なりきり妖夢一直線!   作:月日星夜(木端妖精)

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……どこかで見た技のオンパレードな気がするけど、そんなの最初からだった。うん。
最後の方力尽きました。間が空くと書き方忘れるからね、しょうがないね。



第四十七話 VS妖夢

「学園長、何故(なぜ)です」

 

 騒がしさとは離れた学園長室に、三つの人影があった。大きな窓の前に立ち、外を見下ろす近右衛門、机を挟んで言葉を投げかける高畑、来客用――というよりは、妖夢のためだけに新設されたソファに座る晴子の三人だ。

 腰の後ろで手を組み、慌ただしい下界を眺めていた近右衛門は、浅く頷くと振り返り、薄く開けた目で高畑を見やった。

 静かな目は、高畑が何を聞きたいのかも、どういう答えを欲しているのかも見抜いているようだった。

 

「実弾兵器が投入される恐れがあると報告したはずです。なぜ彼の案を採用したのですか」

 

 咎めるような言葉とは裏腹に落ち着いた声音で言う高畑。近右衛門は再度頷いて、

 

「それが最善の策だったからじゃ」

「……生徒に万が一の事があれば」

「万が一は無い。万に一つも、無いのじゃよ」

 

 高畑の声にかぶせるように、しかしゆっくりと近右衛門が言えば、それきり高畑は追求しようとはせず、晴子の方を振り返った。

 彼女がいるからか。その動きは、暗にそう問いかけていた。

 

「君の中で、もう答えは出ているのではないかの」

 

 それには答えず、ただ促すように、近右衛門が言う。

 その通り、他の教師や生徒が出て行ったのを待ってから疑問を投げかけた高畑の中には、ある程度形を持った答えがあった。だが、記憶に新しい溶けた鉄の臭いと、飛び散る油と吹き出る火花の中で剣を片手に踊る少女の姿が頭にちらついて、どうしても直接聞いておきたかったのだ。

 魔法使いや少女――魂魄妖夢なら、銃弾や何かは脅威にはならない。だが一般生徒となると話は別だ。もし超鈴音がそれを投入して来た時、全ての一般人を守る事など到底不可能であるのは明白。

 

「君が先の場でその疑問を口にすれば、君に同意する者は多く現れたじゃろう」

 

 だがそれは、生徒達を戦いの場に参加させずとも、同じ可能性のある話でもあったので、高畑は先程、作戦の全容を伝えるために魔法先生及び魔法生徒が集まった場では、この疑問を口にしなかった。

 学園長が言うならば……という信頼も少なからず影響していた。

 

「不安かの」

「人並みには」

「安心するといい。君達が全力で事に当たれば、必ずや一般人の安全は守られる」

 

 一般人以外の安全は保障されない。そう言われた気がして、しかしそれは当然の事。

 安心しろという言葉に、素直に心を落ち着かせた高畑は、再度晴子を見てから、失礼しました、と短く謝罪した。

 

「難しく考えないで。所詮はゲームなのよ。ゲームは勝つか負けるか。それだけよ」

 

 左手の中指にはめた大きな指輪を指先でつついていた晴子が、唐突に声を上げた。高畑に対してか、それとも誰に対してでもない独り言か。高畑の目は、晴子の前の机に置かれた一枚の紙に移った。

 ほんの数十分前から配られ始めたチラシの内の一枚。学園祭の最後を飾るイベントの告知。

 それを指しての言葉か、それとも別の意味かは、高畑にはいまいちわからなかった。ただ、あまり考えつめて詰めを誤る可能性に考えがいきつくと、それが正しいのかもしれないと思った。

 加勢しに行きます、と短く断りを入れて高畑が退出する。しばらく扉を眺めていた近右衛門は、飽きもせず指輪を弄っている晴子に目をやって、それから、茶でも淹れるかの、と投げかけた。

 

「結構よ。それよりあなた、あの子の勇姿を見たくはない?」

「ふむ? そりゃあ是非、見たいのう」

 

 カツカツと音をたてて歩き、晴子の対面のソファに近右衛門が腰を下ろせば、指輪から目を離した晴子が、机の上に手を滑らせて大きな本を出現させた。「ヒントはあげたから、もう辿り着いて戦ってるかしらね」。分厚い表紙に手をかけ、開きながら晴子が言う。

 

「んーと……あ」

「どうかしたかの?」

 

 目的のページを開き、指先で文章をなぞって物語を追っていた晴子が、抜けた声と共に指を止めるので、近右衛門は何か悪い事でもあったのかと若干身を乗り出して、本を覗き込んだ。日本語にしか見えない、されど読めない未知なる言語で綴られた本の内容はわからず、晴子の言葉を待つ。

 

「なんでこの子、お手あ……んんっ。えーと、うん。戦ってるかと思ったら、喫茶店で寛いでるみたいで、ちょっと驚いただけよ」

「……喫茶店とな?」

「喫茶店よ。たんまり好物食べてるわね。……緊張のせい、ねえ」

 

 緊張と聞いて、近右衛門の脳裏に不安げにする妖夢の姿が思い浮かんだ。強いとはいえ、まだ幼い少女だ。それをこれから生きるか死ぬかの場所へ向かわせるのだから、近右衛門は少し気が重くなって、誤魔化すようにそこに現れていた湯呑みを取り、口をつけた。

 一息つけば、言葉だけでは足りず、少女の姿を見たいと思った近右衛門の思いを読み取ったのか、もう少ししたらね、と晴子が言う。近右衛門には時間をずらす意味がいまいち理解できなかったが、見られるのなら文句はないので、黙ってその時を待った。

 

「…………」

 

 目を伏せるようにして文字を追い、ページを捲った晴子は、少しして空中に手を走らせた。すると、四角い平面の映像が浮かび上がる。鮮明に映し出された光の中には、確かに妖夢がどこかの喫茶店にいて、白いテーブルにつき、浮かない顔をしてクリームソーダをつついていた。

 

 

 蛇口から流れ出る水で両手を洗う。揉み合うようにして丁寧に石鹸を落としていく。広い女子トイレには、その水音だけが響いていた。

 顔を上げて目の前の鏡を見る。光を受けて輝く青い目は、自分でもわかるくらいに不安に濡れていた。自分の気持ちを突き付けられたように感じて、きゅうとお腹が収縮する。緊張によるもの。唇で挟んでいるハンカチが揺れるのさえ、その表れみたいで、鏡から目を逸らすように手元に視線を移した。

 丁寧に、丁寧に。丁寧すぎるくらいに、時間をかけて手を洗い、蛇口を閉めて、ハンカチで手を拭く。

 晴子に促されて空へ飛んだ時から、何時間くらい経っただろうか。私はまだ、彼女達を見つけられずにいる。……いや、見つけずにいる、が正しいのかもしれない。

 彼女を見つけたその後の事を考えると、どうしても緊張してしまって、ずっと飛んでいられなかった。だから、一端落ち着くために近くにあった喫茶店に入って、休憩する事にした。

 ……それから何度もおトイレと席とを行き来してるのに、いっこうに胸のドキドキは治まらない。強まる事もないから、そこは安心だけど……ああ、でも、いつまでもこれでは、その内心臓が破裂してしまいそうだ。

 ハンカチを開いてぴらぴらやって乾かしてから、畳み直してぽっけに仕舞う。トイレを後にして自分の席に戻り、通りかかった店員さんに追加のクリームソーダを頼んだ。慣れたように微笑む店員さんに、ちょっと恥ずかしく思いながらも、氷だけ残っているグラスを眺めて、届くのを待つ。しばらくすれば、お待ちかねのクリームソーダ。

 これで十三杯目。お金は大丈夫? って心配していた店員さんも、もう気にした風も無くレシートを変えて、他のお客さんの下に歩いていった。

 長いスプーンでアイスをつつきつつ、何度もしている考え事を進める。

 次に彼女に会ったら、なんと言うのか。どんな顔をすればいいのか。

 その答えは、もう出ている。……彼女の顔は見ない。彼女に声はかけない。まずは近くにいるだろう超さんと話をする。

 ……話が終わった後の事は、何も考えてないけど……これぐらいしか思いつかない。

 アイスを口に運んで、スプーンをくわえたまま窓の外を見上げる。空にはあまり雲が無く、だんだんと黄金色に変わっていく様子が綺麗に見えた。

 綺麗。きれいといえば、彼女の事……。

 戦いたいって気持ちより、会いたくないって気持ちの方が強いせいで、彼女を思い浮かべると凄くもやもやする。椅子の端に突っ掛かった刀に手をやって気持ちを落ち着けようとして、それがずっと成功していない事を思い出して、テーブルの上に手を戻す。

 考え事はぐるぐる回って、すぐ最初に戻ってしまう。超さんと話した後は、きっと彼女と戦う事になる。その時、何を言えばいいのかがわからない。何も言わないという手もあるだろうけど、それだと、私の気が収まりそうになかった。

