なりきり妖夢一直線!   作:月日星夜(木端妖精)

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第四十話  導きのまま

「妖夢ちゃん、大丈夫?」

 

 何度目の問いか。

 いい加減、このかから目を逸らしていられず、遅れてきたセツナやアスナに詰め寄られている先生から、このかへと目を移した。私を覗き込む瞳には、まだ黒い影が揺れ動いている。……気のせいなんかじゃない。それは、確かにそこにあって、だからこそ、私は胸が痛むのを抑えられず、また目を逸らして、唇を噛んだ。

 大丈夫か、と再度問われる。きっと、私が辛そうにしてるから、余計な気を遣わせてしまっている。このかだって、さっきまで具合が悪そうだったのに……なぜ、ここに来たのだろうか。

 目を合わせるのも、言葉を交わすのも辛いけど、黙っているのも嫌で、小さな声で疑問を投げかけると、このかは私の肩に手を置いて、私が心配だったから、と言った。

 

「ぶわーって、黒いの出てたし……ほっとけんよ」

 

 そんなの、そんな言葉は……影が言わせてるだけだ。ほんとの言葉じゃないんだ。先生と同じ。本心じゃないはず。

 そのはずなのに……どうしても、優しい声は胸に染み込んで、私の中の悪い物を溶かして、暖かくさせてしまう。

 これは、良い事なのだろうか。

 抵抗せずに黒い何かに任せても……嘘でも、良いのだろうか。

 そんなの、私以外にわかるはずもないか。

 でも、私、良いか悪いかなんてわからないよ。

 このかの目に映る影を斬ってあげるべき? そうすると、どうなるんだろう。影がこのかをそうさせているのなら……それが無くなったら……。

 そんなの、嫌だ。

 でも、このままも嫌。嫌なの。

 だけどどうしようもない。どうにもできない。

 私じゃない、他の誰かなら、もっと上手に考えられるのだろうか。

 このかの腕を見る。体の横に垂れる腕は、それ一本がこのかから独立しているようで、だから腕を抱いている時、手を繋いでいる時、暖かいのに、このかの顔を見上げれば、もっと暖かい気持ちになれるのだろうな、と思った。

 そろりと、手を伸ばす。

 いけないかも。でもしたい。それは駄目な事だ。なんで駄目なんだろう。したいけど、嘘だから。嘘の何がいけないんだろう。それは、全部、か。

 波のように上がり下がりする気持ちが腕に現れているのか、指の先まで小刻みに震えている。結局、手をとろうと伸ばしたのに、袖をつまんで引くだけにとどまった。このかは、そんな私を、何も言わずに見下ろしていた。

 そうしてくれているのが嬉しくて、そのまま、止まる。掴んでいるのは袖なのに、そこもこのかの一部だから、熱くて、くっついてるって感じがして。

 私を受け入れてくれている。それが、たとえ嘘なのだとしても……本心じゃないとしても、こうしていたいと思うのは……いけない事、なのだろうか。

 

「あの、妖夢さん!」

「っ!?」

 

 横合いから叩き付けるような大音量にびっくりして手をはなす。いきなり、すぐ近くに先生の気配が発生していた。……いや、私が、気付いていなかっただけ?

 離したまま、二歩下がって、それで私、今のを見られていたかもしれないというのが、凄く恥ずかしくなって、口元を押さえた。そうすると、吐き気がして、黒い影がうねりを上げて体の中の色んなものを巻き込んで、捻じれ上がった。体が縮んでしまいそうな感覚に眉をしかめると、ごめんなさい、と先生。

 意味わかんないよ。なんの話?

 

「僕、妖夢さんに酷い事しちゃったみたいで……だから、ごめんなさい」

 

 深く頭を下げられるのに、しっしと手を振ろうとして、腕が上がらないのに断念する。……そんな気分では、なくなってしまった。

 もう、このかがくれた温もりはどこにもなくて。ただ、影が、燃えるように、なのに冷たく体の中にあった。

 頭を上げた先生が不安そうに私を見るのを見返して、そこに、涙があるのに気付いて、余計に胸が苦しくなる。……ああ、胸が痛いの、先生に張られたからか。

 胸に押し付けられた手の形や、中と外から押されて潰れる肉の感触を思い出して、それが一瞬しか浮かばず、すぐに消えていってしまうのに、胸がきゅっとして、胸に手を当てた。ちょうど、張られた手の形と同じように押し付けて、苦しいのを取り戻そうとしてみる。

 それでようやく、私の心は少しだけ浮かんで、先生に体を向けた。

 いいよって言う。

 許すも許さないも無い。私は先生を止めただけ。先生は、止めようとする私を止めようとしただけ。

 私達がぶつかるのは当然で、それはとても嬉しい事だから、何も謝る事なんてない。上手く言えないけど……どんってされた胸も、痛くないよ。むしろ、気持ち良い、かな?

