なりきり妖夢一直線!   作:月日星夜(木端妖精)

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えせえせしい。
誤字多めかも。


第二十八話 落ちた光

 無理だ。

 追いつける訳がない。

 いくら走っても、どれだけ強く地面を蹴っても。

 足に風と雷の魔力を纏わせたって、まるで追いつけない速さ。

 

「っ、このっ!」

 

 青いのと追いかけっこをして、夜も更けた街の中を走り回っていると、ふと反転した青いのが襲い掛かってくるのに、慌てて抜刀して対応する。

 踏み込んでの蹴りは頭狙い。刀を持ち上げながら身を屈めて避け、足を上げて動けないでいる青いのに反撃する。横一線。全力で振った刀は、軽くステップを踏む事で避けられてしまった。

 追い縋って、一歩。

 右へ左へ、上に下に、めちゃくちゃに刀を振り回してみても、上半身をシャシャッ! と動かしたり半歩横にずれるだけで躱される。ぶれた体の影だけを桜色の光が斬り裂いていく。当たらないどころか、掠りもしない。

 ……むかつく!

 なら、避けられない攻撃をするまでだ!

 白楼剣に手を伸ばし、リボンを解く。選択するのは、茶々丸さんの動きを止めたのと同じ魔法。大きな風の魔法。

 手の平を突き出して暴風を解き放とうとすると、察知した青いのは物凄いスピードで身を翻し、逃走を開始した。

 あいつ、逃げた!

 虚しく風が吹き荒ぶ大通りの先を睨みつけ、腕を振って魔法を散らす。刀を鞘に納め、身を低くして走り出した。

 まさか、逃げるなんて思わなかった。

 でも、その選択は当然か。どう察知したのかは知らないけど、広範囲の攻撃から逃れるなら、大きく距離をとる以外にない。

 だからって、そんな離れなくたっていいのに……!

 追うのが面倒だ、と心の隅で思いながら(心の中とはいえ、堂々と言うのは駄目な気がした)、一心に走る。遠目に世界樹が見えるのに気がついた時には、私は階段の上へ上っていた。

 ここは……世界樹の広場とかなんとかいう場所……。

 ……て、いうか。なんか、みんないる……?

 このかやセツナ、それから、マキエとか、えーと、クーフェと……その他三人。あんまり話さないから、名前がわからない。

 奥には、先生と茶々丸さんが向かい合っていて、柱の傍にエヴァさんとお人形が立っていた。

 乱入した青いのに驚いているのか、棒立ちになっている青いのに話しかけるみんなの下に歩いて行くと、接近に気付いたセツナやらが私の名前を呼んだ。その声に答えながら、青いのの前に立つ。

 顔を下に向けて仁王立ちする青いのは、他の人の言葉に反応もせず、そうしていた。こういうの、無愛想っていうのだろうか。

 しかし私が接近すると、顔を上げ、目……と言っていいのか、とにかく、目をぴかりと光らせて、無駄に俊敏な動きで私に向き直った。

 む、やるか。

 腰に下げた楼観剣の柄に手を伸ばす。足を開いて、いつでも抜けるよう構えると、青いのは首を振った。

 ……いやに人間らしい動きだ。

 

「時間切れだ」

 

 かと思えば、喋った。

 私と追いかけっこしてる時も、斬りつけてる時も掛け声以外出さなかったのに。

 というか、時間切れって何だろう。

 聞き返そうと口を開きかけた私の横を、青いのが走り去って行くのに慌てて振り返る。

 と、青いのが前へ飛び込むようにジャンプしたかと思えば、激しい光が一瞬その体を包み込み、地面に倒れ込むという時には、赤いバイクになって着地していた。

 轟音を残して階段をドウドウ下りて行ったかと思えば、街の中に消えていく青いの、もとい赤いのに、開いた口が塞がらなかった。

 ……え、時間切れって、え、そういうの?