 話したくないのに、言葉を交わしたい。気持ち悪い感情。矛盾したものを抱えて彼女の前に立つしかないのだろうか。

 どうしても今、すっきりさせたくて、こうして感情が過ぎ去るのを待っているのだけど……。

 薄々、予感はしていたけど、まったくどうにもならなくて、参ってしまう。

 きっと解決するには、彼女に会いに行って、決着をつける以外にないのだろう。

 戦って勝つ。そうしたら、私が、私になれる。私を取り戻す。彼女がいなくなれば、煩わしいものが無くなる。不安も無くなる。悩みも無くなるかもしれない。答えも見つかるかも。

 希望的な考えを募らせても、不安や緊張はなくならないし、時間は過ぎ去る一方で。クリームソーダだって、いつの間にか氷しか残ってないのを、ストローでぐるぐる掻き混ぜていた。

 いつの間に飲み切ってしまったんだろう。記憶にない。もったいない事してるなあ、私……。

 頬杖をついて溜め息をつくと、憂鬱な気分まで加わって、もう、ここでずーっとクリームソーダを食べていようかと考えてしまう。明日になったら、あの子、どこかに行かないかな……。

 考えるフリをしつつ十七杯目のクリームソーダをやっつけていると、不意に遠くの空に、大きな超さんが浮かび上がった。

 大音量で何事か言う超さんに、何が起こってるのかわからず、ストローをくわえたまま窓の外の空を見ていた。

 ゲームだとか、失格だとか、なんの話だろう。首を傾げていれば、超さんの姿が消えた後に、指名手配みたいに、あくどい顔をした超さんの顔写真が浮かんで、アサクラさんの声が響き渡る。ラスボス役がどうのって……話が読めない。

 

「知らないの? 学園祭の一大イベントよ」

 

 傍に来た店員さんが、私と同じように空を見上げながらそう教えてくれた。イベント? ……よくわからない。わからないけど……でも、一つ、わかった事がある。

 お金かかってるわねー、と呟く店員さんにお会計をお願いして、一万二百円をささっと払ってしまった後に、お店を出てすぐ、空へ飛び上がった。

 わかった事。それは、超さんを見たら、今すぐ話をしたくなったって事。

 それと、彼女に言う言葉が決まった事。

 どうせ戦わなきゃならないなら、ちゃんと言葉と覚悟を持って挑みたい。

 今、持てた。彼女と顔を合わせる覚悟。だから、今、彼女の下に行く。

 だんだん薄暗くなってきた空を、ずっとずっと昇っていく。彼女や超さんの気配は、空のどこにもない。

 でも、ずっと上の方に、ハカセさんの気配がある。ハカセさんと超さんは親しいみたいだから、きっと居場所はそこだ。……そうでなかったら、この広大な空のどこを探せば会えるのかわからないから、そうであってほしい。

 厚い制服を重ね着ていても肌寒く、気のせいか息が苦しくなってくると、目視でハカセさんの気配のある場所――飛空船だったか、飛行船だったか、気球だったか飛行機だったか――を確認できた。火の粉のように散る闇を振り撒いて向かう先を修正しつつ、大きく息を吸って、吐く。……うん、だんだん呼吸も、元の調子に戻ってきた。なんだったんだろう、さっきの息苦しさ。……魔法?

 小さな疑問を抱えていても仕方ないので、てきとうな所に放り投げてから飛行船よりも上に飛ぶ。……白い布のような床――と称していいのだろうか――の上に、求めていた二人が立っているのが見えた。

 強い輝きを放つ魔法陣の中心にハカセさん。その隣の二回りほど小さい魔法陣の中に彼女と超さんが立っていた。

 

「やあ、妖夢サン。君が最初に来たカ」

「どうも」

 

 風船みたいな感触を危惧しつつ恐る恐る下り立てば、床は案外しっかりしていて、ちょっと蹴っても弾力を感じる事は無かった。超さんが声をかけてくるので、てきとうに挨拶をしつつ彼女を見る。

 彼女は、紙コップに口をつけていた。一瞬あの小瓶の中身を連想したけど、喉をこくりと動かした彼女が、目をつぶったままコップから口を離し、ほう、と白い息を吐くのに、違うとわかった。

 ……彼女が何を飲んでいるかなど、今はどうでもいい。……少し気になるのが本音だけど、そういう場面ではないから。

 高所であるためか、頻繁に強い風が吹く。それでも、魔法的措置がとられているかのように、さほど影響を受けずに歩く事ができる。だから、一直線に、超さんの前まで歩いた。超さんは、どこかで見た奇怪な服を隠すためか、それとも単純に防寒のためか、フード付きの服を羽織っていた。

 

「聞きたい事が、あります」

「何かな」

 

 視界の端に、驚きで固まっているようなハカセを見ながら、用意していた言葉を言う。……言い切った後に、用意しておいて良かったと心の底から思った。すぐ傍に彼女(妖夢)がいると思うと、心臓がはち切れんばかりに暴れて、まともにものを考えられない。噛んでしまわないよう、それから、せっかく考えた言葉を忘れてしまわないよう頭をフル回転させる。

 

「私は、未来でどうなっているのですか」

「ん?」

 

 私の言葉に超さんが眉を上げる。変な反応。私、今、変な事言った?

 馬鹿な事を口走ってなかったか不安に思っていると、なるほど、ネギ坊主から聞いたのか、と超さんは一人で納得して、それから、「知りたいかね?」と問いかけてきた。

 ――聞かせて、くれるのかな。

 それは、もちろん。そう意味を込めて強く頷く。超さんは、見極めるように私を見ていた。

 

「……ふっ。言ったはずヨ、妖夢サン。真実を知りたければその刀で私を打ち倒して見せろ、と」

「…………」

「しかし、まあ。私と君が戦う事はない、か。ならば、そうだね。教えてあげようではないか」

 

 わざとらしく腕を広げて見せる超さんに、緊張のためになんの反応も返せず、秘かに申し訳なく思ってしまう。きっとそんなの気にしないだろうけれど。

 

「この世界には君がいる。未来に君はいない」

「……ここで死ぬから?」

「死なないからヨ」

「お前は死ぬけどね」

「私を止めたくば止めるがいい。君にはその資格がある!」

 

 流れるように、言葉を交わす。

 それは、彼女の言葉にちゃんと声を返そうとしたためであるし、自分の気持ちをしっかり戦いへ向けるためでもあった。

 でも、ノリで殺す宣言をしてしまうのは、自分でもどうかと思う。……言った以上、斬るけど。

 だって超さんはそれをお望みのようだし……彼女(妖夢)のように峰で打てば、殺す事にはならないだろう。

 思うが早いか、左腰に下ろした楼観剣の柄に手をかける。先程まで僅かに震えていた手は、その時にはもう震えも治まっていて、だから、今、自分がちゃんと戦いへと気を向けられている事がわかって安心した。

 ここまで来てまだ浮ついた心でいたなら、きっと彼女には勝てないだろうし……。

 でも、落ち着けた。聞きたい事が聞けたから。

 未来には私はいない。その意味は……よくわからない。よくわからないけど、そんなのは、どうでもいい。

 ただ、未来に生きるという超さんの言葉を聞きたかっただけだから、答えがなんであろうと構わない。

 一歩踏み出す。上下に揺れる体の浮き沈みに合わせて、前に出した足を踏み込み代わりに、矢のように飛び出す。

 斬る。

 ただそれだけを考えて、刀を引き抜きながら超さんへと迫る。構えもせずただ立つ超さんへ一太刀を浴びせようとして、横合いから突き込まれた刀に、文字通りに弾かれた。

 ……あ。

 

「無視は困るな」

 

 柔らかい床に足を擦りつけて止まり、刀を構えれば、超さんを庇うように歩み出てきた彼女が呟くように声をかけてきた。

 ……彼女の存在を本気で忘れていた。……一瞬だけだけど。

 巻き起こる風の中、彼女が手の内で刀を回す。調子を確かめている様子。その手にもう紙コップはなくて、どこにやったんだろう、と関係ない事が気になった。

 こちらに体を向けたままの超さんがゆっくり後退していくと、彼女は顔を上げて、目を合わせてきた。昨日見せた怒りの色は無い、静かな目。遮るもののないこの場所で、もう途切れかかっている日の光を照り返す青い瞳に見惚れるのは、何度目か。目をつぶって意識を切り替える。見惚れるのは、殺してからでも遅くない。

 

「来たのね」

「来た。あなたを斬りに」

 

 短く、彼女が言うのに、同じく短く返す。

 小さく頷く彼女を見ながら、胸元のリボンを正して、柄を握り直す。やっぱり、と彼女が言った。

 

「お前は他とは違う。……お前は、話せそうだ」

「話す?」

 

 聞き返した言葉には反応せず、刀を下げた彼女はふいっと顔を横に向けた。視線の先は、たぶん、この飛行船よりも下……地上を見ているのだろうと感じられた。

 

「この街は、平和ね」

 

