※タイトルの時点で誤字ってた死にたい
変なクラスメイトがいる。
私がそれに気付いたのは、彼女が先生や私に話しかけてきた時だ。放課後、学園祭での出し物、お化け屋敷の詳細を話し合って、学校を出たのは遅い時間。七時は過ぎていなかったと思うけど、外はすっかり暗くなっていた。
このかと手を繋いで歩きながら、今の自分の事に悩んでいると、ふわりと、変な気配が近寄って来た。それが、彼女だった。
先生の傍に浮かんで緩やかに動きながら、先生の気を引こうとしているのか、顔の前で手を振ったり、大声を出してみたりと忙しない。
元々、先生を見ながら考え事をしていた私は、その女性に興味を引かれて、観察を優先する事にした。
私達とは違う制服(とは言っても、私は制服を着てないんだけど)に身を包んだ、白い髪の女性。不思議な目をしている。輝きが無いというか……いや、暗闇で光ったら怖いけど。それになんだか、古めかしい雰囲気。
それに、背が高い……なんて思ってたんだけど……彼女には、足が無くて。
……正直、初めてそれに気付いた時、悲鳴を上げなかった自分を褒めてやりたかった。
こんな所に亡霊がわくなんて、ここはどういう学園なんだろう、なんて考えで頭の中を埋め尽くして恐怖に立ち向かいつつ抜刀すれば、このかにも先生にも怒られるし、亡霊には逃げられるしで散々だった。
先生達にはあれは見えてなかったみたいだし……。
でも、翌日教室に行けば、彼女は一番前の、一番左の席に座っていた。私を見ると、あわあわして逃げて行こうとして、チャイムが鳴るのに大慌てで席に戻ったけど。
斬って捨ててしまいたい気持ちを抑えて、私も席に着いた。彼女の事が気になって、授業にも身が入らない。……仕方がないのでノートの端に半霊を描いたりしていたら、いつの間にか机の傍に立っていた社会の先生に、やんわり注意されてしまった。……新田先生じゃなくて良かった。
休み時間、私の方を警戒するような動きでひょろひょろと教室を抜け出して行った亡霊を追おうとして、エヴァさんに呼び止められる。
放って置け、と言われた。……なんで? ……何か、事情でもあるのだろうか。
でも、気になる事は気になるので、半霊を飛ばして後を追わせると、エヴァさんは呆れたように、お前が関わると碌な事になりそうにない、と言った。……あ、今、馬鹿にされたの? 私。
まあ、止めるというなら、私は追いはしない。怖いけど、それだけだから。敵意や何かは感じないし。そう伝えると、エヴァさんはこれ見よがしに溜め息を吐いて、好きにしろ、と言った。止めたいのか止めたくないのか、よくわからないけど、そう言うなら、まあ、そうさせてもらおう。
席に着いて次の授業の準備をしていると、チャイムギリギリで半霊が戻ってくる。……仕留めきれなかった? ……見失ったの。
ふよふよと上下する半霊をなんとなく一撫でしてから、黒板に顔を向ける。前の扉を開けて先生が入って来た。
授業が始まっても、亡霊は姿を現さない。
まあ、いい。放課後に探し出して斬ってしまおう、やっぱり怖いし、心臓に悪い。なんて考えながらその日一日を過ごした。
放課後、このか達は何やらやる事があるようなので、一人教室を出ようと扉を開くと、ばったり顔を合わせた夕映とノドカに教室の中に押し戻された。
「ただでさえ人手不足なのですから、逃がしませんよ」
「みんなで頑張れば、きっとすぐに終わるよー……」
抱えていたダンボールを傍の机の上に置きながら言う二人に、そういえば、準備があるんだったと思い出す。ノドカを見上げた夕映が無言でぴらぴら手を振って否定しているのを見るに、たぶん、すぐには終わらないんだろう。……まあ、いい。これだけ人がいれば、怖いものなんてない。
なんて思ってたら、二十二時を回ったくらいに、彼女が現れた。いつの間に入ってきていたのか。
「これを」
「んあ、どーした? ……あれ?」
弄っていた白い布を、向かいで眠そうにしていた千雨さんに押し付けて立ち上がり、気配を消して彼女に近付いて行く。……何やら思いつめている様子。これなら正面から行ってもばれないような気がするが、いちおう、背後からそろりそろりと近付いて行く。
万が一にも他の誰かを傷つける訳にはいかないので、長い楼観剣ではなく比較的短い白楼剣を抜こうと柄に手をかけて、ふと、エヴァさんの言葉を思い出す。
私が関わると碌な事にならないって、どういう意味だったんだろう。
その意味を考えながら、彼女の背に手を伸ばして……悲鳴が上がった。前にいたマキエらが、亡霊を指差しているのを見つけて、それから、光が瞬くのに咄嗟に顔を庇う。
……あの亡霊の悲鳴も聞こえたような気がするのは気のせいだろうか。
「あ、なーんだ、妖夢ちゃんかあー。びっくりしたー……」
「もー、そんなとこで何やってるの?」
腕で隠れた暗い視界の先から、声。
……え、今のって私に驚いてたの?
