なりきり妖夢一直線!   作:月日星夜(木端妖精)

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お久しぶりです。まだまだエタ―なんないよ。
今回、なんか短い。

2014/5/10 誤字修正。誤字多すぎて笑えない。


第二十一話 VS神鳴流

「んっ!」

 

 喉の奥から気合の声を絞り出しながら、屋根の上へと足を叩きつけ、踏み込みながら前方を薙ぎ払う。扇状に広がった光が波のように押し寄せてきていた砂を両断し、するすると刀身に収まって行く。

 止まらず走り抜けようとして、左斜め前の床からゆらりと立ち上がった砂が、砂粒を流動させながら槍の形となり、私を穿とうと放たれる。右手の先に流していた刀を振り直す暇はない。刀身を右に流したまま顔の横まで右手を引き上げ、防御の姿勢をとる。瞬間、刀の腹の真ん中辺りに砂の槍が突き立ち、硬質な音が響く。

 全速力での勢いは全て削がれ、逆に、僅かに足が浮いて押し戻される。その足が床を踏む前に、痛みを発する手首を返して、身を引くように戻っていく砂を切りつけた。特に抵抗も無く斬り飛ばした半ばから上が宙を舞い、意思を失ったかのようにバラバラに散る。ザアッと落ちる砂の中を、息を止めて突っ切り、走り出した。間髪入れず、横合いから砂の槍が飛び出してくるのを打ち払い、隙を突くように背後から伸びて来た砂の鞭を、屋根から飛び降りる事で回避する。

 着地と同時に前転し、勢いを殺さないまま立ち上がって、出口を目指す。私達が入って来た場所は――どこだったか。

 転がった時に引っ付いたのか、服から剥がれ落ちる桜の花びらが煩わしく、それ以上に邪魔な花びらの雨を見上げると、屋根の上から、打ち上げる波のように砂が落ちて来ようとしていた。

 

「ちっ!」

 

 広い範囲を飲み込もうとする砂に、避ける事はできないと判断して、舌打ちする。腰の後ろに伸ばした手で白楼剣のリボンを引き解き、風の力を解放した。溢れる魔力が体を伝わり、長い刀身の先まで覆っていく。今か今かと荒ぶる力を、落ちてくる砂へ刀を向ける事で解き放つ。突風が砂の膜に穴を開け、私はそこへ体を滑り込ませて、と同時に、刀身に残る風を自身の周りに渦巻かせて、弾丸のように地面で弾ける砂を散らせた。

 腕を振って風を散らし、止めていた足を動かして再び走り出す。もっと速く動きたい。はやる気持ちが、イライラに変わっていく。リボンを解いて、魔力を解き放ち、何かに向けて撃つ。三つの動作。これでは、あまりに遅い。あのミコのように、一つの動作で何かができれば、立ち止まらずに走り続けられるのに。

 こんなでは、石になり始めていたあの男――このかの父親――に先んじて先生達の下へと向かおうとした意味が無い。何かはわからないけど、砂には妨害されるし……これでは、あの男の方が先に先生達の下についてしまいそうだ。

 ついでに言えば、今自分がどこにいるのかもちょっとわからない。足を絡めとろうとする砂を飛び越えて、回り込んで来た砂の壁を風の魔法で吹き飛ばして、それから、周りを見回す。……あんまり景色が変わってない。本当に私、進んでるのだろうか。何か変な術にでもかけられたのではないんじゃないかと勘繰ってしまう。それを知ろうと気配を探ろうにも、この場所には変な気配が満ちていて、術の存在はおろか、このか達の居場所さえわからない。空から見つけようと飛ぶと、砂に狙い撃ちにされるし……。

 歯痒さに柄を握る手に力が入る。だけど、思い悩んでいる暇はない。今こうしている間にも、このかに危険が迫っているかもしれないのだ。

 いや。確実に迫っているだろう。

 白髪の少年の姿を思い出して、目を細める。勘違いだったみたいだけど、私を知っているような口ぶりだったあの少年は何者……ああいや、考えてる場合ではないんだった。

 周囲に渦巻く砂塵を刀の一振りで吹き飛ばし、白楼剣のリボンを引き抜くと同時、地面を蹴って高く飛び上がる。風に後押しされて屋根の上に飛び乗ると、砂による攻撃の頻度が少しだけ下がる。……この砂を操っているのは誰なのだろうか。私の敵であるのは間違いないけど……。

 ガシャガシャ、ドシャドシャ、私の足と砂が屋根を打ち、砕いては撒き散らす。屋根の終わりを見た私は、行く手を阻むように立ち上がろうとしていた砂を飛び越え、そのまま屋根の向こうへと飛び込んだ。一瞬の浮遊感の後、着地。転がって、立ち上がる。見覚えのある場所に出た。

 地面の上に立っていては砂に対応しきれなくなるので、建物の壁の方へ走って行き、手を伸ばしてジャンプする。高い位置にある床に手が掛かると、体を引っ張り上げて、手すりを乗り越え、廊下に移る。……見覚えのある場所、だと思ったんだけど、登ってしまうと、似た景色が広がっているせいで、本当にそうなのか、自信を無くしてしまう。どっちに行けばいいんだろう……。

 とりあえず、前に走ろう。そう判断して、走り出す前に、振り返りざまに一閃。砂の弾丸のようなものが二つにわかれ、手すりと天井に当たって小さく爆発した。刀を構えて廊下の先を見据えるも、誰かが出てくる気配は無い。……砂を操っている奴は、どこからでも攻撃ができる? ……それだと、そいつを見つけるのは相当難しそうだ。なら、このまま無視して先へ進むのがいいだろう。

 庭の方から飛んでくる二本の槍を切り捨ててから、廊下の先へと動き出す。砂を迎撃しながら走っていると、曲がり角や廊下の途中途中に、装束姿の女性の石像が幾つか立っていた。驚きのまま固まるものや、瞬きの途中で止まっているようなのとか、転びかけみたいな体勢で横たわっているのとか。

 その背後や死角から砂が狙ってくるものだから、イラつきのままに近くの石像を盾にしたら、ちょっと欠けてしまった。とはいっても、垂れ下がる袖の一部だけだけど……その後、私を飲み込もうと広がる砂の波を阻むために蹴飛ばしたから、もしかしたら砂に飲まれて粉々になったかもしれない。壊れてないといいけど。