 その言葉には、どんな意味が込められているのだろうか。感情が読み取れず、彼女と同じ方を見る。ここからでは飛行船の上か空しか見えないけど……彼女の目には、下界が映っているのだろうか。

 

「お前の恰好は、下の学び舎の物ね。……随分長いこと、ここにいるのね」

「…………」

 

 私に顔を戻した彼女がぽつぽつと話しかけてくる。

 長くここにいる事を指摘されて、何も言葉が出てこなかった。帰ろうと思ってるとか、ずっといる訳じゃないとか、瞬間的に浮かんだ言葉はあったけれど。

 

「お前はなぜここに留まっているの? なんのためにここにいるの?」

 

 嫌な問いかけだった。

 凄く嫌な問いかけ。彼女にだけは、聞かれたくない事。

 だって、その質問自体が、すでに私を責めているようで……体が震えた。

 

「……私が、ここにいるのは……」

「…………」

「ある人を、守るため」

 

 自分にも確認するみたいに、答える。

 そう。私がこの街に留まっているのは、このかを守るため。そして……。

 

「そして、ある人の助けになるために」

 

 先生の助けになるために。

 力を込めて言えば、彼女は考えるように目をつぶって、でも、すぐに開けた。不機嫌そうに寄せられた眉に、否応なく緊張してしまう。

 

「お前……それでは、まるで……お前が……」

 

 さっきよりも小さな声で言う彼女。言葉を重ねるごとに不機嫌さが増しているようで、刀を握る手に力が入っているのが見えた。

 緩く吐き出された白い吐息が風に流されていく。微動だにせず何かを考えている彼女の、揺れる白髪ばかりが目について、だから、彼女の小さな呟きを聞き逃した。

 

「……もういい。お前達が私の前に立ちはだかると言うなら、何度だって斬ってやる。お前も私だと言うなら……良いわ。半分殺してやる!」

 

 唸るように私を殺すと言った彼女が刀を持ち上げて構える。

 ……はっきりそう言って貰えると、私も踏ん切りがつく。殺される訳にはいかないから殺す、って。

 彼女の目を見て、顔を見て、体全体を見て――いつでも動けるように心構えをする。何をされても対応できるように、どんな動きにもついていけるように。

 隙も無いのに魔法を使おうとはしない。きっと白楼剣に手を伸ばした瞬間、踏み込まれて斬られるだろうから。だから、まずは隙を作る。その後だ。魔法を使うのは。

 ずっと考えてた。彼女に勝つ方法。晴子は私が彼女と戦えるくらい強くなったって言ってたけど、戦えるだけじゃ駄目だ。勝つには何が必要か。それはきっと魔法なのだと考えた。

 私にあって彼女に無いもの。もしかしたら、私と同じように彼女も魔法を使えて、でも、使ってなかっただけかもしれないけど……もしそうなら、その時はもう、全力でぶつかってどうにかするしかない。

 息を吸って、吐く。一呼吸の合間。弾かれたように駆け出すと、示し合わせていたみたいに、同時に彼女も動き出していた。

 振りかぶる事も振り下ろす事もできずにぶつかる。お互い正眼に構えていたから、鍔迫り合いの形になって、だけどすぐに弾き合った。今のぶつかり合いでほとんど勢いが削がれている。間合いも詰め過ぎ。だからきっと、右肩からぶつかりに行って相手を離そうとした私に、彼女もまた同じ動きをしたのは当然の流れだったのだろう。

 肩どうしがぶつかると、まったく同じ力だったのか、密着する形で止まってしまった。至近で覗いた瞳には戸惑っているような表情の私の顔があって、彼女もそんな顔をしていた。

 ばっと肩を離す。同時に一歩、大きく足を開いて後ろに下がり、体と刀を彼女に向ける。――また同じ動き。真似っこ?

 晴子が言った通り、私の力が彼女に届くようになっているのを理解しつつも、それでなぜ私と彼女が同じ動きばかりをとるのかがわからなかった。

 同じ速さなら、彼女が私の真似をして動いてるなんて事は無いだろうし、私だって彼女の真似をしている訳じゃない。ただの偶然なの?

 ……なんて、そんな事、今はどうでも良いか。

 さっきの鍔迫り合い、彼女は確かに踏み込みを経てぶつかって来ていた。意図せずぶつかってしまったとはいえ、前動作無しに私の全力の振り下ろしを弾く彼女と拮抗できたのは、私の力が彼女と同じになっているからだと思っていいのだろう。

 なら後は思うまま動くだけ。どちらの刀が先に相手へと届くか。……じんわりと胸に広がる熱と興奮に口の端を吊り上げる。彼女は、眉を寄せて、そんな私を見ていた。

 

「はっ!」

 

 隙あり。

 いや、隙なんてなかったけど、なんとなくそう思いつつ刀を振り上げて飛び出せば、ちょうど彼女も飛び出した。同じ構えで間合いに入り込み、動作も同じで振り下ろす。があん、と手に痺れが走り、衝突した刀が弾き合う。腕を捻り、今度は横切り。左へ薙ぐ。――っ! おんなじ動き!

 そのままでは、刀どうしがぶつかる前に体に刃が届くと判断して、刀を振りながらも無理矢理飛び退く。刹那、刀身がぶつかりあって火花を散らした。私の楼観剣からのみ弾けた桜色の光が幾つもの欠片となって空気中に散らばる。私同様飛び退(すさ)った彼女は、もう刀の間合いの外。……なら!

 左足を一歩前へ。ずんと骨を伝う痺れを力にして、弾かれたまま右にやっていた刀を円を描くように後ろへ振るう。重みに体を持って行かれるまま身を捻り、距離を詰めながらの回し蹴り。バタタッとスカートがはためく音に混じって、肉どうしがぶつかる鈍い音が響いた。ふくらはぎに走る痛みに眉根を寄せつつ、彼女と足を交差させたまま目を合わせる。――またか。

 

「……真似しないでくれない?」

「……真似しないで」

 

 ……台詞までかぶった。

 くすくすと超さんが忍び笑いする声が聞こえてきて、熱い恥ずかしさがこみ上げてきた私は、彼女の足を蹴り退けるようにしながら足を戻した。う、考える事は一緒か。彼女も足を押し付けてきたせいで、余計に痛みが増しただけに終わった。じんじんする足を撫でたくなる気持ちを抑えながら刀を構える。

 同じ正眼の構え。……朱の差している彼女の顔を見ながら、ゆっくりと大上段に構え直す。これで彼女と違う構えになった。だからなんだって話なんだけど。

 

 頬を撫でる風に混じって、ハカセさんの歌うような声が聞こえてくる。

 いつからそうしていたのかは知らないけれど、彼女から目を放さず、意識も逸らさないまま耳に当たる声を聞く限りでは、今しがた歌い――いや、これは呪文詠唱だろうか――始めたという訳ではなさそうだ。

 詠唱に合わせて、そこかしこから集まる魔力が魔法陣に沿って流れ、発光する。

 足下から立ち上る光が膝元までを照らし上げ、風も無いのにスカートをふわりと広がらせていた。

 波打つ布が足を撫でるのも気にせず彼女を見つめる。あちらから動く気はないのか、彼女もまた私を見たまま止まっている。緩やかに上下する肩が時間の経過を伝えていた。

 じりじりと首筋を刺すような緊張感に焦れる。今すぐ飛び出したい。刀を合わせたい。でも、下手に動けば斬られるのは私だ。もはや彼女は私に峰を向けたりはしていない。障壁を張ってはいるけど、付け焼刃のこれでは峰打ちを防ぐのが精一杯だろう。

 

「――っ!」

 

 そんな風に一瞬気を逸らした隙を狙ってか、彼女が僅かに身を屈めるのに反応して手の内の柄をきつく握り締めた。刀身に迸る桜色の剣気が解放され、長く伸びて刃となる。技の完成を待たず飛び出してきた彼女が鋭い声と共に繰り出すのは、突き。寸分違わず心臓へと吸い込まれてくる剣へと冥想斬を振り下ろす。

 馬鹿正直に突っ込んできていた彼女は、避ける素振りも見せず、体を刀よりも下へ屈めて――左肩の上で突くような形――刀を受け止め、勢い任せに突っ込んできた。ガリガリと削られる光が散る中で、お腹へと突き立った刃先が、障壁を削りながら脇腹へと滑って行く。皮一枚さえ斬られる事はなかった。一瞬の安堵にすぐさま気を引き締める。

 大きく振り下ろした私には、彼女のように無理な体勢をとって避けたりなんてできなかった。だから、一撃を受ける覚悟の上で、ぶつかってくる彼女の顔へ膝蹴りを繰り出した。刀を受け止められていたからこそ安定した体勢から蹴りを放つ事ができた。

 

「うっ、ぐ!」

 