◆
「…………」
「あー、うん……しゃ、写真
「あはは……」
翌日の事。
あの亡霊、何しに現れたんだろうなんて考えながら登校すれば、教室までの道に人だかりがあって、行ってみれば、どうやら壁に新聞がかけられているのを見ているらしい。幽霊がどうのという声が聞こえてくるのに、遠目に新聞を見ていれば、近くにいた女性が先生に気付いて、見たいの? と話しかけた。先生が返事をする前に、人だかりに声をかけ、通る道を作ってくれた。……その女性が、やけに私を見てくるのが気になって、だけど今は、新聞の方に興味があるので、気にしない事にする。
それで、先生にくっついて新聞の前に出てみれば。
『3-A教室に「霊」再び』の見出しに、あの亡霊が全力で飛び退っている姿と、手を伸ばす私の姿が載っていた。暗闇に浮かぶ青く光る瞳と私の顔が溶け込むようにあって、自分なのに、ちょっと怖い。……というか、私はこんな死人のような表情をしていたつもりはないのだけれど。
慰めのつもりなのか、アスナが声をかけてくるのに曖昧に返事をしながら、このかを見上げる。このかは、飛び退っている方の亡霊を興味深げに見ていた。
……そっちの亡霊は、えらく写真写りが悪い。まるで化け物みたいな姿で、半分以上揺らいだ体は、見ようによっては勢い良く私を襲っているようにも見えなくは…………あれ? これ、見ようによっては私と亡霊が何かに襲いかかってるようにも見えるような……。
いやいや、私はおばけではない。白髪の半分おばけとは誰が言ったか知らないけど、決して、違う。私は生きてる。死んでるのは半霊の方だ。だから、私は、怖くない。……怖くないよね、先生?
「えっ……あっはい、怖くないですよ!」
何、今の間は……ひょっとして先生、私の事怖いと思ってる? それは、カモ君と同レベルだよ。先生はカモ君とは違うよね。私を怖がったりしないよね。ね。
そう思って、そっと手を伸ばしたら、一瞬引こうとして、思い止まったように私の手に触れてきた。……凄く、不自然。
不満なので、わざとらしく不機嫌顔を作っていると、先生は慌てて、怖くないだのかわいいだの思っても無い事を口にする。今更取り繕っても遅い。先生の本心は見えた。
周りの人が、「ほら、あの子、写真の……」と指差したりひそひそと内緒話をしていたりするのを眺めていると、このかに手を引かれた。そこから抜け出して、教室に向かう。携帯を弄るこのかを見上げながら歩きつつ、前見て歩かないと危ないよ、と注意しようか迷っていると、不意にこのかが足を止めた。
私を見下ろし、にへっと笑って、私の頭に手を置いてくるのに、何、と疑問を持つ間もなく頭を撫でられる。……こんなところで、頭を撫でられるのは、恥ずかしいんだけど……このか?
そうは思いつつも、されるがままにしていると、パシャリ。このかが持ち上げた携帯から、聞き覚えのある音が鳴った。……写真?
「あ、ふふっ」
「ほれ、妖夢ちゃんや」
横から携帯を覗き込んだアスナが笑うと、一緒に笑ったこのかが、私に携帯の画面を見せてくれた。細まった目に、朱に染まった頬に、緩く開いた口、どことなく、というか、嬉しいをそのまま表したような顔は、いつかどこかで見た事があるようなもので。
……私の顔が写ってるのは、まあ、当然として……だ、だらしない顔……。
え、ひょっとして私、このかに頭を撫でられてる時、いつもこんな顔してるの?