 痛みはあるけど、そう。気持ち良いの。だって、私、先生と戦いたかったから。その拳で、先生の本気で。

 そう話せば、先生はばつが悪そうな顔と、恥ずかしそうな顔とが混ざったような表情を浮かべて、私の胸を見て、それから、私の顔を見た。百面相。いや、百も無いけど、そんな言葉が浮かんだ。

 

「ねね、どうしてネギ君変になっちゃったの?」

「わわ! ハルナさん!」

 

 先生の後ろから、飛びつくようにハルナがやって来た。後ろの方で、私達の話が終わるまで待っていたみたい。口では先生の事を言っているのに、目は私に向いていた。……なんで、私の胸見てるの? あてつけ? 死ねばいいのに。

 たぶん、そんな事考えていないだろうに、ころころと感情が転がってご機嫌ななめになってしまった私は、心の向くまま、ハルナに言い訳をする先生の傍を離れ、暗い空に爆発する花火を見上げながら、淵まで歩いて行った。綺麗だ、なんて虚しい言葉が口をついて出る。そんな事、欠片も思っていないのに。

 

「妖夢、大丈夫か?」

 

 セツナが隣に来て、そう言った。このかとおんなじ台詞なのに、体が勝手に反応して、セツナの顔を見上げる。心配そうな顔だった。そこに、昔のセツナの険しい顔が重なって、どうして今は、こんな顔をしているのだろうと思った。花火の光に横顔が照らされる。耳を打つ爆発音が、ほんの一瞬視界を揺らして、私は目を閉じて空に顔を向け、目を開けて、橙色の星空を視界に収めた。

 すまない、とセツナ。なんでセツナまで謝るのだろうか。空を見上げたまま話を聞けば、先生を止められなかったから、だって。セツナはなんでも止められるつもりなのだろうか。大した自信だ。

 

「…………」

 

 ふ、と息を吐く。どうして私、悪い事ばかり考えているのだろう。理由なんてわかっているけど、わからなかった。

 ……頭がぐらぐらする。体が重い。

 今さらになって、胸の痛みが強まっている。……それは、先生の手を受けたからじゃない。影が何かしている訳でもない。なんの理由も無く、ただ、痛かった。

 先生の気配が遠ざかるのに振り向けば、壁際で私達を見ているこのかとアスナの姿。意図的に目も意識も逸らして、先生の気配を追う。ノドカの隣にあって、一緒に移動していた。……ああ、デート、だっけ。

 いつに聞いたかは思い出せないし、誰が言っていたのかも覚えてないけど、先生がノドカとデートするというのを思い出して、その時間が既に過ぎているだろう事に思い当たり、先生も災難だったな、と思った。

 ……ああ、そうか。何が災難って、先生があの魔力に操られていた事で、その魔力は、きっとあの世界樹の物で。

 だから、学園長やクラスメイトの…………クラスメイトが言っていた告白がどうこうという奴が…………先生、告白でもしたのだろうか。

 誰にだろう。ちょっと、気になる……。

 

「妖夢?」

 

 ああ、セツナの事、忘れてた。

 困惑気味に私を見るセツナに、気にしてない、と伝えて、それから、先生は誰に告白したのかを聞いてみた。セツナはよりいっそう困惑したみたいで、ネギ先生が? と呟き、視線を落として数秒考えた後、あ、と零した。

 

「ネギ先生がああなっていたのは、先生が誰かに告白したからじゃなくて……あれ?」

 

 なんで先生、ああなっていたのだろう。

 そう呟いたセツナは、先生が去って行った方を見て、首を傾げた。ノドカさんかな、って、どういう意味だろう。先生が告白したんじゃないのなら、他の誰か……ノドカが告白したって事?

 でも、そんなのずっと昔の話だ。

 よくわからなくて首を傾げれば、まあ、あまり気にする事でもない、と誤魔化すように言われた。……なんで頬を染めているのかがわからない。用事があるのか、私達に声をかけて去って行くハルナに目を移しながら考えても、いまいちわからなかった。

 

 

 屋上から広がる景色――ぼんやりと光る世界樹や、空に浮かぶ船とか――を眺めていれば、先生が戻ってきた。ぼーっとしていて、覚束ない足取り。一緒にいたはずのノドカがいない。先生一人だけだ。

 ……ハキョクかな。

 あんまり意味のわからない言葉を使ってみても、感じた事を表せやしなかったので、上手くいかなかったのかな、と思い直した。

 何フラフラしてんのよ、とアスナが先生の背を叩けば、それで治ったみたいで、気をとり直した先生やみんなは、これからパトロールに出るとかなんとか話し始めた。……パトロール? 話が見えてこない。

