三原秀樹は女性で、本当の名をマコトという。
そう語ったアルビレオに、誰も口を開けなかった。
語られた真実がそこまで衝撃的だったのかといえば、そういう訳ではない。
ただ、幾度も深月が「お兄ちゃん」と口にし、また彼自身も一人称が『俺』で、さらに言えばエヴァンジェリンやアルビレオも秀樹のことを『彼』と呼称していたのだから、混乱は必至だった。
「な、あ、そ、それは本当か!?」
「ええ、嘘やでたらめではないですよ、キティ。どうしました? そんな必ず勝てると踏んで自分でゲームを持ちかけた癖にボロ負けした上、秘術を巻き上げられたみたいな顔をして」
「おま、嫌なことを思い出させるんじゃない!」
唐突に過去のことを掘り返されて動揺が加速したエヴァンジェリンは、二度強く床を踏みつけて気持ちの立て直しを図った。しかし息が荒くなるばかりで上手くいかない。
「ま、まままさかナギの奴、あの男、いや女とパク、く、口で……!」
「今さらな話ですねえ。ナギはわりと誰でもウェルカムでしたから、ええ。
「ええい、それ以上言うな!」
聞きたくない、と耳を塞ぎつつアルビレオから距離をとったエヴァンジェリンが、そのまま「ならなぜ私は相手にされなかったんだ!?」と誰にともなく叫ぼうとして、その前に深月がそんなのおかしい、と吐き捨てるように言うのに、言えずじまいに終わった。瞳を揺らす深月は、エヴァンジェリン以上に気持ちの整理がついていないらしく、感情を言葉に変換するのにしばらく手間取っていた。
「だって、だって、お兄ちゃんはお兄ちゃんだよ……? お、女の人な訳……」
「寝食をともにしてきたあなたには簡単に信じられないでしょう。しかし、これは事実なのです」
両拳を握り、床を見つめて肩を震わせる深月に、アルビレオはことさら優しく声をかけた。ただでさえ自分のことで心を乱されたばかりだというのに、その上兄が実は姉だったなどと聞かされては、酷く動揺してしまうのも無理はない。
他の面々も、なんと言えばいいかわからなかった。そもそも『女神』と何度も口にされていたのだから、気付いてもおかしくはなかったのにとか、そういった事しか考えられなかった。
「だって、お兄ちゃん、胸ないよ……? 女の人じゃないよ……」
「……その判断方法は些か不適切であると言いますか、ちょっと彼女を憐れんでしまうと言いますか、えーと」
しかし、深月の言葉にアルビレオ含む全員が脱力しかけてしまった。
そそっと深月の傍に寄ったこのかが彼女の腕をとって、耳打ちするように囁く。
「深月ちゃん、深月ちゃん。深月ちゃんは、男の子と女の子の違い、わかる?」
「このか……? なんでそんなこと」
「ええから」
「え、うん……。えと、胸があるか無いかでしょ?」
小声のこのかに対して深月は普通の声量で返していたため、その誤った認識は全員に広まった。
「その理屈でいきますと、あなたもキティもおとこ――」
何やら言いかけたアルビレオがエヴァンジェリンの飛び膝蹴りを頬に受けて手すりの向こうに吹き飛んで行った。
「……違うの?」
不安げにこのかを見る深月に、誰も即座に「違う」とは言えなかった。説明が難しいのもあるし、誰もが自然に受け入れている『深月が見た目相応の年齢』で、その年齢よりも若干精神的に幼いところを加味して、そういった話は早いと判断したからだ。……さすがに男と女の区別はできた方が良いだろうが。
そもそも、まさか深月がまともに男女を判断できていないとは誰も思っていなかった。今まで過ごしてきた中で深月は一度も他人の性別を間違えた事はなかったし、誤った認識方法を口にする事はなかったからだ。
だがよく考えてみれば、彼女は学生歴一年未満の常識知らずなのだ。小学校で習うような保健体育の授業など受けておらず、その段階を経て展開される中学での保健の授業は、彼女には段階飛ばし過ぎてほとんど理解できていなかったのだろう。教科書を見て名称を覚えようが、それが実際の人体とは結びついてない……そんなややこしい知識の蓄え方をしている彼女に正しく物事を認識させるのは骨が折れるだろう。
「でも、お兄ちゃん、男だって言ってたし、自分のこと俺って言うよ?」
