なりきり妖夢一直線!   作:月日星夜(木端妖精)

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第五十四話 深月

 賑やかなフードコートに戻ったネギ達は、やや傾き始めた陽の下でその成果を話し合った。

 

「駄目ねー、寮にはいなかったわ」

「涼風とかも見に行ってみたんやけど、さすがにいーひんかったなー」

「剣道部の方面にも見つかりませんでした」

 

 アスナ、このか、セツナの順でされた報告に頷いたネギは、今度は反対に立つ三人に顔を向けた。

 

「図書館島にはいませんでした」

「学校の中にもいなかったです」

「朝倉に頼んで放送かけてもらったけど、反応なしだねー」

 

 のどか、夕映、ハルナの順でされた報告に再度頷くネギ。

 三人は探索中にはすでに普段通りの調子に戻っていて、言葉に感情が乗っている。その些細な違いに、再度ネギは頷き、口を開いた。

 

「マスターの(もと)にもいませんでした。別荘にも」

「もっと広い範囲に捜索網を広げなきゃ見つからないかもしれないな」

 

 ネギの報告とカモの提案。

 ここまでのやりとりは、実はすでに電話で何度も行った内容だ。数時間かけて麻帆良学園内部を駆けずり回った七人と一匹だったが、深月の姿はおろか、その影さえ掴む事はできなかった。

 ネギがあごに手を添えて難しい顔をすると、それぞれも深月がいったいどこへ行方を眩ましたのかを考え始めた。

 しかしすぐに考えは行き詰まる。これだけ動いて呼びかかけて、返事の一つもないのでは、どうしようもない。あるいはネギらが深月のように気配を敏感に感じ取り、残り香のような薄い気さえ追うことが出来たなら、話は違っていただろう。しかし、この中で最も追跡が得意なセツナでさえ深月を追うことはできない。とにもかくにも手詰まりだった。

 

「たはー、まずいねえお手上げだねえ」

「まるで手がかりが掴めないです。彼女は携帯も持っていないので、そこから辿る事もできず……」

 

 苦笑いを浮かべてお手上げのポーズをするハルナに同意して夕映が頷く。どうやら夕映は葉加瀬聡美などに協力を要請していたようだ。他の都市とは隔絶した技術力を持つ麻帆良、その頂点とも言える頭脳の持ち主ならば状況を打開してくれるかもしれないと踏んだのだ。

 葉加瀬自身は快く力を貸してくれたものの、科学捜査による深月の追跡は始めの一歩で躓き、失敗に終わった。濃厚な闇の力と未知なる力が機械の稼働を阻害し、結果をも狂わせるのだ。魔法との合わせ技でも通用せず、葉加瀬からは人力でなければ追跡は難しいという結論が下された。しかしながら科学の敗北を認めない葉加瀬はすぐさま弱点を克服した魔法との複合機械『マジック探索君β』の開発を始めたが、秒刻みで明後日の方向へ向かい出し、数分の内にトリップし出したので、夕映は機械の力を借りる事は諦め、自らの足での捜索を再開したのだ。余談だが、この二日後に完成した『魔界見え~るくん3号』は試運転直後に何者かによって奪われたという。

 

「『魔法先生』や『魔法生徒』なんかも全然見つかんないのよね~」

「おじいちゃん、どこ行ってしもたんやろなあ」

「クウネルさんにもー……その、会えませんでした」

 

 のどかは図書館島に赴いた際、クウネル……アルビレオ・イマに助力を乞うため、以前辿った道を思い出しながら彼の住処へと足を運んだ。しかし、彼のテリトリーへの扉一枚を隔てた場所でストップがかかり、やんわりと断られた上に追い返されてしまったのだ。のどかは、前と同じような悪戯っぽいアルビレオの声に、しかし真剣な色が混じっているのを感じて、どうする事もできずに戻ってきたのだ。

 その事を再度謝るのどかに、大丈夫です、とネギ。姿を見せずとも、アルビレオがいるという事が知れたのは大きい。紅き翼(アラルブラ)の一員であるアルビレオは、すなわち、同じく紅き翼の一員である三原秀樹と旧知の間柄になる。のどかの話から、アルビレオが今なんらかのことをしていると推測したネギは、自分でも知らない内に、心にのしかかっていた重しを少し軽くさせた。

 もし自分があの人(秀樹)を止められなくても――。

 言葉でそう思った訳ではなかったが、そういった思考の流れは確かに存在していて、ふうと息を吐くネギに目聡く気付いたアスナは、ネギの様子にふんと鼻を鳴らした。毎度何か起こると全部背負い込んで気張るネギが心配だったのだが、どこか気の抜けた息を吐くネギを見て安心すると同時、勝手に一人でそういった()()を処理してしまうことが、少しばかり気に食わなかった。

 二つのテーブルを使い、六人が言葉を交わす。深月の捜索に踏み出してからおよそ三時間ほどが経っていたが、六人が集める事ができた情報は驚くほど少ない。白き翼(アラ・アルバ)のメンバーを動員してさえ、深月がどこへ行ったのかがわからない。

 目撃情報の一つもないのでは、秀樹が何かしていると勘繰ってしまいたくなるというものだった。

 当の秀樹は、フードコートに戻る前にネギが確認した時も、未だ世界樹前広場の奥、世界樹を背にじっと太陽を見上げていた。ネギは彼の姿を最初に見た時、それを一枚の絵画のようだと思ったが、その場から一歩も動かず同じ姿勢を保つ姿を見ては、到底現実味など感じられず、思わず数分の間観察してしまったくらいだった。それでわかったことなど、風が吹けば服や髪が揺れることや、太陽の傾きに合わせて顔の角度も変わっている、などという、およそ益にもならないことだけであった。

 そもそもなぜ秀樹は深月を連れて来いと言ったのだろうか。それだけでなく、『今あの子は自分を見失っている』などと深月の状態を表す言葉までつけたのだろう。ネギは疑問に思っていた。

 

(まるで、僕達に妖夢さんをどうにかして欲しいみたいだ)

 

 深月を探している際も何度か頭をよぎった考え。

 秀樹はなんの目的を持ってここへ現れ、彼女に真実を伝えたのか。なぜこのかを邪魔と言い、幼くしてしまったのか。

 ネギには、いちおうの解答があった。

 この場に現れたのは、まさしく深月に会うためだ。探していた、と彼は最初に言っていた。

 真実を話し、深月の『今』を壊したのは最初からそのつもりだったのだろう。

 ではそれはなぜかといえば、その後このかを幼い姿に変えた際に言ったことが鍵となる。

 母の面影を重ねさせない。それは、深月の心の拠り所を奪う行為。

 今を壊し、拠り所を奪った先にあるもの。秀樹の言う『妖夢』を作り出すための演出。

 その『妖夢』と『楽園』へ行くことこそが秀樹の狙いなのだろう。

 だが、そこでもまた疑問が立ち上がる。

 楽園とはどこか、ではない。それもたしかに疑問の一つではあるが、それよりも大きな違和感がある。

 

(妖夢さんを……本物にして、そうして楽園に行こうとしているのに、なぜ僕達に妖夢さんのことを任せるんだ……?)