 ……いや、そもそもあれは、どこへ行ったのだろう。

 

「な、なんだったの、今の……」

 

 それは誰の声だったか。

 その声で正気を取り戻した私は、まあ、たぶん晴子の所に戻ったのだろうと当たりをつけて、それから――追いつけなかった事を考えるのは後回しにして――、みんなへと向き直った。

 こんな時間に、みんなして何をやっているんだろう。

 あ、エヴァさんがいるのを見るに、みんなで修行でもしていたのかな。

 歩み寄って来ようとしていたこのかに駆け寄って、見上げながらそう聞くと、ん? と首を傾げられた。……違う? 先生の弟子入りテスト?

 ……あー、なんか、今朝会った時、茶々丸さんがそんな事を言っていたような気がする。

 一緒に応援しよう、と誘われたので、流れで先生の応援に参加する事になった。弟子入りテストって、何をするんだろう。

 00時03分。左腕につけた時計を確認すると、それくらいの時間だった。……うーん、私、七時間近くも青いのと追いかけっこしていたのか。それで追いつけないって、私、どれだけ才能が無いのだろう。

 

「ありゃ、妖夢ちゃん、腕時計買ったん? んー、不思議なデザインやけど……うん。似()うとるよ」

「……そう? ありがと。……これ、超さんに貰ったの」

 

 横から覗き込んできたこのかが褒めてくれるのに、嬉しいような、でもちょっと恥ずかしいな、なんて思いながら、腕時計を見せる。白と赤からなる細い時計。バイトのお礼だって、今日、屋台の前を通った時に超さんがくれた。……お礼って、あのラーメンでおしまいだと思ってた。

 なんでも、ずっとつけてても時間がずれないらしいのだけど、そもそも時計って、時間はずれないと思うんだけど。

 だって、ずれたら時計を見る人が困ってしまう。

 他にも、水に強くて火にも強くて酸にも強くて魔法にも強いと言っていたし、録音機能とカメラがついてて、後は、横についてるボタンを押すと超包子に中華まん一個を予約注文できるんだとか。

 ……あんまり必要ない機能がついてるような気がする。

 そんな事をこのかや、興味深そうに見ていたセツナに話していると、先生のテストが始まった。

 応援する為に、話を切る。一つ高い所から先生と、対峙する茶々丸さんを見下ろしながら、ひそかに胸を撫で下ろす。

 ふー、良かった。実を言うと、時計の事、あんまり上手く説明できなくて、どうにか話を終わらせたかったんだ。

 ……説明するのって、凄く難しい。

 このかはうんうんって笑顔で聞いてくれていたけど、これ、多分先生とかにしてたら、苦笑いされてたと思う。

 ……口下手って言うんだったか。

 もっと、ちゃんとお話しできるよう修行しないと。

 

 先生のテストは、結果的に言えば先生の合格で終わった。

 根性勝ちというか、執念勝ちというか、うーん。

 でも、先生の事、見直した。

 やっぱり、ただの子供じゃないんだね、先生。

 頼りになるっていうのも、わかる。応援したくなる。

 ……まあ、先生がぼこぼこにされてた時は、みんな息をのんだり小さく悲鳴を上げていたりしていたから、空気を読んで心の中だけで応援していたけど。

 しかし先生、あんなに殴られて痛くなかったんだろうか。

 ひょっとして、そういう魔法とかがあるのかな。

 

 気絶してしまった先生を介抱する為に寄って行くみんなについて歩いて、途中、ひび割れた小さな眼鏡を拾ってから、アスナに抱き起される先生を見下ろす。

 

「……センセ」

 

 小さく呼びかけてみても、反応は無い。当然か。

 それにしても、ほんとに、ぼろぼろ。

 なんでこんなになるまで頑張れるんだろう。

 先生にも、守りたいものがあるのかな。

 屈んで、そっと眼鏡を乗せてやると、熱い息が腕にかかった。口の端に滲んだ血が、私の胸まできりりと痛ませて、でも、これは先生の勇姿だ。頑張った証。

 先生の事は、周りの人達に任せて、あわあわしている茶々丸さんの所に行く。

 茶々丸さんも、頑張った。

 そう声を掛けると、眉を八の字にして、ですが……と何事かを言いかけ、しかし言い淀んで、結局何も言わないまま目を伏せた。悲しげな表情は、人間と変わらない。本当に機械でできているのだろうかと疑ってしまう。