「あ、自己申告制の一人称把握型なんだ」
ハルナが謎単語で深月の言葉を纏めた。
実際、深月の男女の判断方法は胸のあるなし、自己申告、一人称以外にも色々あるのだが(そうでなければ晴子も少年になってしまう)、それは割愛する。重要なのは、深月に秀樹の性別を判断することはできなかったという事だけだ。
「なぜ秀樹さんは男性として振る舞っているのでしょう……」
「それについては私にもわかりません。ナギも、彼女の全てを知っていた訳ではないですからね」
夕映の呟きに、いつの間にか戻って来ていたアルビレオがそう答えた。
「それで? その本名と性別が、
「まあ、ぶっちゃけて言えば繋がりませんね」
「もったいぶった癖にそれか……」
あっけらかんと、この真実では秀樹を打倒できないと告げるアルビレオ。それもそのはず、本当の名前と性別を知ったところで彼女をどうすることもできない。それは誰もがわかっている事だった。
「ちゃんと理由はありますよ。彼女との戦いの最中に真実を告げられ、今のように動揺していては致命的でしょう」
それをなくすために、今あえて話したのだとアルビレオは言う。
たしかに今、誰もが考えるために動きを止めてしまったし、深月などは動揺してまともに動けなくなってしまっていた。これが秀樹と戦っている時に起これば、隙を突かれて敗北するのは想像に難くない。
「彼女がその秘密を明かすかは別として、あなた達が知っていれば、いざという時に備えることができます」
「逆に奴の動揺を誘うこともできるな」
二人の説明は納得のいくものだった。
話の中、このかに慰められていた深月が落ち着きを取り戻すと、エヴァンジェリンが音頭を取り、作戦を纏めにかかった。
そして、秀樹に挑むメンバーが決まった。
仮の妹にして肉親(?)である深月。
深月を連れて行かせる訳にはいかないと生徒の一大事に腰を上げるネギ。
魔法や障壁を無効化する心強いパートナーのアスナ。
このかを元に戻すためと大奮起のセツナ。
残りの戦闘要員である古菲、楓や、非戦闘員は離れた場所でバックアップすることになった。
ここにメンバーの全員が揃っている訳ではないため、一度外に出た後に集まり、説明すること、と締めたエヴァンジェリンは、それでおしまいとばかりにあくびをしながら城に戻って行った。夜も深まり、遅い時間になっているために、一同も眠気を堪えつつアルビレオに挨拶をして城へ向かった。
「どうしました?」
半ば眠りかかっている深月が抱かれて運ばれて行くのを眺めていたネギは、一人残った事を怪訝に思ったアルビレオに声をかけられて、彼を見上げた。
「その……秀樹さん……秀樹さんが父さんのこと、その……」
「ナギが彼女の事をどう思っていたのか……それを聞きたいのですね?」
「……はい」
秀樹が女性と聞き、ナギに執心していて、そのナギと秘密を共有していた。
いかにも親密な関わりがありそうで、ネギは気になって仕方なくなってしまった。
もしかすると、彼女が自分の……。そんな可能性もゼロではない。
だからそれを知っていそうなアルビレオに話を聞いたネギだったのだが。
「申し訳ないのですが、さすがにそこまでは教えられませんね。一個人の感情ですから」
「あ……そ、そうですよね」
散々秀樹の秘密を暴露しておいてこの言い様である。しかしネギは委縮してしまったみたいに再度「そう、ですよね……」と呟いて、黙り込んでしまった。そこにあった僅かな期待や自身のルーツに対する疑問。そういったものを感じ取ったアルビレオは、最後にもう一つ助言をする事にした。
「しかし本人に聞くのならば問題はないでしょう」
「……本人……父さんに」
「ええ、探し出した暁には、その答えを得られるでしょう。……それがもし遅すぎると思うなら」
魔法世界で頑張ればいいのです。
それだけ言って、ふと傍を飛ぶ蝶に目をやったアルビレオは、手を伸ばして蝶に触れると、忽然と姿を消してしまった。
何をどう頑張ればいいのか。それを伝えられなかったネギは、しかし、よし、と気合いを入れた。
きっと魔法世界には父・ナギのことだけでなく、未だ名も知らぬ母の情報もあるのだろう。それを知るために頑張ろう、と決意するネギだった。