 

 仮初め(妖夢)の姿を壊され、素の少女そのままを露わにされた彼女を本当に思い通りにしたいのなら、その圧倒的な力で(もっ)て彼女を攫い、そうしてしまえばいい。しかし彼はそうしなかった……。

 そこになんの意味があるのだろうか。

 彼女を『本物』にするためには、自分達の存在が必要だというのだろうか。

 ネギにはどうしてもそう思えなかった。むしろ、自分達は、彼女を本物にさせないことができると思っていた。妖夢という仮面が剥がれ、動揺する少女を慰めるのは、教師である自分なのだと。

 だが、言うは易し行うは難し。ネギは、自分が少女と対面した時、おそらく上手く宥めることなどできないだろうと予測していた。

 そういう経験が足りていないのもあるし、一人の人間の剥き出しの心と直接対面するというのは、きっと想像する以上に難しい事なのだろうことは、深く考えずともわかることだった。

 自分にそれができるのか。

 彼女を正しく導くことができるのか。

 

(でも、僕がどうにかしなきゃ……妖夢さんは、あの人に連れて行かれてしまう)

 

 不安に思いはするものの、何度考えても結論は同じだった。深月を探し出し、話をする。その上で深月が秀樹と共に行きたいと言うのであれば……その先のことを、ネギはまだ考えていなかった。

 考えればドツボに嵌まってしまいそうだったからだ。引き留めるべきか。引き留めたいのか。見送るべきか。見送らなければならないのか。状況と感情を加味して考えると、延々同じ言葉が胸の内をぐるぐる回る。思考の迷路だ。実際に深月と話さない限り、答えは出ないだろう。

 だからこそネギは少しでも早く深月を探しだそうと、みんなの力を借りて捜索していたのだが……。

 

「ここで考えてたって、見つかりはしないわよね」

 

 アスナの一声で、また自分の足で探しに行こうという雰囲気がでてきた。各々が頼んでいた飲み物の残りを口にする中で、ネギは考えていたことをみんなに話した。

 

「あの、それでなんですけど、一度師匠(マスター)の下に行きませんか?」

「エヴァンジェリンさんの所にですか?」

 

 ストローから口を離したセツナが不思議そうにネギを見ると、ネギは頷いて、

 

「もしの話ですが、このまま……妖夢さんを見つけられなかった場合、彼女を連れずに秀樹さんの下へ行かなきゃいけないと思うんです」

「それは……たしかに、この調子では妖夢さんが見つかるかは怪しいですが」

「でもでも、妖夢ちゃん連れてかなかったらお兄さん、怒ったりしないかな?」

「どうなのよ、ネギ」

「……八割方怒りそうな気がします」

「高っ!? え、でも、そんな怒るような人には見えなかったんだけど」

 

 神妙な顔をするネギを、隣に座るアスナが覗き込めば、いつにも増して真剣な顔つきだった。もちろんネギは冗談で言っている訳ではない。しかしアスナは、どうしても秀樹の怒る姿が想像できなかった。短い間ながらも見ていた秀樹の言動や雰囲気からの印象だった。

 それは、似た雰囲気を持つ深月が滅多な事では怒りを露わにしたりしないことからも、そう感じたのかもしれない。最後に見た深月は声を荒げていたが、あれは怒りというよりも恐怖の色が濃かった。

 どうにかしなきゃ。深月の顔を思い浮かべたアスナは、そう思って拳を握った。具体的に何をどうするかなどは考えつかないが、深月のために何かをしてあげたかった。

 なるほどね、とハルナが言う。

 

「つまりあれだね。いざとなったらみんなでお兄さんボコっちゃおうって腹積もりなんだね。そりゃぜひエヴァちんの力を借りたいわけだ」

「え、いや、そういうつもりでは……」

「ネギ先生、エヴァンジェリンさんには彼の事は……?」

「あ、えっと、はい。伝えました。『めんどくさい』って最後まで聞いてもらえませんでしたけど」

「ほんなら私達で押しかけて頼み込んでみよっか?」

「あー、あはは……」

 

 軽い調子で言うハルナに、ネギは乾いた笑いを漏らすばかりだった。秀樹の話をした時のエヴァンジェリンのつまらなさそうな顔を思い出せば、それも当然のこと。十中八九怒るだろうな、とネギは思った。

 話の流れは、エヴァンジェリンのログハウスへ向かうことに纏まりつつある。誰も否を唱えなければ、このまま移動する事になるだろう。

 両手で紙コップを持って眠たげにしているこのかをセツナが促し、どこかを見ているのどかを夕映が促す。

 すると、のどかはふぅと息を吐いて、もしかしたら、と呟いた。

 

「妖夢さんは、あそこにいるのかも……」

「え?」

「のどか? 心当たりがあるのですか?」

 

 どこかふわふわとした雰囲気を漂わせるのどかの視線の先には、テーブルの合間をひらひらと飛ぶ青い蝶の姿があった。

 

 

 狭く薄暗い路地を六人の男女が行く。

 先導するのどかの後ろにネギ、アスナ、このか、セツナ、ハルナ、夕映と続く。最後尾の夕映は、先頭ののどかの足取りが覚束ないのを心配しながらも何度か振り返って、今来た道を確認していた。一本道に感じるものの、細かい進路変更が多く入り組んだ路地だ。どこも同じような色合いで、しっかり確認しないとすぐに迷ってしまいそうだった。

 

「あっ!」

「おっと! 大丈夫かゆえ吉ー、前向いてないと危ないよ。ほら、ここら辺妙に地面がでこぼこだから」

 

 そういう風に何度も後ろを向いていたから、地面のでっぱりに足を取られて転げそうになってしまった。前を歩くハルナがとっさに肩を押し戻したので、転倒する事はなかった。短く礼を言った夕映は、次いで、自分を見る他のみんなにも気にせず前へ進むよう伝えた。

 止まっていた歩みが再開する。

 一行はしばらく黙々とのどかの案内に従って歩いた。

 

「のどかさん」

 

 やがて、一つの角を曲がると、その先には時折両脇にあった大きな鉄の箱や空き瓶などが無く、平坦な地面の続く道があった。制止の意味を込めたネギの呼びかけに、しかしのどかは足を止めず、先に進む。

 

「のどかさん!」

 

 慌ててネギが追う。

 ネギには、のどかのすぐ目の前に、僅かな違和感があるのを感じていた。危険なものかそうでないかは判断がつかなかったが、念のため確かめようとのどかに声をかけたのだが、のどかは聞こえていないようにふらふらと歩いて行ってしまう。

 ネギがのどかの腕を引いて歩みを止めさせた時には、すでにその()へ踏み込んでしまっていた。

 

「ど、どうしたのよネギ。なんかあったの?」

 

 しかし、特別何が起こる気配もない。「先生(せんせー)……?」のどかが小さく呼びかけるのにはっとして、ネギは手を離し、気のせいだったようだと伝えた。

 何かを隔てた先。すぐそこに、スライド式のガラス扉があった。曇りガラスで中は窺えないが、扉にかかる札には『open』と書かれているので、ここがなんらかの店だというのがわかる。

 

「こんな所にお店なんてあったんだ」

「あそこって結構通るけど、ここに入る道は気にしたことなかったわねー」

 

 入ってみましょう。ネギがそういう前に、すでにのどかは扉に手をかけ、開いていた。ガラガラというスライド音に鈴の音が混じる。

 いらっしゃいませ、とよく通る幼い声が服の海の向こう側から聞こえてきた。

 入り口から入ってすぐ、左右に広がる棚と服の合間を器用に抜けていくのどか。ネギ達は、一度顔を見合わせてから、その後を追った。

 