 ちょいちょいと手で私を誘うこのかに、近くに行きたくないのに、足が勝手に動いて、傍に行ってしまう。……自分で歩いたというのは、わかってるんだけど……心が二つあるみたい。早くこのかから離れたいと思う心と、ずっと傍にいたいと思う心があって、半ば溶けあっていた。

 この心をどうすればいいのかがわからない。ひょっとしたら、どうもしなくてもいいのかもしれない。傍を泳ぐ半霊の動きさえ重くて、私の気持ちは、沈んでいた。

 

「よかったら、妖夢ちゃんも一緒に行かんか?」

 

 ……ぴょこりと、半霊が浮かび上がる。それは、離れたいって気持ちを押し退けて前に出てきた。

 現金な自分が情けない。傍にいていいって言われるだけで、嬉しくなってしまうのだから。

 頷けば、決まりや、とこのか。

 嬉しい……嬉しいは、嬉しいのに……もう、悪い心の方が前に出始めているのに、浮かべようとした笑顔が消えた。

 

「えっと、これなんですけど」

 

 先生の声に、気を取り戻す。

 見れば、先生がアスナに小さな円状の機械を手渡していた。……懐中時計? それがなんであるか考えている内に、それがタイムマシンだかなんだかだというのいが判明して、先生はすでに、それで一度時間を戻っているのだという。特製ストップウォッチ? にわかには信じがたい話……。だけど、製作者が超さんだと聞くと、アスナやこのかは、完全ではないにしても納得したらしく、頷いていた。

 確かに超さんとハカセさんは機械を作るのが得意みたいだけど……タイムマシーンって機械なの?

 あ、マシーンってついてる。機械だ。

 納得している間に先生が時計を弄り、促すままに、アスナとこのかの間から手を伸ばして、先生の服の裾を掴む。先生が魔力を流すと、世界がぐるりと回って――鋭い痛みが、左手首に走った――強い光が降り注いだ。夜特有の静かな騒がしさも、活気あるものに変わっている。私達しかいなかったこの場所にも、まばらに人がいて、私達を見ていた。

 ……ほんとに、時間が戻った……の、かな?

 腕時計越しに左の手首を擦りながら傍らに立つこのかを見上げれば、おー、と抜けた声を出してはいるものの、さほど驚いている様子は無い。……このかは、あんまり参考にならないような気がする。アスナを見れば、見てわかるくらい驚いていた。それで、今日のお昼まで時間を遡ったのだと、ようやく実感できた。

 時間を、巻き戻す機械……か。

 先生が持つそれに、得も言われぬ感情を抱いている自分に気付いて、その感情の正体を知ろうとしている内に、このかに手を引かれて、移動する事になった。

 私とこのかと、それから、セツナの三人。アスナと先生の二人。その二組に別れて、別々の場所を回るらしい。……先生についていきたいと思ってしまうのは、きっと、今、このかの傍にいたくないからなのだろう。

 どう接していいかわからないのに、顔も身体もいつも通りの態度でこのかと向き合う私がいるのに、自分でも戸惑ってしまう。だからと言って、態度を変えようとは思えないけど。

 待ち合わせの場所を決めて先生達と別れ、小走りでセツナの担当だという場所まで来ると、セツナはへんてこな機械を取り出して辺りにかざし始めた。ピピピ、と体温計みたいな音がするのに、それは何かと問えば、告白生徒の……何? 何かを、計測しているのだという。それも超さんが作ったのだろうか。

 

「さっそくお出ましだ。妖夢、お嬢様を頼む」

「頑張ってなー」

 

 このかが手を振るのにならって、機械を仕舞って気配を消し、人ごみに紛れるセツナの後姿へと手を振る。……告白生徒だかなんだか知らないけど、それを見つけて、どうするのだろう。……止める? どうやって。

 疑問を巡らせていれば、向こうの方で悲鳴が上がった。声がした方を中心にざっと波が広がるように人が動き、煽られて、数歩移動する。このかが強く手を握ってくれるのがわかった。

 

「お待たせしました」

 

 人波の合間を縫って戻ってきたセツナに、何をしたのかとこのかが問えば、ちょっと眠ってもらったとかなんとか。……眠ってもらうと聞いて頭に浮かんだのは、こう、首の後ろを手刀でトンとやるセツナの姿だった。

 それはどうやら間違っていないみたいで、次に移動した場所で、セツナは通行人を装ってなんだか良い雰囲気な男女に近付いて行き、告白しそうな方を素早い動きで昏倒させ、どこかへ紛れてから私達の元に戻ってきた。アフターケアもせなあかんな、と呟くこのかに、しかし、倒れた方を介抱し、運んでいく女性に、その必要はなさそうだと思った。

 範囲があるとか言ってたっけ。そこから勝手に離れてくれるなら、他にする事は無い……ん、そういう事じゃないの?

