読まなくても問題なし。
全部晴子が悪い。
読まない人向けの今回のお話。
南の島で海を初体験。海は誰かが作ったスープだと思う。
佐々木まき絵と大河内アキラの二人と泳ぎで競争し、仲良くなった。
次回の更新は本日中にしたいと思います。
次話から悪魔編かな。
強い日差しが降り注いでいる。光を反射した海がきらきらと輝いていて眩しい。
寄せる波が砂浜を濡らし、飛んだ飛沫が、暑さの中に少しの涼しさを運んでいた。
熱い。
サンダル越しにも感じる砂の熱。立ち上る熱気が、息をするたび鼻と喉を焼く。
でも、そんな事、気にならなかった。
話で聞いたのとは違う。字で読んだものとはもっと違う。
聞いていたよりもっとずっと大きくて、視界の外まで広くて、それになにより、透き通る水が、その底がとても綺麗で。
感嘆の息が漏れてしまう。
足を濡らす波の感触は、冷たいだけじゃなくて、ゆらゆら揺らめいていて、波が引っ込んで行く時には、私の体まで引っ張られてしまう。
穏やかだった。
そして、とっても。
「……きれ」
「海だぁーっ!!」
「きゃっほーお!!」
「ダーイブ!!」
ザブンザブンザブン。
いくつも立ち上がった水柱が、飛沫となって襲い掛かってくるのに、何もできずに濡れる。
静かで優雅な海辺に、きゃあきゃあと騒がしさが広がり始めた。
「…………」
言葉が出ない。
なんというか、何も言えなかった。
唇の端に流れ落ちてきた水滴を舌ですくうと、舌の先にぴりりと刺激が走った。
ん、しょっぱい。
海の水がしょっぱいというのは、本当の話だったんだ。
……実は私には、海に対する一つの仮説があった。
それは、海が誰かの作っている大きなスープなのではないかという考え。
だって、誰も何もしてないのにしょっぱくなるなんて変だ。
きっと誰かがたくさんお塩を入れて、それで、でっかいお玉でかき混ぜているに違いない。
だから波ができているのだと、私は思うのだ。
ふふふ……私って、実は結構頭が良いのかも。
そんな事を一人で考えて一人で笑っていると、遊べー! と叫びながら駆け寄ってきた鳴滝姉妹が飛び蹴りを放ってきたので、横に転がって避ける。蹴られてはかなわない。
高く上がった水飛沫が姉妹にかかって、うあー、と変な悲鳴が上がるのを聞き流しながら立ち上がると、すぐさま立ち直った二人に両脇を固められてしまった。
「何突っ立ってんのー?」
「遊ぼうよ!」
突っ立ってる? ずんずんと海の中へ連行されているこの状態を突っ立っていると表現するのは、なかなかユニークな事だ。
とりゃ! とかけ声付きで放り投げられるのに、一瞬で体勢を整えて……なんてできるはずもなく、そのさなかに水に沈む。ザブンという大きな音が、水の中に沈んだ時にはくぐもった音に変わっていた。
衝撃に備えてつぶった目を開く間もなく、手足を動かして、ほとんど体を丸めたまま水面に出る。ぷは、と息を吐き出すと、私の両側に鳴滝姉妹が飛び込んできた。横殴りの雨みたいに飛び散る海水を腕で防ぐ。……う、口の中入った。しょっぱい……。
どこかの誰かは、塩加減を間違えすぎている。文句を言いたい。
足を伸ばせばすぐに地面につくのに気付いて立ち上がる。意外と浅いな、なんて思っていれば、あそぼあそぼとやたらテンションの高い二人に水をかけられて、仕返しに水を蹴り上げた。
ギャー、と声が上がる。
「お、何やってんの? 混ぜて混ぜて!」
「ゆーなが来たぞ! かけろかけろ!」
「やっちゃえ!」
「ふははは、私を倒せるかー!」
すぐ傍で他の人と水をかけ合っていたユーナがこちらへ寄って来ると、姉妹が反応して水をかけるのに、ノリ良く両手を振り上げて襲い掛かって来た。
だがしかし、あまり親しくも無い人に無遠慮に水をかけていいものだろうか。