「いらっしゃい」

 

 奥には小さなカウンターがあった。古いレジが脇に置かれ、向こうの壁には秒針のない柱時計がかかっている。その下に隣の部屋への通り道。人形やおもちゃの入った箱が飾られた棚もあった。

 カウンターに座るのは、赤い着物の童女だった。緩く手を振って再度来店を歓迎する少女――晴子に、ネギ達は戸惑いながらも、ここが何か、あなたは誰か、と質問した。

 

「見ての通りここは洋服屋さんで、見ての通り、わたしはここの店主よ」

「いやいや」

 

 いやいや、と手を振ったのはアスナだ。しかし、晴子が店主だというのに納得いかなかったのはアスナだけだったらしく、他の人間から疑問が上がることはなかった。ネギは晴子の気配の無さに何かを感じていたし、セツナは単純に晴子の言葉をそのまま飲み込んだ。夕映とハルナはのどかの様子を見ていたので、ここが普通の場所ではないことは予想がついていた。その店主も、普通ではないだろうということも。

 このかはそもそも疑問を持つ持たない以前に、ちょこちょことカウンターに歩み寄って、水平に掲げた手でカウンターの高さと自分の身長とを比べていた。このかの顔半分が上に出るくらい。この確認には特に意味などない。

 カウンターに両手をかけて晴子を見上げるこのか。その隣に立つのどかを見ていた晴子は、このかに視線を合わせると、なあに、と穏やかに問いかけた。年の離れた子供に対するような声音だった。

 

「妖夢ちゃんいますか~」

 

 随分とストレートな質問だった。

 様子のおかしいのどかを除いて一番に晴子の前に立ったことといい、このかも気持ちが逸っていたのかもしれない。晴子は、間延びした声とは裏腹に真剣な目をするこのかを見て微笑み、

 

「いるわよー。貴女達が来た途端、カウンターの裏に逃げ込んだ半霊お化けなら、ほら、ここ」

 

 ここ、と自らの右隣を晴子が指差すと、僅かに慌てたような気配がした。全員の視線が集中すると、今度は息を潜める気配。しかし、カウンターからは僅かに黒い布が覗いていた。キクラゲ製と噂されるカチューシャのリボンだ。そこに深月が隠れているのはまず間違いなかった。するするとカウンターの下にリボンが消えていく。

 全員がカウンターの前までやってくると、どれ、とアスナがカウンターの向こうを覗き込んだ。最初に見えたのはまん丸い銀色だ。

 深月は、カウンターの裏に背を預け、頭を抱えて丸まっていた。できるだけ身を縮こまらせて隠れているつもりらしい。試しにアスナが呼びかけてみても、反応はなかった。聞こえないフリだ。呆れたように、晴子が深月の腕を掴んで強引に立たせる。

 

「陰気くさいし鬱陶しくてたまんないのよ。引き取ってくださる?」

「すみません。ご迷惑をおかけしました」

「気にしないわ。がんばってね~」

 

 無理矢理深月をネギ達の方へ向かせると、晴子は椅子から下りて、隣の部屋へ行ってしまった。暗がりに溶け込んだ小さな背は、それきり戻ってくることはなかった。

 

「妖夢ちゃん……」

 

 気まずそうに顔を背けている深月に、このかが呼びかける。名前は以前のままだ。どちらの名前で呼びかければいいのかを考えた上でのこのかの選択だった。

 ショックを受けている今の深月に、『深月』と呼びかけるのはと考慮したのだろう。

 カウンターを迂回したこのかが深月の前に立つと、ちらと目だけがこのかを見て、すぐに逸らされた。一瞬見えた彼女の目は、泣き腫らしたように赤く腫れていた。その腫れも、もう半ば治りかけている。

 それでも、何度かこのかが名前を呼びかければ、ゆっくりとした動作で、深月はこのかの方へと顔を向けた。

 全員が固唾をのんで見守る中、二人は向かい合ったまま、しばらくの間喋らなかった。深月は何を言っていいのかわからないようだった。

 

「……どうして」

「……?」

 

 やがて、蚊の鳴くような声で、深月が問う。

 どうして小さくなっているのか。その言葉には、なぜその姿で自分の下に来たのか、という意味も含まれていた。

 深月は、このかがこの姿になっているのは魔法の飴玉の効力だと判断した。それ以外を知らないからだ。その意味を読み取ったネギは、深月があの秀樹の姿や力を知らないのだと判断した。

 

「妖夢ちゃん」

 

 質問には答えず、このかが深月に身を寄せる。僅かに顔を逸らし、唇を引き結ぶ深月も、身を引こうとしたりはせず、接近を許した。揺れる瞳が、彼女の葛藤を表している。うそっこの自分をどうすればいいのか、どう振る舞えばいいのか。妖夢と呼びかけられている間は、妖夢でいていいのだろうか。

 『そうだったらいいな』と『そんなこと許されるはずがない』のせめぎ合い。このかの好意に甘えたい自分と、そんな自分を切り捨て、この問題に全力で向き合うべきだという気持ちが鍔競り合っていた。

 

「妖夢ちゃん」

「っ……」

 

 再度呼びかけながら、深月の左手をそっと両手で包み込むこのか。伝わる熱は、前よりもっと熱く、手を通して伝わる優しさや気遣いも、前よりもっと大い。深月は、そういったものを敏感に感じ取ってしまう自分に嫌気が差して手を引き抜こうとした。しかし、思考に反して体は動かなかった。このかの好意は、今の深月にとってあまりにも魅力的すぎたのだ。何もかもうやむやにして、全部なかったことにして、全てから目を逸らして、ずっと手を繋いでいたいと思ってしまうくらいには。

 

「行こ? 妖夢ちゃん」

「……うん」

 

 だから、もう一度このかが問いかければ、まるで何かの術にでもかかっているかのようにとろんとした目で、素直に頷いてしまった。

 

「……では、一度師匠(マスター)の下に……」

 

 ほっと胸を撫で下ろしたネギが、このかと深月との間にある雰囲気を壊さないように小声で問いかける。詳しい『これからの話』はそこでしようという提案を蹴るものは誰もいなかった。

 

 

 ネギ達が深月を連れてエヴァンジェリンの別荘に入ったのは、あまり長い時間秀樹を待たせる訳にはいかなかったからだ。

 それは気遣いや何かからくるものではなく、痺れを切らした秀樹が予測できない行動を起こす事を危惧した結果であった。

 一時間を一日に引き延ばすこの場所なら、深月の心を落ち着かせるのに時間をかけられるという理由もある。別荘の中でくつろいでいたエヴァに、ネギは別荘の使用が事後承諾になってしまった事を詫びた。

 

「ったく、ほっとけばいいんだよ、ほっとけば」

 