 無責任に祈りながら、曲がり角(と言っても、すぐまた折れて同じ方向へ進む)の手すりの向こうに、私達が入って来た鳥居の方へと続く道が見えた。手すりに両手を乗せて数秒、鳥居の向こうを見詰め、間違いでないか確認してから、手すりを乗り越えて外へ降りる。先生達は、もう行ってしまっただろうか。とりあえず、ここから出れば気配を追えるはずだ。……あんまり遠くに離れてなければ、だけど。

 一度、建物を振り仰ぐ。ここまで走り抜けてくる間、動いている人間はいなかった。みんな石になってしまっていた。ハルナもノドカもユエも、アサクラさんも……みんな石になってしまっているのだろうか。

 確認したい気持ちに駆られて、でも、その気持ちをすぐに抑え込む。そんな暇はない。そう、ここで立ち止まっている暇も。

 後ろ髪を引かれる思い、とはこの気持ちを指すのだろうか、なんて思いながら、鳥居の方へ駆け出す。

 そういえば、石と言えば、昼間……あの少年が使っていた技が、そんな感じじゃなかっただろうか。というか、少年の攻撃を受けたあの男が石像になろうとしていたのだから、それ以外にいないか。

 じゃあ、砂で攻撃してきていたのもあの少年か?

 考え事をしつつ、沢山の鳥居を抜けていく。……今更考えてもしょうがない事だと気づくのに、三分くらいかかった。

 完全に敷地から出ると、そこらじゅうにあった変な気配は、もう後ろにある。ここでなら、このか達の気配を感じられるだろうか。

 一応、目をつぶって意識を集中させ、いつもよりも強く気配を探ってみる。ん、後方に、沢山の気配。石像たちだろう。それ以外にも、小さな動物とか、何かの気配も感じ取ってしまう。もうちょっと……絞ってみよう……。

 ……いた。結構離れた場所。こんなに離れてるのになぜ気配を感じ取れるのかはわからないけど……あ、気配が消えた。どんどん離れて行っていたから、たぶん、私が感じ取れる範囲から抜けてしまったのだろう。でも、向かう先はわかった。あとは、行くだけだ。

 目を開いた私は、白楼剣のリボンを解いて風の力を解放し、ゆっくりと浮かび上がった。

 

 

 飛び始めて五分も経たないうちに、向かう先に竜巻が立ち上がった。

 あれは……魔法、か。しかし、誰のかまではよくわからない。警戒しながら近付いて行くと、大量の気配が密集しているのがわかった。先生達が囲まれてる? このかの気配が無い。何かあったんだ。心臓に直接冷や汗が流れるような感覚に唇の端を噛み、しかし、首を振って息を吐く。今は、まず目の前の事だ。

 魔法による竜巻は、かなり広範囲に風を吹かせていて、空を飛んでいると飛ばされそうになってしまう。それと、魔法を使ったのが何かの気配達かもしれないので、森の中に降り立ち、気配を消して近くまで寄って行く。底の浅い湖か何かか、足首までが水に沈む。靴の中に水が流れ込むのに、ろくに確認もしないで降りたのをちょっと後悔した。

 木々の合間から覗けば、数えきれないくらいたくさんの鬼がひしめいているのが見えた。……流石に、この数の中に飛び込んで行く勇気は無い。

 無いけど……行かない訳にもいかない。

 意を決して、木々の合間から抜け出して行く。最初に私に気付いたのは、小さな鬼だった。周りに比べて、だけど。

 

「なんやこんな所に……む。敵か?」

 

 はじめ不思議そうだった声が、私の背負う物を見ると、疑うようなものに変わる。周囲にいる鬼も私の方を向いては、敵か敵かと騒めきだす。敵か、って、違うと答えたら……どうなるんだろう。

 試しに首を振って、それから、小さく「違う」と呟くと、小さいのの隣にいたおっきいのが、ほおん? と変な声を上げた。これは……いけるのだろうか。

 ゆっくり近付いて行くと、中くらいの……ああ、面倒。全部鬼でいいか。鬼が、仲間だと言うなら、あれをどうにかしてくれと言った。あれ、とは……ああ、あの竜巻?

 どうだろう。私にどうにかできるかはわからないけど、あの中に先生達の気配がある。あの中までいければ、先生達に合流できるはずだ。そうすれば、後はどうとでも出来る。

 鬼達の間を縫って歩いて行くと、後ろの鬼から話が伝わったのか、私の周囲どころか、前の方にいる鬼からも視線を向けられる。それらを意識的に全部閉めだして、ただ、竜巻の方へ向かっていく。

 それ程時間もかからず、その前に着いた。

 ……途中、凄く話しかけられてたような気がするけど、気のせいだったかな。

 中で、三人が固まっているのが気配でわかる。さて、私も入るにはどうすればいいのだろう。

 少し考えたのち、刀を抜いて、それを突き入れてみる事にした。考えても思いつかなかったから、とりあえずこの竜巻、斬ってみよう。

 両手で柄を握り、ごうごうと唸る風の壁に切っ先を向け、ゆっくり刺し入れていく。手に大きく負荷がかかるのを予想して握る手に力を込めたものの、驚く事に、何の抵抗も無かった。腕を伸ばしきると、そのまま、私も中へ入って行く。私に纏わる黒い影に、ぶつかろうとする風が飲み込まれていっているような気がした。

 

「……えっ」

「あっ、よ、妖夢!?」

 

 息を漏らすような声と、すっとんきょうな声が、静かな竜巻の内にこもって響く。細めていた目を開くと、三人共が私を見ていた。

 ……これは、どういう状況なんだろう。私が伸ばした刀を境に、先生とセツナが向き合っていた。それは大しておかしくない事だけど、距離が近すぎる。セツナの手が先生の肩に置かれていて、顔を近づけあって……これでは、まるで……。

 

「……キス?」

「違う! いや、違くないけど!」

 

 こんな時に、と思ったけど、どうやら違う……いや、違くないらしい。どう言う事? ……まるで意味がわからない。

 ぱっと先生から離れたセツナが、恥ずかしげにもじもじし出すのから視線を外し、私の名を呼びながら寄ってくるアスナに顔を向ける。

 