 

 そんな事を何度か繰り返している内に、セツナ一人の手では回らない事態がやってきてしまった。

 なんて言っても、セツナがどこかへ消えて行った後、すぐ近くに良い雰囲気の二人組を見つけてしまったというだけだ。私は、何気なく目を向けていたからわかるけど、突発的な感じだった。人が多くて狭い道を擦り抜けようとした女性が、向かい側から来る人にぶつかった。肩から下げていたバッグから長方形のお財布が落ちて、後ろを歩いていた男性がそれを拾って声をかければ、二言か三言ほど言葉を交わした後にお互い居住まいを正しながら道の脇に寄って、そんな風になった。

 それをこのかに伝えれば、どうしようかと困り顔。セツナは行ったばかりで、あと数分は戻ってこないかもしれない。待っている間に、えーと、告白……告白なんて、するだろうか。会ったばかりに見えるけど、でも、どうしてか行き交う人の先に見える二人は、私が思うそういう男女の姿に見えて、自分では判断がつかなかった。

 だからこのかに判断を仰げば、このかにもそう見えるらしい事がわかった。なら、放って置く訳にはいかないよね。セツナの代わりに、私が働いてあげよう。

 ……なんて口実を作って、このかの傍を離れようとする自分に嫌気がさしてしまう。傍にいたいのに、いたくない。訳のわからない感情だ。(妖夢)なら、もっとまっすぐ考えられるはずなのに。

 私に行かせたくないのか、口元に手を当てて何かを考えている様子のこのかを置いて、人波の合間に入り込む。……人と人との距離が近すぎるのが、少し気持ち悪い。どうも、私はたくさん人がいる場所は苦手だ。そうしている内に二人組の下まで到着する。驚くべきなのか、それとも私の想像もつかない行為なのか、二人は手を取り合って話していた。近付いている時から聞こえ始めていたけど、それはどうやらお互いの身の上話みたい。……どうしてそう簡単に、会ったばかりの人間に自分の事を話せるのかが理解でいなくて、もやもやとした気持ちを抱えたまま、女性の後頭部に半霊をぶつけ、それに驚いている男性の膝裏を蹴りつけて膝をつかせ、背後から拘束するようにして瞬時に抜いた白楼剣を首筋に当てた。そのまま掻き切ろうとして、ああ、それは駄目かな、と思い止まる。

 

「動くな」

「えっ……」

 

 とりあえず、男の耳に口を寄せ、できるだけ低い声で囁いておく。頭を押さえて立ち上がった女性が、私達を見て何事かと挙動不審になっていた。……見覚えのある制服は、私と同じ中等部の証か。

 

「え、なんだいこれ……さ、撮影か何かかな?」

 

 困惑した様子の男性に、静かにしているよう言い含めて……それで、この後どうすればいいのかわからない事に気付いた。……範囲外に連れて行けばいいのかな。でも、範囲外ってどこ? 保健室くらいまで行けば、範囲外かな。

 足を止め、距離をとってざわめく人達を見回しながら考えていると、窮屈そうに身をくぐらせてきたこのかとセツナが、一直線に私の下に来た。こら! と怒鳴るセツナにびっくりして見上げれば、どうしてか怒り顔。……なんで?

 すぐに男性を解放させられてしまった。せっかく捕まえたのに。一般人相手に剣を抜かないでくれと、今度は一転して困り顔で言うセツナを見ていれば、周囲に対して、なぜかこのかがクラスの出し物の宣伝を行っていた。再び人が行き交い始めると、このかも困ったような顔で、私を見た。

 ……「めっ」てされた。……何が駄目だったのか、よくわからない。後は二人組を範囲外まで連れて行くだけだったのに。

 それに、せっかくセツナを手伝ったのに、なんで怒鳴られなきゃいけないのだろう。鞘に納めた白楼剣を撫でていれば、お嬢様の傍から離れないでくれ、とセツナ。それは、セツナの仕事でしょ。とは思ったものの、頷かない以外に道は無いので、頷いておく。

 私は手伝わなくていいって。でも、そうしたら、セツナの手が回らなくなった時はどうするのだろう。……このかがやるの? ……そのトンカチは何?