だとしたら、ほんとに、恥ずかしい。
羞恥心に胸を押さえると、携帯を閉じたこのかが、ほら、妖夢ちゃんはかわええよ、と言った。見上げれば、頭を撫でていた手が滑り下りて、私の手に重ねられる。アスナがうんうん頷くのに視線を移せば、ああいう風に撮れちゃう事もあるわよ。気にしない気にしない、と笑いかけられた。そうですよ、と先生が便乗した。先生を見れば、力強く頷いてみせる。
「……このか、アスナ、ありがとう」
「んーん、ウチはただ、ほんとの事を言っただけやよ」
「そうそう。妖夢ちゃんはかわいいよ。だから、さっきのあれは気にしないでいいと思う」
「うん、そうする……」
アスナとこのかにお礼を言って、それから、同意するように頷いていた先生を見る。照れくさそうに笑うのは、なぜだろう。私、先生にはお礼、言ってないんだけど。
顔を背ければ、あれ? と先生。
気にせず、このかの手を引いて歩き出す。
「え、あれ? あの、妖夢さん?」
「このか。一時間目、なんだっけ」
「んー、国語やね」
「あらら、ネギ、あんた嫌われちゃったみたいね?」
「そんなあ! な、なんでですか!?」
「自分の胸に手を当てて考えてみれば?」
このかと話しながら歩いていれば、後ろから聞こえてくる先生の情けない声。
ざまあみろ、と思った。
◆
放課後、というより、深夜。
最終下校時刻はとっくに過ぎて、本当なら帰らなければならない時間まで残っていた私達に起こった出来事は、言ってしまえば一言で済むものだった。
先生とハルナが幽霊と友達になった。
昨日今日、私が見かけていたあの霊が、深夜、私達の前に現れた。へんてこな装備に身を包み、打倒幽霊に燃えるクラスメイトの前によくのこのこ現れたものだ、なんて思っていたけど、その実、あれは友達欲しさに現れたらしい。ノドカの不思議な本を横から覗き込んでいてわかった事。
友達……友達というのは、よくわからない。友達って、なんなんだろう。それは求めるものなのか、必要に駆られて作るものなのだろうか。
なんて悩んでいれば、眩い光に当てられて、ふと気がつけば、私はベッドの上にいた。
状況はよくわからないけど、体中暖かくて、もう少し眠りたいのに、布団を引っ張りながら寝返りを打つ。
目の前に、このかの顔があった。
「――っ!?」
飛び起きそうになった体を気合いで押さえる。
でも、激しく胸を打つ心臓は、どうやっても止められなかった。
何が起こっているの? というか、なぜ、私の布団にこのかが……?
疑問ばかりが頭の中を埋め尽くして、だけど、それが幸いしたのか、動かない間にだんだん落ち着いてきた。それで、このかが寝息を立てているのに気付いて、起こしちゃいけない、と思い至った。
騒いでしまわなくて良かった。
ほっとしながら、このかの顔を見る。
いつになく近い。屈んで貰ってる訳でもないのに、それに、こんな場所で、体まで、こんなに近い。
……ひょっとして、ここは、このかの部屋?
頭を預けている枕や布団から、私のものとは違う匂いがするのに、そう当たりをつける。
どうして私、ここにいるんだろう。
ゆっくり昨日の事を思い返せば、しばしあの幽霊の事に思考をとられて、時間が過ぎる。
……ああ、私、寝ちゃったのかな。
不自然な記憶の途切れ方に疑問を抱きつつも、それ以外思いつかないので、そう結論付けて……改めて、このかの顔を見た。
いつも優しい顔は、今は、ただ、穏やかだ。
閉じた瞳も、少しだけ開いた口も、上下する体も、何もかも無防備で、私は、何か変な気持ちが胸の内にわいてくるのに、そういえば半霊は、と、その顔から無理矢理に視線を外した。
半霊は、布団の上、私とこのかの間にできた溝に横たわっていた。私達の体に合わせて上下しているのは、ひょっとして、寝ているのだろうか。
いやいや、私が起きているのだから、眠っているはずがない。
あまり働かない頭で半霊に指示を出せば、もっさりと身を起こし、半霊が飛び始めた。ゴ、と天井……上の段にぶつかってぽとっと布団の上に落ちてくる半霊に、思わず頭を押さえる。……痛い。
「ん……」
その動きで、起きてしまったのか、このかが身動ぎするのに身を固くする。もぞもぞと体を動かすのが、触れている場所から感じられて、どうしてか緊張した。
そんなに大きな動きだと思っていなかったんだけど……。
「このか……?」
薄く眼を開けたこのかが私をじっと見つめるのに、黙っていられなくて、呼びかける。答えは期待してなかったけど、このかは、一度瞬きをしてから、それでも眠そうな目をしつつ、私の名前を呼んでくれた。
「おはよ、妖夢ちゃん」
「お、はよう……このか」
挨拶を返そうとして、息がかかる距離に、言葉がつっかえてしまう。このかは、小さく笑って、それから、布団の中から腕を出して、私の頬を撫でた。
髪を持ち上げて、肌を滑る手は、熱い。きっと、さっきまで眠っていたからだ。
気持ち良くて、私も、目を細める。まつげの些細な感覚に、私のでなくて、このかの方が気になって、すぐ近くの、このかの目を覗いた。長いまつげが、今にもあわさりそうなところにある。だから何という訳でもないのに、私は、目が離せなくて、じっと見つめた。
見返してくる瞳と、少しの間見つめ合う。何度も頬を滑る手が心地よくて、だんだんと眠くなってきてしまった。気持ち良さそうに傍を泳ぐ半霊が私の心をそのまま表していて、羞恥心はわかないのに、恥ずかしい、と思った。
でも、今、私を見ているのはこのかだけだ。恥ずかしい事なんて、欠片も無い。
それに……望んだり、はかっていた事ではないけど、こうして一緒の布団で寝れているのがとても嬉しくて、ますます私は、心が満たされるのを感じた。ハート型の器を、ぐわんぐわんと波立ちながら満たしていく幸せの水に、追いやられた黒い影が体中に逃げていく。血の流れに染み込む黒い感情が、それもまた気持ち良くて、小さく息を吐いた。
「……ねえ、このか」
「んー……?」
友達って、なに?