そう躊躇していると、ユーナは瞬く間に鳴滝姉妹を水の底に沈めて、今度は私に狙いを絞って来た。……水死体にも見える二人は、たぶん、そういうフリなんだろう。
しかし、お構いなし、か。ユーナは笑いながら、ばしゃばしゃと私に水をかけてくる。当然、避ける私に当たりはしないが、そうじゃなくて。
その距離感が、ちょっと、言ってはいけないのだろうけど、鬱陶しい。
だって、私とユーナはクラスメイト以外のなんでもないのに、こう、親しい雰囲気を出されると、よくわからない緊張に胸を締め付けられて嫌だ。
「くらえ、水鉄砲!」
腕ですくい上げて投げられた水を避けていると、組み合わせた両手を水面につけたユーナが宣言して、ぴゅーっと水を放出してきた。む、そんなの、範囲が狭まってるからさっきより避けやすい。
さっと半身になって水を躱せば、薙ぎ払うように横に移動した水に胸元を撃たれてしまった。
動かせるなんて、私聞いてない。
という訳で、敗者はぷかっと水に浮かぶのみ。
水越しに、うわ、マジで死んでるみたい……と若干引き気味の声が聞こえてきて、ちょっと虚しくなった。
「勝利! って訳で、三人には言う事を聞いて貰いまーす」
「えー、何それ!」
「ズルいです!」
私達を立ち上がらせたユーナは、Vサインと共に勝利宣言をして、それから、私達に一つ命令を下した。
飲み物用意しといて、だって。
不満気に水から上がって歩き出す二人を追って、私も上がる。パシリやんけ、とフウカが言った。文句は言っても、従いはするんだ。
浜辺に刺さったパラソルの傍に控えているお手伝いさんみたいな人に事情を話すと、すぐに飲み物が用意された。速い。これなら、すぐに戻れそうだ。
と思っていたら、どうやら二人は砂で遊ぶ事にしたようで、波打ち際に座り込んで泥を捏ねだした。
そしたら、私は……泳いでよっかな。
一度ユーナに飲み物の用意ができた事を伝えておいて、海を泳いでいく。
……?
……!?
「ぷはっ、いっ!? め、目がっ!」
海の中が綺麗なものだから、眺めながら泳いでいると、唐突に目に走る痛み。
何これ。痛い。目、凄く痛い。
「うー……」
目を擦りながら水から上がると、その様子を見ていたのかこのかが駆け寄ってきて、大丈夫? と心配してくれた。うん……。でも、ちょっと、目が痛い。
なんで……あ、塩か。それは、そうだ。海には塩が入っているのだから、その中で目を開けていれば痛くなるのは当然だ。……当然なんだろうか?
まあ、お風呂とかとは違うのだろう。
「はい、目ー開けてー」
「ん」
このかが持ってきた目薬を差してくれるというので、言われるがまま上を向いて、やってもらう。……うえ、染みる……。
でも、これで良くなるんだよね。
そう思うと、ちょっと痛みも引いてきたかも。
「ふふ、休憩しよか」
手を引かれて、パラソルの下まで歩く。タオルを渡されたので、顔を拭いて、それから、腕と、えっと……水着も? 疑問に思って見上げたこのかがうんとうなずくのに、水着も拭く。
放って置けばこの暑さだ、すぐに乾くらしいけど、一応、拭いた方が良いんだって。
変な形の椅子に腰かけて、大きなグラスでジュースを頂く。変な味。とろぴかとかなんとかいうジュースらしいが、うーん、微妙……。いや、おいしいけど、クリームソーダにはかなわない。
十数分もすると、いっぱい遊んどいで、とこのかに言われるままに泳ぎに行く事にした。
その前に、準備運動だ。さっきはしないまま入ってしまったが、泳ぐ前にはこれが必要なんだよね。
体を前に倒して後ろにぐいっと、前後屈をやっていると、隣に長身の女性がやってきて、準備運動をし始めた。えーと、誰だっけ、この人。凄い髪、長い。