「ななな何やってんだー! あ、兄貴、早く仮契約(パクティオー)を!」

「そ、そうだけど……!?」

「はっ、そ、そうでした! 恥ずかしがってる場合では……」

 

 このかは、と聞こうとすると、三人、じゃなくて、二人と一匹が喧しくしたせいで、言葉を発するタイミングを逃してしまった。地面にいるカモ君がキーキー鳴くのを眺めていると、なにやら焦った声を上げ始める。いや、先程の声も十分焦りを含んでいたが、今度のはもっと切羽詰まった感じだ。

 

「やばい、障壁が解ける!」

「えっ!? そんな、まだのはずだよ!」

 

 言われて、背後の渦巻く風の壁を見上げると、確かに勢いが弱まっている。……ひょっとして、私のせいなのだろうか。

 ちょっと、マズイんじゃ……と青ざめるアスナに、カモ君が魔力供給を! と催促する。作戦変更だ、って、なんの作戦?

 セツナが苦々しげに刀を構えるのに(なら)って、私も抜いたままの刀を持ち上げて構える。後ろで先生が二つ目の呪文を唱え始めるのが聞こえた。……ああ、魔力供給って、竜巻に、じゃないんだ。

 下がってください、と先生の声。振り返りながら脇に退くと、先生は手を突き出した体勢で私達の前に出た。ああ、魔法を使うから下がれ、という事か。

 頬にかかる髪を腕で退かしながら、先生の後ろに移動する。ちょうどそれくらいに、ふわっと風が消えていった。巻き上げられた水が小雨みたいにぱらぱらと降りかかってくる。

 

雷の暴風(ヨウイス・テンペスタース・フルグリエンス)!」

 

 広がる視界に、鬼の軍勢。その中心に先生の魔法が放たれた。雷と風の魔法。光線みたいに伸びる暴風は、少なくない数の鬼を巻き込みながら暗い空に消えていった。

 魔法の余波か、先生を中心として爆発するように膨れ上がった水煙が私達を隠す。その隙に、先生は杖に跨って、矢のように飛び出していった。……なんで?

 一緒に戦うものだと思っていた先生が行ってしまった事に、セツナに話を聞こうと振り返ろうとすると、その前に私を横切ってセツナが走って行った。行くぞ、と声を掛けられたものの、まだ疑問が……なんて思っていると、セツナを追ってアスナまで走り抜けていく。自分の事でいっぱいなのか、私に目を向けてきたりはしなかった。

 薄れる煙の向こうに消えてしまった二人を突っ立って見送る。

 えっと、私……先生の手伝いをしに来たのだけど……どうすれば良いんだろう。というか、どうすれば良いかを聞く前に先生は行ってしまった。……作戦って、これの事なんだろうか。

 とりあえず、立ち止まっている訳にもいかないので、緩やかに水を蹴飛ばしながら歩き出す。

 作戦……私達が鬼を倒し、先生はこのかの下へ、とか? そもそも、この鬼達はどこからわいてきたのだろう。

 疑問が解けかかると、新たに浮かび上がる疑問に息を吐く。

 いいや。

 ただ、斬り続けていれば、その内答えに辿り着くだろう。

 ぱしゃっ、と、蹴飛ばした水が顔の前まで跳ねる。足に力を込め、片手に持った刀を後ろに流して駆け出す。腰に伸ばした手が白楼剣の鞘に当たり、表面に這わせて指を伸ばせば、指先にリボンが絡まる。中指と薬指で挟んだそれを引き抜き、勢いのままに楼観剣の柄に叩きつけると、大きな風の魔力が刀身に渦を巻いた。

 激しくはためく服や髪を気にせず、水面を吹き飛ばしながらぐらぐら揺れる刀を固く握る。気を抜いたら手からすっぽ抜けてしまいそうだ。ちょっと失敗したかな……。

 魔力に吹き散らされて煙が晴れると、目の前には鬼達の背があった。セツナとアスナはその奥まで入り込んでいるらしく、立ち昇る人型の煙や紙切れみたいに舞い上がる鬼の姿が、二人が奮闘しているのを物語っていた。私も手伝わないと。

 

「んんっ!」

 

 手の内で暴れまわる刀を両手でしっかり握り、二人に当たらないように、斜めに振り抜く。と、弾けるように刀身から風の刃が飛んでいった。

 反動で後ろに倒れそうになる体に、足を出してなんとか堪える。刀より大きな風の力は、ひしめく鬼にぶつかると大きく爆発し、広範囲に爆風を撒き散らした。

 あ……あの位置だと、セツナ達も巻き込んだかもしれない。

 ヒヤッとして、打ち上げられる鬼達を見上げる。ズタズタに引き裂かれて消滅していくその中には、二人の姿は無かった。……良かった。

 ほっと息を吐くと、私の周りや、風の刃が通った道(地面が見えるくらいに水が引いていた)に水が流れ込んできて、再び靴の中が満たされた。靴下がふやけるような不快な感覚に足を開くと、波打つ水面に気泡が浮かんで、すぐに消えた。

 ……水を見ている場合じゃなかった。顔を上げると、私の周りにも鬼……と、キツネみたいなのとかが押し寄せてきていた。囲もうとしているみたいだけど、近付いて来る敵の動きはばらばらで、抜け道はいくらでもある。まあ、抜けなくてもどうとでもなりそうだが。

 斜めに刀を構え、意識を切り替えていく。戦いへ向けた高揚に身を任せて、敵を斬る事だけに集中する。

 いくつもの水を蹴る音。水気を含んだ冷たい風。迫る気配。息を吐くと、ちょうど、私の間合いにキツネみたいな顔をした奴が飛び込んで来た。ので、こちらからも飛び込んでいく。

 首を狙う短い刀に楼観剣の根元を当てて軌道を逸らし、駆け抜けざまに腰を両断する。後続の二体を返す刀で一気に斬ると、振り返って、後ろの三匹を相手する。まだ間合いに入ってきてはいない。が、わざわざ入って来るのを待つ事なく、広く刀を振って妖力弾を飛ばす。数は、七つ。威力の弱いはずのそれらは、それぞれ二、三発を腹に受けた鬼達の足を止めさせるくらいの威力になっていた。なぜかは知らないけど……。