声は出ず、口だけで言葉を作る。再度、ん? とこのか。
今度はしっかり質問しようと口を開いて、でも、やめる。
聞くべきではないと思ったからだ。
私は、友達というのがよくわからない。ここ最近、強く感じる疑問。授業を受けている時も、誰かとお喋りしている時も、漢字の練習をしている時も、刀を振っている時も、湯船に浸かっている時も、ふとした拍子に頭や胸の内をよぎるもの。
普段は体の奥のどこかに隠れているそれがひとたび表に浮かび上がると、胸がぎゅってして、息がつまるような苦しさが襲いかかってくる。
うそっこだから。
そんな言葉が、何度も何度も口をついて出ようとしていた。
何が、嘘か。どこまでが嘘か。
ううん。何も、嘘なんかない。私は嘘なんかついてない。
だから、嘘っぱちだというなら、この苦しさや何かが嘘なのだろう。
無理矢理結論付けて、どうにもならない苦しさをやり過ごす。
でもやっぱり、疑問はいつでも、私の前に浮かんできた。
答えが欲しかった。
斬る相手もいない今、答えを得るには、私が考えるか、知ってる人に聞くしかない。
それで、このかに聞こうと思った。
だって、こうして隣あって眠っていると、とても暖かくて、心のふちが蕩けて、何もかも、話せてしまいそうな気がして……でも、そうではなかった。
これは、聞いてはいけない事だ。このかには、聞いてはいけない事なの。
それは、アスナや先生にだって同じ。
いくら馬鹿な私だって、友達だと言ってくれた三人に、それを否定するような事を言うのがどれだけ愚かなのかはわかる。
だから、言わない。言えない。
……なら、誰に聞けばいいんだろう。
誰なら教えてくれるか……。
考えていると、ゆっくり身を起こしたこのかが、私の肩を撫でて、私を気遣うように布団から出て、ベッドの外に抜け出していった。
妙な寂しさが、まるで、心に穴でも空けるようにわき出てきて、胸元を握る。
……晴子。
晴子なら、きっと、教えてくれる。
晴子なら、きっと、怒らない。
なぜだかそんな気がした。それで、午後にでも、晴子の所に行こう、と思った。
朝食は、今日も超包子。
なんだか茶々丸さんの様子がおかしかった。それは、先生に関係しているように思えた。
……勘だけど。
放課後、茶々丸をバラすというハカセさんを眺めながら、お茶を頂いた。
……何をバラすのかは謎だけど。……秘密?