 ううん、機械だろうがなんだろうが、きっと関係は無いのだろう。

 茶々丸さん、先生を殴るの、嫌そうだった。

 でも、先生の言葉を聞いて、迷いを捨てていた。

 殴った拳も、心も痛いだろうに、それでも、先生の為に……私には、そんな風に見えた。

 ……違ってるかな。

 私、あんまり人の事はわからないから、間違ってるかもしれないけど。

 でも、うん、茶々丸さんが頑張った事に変わりはない。

 私だったら、先生の事……先生の覚悟を見たって、殴れな……あ、いや、うん。なんでもない。

 どうしてか普通に殴れるような気がして、茶々丸さんに言おうとした言葉を飲み込むと、茶々丸さんが小さく微笑んで、私の頭に手を置いた。

 硬いような、柔らかいような、よくわからない感触。

 でも、優しい手。

 ありがとうございます、と茶々丸さんは言って、それから、先生の方に向かった。

 介抱のお手伝いでもするのだろう。

 さて、私は……あそこで平気なふりをしているエヴァさんの所にでも行こうか。

 

 

 先生にならって、私も修行に励む……といきたい所だけど、昨日は夜更かししたせいで眠くて、それどころではなかった。土日だって、夢の中でやった事の反省会を元にエヴァさんに言われたまま刀を振るだけで終わってしまったし、お休みも終わって学校だ。せっかく先生も一緒になったのに、ちゃんとした修行なんてしてる暇はない。

 先生のやってた動き、どこかで見た事あるから、真似してみようと思ってたのに。

 エヴァさんは、「実戦だ、実戦。何度言ったらわかる」なんて言っていたけど、でも私、先生と一緒に修行したかった。いや、してたけど、違くて、先生とおんなじことがしたかったの。

 ……でも、勉強も大事。……うん、大事なんだけど、どうしてこう、先生(ネギ先生ではない)が教科書を読んでいる声は、こんなに眠気を誘うのだろう。

 ……ぐう。

 はっ、いけないいけない。寝るのは、授業をしている先生に失礼だ。それに、せっかく授業についていけそうになってるのに、また遅れてしまう。

 そうしたら、このかとお勉強する時間が増えるなあとか、思ってしまったり。

 ううん、心を強く持たないと駄目だ、私。そんなんじゃ、怒られてしまう。

 えっと、えっと、晴子とかに。

 ……いや、晴子は勉強の事には、流石に口を出してこないと思うけど。

 ああ、でも、青いのに追いつけなかった事は怒られそうだ。

 ……せっかく忘れてたのに、思い出してしまった。

 ううー、今度お店に行ったら、最初に謝らないと。

 

 放課後になると、エヴァさんが声を掛けてきた。今日は、先生だけじゃなく、このかやアスナなんかも一緒に修行するんだって。ええっと、ノドカも? やけに多い。

 ……それで、なんで私がみんなに声を掛けなきゃいけないのだろう。いや、どうせいつも一緒に帰るメンバーだし、別に良いんだけど……エヴァさんが自分でやればいいのに。

 その旨を伝えて回っていると、このかに話しかけた時には護衛であるセツナが、ノドカに話した時には友人である夕映が、先生に(話す必要があるのかはちょっと疑問だったけど、一応人数も増えていたので)伝えた時には、拳法の師であるクーフェさんがついてくることになった。

 そうして、みんなで連れ立ってログハウス、つまりは、エヴァさんの自宅に向かう。大体先生の修行がメインらしい。私は見学してるか、そこら辺で刀でも振っていろ、と言われてしまった。