「……君、泳ぐの上手だね」
腰に手を当てて仰け反りながら横目で見ていると、体を折って腕を伸ばしていた女性が、静かに話しかけてきた。遠くに聞こえるきゃーきゃーという騒がしさの中では、その声は不思議なくらい落ち着いていた。
笑いかけられるのに、体を戻して女性を見る。ちょうど、女性も上体を起こした所だった。目が合うと、ああ、ごめん、と謝られる。
「私はアキラ。君は、妖夢っていったね」
……ああ、思い出した。アキラ。うん、思い出したけど、でも、話した事は無い。
どうして私に話しかけてきたのかは、まあ、わかるけど、何でだろう。
習ったりしたのかと聞かれて、首を振る。泳ぎ方を誰かに教わった事は無い。そもそも、教わるものなのだろうか。そんな事せずとも、誰だって泳げると思うんだけど。
疑問に思って聞いてみれば、そんな事は無いよ、とアキラ……さんは言った。
それから、準備運動をしつつ、彼女と会話する。静かな語り口は、自然と私も言葉を返せるくらいに、話しやすかった。
「どーん!」
そうして言葉を交わしていると、唐突に誰かがぶつかってくるのによろめいて、しかし抱き止められる。なんだなんだと見てみれば、それはマキエだった。満面の笑みで、腕の中の私にねえねえ何してるのと語り掛けてくる。
少し腕を押せば、嫌がっていると思ったのか、ぱっと腕が離れた。それでも、距離は未だに近い。
「今から泳ぎ? じゃあ、ねえ、妖夢ちゃん! 私ときょーそーしない?」
「競争?」
あそこの岩場まで!
私の疑問の声には反応せず、遠く、沖に見える岩を指したマキエが、どうどう? と笑いかけてくるのに、助けを求めてアキラさんの方を見る。困ったように眉を八の字にしていたアキラさんは、私が振り向くとすぐに笑みを浮かべて、それじゃあ、私も混ぜて貰おうかな、と言った。
……あれ? 彼女なら、なんとなく止めてくれそうな気がしたのだけど。
「それじゃあ決定ね! 一位の人には豪華賞品プレゼント! いちにのさんでスタートだよ!」
豪華賞品? と首を傾げようとして、意味もなく腕を上げて振るマキエに、ああ、ノリで言ってるんだろうな、と当たりをつけた。
まあ、面倒臭いけど、泳ごうと思ってたしいいか。
少しだけ賞品というのに期待しつつ、いちにのー! と言いながら海へ走り出すマキエを慌てて追って、打ち寄せる波を蹴飛ばして走る。
「さん!」
膝より上まで水が来た時に、マキエが叫んだ。息を吸って、重ねた両手を前に突き出し、矢のように飛び込んでいく。
私達が泳ぎ始めたのは、ほとんど同時だった。
◆
「と、とうちゃーく……!」
岩の上で腰を下ろして、淵に手をかけて上がってくるマキエを眺める。
マキエは、体を押し上げると、腕をついたまま大きく肩を上下させた。ぜはーぜはーと苦しげな声が、彼女の頑張りを物語っている。
まあ、どれだけ頑張っても最下位という事実は変わらないのだけど。
「ふ、二人とも速いなあ。ちょっと自信あったんだけど……がっくし」
「まき絵、大丈夫?」
ちなみに、順位は一位がアキラさんで、僅差で私が二位。三位がマキエ。
私だって自信あったけど、負けてしまってがっくしだ。どうして負けたんだろう。膝を抱えながらマキエの背中を撫でるアキラさんを眺めれば、経験、かな? と頬を掻きながら有り難い言葉。
アキラさんの口ぶりだと、泳ぎを習っているみたいだったし、そこら辺が原因なのだろう。私も精進しなくては。いや、泳ぎじゃなくて、強くなる事を、だけど。
「ていうか、妖夢ちゃん息継ぎしてなかったみたいだけどー……息長持ち?」
ようやく呼吸も整ってきたのか、胸に手を当てながら体を起こしたマキエが言うのに、首を傾げる。息継ぎ……水面に顔を出して、ぷはっとする奴?