放課後、茶々丸さんのセービとやらに付き合う為に、彼女にくっついて下校する事になった。
辞書と睨めっこしていた私は、半分以上話を聞いていなかったのだけど……このかが行くと言うなら、私もついていく。今は、なんとなくそうしたい気分だった。……いつもくっついてるけど。
「ここは麻帆良大学工学部。私は、ここで生まれました」
大きな建造物を前に、茶々丸さんが説明する。そこで私は、茶々丸さんの出生の秘密を知った。
って、私にバラしてどうするのだろう。ハカセさんが茶々丸さんにバラすのではなかったのだろうか。
なんて考えていれば、あれよあれよという間に茶々丸さんが健康診断をして(なるほど、だから白衣を着ている訳だ。お医者さんだから)、だけど、それは途中で取りやめ。恋愛がどうのとぶつくさ言うハカセさんが少し怖くて、私は全部聞こえないふりをする事にした。
それよりも、この建造物のどこか深く……ずっと下に、とても懐かしいような気配を感じて、それの方が気になっていた。
悲しさに似た何かで胸がいっぱいになって、涙があふれてくるような気配。それが何かはわからない。その正体も、そもそも、気配がなんなのかも。
薄い空気や匂いが、普通の空気に混じって微かに漂ってくるような感覚。
よくわからない。よくわからないけど、長くはここにいたくなかった。
そこに移動話が持ち上がったのは、渡りに船だった。みんなにくっついて、私はこの建物を後にした。
その後に起こった茶々丸さん暴走事件に、特に語る事はない。
なぜなら私はご飯を食べていて、そんな少しの間に、事件は先生の手によって収束していたからだ。
私だけ仲間外れ……お腹空いていたからとご飯を優先したらこれだ。
……一時も離れない方が良いんだろうか……。
あ、友達ってそういうものかな。
……違うか。
◆
日も落ちようとしている頃に、洋服のキハラへとやってきた。
路地の合間に響く靴音が、体の中に心地良く響く。
だけど、お店の扉を見たところで、心地良さはおしまいだった。
「……クローズド」
『Closed』の看板が、揺れもせずそこにある。
前にもあったような事に、あの時はどうしたっけ、と考えて……あの時は、すぐにでも聞きたい事があったから、扉を斬ったんだっけ、と思い出す。
あれは、凄く怒られた。それはもう、怒られまくったので、できれば二度は経験したくない。
なので、白楼剣に触れていた右手で、確認の意味も込めて、扉を横へスライドさせようと試みた。
ガラリと、勢い良く扉が開く。てっきり、鍵が閉まっていて、強い抵抗が手に返ってくると思っていたから、腕をびきりと痛めてしまった。
ぷらぷら腕を振りながら、店内を眺める。洋服の合間に光の筋が見えて、どうやら、閉じてはいるものの晴子はいるようだとわかった。
……というか、気配はある。
何かあったのだろうかと考えながら、店内に侵入する。狭い通路を進むと、棚にかかった服越しに、息を吐くような声が聞こえてきた。
「んっ……ん」
ちょうど、こんな感じの、吐息と共に吐き出したかのような声だ。
何をしてるんだろう。疑問に思いつつも、カウンターの前に出れば、カウンターの向こう、おもちゃ箱やお人形のある棚の前で、上に手を伸ばす人影があった。
ただ、それは予想していた紅とは違く、白一色だった。
「んー……! ……ん?」
ふと、白い少女が振り返る。振り向く動作に合わせて、糸みたいな白い髪がばらけて、光を反射する。優しい色だった。
金の瞳と、目が合う。棚に手をかけたままの少女は、微かに目を見開いて、しかし、何も言わず。
「……まあ」
何十秒かして、ようやく出てきた言葉は、それだった。
彼女が声を発したことで、ようやく私は体を動かす事を思い出して、カウンターに近づく。ただ、なんとなく椅子に座る気にはなれなくて、同じように近寄ってくる彼女を眺めた。よいしょと椅子に登る動作は、晴子にそっくりだ。
というか、白い髪や白い着物とかを除けば、顔立ちも背も、晴子と一緒。姉妹か何かだろうか。そう考えて、でも、気配まで一緒なのは、どういう事なのだろう、と思い至る。
……ひょっとして、仮装?
「こんにちは」
一人考えていると、彼女の方から声をかけてきた。
晴子に似た、だけど、眠気や怠さとか、何かよくわからない重みを全部抜かした、明るく透き通った声。
こんにちは? ……もう、夜になろうというのに、その挨拶は正しくないような気がして、こんばんは、と返すと、何がおかしいのか、彼女は口元に袖を当ててころころと笑った。
それから、そうですね、とうなずいて、こんばんは、と軽く頭を下げてくるのに、つられて頭を下げる。
「あなたは……魂魄妖夢さん?」
「……違うと言ったら?」
「違いないと言います」
名を呼ばれるのに顔を上げれば、彼女はゆったりと腕をカウンターの裏に下ろした。
ぶしつけに名前を呼ばれたのが少し嫌で、そう返せば、どうともとれる言葉。彼女はまた、ころころと笑った。邪気の無い笑顔。晴子とは、全然違う笑い方。
「あなたは」
名を聞こうとして口を開くと、変に抑揚のない声が出た。
彼女は気を悪くした様子もなく小首を傾げて、人差し指を唇に当てて考えるそぶりを見せた。
……質問の意図がわかっていないのだろうか。名前を聞いたつもりだったのだけれど……。
仕方がないので、名前は、と追加の言葉。
彼女は、それでもしばらく考えた後、色、と言った。……イロ?
