なりきり妖夢一直線!   作:月日星夜(木端妖精)

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ちょっと遅くなりました。
うーん、書くの難しい。

次の悪魔来訪のイベントでは、妖夢の他の技が出る……と、いいなあ。
……きっと書きます。

でも、弾幕格闘以外のスペカを出すのは難しいんだよなあ。
うむむ。


第二十三話 鬼神斬り

 ぴくんと眉が跳ねた。

 ぼやけていた視界が徐々に綺麗になって……濡れた体や、生(ぬる)い水に浸かる足の感覚が、少しずつ取り戻されていく。

 一欠けらの歪みも無い視界いっぱいに腕を引き絞る女がいる。腕の先には刀があった。

 ただ、それは私の視界にあるというだけで、それが何かはまだ認識できなかった。

 

 心臓が跳ねた。

 最初に感じたのは、熱だった。百度の熱。

 燃えるように、だけど炎の無い熱が胸の中で膨れ上がり、心臓が脈を打つと、それに押されて管を通って行く。そんな感覚。

 体中へ廻ろうとする血が、胸やお腹の傷から零れているのに意識を向けていると、今度は音が聞こえるようになる。

 ずっと遠くで響いていた音が、いつしか喧騒へと姿を変える。

 引き伸ばされた誰かの悲鳴。水を薙いでいる音。風を切る音。

 光が閃く。前に立つ女……月詠が腕を突き出すのと同時に、私は意識を取り戻した。

 

「ふっ! ……う!?」

 

 吐かれた息が驚愕の声に変わる。

 横から差し出された棒のような何かが、突き出された刃先を受け止めていた。

 目を動かす。棒を握る手。手から袖へ。腕へ。顔へ。

 幽々子様だった。

 光が舞う。蝶がはためく。暗い瞳は、月詠へと向けられていた。

 幽々子様が、私に顔を向ける事無く棒を……扇子を動かして、刀を押し返す。

 ただ腕を動かしただけ。私には、そこに力が入れられているようには、とても見えなかった。

 

「!? ……!?」

 

 動揺した月詠が一歩下がると、幽々子様はようやく私に顔を向けた。

 目が合う。吸い込まれてしまいそうな目に、しかし感情の色は見えない。

 見つめ返していると、結局幽々子様は何も言わずに顔を戻し、緩慢な動作で腕を振った。

 

「ぐうっ!?」

 

 当たってもいないのに、月詠が吹き飛ぶ。

 水飛沫を上げて転がった月詠は、爆ぜるように跳ね上がると、右手の刀を逆手に持ち替えた。眉が寄っている。理解し難いものを見るような目が私に向けられていた。

 幽々子様が、私に指を向けて、なにかを描くようにゆらゆらと動かした。

 すると私の体に纏わりついていた影が激しく蠢き、次には私の中へと入り込んで来ていた。

 傷ついた目や胸や腹からずるずると、質量を持って入り込み、だけど深入りはしない。傷の内と外に止まり、蠢く。

 その奇妙な感覚に変な声が出た。息を吐くような声。

 傷口が焼ける。いや、焼けているかのように痛み出す。

 それまでは痛みを感じていなかったのに、突然戻ってきた耐え難い激痛に勝手に体が跳ねる。影は更に速く動き、傷口を閉じるように流れた。

 血が止まる。だが焼けるような痛みは止まらない。

 いや、ひょっとしたら、本当に焼けているのかもしれない。(せば)まった視界に、自分の体から赤黒い煙が上がっているのが見えた。

 どれくらいの間、上がる煙を見つめていただろうか。

 何度か斬りかかってくる月詠を退けていた幽々子様が私に向き直り、膝を折る。揺れ動く着物の裾が水に浸かっているのに、波紋が広がらないのが不思議だった。

 水面に映る、浅い水にへたり込んで呆然としている月詠を眺めていると、幽々子様の両手が私の頬を挟み、向き直させられた。青白い顔が正面に来る。

 幽々子様は小さく微笑むと、親指で私の右目をなぞり、それから、両方の手を私の胸へと滑り落とした。そのまま、傷口に沿うようにお腹まで撫で下ろす。

 すると、私の中と外で揺らいでいた影はたちまち治まり、私の中へ消えていった。傷は綺麗に消えている。服が破れ、血が染みていなければ、怪我をしていたなんて自分でもわからないだろう。