 別荘の使用を許可したものの、エヴァは不機嫌そうにそう言って城の中に消えて行った。

 人工の青空の下、一つの丸テーブルを囲んで八人が座っている。その内の七人の視線は、最後の一人……深月に集まっていた。

 両脇をこのかとネギに固められた深月は、気まずそうに膝に置いた手に目を落としている。半霊も所在無さげに頭上を旋回し続けていた。落ち着いて話せる場所に来たは良いものの、この少女をどう慰めればいいのかは、誰にもなかなか思いつかないことだった。深月と一番近いこのかでさえ、ただ傍にいることしかできない。妖夢でなくてもいいと慰めるのは簡単だが、このかはそれをしようとはしなかった。否定も肯定も深月には毒だ。否定すれば今以上に深く傷つくだろう。癒えるかわからないくらいの傷が。しかしだからといって安易に肯定するのは、『三原深月』という少女を知らないこのかにはできないことだった。

 秀樹との話の中では深月と秀樹がどう過ごしてきたのかという話はほとんどされなかったし、深月自身も今までその姿を見せなかった。誰もが『妖夢』として振る舞ってきた深月しか知らないのだ。本当の姿を知っていたのは、秀樹だけだった。

 では、彼女の事をよく知っている秀樹に深月を任せればいいのだろうか。それは違う。秀樹も、深月を深月として扱うつもりはない。なにせ彼女を『妖夢』にしようとしているからだ。

 そういった思考の流れで、ネギは、秀樹に深月を渡す訳にはいかないと決心した。深月自身にも、秀樹の下へ行くような気持ちにさせたくなかった。

 

「あの、妖夢さん」

「……」

 

 そうして気持ちが逸ったのも手伝って、ようやっとネギが声をかければ、深月は顔を歪めてネギから顔を背けた。僅かに身も捩って距離を取ろうとする拒絶ぶりに、消沈して二の句が継げなくなるネギ。妖夢と呼んだのが不味かったのか、それ以外の何かか。まさか、自分に話しかけられるのは嫌なのだろうか。僅かに見える深月の横顔を見ながら考えるも、答えが出ず、ネギは肩を落として落ち込んだ。

 

「妖夢ちゃん……?」

「……」

 

 このかの呼びかけにも、深月はあまり良い反応を返さなかった。顔こそ歪めなかったものの、叱られた子供のように身を縮こまらせて悲しそうにするばかり。いったいどうすればいつもの彼女に戻るのか、誰にもわからなかった。

 話にならない。剥き出しの心どころか、彼女は心を閉ざすばかりで、呼びかけても小さな反応を返すばかりだ。ここにいる誰にも、そういった人間の相手を真剣に務め解決した経験を持つ者はいなかった。当然だ。彼女らはまだ中学生の身で、ネギは教師といえど十歳の少年だ。いくら頭が良くても、心にはその経験は積まれておらず、解決策など見つけられない。

 経験がない、というのは深月も同じだった。深月も実年齢はネギとほとんど同じ十歳という若さだ。普通と異なる環境に身を置き、学校にも通っていなかった彼女の心と理性は成長を促されず、その精神は年齢よりも幼いと言える。それも障害の一つだった。

 人が大きなショックを受けた時、年齢を重ねていれば重ねているほど――つまり、理性や常識が育まれているほど、防衛本能の働きは強まる。起こった出来事を非現実的なものとして処理しようとしたり、夢や何かのようにぼかして心に伝えたりする。だが、子供の場合そうはいかない。小さな理性や常識では受けたショックを処理しきれず、弱い防衛本能では守り切れない。現実を現実として受け止める他なくなると、最悪の場合、心が壊れてしまうことだってあるのだ。

 深月の場合、近しい人が亡くなっただとか、そこまで大きなショックではなかったために心が壊れるまではいかなかったが、安穏とした日常を奪われたショックは小さいともいえず、非常に扱いが難しくなってしまっている。

 長い時間をかけ、深月を想う心を持った人が傍に寄り添っていれば、やがて深月は立ち直れるだろう。妖夢として築き上げた友達や過ごしてきた時間は、深月に戻ってもなくなったりしないことに気付くだろう。

 だがそうなるまでに、いったいどれほどの時間が必要だというのだろうか。いくらこの別荘が時間を引き延ばすとはいえ、一月や二月もすれば秀樹が飛んで来ない保証はない。ここでは日常も過ごせないのだ。より深月の心が立ち直るまでに時間がかかるだろう。

 しかも、問題はそれだけではないのだ。

 たとえ今、全員が全員深月を知り、受け入れ、彼女を慰めたとして、それでも解決できないことがある。

 深月自身、それがわかっているから、妖夢になりきることもできず、深月に戻ることもできない。だから、呼びかけられると余計傷ついてしまう。『妖夢』と呼ばれること自体、彼女が嘘つきである事の証明なのだから。そして、深月と呼ばれる事は――。

 

「み、深月……さん?」

「っ!」

 

 妖夢と呼ぶのが駄目なら。解決法を模索していたネギは、僅かな可能性に賭けてその名前を口にした。

 途端、深月は椅子を引き倒して勢いよく立ち上がり、ネギを睨みつけた。恐れと失望が混じった複雑な表情が浮かんでいた。口は引き結ばれているにもかかわらず、まるで非難の言葉を投げかけられたかのような錯覚を受けたネギが何か言うより速く、深月は倒れた椅子を踏み越えて柵の方へ走って行ってしまった。

 

「あっ、よ、妖夢さん!」

「妖夢ちゃん!」

 

 ネギとこのかの声も届かず、柵を飛び越え、落ちていく深月。その下には浜辺と海が広がっている。

 慌てて立ち上がったネギ達は、しかしすぐには追うことができなかった。深月と呼ばれて彼女が逃げ出してしまった理由の全てを把握できなかったからだ。

 今そちらの名前を呼ばれるのは、彼女を妖夢ではないと認める行為だ。しかしそれだけであんな顔をするものだろうか。それ程までに妖夢を壊されるのを恐れるのはなぜか。のどかが『いどのえにっき』でも使わない限り、深月の心は誰にもわからない。

 

「すみません、僕のせいで!」

 

 深月が去ってしまった方からみんなの方へと顔を向けたネギは、そのままの勢いで頭を下げた。よく考えなくても、深月と呼ぶのが駄目なことはわかるはずだったのに、そう呼んでしまった。彼女を傷つけてしまった。失態だった。

 

「自分を責めても仕方ないです。私など、何も声をかける事はできなかったですから……むしろ、勇気ある行いだと……思うです」

 

 夕映がフォローする。それから柵の向こうを見れば、みんながつられてそっちを見た。

 彼女の心を慰めるのは誰か。その答えが出る前に、飛来した杖がネギの手に収まった。

 

「僕、追います!」

「でも、ネギ……」

「大丈夫です! 大丈夫じゃないかもしれないけど……でも、でも僕が必ず妖夢さんを!」

 

 立ち直らせてみせる。元に戻してみせる。その先の言葉をどう表せばいいのかわからなかったネギは、そこで強引に言葉を断ち切って走り出し、柵を飛び越えた。

 

「ネギくぅん! 妖夢ちゃんをお願いなー!」

「はい、必ず!」

 

 ごう、とうねる風の中、ネギは杖に跨りながら、聞こえてきたこのかの声に大きな声を返した。それが届いているか確認しない内に加速して地上を目指し、浜辺へ到達する前に杖の先端を力いっぱい引き上げて軌道修正する。体が地上と水平になれば、今度は左へ方向転換。波打ち際の浜辺を凄まじい速度で飛べば、すぐに走る深月の背が見えてきた。

 

 

「妖夢さん!」

「――!」

 

