なりきり妖夢一直線!   作:月日星夜(木端妖精)

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第三十三話 VS巫女

 好きな食べ物って、何?

 

 そう聞いた私に、お兄ちゃんは顎に手を当てて、天井を見上げた。

 うーんとうなって、首を傾げて、それから、お団子? と自信の無さそうな声。

 妖夢の好きな食べ物は、お団子なの?

 問い返すと、お兄ちゃんは私を見て、まあ、それでいいんじゃないの、と言った。

 そうなんだ。

 それじゃあ私、お団子を好きにならないといけないのかな。

 ……クリームソーダは、嫌いにならないといけない?

 そう考えると悲しくなって、泣いてしまった。

 強い子にならなきゃいけないのに、そうしないと、お母さんが帰って来ないのに。

 慌てたように私の頭を撫でながら、お兄ちゃんは、それも好きでいーよ、と言った。

 ほんと?

 ほんとほんと、とお兄ちゃん。

 ぐしゃぐしゃと頭を撫でられるのに、お母さんの優しい手を思い出して、止めようとしていた涙があふれてくる。

 お兄ちゃんは困った顔をして、私の頭を撫で続けていた。

 

 

 ぼたぼたと落ちる涙が、石製の階段に小さな水溜まりを作っていた。

 喉の奥から漏れる嗚咽に体を揺らして、でも、ついた手も、足も、動かせない。

 悲しくて、悔しくて、嫌で嫌で仕方なくて。

 もう何もかもが嫌。お母さんの事も、このかの事も、先生だって、私、好きなのに。

 好きなのに、嫌い。

 もうやだ。

 何も考えたくない。

 だって、考えれば考えるほど胸が締め付けられて、痛くて、泣いてしまう程に気持ちが悪くなって。

 今だってそう。

 私のやるべき事ができなくて、それで死んでしまったというのに、私はいつまでも泣いているだけ。

 そんな自分がいる事さえ、嫌だった。

 泣くような弱虫。

 それって、妖夢なの?

 それでいいの?

 なんで誰も咎めないの。

 これでいいの?

 ……違う。いいはずない。

 何もかも違う。

 私、こんなのは嫌だ。

 あんなに楽しく思えた戦う事でさえ、涙が落ちるたびに胸を痛めつける、訳のわからない気持ちに塗り潰されて、どこかへ消えてしまう。

 私は、そんな私の傍に立って、冷ややかに自分を見下ろして泣き止むのを待っていた。

 体が震えるたびに出る情けない声は、緩やかな風の音に流されていく。

 降り注ぐ花びらが体にかかっても、それが髪に引っ掛かったり、手元に落ちても、涙は止まらない。

 止める手段がわからなかった。

 カチャカチャと鳴る刀の音。耳鳴りに似た、頭の奥でする痛みの音。体の全部に満ちる吐き気。

 いつになったら止まるのか。

 私が良い子になった時? そうして、お母さんが帰ってくるまで?

 ……お母さんは、帰って来ない。

 だって、私が殺したから。

 私が、この手で砕いてしまったから。

 

 違う。

 

 首を振ろうとして、ほとんど震えるだけで終わってしまうのに、息が漏れる。

 お母さんは、お母さんは、もうずっと昔に死んでいた。

 そんなの、わかってた。

 わかっていたけど、だけど、私、お兄ちゃんが言ってくれる言葉に甘えてた。

 いつか帰って来るよ。

 そう言われると、本当にそんな気がして、私は自分を誤魔化していた。

 でも、それは、本当はいけない事だ。

 お母さんは、最後に私の頬に手を伸ばしてくれた。

 痛かったと、思う。

 お腹に穴が開いていた。私だったら、そんなの、痛くて、きっと泣いてしまう。

 ううん、死んでしまうだろう。

 それなのに、お母さんは、私に触れようとしてくれた。

 痛いはずなのに、笑ってくれた。

 ……私が私を誤魔化すという事は、お母さんの、そんな頑張りさえ否定するという事だ。

 無かった事にして、どこかで生きてるなんて夢想して、ただただ事実から目を逸らして。

 それで何になるというのだろう。

 結局、私は何になったのだろう。

 今の私、お母さんに撫でてもらう資格、あるのかな。

 そんな事を考えてしまうと、悲しくて悲しくて、ただでさえたくさん出ている涙が、もっと多く流れ落ちて、顔が熱くなる。目が、痛いくらいに、熱くなる。

 それでも、私は、撫でて欲しい。

 自分勝手だ。

 自分で悪い子になったのに、まだ私は、目を逸らして。

 目を逸らすってなに?