 じゃあ、見学しよう。

 先生の前に三人、アスナとこのかとノドカが立つ。

 三人に共通した点は、先生と仮契約……ぱくてーおだったかな。そんな感じの魔法的なアレをした人達だという事だ。

 何をするのかと見ていれば、力の供給だとかなんとかで、先生の体から離れた魔力が三人に分け与えられた。そのまま、エヴァさんの指示に従い、明後日の空に向かって魔法の矢を放つ先生。その数、三百五十五本。

 もう、矢というよりごんぶとビームだった。

 遠くの空できらきら光る魔法の残骸達を眺めていると、魔法の行使で負荷がかかりすぎたのか、先生が倒れてしまった。ぽーんと跳ねた眼鏡が、抱えた膝とお腹の間に見事に入り込んでくるのに、ちょっと笑ってしまう。

 笑う場面ではないのはわかってるんだけど。

 

「…………」

 

 手に取った眼鏡を先生に返そうと視線を向けて、三人に抱き起されている先生に、今は近付けそうにない、と立ち上がろうとした体を戻す。短い草が足をくすぐって、また、変な笑いが出た。

 うん、変な笑いついでに、先生の眼鏡を装着。

 ……ちょっとつけてみたかっただけだ。どうなんだろう。似合ってるかな。

 鏡も無いから、どんな感じかはわからない。でも、眼鏡を通した景色は酷くぼやけていて、見ていてあんまりいい気分ではなかった。

 まあ、でも、先生が起きるまでは、つけてるんだけど。

 ……くらくらする。

 

 

 先生とアスナが喧嘩した。

 みんなが解散した後の話だ。

 帰り際、先生とアスナが言い争いを始めて、怒ったアスナが一人で先に帰ってしまった。

 なんでも、先生がアスナに何も言わず、危険な場所に行ったのが気に入らなかったみたい。

 ……図書館だとかなんとか聞こえてきてたけど、図書館って危険……では、ないよね。

 アスナは少し、先生の事を心配しすぎだと思う。

 場所は変わって、ログハウスの中。エヴァさんが、先生とこのかに授業めいた事をし始めた。むむむ、眼鏡、似合ってる。私のは、どうだったんだろう。もう先生に返してしまったから確かめようがない。

 あ、聞けばいいのか。

 なんて思って先生の方を見てみれば、まだ落ち込んでいて、このかに慰められていた。

 ……つい先日、子供じゃないって思ったばかりなのに、こんな姿を見せられては考えを改めないといけないだろう。

 話を聞かない先生にキレたエヴァさんがバンバンと机を叩くのに顔を向けると、ようやっと先生が反応した。でも、話の内容はアスナとの事だ。そんなに落ち込むなら、喧嘩なんてしなければよかったのに。

 ……あ、エヴァさん、眼鏡外すんだ。

 なんとなく手を伸ばすと、エヴァさんは私を一瞥して、差し出した手の上に眼鏡を置いた。

 ……なんか、くれたので、さっそくかけてみる。

 ん、視界がぼやけない。くらくらしない。先生のとは違う?

 眼鏡も、奥が深い。

 エヴァさんは、先生は話ができる状態じゃないと判断したようで、今度はこのかに色々と話し始めた。

 それは、魔法の事。今後のこのかを左右する大事な話。

 マギステルなんたらを目指す事もできる、と言われて、このかは少し考えているようだった。

 よくわからないけど、真剣そうな話なので、表情を引き締めて椅子に座っている事にする。

 話は半分もわからないけど、どうせ私に対してのものじゃない。わかってなくても大丈夫だろう。

 そうしている内に、先生への話も終わったらしい。このかを連れて下の階へ行こうとするエヴァさんについていこうとすると、しっしと手を振られてしまった。……ついていっちゃ駄目らしい。

 仕方ないので、このかが戻ってくる間、なにやら拳法の型をやり始めた先生を眺める事にする。

 うーん、やっぱりどこかで見た事がある。クーフェさんの、ではない。

 ……あ、あの白髪の少年のだ。あれに、動きが似ている。

 というか、ほとんど一緒?