「いえ、そうですね……ミロワール、と呼んでいただければ」
「ミロワール?」
「ええ、ミロワールです。それが駄目なら、白いのでも、
「ミロワール……一夢」
「どちらでも、お好きな方を」
……本名を語る気は無いのだろうか。
そういった言葉を投げかけようとして、やめる。本当の名前を隠したい事だってあるのだろう。
なら、ミロワールだか一夢だか呼べばいいのだ。
だとすれば、どちらがいいだろう。どちらも、彼女に似合っている気がした。
私の銀髪に似た白い髪は、さらさらと流れて、細い肩で別れている。私を見つめる金の瞳は、電気のせいか、たぶん、そうでなくとも綺麗に輝いていて、そこら辺は、西洋人のように感じられた。
だから、ミロワールと呼ぶのが良いかもしれない。
でも、丸っこい顔や、彫りの浅い顔、あまり厚さを感じられない白い着物や、彼女の雰囲気……儚いと言うべきか、柔らかいと言うべきか、そういうのは、東洋人のようで、一夢と呼ぶのが正しいようにも思える。
「ふふ、そうして考えていただけるのは、なんだか嬉しいですね」
うんうん悩んでいると、彼女はそう言って、言葉通り、嬉しそうにはにかんだ。それは、見た目の幼さに似合わない、少し大人びたものに感じられて、私は、その笑みに見惚れていた。
……じゃなくて。
ふるふると頭を振って、彼女をどう呼ぶのか考える。
ミロワール、一夢……どちらが正しいのだろう。
まるで出口の無い迷路のような考えだ。まるで答えが出なくて、私はもう、てきとうに選ぶ事にした。
「……ミロワール」
「はい、なんでしょう」
呼びかければ、嬉しそうな声が返ってくる。
……名前を呼ばれるのが、そんなに嬉しいのだろうか。それとも、こちらが正解だった?
いや、そうではなかったらしい。彼女は、なぜそちらの名を選んだのか、お聞きしても? と問いかけてきた。
先程考えた内容をそのまま話せば、まあ、まあ、まあと手を合わせて、ころころ笑う。思わず、私も笑ってしまった。
なんだか、こうして向かい合っていて、気持ちの良い少女だった。
「さて、なぜわたしが貴女の事を知っているか、疑問にお思いでしょう」
「……そういえば、そうね」
言われて、気付く。そういえば、どうして彼女は私の事を知っているのだろう。
たしかに私は、どうやら少しばかり有名人なようで、時折見知らぬ人が私の名を呼ぶ事もあるけれど、彼女は……どうなのだろう。
「私は、見ていました。貴女を……最初から」
「見ていた? ……何を、言ってるの?」
わかりませんか。
さらりと白い髪が揺れる。見透かすように、金色の瞳が、私へと降り注いでいた。
顔を背けると、それなら、それで良いのです、と少女が言った。
意外だった。
どこまでも追及されるような気がしていたのに、彼女はあっさりと許してくれた。
……許す?
何を……許すと、言うんだろう。
いったい、自分が何を感じているのかがわからなくて、白楼剣を撫でる。私の短刀に、硬く冷たい刃がしっかりそこに存在しているのに安心して、それでようやく、私は顔を戻す事ができた。
少女は……ミロワールは、変わらず、私を見つめていた。
「わたしは」
つい、と、カウンターの内側の、少しだけ低い位置にある机に目を移したミロワールが、そこにあった紙……写真を手に取って、机の上に置いた。
この間見たばかりの、早苗の写真。……二度目で、気付く。たぶんこれは……卒業式……卒業直後の写真なのではないだろうか。
大きく写る桜の花びらや、早苗が持つ筒や、後ろの方に小さく写る人影なんかから、そう判断した。
「あの妖怪が目覚めたのを知って、後を辿ってきました」
写真に目を落としていると、ミロワールが、そんな事を言った。
妖怪……それはやはり、晴子、なのだろうか。
「いいえ、そのような名前ではありません。あの妖怪の名は……」
……そこまで言って、ミロワールは口を閉ざした。
妖怪の、名は……何だと言うの?
気になって、先を促せば、ミロワールは、「この話は、しても仕方がなさそうです」と一人で完結してしまった。
……気になるんだけど。
……八雲紫?
「いいえ、もっと邪悪で、もっと強大なもの……気を付けて。きっと貴女も、狙われています。そう、感じました」
「私が、狙われている?」
「おそらくは」
それは、どうして。
いや、というか、今までそんな気配は無かったのだけど……。
本当に私、その妖怪に狙われてるの?