 私は何も悪い事してないよ?

 ほら、また。

 心のどこかで、今の自分を正当化しようとするのを非難する。

 でも、そんな隅っこにいる奴はすぐに感情の波にのまれて消えて。

 また私は、悪い子になる。

 ううん、もう、ずっと悪い子だ。

 きっと、あの日から。お兄ちゃんの言葉に希望を持った、あの日から。

 最初から私、悪い子だったんだ。

 

「…………」

 

 左手に体重を傾けて、震える右手を顔の前まで持ち上げる。

 動かないと思っていた体は、やっぱり簡単に動いて。

 私はただ、泣いて、泣いて、泣く事で自分が悪い子じゃないって、誰かに言って欲しかっただけなんだ。

 涙を流しながら、血に濡れた真っ赤な手を見る。

 染みついて、離れない赤。きっと石鹸で手を洗ったって、この汚れは落ちないだろう。

 こんな手で、このかや、先生や、アスナに触れていた。

 綺麗なふりして、嘘ついて、騙して。

 ねえ、もう、やだよ。

 なんで私、こんなものになってるの?

 忘れたい。

 全部真っ白にしたい。

 ……駄目だ。そんな事したら、誰も私を撫でてくれなくなる。

 誰も、私を覚えてくれなくなる。

 きっと私は、戦えない、ただの人間になってしまう。

 

「……そ、う、だよ」

 

 出した声は、震えてはいたけど、まっすぐだった。

 そうだよ。

 戦えないのは、駄目だよね。

 守れないのは、駄目だよね。

 そうしたら、私、悪い子でいていいよね。

 いいんだよね。ね。

 ……誰も何も言わない。

 誰も答えなければ、誰も否定しない。

 じゃあ、いいんだ。

 そうしたら私、忘れるね。

 悪いの全部、知らんぷりする。

 駄目だ駄目だと咎める何かは、心の中から外に捨てて、私は、そっと空を見上げた。

 

「せいっ!」

 

 上空の桜吹雪を穿つように、三枚の御札が飛んでいって、ふよふよ浮かんでいた妖精や霊を貫き、消滅させた。

 何もない空間から唐突に紅白の影が現れ、飛翔する。花を渦巻かせ、吹き散らし、自分を彩るものとする者。

 あれは博麗霊夢。

 確認するように口の中で呟けば、ぶれるような速さで目の前の敵を躱し、背後から針を投げつける巫女の姿がようやくはっきり目に映った。

 お札や針をばら撒き、白い袖をはためかせ、舞うように飛ぶ蝶のようなその姿に、自分がここに立つ理由を思い出す。

 

「そうだ……私は春を届けるために戦っていた!」

 

 気合いを入れる意味も込めて、よろりと立ち上がりざま、空の紅白に向かって叫ぶ。

 ちらりと私を見下ろした紅白の巫女、霊夢は、興味を示さずに前を向いて敵を殲滅し、しかし再び私の方を見ながら飛び去って行った。

 その後ろ姿に、刀を抜き放ちざまに七発の光弾を放つ。大量のピンクに紛れ、二発ほど妖精に当たりながらも向こうへ消えていった光弾に、恐らく避けられたと判断して、刀を両手で持った。

 ギュ、と痛いほどに握り、自分を律する。

 私は、今、戦わねばならない。

 私の為に、幽々子様の為に。

 その果てに何があろうと、私はただ、刀を振っていればいい。

 最初からトップスピードで階段を駆け上る。霊夢の飛ぶスピードがどれくらいかは知らないが、さっさと追いつき、叩き切ってしまいたかった。

 桜とは別に降り注ぐ妖精や何かを手の甲で弾いたり避けたりしながら、広い場所に出る。

 霊夢は、何故かは知らないけど、広場の向こう、ちょうど階段の始まるくらいの上空で浮かんで、私を見下ろしていた。

 どうしてそこで止まっているのかは知らないけど、追う手間が省けた。

 一度横薙ぎに刀を振るい、石畳に積もる桜を舞い上がらせる。刀の感触を確かめるようにもう一度振ってその全てを散らしてから、霊夢を見上げ、声をかけようとして――背を打たれていた。

 

「っ!?」

 

 ビリッとするような危険は感じとっていた。反射的に背後に刀を回した。それは、間に合っていたはずだ。

 だけど、刀を避けるようにして攻撃されたらしく、私は不格好に地面を転がった。

 それでようやく、霊夢に攻撃されたのだとわかった。

 ……向こうにいたのに、どうやって私の後ろに……?