 考えに耽っていると、茶々丸さんがやって来た。見知らぬ人も一緒だ。白衣を着てるって事は、お医者様かな。保健室にいる人。

 渡されたカップに口をつけながら、ふいに茶々丸さんの頭に乗った人形が動いた気がして、目を向ける。

 ……動いたっていうか、人形が喋ってるんだけど。

 …………。

 うん、機械である茶々丸さんだって喋るんだから、人形が喋ったって何もおかしくない。

 なんにも、おかしくないですわ。なんて。

 誰かの真似をして言ってみると、なんだか無性におかしくなって、笑ってしまう。

 先生の困り事を解決する為の話をしているみたいだから、笑わないけどね。

 さて、私も手伝おう。

 そう思って、アスナとの喧嘩の原因になったものを考えるのに加わってみたけど、正直、話を聞いて無かったからなんで怒ったかなんてわからない。先生には悪いけど、原因の究明は早々に諦めて、喋る人形を弄る事にした。

 丸顔をつんつんしてみると、「ヤメロ」と鳴く。フェルト? うーん。両手で体を挟んで見れば、布とは違う硬い感触。何でできてるんだろう、この子。

 

「オイガキ、離シヤガレ」

 

 ……口の悪い人形だ。そんな悪い子は、ほっぺ引っ張りの刑に処そう。

 ぐにぐにやっていると、茶々丸さんが困ったように割って入ってきて、やめてあげてと懇願してきた。

 そう言われてしまうと、やめるしかない。

 でもこの子、笑ってるし、嫌がっているようには見えないんだけど。

 ……あ、表情変わらないんだ。喋るっていっても、やっぱり人形か。

 

 唐突に外からアスナの悲鳴が聞こえてきて、何事かと顔を上げると、あー、とセツナが苦笑いをしていた。……あれ? 先生がいない。というか、アスナ、帰ったんじゃなかったのかな。なんで外から声が聞こえてきたんだろう。

 茶々丸さんから理由を聞いていると、半泣きの先生が肩を落として帰って来た。

 ……仲直り、失敗したんだ。

 

 

 それから、三日。

 アスナと喧嘩しているネギ先生は、修行に全然身が入らないみたいで、先生と同じ事がしたい私としてはつまらない日が過ぎた。

 そうすると、私だけ刀を振っているのもなんだかなあって気分になってくる。

 

「妖夢ちゃーん、おるー?」

 

 ベッドで寛いでいると、部屋の外からこのかの声がした。

 ……なんでチャイム使わないんだろう、なんて頭の片隅で思いながら、はーい、と返事をする。読んでいた本に栞を挟んで枕元にぽいして、小走りで玄関に向かう。鍵を回し、そっと扉を開けると、予想通りの笑顔があった。

 おはよ、と挨拶されるのに、おはよう、と返す。

 なんの用だろう。朝ご飯は、一時間くらい前には済ませている。いや、用が無ければ来ちゃいけないって訳では無いんだけど、心当たりが無くて首を傾げた。

 

「へへー、妖夢ちゃん、南の島に行ってみたいと思わんかー」

「南の島?」

 

 話が見えなくて、オウム返しに聞き返せば、委員長が先生やクラスの暇な人達を誘って、そういう場所に連れていってくれるらしい。

 それで、私も誘ってくれるの?

 そう聞けば、もちろん、と元気な返事。それから、実を言うとな、と、このかが顔を近づけてきた。

 そろそろ、アスナと先生を仲直りさせたいのだと、このかが言う。

 ああ、それなら、私も同じ気持ちだ。修行が全然捗らなくて、困っている。

 だけど、それと私を誘う事に何の関係があるのだろう。

 

「うん。どうせなら賑やかな方が、アスナも雰囲気に流されてくれるやろ、と」

 

 なるほど。

 まあ、妖夢ちゃんは深く考えずにいっぱい遊んでいればいいんよ、とこのかが言うのに、何で遊ぶの? と聞いてみる。南の島と言われても、ちょっと想像できない。

 そうするとこのかは、海で泳いだり? と疑問形で言って、

 

「そや、だから水着用意せなあかん。ほら、手伝ったげるえ」

「あ、うん。上がって」

 

 手を合わせて提案して来るこのかに頷いて、部屋の中に上がって貰う。

 水着……海?