◆
別荘内での翌朝、一同は揃って魔法球から出た。床を出てからしばらく時間は経っているが、閉鎖的な空間から出たためか、伸びをしたり小さくあくびをしたりと、そういったフリをした。
「んぇ、朝倉からメール入ってる」
例に漏れず、ぐぐーっと腕を伸ばして体の凝りを解していたアスナは、連続で鳴った着信音に慌てて携帯を手に取り、ざっとタイトルと送信者の名前を見て呟いた。それぞれが魔法球の外においての一時間の内に送られてきたメールだ。結界に隔てられた魔法球から出た今、一斉に電波を受信したのだろう。以前にも経験していた事なので、アスナは大して驚く事もなく、内容に目を通しつつそれぞれに話して聞かせた。
一通目は深月を見つけた事に対して、他の者に捜索完了の報を入れた事。二通目は秀樹の姿を確認した事。三通目は、集合場所について。
「みんな世界樹前広場に一番近いスタジオに集まってるって。……スタジオ?」
「それでは、そこに向かいましょう。あ、みなさんよろしいですか?」
エヴァンジェリンに押し付けられたナギのローブを腕にかけたネギが、優先すべき用事等が無いか確認をとると、ウチはだいじょぶや、とこのかが代表して返事をした。鞘の具合を直していた深月も同意するように頷いたのを見て、ネギはアスナと並んで朝倉達が待つスタジオに移動した。その最中、アスナがこれからそちらへ向かうという旨の電話をしていた。
◆
「やーやーアスナ。なんか大変な事になってるみたいじゃん」
「ごめん朝倉、待たせたわね。みんなも」
『スタジオ青竹』。機材の貸し出しやホールの提供、兼喫茶店の経営をしているスタジオの一室に、白き翼の残りのメンバーが集まっていた。部屋の中央に設置された長方形の大机を囲むように配置されたソファーに、それぞれが腰かけていた。
待たせた事への謝辞を手を振りつつ受け取った朝倉は、自身の前の机に広げてあった数枚の紙や写真を筆記用具とともに纏めながら、アスナ達に座るよう勧めた。
「飲み物とか欲しかったらメニュー表見て、扉右の電話で頼めるよ」
「わー、カラオケみたいやなー」
「みなさん何かお決まりでしたら、申し付け下さい。私が頼みます」
ソファーに飛び乗って一番、大きめのメニュー表を開いたこのかが、横に座ったセツナと顔を合わせるようにして覗き込んでいると、茶々丸がそう言って扉の傍に待機した。夕映は自前の不思議ドリンク(炭酸抜き炭酸水・タイプフルーツ)を手にしているので必要なく、のどかはそれを見ているだけでわりといっぱいいっぱいになっていた。
「なにそれ」
ネギが古菲や楓に挟まれ、秀樹と交戦した時の話をし始めたのから視線を外したアスナは、朝倉がトントンと揃えている紙束が何かを聞いた。
「ああ、これは私なりに『三原秀樹』について調べてみた結果」
「何かわかったの?」
ぱさっと机に置かれた紙束の一番上は、クリップで止められた写真と調べた事がびっしり書かれた一枚だった。机に寄ったアスナと深月が覗き込むと、んーにゃ、全然、と朝倉。
「できる限り
「ちょ、大丈夫だったの!?」
危険があったと告白されて慌てて怪我はないかと身を乗り出すアスナに、朝倉は見ての通り、と力こぶを作ってみせた。その隣に、ふわ~っと相坂さよが浮かび上がる。
『ホラーみたいでした~』
その時の様子を思い出したのか、いっそう顔を青白くさせて怖がるさよに、うわ、いたんだ、と結構失礼な事を言うアスナ。
「えーと、深月ちゃん……でいいのかな? ごめんねー、なんにもしてあげられなくて」
角の方で古菲や楓と話しているネギを退屈そうに眺めていた小太郎がハルナに絡まれているのを見ていた深月は、朝倉に声をかけられると、「ん、いい」と小さく首を振った。
返事をした深月が、少しばかり元気が無さそうな事を疑問に思った朝倉は首を傾げるも、すぐにそれが何故かに気付いた。
深月自身、まだ妖夢と深月の間で揺れていて、完全に『三原深月』への移行が完了していないのだ。だから、あまり親しくない人に深月と呼びかけられるのに抵抗を覚えてしまうのだろう。