 走る深月の頭上を飛び越え、ブレーキをかけながら深月の前へ下りるネギ。止まり切らなかった杖が回転しながら遠くの浜へ転がって行く。深月は驚き、右足を前に出して急ブレーキをかけた。飛び散った砂と泥がネギの障壁にぶつかって地面に落ちる。立ち上る砂煙は、すぐにネギの腕の一振りで風に払われた。

 

「妖夢さん」

「っ、やめて、センセ……!」

 

 名前、呼ばないで。

 囁くような声量の嘆願。今にも泣き出しそうな表情の深月に、一瞬ネギは謝りそうになってしまった。

 でも、謝っていてはだめだ。謝るだけじゃ何も進まないし、何も変わらない。謝罪は深月を戻した後でもできること。

 ネギは、一度頬を叩いて気合いを入れると、じりじりと後退する深月に対して、綺麗な姿勢で礼をした。

 

「妖夢さん、ごめんなさい!」

「っ!」

 

 謝罪はしないといったばかりですぐに謝ってしまうのは、ネギの性格ゆえだろうか。しかし、今度の謝罪は方向性が違う。今までのは、間違った事や不快に思わせてしまった事を詫びていたのに対し、今度のものは……。

 

「……センセ、何を……!」

「……すみません、妖夢さん」

 

 一息に距離を詰めたネギが踏み込みを経て放った掌底は、面食らいながらも深月の腕に流された。そのまま深月の後方へすり足で移動して向き直ったネギは、謝罪の言葉を口にしながらも腰を落とし、構えをとった。

 

「僕、もうこれくらいしか思いつかなくて……」

「どう、いう……私を、倒す、の……?」

「かもしれません。でも、違うかも。僕が倒されるのかもしれない」

「何を……意味わかんない……何言ってるの、センセ……」

 

 困惑しきりの深月に、構えてください、と、いつもより強い口調で言うネギ。

 

「妖夢さんが思う辛いこと、悲しいこと、認めたくないこと……僕にはわかりません。だから、教えてください。その剣で」

 

 ネギは深月に何を言えばいいのかわからなかった。なんといえば、深月が立ち直ってくれるのかわからなかった。

 だからもう、いっそのこと言葉を取っ払うことにしたのだ。

 思えば深月は、数少ない手合わせの中では常に楽しそうにしていたし、口数も多くなっていた。何より、その動きが、様々なことをネギに教えてくれた。

 どんな攻撃をするのが好きか、どんな攻撃を受けるのが好きか。どの型を避けるのが得意か、受け流すのが不得意か。

 

「その体で。僕も体で応えます」

「……いみ、わかんないよ」

 

 深月の場合、口よりも体の方が素直で雄弁だ。だからネギは、戦うことを通して深月の心を知り、解決の手助けをしようと考えた。しかしその真摯な瞳と言葉は、少しばかり深月には刺激が強かったようで、僅かに朱が差した顔を背けながら構えた。

 

「……いみ、わかんない」

 

 呆れたように言って瞬きした深月の口元は、僅かに笑みを形作っていた。

 

 

「ふっ!」

「くっ!」

 

 飛び込みからの肘打ちがネギの頬を打ち据える。避けられた左拳を引き戻しながら深月の手を取ろうとネギが手を伸ばすと、軽やかな動きで肩に手を置かれ、そこを支柱に側転して背後に降り立たれた。背骨を狙った貫手(ぬきて)を腕を広げながら右へ避けたネギが、横腹を掠りながら前に伸びる腕を抱え込むように捕まえる。右の肘打ちを背中に密着する深月へ放とうとした瞬間、両足を一気に払われ、捕らえていた手に鳩尾を押される形で砂浜に叩きつけられた。息がつまり、飛び散った砂で半ば視界を奪われる。だが止まれば追撃が来るのは明白。無理矢理体を転がし、地面を叩いた反動で跳び起きたネギの前に、再び砂の波が襲いくる。深月が、今まさにネギが寝ていた場所へ膝を突き刺していたのだ。

 

(わかってたけど、妖夢さん、すっごく強い……!)

 

 その膝と反対の足に力が籠るのを見て取ったネギは、深月の次の攻撃を予測して腕を伸ばしていた。同時に瞬動で以て殴り掛かってくる深月の腕を、下側から掴んだ。手首の内側、柔らかい部分に爪が食い込む。その腕を上方へ引きながら蹴り込むように突き出した足が深月の股下へ、ドロワーズと膝が擦れるほど深く入り込み、どんと体がぶつかり合う。勢いを殺されて怯む深月を、ネギは、腹に添えた腕と引いている腕を用いて持ち上げ、後方へ投げた。一連の動作が綺麗に決まれば、攻撃の勢いはほぼそのまま投げの勢いとなる。腕から手を離したネギは、即座に反転しようとして、今離したばかりの手にがっしり腕を握られて引っ張られた。このままでは深月が地面に叩きつけられると同時、ネギの腕は折られてしまうだろう。なんとか外そうと手首を返すネギ。深月の手は、掴んでいた力強さとは裏腹にあっさりと外れた。代わりのようにネギの背を深月の蹴りが襲う。

 

「うぐっ!」

 

 どっと前につんのめる体を足を出して踏ん張ったネギの背後に深月が着地する。膝裏を蹴りつけられて体勢を崩すネギに、全力の手刀を叩き込もうとする深月。無駄も容赦もない、怒りすら見える攻撃。ぞっとしたネギは、瞬動を用いて転がるように前方へ離脱した。直後、深月が振った手刀に合わせて浜辺に深い切り傷がつく。気を斬撃として飛ばしたのだ。障壁を砕く程の威力はないが、先程の距離から放てば深い傷を負わせることは容易だった。転がりざまに立ち上がったネギは、砂に刻まれた一線を見て、しかし嬉しくなった。深月の気持ちを引き出せていることに、だ。逃げて、逃げようとして、うつむいて。そんな彼女が、今は自ら向かって来て、激情を乗せた本気の攻撃をしかけてくる。それがたまらなく嬉しく思えた。これがネギなりの、深月の剥き出しの心と直接向き合う方法だった。……おそらく深月相手にしか使えないだろうが。

 攻撃を繰り返すごとにヒートアップしているのか、僅かに息を乱しているを深月を注意深く見つつ、ネギは立ち上がって構えた。こちらはさほど息を乱していない。魔力による自己ブーストと戦いの歌(カントゥス・ベラークス)の恩恵だ。逆に言えば、自己強化をせずに全力で動き回り続けて、少し息を乱す程度に収まっている深月がおかしいのだ。同じ人間で、自分より気が少なくて、体も小さい彼女のどこにそんな体力があるのか、ネギは常々不思議に思っていた。あの不思議な刀による魔法でもなければ、黒い影が大きく身体能力を強化している訳でもない。では何か。……最近、ネギはなんとなく深月の無限に思える体力の正体に気付き始めていた。

 執念深さ。

 どこまでも喰らいついて離さない、野生そのもののような彼女の性質が、息を乱し、疲れ切ってもなお動き続ける事を可能としている。体力が切れ、大怪我を負ったとしても、各可動部に支障をきたしていないのならば、全快時と同じパフォーマンスを発揮できるという、人間やめてるんじゃないかと思える性質。

