なりきり妖夢一直線!   作:月日星夜(木端妖精)

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第三十二話 ささやく影達

 姿勢は低く、右手で持った刀は左に伸ばし、老人の前へ踏み込むと同時、風を裂くように振り抜く。

 雨粒を斬る感触が先に、その後に、防御に回された腕を削る感覚。

 ガリガリと光の粉が舞って、小刻みに跳ね返される刀を無理矢理振り抜き、さらに深く踏み込んで刀を翻す。手の甲で殴るような動きで迎撃され、だけど、然程力を込めていないのか、腕に食い込んだ刀は軽く押し返されるだけに止まった。

 なんて言っても、油断すればすぐにでも弾き返されてしまいそうな力。

 こいつ、人間じゃない? 尋常でなく力が強い。

 

「うむ、良い踏み込みだ」

 

 歯を食いしばって楼観剣を押し込む。と、唐突に腕が外れて体がぐらつくのに、慌てて足を出して止まる。

 その隙にか、刀の半ばをがしりと握り込まれた。

 

「む?」

 

 反発する刀が老人の手の中でバチリと弾け、だけど、それだけ。

 どうしてかそれで静かになって、老人が刀を手放すまでにはならなかった。

 おかしいのはそれだけじゃない。

 刀身に纏わるように淡く鋭く輝いていた桜色の光さえ、元々無かったかのように消えている。

 私から吹き出す黒い炎……影達も、怯えるように全て私の中に引っ込んでしまった。

 途端、胸を食い潰す怒りと悲しみがそのまま体中に広がって、手から力が抜ける。

 じわりと涙が滲むのに、あ、と声が漏れた。

 

「妖夢さん!」

「こっちや、おっさん!」

 

 先生が地上から、五人に増えた少年が空中から老人に飛びかかるのに、老人は刀から手を離して対応した。

 その隙に瞬動で後ろに下がり、距離をとる。

 

「っ!」

 

 だけど、なぜか妖力を上手く爆発させられなくて着地に失敗し、勢いのまま地面を転がってしまった。

 予想外の事に咄嗟の判断が追い付かない。何度も背を打つ鞘の痛みだけが意識の中にあって、でも、すぐに手をついて跳ね起きた。

 

「黒いの消えたゾ!」

「今がチャンスデスー」

 

 しっかりと両足で立とうとして、だけど変に力が入らなくて、右足ががくんと落ちるのに片膝をつく。

 そこに、水の少女二人が飛びかかって来た。

 対応しようとしても、体が言う事を聞いてくれない。敵を睨もうとした目は涙に濡れて、眉が下がって、情けない顔になってるのが自分でもわかる。

 だって、悲しい。

 お母さんを殺してしまったから。

 もう何もしたくない。

 撫でてもらえないなら、抱きしめてもらえないなら、生きていたって仕方ない。

 

(とら)えマシタ!」

「でかしたあめ子! このまま閉じ込めちまうゼ!」

 

 正面から、文字通り腕を伸ばして抱き付いてくる眼鏡の女の子に、腕も刀も拘束されて、それでようやく気を取り戻す。

 何言ってるの、私。

 私、関係ないよ。

 違う。妖夢は関係ない。

 だから、私、違うの。

 お母さんなんて知らない。

 ああそうだ。

 誰だったんだろう。あの女性は。

 たぶん、敵だったんだろう。

 だから殺して正解だった。

 

 組みついてくるツインテールの少女を眺めながらぼやっと考えて、それから、思い出す。

 こいつらを倒せば、きっとこのかは私に笑ってくれるだろうって。

 だから私、こんな事してる場合じゃないんだ。

 

「ぎょわわ! 黒いの出てきてマスー!」

「もーちょい! もーちょい踏ん張レ!」

 