だったら、なおさら名前を聞いておきたいんだけど。
刀を撫でながら問いかければ、彼女はただ首を振って、再度、気を付けて、と言った。
「わたしからは、それくらいしか言えません。でも、大丈夫……きっと貴女なら上手くやれます」
それは、根拠の無さそうな励ましだったけど、彼女が言うと、不思議とそれが真実な気がして、私はうなずいた。
次に顔を上げた時には、彼女の姿は、忽然と消えてしまっていたけど……。
なんだったのだろう。
まるで、夢か幻でも見ていた気分だ。
「…………」
壁にかかった柱時計を見上げる。長針は、九時頃を指していた。外はもう、すっかり暗くなっているだろう。そんなに長い時間、ここにいただろうか。
……不思議な、時間だった。
それはまさしく、晴子と過ごしている時間そのもので、ふわふわする体は、現実味というものがまったくなくて。
白楼剣の刃をなぞる。指先で曲線をなぞり、指の腹を、刃先に押し付ける。
鋭い痛みも、何もかも、今までの時間は本物で、私はここにいて、嘘なんて一つも無い事を教えてくれた。
そうして幾度も刀を撫でて自分を確認しながら、晴子の帰りを待つ。
だけど、待てど暮らせど、晴子は帰って来ない。
ボーン、と柱時計が鳴って、机の上の写真を手に取って眺めていた私は、時計に目をやった。午後、十一時。
さすがに、そろそろ帰らないと明日に響く。
それに、お腹は空いているし、おトイレに行きたいし、何より眠い。出そうになったあくびを噛み殺しながら、写真を胸ポケットに突っ込んで、それから、刀を撫でる。
晴子への相談は、また明日にする事にして、私は、お店を後にした。
◆
学園祭が近付いている。
……出し物の準備、全然終わってないのに……。
放課後だけでは時間が足りなくて、お昼休みにまで準備をする事になってしまった。
幸い、私はお昼はすぐ終えられるからいいけど、他の人は、急いでお弁当を掻き込んでむせたりしていた。
水筒の
あらかたの人が食べ終わると、さっそく準備に移る。特殊メイクだかなんだか言って顔にたんこぶをつけたり、頭に矢をつけたりして遊ぶユーナや名も知らない誰かを尻目に、いそいそとボンドを片手に色紙と格闘していると、ふいに、声をかけられた。ハルナだ。
満面の笑みで白装束を押し付けてくるハルナにうんざりしつつ、例のごとく近くにいた長谷川さん(準備の時は、なぜかいつも私の傍に来る)が着ろ着ろと促すのに負けて、着てみる事にする。
……そもそも、なぜ着なくちゃいけないんだろう。衣装の確認? たしかに、この白装束を着れるのは、私かエヴァさんか鳴滝姉妹だけだろうけど……別に私じゃなくてもいいのではないだろうか。
頭の中で文句を言いつつも、その場で着替える。肌を見せるのは恥ずかしいなんて考えは、とっくの昔に吹き飛んでしまった。そもそも、周りには女の子しかいないのに、何を恥ずかしがることがあ……あ、先生……。
上を脱いだところで、教室の扉を開けて、先生が入って来た。布やら何やらをたくさん抱えてよたよた歩いてきたかと思えば、ふと、布の影から顔を出して……ばっちり、私を視界に収めた。
…………。
「ほれほれ、先生、あっち向け」
「ぬふ、ネギくーん。こういうの興味あるのかなー?」
千雨さんがしっしと手を振るのとは対照的に、ささっと先生に寄って行ったハルナがその背を押してこっちに連れてくるのに、わりと本気で殺意を覚える。
なんで、わざわざ連れてくるの? 凄く、恥ずかしいんだけど。
脱いだばかりで手の内にあった上着で、なんとなく体を隠していれば、「い、いやいや、見慣れてますから、興味なんて……」と先生。
「なぬ!? そ、それはどういう事かなネギ君!?」
「え、いや、そのままの意味なんで、ぐえ! ちょっ」
布をぶちまける勢いで詰め寄るハルナに気圧されたのか、下がった先生が足を引っ掛けて転ぶのを見つつ、溜め息を吐く。
見慣れてるなんて、変な事言うからそうなる。そもそも、私がこんなかっこして先生と向かい合うのは怪我の手当てをする時だけだ。
それも一、二回くらいしかしてないし、だから、見慣れるなんていうのはおかしい。
なになに、どしたのと先生の下にクラスメイトが集まるのを眺めつつ、もう一度溜め息。
呆れてものも言えないとはこの事かな。
「お、お前ら、そういう関係だったのか……!?」
……千雨さんは、何を勘違いしているんだろうか。
横で戦慄している千雨さんを見上げていると、どう話が転がったのか、クラスメイトの波が私に迫ってきていた。
……勘弁して欲しい。まだ、上も着てないのに。
先生と一緒に質問攻めにされる中でチャイムが鳴り、みんなの思考が私達ではなく、全然進んでない準備の事に傾いた隙に、先生と脱出する。
その後、次の授業の準備の為にみんなは散り散りになったから、わざわざ先生の手を掴んでまでする必要は無かったかもしれない。
手の先の先生は、私と目が合うと、気恥ずかしそうに笑った。
そのへらへら笑ってる顔に、さっきの言葉はどういう意味か、どういう意図で言ったのか問い詰めようかと思ったけど、さっきの、まで言ったところで熱が冷めた。
私、まだ上着も着てないのだから、さっさと着て授業の準備をしないと。とはいっても、次の授業は英語。先生の科目だ。焦る必要は、あんまりないのかもしれない。
上着を身に着けていれば、このかが寄って来て、なあなあ、さっきの、なんて聞いてくるのに、脱力する。
このか、そういう話、好きだよね……。
◆
「そういやさ」
放課後、再びの準備で、当然のように私の傍に座り込んだ千雨さんが、裁縫道具を弄びながら、そう声をかけてきた。
折り紙を折るのを中止して顔を上げれば、あんたの、と、千雨さん。
……また、変なところで区切るね。あんたの……何?