でも、苦しいの我慢すれば、結構長い時間潜っていられるから、息継ぎしない方が速いと思うんだけど。
そう言ってみると、いやその理屈はおかしい、と手を振られてしまった。
無理しちゃ駄目だよ、と心配してくれるアキラさんに二言程返して、それから、少しの間ここで休憩する事になった。風が気持ち良い。岩も程良く暖まっていて、眠れそうだ。
遠目に岸が見えるのをぼーっと眺めていると、結構広いね、ここ、とマキエが言った。
顔を向ければ、後ろに手をついて足を投げ出したまま、後方を見ている。
それにならって後ろを見れば、確かに広い。端に近い所は突き立った柱のような岩が多いけど、中心に近付くにつれ、段々でこぼこがなくなっていて、大きく開いた場所がある。
島みたいでちょっと心がくすぐられるのに立ち上がると、足元に気を付けて、とアキラさんに注意されたので、うなずいておく。
それから、足下に気をつけながら慎重に広場の方へ歩いて行く。
円状に広がる空間。いくつも周りに立つ岩が壁のようで、少し圧迫感がある。その分、この広場はより大きく見えて、不思議な感じだ。
端から端まで歩いて何歩くらいだろうか。少なくとも、二十メートル以上はあるかな、なんて考えつつ、空を見上げる。んー、青い空が広がっている。とても気持ちの良い空だ。
伸ばした右腕を、頭の後ろに回した左手で掴んでぐっと伸びをする。ぷるぷると体が震えるのが面白い。たはぁ、と息を吐くと、不意に、何かが降って来た。小さな石の欠片?
こんこんころころと欠片が転がるのに、どこから落ちてきたのだろうと空を見上げるのと、ズシンと重々しい音がするのは同時だった。
目の前に、人影。
着地した体勢からゆっくりと体を起こしたそれは、私の身長を大きく超えていた。たぶん、アキラさんよりも大きい。
そして何より、全身真っ赤だった。
いつか写真で見た剥き出しの筋肉のような体。広げた羽のような顔に、宝石に似た細い青い目。両方の肩にある肩当てみたいな尖った金色は、端の方に青い宝石がはめ込まれていて、まるで目のように見えた。盛り上がった胸やその下は、皮を剥いだみたいに一枚薄くて、銀や黒が覗いていた。鳩尾には、円状の、よくわからない飾りがくっついている。
…………。
さて、しげしげと眺めて観察を終えたのだが、それだけ経っても、この怪物みたいな奴は動かない。
なんなんだろう、これ。さっきは動いていたから、生きてるとは思うんだけど。
……宇宙人?
空から降って来た事からそんな連想をしていると、ピクリと指を動かした怪物は、青い瞳を光らせると、胸の前に右腕を持ち上げた。左へ差し伸べられた手が何かを握るような仕草をすると、ボウ、と勢い良く炎の柱が立ち上り、次には、大きな剣が出現していた。刀身が平べったい、まさに大剣というような……。
……敵?
「さあ、楽しませて貰うぜ!」
敵だ。
ぶうんと剣を振って肩に担ぎ、近付いてくる怪物から距離をとるために後ろへ跳び、そのさなかに腰に下ろした楼観剣を抜きはな……とうとして、今は刀は、荷物と一緒に一時的な寝床であるホテルに置いてきているのを思い出した。ザッと着地する。
仕方がないので、握り込んだ拳を構えて、怪物を迎え撃つことにした。
「ねー、さっきの音何ー? って、うわ! 何これ!」
「妖夢!」
アキラさんとマキエの声。どうやら怪物が着地した音を聞きつけてやってきたみたいだ。見れば、この広場を囲む青い炎みたいなのに近付いて、慌てて後退していた。熱いらしい。……退路を断たれている。計画的なもの?