 握っているとはお世辞にも言えない、柄に触れているだけの手に力を込め、水少女――アメコの腕の中で左腕を動かし、しっかり両手で刀を握る。

 それから、目を閉じて集中。

 イメージするのは、妖力による爆発での全方位攻撃。

 前は……修学旅行の時にはできなかったけど、今の私なら……。

 できるよ。

 体の中からした声に押されて、ふっと息を吐いて力を抜き、次には、全身に妖力を廻らせ、爆発させていた。

 パァンと軽い音がする。水が弾けたような音。

 不可視の妖力に吹き飛ばされたアメコとツインテールの少女は、さらに追撃と吹き出た黒い炎にまかれて大慌てで逃げ出した。

 腕についていたはずの炎はなぜか消えているけど、ううん。あの水達はどうでもいいの。

 先生と少年は、あの老人に苦戦している。私も加勢しないと。

 その場で腰を落として拳や蹴りをさばく老人に、右へ左へ跳ねまわる先生と少年が少し邪魔で、だけど、不意打ちし返すなら今がチャンスだろう。

 妖力を練り、足の下へ流していく。

 流れ落ちる熱い力を感じながら白楼剣へと手を伸ばし、リボンを引き抜いた。

 その勢いのまま楼観剣の柄を掴む。手の平にあったリボンは溶けて消え、刀身に流れる炎の魔力が、そのまま現象となって渦巻いた。

 老人の方を見たまま後ろへ跳ぶ。

 水の少女が二人、私がいた場所に殴りかかっているのを見ながら着地し、同時にもう一度後ろへ小さく飛び退く。吹き出した影が刀身の炎へ交じり合い、紅を黒に染めていく。

 ボウボウとうなる炎の剣を右へ振り、それから、再度の着地の際に瞬動、未だ足を曲げ、勢いを殺そうとしている少女二人に迫り、一息に刀を振った。

 両断。

 悲鳴も無く、ただ水の蒸発する音を後ろに、二歩ほど素早く走り、再び妖力を爆発させて突進する。

 

「――現世斬」

 

 伸びた景色の中に、呟いた声が綺麗に響く。

 先生と少年の間を通り抜け、左へ流していた刀をそのまま老人の腹に叩き込む。

 二人の攻撃を払っていて両腕が使えなかった為か、これ以上ないくらい鮮やかに入った。

 伸びる桜色の光を引き連れて突き抜ける。体は前に出たまま地面を擦って止まれば、遅れて巻き上がった水が霧となって私の体に降りかかった。揺れる黒い炎が全てを飲み込む。

 残心。

 一度全て力を抜いてしまって、それから、ゆるりと振り返った。

 

「づあっ!」

「せっ!」

 

 私の後に続くように攻撃を仕掛けた先生と少年が瞬く間に迎撃される。

 やはりというか、老人はまるでこたえていない。手応えはあっても、それはいつものように、分厚い鉄を削るようなものだった。

 わかり切っていた答えでも落胆してしまう。どれだけ私の剣の腕は未熟なのか。吸い込まれるように決まったというのに、ダメージを与えられないなんて。

 いや、悔やんでいても仕方ない。先生とあの少年だって、何度殴られても蹴られても立ち上がって、攻撃を仕掛けている。それが効いていないにしても、私にやれることは相手が倒れるまで刀を振り続ける事だけだ。

 まあ、攻撃の手段はその限りではない。

 走り出しながら白楼剣のリボンを抜き取る。解放するのは、石の力。岩の魔力。

 足下から前へと斜めに突き出したそれに押し出されるように、勢いを強めて飛び上がる。

 体勢を整え、飛び蹴りの姿勢へ移行しつつ、再度リボンを引き抜いた。今度は風と雷の魔力だ。

 足に纏わる暴風とバチバチ弾ける雷を叩き付けるべく、ちょうど少年を腕で薙ぎ払った老人の胸へ蹴り込んでいく。

 どしりと足に強い衝撃が返ってくるのに声が出そうになって、でも、それよりはやく魔力が掻き消えるのに目を見開いた。

 驚いたように僅かに目を開けて私の足を見ていた老人は、しかし魔力が消え、ただの飛び蹴りにしかなっていないとわかると、不敵に笑って私の足を掴んだ。足首が全部手に包まれて、そのままぐるんと視界が流れる。

 

「う、あっ!」

 

 体中に何かがぶつかってきて、咄嗟に閉じたまぶたの裏に火花が散る。ガンと揺れる頭のどこかで、先生の声を聞いたような気がして、その時にはもう、私は硬い地面の上を転がっていた。

 

「っ、妖夢さん! この人に魔法は効きません!」

 

 肘で地面を押し出し、跳ね上がる。先生の忠告を聞き流しながら体勢を整えて着地し、低い姿勢で走りだす。つーか誰やお前、と少年が言った。お前が誰だ。

 そんなやり取りをしている間に、少年が弾き飛ばされ、先生もまた老人の拳を杖で防ぎ、勢い良く地面を擦りながら後退していた。途中で姿勢を崩して地面を転がる先生から目を外し、老人に肉薄する。

 振った刀を腕で反らされ、反撃の拳を戻した刀で防ぐ。瞬間的な判断でカウンターへと切り替え、拳を弾くと、凌いだというのに腕全体に痺れが走って、刀を取り落としそうになった。