 膝に擦りつけられる熱。またも無理矢理顔を傾けて膝を避けようとした彼女の頬を削るように膝が通り、足の残りが肩を打ち付ける。バランスを崩して倒れ行く彼女に追撃を加えようと、足を引き戻しつつ刀を振り上げようとして、ビリッと走った危機感に、咄嗟に刀を横向けにして顔の前に掲げた。防御の形。遅れて彼女から外れた目が前を向けば、今まさに飛びかかって来ようとする()()の姿。

 間一髪、両腕での振り下ろしをしっかり防ぐ事ができて、ずしりと腕にかかる重みに歯を食いしばり、押し返す。地に足をつけることなく飛び退り、その最中に半霊に姿を変える彼女を見て、咄嗟に半霊――当然私のだ――を背後に下ろして私の姿をとらせれば、直後に鉄どうしがぶつかり合う音。どんと背中にぶつかってくるのは、きっと彼女の剣を受けながらも体勢を立て直した半身の背だろう。

 桜色の光を(とも)したまま刀を振りかぶる。キュ、と床に足裏を擦り付け、半円の軌道を描く刀と共に振り返りざまの斬撃。直前に半身は半霊へと変えて空へ逃している。だから、振った刀の先にいるのは、刀を合わせていた者が急に消えてつんのめる彼女だけ。

 前のめりに倒れそうになりながらも、彼女は振り回すようにして私の刀を打ち上げてみせた。手首の返しが早い。でもそれだけ。無理があり過ぎて全然力が入ってないし、後に続く余裕も無い。左肩をぶつけて体勢を崩してやって、続いて左足で蹴りつける。

 打ち返されて後ろへと背を逸らす彼女へ刀を振り下ろす。と、不自然な体勢のまま飛び退かれた。文字通りの飛翔。――逃がすか!

 床すれすれまで下ろした刀を引き戻すようにして左腰の後ろへ流す。右肩を前に、やや前屈み。片足から着地し始める彼女へ狙いを定め、足裏に妖力を集中、爆発させる。人符――。

 

「現世斬!」

「っ!」

 

 空気を揺るがす音と共に飛び出し、体ごと捻りを加えた袈裟掛けは、もう片方の足を地につけ、力無く崩れるように腰を落とした彼女が後ろ腰から引き抜いた白楼剣に受け止められた。

 どころか、前進する勢いすら全部弾き返され、バランスを崩さないように体を強張らせざるを得なくさせられてその場に釘づけにされる。ビィィと揺れる刀身と痺れる手。遅れて両足が柔らかな床につけば、そのタイミングを狙ってか偶然か、一回転した彼女の刀が横一線に私の胸を斬り裂いていった。ガリガリガリ! 耳障りな音と共に剥がれ落ちる魔法障壁の金色。

 現世斬を止められた……! ……なんて驚いている暇はない。くるりと戻ってきた剣に再度斬られてしまう前に、楼観剣をかざして受け、凌ぎ、回し蹴り。お返しのカウンターは、しかし未だ彼女が手にしていた白楼剣に防がれ、跳ね退けられた。思わず片足だけで一歩後退してしまう。

 左手に楼観剣、右手に白楼剣を逆手で持って二刀流とした彼女の追撃を、床を踏み抜く勢いで足を戻して刀で防ぐ。小刻みに跳ねさせて力の全てを返し、無防備な体に振り回して遠心力を乗せた楼観剣でのすくい上げを見舞えば、またも白楼剣で防がれて同じように無力化され、左半身の全部を使って振り下ろされた剣をなんとか防ぎ、凌ぐ。火花と光りが散る中で、彼女が不敵な笑みを浮かべているのが見えた。私も笑みを返す。

 回し蹴り。受け止められて袈裟斬り。凌いで横薙ぎ。弾かれて上段蹴り。防いで袈裟掛け。防がれて前蹴り――。

 繰り返されるカウンター合戦。根(くら)べ。

 お互いに一瞬の油断や僅かなずれがミスに繋がるだろう事を理解しているから、途中からはもう表情も真剣そのものだった。それまでが真剣でなかったわけではないけど。

 ガインと大きな音がして腕ごと刀を弾き上げられる。右足が床から離れ、ふわりと体が浮く。ここ数十秒間でもう何度も味わっている感覚。同じ事を繰り返す。空を飛ぶ要領で足を戻し、踏み込みとして無理矢理刀を振り下ろせば、これもまた無理矢理振り上げていた剣を戻した彼女に防がれて弾かれ――蹴りに吹き飛ばされた。

 

「うっ!」

 

 ずっと続くかと思われた攻防は、私のちょっとしたミス(ずれ)であっけなく終わりを迎えた。体勢を崩さないよう苦心しながら両足同時に床につけ、ザリザリ擦って勢いを殺す。そのまま、床が爆ぜる勢いで飛び込んできた彼女を迎え撃ち、三度四度と撃ち合いながら後退していく。

 押されている訳ではない。ただ、間合いや何かを考えると、後ろに動かざるを得なかっただけ。

 真正面からぶつけ合った刀を全力で押し込みつつ、至近で睨み合う。彼女はギリギリと歯ぎしりをするみたいに厳しい表情を浮かべていた。笑う私とは対照的だ。こんなに楽しくてしょうがないのに。

 力比べを続けるつもりはないのか、彼女の半霊が向かってくるのに、自身の半身を向かわせる。ある程度の距離まで迫った二つの白玉は、瞬時に人の姿を取り、慣性のまま空中でぶつかり合った。鍔迫り合いながら着地すると、視界の外へ走って行く。

 私達も動かずにはいられない。

 半身達とは反対方向へ走り、そのまま地を蹴って空中へ飛び出す。どちらからともなく刀を弾き合い、距離をとっていた。落下が始まる前に影を纏う。魔法を使っている暇はあんまりない。彼女は、相変わらず何も纏わずに飛んでいるのだけど、どうやっているのだろう。些細な疑問を頭に浮かべていると、彼女が刀を振るい、光弾を飛ばしてきた。一気に八つ。放物線を描いて迫る光の弾を、ただ横に移動するだけで避けていく。弾幕が傍を通ると強い風が巻き起こって、当たると痛そうだな、と間抜けな事を考えてしまった。

 休む暇なく光弾が襲いくる。たぶんこれは妖力。妖力弾。未知なる力ではない。ただ、いつか夢で見た魔理沙や霊夢のように、数が半端ではない。ちっ、そこは私とは違うのか。

 いくつか当たりそうになった弾を切り払いながら円を描くように飛ぶ。彼女は私から距離をとるように飛翔しつつ、やたらめったら妖力弾をばら撒いてくる。それは、『弾幕』なんだからたくさんなのは当たり前なんだけど。

 いい加減うざったくて、剣気を解放し、大きく振り回して弾幕の雨を消し飛ばした。するとどういう訳か弾幕が止んだので、その場に止まる。暗闇の向こう、薄ぼんやりと光る飛行船を背にした彼女が服のどこぞからカードを抜き取り、私に向けているのが見えた。

 ……いくら私の目が良いといっても、この距離でそんな小さなカードの絵柄までは見える訳がない。でも、彼女が何をしようとしているのかは分かった。――スペル宣言だ。

 何が来るか。どう避けるか。脳裏によぎった平面の弾幕図に強く瞬きをして、浮かんだものを振り払う。三次元的に弾幕が張られる今、その記憶は足を引っ張るものにしかならない。

 かといって、記憶を流用しない訳にもいかないのだけど……どうやら考える時間はもうないようだ。

 膨れ上がる力が彼女から解き放たれれば、全方位へと光がばら撒かれた。一見滅茶苦茶で、でも、規則性のあるもの。やはり正面から見ても、それがどのスペルなのかわからない。いっそ技名を叫ぶが如く何か言ってくれれば良かったのだけど、物静かな彼女の印象通り、なんにも言ってくれなかった。

 大玉小玉が荒れ狂う中を最小限の動きで避けるのも辛くなってきたので、――何度か掠った制服の袖がボロボロになってきたし――数度、弾丸を弾くのと同じ要領で飛んでくる光弾を弾き、斬り払って無理矢理抜け道を作り出した。

 自力で作った穴にすかさず身を潜り込ませ、同じ事を繰り返しながら本物の抜け道を探す。

 これがスペルである以上、必ず避けられるようにしてあるはずだ……っと!