 トンカチを使うというのは冗談だったみたいで、次にセツナの手が回らなくなった時、このかが水晶玉片手に二人組に絡みに行って、口八丁で移動するよう誘導していた。ついでに占い屋さんの宣伝もしているのだから、抜かりが無い。私もお化け屋敷の宣伝をするべきなのだろうか。

 脳裏に浮かんだ先生の女狐姿に、一瞬暗い気持ちも吹き飛んで、でも、後には虚しさが残った。

 あ、先生がずっとあの格好しててくれたら、私、この気持ち悪いの、無くなるかも。

 次にあったら頼んでみよう、と思った。

 

 

 夕焼け空と黒色の空が溶け合い始める頃に、交代だという人がやってきて、私達は時間までをレストランに入って過ごす事にした。とは言っても、ドリンクバーで長時間潰そうなんてできないので、結局途中で出て、その辺をふらつく事になったのだけど。

 多くの出店が建ち並び客を呼び込む声の中を行く。……さっきのレストランにはクリームソーダの割引券というのがあったらしいのに、誰かが根こそぎ貰って行ってしまったと聞いた私は、休む前よりくたびれていた。……お腹は満たされているけど、心は満たされてないというか。というか、割引券はあるのに、クリームソーダそのものが置いてないって、お店としてどうなのだろう。こういう時に「シェフを呼べ」ってやればいいのだろうか。そんな風に落ち込んでいたからか、このかもセツナも、私の気分を盛り上げようと積極的に遊びに誘ってくれたのが心苦しかった。

 遊び歩きの途中、大きな人だかりがずっと続いているのを見つけて、辿って行こうと神社らしき場所に入ると、先生達に鉢合わせた。こんな所で何をやっているのかと聞けば、武道大会がどうの。優勝賞金が一千万と聞かされても、どれくらい凄いのかわからない。

 ……ところで、カモ君はなぜアスナに握られてぐったりしているのだろう。また何か、アスナを怒らせるような事をしたのだろうか。時折ぴくついているのを見るに、死んではいないのだろうけど。

 先生とアスナに加えて、途中で増えたのか、コタロー君と夕映の二人が並んでいる。このかがアスナと話し始めてしまって暇になった私は、夕映に何を飲んでいるのかを聞いてみた。ストローから口を離した夕映は、口では答えず、紙パックを掲げて見せた。……『俺の男汁』って書いてある。なんだか凄く嫌な響きだ。

 

「……おいしい?」

「ユニークな味です」

 

 あんまり、おいしくなさそうだね。

 味を想像して眉を寄せていると、コタロー君がやってきて、夕映に突っかかり始めた。なんでそんなに喧嘩腰なのだろう。でも、私に対してはかなり軽い。よっす、と手を挙げられるのに応えずにいれば、ノリ悪いな、と悪態をつかれた。だって今、そんな気分じゃないし……それに私、君とは友達でもなんでもないから、付き合う義理も無い。

 コタロー君と先生が、この武道大会というのに参加するらしい。

 入場の合図があると、どわっと人が動いて、前へ前への動きと、大きな木製の扉の前に並ぶ先生が私達に呼びかけるのに、そっちへ行く事にした。……あ、入場するのに、お金が必要なんだ。お財布、お財布……。

 中に入ると、ぐるっと周りを囲む屋根付きの廊下があって、幾つかの舞台が用意されているのが見えた。歓迎の声を響かせるのは、アサクラさんだ。ずっと向こうの建物の方で、マイクか何かで声を響き渡らせている。周りの歓声もあって、凄くうるさい。耳を塞いでも、手越しに声が届く。声に注意をとられていると、誰かに半霊が押されたのか、触られたのか、体中がぞくっとするのに、高い所へ半霊を逃がした。潰されては堪らない。

 なんてやっている内に、この大会を開いたという人物の挨拶が始まって、それが超さんな事に、あの人はなんでもやってるなという感想を抱いていると、超さんは声を張り上げて、この大会を催した主旨を語った。肉声なのに、よく通る声だった。

 ところで、呪文詠唱がどうのと言っていたけど、そういうの、いいのだろうか。魔法って隠しておかないと、先生が大変な事になるんじゃなかったっけ。少し離れた所にいる先生やセツナが驚いているのを見るに、いけない事なんだろうけど。

 先生達の下に戻ろうと、人と人の隙間を見ていると、クーフェさんや巫女装束のタツミヤさんに、背の高い、えーと……クラスメイトの人と、鳴滝姉妹がやってきた。妹の方は、背の高い女性に肩車されている。

 体を横にして狭い中を通り、先生の下に行けば、下りて来たフミカやフーカが走り寄って来て挨拶をしてくるのに挨拶を返す。やたらテンションが高いのは、いつも通りか。ぶつかるように腕をとってきたり、くっついてくるのは、いつも以上に距離が近く感じられる。お祭りで興奮しているのだろうか。私も、始まったばかりの頃はそうだったから、あんまり文句も言えずにされるままにしていると、私も参加するのかと姉妹揃って聞いてきた。何に? ……ああ、武道会に。