「ウルァ!」
「っ!」
いつの間にか近付いてきていた怪物に、大振りに振られた剣を横に転がって避け、立ち上がってすぐに踏み込む。懐に潜り込み、すくい上げるように腹に拳を叩き込む。その一瞬だけ妖力を拳に纏わせ、威力を上げる。
肉を叩く感触。でも、すっごく硬い。肉だけど肉じゃないみたい。
「へっ、効かねーよ」
てんで堪えていない様子の怪物が蹴りつけてくるのに両腕で防御する。緩く振られた足が当たると、見た目とは裏腹に重い衝撃が襲って来て
っとと、炎が近い。あれに当たったら危なそうだ。
青い炎の壁から距離を取りつつ、余裕そうに剣を担いでいる怪物と対峙する。広いと思っていたこの空間は、案外、狭い。アキラさんとマキエが私を呼ぶ声がした。心配そうな声。だけど今は、答えている暇はない。
「ふっ!」
今度はこちらから仕掛ける。足裏で妖力を爆発させ、再びの瞬動で接近、振り下ろされかけの刀を持った腕を両方の拳で弾き上げ、そのまま腹に叩き込む。雑に振られた足をジャンプして避け、胸を蹴りつけて距離をとる。
とんと着地すると、そこに私はもういないのに、怪物がぶんぶんと大剣を振っていた。
「ちょこまかとウザッテェ奴だ!」
く、やっぱり全然効いてない。
どうしよう。刀が無い今、魔法は使えないし、あんな剣、腕じゃ防げない。でも攻撃するには接近しないといけないし、だけど、ダメージが通らない。
どう動くべきか悩んでいると、怪物が軽く腕を上げた。剣を持っていない方だ。
手自体に炎が吹き上がると、腕を振っていくつか炎弾を飛ばしてくるのに、驚きながらもステップを踏んで避ける。弾幕? こいつ、妖怪か。
地面で弾ける炎弾の熱に気を引き締めて、体を動かす。また私を呼ぶ声。
「てめぇ、いい加減やられろ!」
言うが早いか、炎を足に纏って滑るように突っ込んできた妖怪を、横に転がって躱す。妖怪が通った場所に炎が吹き上がるのに、間違っても受けなくて良かったとほっとしたのも束の間、再び飛んでくる炎弾に慌てて避ける事しかできない。
何か手は無いのか。せめて、助けを呼べたらいいんだけど、この距離じゃ声は届かないだろうし、そもそも私は出られそうにない。どうすれば……!
そうだ! 二人に頼めば!
何も私一人で戦う必要は無いと思い直し、二人に先生かセツナを呼んでくるよう頼もうとして、妖怪が突っ込んでくるのに断念する。振るわれる剣や足を避けるので精いっぱいで、声を出すどころか、息を吐く暇もない。距離を取ろうと瞬動をしようとすると、ダン! と地面を叩く妖怪の足に一瞬体が浮きそうになって、それすらできない。流石に三度も逃がしてはくれないか。
だが、攻撃を避ける事に集中すれば、当たらないでいるのは難しくない。二人に声を掛けるのは流石に無理そうだけど。
こうなったら、二人の内どちらかでも、誰か呼んできてくれるのを祈るしかない……けど、私が攻撃を受けそうになるたび悲鳴染みた声で私の名を呼ぶ二人にその発想ができるだろうか。
二人が落ち着くまで粘るしかない。
上がってきた息に、んぐ、と空気を飲み込みながら飛び蹴り。腕で防がれた。どうせ効かないのに、なんでだろう。
蹴りつけて距離を取ろうとして、着地している間に離れた分だけ詰められる。ついでに、炎の壁との距離も近付いてしまった。このままじゃいずれ追い詰められてしまう。
ていうか、なんなんだこいつ。なんで私を襲うんだろう。
魔力を感じるから、魔法使い? それとも、人間を食べようとする腹を空かせた野良妖怪?