 弾幕に当たらなかった鬼が拳を振り上げて迫ってくるのを刺突で始末して、残りの二匹に向けて踏み込み、巨体とぶつかり合うように刀を振るう。肉と骨を切り裂く感触。ボシュウと音をたてて消え去る鬼。これで、(せま)って来ていた奴らは排除し終えた。

 刀を振るって血を飛ばす真似事をしてから、遠巻きに様子を窺う奴らを見回す。数が多い。全部斬るまでにどれくらい時間が掛かるだろうか。

 

(それがし)が相手をしよう!」

 

 どうやら、計算している暇は無いようだ。武骨な刀を持った細身の鳥男(……それ以外に表現する言葉が見つからない)が、わざわざ声を上げながら駆け寄ってくる。む、結構な速さ。まるで、水面の上を飛んでいるような……。

 頭から飛び込んで来た鳥男の振るう剣に刀を合わせると、ブン、と強引に軌道を変えて足を狙ってきた。変な動き。人間では出来そうにない動きだった。

 こちらも持ち上げようとしていた腕に力をかけ、無理矢理打ち下ろす形に直す。楼観剣の柄の先が迫っていた刃にぶつかると、流石に力を入れられてないのか、簡単に逸らす事ができた。

 スカートの半ば辺りを少しだけ裂いて流れて行った刀が、くるんと返されて戻ってくる。また無茶な動きを。

 広げている私の足の間に入り込むように大きく踏み込んで来た鳥男に体勢を崩されかけて、後ろに倒れ込むままに、跳ね上がる水滴の向こう、迫る刀を注視する。……このまま倒れれば、この一撃は防げるけど……!

 

「むっ!」

 

 バク転の要領。空いている手を地につき、勢い良く持ち上げた足で鳥男の腹を蹴って、同時に手で地面を押し、バク宙に切り替える。ぐるんと視界が回転する。鳥男は、刀を振り切った状態で固まっていた。

 水を跳ねあげて着地すると、体中に衝撃が走る。うぐ、やっぱり無茶な動きだったか。流石に倒れるだけじゃ追撃を防ぐのは難しいと思って、咄嗟にやってみたんだけど。

 

「なんと面妖な動き……」

 

 ……お前には言われたくない。

 痛む頭の後ろを二度擦ってから、刀を構える。と、いつの間にか私の周りに鬼が集まって来ていた。

 といっても、そのまま襲って来るでもなく、輪になって各々武器を構えている。ちっ、面倒な……。

 

「かかれッ!」

 

 一掃しようと白楼剣に手を伸ばすと、鳥男が鋭く叫んで、他の鬼と一緒に迫って来た。しゅるりとリボンを解くと、その手に魔力が充満する。

 淡い赤色の光を纏う手をぶるんと振るう。正面に五つ、ほとんどぶつかり合うような距離に炎弾が生まれた。それが鬼に向かって行くのを見もせずに、片足を軸にぐるりと回転する。当然、腕は伸ばしたまま。

 体に引っ張られた腕が一拍遅れて一回転すると、全方位に炎の塊が飛んでいき、当たる傍から爆発していった。別に、弾幕は刀からじゃなくても出せるのだ。

 

「くっ、馬鹿な……!」

 

 一人だけ刀で炎弾を斬って弾いた鳥男が、足を止めながら動揺の声を上げる。集まっていた鬼は、全てが塵に還っていた。

 今の内に、あいつも斬ってしまおう。

 鳥男が立ち直る前に、左足で水を蹴り上げて視界を奪い、と同時に走り出す。刀を振ると、しっかり反応された。あんまり意味なかったかな。

 刀ごと腕を弾き上げ、腹を斬りつける。固い手応えではあったが、なんとか両断する事ができた。

 煙となって消えていく鳥男に振り返りながら、ふう、と息を吐く。背に滲んだ汗が、少し不快だった。

 薄く広がっていた桜色の光が刀身に集まるのを見届けて、セツナ達の方へ目を向ける。ここからだとあまり姿は見えないけど、なかなか大変そうだった。この数相手では、あまり大きく動けないから、かな。

 加勢しよう。そう思って走り出そうとして、水面に揺らめく影に違和感。風とは違う何かに水が揺らいでいた。

 

「とー」

 

 気付いた直後に、斜め後ろから抜けた声が聞こえてくる。その時には、背後に刀をやって防御の姿勢をとれていた。があん、と重い衝撃に、足で地を擦って耐える。……く、駄目だ、重すぎる!

 衝撃を逃がすために前へ飛び込んで前転し、立ち上がりざまに振り返ると、思った通り、そこには二刀流の女……月詠が立っていた。装いは前と違うが、昨日今日で忘れられる顔じゃない。

 

「また会いましたなー、後輩さん」

 

 前髪から滴る水が頬を濡らすのを腕で拭い、刀を構えると、月詠は微笑んでそう言った。暢気な声だけど、爆発音や水を跳ねる幾つもの足音に掻き消されないくらいには、力のある声だった。

 

「お前は月詠!」

 

 遠くの方で大きな鬼を斬り伏せたセツナが、声を上げながら走り寄って来る。しかし途中で別の個体の攻撃を受け、足を止められていた。

 

「センパイ~♡」

 

 そんなセツナに大きく手を振る月詠に、私はただ、呼吸を整えながら、振られる刀を見ていた。

 胸の奥底から滲み出る黒い影に力をたぎらせ、いつ斬りかかられても対応できるように足を開く。広がる波紋が月詠の足にぶつかると、セツナに二言ほど投げかけていた月詠は、ようやく私に向き直って、構えとも言えない構えをとった。

 

「ウチとしてはセンパイと斬り合いたいんですけど、これもお仕事。足止めさせていただきますえ」

 

 ……舐めた事を。

 頭に血が上るのを感じながら、逆に、水に濡れて冷えていく体を意識する。

 

「確かに……私は弱い。けど……二度目は無い。今度は、斬る」

「どうぞ」

 

 心を落ち着けるための言葉に変わらぬ調子で返された時には、水を跳ね上げて駆け出していた。

 

 

「えーい」

「っ!」

 

 眼前に構えた刀に重く押され、二歩、後退(あとずさ)る。右腕を振り下ろした月詠は、軽やかな動きでもう一方を閃かせた。

 さらに後退(こうたい)させられて、手が痺れるのに内心舌打ちする。前よりずっと速い。追いつくので精いっぱいで、こっちから攻撃する事ができない。

 歯痒さに、無理矢理押し切ろうとすれば、するりと刀の範囲から抜けて、私が刀を振り切るとすぐに踏み込んでくる。くそ、やり辛くてかなわない!