 そっと離れて立ち上がった幽々子様が、今度は向こうを指差す。私の正面。月詠のいる場所とはちょっと逸れていて、まだ鬼達がたくさんいる方。私に何度も顔を向けるセツナとアスナが戦い続けていた。

 それを、指差しているのだろうか。

 それはつまり、加勢しろ、という事なのだろうか。

 奇妙に透き通った頭の中で、しかしぼんやりとそう考える。

 と、森の向こうに大きな光の柱が立ち上がった。幽々子様の指はそれを指している。遠くに、よく知っている気配を感じた。

 ……ああ、このか。

 ……このか!?

 

 はっとした。

 そうだ、このかを取り戻さないと!

 こんな所で立ち止まっている場合ではなかった。今は一刻を争う事態、なのだった。

 

「……あ、りがとう、ございます。ゆゆこさま」

 

 それを教えてくれた幽々子様に感謝しようと声を出すと、喉の奥に固まった物がへばりついていて、上手く喋れなかった。

 だけど言葉は伝わったようで、幽々子様は微笑み、小さく頷くと、ふんわりと消えてしまった。

 残った光が空気に溶ける。私は立ち上がった。血が流れすぎたのか体が軽くて、動き辛かった。ふらつく足で何度か地面を踏み、感覚を確かめてから顔を上げる。

 大きく広がる湖を、視界の端まで鮮明に捉える。清々しい気分だった。肉に力が戻り始めると、空気の動きさえわかるような、全能感があった。

 ただ、それもすぐに消える。今しなきゃいけないのは、あの光の柱の下へ向かう事だ。

 

「……そうは」

 

 させませんよ、と、月詠が気の抜けた声を投げかけてきた。目をやると、ふらっと立ち上がって、私に刀を向けてくる。

 正直、今、こいつの相手はしたくない。さっき十分に戦ったし、それで負けたのだから、もう勝負はついている。

 煩わしさに小さく首を振りながら、しかしそんな事を言ったって聞かないだろうな、などと考えていると、バシャッ! と水が跳ね上がった。月詠が後方へ跳んだためだ。跳び退る中で刀を振り、何かを弾く。と同時に月詠の足下に水柱が立ち上がった。

 着地した月詠が二度刀を振ると、合わせて二度、甲高い鉄の音。

 

「――っ!」

 

 咄嗟に右へ跳ぶ。月詠の弾いた何かが、狙いすましたかのように私へと飛んできていた。左の二の腕を掠って行く何かに理解が追い付かないまま、水面に体を打ち付ける。手を出す暇も無かった。ぶつけた肩が割れるように痛む。

 反射で息をのもうとして水を飲んでしまうのに、肘をついて体を起こしながら咳き込んだ。

 

「えほっ……ん、う」

「妖夢!」

 

 剥き出しの腕で口を拭っていると、私を呼ぶ声。気にせず立ち上がると、走り寄ってくる気配があった。バシャバシャと跳ね飛ばされた水がスカートにかかって、ようやく顔を向ける。セツナだ。

 

「大丈夫か!」

「……?」

 

 月詠を気にしつつ、そんな言葉。見てわからないのかと疑問に思っていると、アスナまで寄って来た。……私の心配はいいけど、後ろから追ってくる鬼達はいいんだろうか。

 と、鬼達が吹き飛んだ。同時に銃声が響く。

 見れば、同じ班のタツミヤさんと、クラスメイトのなんとかいう人がいた。長い銃を連射して鬼とか鳥男とかを片付けている。

 私に何事か話しかけたセツナが、月詠の相手をしに走って行った。

 ……何? 助っ人?