 逃げ道ばかりを探していたのが悪かったのか、左の太ももに小玉が当たって弾けた。直撃ではなかったものの、衝撃はなかなかのもので、危うく体勢を崩しかけた。そうなれば殺到する弾幕に飲まれて地上に真っ逆さまだろう。流石にこの高さから落ちて無事でいられる自信はないし、怪我の治りが早い私とはいえ、ぐちゃぐちゃになってしまったらたぶん駄目だろう。

 とりあえずは、そうならなかった事に内心胸をなでおろしつつ。桜色の光を斬撃として飛ばし、再び道を斬り開く。……どうでもいいけど、これって無制限にボムを使っているようなものなんじゃないかとふと思った。

 ……正式な弾幕決闘ではないんだし、別にいいか。

 影を繰り、降下しながら素早く辺りを見回す。気のせいか、さっき視界の端を何かが横ぎった気がしたのだ。弾幕ではない。何の気配も感じなかった。

 大きく見回すまでもなく、その正体がわかる。茶々丸さんだ。……違う。それに似た何か。それと、えーと、田中だったかいう機械の飛行型。でっかい羽尾がくっついていてちょっと格好良い。たぶん、前に会ったミコがつけてたのと似てるからかも。そんな機械が、虫か何かみたいに大量に飛び回っている。

 彼ら彼女らの狙いは私ではないらしく、私や彼女や、果ては弾幕さえ無視して何かを攻撃しているようだった。何かなんて、気配を探れば先生だってすぐにわかったけど。

 先生、ここまで来たんだ。ゲームに参加してる……って訳じゃ、ないよね。

 遠目に見る先生の表情は真剣そのものだ。何か他に理由がありそうな気がした。

 危うげに飛行型による攻撃を避ける先生を援護しようかどうか迷っていれば、弾幕の中を突っ切って彼女が迫って来ていた。

 完全に油断していたから、反応が一瞬遅れて胴を薙ぎ払われてしまった。体の奥まで貫く痛みに目が閉じかかるのを押し留めながら、吹き飛ばされる体をどうにか制御する。散った障壁の欠片と炎のような影の欠片が街へと落ちていく。

 

「よそ見だなんて、余裕だな」

 

 冷ややかな声。

 少しばかり機嫌が悪そうな彼女が、私の前方へ飛んでくる。……言い返せない。

 結構余裕があったから、思わず先生の方に気を割いてしまったけど……うん、私、今、そんな事している暇はなかった。

 先生の方は、アスナやセツナが駆けつけたみたいだから良しとして……私は、ちゃんとこっちに集中しよう。

 強い風が耳元で唸る。遠くに聞こえる誰かの声。アスナか先生か、その他か。一瞬彼女が背後に顔を向け、すぐに私に戻した。私が見ていたものが気になったのかな、なんて思ってしまう。理由はわからない。それを考える暇もなく、手の内で刀を回した彼女が突撃してきた。

 腰だめに剣を構えての突きを狙う彼女へ、私は刀を構える事無く、傍を通り過ぎようとした茶々丸さん似の機械を引っ掴んで彼女へ放り投げた。当然障害を切り払おうと、構えを解いて横薙ぎに変更した彼女へ、めいっぱい力を注ぎこんだ光弾をお見舞いする。

 真っ二つになって爆発した機械が目くらましになったのか、飛来する妖力弾に反応が遅れた彼女は、片腕をかざして受ける事を選んだ。腕に食い込むように歪んだ光弾が、遅れて膨れ上がるように爆発する。追撃のチャンスか。黒煙で姿の見えない彼女へ左後ろへ刀を流しながら突っ込んでいこうとして、びりっと走った直感に従い、上空に離脱した。

 直後、足下を巨大な妖力の刃が過ぎ去っていく。

 煙や辺りに飛んでいた無数の機械を纏めてぶった切ったのは、彼女の持つ楼観剣から伸びた光だった。

 ――私と同じ技が使えるのは、当然か。いや、彼女と同じ技を私が使える、と言う方が正しいのかな。

 とにかく、あのまま突っ込まなくて良かった。直感を無視していれば、今頃さっきの機械の焼き増しのように上半身と下半身が泣き別れにされていただろう。私は爆発はしないが。

 再度剣を振り回して完全に煙を晴らした彼女が私を見上げる。

 ……空中戦は分が悪いな。

 やりにくいとか、そういうのもあるけど……それは、勘に近い漠然とした危機感だった。

 たぶん、彼女は私なんかより空での戦いに慣れている。それに、あんなに弾幕を張られると近づけなくて困る。地上ならだいたい前だけに対処すればいいけど、空中だと……。

 ……飛行船に戻ろう。

 彼女から目を放さないまま気配を探れば、先生の気配だけが飛行船へと辿り着いていた。アスナやセツナや、見知らぬ誰か――気配は知ってるけど、名前を知らない――は、未だに機械達と交戦している。

 私も飛行船へ飛びたいんだけど……彼女がそれを許してくれるかどうか。

 わざわざ自分の有利な場から逃がしてくれるだろうか。

 私なら……うーん、状況次第か。

 ……戻る状況を作ればいいのかな。

 とはいっても、そんな状況作りなんて私にはできそうもない。

 なので、特に考え無しに、彼女に意思を伝えてみる事にした。

 やる事は単純。飛行船へ顎をしゃくって見せるだけ。彼女はいまいち私の動きの理由が呑み込めていないようで、怪訝そうな表情で小首を傾げていた。

 …………。

 仕方がないので、晴子よろしく飛行船へと腕を伸ばして指差す。あっちに移動しよう。ここは邪魔なものが多すぎる。真剣勝負には向かない。

 そういう意思が全部伝わったかは定かではないけど、彼女の方から飛行船へと戻ってくれた。少し遅れて、私も影を繰って飛行船を目指す。

 先に足をつけていた彼女の傍に下りれば、目の前を滑るように、着地の体勢の超さんが現れた。周囲に待機するいくつかの小さな機械が不規則に位置を入れ替え、かと思えば、唐突に超さんが掻き消え、遠くの方で先生とぶつかりあっていた。瞬間移動染みた動き。

 

「……やろ」

 

 どういう訳か先生まで瞬間移動を使い、瞬間移動合戦を繰り広げているのを眺めていれば、彼女の方からお誘いの言葉があった。

 ん。集中しようと思った傍から、先生の動きに見惚れてた。

 意識を彼女に戻し、刀を構える。合図はなく、彼女が飛び込んできた。逸る気持ちを抑えきれないとでも言うような、荒々しい飛びかかり。上空から斜めに突き下ろされた刀を逸らし、ぶつかってくる彼女にこちらも体ごとぶつかっていく。

 

「――っ!」

 

 ばちりと、体の表面を守る障壁に電気が走った。

 両腕を流れるように電気が通り、筋肉が強張る。足まで止まってしまえば、この隙は致命的だった。押し負け、地に足を擦り付けながら後退する私に、大きな踏み込みと共に薙ぎ払いを仕掛けてくる彼女。

 私の身体へ剣が届くまでの時間が嫌に長く感じられた。ゆっくりと迫る彼女の剣が、障壁の表面を削り取っていく。そこでようやく腕や足の痺れがとれた。体勢を崩しかけながらも攻撃を防ごうと刀をかざして、すぐにかち上げられる。空いた胴に袈裟掛け。止める間もなく、斜め一閃に痛みが走り、金色の破片が舞う。

 障壁がもう持たない。張り直す時間も無い。どうにか体勢を立て直さないと……!

 だけど、実力が拮抗しているが故に、一度どちらかに流れができてしまえば、それを覆すのはなかなか難しい事だった。

 反撃に振った刀は明らかに力の入りが弱く、簡単に払われてしまう。まずい。ペースが乱れているのが自分でもわかる。呼吸と体の動きとがずれ始めていた。

 柄で胸をつかれて後退し、斬りつけられて下がらされて、何度目か。片目をつぶって痛みに耐える私の視界に、彼女が白楼剣を抜くのが見えた。

 上段に振りかぶった二刀を交差させて振り下ろす。刀身を迸った妖力が緑色の斬撃となって放たれた。Xの字。それを避ける手段も、防ぐ手段も、残念ながら今の私は持ち合わせていなかった。

 できる事は、壊れかけの障壁の強度を期待するだけ。

 真正面からぶつかってきた緑の×字は、見事に障壁を砕くに至った。薄いガラスが割れるような甲高い音と共に、細かい欠片が雪のように散っていく。

 でも、おかげで私にはさほどダメージはない。きっと胸やお腹には間抜けな傷跡がついているだろうけど、そんなのすぐに治るだろうから大丈夫。

 痛みを意識の外に追い出しながら構え直せば、もう彼女は目の前だ。白楼剣は既に仕舞われていて、両手で握った楼観剣をスイングしてくるのに合わせ、こちらも全力で振り下ろす。ふっと、彼女が笑った。

 強く打ち合うと予想して腕に力を込めていたのに、その瞬間はやってこなかった。するりと抜けた彼女の剣が、絡め取るような動きで私の手から刀を奪ってしまったのだ。

 

「あっ!」

 

 回転しながら背後に飛んでいく楼観剣を追って思わず振り返る。

 そうして一瞬気をとられたところを蹴りつけられたのは、当然の流れだったのだろう。

 いつぶりか生身で受けた蹴りは、障壁越しに刀で斬りつけられるよりよっぽど痛くて、反射的につぶってしまっていた目を開くと、一面に星空が映っていた。

 それはすぐに、飛行船の横腹、お腹全体、大量の機械へと移り変わっていく。

 落ちていた。落とされた。

 理解するのに数秒かかった。激しくはためく制服や髪の毛が意識を散らしていたのが原因かもしれない。たぶん痛みではない。耳元で唸る風とかもきっと原因だ。

 お腹がふわっとする浮遊感に目を細めて、後ろ……地上の方に顔を向ける。模様か何かを描くように輝く電気の光が綺麗で、落ちているというのに、少しの間見惚れてしまっていた。