 

「うっ!」

 

 捌き損ねた刀が肩を裂いていく。熱い痛みを訴える肩に顔を顰めると、月詠は攻める手を止めて、小首を傾げた。ばしゃばしゃと水を跳ね退けて、なんとか距離をとる。当然の如く、追撃は無かった。

 

「んー、やっぱりつまらんなぁ」

 

 独り言のようで、私を挑発するような言葉でもあった。焼けるような痛みをおして右足で踏み込み、腹を狙って鋭く突くと、力を入れていないような動きで払われた。掌底に胸を打たれ、よろめきながら後退る。詰まった息を吐き出すと、胸の中に熱い何かが広がって行くのがわかった。軋む胸を庇いながら、更に一歩下がる。

 くそっ、動き辛い! なんでかは知らないけど……刀を振ると、必要以上に力が入って、体の動きも、思い描くものと全然違う。どうして思い通りに動けない? さっきまではちゃんと動けてたのに。こいつが何か魔法を使っているのか? ……いや、そんな気配は無い。

 じゃあ、なんで。

 そろりと、背中の方から黒い影が這い登ってくる。それが胸の下や腕を這うと、薄ら寒いものと、ぴりぴりとした痛みが肌を伝う。

 ……ああ、そうか。影が。

 私の影が、私じゃない影が、気をとられてる。……あの男、このかの父親に。

 だって、結局斬れなかったから。だから、ちゃんと動いてくれないんだ。だったら、今は、目の前の女を斬るのに集中して欲しい。

 ひょろりと、視界の端に影がちらつく。炎みたいに火の粉を散らすそれは、「違う」と言っているような気がした。

 …………。

 

「ふふ……」

 

 何がおかしいのか、小さく零れる笑い声に、逸れていた意識を月詠に戻す。月詠は手の内で短刀を弄びながら、まっすぐ私に目を合わせて来た。

 

「なぜ、そちら側に立っているのかわかりませんなー」

 

 悪寒にも似た何かに目を逸らそうとして、しかし、月詠の言葉に気をとられた。

 ……そちら側? どういう意味だ? ……何を言っている。

 急な言葉を私が理解できていないのがわかったのか、右手に握った刀を顔の前まで持ち上げた月詠が、だって、と続ける。

 

「清々しいくらいに人斬りの剣や。今も人を斬る快楽を求めて、ウチを斬りとーて斬りとーて仕方ない言ってますえ~」

「…………」

 

 緩く左右に振られる刀に、水面の揺らめきが映っている。遠くで、アスナの気合いの声が聞こえた。

 

「……それが、なに? お前を斬って何が悪いの」

 

 お前は私の敵だ。このかの敵で、先生の困難。斬れば、一つ面倒事が無くなる。それに、私も何かを知れるかもしれない。だから、思った。斬って何が悪いのか、と。

 月詠は口元に手を当てて、おかしそうに笑った。神経を逆撫でするような態度に、自然と目つきが鋭くなる。

 

「何がおかしい」

「ふふ、いえ。なんにも、悪くないですわ」

 

 悪い事なんて、なんにも。もう一度言って、くすくすと笑う。

 いらつく奴。結局、何が言いたいのかわからない。ただ、声を漏らす月詠には、まだ何か言いそうな気配があったので、正眼に構えている刀を揺らして先を促した。

 ……耳を傾ける必要は、無いのかもしれないけど。

 水面に揺らぐ月詠が頷くのが、視界の端に見えた。

 

「わかります~。人を斬りたくてたまらない……骨を断ち、臓物を裂き、清い想いを斬り捨てる。吹き出る血潮で刀身を濡らすのは、何にも勝る快楽ですわ♡」

 

 ……それは。

 とくんと心臓が脈打つのが、何故か鮮明に感じられた。一瞬、視界がぶれる。無意識の内に、柄を固く握りしめていた。

 ……それは、違う。私はそんな事思ってない。人を斬りたいだなんて……。

 否定の言葉が浮かんでくると、不意に、刃が肉を断つ感触が手の内に甦った。分厚い肉を、さあっと裂く生々しい感覚。押し出した手に返ってくる、小気味の良い抵抗感。

 そうして裂いた肉から血が吹き出ると、気分が高まって……そうして戦っているのは、楽しくて。

 

「斬り合いの果てに命のともしびを断ち斬るのは、それが強者であればある程、気持ちが良いんですえ」

 

 か細い息が漏れる。

 ……違うと、否定したかった。

 だって、それは……悪い奴の考えだ。悪い奴の考えで……私はそんな事、思ってないはず、なのに。

 だというのに、思い出すのは、戦う時の楽しさだけ。刀を振るのは楽しい。斬り合うのは楽しい。でも、そうじゃない……。そういうのじゃない……。

 月詠の瞳に妖しい光が揺らめいていた。私の目と同じように揺れて……不意に、月詠は私に顔を向けたまま、ゆっくりと歩き出した。私の周りを回るように。擦って歩くような一歩一歩が大きな波紋となり、私の足にぶつかって、形を変えていく。

 ようやく目を離せたというのに、私はただ、刀を握る自分の手に目を落として、動けないでいた。

 月詠の言葉が正しいのか、正しくないのか、よくわからない。いや、人を斬るのを楽しいなんて思うのは、いけない事だ。でも、私がしているのは、敵を斬る事だけだ。悪い事なんかじゃない。そうだ、悪い事なんかじゃないんだ。

 

「そう言いましても、後輩さん。もう結構人、斬ってますやろ」

 