 ……なんて言ったのか、よく聞き取れなかった。

 

「え、あれ、怪我無いよ? 凄い血がついてるんだけど……」

 

 膝をついてべたべた私を触り回していたアスナが呟くのに顔を向ける。揺れるから、あんまり乱暴に触らないで欲しい。腕を掴むと、逆に腕をとられて、大丈夫なのかと再度問われた。だから、見てわからないのか。そう言おうとして、アスナが酷く青褪めているのに言葉を飲み込んだ。

 

「だい、じょうぶ」

 

 舌が回らなくて、代わりにこくこく頷いて見せると、頬に手を添えられる。水に濡れた冷たい手。それが滑り落ちるように動いて撫でられると、心配されているというのが直接伝わってきて、恥ずかしくなってしまう。

 

「あ、でも、傷は無くても……酷い恰好ね」

 

 私の肩に手を掛けたアスナが、ボロボロの服を見回しながら言う。別に気にならないけど……って、そんな事より。

 今度こそアスナの腕を取る。アスナは私の手に自分の手を重ねて、小さく首を傾げて顔を覗き込んできた。「どこか痛むのか」と聞きたそうだった。

 だが、私が言いたいのはそんな事じゃない。手を振り払い、軽くアスナの肩を叩く。

 

「先に、行く」

 

 足下に落ちていた白楼剣を拾うついでに、傍の水底にあるハリセン……だったかを拾い上げて、不思議そうな顔をしているアスナに押し付け、横を擦り抜ける。あ、と声が聞こえたが、聞こえない振りをした。

 楼観剣は……どこだろう。

 剥き身の白楼剣を手にしたまま辺りを見回して、遠く、暗い水底に横たわっているのを見つける。……ほんとに遠い。刀のある傍を鳥男が後退っていった。

 ……あ、撃たれて消えた。

 足を動かし、一歩踏み出す。刀の傍にはまだ何匹かいる。拾われてはたまらない。タツミヤさんの方に意識が向いているとしても、絶対ないとは言い切れない。

 走り出す。地面を蹴って、前に飛び出す。

 足の感覚は軽い。だけど、水の抵抗が強い。力が弱まっているのだろうか。それは、あれだけ血を流せば仕方がないのかもしれない。だが、不思議な事に、どうしてか前より速く走れているような気がした。

 慌ててアスナが追ってくる気配があるのを後ろに、視界を遮る鬼に向けて手の平を突き出す。

 放出された不可視の何かが鬼を吹き飛ばす……なんて事は無く、鬼は、銃弾に貫かれて煙になった。

 

「……?」

 

 おかしいな。できる気がしたんだけど……。

 なんて思っている間に楼観剣は目の前だ。

 前へ跳び、転がりざまに柄を掴んで立ち上がる。巻き込んだ水が周囲に撒き散らされた。

 

「危ない!」

 

 アスナから警告が飛ぶ。私の前に、大きな鬼がいる。手には、折れた棍棒。でも大丈夫だ。わかってる。意味も無く転がった訳じゃない。

 勢いを殺さないまま楼観剣で斬り上げる。反応した鬼が棍棒……石柱? で防いだ。ギギィ! と石を削る音。こいつ、図体がデカいくせに、以外と素早い。鬼だからか。

 振り上げた体勢でいる所を狙ってか、棍棒が振り下ろされた。引き戻した刀で受け止める。ずしんと体全体に伝わる重さに足が曲がりかかった。片手だけで支える刀が大きく押される。

 

「んっ!」

 

 こんなもの、馬鹿正直に受けてやる必要も無い。

 力に押し潰される前に、手首を捻りながら横へ流し、力任せに跳ね返す。凌がれるとは思っていなかったのか、おおっ!? と鬼の驚く声。自分でも驚きだ。なんだろう、今の私の動き。なんか、くるっと跳ね返せた。