 ネギはまだまだ体力に余裕があり、あまり使わない気も残っていて、魔力は有り余っている。それでも、全力全開での動きができるかと言えば、今の少し疲れた状態ではできない。つまりそれは、時間が経てば経つほどネギが不利になっていくことを示していた。

 

(でも、それでいい。だって、これはそういうのじゃない。ただ、妖夢さんの気持ちを引き出すために戦ってるだけなんだから……)

 

 とはいえ、手を抜いてどうにかできる相手でもない。全力で、しかし大きな怪我をさせないように急所を狙わず、さらに彼女がすべての心情を吐露してくれるまでの間となると、ちょっと無理かな、という答えしか出てこない。だからこそネギは、今、深月が怒りを顔に滲ませて睨みつけてくるのを嬉しく思っているのだ。

 眼鏡を指で押し上げたネギは、突進してくる深月を迎撃するべく、大きく足を開いた。

 

 

「私……」

 

 何度目の打ち合いの後か。

 荒く息を吐くネギの前で、楼観剣――長刀・桜月を手にした深月が、深く息を吐いたのちにぽつりと零した。首筋に走る一本線から滲む血を腕で拭ったネギは、なんとか息を潜めて、深月の言葉を待った。

 

「私、嘘つきだった」

 

 刃先が揺れる。銀に輝く刀には、打ち寄せ、引いていく波が映っている。

 

「嘘をつくのは悪いことだよね……私、すごく、悪い子だよね……」

 

 それは違います。反射的に否定しようとして、ネギはぐっと唇を噛んだ。今は自分が口を出す時ではない。全部、話して貰わねば。

 

「なんでセンセは追ってくるの? みんなも、追ってくるの? 私、みんなを騙してたんだよ」

 

 静かな声が、波の音の間で揺れる。

 

「……センセと友達だった……妖夢は、うそっこだったの」

 

 地面を見つめてぽつぽつと語る深月に、それでようやく、なぜ深月が逃げ出したり悲しんでいるのかがわかった。騙していた、という罪の意識もあるだろうが、それ以上に、妖夢でなくなると友達でなくなるがイコールで繋がっていることを察した。

 だから、ようやくネギは口を開いた。

 

「それで今は……今は、深月さん、なんですよね」

「っ……ぅ」

 

 『深月』と口にすれば、彼女は叱責されたかのように身を縮こまらせ、いっそう下を見た。妖夢でなくなれば友達でなくなる。深月と呼ばれることは、それを肯定されるということ。ネギ自身が、お前とは友達ではない、と告げているようなもの。

 

「だったら、僕、深月さんと友達になりたいです」

「え……」

 

 腕を広げ、明るい声音でネギが言う。お友達になりましょう、と。

 驚いたのは深月だ。

 なぜそうなるかがわからなかった。騙してたのに、嘘ついてたのに、妖夢じゃなくなったのに。

 妖夢を否定されて、それは、今までを否定されるのと同じで、だから、深月は刀を握る手に力を込めた。

 ショックだった。麻帆良に来てから今までのことを全部なかったことにされたのが。

 そして、ネギの提案は、友達になるのは妖夢でも深月でもどっちでもいいという意味に聞こえて、悲しくなった。

 

「センセは……どっちでもいいの?」

 

 持ち上げた刀の切っ先がネギへ向けられる。答え如何によってはそのまま斬りかかりそうだった。

 深月の言葉の意味を瞬時に理解したネギは、慌てて首を振って否定した。

 

「そ、そうじゃありません! ただ、今まで一緒に過ごしてきた妖夢さんが深月さんなら、同じだから……」

「同じって、どういう意味? お兄ちゃんを殺した私と妖夢がおんなじ? 馬鹿なこと言わないで!」

 

 今度はネギが驚く番だった。

 先程までの、ただ怒りを顔に浮かべているだけとは違う、怒りの発露。大声で怒鳴りつけられたネギは、何か見えないもので叩きつけられたようにぴんと背筋を伸ばした。ネギが地雷を踏んだのはこれで二回目だ。

 深月にとって妖夢とは自分の模範にするもので、兄が好きなキャラクターで、自分も好きなキャラクターで、尊く、特別な存在だった。それを自分とすることで一側面の『悪いこと』を全部妖夢に押し付けてきた。なぜなら、妖夢ならそれは『悪いこと』ではなくなるから。やってもおかしくないことに変わるから。

 誰を斬っても妖夢は妖夢、楼観剣を振るって斬るのはなんらおかしいことではない。

 では深月は? 深月が刃物を振るって愛する人を傷つけたら……殺してしまったら、それは許される?

 そんなはずはない。許される訳がない。だから妖夢になったのに。深月となんの関係もない魂魄妖夢という一人の少女になったのに。

 深月に戻された挙句、妖夢と深月は同じだと言われてしまった。

 妖夢だから許されていた『誰かを斬ること』は、深月と同じだから『許されない悪いこと』になってしまった。

 なんでそんなこと言うんだろう。先生は、そんなことを言う人だっただろうか。

 悲しみと絶望がないまぜになって、ごちゃごちゃとした頭の中で深月は考えた。どうしてネギがそんなことを言ったのか。自分が許せなかった? 自分を責めている? そういう人だったの?

 しかし、どれも違うとわかった。結局先生はそんな人ではない、という観念が、浮かんでいた疑問を全部消し去った。

 

「そっか……センセ、知らないんだ」

「知らない……? それに、秀樹さんを殺したって、どういう」

「ふふ……ふふふ」

 

 ぼうっとネギを見た深月に、ネギは先程の言葉の意味を聞いた。だが答えは返ってこず、深月は肩を震わせて笑い出した。妖しく光る瞳の青が、ネギに寒気をもたらした。秀樹と似た邪悪な気。目を見開いたまま笑う深月は、恐ろしくも美しかった。

 

「私、いっぱい人殺してるんだよ?」

「え……?」

「えへへ……ね? センセ。私、悪い子だよ? そんな悪い子は、どうすればいいの?」

 

 人を殺した。俄かには信じ難い言葉に、ネギは動揺した。

 たしかに深月の持つ刀を振るえば、人など容易く斬れてしまうだろう。刀による魔法の行使は、普通の魔法と同じように、時に人を害するだろう。だが、この幼い少女にそれができるのだろうか。

 浮かんだ疑問の答えは、深月の笑みと狂気染みた雰囲気が証明していた。

 じりじりと歩み寄る深月に、思わず腰が引けてしまうネギ。先程まで繰り広げていた戦いの中でも、たしかに深月はネギの急所を狙い続けていた。それは今までの手合わせでネギの技量を知っていたからだとかではなく、単に本気で殺そうとしていただけだったのだ。

 これが『妖夢』だったのなら、加減するか峰でやるかするだろう。だが今の彼女はどっちつかずで、自分でも何もわかっていない状態だ。手加減や手心などしている余裕などなかった。

 一つ間違えていれば命を落としていたことに今更ながらぞっとしたネギは、しかし気を強く持って妖夢を見返した。

 

「本当に人を殺したというのなら、罪を償うべきです」

「……センセは、私に死ねっていうんだ」

「そ、そんなことは――」

「じゃあ、償うってどうするの? 償ってどうなるの? 殺した人は生き返るの? だったら私、頑張るよ。そうしたら、また普通に戻れるもんね。また、先生達といられるよね」

 