そういったものは時間が解決してくれるだろうと判断した朝倉は、クリップで止めていた写真を外して指の間に挟むと、アスナに見えるように向けた。
「で、調べるのが駄目ならせめて直接って感じに一枚撮ってみたんだ」
「う、よく撮れたわね、これ……」
写真には、そこだけ妙に薄暗い中、鬱陶しそうに顔を歪めた秀樹の腰から上が写っていた。
「さよちゃんに気を引いてもらってる内に遠方からぱしゃりよ! どう? 綺麗に撮れてるっしょ」
『私、頑張りました! す~~~~っごく怖かったですけど』
むん、と胸を張ってみせるさよに、どうやって気を引いたんだろう、と疑問に思うアスナと深月。二人は実際に秀樹がどんな形で待機しているかを見ていないため、いまいち想像できなかった。
「そいで、写真持っていざ聞き込み! って学園中走り回ったんだけどさあ、魔法先生も魔法生徒も見つかんなくて」
「あ、そういえばネギがどっちも見当たらないって言ってたような……」
「調べてわかったのもしょーもない事ばっかりよー」
紙束を持ってばさばさと振ってみせる朝倉。深月はその中の一文、『調理師免許持ち』の走り書きを読み取って、眉を寄せた。それもまた彼女の知らない事だった。
「せめて何かできればいいんだけど……アスナー、エヴァちゃんのところで何か聞けたー?」
「うん、こっちでは色々……頑張ってくれてた朝倉にはちょっと言い辛いんだけど」
あはは、まあ、これもまた一つの経験って事で、と目を細めて笑う朝倉に、悪いわね、と詫びたアスナは、ネギを呼びよせて、別荘で聞いた事、決めた事をみんなに話した。
「なんと、私戦えないアルか!」
「拙者に異存はないが……大丈夫でござるか?」
むむむ、と唸る古菲に、ふむ、と片目を開ける楓。二人とも秀樹と直接相対したわけではないので、そういった面では一度戦っている四人に任せるのがいいとはわかっていた。
しかし少数で挑まなければならないとなれば、救援に駆けつける事もできないので、ただ待機する事を歯痒く思った。
「なんや四人限定て! どんな術や! くっそ~、んなもんなかったら俺も戦えたっちゅーのに……!」
変われやネギ、え、やだよコタロー君、と言い合う二人の傍を通って来た千雨が、がっしりと深月の肩を掴んだ。
「……妖夢じゃないんだな?」
ひくひくとひくつく口元と眉。潜めた声は真剣そのもので、深月は居心地悪く思いながらも、ん、と肯定した。
「……マジで、妖夢じゃないんだな?」
「……ん」
再度の確認に深月が頷けば、千雨はそろっと顔を上げて、深月の頭上付近を揺蕩うように浮かぶ半霊を見上げ、それから、再び深月に目を合わせた。
「……マジで?」
「……まじ」
三度目の問いにも同じ答え。
千雨は眼鏡越しに顔を手で覆うと、深い溜め息をついて、次いで、よろよろと扉の方へ歩いて行った。
非常識を嫌う千雨ではあったが、絶妙的な立ち位置で現れ、わりと話の合う魂魄妖夢という少女を完全に受け入れていたので、それが嘘っぱちだったと聞いて結構なショックを受けたのだ。ちょっと現代入り妄想をしていたのもそれに拍車をかけている。ちょっと手洗いに、と誰にともなく言った千雨は、ささっとトイレに走って個室に閉じこもり、一人悶絶した。
それから、千雨は数分もしない内に戻って来て、何事もなかったような顔をしてどっかりとソファに座り込んだ。親の仇を見るように机の上のメニュー表を睨みつける千雨に、深月はなんと言っていいかわからなかった。
「ねぇ、ちょっと考えてた事があるんだけど……」
比較的親しい間柄でも、深月と呼ばれて微妙な反応を示している深月に、アスナがこそっと朝倉に耳打ちした。昨晩別荘でどこか上の空でいつづけていた深月を心配し、それぞれで話し合った結果、一つの案が浮かび上がった。それは……。
「お、いいねそれ、大賛成! それなら私も仕事できそうだし」
「ネギネギ、ちょっと」
「どうしたんですか? アスナさん」
円陣を組むように集まってこしょこしょと内緒話をする面々に、取り残された深月が呆けていると、全員が深月を見た。
「……?」
にっと笑いかけられるのに、深月の頭はハテナマークで埋め尽くされていた。