 ああ、じゃなくて。

 跳ねあげた刀の勢いのまま引っ張られるように一回転し、更に勢いをつけてもう一度斬り上げる。ガリガリと岩を削るような手応え。入りが浅い。だが、鬼を仰け反らせる事はできた。チャンスだ。足を曲げ、飛び上がる。ちょうど、鬼の顔の前あたり。首を落とそうと、横に流した刀を気合の声と共に振り抜く。一閃。光の帯が広がる。強い抵抗感。刀は振り切れたものの、首は落とせなかった。せいぜい、喉元をぱっくりいった程度だ。

 

「つあっ!」

 

 空中で腰を捻り、大きく右腕に握った刀を引き絞る。落下が始まる前に、割れた喉を狙って突きを放つと、あっさり貫く事ができた。

 抉りながら、刀を支えにして鬼の胸を蹴って()ね、楼観剣を引き抜きつつ跳び退る。

 血の代わりに煙を吹き出した鬼が、声にならない声を首から吐き出して、消えていった。

 大きく水が跳ね上がる。着地した私の前に、アスナが駆け寄ってきた。

 

「妖夢ちゃん、凄い……」

 

 それ程でもない。

 立ち上がると、くらくらした。立ち眩みに似た、けれど、何か違う、変な感じ。体に力が入らない。ふらふらしてると、アスナに支えられた。ああ、こんな事してる場合じゃないのに。

 森の向こうにある光の柱の中には、巨大な影が映っていた。

 あんまり動いちゃ、なんて、今言うべきでない事を言うアスナに首を振って、自分の足で立つ。セツナが走り寄って来た。……月詠の相手は?

 ああ、タツミヤさん達に任せたの。

 

「私達はお嬢様の下へ急ぎましょう! もう時間が無い」

「ええっ! でも、うえっ!? なん、なによあれーっ!?」

 

 セツナに何かを言おうとしたアスナが、空の向こうを見上げて叫ぶ。

 騒がしい。声が頭に響く。う……なんか、お腹の辺りが、こう、すわっとした。気持ち悪い……。

 やらなきゃいけない事はわかってて、焦ってるつもりなのに、ぼーっとしてしまう。速くしないと、このかが……どう、なるんだろう。

 いや、きっと、大変な事になるんだ。だから、奪い返しに行かないと。

 行くよ、と声をかけられるのに頷いて、それから、近付いてきていた鬼をばっさり斬り捨てる。うん、剣を振るのに支障はないな。

 柄を握り直して、その感触に一つ頷いてから、走り出した二人に続いた。

 

 バシャバシャと水を蹴飛ばして木々の間を走り続ける。不思議だ。体が軽くて、そのせいか、二人のスピードについていけている。

 時折私に振り向くアスナに大丈夫だと頷き返しながら、荒く息を吐き出す。……同じくらいの速さで走れるにしても、疲れる事に変わりはない。頭のてっぺんから足の先まで疲れ切っていて、今すぐ倒れ込んでしまいたいくらいだ。吸った空気も、喉の奥まで来ると鉄臭い。あの光の下に行くまでに血を吐かないでいられるだろうか。

 痛む胸を手の平で(ぬぐ)い、指に引っかかったリボンを引き抜く。指に絡まるリボンは、月詠によって中途半端な長さに斬られている。だが、十分だろう。

 走りながら、お腹の下周りにリボンを巻く。両手に刀を握ったままでは凄くやりにくいが、なんとか指先で結ぶ事ができた。腰の後ろ、服とリボンの間に白楼剣を差す。

 不安定でちょっと危ないかもしれないが、片手で刀を振っていて力負けするよりはましだろう。それに、片手が自由になれば色々な事に対応できるようになる。

 ……楼観剣も出しっぱなしにしておくより、しまった方がいいか。

 ふと考え直して、左腰に下ろした鞘に楼観剣を収めると(肌着も斬られているせいか、鞘が直接肌を擦って、凄くこそばゆい)、左手で鞘を支え、右手で柄を握ったまま走る。一応、いつでも抜けるようにはしておこう。

そうして走っている内、突然アスナが変な声を上げた。手の内に出したカードを額に当てて、何やらぶつぶつ言いだす。……壊れた?