 ぴたりと、深月の足が止まった。ネギから三歩ほどの距離。一息で詰めることができ、すでに刀の間合い。すぅっと地面に向けられた刀がいつ跳ね上がるか。焦燥感が体を這い回る感覚を味わいながら、ネギは深月の目だけを見ていた。

 

「……無理だよね。そんなの、無理に決まってるよね……だって私、悪い子だもん。……ねぇ、センセ……どうすればいいの?」

 

 罪を償う、というのは今の彼女には受け入れられない提案だったらしい。ネギにはその理由はわからなかったが、憶測することはできた。深月の常識の無さや偏った常識から考えるに、深月の中で罪を償うとは死んで償うことだとか、それくらいの重大なことになっているのだろう。

 自分達と一緒にいたいと言う深月に罪を償えとは、一緒にいられないと突き放すのと同じ。友達になろうと言っておいてそれは、裏切り以外の何物でもない。激昂され斬られていないのがおかしいくらいの状況だった。

 だが、そういった認識は正せばいい。そして今は、彼女を落ち着かせることが先決。

 ネギはそう考えて、自ら一歩、深月に近寄った。

 

「それなら、やっぱり友達になりましょう。罪を償うというのは、何も死ぬことだけを指すのではありません。それに……」

 

 また一歩。

 ネギに距離を詰められるたびに、深月の顔から狂気染みた笑みや怒りの色が抜け落ちていく。

 しょせん、それも今の不安定な自分を型に嵌める行いというだけだった。ネギが目の前に立つと、深月は今にも泣き出しそうな顔で、不安気にネギを見上げた。

 

「一人で背負うには重すぎるなら、僕が一緒になって背負います。だから」

「センセ……」

「友達になりましょう、深月さん」

 

 深月の目に、じわりと涙が浮かぶ。小さく口を開いたままネギを見上げる顔は幼く、常よりも小さいという印象をネギに抱かせた。掻き抱きたくなるような、庇護欲を掻きたてる……ちょうど、頭を撫でてあげて、「大丈夫だよ」と優しく語りかけたくなるような暖かい気持ち。ふとネギは、いつもこのかが深月の頭を撫でたり、手を繋いだりしている理由が少しわかったような気がした。

 

「それじゃあ……」

 

 か細い声。

 震える声と吐息がネギの首元にかかる。いつの間にか深月は、ネギに密着するまで歩を進めていて、ネギの胸に左手を置いていた。僅かに動揺するネギを気にせず、深月が続ける。

 

「私が先生のお父さんを斬っても、それでも、ずっと友達でいてくれる?」

 

 ネギは今日、何度彼女の言葉に驚かされただろうか。

 言葉の意味を考えようとして、だけど、上手くいかない。ナギが絡むと、途端にネギはおかしくなる。幼少の頃、メルディアナ魔法学校の禁書庫でアーニャの声も聞こえないくらい禁書を書き写すことに集中していたような、些細な変化。

 だがこの距離でネギの変化を見逃さない深月ではない。ほんの少し表情を歪めたネギを至近から見上げていた深月は、くしゃっと顔を歪めて、一歩離れた。再びネギが目の前の深月をしっかり見ても、もう遅い。深月はネギの変化を答えとして受け取ってしまった。

 

「深月さんが父さんを斬ろうとしたなら――」

「もういい!」

 

 慌てて先程の問いに答えようとしたネギの言葉を深月が遮る。力いっぱいの叫びの後に、再度、「もう、いいよ……」と呟いた。瞳に溜まっていた涙が頬を伝い落ちる。

 

「もうやだ。もうやだよ……おにいちゃ……せんせぇ……私、がんばったのに……」

「深月さん……深月さん、しっかり――うわ!」

 

 ネギに聞き取れないくらいの声量でぶつぶつと呟き始めた深月を心配し、歩み寄ろうとしたネギが、顔を上げた深月に睨まれた次の瞬間には吹き飛んでいた。不可視の力を飛ばす彼女の技だ。

 砂を巻き上げて転がったネギは、口に砂が入るのも構わず立ち上がり、刀を構える深月を見た。静かに涙を流しながら正眼に構える彼女には、もう言葉は通用しそうになかった。

 

「わかりました……だったらまた、体で……!」

「…………」

「全部受け止めますから……だから、心の中の全部、出してください、深月さん!」

「……! うけ、とめる……?」

 

 腕を広げて構えるネギに、深月はぎりと歯を食いしばった。わきあがる怒りは一瞬にして沸点を越える。

 

「だったら受け止めてみせてよ! 私の全部! 受け止められるのなら!!」

 

 ぶんと腕を振って砂浜に刀を投げ捨てた深月は、すぐさま後ろ腰の白楼剣――短刀・霧雨の弓の鞘に結ばれたリボンを引き抜いた。リボンが深月の手の内で空気に溶けて消えると、解き放たれた風の魔力が深月の手に宿る。そのまま、鞘に現れたリボンを再び引き抜き、現れたものを引き抜き、現れては引き抜き。

 引き抜いて、引き抜いて、引き抜いて。

 やがて全ての魔力が開放され、渦巻いた。ネギの総魔力に届かないまでも、圧倒的な魔力量で以てして風を発生させ、あたかもそれを制御する深月へと体が吸い寄せられてしまいそうな圧力を発していた。

 深月が掲げた両腕の先に魔力が集まっていく。色とりどりの光の帯が流れ込み、小さな球体を作り出す。それは瞬く間に深月もネギも纏めて呑み込める大きさになった。

 

「ぅ、ぁ、あ、ああああああ!!」

「……!」

 

 危険だ。

 ネギは、頭の中で鳴り響く警鐘を、しかし無視した。

 当たればただでは済まない。いや、まともに受ければ待っているのは死だろう。

 だが、気合いだ。深月の全部を受け止めると宣言した以上、ネギは撤回する気はなかった。

 これを受けきれば、きっと深月が心を開いてくれると信じて……。

 

「――っ、うああっ!」

 

 ごう、と、光の玉が放たれた。光を撒き散らし、打ち寄せる波や砂を巻き上げ、暴風さえ引き連れて。

 ネギは、動こうとしなかった。じっと魔力の塊を睨みつけ、自分に届くのを待った。

 ――やがて。

 

氷楯(レフレクシオー)

 

 ネギの目の前に発生した斜め向きの氷の盾が、光の玉を押し留め、上空へ跳ね返した。

 突然のことに呆けるネギの頭上を飛び越え、エヴァンジェリンが姿を現す。

 

「むん!」

 

 緩やかに空へ上っていく光の玉に追いつくと、魔力を纏った足で海の方へと光の玉を蹴り飛ばした。

 さらに氷片をいくつもばら撒き、光の玉の傍に配置する。

 

凍てつく氷棺(ゲリドゥス・カプルス)!」

 

 氷片達を面として光の玉を閉じ込める氷が出現した。そうすると、魔力の塊を内に閉じ込めた菱形の氷塊は、自重によって海へと沈んでいった。

 

「ま、師匠(マスター)……」

「ふん」

 

 スタッとネギと深月の間に降り立ったエヴァンジェリンは、腕を組むと、心底不機嫌そうに鼻を鳴らした。ぎらりとネギを睨みつける。何にも縛られない真祖の吸血鬼の眼力を受けたネギは、結構慣れているとはいえ、うっと息を詰めた。

 