 声に出ていたのか、後ろから、月詠の声。はっとして振り返れば、月詠は足を止めて私を見ていた。笑うでもなく、ただ流し目を送ってくるのに、首を振る。

 ……私が斬ったのは、悪い奴ばかりだ。悪い奴を斬って、何が悪い。

 

「ほんまに、そん中に罪無き人がいなかったと言いきれますか?」

「――……」

 

 山を駆けたあの日。街を歩いていたあの時。肌に染みつく赤色は、火傷しそうなくらいに熱くて……。

 ううん、違う。全部、悪い奴だった。だから、私は悪くない。

 ……違う。だって、斬ったのは、妖夢だから。

 

「それは、後輩さんの名前やったような気がするんですけど」

 

 呟くような声に、何も言わずに目を上げると、ま、えーわ、と軽い声。

 ほっと息を吐きそうになるのに、慌てて口元を拭って誤魔化す。……これ以上は、何も言われたくなかった。

 もういい。もう、戦おう。余計な事は言わなくていいから。

 心に残る何かを振り切ろうと強く頭を振って、月詠を睨みつける。もうお喋りは終わりだ。

 私の気持ちとは裏腹に、月詠は緩く刀を振って尚も話を続けた。刀が少し下に傾くたび、私の顔が映る。

 

「人斬りの快楽に濡れた手で、お嬢様の手をとろうと?」

「……何を」

 

 前に出そうとした足が持ち上がらなくて、ぱしゃしゃ、と水を動かすだけに止まる。快楽に……濡れた、手。そう言われて、脳裏に血に(まみ)れた自分の手が過ぎった。

 そんな手でお嬢様――このかの手をとる?

 そんな事したら、きっと……きっと、嫌われてしまう。そんなのやだ。

 つう、と嫌な汗が背を伝う。切っ先が下がりかけていた刀がピクリと揺れて、乾いた口の中で、つばを飲み込んだ。

 このかに嫌われるなんて嫌だ。でも、手を握って貰えないのも嫌……。

 ふるふると頭を振る。違う。嫌われる事ばかり考えちゃ駄目だ。どうすれば嫌われないようにできるかを、考えないと。

 寒さに震えそうになる体に力を入れて、だけど、悪寒は消えない。

 悪い事をしたのは私じゃないのに、どうしてか自分が悪いのだと自覚する私がいて、それを隠してこのかに触れていた事に、吐き気がしそうなくらい気分が悪くなって……。

 

「―――ぁあっ!」

 

 横薙ぎに刀を振るう。ごちゃ混ぜになった感情を吐き出そうとして、でも、体が揺らぐだけに終わった。

 たった一つの動作をしただけなのに、息が切れる。眩暈がする。訳がわからない。私じゃないのに。悪いのは、私じゃないのに。

 遠くで私を呼ぶ声がした。切羽詰まったような声。それは、ただ耳に入って来るだけで、私の心には何の変化も起こさなかった。

 ふふ、と笑う声が前からする。月詠が、頬を染めて笑っていた。

 

「揺れてますなあ、はあ~ん……斬り甲斐がありそうな顔になってきましたえ~」

 

 その言葉も、ほとんど意味を理解できないまま耳を抜けていく。

 そうだ、敵、だ。こいつ、敵だった。今、戦っているんだった。

 

「さあ、どうします?」

 

 何か、いろんな意味が込められているような言葉だった。私の心を、下からすくい上げるような声音。左右に振られる刀に、私の姿が映る。

 息を吐いて、ゆらりと、切っ先を向ける。

 斬らないと。

 斬れば、きっと、わかるから。

 どうすればいいかとか、どうなるのかとか、何があるのかも。

 だから。

 

「お前を、斬って知る」

 

 低い声だった。

 どうすればいいのかわからないのも、自分がどうしたいのかも、今は全部どこかへ退けてしまおう。

 斬る事だけに集中しよう。どうせわかる事なんだから、考える必要なんてない。

 月詠は、にまあ、と口で弧を描き、次いで、吹き出すように笑った。

 

「あはっ、そうこなくちゃ面白くないですわ。でも、言いませんでしたっけ?」

 

 言いながら、ゆるゆると構えをとる月詠に、私も、刀を前に出して腰を落とす。自分の体の動きに、さっきまでとは違って、どこか力強さを感じられた。

 

「あてつけの剣では、ウチは斬られませんって」

 

 あてつけの剣。

 八つ当たりの剣。そんな剣では、確かにお前は斬れないだろう。

 でも、今は違う。それに……。

 

「妖怪が鍛えたこの楼観剣に、斬れぬものなど少ししか無い!」

 

 命を預ける刀の性能を、気合を入れる為に叫ぶ。体中に音が響くと、相手が動く前に、こちらから踏み込んで行った。

 

 

 打ち合った刀から火花が散り、その上に桜色の光がぱあっと広がる。片腕だけだというのに、私の全力の打ち下ろしを受け止めた月詠は、すかさず私の手へともう一方を振り抜いた。

 刀を右に逸らしながら左へ避ける。肩のふくらんだ布部分を刃の先が通って行った。腕を交差させた形になった月詠が両の刀を逆手に持ち替える間に体勢を立て直し、その場で突きを放つ。その体勢では払う訳にはいかないはず……!?

 とん、と月詠が跳んだ。猫を思わせるしなやかな動きで、私に照準を合わせたまま頭上を飛び越えて背後に降り立つ。目で追えて理解できてはいても、体は突きを放ち切ったままで止まっている。振り返ろうとすれば、その前に斬られるだろう。水の跳ねる音が間延びして聞こえる短い時間の中、思考するより速く体が動く。

 背後の気配、月詠の動きを爪の先まで警戒しつつ、柄から離した右手を白楼剣の柄に素早く移動させる。腰に固定するための紐を引っ張るくらいに無理矢理引き抜きつつ体を捻り、半分引き出した刃で攻撃を受け止める。そのまま振り返りつつ、押し出すように白楼剣を引き抜き、楼観剣で斬りつけた。カン、と軽い音と共に受け止めた月詠が「おー」と気の抜ける声を漏らす内に、無防備な腹に向けて前蹴りを繰り出す。壁を蹴るような手応えが足に返って来た。

 蹴り飛ばして距離をとろうと思ったものの、押し返されるようにして後退ってしまう。それに加えて、片手ずつでは力及ばず、押し負けそうになったところを逆に腹を蹴られて吹き飛ばされた。

 浅いとはいえ、水の中を転がるのは、波にのまれるのと変わらない。前後不覚に陥りながらも、なんとか勢いを殺さずに立ち上がり、打ち上げるように楼観剣を振る。手応えは無い。水で濡れた視界には、姿勢を低くして私の懐まで潜り込んでくる月詠の姿があった。

 しまっ――!