 疑問に思っていると、アスナから説明される。どうやら、カモ君から救援要請が来たらしい。それで、今すぐ来て貰う為に、カードの力で呼ぶのだと言う。

 ……ちょっと言ってる事がわからなくて混乱するものの、アスナが光に包まれて消えると、なんとなく意味を理解した。

 残されたセツナが私に顔を向けるので、急ごう、と漏れる息の合間に言う。頷いたセツナは、少しだけスピードを上げた。

 だが、多分、この速さでは絶対間に合わない。魔法が使えれば、空を飛んでいけるというのに。

 もどかしく思う傍らで、私に合わせるように走るセツナに、先に行けと怒鳴る。顔だけで振り返って私を見たセツナは、少しして、「すまない」と謝った。なぜ謝る?

 直後に水が跳ね上がり、セツナの姿が消える。ん、速く動く技だ。何度か見た技術。

 ……私も、そうすれば追いつけるか?

 水の中の木の根に足をとられそうになりながら、試しに体の中の妖力を動かす。ほとんど残っていないような気もするが、今それを気にしている暇はない。ありったけを足の裏に集めて、踏み出すのに合わせて爆発させる。

 ぐんと体中に負荷がかかる。流れる視界の中で、倒木が迫るのを捉えた。

 瞬時に抜き放った楼観剣で二つにするも、結局ぶつかってしまった。痛む肩や顎を気にする間もなく水の中を転がって、そのまま立ち上がって走り出し、衰えたスピードを補うためにもう一度同じ技を使う。ぐんと景色が伸びる。体が後ろに引っ張られて、千切れそうな感覚。

 飛び出した方向が悪かったのか、脇に立つ木々の方に向かっていて、そのままではぶつかるので、がむしゃらに刀を振って細切れにした。気のせいか、刀を振る速さが上がっている気がする。体にぶつかる破片を跳ね散らしながら、近くの木を蹴りつけ、ついでに妖力を爆発させて跳ぶ。ぎしりと軋む足の感覚も後ろに、幾度も繰り返し、木や地面を跳ねて先へ進んでいく。何度目か、ついに木々の中から開けた場所へ飛び出した。

光の溢れる広い場所。近くに、先生やアスナの気配がある。しかし、私の目は、巨大な怪物に釘付けだった。

 あれは……鬼、なのか?

 だとしたら、なんて巨大で、強大なんだろう。

 湖の中に立つ鬼の力は、身震いしそうなくらい強くて、同時に、私の心を揺さぶるものだった。

 あれ、斬りたい。

 凄く斬りたい。

 そんな欲望が胸の中に溢れて、遠く、鬼の首元にセツナとこのかの姿を見つけて、本来の目的を思い出す。

 ああ、そうだ。このかを取り戻す……のは、今、セツナがやってしまったみたいだ。……なぜかセツナに羽が生えてる。

 いや、気にするのはそこじゃない。気にしなきゃいけないのは、今私が何をするべきか、だ。

 荒く息を飲み込み、口元を拭って、痛いくらいに鬼を見上げる。

 ……あれを、斬るか。

 やれるかどうかなんて考えず、ただ、自分の役割を果たすために、柄を握る手に力を込める。

 鬼から離れていくセツナとこのかを目で追って、それから、白楼剣へ手を伸ばした。

 鋭い刃に指を這わせ、冷たい感覚に背筋がぞくぞくとするのに目をつぶって、息を吐く。

 根元に結ばれたリボンを引き抜くと、緩やかに風の力が解放された。

 

「……ん、あった」

 

 思わず漏れた声は、渦巻く緑の魔力が私に纏わる中に消えた。

 少ない魔力を繰りながら、飛ぶために助走をつける。水の中から抜け出し、木板の上を駆け、祭壇の傍を通り抜け、湖へと延びる橋の先へひたすらに向かう。そのさなか、不意に、鬼の顔の一つがこちらに向いた。

 見られている……?