 風に煽られて前髪が持ち上がり、何度も毛先が額をくすぐる。体を反転させ、体の全面を地上へと向けた。重さの関係か、飛び込む姿勢みたいに頭から落ちていく。遠く、それでも地上よりずっと高い位置に、黒い機械を見つけた。

 あれは……ああ、あれは知ってる。ヘリコプター……だったか言うやつだ。

 ちょうどいい。緩やかに移動して見えるヘリは、私がこのまま落ちて行けばちょうど交差する位置にあった。あれを利用しない手はない。

 ぐるぐる回るプ()ペラの合間を通り過ぎてすぐ、横長の足を掴んで勢いを殺す。伸ばし切った腕にズドンと衝撃が来て、ヘリが大きく傾いた。壁一枚挟んだ向こうで人の悲鳴のような物が聞こえる。この機械も、人型や五本足のように生き物染みた声で鳴くみたいだ。

 大きく歪んだヘリの足が取れかかってしまいそうになるくらいに全部の勢いを殺せたので、右手と左手の位置を入れ替えながらぐんと足を持ち上げてヘリの横腹に両足を押し付ける。手を離せば、屈伸した着地の体勢。とうとう千切れたヘリの足が遠い地上に落っこちて行った。

 今は下を見ている時じゃない。顔を上げれば、ずっと上の方に飛行船がある。結構落ちたと思ったけど、そう距離は開いてないみたい。

 足裏で妖力を爆発させ、ロケットみたいに飛び上がる。背後で鉄のへこんだ音がした。私と飛行船の距離はどんどん縮んで、すぐに追い越した。

 夜ばかり映っていた視界いっぱいに、飛行船の白さと魔力の光が飛び込んできて、ちょっと痛い。

 飛行船の端。丸く細く、それでも大きい頭の方に、私を見上げる彼女がいた。下げていた刀が、私に対応しようと持ち上げられるのに、私の心まで持ち上げられてしまう。

 落下が始まる中、右手を白楼剣に伸ばしながら、今更ながらお腹の痛みを感じた。じんじんと熱いのと痛いのが明滅するように入れ替わる。……それが、凄く、気持ちを煽る。体中が熱を持ち始めるような、そんな感じ。

 高揚に任せて白楼剣の鞘に結ばれたリボンを解く。指先で挟んだリボンが溶ければ、水の魔法が右手に宿る。不思議そうに私を見上げる彼女へと、無造作に腕を振った。

 

「むっ!」

 

 風の向こうから彼女の声が聞こえる。ばら撒いた水弾に対処しようと刀身を寝かせてかざす彼女を見ながら、もう一つ魔法を解き放つ。闇と氷の魔法。

 右手に魔法を宿したまま飛行船に着地する。柔らかい床が足を半ばまで飲み込むように受け止めて、衝撃を殺してくれた。

 白楼剣の柄を握る。魔力が刀身へ流れ込むのを感じながら逆手で持って引き抜き、身体を捻り、そのまま振り上げて魔法を飛ばす。高い位置まで届くように飛ばした闇と氷の斬撃は、縦に長く、辺りを凍り付かせながら彼女へと迫った。すぐさま腕を戻してもう一度リボンを解く。

 地面で弾けた水弾に気をとられていた彼女が、斬撃が床や跳ねる水を凍らせるのを見て、慌てて垂直に跳び上がった。魔力が爆発する。火や熱ではなく、冷気を撒き散らし、鋭い氷の槍を何本も立たせながら。

 それがまるで届かない位置まで跳んだ彼女へと、私も跳ぶ。握った白楼剣から先程解放した魔力が流れ、体を通って足へと流れていく。迸る雷の魔法。

 

「くっ!」

 

 雷を纏った跳び蹴りは、ぎりぎりで彼女の剣に阻まれてしまった。それでも弾ける魔力が彼女を吹き飛ばす。反動で私も押し戻されて、着地すると、私と彼女の間には氷の柱が立ちはだかっていた。

 白い靄を漂わせる氷は、私の姿は映しても、その向こうの彼女の姿は見せてくれない。気配を探る限りでは、ちょうど今立ち上がろうとしている所のようだ。……ふらついてる。雷キックが効いた?

 でもさっきの感触では、それ程ダメージを与えたようには思えない。ただ痺れているだけだろう。氷から目を放さないまま後退し、傍に突き立つ楼観剣を引き抜いた。ぶんと振って感触を確かめる。

 と、突如として氷の柱の半ばあたりに、黒い球状の何かが現れた。三つ四つ繋がった魔力の塊は、舞台を空に移した先生と超さんの戦いで飛び交っている物だ。どんな魔法なのかはわからないけど、あんまりいい気配ではない。何体か人型の魔力を引き連れて飛ぶ先生とそれを追う超さんが飛んでいくのを横目に、綺麗に穴が開いた氷柱が崩れ始める音を聞いた。

 大部分が崩れるのとは反対に、細かい破片が巻き上げられて降り注ぐ。強い風にほとんど持っていかれるけど、少し降りかかって来て、その冷たさで、自分が汗を掻いているのに気付いた。服と肌の間にこもる熱気が鬱陶しくて、襟元に指を引っ掛けてぱたぱたやる。

 

「…………」

 

 小高い山に変わった氷が、あっという間に溶けて消えていく。魔力に戻ったのかな、と考えてみて、でも、大きな水溜まりができているのに、考えてもわからないと結論付けた。魔法の事なんて、私にはわからない。でも、わからなくても使う事はできる。

 ぱしゃぱしゃと水を跳ね上げる音。彼女が迫っていた。痺れはとっくにとれているみたいだ。反応した体が勝手に走り出そうとする前に、手の内で回した刀を床に突き立て、桜色の光を解き放ってから走り出す。

 切れ味を増した楼観剣は容易く床を斬り裂くために、走る速さは落ちない。一秒かからず互いの間合いへ入り込む。彼女が強く踏み込み、水柱が高く上がる。力強い振り下ろしを前に、私はただ、走り抜けた。

 

「――っ!?」

 

 床に走った一本線から、遅れて桜色の光が何本も立ち上がる。それ自体が鋭い刃のような眩い斬撃。左足を前にして急ブレーキをかけ、振り返りながら刀を引き抜く。彼女も振り返ろうとしていた。

 妖力を足へ流し込み、瞬動する。小さな爆発が足裏で起こり、床を吹き飛ばした。

 

「つあっ!」

「くぅっ!」

 

 気合い一閃。

 地に足をつけないまま彼女の横を通り過ぎる。そのさなか、ようやっと振り返って構えた彼女の剣を現世斬でかち上げる。刃先が、すうっと彼女の胸に吸い込まれて行って、ほんの数ミリの深さで斬り裂いた。刀に巻き上げられた血が曲線を描いて飛び散り、一滴が彼女の白い顔を汚した。

 腕を振り上げたまま抜ける。後ろで痛みを(こら)える声。ズザザッとブレーキをかけながらすぐさま反転。もう一度、瞬動!

 人鬼――。

 

未来永劫斬(みらいえいごうざん)

 

 呟くように、その技の名前を言う。

 聞こえている訳ではないだろうけど、反応したように彼女が振り返った。姿勢はいまだ崩れている。剣から片手を離す事で素早く振り返る事ができたのだろう。今度こそ斬るつもりで刀を振るえば、対抗するように打ち上げられていた刀を振り下ろす彼女。どちらの力が勝るかなんて、考えるまでもなかった。

 

「うあっ!」

 

 逆袈裟気味の一撃。

 刀同士がぶつかる重い音と共に彼女が打ち上げられる。それは既に、私の後ろで起きている事。

 三度、同じ方法でブレーキをかける。振り返りはしない。いい加減靴裏のゴムが擦り切れてしまいそうな程の熱を残して、しかし勢いは残さず殺し切り、両足で地を蹴る。両手を広げ、宙返りをするように跳び上がって彼女へと追撃を仕掛ける。彼女も私も、頭は床に向いていた。

 不安定な姿勢で、それでも跳んだ勢いを乗せて刀を振る。苦しげに顔を歪めた彼女が対応する。どうにかといった様子で両手で握った刀を打ち合わせてきて――っ、こいつ、こんなになってても全然力が弱まったりなんかしてない!