 

「ぐうっ!」

「あうっ!」

 

 反射的に放った膝蹴りが月詠の鼻を打つ。脇腹に入り始めていた刀が、月詠が脇を抜けていくのと同時にぐいっと引き抜かれた。冷たいのか熱いのか、よくわからない感覚に、えずくような声が漏れる。

 引き抜かれる時に体が持って行かれて、倒れそうになるのを後ろに足を出して堪えるついでに、振り返った。沢山の針で貫かれるような痛みが腹から上ってくるのに口の端を噛み、傷口を押さえようと動きかけた手を止める。数歩先で、鼻づらを押さえた月詠が、()たた、と声を漏らしていた。

 

 二刀じゃ、だめだ。

 

 こめかみ辺りから脂汗が噴き出るのを感じつつ、そう考える。気か魔力か、神鳴流だから前者だろうけど、それを操る月詠は片手でも私の全力を受け止める。ただでさえ私には力が無い。両手でやらなきゃ、あっという間に押し切られてしまうだろう。

 震える喉から声が漏れないように息を漏らしつつ、緩慢な動作で白楼剣を鞘に収める。斬られた腹の皮がずれる感覚が、泣きたくなるくらいはっきり感じられた。

 

「うふふ、どんどんいきますえ~」

 

 のろのろと楼観剣に手を戻す間に、右手の刀をくるんと回して順手に持ち替えた月詠が、輪郭がぶれる勢いで突っ込んで来た。くそっ、痛いの、まだ治ってないのに!

 後方へ飛び退りながら、斜めに振り下ろされた刀を弾いて逸らし、一拍遅れて斬り上げてくる刀を同じように外側へ逸らす。ばしゃ、と地に足がつくと、月詠は跳ねた水が服にかかるのも気にせず、連続で攻撃を繰り出してきた。右へ左へ、弾き、逸らし、持って行かれそうになる刀をなんとか手の内に留めながら、押し付けるような一撃を踏ん張って耐える。十字に揃えられた剣に押し込まれた刀の峰が肩口に食い込む。真っ赤に染まった横腹の服の端から滴り落ちた血が音をたてた。苦痛に唇が震えて、喘ぐ声が漏れる。ギリギリと音を鳴らす刀には、徐々に力が込められているのがわかった。

 息がかかる距離まで近づいている月詠の顔を睨みつけると、熱い吐息を吐き出して、にんまり笑われた。くそっ、馬鹿にするな!

 

「ぎっ!」

「おっ」

 

 痛みを堪えて、バットを振るように強引に刀を振り抜く。刀を左へ流した結果、開いた月詠の右半身へと返す刀を振り抜く。反応は迅速だった。もう片方で受けるより速く、飛び出してきた膝に胸を打たれ、息を詰まらせたところを、鞭みたいにしなる足に蹴りつけられて、水とぶつかっていた。

 

「あああ!」

 

 地面と擦れる傷口に、意図せず叫んでしまう。半ば水の中に消えた声に何かを思う前に、地面や鞘による痛みも息苦しさも全部無視して、追撃を避けるために転がっていた。直後、何かが破裂するような高い音が響く。振動が水中を伝わって来た。たぶん、蹴り。片手をついて跳ねるように身を起こし、怪我の心配もお構いなしに片膝をつきながら白楼剣へ手を伸ばす。降りかかってくる水の向こう、数歩先の距離に足を高く上げた月詠の姿があった。

 手の平に爪を食い込ませながらリボンを解く。解放された炎の魔力が私の前面で渦巻いた。

 

「はぁっ!」

 

 気合いの声。立ち上がりながら軽く両手を広げ、痛みを押し込む為に大声を出すと、呼応するように放出された炎が、一直線に月詠を襲った。目を丸くしながらも無茶苦茶に――それでも、どこか綺麗な軌道で――二刀を振り、一度炎を巻いて逸らすと、後続の炎に焼かれる前に横へ身を投げて転がった。長い髪が水を巻き上げて跳ねる。

 避けられたとわかった時には、消し方のわからない炎を放出しながらももう一度リボンを解いていた。

 

「ひゃわあっ!?」

 

 リボンが手の中で溶けると、身を起こした月詠が察知して飛び上がった直後に、岩の槍が飛び出した。月詠は槍の横っ面を蹴って飛び、水の中を転がってから飛び退った。私と同じような動き。追撃を警戒した動き。驚きにか、開いたままの目と半開きの口がこちらに向けられる。炎は今まさに消えようとしていた。

 魔法を絶やしちゃ駄目だ! 三度目に解いたリボンが溶けると、氷と闇の力がわき出てくる。一度左に振った刀を右に伸ばし、そこに魔力を通していく。暗い何かと冷気が刀身に渦を巻くのに、一秒もかからなかった。

 

「つあっ!」

「!」

 

 二刀を順手に持ち替えて構える月詠に向けて、電車の時と同じように、刀を地に走らせて振り上げる。矢のような速さで水面を這う氷の魔力は、刀に持ち上げられて飛び散った水滴や水面を凍らせていった。

 

「にとーれんげき――」

 

 氷片の浮かぶ水面を蹴って走り出す。踏み出すたびに体を突き抜ける衝撃が痛みを誘うのに、いちいち悲鳴が出そうで、煩わしかった。凍った水のアーチを駆け上がり始めた所で、前方で魔力が爆発する。迎撃された? だが、撒き散らされた冷気は辺り一面を凍り付かせていく。広がる煙に視界を奪われつつも、細いアーチを滑り落ちないように走り抜けながら、連続二回、白楼剣のリボンを解く。片方は楼観剣の柄に叩きつけ、もう片方はそのまま左手に。煙を突っ切って飛び込んでいく最中(さなか)、月詠の気配のある場所へ左手から水弾を幾つか放つ。弾かれてもいい。牽制だ。全て出し尽くす前に、地面へと至る。

 着地の衝撃を両足を曲げて最小限に止めようとするも、ブシュッと傷口から吹き出る血に顔が歪むのを抑えられなかった。歯を食いしばりながら、刀身に炎の魔力を渦巻かせる楼観剣を両手で握り、立ち上がりざまに振り返って、思い切りスイングする。斬った! ――氷のアーチを。

 煙ごと薙いだためか、晴れる視界に、先程と同じように背を屈めて飛び込んでくる月詠の姿。振り切った姿勢から無理矢理腕を戻し、刀を振り下ろす。すくい上げる一撃に弾かれて、だけど、体制は崩れなかった。勢いのままの突きを、半身になって避けようとして、胸に熱い感覚が走る。斬られた……!