 疑問は、鬼の四つの腕の内の一本が脈絡なく放たれるのに、確信に変わった。

 狙われている! なんて考えている内に、巨大な拳が迫る。体ごと倒れてきそうなパンチ。腕のずっと先に、わたわたと慌てている人影がうっすらと見えた。

 

「はっ!」

 

 十分な速度を持って跳躍する。迫る腕が風を引き込んでいるのか、抵抗なく体が持ち上がって行く。飛ぶと言うより、吸い込まれている。飛んで、四秒。恐ろしい暴力が真下を通過し、瞬間、地面が爆発した。

 突風に煽られながらも、なんとか魔力を繰って体勢を崩さないように堪える。弾け飛んだ足場や高く上がった水柱がすぐ近くを過ぎり、私から熱を奪っていく。このままでは体がばらばらになってしまいそうだ。

 吹き荒れる風と水の中で大声を出して、揺れる刀を両手で握る。そのまま手の内で回し、切っ先を下へ。

 

「はぁっ!」

 

 急降下する体に任せ、勢い良く鬼の巨腕に刀を突き刺した。細く伸びた桜色がぱぁっと散る。分厚い皮の下に流れる血潮を刀の先に感じつつ、抉り、捻る。ようやく体勢が整うと、私は鬼の腕を駆け上がった。もちろん、刀は刺したままだ。

 両手でしっかりと柄を握り、腕に突き刺したまま、切れ味に任せて肩の方へ走って行く。後ろへ伸びる桜色の中に、赤黒いものと他の何かが混じって流れていた。

 腕が引き戻されて行く。地震のただなかにいるかのようだ。急がねば。

 急な坂に似た二の腕を登り、肩の付近に到達すると、もう完全に鬼は腕を戻しきっていた。盛り上がった肩が行く手を阻み、傾いた体が私のバランスを崩そうとする。風の魔力はとっくに散っている。今ここで落ちたら、恐らく死ぬだろう。跳ぶなら、今しかない。意を決し、足に力を込める。

 

 瞬間、空気が爆ぜる音と共に鬼が姿勢を崩した。

 

 大きく震えた腕に、前に出した足が空気を踏んだ。あっと思った時には、跳ねるように戻ってきた鬼の腕にぶつけられて足から崩れ落ちそうになっていた。

 だめだ。こんな不安定な向きじゃ、首は、狙えない。いや、そもそも……!

 跳べるのか。一瞬過ぎった疑問に、跳べる、と自分で返した。

 ずるりと滑る左足は無視して、片膝をつくかのようになっている右足だけで、跳躍する。

 どこまで飛べるか。

 不安に流した汗は、次には強い風に吹き散らされていた。

 高い。

 私、高く飛んでる。

 何が起こったのか、それとも、奇跡か偶然かで、上手く跳べたのだろうか。先程まで私が立っていた鬼の肩は、およそ十メートルは下にあった。

 だが、やはりここからでは鬼の首は落とせない。鬼の顔は真横にあるが、近すぎる。刀を振れば腕がぶつかってしまってまともに振りきれないだろう。ならば、やれることをやるまでだ。

 両手で掴んだ刀を、肩の後ろまで振りかぶる。胸を張って、背を反らして、限界まで引き絞る。高まり切った剣気が解放された。桜色の光。刀身に宿る力が、刀を何倍にも伸ばす。

 

「――――ッ!!」

 

 それを、一気に振り降ろした。

 強い手応えに腕が弾かれそうになりながらも勢いは削がれ切らず、刀と腕に引っ張られ、ぐるんと体が半転する。回る視界の中に、円状に伸びる桜色が大きくあった。やがてその中に、夜空と星の輝きが広がる。

 鬼が咆哮する。肩から離れた腕は、緩やかに湖へと落ち始めていた。同時に私も落下が始まる。

 刀を後ろに流したまま、下へ体が向くように体勢を整え、足で空を掻く。やがて足裏が硬い物を蹴りつけた。鬼の胸だ。どしりと太ももに跳ねかえる衝撃に、鬼から離れてしまわないようなんとか駆け下りていく。垂直に、落ちるように。

 ゴウゴウ、バタバタと風の音が耳元を抜け、頭の上でリボンがはためいている。引っ張られた髪が痛い。だがそれ以上に――急激に冷えていく周りに、肌が引き攣るような痛みを訴えていた。

 ……何かが起こってる?