 海って、あの海?

 

「……私、海、見た事無い」

 

 話では聞いた事があるけど。

 私の言葉に、持ってきた旅行鞄に一緒に替えの下着やらを詰め込んでいたこのかは、意外そうに私を見た。ほへー、と、声まで意外そうだ。

 

「なら初体験やなー」

「……うん。頑張る……!」

 

 海って、怪物なんだよね。うねりを上げてとか、大きな船を飲み込むとか、そんな断片的な言葉が頭に浮かぶ。それでいて水の塊。遊ぶなんて、私の力量でそんなレベルまで持ち込めるだろうか。

 ううん、弱気になっては駄目だ。頑張れ、私!

 ぐっと握り拳を作ってみせると、あはは、と笑われて、ついでに頭を撫でられた。……あ、久しぶりだ。やっぱり、このかに撫でられるのが一番好き。

 引き締めていた表情が溶けていくのを感じながら、頭の上で動く手に全部を委ねる。

 胸の中が暖かくなって、気持ち良い。

 できれば、ずっとこうしていたいけど……それはきっと、駄目な事なんだろう。

 細めた目で、にこにこ笑っているこのかの顔を見上げる。しばらくそうしていて、そや、と何かに気付いたように、手を打つのに、幸せな時間は終わってしまった。

 ……ううん、こうして一緒にいて貰えるだけで幸せだから、やっぱり、幸せ時間は続行だ。

 

「酔い止めも用意せな。妖夢ちゃん、新幹線乗った時、えらい具合悪そうにしとったもんな」

「……? うん。あの時は、なんだか気分が悪くなって」

 

 しんかんせん……電車の事か。あの旅行の時は、行きも帰りも、なぜだか凄く気分が悪くなって、寝てるしかなかった。

 酔い止めって、あの時このかがくれた薬かな。

 ……それが必要って事は、南の島には、電車で行くって事?

 京都くらい遠いのかな、なんて考えながら、膝の上に乗せていた服を畳んで、持ち上げる。

 

「へへ、もっと遠いよ? ずーっと向こうにあって、そこまで飛行機で行くんや!」

 

 ――え?

 

「……ひ、こうき?」

「飛行機。時々、空飛んどるの見た事ない? そか、妖夢ちゃん、飛行機も初めてなんやね――」

 

 このかの声が、ずっと遠くに聞こえた。

 見えない膜で隔てた向こう側にいるみたいに、姿もぼやけて、声も遠くて。

 ぽとりと、持っていた服が落ちた。

 お、ちた。

 飛行機みたいに。

 ぽとりって落ちて、落ちて、全部、まっしろに。

 

「妖夢ちゃん? よう――」

 

 見開いた視界いっぱいにこのかの顔が映っているのに、それすらどこか遠い場所にあるみたいだった。

 ぐしゃりと、重々しく、何かの潰れる音。

 ギギギィと、鉄を引き裂く耳障りな音。

 たくさんの、大勢の人の泣く声。

 私を呼ぶお母さんの声。

 私を押さえつけるお母さんの手。

 

 全部、全部、消えてなくなった。

 

「だめ、だよ……?」

 

 何度も私の頬を撫でて、心配そうに私の名前を呼んでくれるこのかの手を、そっと左手で包む。

 感覚が無い。血が全部抜けてしまったみたい。手が無いみたい。

 そう、お母さんも、手が無かった。

 あったのに、私の背中にあったのに、無かった。

 どこにも。

 

「ひ、こーきは、おちちゃう、よ?」

 

 自分でも何を言っているのかわからないまま、私の顔を覗き込むこのかに、話しかけていた。

 だって、飛行機は。

 飛行機は、ダメ。

 だって、飛行機は、落ちる。

 ぐんって体が引っ張られて、いっぱい大きなものが落ちてきて、みんなが騒いで。

 お母さんも、私を怒った。

 私、なんにも悪い事してないに。

 それどころか、頭、ぶつけたのに。

 どうして怒るの? どうして、いつもみたいにぎゅっとしてくれないの?