 打ち上げられて不安定なはずなのに、どう刀を振るってもぎりぎりで防がれる。影を繰り、押し込むように攻撃を繰り出しても、ガンガンと虚しく硬い音が響くだけで、最後まで一太刀も浴びせられなかった。

 苦し紛れに横腹を蹴りつけ、地面へと落とす。自分はそのまま回転して体勢を整え、重力の魔力を解き放ち、そのまま放つ。片膝をついて着地の衝撃を逃がそうとしていた彼女は、あっさり魔力に捕らえられてその場に縫い止められた。苦しげに呻く彼女から目を放さないままトッと下り立ち、白楼剣からリボンを引き抜く。焦りで一瞬手元が狂いそうになった。ドクドクとはちきれんばかりに胸を打つ心臓が苦しくてたまらない。焦るな。落ち着け。大きく息を吸って、吐く。そうする間、私以外の全てのものは、凍り付いたように動きを止めていた。時を止める魔法。

 それももう動き出そうとしている。そうなる前に。

 泳ぐように飛んできた半霊が半身となって私の横に降り立ち、素早くリボンを引き抜く。時間停止の魔法。重ね掛けされたそれが効力を発揮している内に、私は再び白楼剣に手を伸ばした。

 リボンを引き抜いて、風の魔力を解き放つ。手の内でリボンが溶けると同時、再び白楼剣に手を伸ばしてリボンを引き抜き、今度は岩。引き抜いて解放。引き抜いて解放。引き抜いて、引き抜いて、引き抜いて……!

 最後の一本を強く引き抜くと同時、楼観剣を放り捨てるように半身へと投げ渡して走り出す。全身に満ちるたくさんの魔力は万能感をもたらしているのに、焦りばかりが募っていく。もう時間が無い。時間停止が終わる。彼女との距離は然程開いていないはずなのに、その道のりは果てが無いように思えた。

 時間が動き出しても、私の視界に映るものはゆっくり動いている。私も例外ではない。強い集中が何もかもを遅く見せていた。

 彼女が気合いの声と共に重力の魔法を跳ね退ける。勢い良く上げられた顔は活力に満ちていて、いっそう青く光る瞳が私を射抜いていた。

 

「――っ!」

 

 逸る気持ちに押されて跳ぶ。

 前へ、前へ。右足を前に、左足は畳む。ぐるぐる回る魔力を全部右足の先に集めて、矢のように飛び込んでいく。溢れる魔力の波が私を包み込んだ。

 

 全身全霊の蹴りは、彼女が瞬時に引き抜いた白楼剣と楼観剣の二刀に押し留められた。ぶつかり合った場所から幾つもの魔法が迸り、彼女を傷つけていく。氷片が頬を切り、炎が腕を焼き、岩が腹を掠り、風が袖を花びらに変え、魔力の波が命の灯火を吹き消そうとしようとも、彼女は堪えていた。凄まじい魔力を受け、腕が震えていてもなお。

 私は、私は……足に障壁を張る余裕が無かったから、今すぐにも終わらせたいのに。

 右足が悲鳴を上げている。これ以上は、駄目になってしまう。でも、でも、ここでやめたら、きっと彼女に負ける。また負けるのは嫌。だから、たとえ足が駄目になろうと、このまま……!

 

「だああっ!!」

「!!」

 

 そのまま押し切ろうとして、だけど、ついに弾かれる。それだけに終わらず、体全体で放たれた飛ぶ斬撃を、無理矢理右足で蹴り払い、片足で着地する。すぐには止まれず、踏鞴を踏むように後退してしまったのが、彼女の力の強さを示していた。

 

「はっ、はっ、はっ……」

「……く、う」

 

 大きく肩を上下させ、汗を流す彼女は目に見えて疲労していた。そんなになってしまう程に、さっきの私の攻撃は彼女にとって危ないものだったはずだ。

 なのに結果は、ただ疲れさせただけ。ダメージらしいダメージは、最初に胸につけた浅い傷くらいしかない。今ので終わらせられなかったのは悔しい。でも、でも、それ以上に……。

 痛む右足を無視して足を開き、腰を落とす。未だ、魔力は全身に残っている。体の中で蠢き、余波が影のように体の表面で揺らめく。

 さっきので倒せなかったのなら、次の攻撃を仕掛けるまでだ。私の全部をぶつけてやる。

 妖力弾を作るように、全身の魔力を胸の前に出した手の平の上に集めていく。普通のとは当然密度が違う。風や何かも引き込まれるように動いている。いつもとは勝手が違うから上手く制御できそうにない。すぐに私の体程に膨れ上がった球状の魔力を、両手で挟むようにして体の横に移動させ、どうにか霧散しないように留める。それだけの事が辛い。腕も足も強張って、今すぐ倒れ込んでしまいたくなる。

 魔力が体から抜け出て、白い光弾に吸い込まれると、どんどん膨れ上がった。もう、これ以上両腕が開けないくらい。これが限界。これが、全部。私の全部だ。声を張り上げる。意味の無い声。そうしないと、この魔力の塊を動かせそうになかった。全身で押し出すようにして、特大の大玉を思い切り放出した。

 辺りを白く染め上げる程強い光を放つ魔力の塊が、ゆっくりと彼女に迫る。そんな速さじゃ、避けられてしまうかもしれないなんて心配は、どうやら必要ないらしい。彼女は未だその場から動いていない。

 ……ただ、だからと言って黙って受けてくれる訳ではなさそうだった。

 彼女は膝立ちになって、両手に持つ二本の刀を振り上げた。頭の後ろで交差させるようにして、強い力を放つ。幾筋もの光が辺りに撒き散らされる。

 魔力弾が巻き起こす強い風や、彼女の声なんかよりも、自分の心臓の鼓動がずっと耳の奥で鳴っていた。

 ……あの技は。

 

「ぁあああっ!!」

 

 目前に迫った魔力弾に、彼女は、未知の力が纏わった二刀を振り下ろした。

 途端、立ち上る巨大な光の柱が大玉を飲み込み、突風を生むのに、思わず顔を庇っていた。

 音もなく、声もでず、何秒くらいか。

 目元に押し付けていた腕を下ろせば……彼女は、五体満足で、そこに立っていた。背を丸め、苦しげに息を吐く姿からは、最初のような強い力は感じられない。いつの間にか傍に漂う彼女の半霊にも、活力は感じなかった。でも。

 額に張り付く前髪の合間から、青い目が覗いている。その目だけは、最初と変わらなかった。

 まだ、やる気なんだ。

 私の全力を受けても、まだ……。

 

「……あは」

 

 いいなあ。

 それ、凄くいいな。

 やっぱり、戦いはこうでなくちゃ。

 あっさり終わったりしたら、つまんないもん。

 

 歪んでしまう口元を強く拭って、一歩、一歩と歩んでくる彼女を見据える。

 一つ歩を進めるたび、その足取りは確かなものになっていく。

 回復が早い。

 剣を生業にするだけはある。

 いや、どちらかというと庭師が生業?

 そんなの、戦えるのならどっちでもいい。

 傍に漂ってきた半霊から楼観剣を受け取る。と同時に、彼女が走り出してきた。剣を前に構え、ただ力押しを目的にしているみたいに。

 それに応えようと私も走ろうとして、だけど、出した右足に力が入らず、かくんと体が落ちた。何が起きたかを知る前に、踏み込んできた彼女の剣が振られた。咄嗟に右手で持った楼観剣で突きを繰り出す。

 彼女の剣は、私の頭上を通り過ぎた。ひっかけられたリボンごとカチューシャが持っていかれる。私の刀は、彼女の袖を斬り裂いただけで、腕を掠りそうな位置を素通りした。

 外した。お互いに。

 

「――!! ぁ」

 

 ……いや。

 刀の先から伝わってくる、不思議な感覚。

 肉や骨でもない何かを貫く感触。それが、攻撃が当たった事を教えてくれた。

 私の楼観剣は、彼女の背後についてきていた半霊を、貫いていた。

 

「ふ、ふふ……う、ぐ!」

 

 笑みが漏れる。

 刃が届いていたから。

 私の刀も、彼女の剣も。

 ……私の胸を、白楼剣が貫いていた。

 

「ぁ、あ、あ、」

「げほ、は、ぅ」

 

 呆然とした彼女が呻くたびに、背中から突き出た白楼剣が微かに動いて、体の中のどこかが斬られる感触が生々しくあった。

 胸の中が何かで満たされていく。刺し貫かれた右胸の方。喉からせり上がるものが勝手に口から溢れて零れる。口内に鉄の味が広がって、小さく咳き込むと、血の塊みたいなのが胸の上に落ちて、彼女の手と白楼剣の柄を汚した。

 ……熱い。

 刺された場所が熱い。喉が焼けるように熱い。胸の中が熱い。

 相変わらずどくどく跳ねる心臓がうるさくて、小刻みに震える剣が熱くて、それ以上に、なんだか、暖かかった。

 なんでだろう。なんでかわかんないけど、凄く清々しい。

 理由はわからない。今は、知る必要はないかもしれない。

 胸の中にあった重苦しい何かや、頭の中を漂っていたもやもやが綺麗さっぱり無くなっている事なんて、今、気にする事じゃない。

 だって、今はまだ、戦いの最中だ。

 私がすべきことは、この戦いを楽しむ事。彼女を殺す事。それだけだ。

 ゆっくり腕を上げ、彼女のお腹に手の平を押し当てる。熱い……のは、私の手かな。感覚が薄い。よくわからない。

 そのまま胸まで這わせて、ゆるゆると押す。服に走る切れ込みに滲む血液が指の付け根の合間に染み込む。そうすると彼女は、緩慢な動作で一歩下がって……もっと押せば、もっと下がって。