 ボボボ、と空気を穿つ音がして、ほとんど同時に三発のパンチが飛んでくるのに、後ろへ体を反らし、とんとんと後退しながら楼観剣で凌いでいく。そのたびに老人の笑みが深くなっていくのが、目の前で見えた。

 顔を狙った拳に、必死の思いで刀の腹をかざす。一瞬刀で視界が隠れ、続く衝撃に備えて体を固くし――身を引く老人に全身が総毛だった。

 

「がっ!?」

 

 何をする暇もなく、ぐんと伸びてきた足に腹を蹴られ、吹き飛ばされる。攻撃の瞬間、お腹に集中させた妖力の鎧、簡易的な障壁は容易く砕け、光の欠片となって散っていた。

 私の声とは別に、少女達の悲鳴が聞こえる。しゃがみ込みながら勢いを殺して止まり、痛むお腹を押さえると、私の体から吹き出していた黒い炎がその部分だけ消えていた。……いや、私の中に逃げてしまっていた。

 魔法が効かないと先生は言ったけど、影さえ眠らせる力があの老人にはあるというのだろうか。

 確かめる必要がある。

 リボンを引き抜き、炎の魔力を解放する。渦巻く炎は、雨を蒸発させながら私をぐるりと廻り、それから、私の前面に球体となって待機した。

 行って。

 私の声に、影達はずるずると体の中から抜け出て、炎の中にどろどろ溶け込んでいった。

 

「はっ!」

 

 背後に迫った先生を見もせず殴り返し、掴みかかろうとした少年の腕をとって投げ飛ばした老人に向けて、立ち上がり、両手を広げて炎の魔法を放出する。

 

「ふむ」

 

 ただ立っているだけの老人の前で、見えない壁に阻まれるかのように炎がぶつかり、散っていく。

 壁を突き抜けた影さえ、老人に触れたくないとでもいうように避けて、私の方へ戻ってきてしまった。

 私の体に影が染み込むと、ドクドクと体中が脈打って、特に刀を握る腕にそれを感じて、無意識に押さえる。

 先生が言っていたのは本当らしい。背後でアスナの悲鳴がするのに何事かと振り向けば、アスナの胸で光るものがあって。

 

「今度はこちらから行くとしよう」

 

 気負いのない声に、咄嗟に刀を振っていた。

 真正面から私に迫っていた巨大な拳を刀で弾き、半転、回し蹴りを叩き込む。

 多少の()しになるかと妖力で強化した蹴りは、しかし反対の手の平で止められてしまった。

 また掴まれては堪らないとすぐ引き戻す中で、二発のパンチを捌き、体勢を整えた後は跳ね上がるような蹴りに真っ向から刀を振り合わせてかち合わせると、僅かに拮抗した。

 しかし、桜色の光が刀身に収まりきるのを待たずに腕を弾き上げられ、素早い拳が腹を打つのに体が折れる。

 だけどそれで、刀の位置が下がった。続く二発目三発目は、片目をつぶってしまっていたとしても、なんとか凌ぐ事ができた。

 うぐ、重い……!

 防ぐたび、手の骨が折れそうになる。ギィンと響く金属質な音が腕に伝わって、弾けそうに痛む。その痛みを抑えてくれるはずの影達は、老人と接触するたび、恐れるように引っ込んでしまって、そのせいで感情の波が胸の中をぐちゃみどろに掻き回すのに、噛み締めた歯の隙間から悲鳴が漏れる。

 この痛みは、もはやどうしようもない。

 

「大した強化もなしによく追いつくものだね。では、これはどうかな?」

「ぐ、がっ!?」

 

 反撃に、楼観剣の柄を握る両手ごと押し出すように殴りつけると、払うように逸らされた。持って行かれそうになった体にバランスを崩す。その隙を逃さず、神速の拳が放たれた。

 あごに、喉に、お腹に、持ち上がった足に。

 肉を打つ重々しい感覚。突き抜ける痛みは、痛いと思う前に意識の外に消えていく。

 なんとか後ろに足を出して、地面から離れてしまいそうになる体を押し止めていると、眩しい光。

 老人が腰元で引き絞る拳に、魔力が集まっていた。

 凌ごうと老人との間に刀を差し込んで、はっと息をのむ。

 無理だ。あれは、凌ぎきれない。

 

「ああっ!」

 

 耳元をうなる風が、光が私を突き抜けた事を教えてくれた。

 胸を穿つように叩きつけられた拳に、今度こそ吹き飛ばされる。体勢を整える余裕などない。体がばらばらになってしまいそうだった。

 弾かれた刀がどこかに落ちるより速く地面にぶつかって跳ねる。ゴキリと腕の折れる音が体の中に響いた。

 