調理用の炎を自前で持っているみたいだし、野良妖怪が正解かもしれない。
「あークソ! ストレス溜まるぜ!!」
攻撃が当たらない事に業を煮やしたのか、妖怪が自分を抱くように身を丸め込んだ。高まる魔力の余剰が炎となって体に纏わり、揺らいでいる。
「な、なんかヤバそーだよ!?」
マキエの声。
やばそうだけど、止める手段が無い。逃げようにも、身を隠せそうな岩は炎の壁の向こうにしかない。二人に隠れているように告げて、私は顔を庇う為に腕を掲げ、どんな攻撃が来てもいいように足を広げた。
瞬間、炎が爆発する。
膨れ上がった熱が迫り、なす術無く全身を焼かれるのに、悲鳴を上げる事もできず吹き飛ばされる。
転がった先の地面さえ熱い。どこからか上がる煙が視界の端にあった。
「う、く……!」
「ほお、生きてんじゃねーか。まあいい、すぐに絶望させてやるぜ」
幸い、身に纏った妖力の鎧がダメージを軽減してくれたおかげで、少しばかり火傷をするだけで済んだ。二人は……上手く身を隠しているみたいだ。体を起こしながら後ろを確認すれば、岩の影から顔を覗かせる二人の姿が目に入った。
先生か、セツナを呼んで。そう言おうとして、再び高まる魔力に妖怪に顔を戻す。
妖怪は、掲げた腕の先に巨大な炎弾を作り出し、そこに魔力を注いでいた。
掛け声もなしに、腕が振り下ろされると、放たれる炎弾。
瞬動で避けようとして、だけど、後ろに二人がいるのを思い出す。私が避けたら……たぶん、二人に当たって死ぬ?
炎の壁が遮るかも、と一瞬考えて、二人が身を隠していた岩が焼け焦げていたのを思い出す。駄目だ、避けられない。
だったら、耐えるしかない。
もう一度妖力でできた薄い光の鎧を纏う。これができるようになった時は、これで安心だなんて思っていたけど、全然安心できない。私にもっと力があれば。
考えても仕方ない。ここが正念場だ。これさえ耐え抜けば、多分、少し隙ができるはず。
だって、こんな大技っぽいのを放った後に、すぐに動ける訳がない。
なんて希望的な事を考えていると、もう、炎は目の前だった。当たる前から熱くて、なんだか、溶けてしまいそうだった。
意識が飛ぶ。
気がついた時には、地面を転がっていた。遠くに、私に近付いてくる妖怪の赤い足が見える。
しまった……二人に、呼んでって伝えないと。
体を起こそうとして、ついた腕が痛むのに顔を顰める。そんな場合ではないのに、声が漏れて、中々立ち上がれない。妖怪は、もうすぐそこまで迫っていた。
「さあ、絶望しやがれ!」
振り上げられた大剣が、私へと落ちてくる。
その一瞬前に、妖怪の顔に何かがぶつかって、地面に落ちた。
大きめの石。
「それ以上は駄目ー!」
「やっ!」
少し顔を傾けていた妖怪が二人の方を向き、再び投げられた石を顔に受けて、かく、と顔を傾けた。
小刻みに震えているのに、相当な怒りを感じて、二人にやめるように言う前に再度の投石。妖怪は、動かないまま胸に石を受けた。
「…………!!」
動かないなら、いい。その間に、立ち上がる事ができた。
私が邪魔になってか、石は投げられなくなって、代わりに私を呼ぶ声。
まだピンチだけど、お礼を言いたくなってしまった。
だって、私、二人をただのクラスメイトだとしか思ってなかったのに……あんな風に、私を助けようとしてくれたんだもの。
こみ上げてくる嬉しさのまま、一歩踏み込んで、振りかぶった拳を妖怪の腹に叩き込む。衝撃の全部が向こうに突き抜けると、初めて妖怪が後退した。
痛む手をぴらぴら振ってから、拳を構える。妖怪はもう、何も言わずに剣を肩に担いだ。
……いけるかもしれない。
なんとなく、そう思った。
まだ嬉しさが抜けきってない。どうしてだろう。どうしてこんなに嬉しんだろう。
まあ、理由はどうでもいい。せっかく立ち上がる時間を作って貰ったんだ。さっさとこの妖怪をやっつけて、今度は誰が一番に岸まで行けるか、もう一度競争しよう。