 考えている間に、剣を杖代わりに立ち上がる。特に考え無しのその行動が、次の攻撃への対応を遅らせた。

 追撃の光弾に胸を撃たれていた。

 防御しようと持ち上げた刀は、体からバランスを失わせる役目しか持たず、その為に私は不安定な体勢で攻撃を避けなければならなかった。

 結果は、この通り。

 再び私は吹き飛ばされて、強かに背を打ちつけた。転がって勢いを殺す事もできない。

 ゲホ、と詰まっていた息を吐き出し、手をついて身を起こす。霊夢は、私を蹴った位置に自然体で立っていた。両手の指に挟まれていた御札はもうなく、木の棒のような武器も持っていない。無手だ。

 だが、確か彼女は体術もいけたはず。警戒しながら立ち上がると、霊夢は「へえ」と感心したような声を出した。

 

「立ち上がるんだ。ガッツがある」

 

 暢気な声。おちょくる風でもなく、嘘を言っているでもない。感心したように一つうなずいた彼女は、さあっと吹いた風になびく長い髪に手を通して、斜めに空を見上げた。

 いい風ね。

 揺れる大きなリボンが、どこまでも彼女の気楽さを表していた。

 風が運ぶ花びらだけでなく、波に乗るように飛ぶ妖精や亡霊なんかも、彼女にかかれば気の抜けた何かに成り果てている。

 ふと、彼女が見ていた空の方から、丸い物が飛来した。黒と白でわけられた球体、陰陽玉。それが、緩やかに回転しながら霊夢の横に来ると、彼女はそれを侍らせたまま私に顔を向けた。

 

「さて、私はこの先に進みたいんだけど」

 

 ……低い声だった。

 片手だけを軽く上げての問いかけ。先程とは打って変わって、気持ちの良い敵意が肌を刺す。赤みがかった瞳に射抜かれると、それだけで身が竦んでしまいそうで、しっかり握った刀を正眼に構え、霊夢の目を、真っ向から睨み返した。

 泣き腫らした目に髪がかかって、ちょっと痛い。

 いや、今はそんな事を気にしている場合ではない。

 努めて険しい表情を作り、霊夢よりも低い声を出そうと試みた。

 

「……貴女は、ここで斬られておしまいなのよ」

 

 最初、声が出なくて、でも頑張れば、言葉は出てきた。

 霊夢は眉を寄せて、明らかに不機嫌そうに腕を組み、ふんと鼻を鳴らした。

 ……ああ、鼻を鳴らすって、そうやるんだ。

 

「半死人はお呼びでない」

 

 お決まりの台詞。

 半分死人で、半分生者。そんな私の半分を否定する言葉。

 なら。

 

「半分は生きてるわ」

 

 私の言葉に、霊夢はぱっと両手を挙げて、両目をつぶったまま頭を振った。

 その腰回りをくるりと周った陰陽玉が元の位置に戻る頃には、霊夢の手には棒が握られていた。先端から垂れる四角い紙の連続が揺れて、ふいに、目が合う。ぐっと足に力を込める様子に、来る、と直感した。

 

「半生者もお呼びじゃない!」

 

 無造作に飛び込んできての突きを、半身になって避ける。その勢いのまま回転し、霊夢の背後をとった。腕を伸ばしきった状態。避けられるはずもない。

 回転の勢いを乗せて刀を振ると、それは滑るように飛んできた陰陽玉に弾かれて、危うく体勢を崩しかけながらも後退した。

 悠々と振り返る霊夢が肩に棒を掛けながら私を眺める。顔には不敵な笑みが浮かんでいた。

 

「はっ!」

 

 縦一閃。振った刀から妖力弾を飛ばせば、その全てを私と同じ動きで避けられた。私と同じならば、当然、その後には反撃がある。

 袖に手を突っ込み、引き抜いた手に握られた四枚の御札が、腕が振られると同時に飛来する。

 かくかくと曲がり、不規則な軌道を描いて迫るそれらを後退りながら斬り払えば、再び霊夢が突進しようと身を屈めているのが見えた。

 馬鹿の一つ覚えか。

 だがあえて、未だ後退して逃げの姿勢を見せる。胸に抱き寄せた刀を立て、霊夢が飛び込んでくるのを待つ。

 ……来た!

