

 姿をナギに変えても、秀樹と呼びかければあっさりばれてしまうだろう。最初から躓きそうな計画だったのか、と呆れる千雨に頼りなく笑うネギ。

 

「お嬢様、行って参ります」

「うん。気をつけてな」

 

 ()()()力を手にして自信に満ちているセツナに、幼いこのかが笑顔を送る。

 

「それじゃ、みんな!」

『お兄さんをやっつけるぞー! おー!』

 

 声を合わせて成される宣言。

 おー、と腕を振り上げる深月に、祝福するかのように月の光が降り注ぎ、銀髪を照らしていた。

 

 一行は夜闇の中、世界樹前広場へ向かう。

 展開されていた未知なる力による結界は、深月が鍵となっていたのか、あっさりと解けた。

 これでネギ達の接近は秀樹に伝わってしまっただろう。

 緊張が高まる中、煙と共にネギがナギへと姿を変えた。

 

「それでは……行きます!」

 

 ゆっくりと階段を上っていくネギを、三人はじっと息を潜めて見送る。

 階段を上り切れば、大きく開いた視界の先に、闇よりもなお暗い少女が立っている。

 月に向けられていた目が、たしかな足取りで広場を行くネギに向けられた。

 

「――っ!?」

 

 瞳が揺れる。手に持つ不思議な杖が揺れる。黒いドレスが揺れる。長い髪が揺れる。

 歩み寄るネギを前に、明らかに大きな動揺を見せる秀樹。

 エヴァンジェリンのたてた作戦は有効か。

 

(…………)

 

 深月の運命を決める決戦が始まった。


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