 

「しないよ」

「そりゃそーか。出たってあっという間にこてんぱんにされちゃいそうだもんね!」

 

 いや、そうじゃなくて、刀の使用は禁止って言ってたし……そうすると、ちょっとやる気が削がれるというか。ていうか私、そもそも参加する気があってここに来た訳でもないし。

 私が参加しないと知ると、二人は興味を失ったように、今度はコタロー君に突撃して行った。怒涛の勢いで弄られるコタロー君を見て、傍から見れば、私もあんな風にされてるんだろうな、と思った。……あ、あれ。犬耳を引っ張られてるの。私もよくカチューシャのリボンを引っ張られる。おかげで少し伸びてしまっているような気がする。

 エヴァさんやタカハタ先生とか、見知った顔の人が集まってきて、みんながみんな参加するのだという。アスナやセツナも、だって。ひょっとして、この場所に入った人って、みんな戦わなきゃならないのだろうか。

 でも、戦うにも刀を使ってはいけないようだし、だけど、刀を外したって置いておく場所が無い。その事に悩んでいると、超さんの声が再び響いた。

 そこで上がった名前に、ぞわりと総毛立つ。

 ――ナギ・スプリングフィールド……。

 それは、先生が大人の姿になった時に名乗っていた名前。先生の、お父さんの名前。……影が言う、仇の名前。

 半霊が下りてきて、私の隣で私になった。視線の先には、今の名前と関係ない、フードをかぶったローブ姿の人がいる。視認した瞬間に視界が揺れた。私の中の影が暴れている。あの人がなんなのかはわからないけど、影達の言う仇の一人なのだろうか。私の視線に気付いたのか、俯きがちなその人が私へ顔を向ける。……顔は見えずとも、見られているのはわかって、でも、今は、目を逸らした。

 黒い影を纏い、促すように私を見てくる半透明の私に、頷いてみせる。胸中で渦を巻く憎しみや怒りが、私をそうさせた。同じく頷いた半身が半霊に戻り、私の周りをぐるりと回る。

 くじ引きで決められるという予選の人数が埋まり切ってしまう前に、くじを引く為に前に進む。四つの列ができていたので、一番左に並んで、順番を待った。

 もう少しで私の番というところで、ふいに、視界の端に光の粉が舞った。目の前を淡い光の蝶が飛んでいくのに顔を向ければ……幽々子様が浮かんでいる。ちょうど、列と列の間。手を伸ばして、私の前に閉じた扇子を差し込んだ幽々子様に、一瞬理解が及ばなかった。

 少し考えてから、出ては駄目だと仰るのですか、と目だけで問えば、そうだとでも言うように頷かれた。

 ……………………。

 

「あなたは」

 

 幻では、ないのですか。

 口に出かかった言葉を飲み込んで、だけど、心の中で続ける。

 私の中で育った疑心は、今や確信に変わりつつあった。

 だって、私……私の幽々子様は、冥界にいるのに……ここにいるのは、おかしいって。

 それに、私の苦しみを取り除いてくれないなんて、そんなの幽々子様じゃないから。

 列が動く。前の人が歩いて行くのに合わせて、私も進む。足を出して、一歩。心臓が縮むような苦しさを覚えながら、もう一歩。扇子が、私の腕や体に入って、そのまま、後ろへ抜けて行った。

 酷い熱に浮かされているような気持ち悪さを感じる。今の、凄く、いけない事だったかもしれない。すぐに体を戻して、幽々子様に謝るべきだ。

 後悔の念が暗い気持ちと混ざり合い、せめぎ合う内に列ごと私の足が止まり、そうすると、幽々子様が追って来て、私の横に並んだ。感情の無い(くら)い瞳に、結ばれた口。……怒ったように、少しだけ眉が上がっていた。

 冷や汗が流れる。体の横に垂らした手が、震えているのがわかった。

 たとえ幻なのだとしても……これは、無理だ。

 やっぱり私、参加するの、やめよう。

 そう思って、列から外れようとした私の鼻先に、手の平が差し向けられた。押し留めるように、待て、と幽々子様の手。

 見上げれば、もう、幽々子様は怒っていなかった。代わりに、呆れたような苦笑いを浮かべていて、それから、列の向こうの、くじ引きを行っている女性の方を指で指し示して見せた。

 ……いいの、ですか。

 無言の問いに、幽々子様は先程と同じように頷いた。

 代わりに、手が伸びてくる。

 体も近付いて、私を抱くように手を回した幽々子様が白楼剣を撫でるのが、刀と、手が擦れた背中越しにわかって……滑るような動きで楼観剣を持ち上げられるのに、独りでに紐の結びが解けた。体にかかっていた重みが消えた事に不安を覚えると、すかさず影が感情を塗り潰す。独特の吐き気に胸を押さえた。