 先程と同じように、棒を前に突き出して飛び込んでくる霊夢を、間合いまで引き寄せ、瞬動。急激な加速で霊夢へと迫り、横薙ぎに刀を振り抜く。

 首を狙ったそれは、腕が蹴り上げられるのに失敗した。

 霊夢の姿が消え、その直後に衝撃。体勢を崩された事に焦りを感じながら、転ぶように体を投げ出して前転、石畳を転がって距離を取り、飛び上がって体勢を整える。

 私が着地した音とは別に、もう一つ着地音がした事から考えるに、たぶん、私が霊夢に刀を振る直前に、スライディングでもされたのだろう。着地したという事は、蹴り上げられた……サマーソルトキックだろうか。

 なんて冷静に分析していると、背後から雨あられと色とりどりの光弾が放たれるのに身を縮こまらせて被弾する確率を下げつつ、反転。振り返りざまに前面を薙ぎ払い、道を切り開いてから走り出した。

 幾度も刀を振って光弾を弾きながら走りつつ白楼剣に手を伸ばし、リボンを引き抜く。開放するのは、風の力。それを霊夢に向けて放てば、私を迎え撃とうとしていた彼女は、むっと表情を険しくさせて飛び上がった。

 風の力を受けてふわりと膨らんだスカートが視界の外へ消えていく。……外した!

 空から降り注ぐ針や御札に光弾の雨を弾きつつ霊夢がいた場所を駆け抜け、さらに風の魔法を解き放つ。

 緑の魔力が私の体に渦を巻くより速く飛び上がり、空中で魔法を身に着けると、大きく旋回しつつ霊夢に向き直った。

 その間も光の嵐だ。そう言えば私、空中でこうして撃ち合うのは初めてだ。なるほど、これが弾幕ごっこの感覚。平面ではなく空間的な攻撃は、隙間を見つけるのに苦労しそうで、その実近付いて斬ってしまえばいいのだから楽そうでもあった。

 桜と光弾の合間に、移動する霊夢の姿。それが唐突に消えるのが見えて、私は背後へ刀を振っていた。

 ガキンと打ち合う刀と木の棒。片手から両手持ちに変えて、両手で棒を支える霊夢に押し込んでいく。

 

「あれ?」

「不意打ちとは、やるじゃない!」

 

 瞬間移動? そんな技術、彼女が身につけていたっけ。

 変な顔で私の刀を押し返そうとする霊夢を棒ごと叩き切ろうとしながら叫ぶと、別に不意打ちしようとしたわけじゃないんだけどね! と押し返された。

 飛んできた蹴りに腹を打たれ、怯んだ隙に距離をとられる。そうなったら再び弾幕の雨だ。

 慌てて左へ飛び始めつつ、彼女を中心として円を描くように避けていく。強大な力だ。こんなにたくさん霊力弾を放っているというのに、まったく力尽きる気配が無い。流石は博麗の巫女と言ったところか。いや、私が弱いだけか?

 何度か刀を振って反撃を試みるも、私の弾幕は霊夢の弾幕の波にのまれて、到底届きそうになかった。

 やはり直接斬るしかない。そう結論付けて霊夢に近付いて行くと、霊夢は飛ぶ事を放棄して下へと降りて行った。慌てて後を追って下りれば、陰陽玉を手にして振りかぶる霊夢の姿。

 ……嫌な予感。

 霊夢が陰陽玉を投げると同時、白楼剣から解放した大きな風の魔力を前方に吹き付けると、その中を突っ切って巨大な陰陽玉が飛んできた。三個も。

 刀を支えて、私を押し潰そうとする陰陽玉に備える。下手に避けるより、一個を防いでしまった方が安全だと思ったのだが、襲ってきた衝撃にすぐ後悔した。

 ずしんと腕にかかる重み。折れかかる足に妖力を流してなんとか耐えれば、石畳が割れて足がめり込んだ。

 

「っ、つあっ!」

 