 走るのに精いっぱいで、理解が追い付かないまま腹の辺りに到達した時だろうか。空気の軋む音が、私の体を駆け抜けた。

 頭の中に鳴り響く警鐘に従い、鬼の体を蹴って空中に飛び出す。間髪入れず、湖からせり上がった魔力があっという間に鬼の体を凍り付かせ、何本もの氷柱を立ち上がらせた。眼前に突き立つ鋭い氷を刀で斬り裂き、二つに別れたその中を通り抜ける。尖った氷の礫が肌に痛い。

 抜けて行った先にも大きな氷の柱が立っていた。体の向きを整え、それを勢いのままに蹴りつける。余すことなく足の先へ衝撃を逃がし、両足ともに氷柱に押し付け、屈伸する。次には、弾丸の如く反対へ飛び出していた。

 向かう先にも無数の巨大な柱がある。空中で前転し、その内の一本に両足から突っ込んで行く。

 どう、と強い衝撃に体が悲鳴を上げる。潰れて縮まる骨や臓器が、ぎゅうぎゅうと痛んで、今にも弾けそうだった。

 再度、飛ぶ。また反対へ、着地すれば、もう一度。何度か繰り返し、ようやく対応できそうになったところに、先に落ちた氷塊や鬼の腕が、津波と氷を跳ね上げてきた。

 

「ううっ!!」

 

 噛み締めた口から、やけに明瞭な音が漏れる。跳んできた氷の塊を、何度も刀を振るってバラバラにした先には、同じような氷塊が幾つもあり、私を潰そうと迫っていた。

 上からではなく下から潰されるだなんて、どういう冗談だ!

 いよいよ生命の危機を感じる中で、どうしてか胸の中と頭の真ん中はすーっとしていて、それで、私が次にどうすればいいのかを教えてくれた。

 回避しよう。斬らなくていい。範囲外へ、安全な場所まで飛ぼう。

 次から次へ考えが廻る。どうすれば切り抜けられるか。この土壇場で、私の頭はフル回転していた。

 目前まで迫る氷塊を、例によって極限まで引き延ばされた速度の中で、滅多切りにする。刀を振る速度が速いのか、空に走る桜色が幾筋も重なり、散る前にその中を突っ切って行く。開いたままの目が風に当てられて痛い。迫る細かな氷の欠片が私を避けてゆくのが鮮明に見える。全身に吹き出した汗のせいで、暑いのか寒いのかわからなかった。

 流れる風の中で納刀する。ベストの左右を辛うじて繋いでいたボタンがついに耐え切れなくなったか、外れて飛んでいった。広がった上着が空気を含んでバタバタとはためく。鬱陶しい。

 下から迫る私くらいの氷に、角度を合わせて足から突っ込み、蹴りつけ、前へ跳ぶ。できるだけ鬼から離れた場所へ、できるだけ遠くへ。

 徐々(じょじょ)に頭が地面へと傾く中で、うんと伸ばした両手の先を重ね、顔の前で伸ばす。長い数秒間。その(のち)に、私は冷たい水の中に突っ込んで行った。

 シンと静まり返った水の中を泳ぐ。水面から差し込む光も弱く、暗い水中で、このかの気配を頼りに手足を動かし、向かって行く。

 力強く水を掻き、足で水を蹴ってすいすいと進む。……なんだか、昔より速く泳げているような……。

 胸の中に生まれた疑問は、後方に巨大な何か沈んできたことで、波にさらわれて、気にならなくなった。

 水流にもみくちゃにされながら、ごぼりと息を吐くと、目の前が白んで――次には、もう水の流れは穏やかになっていた。

 たぶん、意識が飛んでいたのだろう。

 などと冷静に考えている場合ではない。もう息が続かない。

 ……いや、割と大丈夫な気もする。水を飲んだせいだろうか。胸は苦しいし、視界もぼやけているが、体は動いた。手足を動かし、気配の下へ泳ぎ出す。

 