 胸から剣が抜けていく。思い切って、とんと押してやれば、彼女は二、三歩とんとんと後退して、止まった。

 当然、剣は全部抜けた。代わりにとめどなく血が流れている。試しに傷口を押さえてみても、それは止まらなかった。

 止まらないものはしょうがない。放っておこう。どうせ明日には治ってるだろうし。

 立ち上がる。

 痛みを発していたはずの右足は、今はもうなんともない。

 右胸の傷も熱いばかりで、痛みはどこにもなかった。

 頭はすっきりしてるし、これで、どうしてか息がしずらくなければ、最高なんだけど。

 感覚の無い腕を持ち上げ、片手だけで刀を構える。痛みはなくても、戦う意思は残っている。彼女が生きている以上、戦いは終わらない。

 私ではないどこかに目を向けて震える彼女へ歩み寄ろうとして、瞬間、世界が揺れた。

 巨大な魔力の爆発。

 衝撃が空気を伝わってきて体中をビリビリと揺るがすのに、その発生源を見上げれば、先生と超さんの魔法がぶつかり合っていた。

 雷と風の魔法。爆炎の魔法。二つ合わせて私の大玉に劣らないくらいの魔力が、ここ一帯に影響を及ぼしているようだった。

 ぐらぐらと足下が揺れる。飛行船が、揺れている。特に力の入らない右足から崩れ落ちそうになって、慌てて手をつこうとして――彼女が、刀を振りかぶっているのが見えた。

 刀身から伸びる青い光。必死の形相で彼女が支え、今まさに放とうとしているのは、きっと、私がよく使う技に似ていて、それよりももっと強いもの。

 

「うぁああああああ!!!」

 

 死力を振り絞るような声と共に剣が振られる。空気を裂いて、だけど私には届かない。

 彼女が斬ったのは、床だった。

 

「っ!?」

「あああ!!」

 

 唐突に視界がぶれる。先程の揺れと比べものにならない揺れに襲われて、全身を包む浮遊感に、ようやく彼女が何をしたのかがわかった。

 飛行船を斬ったんだ。私がいた、端っこの方を。

 顔を下げれば、じょじょに離れゆく飛行船の上に、刀を構え直す彼女の姿があった。

 飛び込んでくるつもりなんだ。

 彼女の姿勢や、状況からそれだけ判断して、自分の手にまだ楼観剣があるのを確かめる。その間にも、飛行船の頭ごと落ちていく。

 甲板を蹴って飛び出してくる彼女に、私も最後の力を振り絞って、床を蹴って飛び込んでいく。体の前で構えた刀通しがぶつかり合い、火花を散らした。これでもう何度目のぶつかり合いか。

 鍔競り合う私と彼女の力は、まったく一緒だった。魔力も妖力もすっからかんの私に、満身創痍の彼女。

 最後は結局我慢比べか。

 いいよ。

 私、負けない。

 偽者なんかに、負けたりしない!

 

「――ぁ」

「――……」

 

 不意に、耳元で唸っていた風の音が消えた。

 視界の端に淡い輝きを感じて、こんな時だというのに、私はその方向に顔を向けていた。

 青い蝶。儚い光を纏う蝶が私達の横に飛んでいた。

 私だけじゃなく、彼女もそれに目を奪われていたらしく、掠れた声が聞こえた。

 蝶が姿を変える。

 良く知る人に。

 私が今、求めている人に。

 

「ゅ……」

 

 幽々子様。

 幽々子様が私を見ている。暗い瞳で、ただ、じっと私を。

 

「……!」

 

 幽々子様の前で、これ以上無様な姿は見せられない。

 彼女に顔を向け直す。未だ光の方を見る彼女は、さっきよりも呆然としているように見えて――だから簡単に、剣を弾き飛ばせた。

 

「あ」

 

 返す刀で腕を斬り落とす。引っ張られるように横回転する彼女の反対の腕も、肩から切り離す。

 吹き散る鮮血を刀身に巻いて、スカート越しの太ももへと刃を滑り込ませていく。ぐるんと彼女が一回転して、再び目線が会う時には、もう彼女に四肢はなかった。

 

「つあっ!」

 

 楼観剣を逆手で持って、両手で柄を握り、体を逸らして振りかぶる。狙いは胸に。鋭く吐く息と共に振り下ろした刀は、寸分違わず胸を貫いた。ぐんと私よりも下に追いやられた彼女を、そのまま下へ下へ押しやっていく。

 風を押し退け、暗闇を押し退け、地上へ。

 やがて到達した地面を砕きながら彼女を串刺しにして、ようやく私は止まった。

 体中に残る痺れから逃れるように楼観剣から手を離し、後退する。彼女は、まだ息をしていた。

 あの高さから、あの勢いで叩き落としたというのに、まだ生きている。

 しかし、か細く震える息は、今にも途絶えそうな程に弱々しかった。

 

「…………」

 

 反対に、私は荒い呼吸を繰り返していた。どんどんと胸を打つ心臓が痛くて胸に手をやれば、溢れる血が手を濡らしていく。

 遅れて落ちてきた彼女の手足を見て、終わったの……? と呟いていた。

 ……戦いは、もう終わってしまったのだろうか。

 私は、勝った……の、だろうか。

 彼女を中心として広がりつつある赤い血だまりを眺めながら薄く思考して、それから、彼女に歩み寄り、顔を覗き込んだ。

 薄く開かれたままの両目は、何も映していない。

 ……ああ、私、勝ったんだ。

 じわりじわりと実感がわいてきて、それと同時に虚しさがこみあげてくる。

 ……楽しかったのに。

 それが終わってしまうのは寂しい。

 寂しいけど……仕方のない事だ。

 ひょろひょろと空から下りて来た半霊を眺めてしばらく。

 いつまでもこうしている訳にもいかないし、先生達の下に向かおう、と楼観剣の柄に手をかけると、きゅうっと彼女の体に力が入った。まるで刀が抜かれないように阻むみたいに。

 ……!

 

「……まだ、そんな気力が残っているの」

 

 思わず語りかけた言葉に、彼女はしんどそうに私に目を向けた。光の無い目は、私が見えているのかは疑わしかった。

 

「……ぃ、ぁ……」

 

 血の気が引いて白んだ唇を震わせて、彼女が何かを言おうとしている。

 それが何か、気になった。だから楼観剣を引くのをいったん止めて、彼女の声に耳を傾けた。

 

「わ、たし……て」

 

 ……小さくもはっきりとした声。

 私から目を外して虚空を眺めた彼女が、ぽつぽつと、それでも思っていたよりもずっと流暢に言葉を話す。

 

 

「じぶんって……なに? じゆうって、なに? わたしは……」

 

「ずっと、けんをにぎって……あのひとの、かげを、おいかけて……ここまできた」

 

「でも……おもいだした……。わたしには……パパとママが、いたの……」

 

「ほんとは……こころのどこかで、ずっと、そのことが、ひっかかってた」

 

「でも……かんがえると、あたまが……いたくなって……」

 

「こんなんじゃ、ゆゆこさまに、かおむけできないって……」

 

「……でも、これで、やっとわかった。わたし、やっぱり、ようむじゃなかったんだ……」

 

「あ……そうか、あなたも…………あなたも、ようむじゃ……ないんだ」

 

 

 最後の言葉の時にだけ私に目を向けて静かにそう言った彼女は、息を吐くのと同時に何かを呟いて、目を閉じた。

 それきり話す事も、動く事もなくなった。

 

「…………」

 

 私が、妖夢じゃない?

 ……何を言ってるのか、全然わかんない。

 わからないけど、もう死んじゃったみたいだから、聞き返す事もできない。

 頭を振り、楼観剣を引き抜く。かくんと浮いた彼女の口から血が流れるのを見て、ああ、と息を漏らした。

 

「楽しかったよ。ありがとね」

 

 偽者とはいえ、()へのせめての手向けに、感謝の言葉を呟く。

 と、彼女の体が輪郭を失い、空気に溶けるように消えて……影が、現れた。

 私の半分の大きさも無い影は戸惑うように揺れて、でも、私が見ていると、誘われるようにふわふわと私の方へやってきて、私の中に入り込んできた。

 ジュウジュウと音をたてて胸の傷がふさがるのに、う、と呻いて、胸を押さえる。

 手を離した時には、制服に切れ込みが入っているだけで、傷は綺麗さっぱり無くなっていた。

 

「……ん」

 

 口の中の血や何かは、なくなってない。

 だからまずは、先生達の所に行く前に、着替にでも行こうと思った。

 




偽妖夢が最後に呟いたのは「ママ」です。

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