 それでも、気合いを込めて楼観剣に溜まった力を解放する。断命剣「冥想斬」。技名を叫んで気合いを入れる余裕もない。

 押し付けた刀から桜色の光があふれて、陰陽玉を押し返す。刀身に纏わり、その鋭さをを何倍にも増してくれる頼もしい力。足に力を入れて踏ん張り、両手をめいっぱい押し出せば、ついには陰陽玉は真っ二つになって消滅した。

 

「はっ、はっ、はぁ……!」

 

 荒く息を吐きながら刀を構え、霊夢の姿を探す。

 ……いた。位置は変わっていない。ただ、一枚の御札を手にして私を眺めていた。高みの見物とはいい身分だ。でも、地上は私の得意な戦場。空でないなら、簡単に距離を詰められる。

 瞬時に刀を鞘に収め、腰を落として柄を握る。そうまでしても、霊夢は動かない。……カウンター狙い?

 それでもいい。反撃する暇もなく斬ってやるから。

 

「現世斬」

 

 呟き、足裏で妖力を爆発させて突進する。ぐんと伸びる景色の中、私を避けるようにして花弁が過ぎ去って行く。私が飛び出したのと同時か、霊夢が御札を地面に叩きつけるのが見えた。

 ――――!

 目を見開く。

 私の刀が霊夢に届くよりずっと早く、霊夢の手が叩いた地面から広がった、オレンジにも見える光の線が私の体を突き抜けて行った。

 ぴたりと、私の体が宙に縫い止められる。抜刀しようとして僅かに刀身を覗かせる刀も、風にはためいていた髪も、曲がった胸のリボンも、カチューシャも。

 

「ふふふ、馬鹿ねあんた。こんな単純な手に引っかかるなんて、ね!」

 

 私を笑う霊夢が力を込めた腕を振ると、その体から赤青黄緑の光の玉が生み出された。その数八つ。これは……霊夢の十八番?

 

「おしまいなのはあんたの方よ。霊符「夢想封印」!」

 

 宣言と共に飛来した弾が、私にぶつかってくる。馬鹿みたいに霊力の込められた高威力の弾幕。

 だけど霊夢は、一つミスを犯した。

 それは一つ目の霊力弾が当たった直後に、私の体に自由が戻った事。

 硬直が解ければ、当然私はその直前にしていた行動をとることになる。

 すなわち、突進、抜刀。

 夢想封印のせいで勢いが削がれ、押し返されて地面に足がついたって、抜刀しかけの手はすぐさま楼観剣を引き抜き、後続の三発目と四発目を真っ二つにした。それだけに終わらない。体をひねり、刀を返して左右から迫る五発目六発目を斬り、一歩下がって七発目を袈裟切りに。

 くるっと一回転して勢いを乗せ、最後の八発目を二つにした私は、即座に走り出し……向かう先に霊夢の姿が無い事に、ようやく気付いた。

 

「夢想封印!」

 

 気配は、上。

 急ブレーキをかけながら見上げた先では、跳躍したまま広げた手の先で御札を光らせ、八つの光弾を生み出す霊夢の姿。

 その全てが左足の先に集まる中で、飛び蹴りの姿勢に移る霊夢がぐんぐん迫ってくるのにはっとして刀で防御体勢をとる。

 刀の腹に叩きつけられた足に石畳を削りながら押し込まれて、だけど、耐える。咄嗟に込めた妖力はあっけなく割れてしまったけど、多少勢いを削ぐ事ができた。このまま弾き返して、斬って……!

 ずるりと、押し付けられていた足がずれた。……いや、もっと綺麗に、上に移動した。

 目を見開く。位置を修正しようと刀を上げようとして、七色の光が流れ込んでくるのに、腕が上がらなくなる。胸を貫く衝撃にたたらを踏んで、直後、体の中で爆発する力に、意識が飛んだ。

 

「……っ、あ」

 

 げほ、と咳き込むと、血の匂いが口の中に充満しているのに気付いて、もう一度咳をした。

 無意識に握り締めていた胸元の服から手を離せば、自分がまだ立っているのがわかった。

 膝が崩れ落ちかけてはいるものの、立っている。刀だって、構えられてはいないけど、手から離れてはいない。

 よろよろと持ち上げて、しっかり両手で持って構えれば、どうしてか目の前に霊夢がいるのが見えた。

 私の後ろへ突き抜けて行ったはずなの彼女は、私に背を向けたまま立ち上がって、スカートを叩きながら振り返った。

 お、と意外そうに声を上げると、おもむろに私を指差し、それから、親指を下に向けて、あんたの負け、と言った。

 ……負け?