「よ、妖夢のさ、背中のそれ……あ、昼、見たんだけど……見えたんだけど。ちょっと気になって」
「…………」
「あ、わり。聞いちゃいけない事だったか?」
初めて、名前で呼んだ?
いや、初めてだったかは微妙だけど、いつも「あんた」とか呼ばれてたから、なんだか新鮮で、それに、友達になりたいのかな、と考えつつ千雨さんの顔を見ていれば、何か勘違いしたのか、謝ってきた。
ううん、大丈夫、と首を振って返してから、千雨さんの言葉の内容を頭の中で繰り返す。
えーと、お昼に見た、私の背中の……ああ、数字みたいなあざ? でも、私、キャミソールは脱いでいなかったと思うんだけど……それでも、見えたのだろうか。
千雨さんは頬を掻いて、それから、こくりとうなずいた。前に見たのと形が違ったような気がしたからさ、と声を潜めて言うのに、首を傾げる。
あざが変わるのは、前に確認した通りだけど……それがどうしたのだろうか。
「いやいや、あざの形が変わるなんておかしいだろ。同じところぶつけたりしたのか?」
「ううん……ん、ぶつけた、かも?」
「あれ? なんだ、そうなのか?」
そうなの、とうなずきたいところだったけど、ひょっとすれば、またあざが変わっているかもしれない可能性に気付いて、気になった。
……ちょうどそこに、脱ぐ理由がある。
「あ、おい」
千雨さんが弄りまわしていた衣装をひったくって、広げてみる。
幽霊が着るような着物で、水色を主体とした上着。……いや、これ、洋服か。着物じゃない。
なんだか、イメージと違う……ん、幽々子様……あー、いや、このフリルとか、イメージぴったりかな。
って、これ、幽々子様のお召し物に似ている気がするんだけど……。
千雨さんに目を向けると、いや、なんか、作りたくなって、とどこかの洋服屋さんと同じ事を言う。別に、咎めるつもりはないけど……まあ、いいか。これ、着てもいい?
別にいいが、まだ完成してないぞ、と千雨さん。目的はあざの確認だから、完成してなくても関係ない。
膝に洋服を置き、さっそく上着を脱いで、それから、千雨さんに背を向ける。
「……何してんだ。着ないのか」
……あ。
当然のように、見てもらおうとしてしまっていた……。何やってるんだろう、私。
ちょっと恥ずかしさに肌着の裾を引っ張りつつ、背越しに、あざを見て欲しいとお願いする。あー、気になったのな、と千雨さん。動く気配がするのを見るに、見てくれるのだろう。
肩紐をずらされて、肩とその周辺が露わになるのに、くすぐったくて悶えてしまいたくなるのを我慢していると、ゼロ……と呟く声。
「やっぱ、変わってる……どーなってんだ? これ」
「ゼロ?」
「数字のゼロだ。なんなんだろうな……病気?」
「……違うと思う」
病気だなんて、そんな、怖い事を言わないで欲しい。
ひょっとして、晴子が私が死ぬみたいな事を言っていたのは、この病気の事を指して……だから、病気なんかじゃないってば。
ぶんぶん頭を振ると、動くな動くな、と千雨さん。ご、ごめんなさい……。
言われた通りぴたりと動かないでいると、いや、服着ていいから、と千雨さん。
……どっちなの?