「っ、ぐ、うう!」

 

 下半身をひねって、無理矢理着地する。ズシャアと舞い上がった水が体にかかって、熱くなっていた体が少しだけ冷える。

 押さえた右の二の腕がドクドク脈打っていた。きっと、そこが折ってしまった場所。

 影のおかげか、それともそれ以外か、幸いにして痛みはない。

 まだ戦えそうな事に安堵して立ち上がると、感心したような声が遠くに聞こえた。

 

「大丈夫ですか!」

「センセ、前!」

 

 水を跳ねあげて私の下まで来た先生に、前方の光に気付いて声を張り上げる。

 先生に注意をしたものの、光が狙っているのは私だった。

 攻撃に気付いた先生が体を投げ出して私の前に来るより速く、視界いっぱいに魔力が広がって、額を砕かれたかのような痛みに地面に叩きつけられた。

 そのまま地を滑って、途中からは転がって勢いを殺す。流石に折れている腕が痛むのに、半開きの口の端に唾液が伝った。

 無事な左腕で手をついて立ち上がると、私の方に来ようとしていた先生が、飛んできた少年にぶつけられて諸共吹き飛ぶ。

 

「せん、ぎ、あ……!」

 

 思わず呼びかけてしまいそうになった。

 でも、老人が再び光る拳を構えているのに気付いて、地を蹴って飛び込んでいく。

 風が吹き抜けた。

 同時に、光が私に迫る。

 空中で躱せないまま、だけど、折れた腕も動かして、両腕で上へと凌ぐ。上に重ねた左手の小指が折れる振動が、はっきり伝わってきて、なのに痛みは無い。

 雨の中を突っ切って行く。

 地面を打つ水の音。振るわれた拳の音。背後で何かが壊れる音。アスナやこのかの悲鳴。

 全部、聞こえている。老人が小さく笑う声さえ、雑音に遮られる事も無く耳に入ってくる。

 腕を伸ばしたままの老人の懐へ潜り込むと、すかさず控えていたもう片方が伸びてくるのを肘で横へ弾き、ぐんと右足を上げる。

 私の足を追うように飛んできた膝蹴りを踏んで、その勢いを乗せて顎への膝蹴り。

 

「ぐお!」

「っ! ん、ん!」

 

 膝が壊れてしまった気がする。

 でも、かなり威力の高い攻撃を当てられたはずだ。

 あごをかち上げられて仰け反っていく老人の目が、私を捉えている。

 同じように、私の目だって、楽しげに細められた老人の目を捉えている。

 無数に落ちる雨粒さえ緩やかに見える時間。この瞬間を逃す程、私は馬鹿ではない。

 あらわになった老人の首に足裏を押し付け、瞬動を行う。

 瞬動とは、妖力の爆発によって行われる移動術だ。転じれば攻撃になるとは、誰が言った言葉だったか。

 肉が弾けて、景色が伸びる。

 足の先で膨れ上がった熱が爆発すると同時、私の体はロケットのように後方へ吹き飛んでいく。

 その、瞬間。

 足首を掴まれていた。

 先程と同じように、でも、今度は勢いがあって。

 揺るがない老人に代わり、当然のように、ダメージは全部私に返ってくる。

 

「!!」

 

 足がビキリと鳴って痛むのに、もう声も出なかった。

 

「悪魔パンチ!」

 

 背を打つ拳に打ち上げられて、後ろへ向かっていた勢いが消える。

 代わりに、ふわりと浮いた私に、もう一発光が飛んできた。

 波にのまれるように体が舞って、目の前が真っ白で、上も下もわからなくて。

 気がついた時には、先生に抱き止められていた。

 

「妖夢さん! はぁ、はぁ、妖夢さん!」

「…………」

 

 息も絶え絶えで私の名前を呼びながら覗き込んでくる先生を見返す。遠くで聞こえる少年の気合いの声が破壊音にまみれる中で、泣き叫ぶ影が暴れて先生の肌を焼くのに、どうしようもなく悲しくなった。

 悲しい。

 でも、悲しいだけじゃない。

 影に焼かれ、首や頬に火傷のような痣を作りながらも、先生は私を見てくれていた。

 それが嬉しかった。

 それに、楽しかった。

 ぐちゃぐちゃになる体に、喉の奥からあふれる血の匂いに、胸の下や背中の近くで潰れて割れた臓物の感覚が、私の高揚感を煽って、この戦いへの期待を否応なしに押し上げていく。