 胸元に垂れるリボンを握り、滑り落とすように撫で下ろして、白楼剣に手を回す。……鞘が、ついていた。……刀身に移っていたリボンも、鞘に巻かれている。

 

「あ……」

 

 幽々子様は私を指差して、それから、楼観剣を持ったまま消えてしまった。その事に、意味のなさない声が漏れて、だけど、列が進むのに動かざるを得ず、そうして歩いている内に感じたはずの喪失感を忘れて、それで、私、あの幽々子様が幻ではないのかもしれないと考え直した。

 だって、楼観剣を持って行ってしまったし……そもそも、あの人が私をここまで導いてくれたのだ。幻のはずがない……かも、しれない。

 ……だったら、私、凄く失礼な事を……。

 元から落ちていた気分がどん底まで落ちる。ありていに言って、『ヤバイ』と思った。できるなら時間を巻き戻したい。……でも先生の機械って、時間は戻っても出来事は変わらないみたい。私が幽々子様に働いた無礼は消える事が無い。……やばい。

 もういや、もうだめ、死にたい。そんな事を考えている内にくじを引く事になって、私はもう、やけくそで、促されるままに四角い箱の表面に空いた丸い穴に手を突っ込んで、吸い付くように手の内に収まった一枚を掴みあげた。

 ……Gって書かれてる。……当たりって事なのかな。

 係りの女性にそれを渡せば、笑顔だった女性は一転して心配するように私を見た。だけど何も言わず、後方の女性に紙を手渡し、それでおしまい。後は、Gグループに人が集まるのを待って、開始するまで待つのみになった。

 舞台の上で待っていた方が良いけど、それ以外でもいいと言うので、列から外れて先生達の下に戻れば、「なんや、お前も出場するんか」とコタロー君。えっ、と驚いたように先生。アスナは、私が出るのは意外だと評した。……アスナが出る方が意外な気がする。いや、なんとなくだけど。

 大丈夫かと聞いてくるこのかに頷いて返していると、刀はどうしたのかとセツナ。幽々子様が持っていった……と言って通じるだろうか。……たぶん、通じないだろうな。

 説明するのが面倒だったので、意味も無く先生を指差せば、セツナの注意はそっちに向かった。その隙に、という訳でもないけど、みんなの中で一番端に立っている夕映の隣に移動する。夕映は、私を一瞥しただけで、特に何も言わず、すでにDグループの試合が始まっている舞台を見た。

 クーフェさんが一歩動くたび、一人の人が飛ぶ。五分とかからず試合が終わった。

 次は、先生と、影が狙うフードの人――ああ、良かった。出るんだ――のBグループ、同時に、背の高い女性とコタロー君がいるEグループの試合が始まった。……Gにはまだ人が集まらないのだろうか。

 あまり長い事影の嘆く声を聞いていたくなくて、早くあのローブの人を殺したいと思っていると、ふいに、なぜ私はすぐにあの人を攻撃しなかったのだろうという考えが頭をよぎった。

 だって、すぐ近くにいたのに、わざわざ、その人が出るかもわからない大会に出ようとするだなんて……。

 自分の行動がよくわからなくて、これも影のせいなのかな、と結論付けた。考えたってわからない事を考えてもしょうがない。私は出る事になったし、あのローブの人も出ている。なら後は、えっと、何かをして戦えばいいだけだ。それで、仇を討てば、影も治まるだろう。それで全部、終わりな気がする。

 どんどん具合が悪くなってくるのに、そうであって欲しいと願っていれば、C、Fと続いていた試合が終わって、ようやっと私の番。アサクラさんが私に舞台へ上がるよう促すと、どこかでどよめきが上がった。

 気にせずに舞台へ向かう。段数の少ない階段を登った先にいるのは、背の高い男性ばかりで、ちょっと壮観だった。

 

「駄目じゃないか、お嬢ちゃん。こんな所に上がって来ちゃあ……あ?」

 

 見知らぬ人が親しげに話しかけてくるのに見上げれば、傍にいた何人かが、まさか、と言った様子で私を見た。私に話しかけた人は、途中で言葉を切り、あごに手を当てて考えるようにうめくと、なるほど、と一人納得した。周りの人は、見かけで判断するものではないとか口々に言っている。それはたぶん、さっきまでの試合で、散々先生やエヴァさんなんかの活躍があったからなのだろう。……小さいって言いたいのだろうか。男性と比べられても困る。