 ……まだ私、負けてない。

 だって、これは弾幕ごっこではない。私は受けてないし、そもそも、これは……。

 

「ただの、夢だから……私、まだ、負けてない……」

「面倒くさい奴ね。もいっぱつ夢想封印くらいたいって事?」

 

 ちら、と御札を見せてくる霊夢に刀を向け、足を開き、腰を落とす。

 ……ん、大丈夫。体は動く。やっぱり私、まだ負けてない。

 刀を構え、走り出す。

 瞬間、大量の弾幕が目の前で展開された。

 防ぐ暇もなく頭に、肩に、胸に、足にぶつけられる光に、倒れる事もできず押し流される。

 こんなの、無理だ。防げる訳がない。私が通れそうな隙間もない。防ぐにしたって、魔法を使う暇も無かった。

 こんなの、一人で相手できる訳……。

 

「うわっ!」

 

 不意に、霊夢の声と共に弾幕が止んだ。

 膝をつく私の前で、ガキンガキンと金属音。石畳に踏み込む音や、擦れる音。鋭い物が風を切る音が断続的に聞こえてきた。

 顔を上げれば、私が霊夢に斬りかかり、棒で防がれ、反撃の蹴りを足で打ち返し、続いた光弾を切り払って後退していた。

 ……あれ、私……?

 私だ。青い目も、銀色の髪も、揺れるカチューシャも、服だってそう。スカートから覗くドロワーズがどうしてか目について、それが激しく動いて霊夢の向こうに入り込むと、ようやく私は気を取り戻した。

 ……半霊だ。

 薄く、半透明の私。私と繋がる感覚。その二つが、答えに行きつかせた。

 ……本当は、ここで目覚めた時からずっと半身の存在を感じ取ってはいたけど……どこにもいないし、現れないし、動かせないから、気のせいだと思っていた。

 ……でも事実として、私の目の前で霊夢と切り結ぶ私の姿がある。間違いなどではない。霊夢が対応している以上、私だけが見ている幻覚という訳でもない。

 霊夢の蹴りを刀で弾き、カウンター代わりに当身で弾き飛ばした私……半霊が、私を見て小さく笑った。

 二体一なら……いけるかな。

 うなずくと、向こうもうなずいて刀を構えるのに、足に力を込めて立ち上がり、私も同じように構える。

 霊夢はとんとんとバランスを崩して下がっている。今なら、畳み込めるかもしれない。

 

「行くよ」

 

 意味があるかどうかはわからないけど、呼びかけてから走り出す。

 合わせて半霊も走り出したのが、感覚……体の上の方の、深い所でわかった。

 同じ動作で刀を振りかぶり、だけどきっと、狙う場所は違う。首とお腹。両手を広げるようにして倒れていく霊夢の目を見据えて、全力で刀を振る。

 ――笑ってる?

 霊夢が笑っている。そう認識した時には、空から降ってきた光にのまれて、視界が真っ白に染まった。

 押し潰そうとする力に、歯をくいしばり、体全体で抵抗する。決して膝をつかないように。絶対に負けないように。

 何秒か、何十秒か。永遠にも思えるこの時間は、もっと短かったのかもしれない。

 雨が止むように途切れた光に、力を入れていた体は跳ねるように起きる。

 耐え切った。そう喜ぶ前に、目の前に迫る銀色の影に、腹を蹴りつけられていた。

 

「ぎっ、ぐ!」

 

 受け身もろくに取れず、石畳を転がる。回転する視界に見えたのは、腕を組んで立つ霊夢の前で、足を伸ばしきった状態のメイドの姿。

 十六夜咲夜。なんで、ここに。

 

「おりゃーっ!」

「ぐうっ!」

 

 誰かの気合いの声に紛れて、私の声が聞こえたかと思えば、勢いを無くして寝ていた私の傍に、私の半身が転がされてきた。何事かと手をついて僅かに身を反らし、霊夢達の方を見れば……咲夜の隣で、箒を伸ばしきった状態の霧雨魔理沙の姿があった。

 ――馬鹿な。

 目の前の光景が信じられなかった。

 現実味がわかなくて、だって、そんな気配は無くて。

 霊夢との戦いに夢中になり過ぎて、周囲への警戒がおろそかになっていた? そもそもここは一対一になる場所ではないのか?