 おかあさ――。

 

 ぎゅうと強く抱きしめられるのに、ぶれていた焦点が合うように、視界が元に戻る。

 どこにも大勢の人の姿は無く、ただ、視界の端に黒い髪があって、ほっぺたに押し付けられたそれは、良い匂いがした。

 

「ごめん、妖夢ちゃん、ごめんな」

「……このか?」

 

 抱きしめられたまま、回された腕で後ろ頭を撫でられるのに、よくわからないまま動かし辛い腕を持ち上げて、このかの背に回す。髪の中に滑り込ませた手でこのかの背を撫でると、いっそう、私を抱く力が強まった。

 でも、苦しくは無くて。

 体中に暖かいものが広がると、どうしてか力が抜けて、腕が滑り落ちた。

 そうすると、全部包み込まれているみたいで、安心する。

 

「……ごめんな」

 

 なんで、このかが謝るの?

 このかは何も悪い事してないよ。

 そう伝えようとしても、口が動かなくて、どうやっても声が出なくて。

 もどかしくなってこのかの体を押して離すと、ふわりと、変な感覚。

 このかの瞳は、涙に濡れていた。

 

「ごめん、妖夢ちゃん。怖い話、してしもたな」

「……ううん、私、大丈夫だよ?」

「お出かけはやめにしよーか。うん、今日は、一緒に、ここでゆっくりしよ?」

「大丈夫だよ、このか」

 

 私の目を見て、優しく語りかけてくるこのかに、精一杯大丈夫だと伝えると、そっと目元を指で撫でられた。熱い水の感覚が、指と共に離れていく。

 あ……。

 私、泣いてた?

 そっと、頬に手を添えられるのに、同じように、そっと手を重ねる。

 なんだか、酷く悪い事を思い出していたような、そんな気がする。

 ……けど、もう、大丈夫。

 だって、このかがぎゅっとしてくれたから。

 だから。

 

「平気だよ? 私、大丈夫だよ」

 

 そう言って、このかの手を撫でた。

 熱くて、溶けてしまいそうな体温が手を通して行き交う。

 私の手が熱いのか、このかの手が熱いのか。

 きっと、そんなの、どっちでもいい。

 ただ、このかには、そんな顔して欲しくない。

 馬鹿だ、私。

 なんで、このかを泣かせてるの?

 そうしなきゃいけないくらい、飛行機って怖いの?

 

「ん……」

 

 あ……。

 頬から離れた手が、重ねていた手を逆に包み込む。

 そうするとわかる、手の震え。

 違うよ。これは、違うの。

 怖いんじゃない。それは、本当だ。胸の中のどこにも、もう怖いなんて感情は見当たらない。

 でも、震えてる。

 なんでなんて、そんなの、わからない。

 このかの手の中で震える自分の手を見つめて、それから、目をつぶる。

 ……このまま黙っていたら、きっとまた、抱きしめてくれそうな気がする。

 だから、黙っていよう。

 そうすれば、このかは私の為に泣いてくれる。

 私の為だけに、私を想って、ぎゅっとしてくれる。

 海なんて、どうでもいい。

 先生とアスナの事だって、どうでもいい。

 このかは私のものだ。

 私だけに微笑んでくれればいい。

 私だけを包んで……。

 

「――――」

 

 パンと、自分の顔を張る。

 ジンとした痛みに涙が出てきて、驚いて私の名前を呼んだこのかが、すぐに痛む頬を手で押さえてくれた。

 

「……痛い」

「あ、当たり前や! そんな事したら、痛くなるん、当然や!」

 

 うん、当たり前。このかの言う通りだ。

 馬鹿な事を考える私が痛い目に合うのは、当たり前の事。

 先生とアスナの事、どうでもいいなんて嘘だ。

 このかはその為に私を誘ってくれた。

 このかは、二人の事を想って、南の島に行こうとしてる。

 それを駄目にしてしまうなんて、それこそ駄目だ。

 そんな事したら、私、私……。

 