 私の中の影がずっとフードの人の方へ行こうとしているのを抑え込んでいれば、試合開始の合図。階段から離れて、池に瀕した側面へ移動していると、最初に話しかけてきた人がついてきた。興味深そうに半霊の動きを目で追っている。ついて来られるのが嫌なので、男性の目元まで半霊を近づけて、反射的に出された手をかいくぐって側面からぶつけてやれば、声と共によろめいた男性は乱闘の真っただ中に巻き込まれて、誰かに応戦せざるを得なくなっていた。

 飛び交う気合いの声に耳を傾け、自分の感情と気持ち悪さを静めようとしながら、端っこで待機する。……とてもじゃないけど、自分から飛び込んでいくような気にはなれなかった。参加しておいて、何を言ってるんだろう、私。

 幸い、私に手を出し辛いのか、それとも眼中にないだけか、私以外だけで戦いが続いて、五人程がリタイアしてようやく、私に向かってくる者があった。

 周りの男性と比べて背が低くて、小柄な男性が、息を吐くリズムでステップを踏みつつ、人の合間を潜ってきて、私を見つけるとぎょっとしたように顔を上げた。私の顔を直視していた目が、例の如く半霊に移ると、変な笑いを浮かべて迫ってきた。

 ここまで来る時とは違って覚束ない足取り。構えた手は弱々しくて、攻撃の意思も中途半端に感じられた。結局、攻撃はしてきたけど……なんなのだろう、この人は。

 肩を狙って放たれた――と言える程の勢いはないけど――手の平で軽く押し出すような攻撃を半身になって躱し、腕を引っ張って背後の水に落とす。情けない声と水飛沫が高く上がって、背後の通路に並ぶ人たちから歓声が上がった。

 ……初めて先生に遭った時や、このかのお父様を見た時と同じように、影は憎悪に濡れて私を突き動かそうとしているのに、どうしてかやる気がわきあがらない。……私がしたい事をしている訳じゃないから、か。だって、これ、私の気持ちじゃない。だけど、どうしようもないから……気持ちのまま、動いているだけで。

 ほんとは、悩みも何もかも全部斬って捨ててしまって、楽しい事がしたい。みんなと。

 なのに私はこんな場所にいる。戦いへの高揚なんて欠片も無い。……考えている内に来た三人程も、凌いで投げて引っ張ってをしていれば場外に落ちて、半霊で苛めている内に時間切れでリタイアしてしまったし、まったく楽しくない。

 

「なかなかやるな」

 

 向かってくる人を迎え撃ってばかりの私に近付く人がいなくなって、最初と同じようにそれ以外で勝負を始め、もう残っている人の数も少なくなってきた頃に、飛び込んできた人がいた。白髪と黒い服のコントラストに、白黒だ、なんて場違いな事を思ってしまった。

 私から少し距離を取って、静かに名乗りと口上を上げる男性を眺める。スリーディー柔術ってなんだろう。外国の武術かな。先生の拳法も外国の武術だし。……どうでもいいけど、手の内を明かしてくれるのは親切なのか、馬鹿にされているのか。

 投げやりに考えつつ、お喋りは終わったのか、突っ込んで来た男性にカウンターを叩き込もうと白楼剣を握ると、パンチやキックでも、張り手でもなく、掴み技を仕掛けてきた。胸元に伸びてくる手に、後ろに一歩下がって避ける。

 当然、後ろは場外で、何もないのだけど……影を纏って宙を蹴るように後退する。別に、空を飛んじゃいけないというルールはないし、大丈夫だろう。

 口を半開きにして驚愕の声を漏らす男性に、纏っていた影をけしかければ、大袈裟な動きで躱して、光を纏わせた拳で影を攻撃した。……擦り抜けて、当たらないけど。

 男性の手に纏わっているのは、魔力……じゃなくて、気か何かだろうか。彼も魔法使い? いや、気を使うのだから、えーと、別の何か。

 ひょっとしたら、楽しい戦いができるかも、なんて思いながら舞台上に戻れば、男性は影に巻かれて、突然体から力を失ってしまったように倒れ込んでしまった。肌が見えている場所に軽い火傷を負っているのを見るに、戦う以前に影にやられてしまったらしい。

 浮かび上がっていた心が急速に沈んでいくのがわかる。その後の試合は、正直記憶になかった。

 気がつけば私は本選に出られる事になっていて、先生や鳴滝姉妹が凄かったねと話しかけてくるのに、てきとうに返事をしていた。

 一回戦の相手がエヴァさんなのがわかっても、私の心は落ちたまま。

 そんな気持ちの中で、冥界にいた幽々子様が『もっとおちて』と私に語りかけてくれた事を思い出す。

 落ちるって……こういう事、なのだろうか。

 もしそうなのだとしたら、私、これ、あんまり好きじゃないけど……もっともっと、落ちよう。

 私の気持ちに答えるように、体の中で、影がぐねりとよじれた。


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