 様々な疑問が頭の中をぐるぐる回るうちに、言葉も交わさず、三人が私達の方へ来た。

 だが、すぐに攻撃はこない。

 よろめきながらも、半身と身を預け合うようにして立ち上がり、腕に力が入らないために弱々しく刀を構える私と半霊を取り囲むように、霊夢と魔理沙と咲夜の三人が立つ。

 それぞれが手に持っていたカード状の物が光って消えると、周囲に力が満ちる。

 周囲一帯の桜の花びらが渦巻きながら離れて、私達の周囲だけが空間としてできあがっている。

 霊夢の周囲に、八つの光弾が生み出されて揺らめく。

 魔理沙の構える小さな八卦炉に、黄金色の魔力が玉となって集まっていく。

 咲夜の姿を塗り潰すように次々と浮かぶナイフは、その全てが私達に向けられていた。

 

「これで終わりよ!」

 

 霊夢の声と共に、全てが放たれる。

 回避する術は無い。迎え撃つ以外に、私達に残された手は無かった。

 最大の技で、最高の魔法で。

 光が満ちる。

 私と半霊は示し合わせたように白楼剣へ手を伸ばし、リボンを、秘められた全ての魔法と共に引き抜いた。

 

 

「……けほ」

 

 喉の奥に詰まる熱いものに咳き込もうとして、咳が出ないのに、わざとらしく声を出す。

 周囲の石畳があった場所は、綺麗な円を描くように地肌を剥き出しにしている。

 焼け焦げた跡から黒煙が上がるのを眺めて、それから、傍に浮かぶ半霊を見た。

 ふよふよと上下する半透明。伸びた尻尾がひょろひょろと動いているのに、もう一度咳をして、それから、階段の上を目指した。

 何を考える事もせず、足を上げて、踏み出して、重い体を押し上げて。

 そうすれば、お屋敷が見えてきた。

 広い庭に面する縁側に、幽々子様の姿を認めて、知らず笑みが浮かんでしまう。

 

 近付いて行けば、幽々子様は私を見てくれた。

 暗い瞳。私を見透かして、でも、全部を受け入れてくれる綺麗な瞳。

 おいで、と手招きされるのに近付けば、何も言わず、私を腕の中に招き入れてくれた。

 両手を体に当て、頭を押しつけても、咎める事無く背に腕を回し、優しく抱きしめてくれる。

 目をつぶると、怪我の痛みが薄れて、流れていた血や汚れを残して消えていくのがわかる。むずがゆくて体を揺らせば、静かに、幽々子様の手が動く。

 きっと浮かべているだろう優しい表情を想像しながら、胸に顔をうずめる。

 暖かいか、柔らかいか、わからないけど、きっと、暖かくて柔らかいのだろう。

 溶けるように落ち着いていく心に、幽々子様の声が染み込んできた。

 もう一度。

 

  ――もう一度ここへ来たいなら……もっと強くなりなさい。

 

 もっと強く、もっと堕ちて。

 そうしたら、また――。

 

 肩を撫で、そのまま背中に滑って行く手に、体が熱くなる。安心して、自然と笑顔になってしまう。

 はい。私、もっと強くなります。

 もっと、おちます。

 いっぱい斬って、戦って、強く強くなって。

 そうしたら、幽々子様。

 私のお母さんに……。

 

 決して口にできない事を心の中で呟く。

 幽々子様は小さく笑って、細い指を、私の後ろ髪に通した。

 それから、そっと肩を押されるのに、名残惜しく思いながらも離れる。

 うん。私、行かなくちゃ。

 ずっとここでこうしているのは、いけない事だから。

 

 まぶたの裏の暗がりに誰かの笑顔が浮かぶ。

 このか? 先生? それとも、アスナ?

 どれでも、一緒。守らなくちゃならないもの。

 だって、それがなくなったら、私に笑いかけてくれる人なんていないから。

 ここに来なくちゃ、笑ってくれる人がいなくなっちゃうから。

 

 胸の痛みも、体の痛みも、息のできない苦しさも、全部が戻ってきて、だけどそんなの気にならない。

 じんじんと打たれた腹が痛むのは、きっと私が生きているから。

 じくじくと擦れた背中や腕が痛むのは、私にまだ、血が流れているから。

 意識が落ちていく。私が、暗闇の中に溶けていく。

 心臓が脈打つと、全身が痛んで、壊れてしまいそうだった。

 ――ああ、苦しい。


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