 それで、私、わかった。

 斬りたいんじゃないんだ、って。

 私、戦いたいんだ。

 剣でもいい。拳でもいい。とにかく、体をぶつけ合うのならなんだっていい。

 いつか、先生が言ってたサッカーとかいう格闘技でも、なんでも。

 楽しんでるのよ? 先生。私、今、痛いけど、とっても楽しいの。

 悲しいのも、気持ち悪いのも、怒りたいのだってあるけど、楽しいのもあって。

 だから、そんな顔をしないで、先生。

 

「は、はっ……!」

 

 先生は、荒い呼吸を繰り返しながら私の目を覗き込んでいた。

 ……違う。

 先生は、私なんかは見ていない。

 傷ついている生徒を見ているだけだ。

 その証拠に、先生は顔を上げてどこかを見て、ぼそりと呟いた。

 みんなを、助けなきゃって。

 それはきっと、意識せず言った事なのだろう。

 先生は私に顔を戻すと、私の口元を手の平で拭い、それから、優しく頭を下ろして、寝かせてくれた。

 

「妖夢さんは、っふ、ここで、じっとしていてください。あの人は……僕がやっつけますから」

 

 落ちてきた先生の汗が目の下に当たって、伝い落ちる。

 すぐに去って行ってしまった先生を見送ってから、目をつぶって、ごめんね、と呟いた。

 影がざわめく。

 

しんじゃう。しんじゃうよ。

しんじゃうまえに殺しちゃおう。

とりかえして。とりかえして。

てつだうから、とりかえしてね。

 

 それは、先生に向けた言葉であって、影達に向けた言葉でもあり、お母さんに向けた言葉でもある。

 もう、自分でもなんだかわからない感情に、責められて、(さいな)まれて、楽しいのが押し流されていく。

 うん。

 うん。

 だって、そういうのじゃないんだ。

 そういう戦いじゃ、ないんだ。

 楽しむ戦いじゃない。この悲しみや怒りを、全部ぶつける為の戦い。

 そして、斬って知る為の戦い。

 倒れてる場合じゃないってのは、変わらない。

 

「妖夢ちゃん! だいじょう……!」

 

 傍に、ぐったりしたアスナがいた。横には水少女が二人控えている。

 随分縮んでいて、私を攻撃してくる訳でもなく笑っているのを眺めていると、胸が締め付けられるように痛むのに眉を寄せた。

 体、動かない。

 起き上がろうとしても、全然動いてくれない。

 ただ、体の中で何かが蠢いて、どんどん重くなってくるのに、なんとなく察しはついた。

 死ぬんだ、私。

 肯定するように、影が揺らめく。

 だから、早くやっつけなきゃいけなかったのに。

 私が死ぬより速く、あいつを殺さなきゃならなかったのに。

 息ができないのに、体が動かないのはなんでなのかやっと理解する。

 胸の辺りが熱くて、でも、そこが一番痛くなかった。

 ただ、肺に突き刺さる骨の感触や、中で広がる血の感覚だけが感じられる。

 だんだんと遠退く意識に、近くにいる為か、雨音に交じってアスナの声だけが聞こえる。

 先生を呼んでいた。私の名前を呼んで、それから、先生の名前を何度も。

 間延びした声が、途切れて消える。

 目を閉じれば真っ暗闇が私を包み込んだ。

 

 悔しいな。

 だって、私、助けたかったのに。

 倒したかったのに。

 じゃないと私、なんの為にここにいるんだろうって、思ってしまうから。

 このかを助けられないんじゃ、先生のお手伝いもできないんじゃ、いる意味なんて無い。

 それこそ死ねばいい、か。

 

 だめだよ、と影がささやくのに、笑って返そうとして、でも、もう体のどこにも動かせそうな感覚は無い。

 だから代わりに、心の中で返事をした。

 そうだね、って。

 半霊さえ見つかっていれば、あんな奴、簡単にやっつけられたはずだ。

 そうでなくても、もっと修行を頑張っていれば、もっと技術を覚えて、もっともっと強くなっていれば。

 考えてもきりがないのに、次から次へわいてくる考えが、悔しい気持ちに変わる。

 手が足りない。

 先生と私と少年だけじゃ、足りないの。

 やっぱり、セツナがいないと駄目なのかなあ。

 ……私だけじゃ、駄目なのかな。

 

「ネギーッ!!」

 

 暗闇の中で、どうしてかその名前だけは、はっきり聞こえた。

 それも、もう途切れる。

 影だけが、私の中でずっと動いていた。


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