「馬鹿か貴様。障壁もなしにあんなものくらったら死ぬぞ。それがわからんお前ではないだろう」

「いや、でも、その」

「……邪魔しないで」

「貴様もだ魂魄妖夢。貴様、私の別荘をぶち壊す気か? さすがの私もさっきのはヒヤッとしたぞ」

 

 だいぶん怒気を孕んだ声でネギを叱責したエヴァンジェリンは、抗議する深月も睨みつけて、先の魔法の行使を責めた。

 

「だいたいなんだ、たかが数十人殺した程度でうだうだと。それでお前が許されないなら私はどうなる? というかだな」

「……師匠(マスター)

 

 腰に手を当て、いかにも怒っていますといった表情をして深月を叱責するエヴァンジェリンだったが、その台詞からネギは気付いてしまった。彼女がずっと自分達のやりとりを聞いていたのと、叱責にかこつけて深月の認識を軽くしようとしているのを。

 

「貴様一人で……なんだぼーや、何を笑っている。何が言いたい? 死ぬか?」

「え」

「そうか死にたいのか。少し待っていろ。こいつとの話が終わったらたっぷり料理してやる」

「え、そんな」

 

 どうやらエヴァンジェリンはネギに対してもかなり怒っているようだ。慌てて弁解しようとするネギを無視して深月に言葉をかけ続けるエヴァンジェリンに、ネギはもう諦めて、後の自分は捨て置いて今の深月をどうするかを考えることにした。

 

「あなたと一緒にしないで。私は……三原深月は、人殺しなんかしちゃいけなかったの……妖夢だって! しちゃいけないことをしたの。もう、どっちも嫌……! どっちにもなりたくない。どっちにも戻りたくない!」

「あー? 何を言っとるかわからんが、それはあれか。新しい自分に逃げたいと言いたいのか」

 

 その言葉は図星だった。深月は、晴子の下にいた時、妖夢も深月も駄目なら、いっそのこと新しくなりたいと少しだけ考えた。そんなのは駄目だと頭の隅に追いやったが、完全にその考えを捨てた訳ではなかった。

 

「だったら、なに」

 

 白楼剣を引き抜いて構え、苦々しげに言う深月に、エヴァンジェリンは再度鼻を鳴らした。くだらん考えだ。そう、態度が物語っていた。

 

「逃げるな。目を(そむ)けるな。

 過去は自分だ。記憶は鎖だ。生きていく中で雁字搦めになって、

 だが折り合いをつけなければ生きてはいけん。

 特にお前のような奴はな」

 

 今までの自分を捨てることはできない。捨てずに立ち向かえ。そう言われて、しかし深月は首を振った。

 それができないからこんなに苦しんでいるのだ。

 ぎゅうと握り締めた刀を掲げ、エヴァンジェリンを睨みつける深月。

 

「そんなもの、この剣で……!」

「甘いわ小娘。自分自身を、どうして断ち切れる?

 ……過去を捨てる事は力にならん。記憶を捨てる事は力にならん。

 お前はお前自身を、過去も今も未来も全てひっくるめて信じるがいい。

 そうすれば、答えも、見つかる。強くなれるだろう」

 

 今度は助言だった。自分を信じろ。真正面から叩き付けられた言葉は、在り来たりなものにも拘らず、エヴァンジェリンの生きた経験のためか、強い説得力があった。

 

「……そんなの、できっこないよ」

「お前を信じている奴はたくさんいるのにか? ぼーや、お前はどうなんだ。こいつのことを信じてやっているのか」

「え、は、はい! それはもちろん。僕は深月さんのことを信じてます!」

 

 エヴァンジェリンに話を振られて、慌ててネギは頷いた。逸ったように深月の方へ身を乗り出して、胸元で両拳を握って強い口調で言う。

 

「深月さんが僕の友達だからじゃありません。僕が深月さんの友達だからです! 僕は、深月さんの力になれる僕でありたい!」

「……センセ」

「それで、どうだ。ぼーやがこんなにも信じる貴様自身を、貴様は信じることができないのか?」

 

 エヴァンジェリンに問われて、深月は刀を下ろし、数分の間考え込んだ。胸の内で渦巻く葛藤は、そのほとんどが自分を許せるか許せないかの判断に終始していた。

 やがて、顔を上げる深月。ネギを見る深月には、もう暗い色はなかった。

 

「……センセが信じてくれるなら、私も……私を信じてみたい」

「深月さん……」

「でも」

 

 でも、どうすればいいかわからないの。

 不安げに囁かれた深月の言葉に、ネギは笑って、

 

「一緒に考えましょう。みんなと一緒に」

「……みんなと?」

「ええ。深月さんのことを信じてるのは僕だけじゃないですから。みんな、深月さんのことを信じてますよ。立ち直れるって」

「……ほんと?」

「ほんとです」

 

 笑顔で頷かれた深月は、少し考える素振りを見せた後に、白楼剣を鞘に納め、砂浜に刺さる楼観剣を回収して背の鞘に納め。それから、城の方を眺めてから、てててっとネギに走り寄った。近い距離にネギが怯むより速く、先の焼き増しのようにネギの胸に両手を置いて、「ほんとのほんと?」と見上げる深月。

 

「ほんとの、ほんとです。さ、戻りましょう……深月さん」

「……はい、センセ」

 

 お互い、促し、返事をしたものの、しばらくの間見つめ合っていた。ネギは、今の深月を突き離したりできないために。深月は、自分を肯定してくれそうな人を確かめるように、逃がさないように。

 

「おい、何をイチャついとるんだお前ら」

「え、いえ、別にそういう訳では」

「…………」

「深月さん? なんでそんな恥ずかしそうにするんですか?」

「ばか……」

「え」

「というか、なんださっきからミツキミツキと。ぼーやと妖夢との間でのみ通じる暗号とかか。焼け死ね」

「え」

 

 すっと体を離した深月には恨みがましく、傍に来たエヴァンジェリンにはジト目で見られて、ネギは困惑した。あれ、なんで僕こんな責められてるんだろう……。ちなみに、両人若干顔が赤かったのはここだけの秘密だ。

 

「ふ、冗談だ。少しばかり前に見たドラマの展開に似ていたからな。つい口にしてみたくなっただけだよ」

「な、なんだそうだったんですか! 本気にしちゃったじゃないですか、あはは……」

「ふふ。私も、馬鹿っていうのは嘘。センセ、本気にした?」

「はは、もう、びっくりしましたよ」

 

 あはは、ふふふと笑うネギと深月につられてか、エヴァンジェリンも自然な笑みを零した。若い二人に混じっては、エヴァンジェリンも年を感じさせられるどころか、同じく若い気持ちにさせられてしまう。これが青春か。十五年は経験したはずなんだがなあ、と独り言ちつつ、笑顔のネギと深月を眺める。

 

「まあ、料理の件は嘘じゃないがな。八つ裂きにしてくれる」

「え」

 

 ネギの笑顔は固まったが、深月は未だ、口元に手を当ててはにかんでいた。犯してきた罪やわだかまりはまだあるものの、きっと深月を信じるみんながいれば、彼女の将来は明るいのだろう。

 心の端に残る妖夢に対する後悔の念や、深月に戻る不安なども、彼女の友達が解決してくれるだろう。

 後に残る問題は、彼女の兄、三原秀樹のことだけだった。


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