自分を奮い立たせるためにこの後の事を考えていると、不意に、妖怪の斜め後ろの空間が不自然に揺らめいた。
ぬるりと、まるで見えない扉をくぐるみたいに何者かが現れる。
全身黒のシルエット。宝石みたいな黒い体の所々に金の装飾が施されていて、特に顔なんかは、走った金色のせいか、目のように見える場所ができていた。それから、とんがり帽子にも見える頭や、胸にかかるへんてこな紐みたいなのとか、黒い手形のベルトとか、大きな斧みたいな武器とか、見るべき場所は色々あるのだろうけど。
私はただ、それの登場に固まっていた。
そいつは斧を持つ手を広げて、走り出す気配を見せた。
「お楽しみは……これからだ!」
低い男の声。
そう言いながら走り寄って来た魔法使いみたいな怪物の斧を上半身だけ傾けて避け、回し蹴りで吹き飛ばそうと試みるも、壁を蹴ったような感触にこちらがよろめいてしまった。慌てて後退し、距離をとる。黒いのは追って来なかった。
う、こいつも硬い……。
で、でも、二人に増えたって、大丈夫だ。私は負けない。
「天下をこの手に!」
唐突に響いた声に、妖怪の方に顔を向ければ、その斜め後ろ……黒いのが出て来たのとは反対側に、両手にへんてこな刀を持つ鎧武者が現れていた。
…………。
「ふ、増えたーっ!?」
「あわ、あわわ」
あわあわと背後から慌ただしい気配。
正直、私もどうしていいかわからなんだけど。
この妖怪達は、私になんの恨みがあって襲い掛かってくるのだろう。
せっかくの海なんだから、泳いで遊んでればいいのに。
現実逃避気味にそんな事を考えていると、三人が三人武器を構え、私ににじり寄ってくる。
もう考えてはいられない。やらないと。やらないと、私がやられる。
やけくそになって走り出そうとして、瞬間、目の前が爆発した。
敵の攻撃……じゃない!
爆発は、三人の妖怪を襲っていた。赤い二人が吹き飛んで、黒いのだけが魔法陣の様なもので防いでいる。
「諦めるな。希望を捨てずに立ち向かえ」
後ろに現れた気配に振り向くと、全身真っ白の、これまた魔法使いみたいな怪人がいて、何かを投げ渡してくるのに慌てて受け取る。
それは、私の刀だった。
「あ、りがとう……?」
刀だ! 刀さえあれば、私も戦える。
警戒はしつつ、一応お礼を言うと、白い怪人は返事もせずに右手の指輪のような物を別の指輪に付け替えて、手形のあるベルトにかざした。……黒い怪物とおんなじベルトだ。やっぱり敵?
ガイムー! と響く声に体が跳ねる。驚いている内に、白いのの後ろ、少し浮いた場所に大きな魔法陣が描かれ、その中から何かが飛び出してきた。
赤い鎧武者と色違いの怪物だ。私達の横に並ぶと、赤いのと同じような二本の武器を構える。
もう、何がなんだかさっぱりなんだけど。
なんとなしにマキエ達の方を向くと、二人ともぽかんとしていて、私に気付くと、「あ、が、がんばって?」と疑問形で言った。
「……うん、頑張る」
もう、いいや。
考えるのは後にして、とりあえず、斬ろう。
楼観剣を抜き放ち、鞘は傍に置いておく。両手で柄を握り、ゆらりと構えながら、ひょっとしてこれ、先生の困難なのだろうか、と考えた。
後で先生に聞いてみよう。
答えによっては、この火傷の対価を払って貰わなければならない。
「行くぜ!」
横の二人が走り出すのに合わせて、私も走り出す。目の間に躍り出る赤い妖怪に向けて、刀を振るった。
◆
ザザーン。
寄せては戻る波を、夕日が照らしていた。
「……なんだったんだろうね」
膝を抱えて座る私の隣で、同じように座るマキエが呟いた。
「なんだったんだろう」
反対側で、同じように、アキラさん。
「……先生が悪い」
特に意味もなく頭に浮かんだ言葉を言う私。
それに返ってくる言葉は無くて、ただ、私達は、浜辺に座って、沈む夕日を眺めていた。