「――ぷはっ!」

 

 息苦しくなってから数分程して、足場が見えて来たので、水面に上がった。腕で地面を引っ張り、体を押し上げる。ジャバジャバと服やスカートの中から水が零れ落ちると、冷たいと思っていた水の中より、外の空気の方が冷えているのに気が付いて、震えた。

 

「ぐ、あぇ」

 

 ドンドンと胸を叩き、水の逆流を促す。と、こみ上げてきた吐き気に、すかさず水を吐き出した。木板に水が弾け、隙間から落ちていく。腹の中で暖まったのか、随分と生温く感じた。

 だが、喉を裂きそうなくらいに大量に溢れる水の痛みは、いかんともしがたい。

 ここ最近で痛みやなんかには慣れたと思っていたが、これは、ちょっと、キツイ……。

 二度目の吐き出しを終えると、ふっと体から力が抜けて、仰向けに転がった。

 地面と体に挟まる刀の痛みも気にせず大の字になって、ぎゅっと目をつぶり、荒い呼吸を繰り返す。口元を拭うと、もうそれでおしまいとばかりに、体を動かす気力は尽きた。

 遠くで私を呼ぶ声がする。

 それが幻聴かそうでないかは、まどろむように唐突な眠気の中に沈んでいく私には、わからなかった。

 

 

「……ん」

 

 意識が浮上すると、まず感じたのは、自分を包む布団の柔らかさだった。

 ここは……ああ、ここは、このかの実家、か。

 障子から差し込む光から目を庇いつつ、少しの間心地良い眠気に任せて、動かないでいた。

 

「…………」

 

 どこからか紛れ込んできた桜の花びらが顔にかかる。

 ふうと息を吐き出して、体を起こした。

 捲れた掛布団の上に両腕を置いて、更に数秒、眠気を覚ます。大きなあくびが出ると、ようやく眠気が取れてきた。

 

「……はぁ」

 

 溜め息が出る。

 それは、私が着ているのが私の服ではなく白装束だから……なんて理由からではなく、昨日――昨日であっているかは知らないが――の自分の不甲斐無さを嘆いて、だ。

 私、全然成長してないな。

 もう一度溜め息を吐き、傍らに置いてあった刀に目を向け、それを掴んで立ち上がる。

 自分の服に着替えようと部屋の中を見回して、そういえば、着られないくらいにボロボロになってしまったのだと思い出す。

 また晴子に作って貰わなきゃ……。

 何を言われるか想像すると、少し気が滅入ってしまう。

 気晴らしに、障子戸の方へ歩み、そっと戸を開けて外を覗いた。

 強い光に目を細める。相変わらずの桜吹雪が、庭いっぱいに満ちていた。

 それを眺めながら、つらつらと考える。

 どうして負けたのかとか、結局私、斬られるだけしかしてないとか、もっと強くなるにはとか。

 ……そういえば、晴子が……『行き詰ったら私の所に来なさい』とかなんとか言っていた気がする。

 晴子なら、私をどうにかしてくれるんじゃないだろうか。

 私をもっと強くしてくれるんじゃないか。

 そうしたら、私……。

 思考の海に深く沈み込もうとしたその時、遠くで私を呼ぶ声がした。廊下の先。

 それに既視感を感じながらも目を向けて、近付いてくる人物を確認する。

 ああ、アサクラさん。

 やけにテンションの高いアサクラさんが言うには、ホテルで何か大変な事が起こっているそうで、いち早くホテルに戻らないといけないらしい。

 さっさと着替えて準備して、と急かされる傍ら、そういえば、一応、先生の困難とやらは解決したのだろうか、と考えた。

 このかは取り戻せたし、えーと……うん、そういえば、私、自分の事ばかりしていて、先生のやってる事全然見てなかった。だから、どうなのかがわからない。

 ……いいや、後で聞いてみればいい。

 

 そう楽天的に考える私に、ホテルで大きな困難が待っているだなんて、この時はまだ知る(よし)もなかった。


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