「……せっぷく?」

 

 このかはきょとんとして、それからすぐに、わあわあと私の肩を掴んで揺さぶってきた。

 妖夢ちゃん! 正気に戻るんや! って、繰り返し、私を揺らす。

 それが、どうしても笑えてしまって、自然と声が漏れていた。

 ふふ、と笑うと、大慌てだったこのかも、あ、と声を漏らしたきり落ち着いて、すぐ笑顔を取り戻す。

 うん、このかは、その顔が一番いい。

 泣いてる顔なんて似合わないよ。

 

「……私、海で、いっぱい遊びたい」

「……妖夢ちゃん」

 

 ぽそりと、呟くような声。

 私の肩から手を離したこのかは、眉を八の字にして、私の目を覗き込んできた。

 あ、駄目。

 そんな顔しちゃ、駄目。

 

「大丈夫。私も強くなったから、海なんて、やっつけられるよ」

「……妖夢ちゃん」

 

 笑顔に戻って欲しくて言葉を紡ぐ。そうすると、このかは苦笑して、さっきとは違う調子で私の名前を呼んだ。

 ……あれ?

 笑って欲しいとは思ったけど、何か違う。

 

 このかは、苦笑いを残したまま海がどういうものかを私に教えてくれた。

 ……し、知ってたよ?

 ただ、なんか、そういう話を聞いた事があるってだけで……。

 うう。

 

「あはは。うん、妖夢ちゃんは、強いよ」

「……?」

 

 肩を落とす私に、笑みを零していたこのかが唐突にそんな事を言った。

 どういう意味かわからなくて見上げると、人の気持ちを考えられる妖夢ちゃんは、強い子や、と軽く額を押されて、反射的に両手で額を押さえる。

 

「……でも、私、さっき」

「こらこら、悪いように考えたらあかん。なんならウチが保証したる。妖夢ちゃんはとっても強い! な?」

「……うん」

 

 とんと自分の胸を叩いて見せるこのかに、うなずく。

 でも、このか。そんな、正面から言われると、流石に恥ずかしい。

 恥ずかしさ紛れに、散らかっていた服を引き寄せて畳むとこのかも手近なものを手に取って畳み始めた。

 そうしていると、今度こそほんとに心が落ち着いてきて、まだ滲んでいた感じのする涙も、なくなった。

 

「ほんまに、大丈夫?」

 

 鞄に色々詰め込む中で、ふいにこのかが問いかけてきた。

 それは、飛行機が?

 うん。大丈夫。

 ……なんて、そんな事が言えれば、格好良いかもしれないんだけど。

 本当は、怖い、かも。

 でも、実際乗ってみなければわからない。

 

「怖くなったら」

「ん?」

 

 ぎゅうと服を押し込んで、ファスナーを閉めながら、呟く。

 鞄を押し込めていた体を元に戻して、このかに顔を向けた。

 

「頭、撫でてくれる……?」

 

 半ば、消えてしまいそうな声。

 ちゃんと聞こえたかも確認しないまま、恥ずかしさにうつむく。

 くすりと笑う声がした。

 

「ええよ、お安いごよーや」

 

 そっと顔を上げると、にこにこ笑顔のこのかがいて。

 おいでおいでと手招きされるのに、正座したまま躊躇いがちに近付けば、抱きしめられて。

 私、このまま、溶けてしまいそうだ。

 両手も顔もこのかに預けてしまうと、後はもう、目をつぶるしかなくなって。

 そうすると、どうしようもなく安心してしまって。

 

「ありゃ」

 

 意識を繋ぎとめるのも、一苦労になってしまう。

 

「ありゃりゃ」

 

 ……。

 どんどん落ちていく意識を留めておこうとして、ぽんと軽く背中を叩かれるのに、耐えられない。

 それに、私、なんだか疲れて……。

 

 

 次に私が目覚めたのは、アスナの背中の上だった。

 あれ? 飛行機は?

 ……え、もう到着した?

 …………………。


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