 いや、薄皮一枚だ! 紙一重で躱せた。刃先に引っ掛けられて千切れ飛ぶリボンが宙を舞い、体ごとぶつかってくる月詠を、足一本でなんとか押しとどめようと踏ん張る。

 しかし、そもそもが無理な体勢だったためか、容易く吹き飛ばされてしまった。

 急停止する月詠を前に、どうにか体勢を整えつつ地に足をつける。勢いを殺すために何歩か下がって、それでようやく止まれた。転ぶような事は無かった。

 休む暇はない。高く水を跳ね飛ばして、一瞬で接近してくる月詠の動きに辛うじて対応する。流れるような剣撃を弾いて、下がって、弾く。押されている。お腹の痛みは感じなくなっていたが、頭の中が白みがかっていて、くらくらした。刀を擦り抜けてきた剣が首元を掠る。

 

「あっ――」

 

 ヒヤリとする間もなく、絡めとるような動きで楼観剣を弾き飛ばされていた。目が逸れた一瞬の隙に頬に痛みが走る。……勝手に腕が動いて捌いていてくれなかったら、今頃顔は下半分しかなかっただろう。

 左手で押していた腕をそのまま掴んでぐいと引っ張ると、驚く程あっさり月詠が体勢を崩した。驚く声も無いまま前へ押し返し、よろめいている所に、引き抜いた白楼剣の一撃を食らわせる。刃先から伝わる鉄を削るような感覚が、逆手で刀を持った手首に強い負荷をかけた。

 

「と、と、と」

 

 抜けた声を発する月詠の腹を蹴りつける。今度は素直に吹き飛んでくれた。伸ばしきった足を戻し、擦るような動きで急速に後退しながら、辺りを見回して楼観剣のある場所を探す。

 ……くそ、横たわっているのか、どこにも見当たらない!

 

「ざーんがーんけーん」

「っ!」

 

 楼観剣に気をとられている内に距離を詰められていた。瞬間移動のような速さ。何度か見た技術。目で追えると言っても、見てなければ対応するのは難しい。逆手で持ったままだった白楼剣で迎え撃とうとして、打ち合った瞬間、腕が爆ぜる。ぐらりと揺らぐ平行感覚に、引き攣った声が漏れた。

 背中から落ちて、息が詰まる。腹に染み込む水に体が強張って、一瞬頭の中が真っ白になった。

 慌てて手をついて上体を起こす。ついた手は右手。握っていた白楼剣が無い!

 その事に焦りを覚えるより速く、視界の先にこちらへ刀を振ろうとしている月詠の姿を捉え、反射的に、白楼剣の鞘をもぎ取っていた。腰に固定するための布がするりとほどけ、ろくに振りかぶりもしないで投げつける。鞘は、放物線を描いて飛んでいった。

 考えてやった事じゃなかった。むしろ、投げてしまった事に後悔した。

 だって、あれは大事な――。

 コッ、と乾いた音と共に両断された鞘が魔力を爆発させる。爆風に思わず顔を庇い、少しして風が治まると、なにやら間の抜けた声が聞こえてきた。

 

「め、めがね、めがね~」

「…………」

 

 ほとんどつぶっているくらいに目を細めた月詠が、座り込んだまま、何かを探すように刀を持ったままの手で地面を探っていた。少し離れた場所に、光を反射する物。

 数秒呆然として、腹の痛みにはっと気を取り戻す。……鞘が!

 ……いや、今はそれどころじゃない。楼観剣か白楼剣かを取りに行くなら、今しかない。

 お腹を庇いながら立ち上がって、重く息を吐く。寒い。水に濡れて重くなった服では動きにくくて、よろめいた。

 広がる波紋が、どこかで歪む。そちらに目をやれば、斜めに突き立つ白楼剣があった。こんな近くに。

 ザバザバと水を蹴って近付き、引き抜く。抜身の刀。なんで、鞘を投げちゃったんだろう……。

 ……そうしなければ危なかったから、というのはわかってる。でも、自分で納得できなかった。

 

「おー、あっ」

 

 少し遠くで、月詠の声。眼鏡に手が届いたのだろうか。急がないと、と思う傍ら、白楼剣の鍔の上、刃の付け根に結ばれたリボンを見詰めたまま、中々動けないでいた。

 立ち上がる気配。それで、ようやく私の体が動く。右手でリボンを掴み、引き抜いて、現れたリボンを掴んで、また引き抜いて。

 引き抜いて、引き抜いて、引き抜いて、引き抜いて。

 最後に解いたリボンを、伸ばした先の手から風に流すと、月詠の方へと顔を向ける。ちょうど、顔を下に向けて、眼鏡をかけている所だった。

 思い切りを、ぶつけてやろう。

 たくさんの魔力を刀身に宿らせた白楼剣を左手に、ただ、一撃でも当ててやろうと考えた。

 手傷を負わせれば、後はきっとセツナがやっつけてくれるだろう、なんて漠然と考えて……緩やかに走り出した。

 左手から右手へ白楼剣を移す。順手に持ち替えて、後ろへ流す。水を踏み抜く音が遠くに聞こえる。顔を上げて、私が迫っているのに気付いた月詠が構えをとるのが、ゆっくりとして見えた。

 長い道のり。実際は、十歩も無かったかもしれない。ただ、月詠を前にして、私は……跳んだ。

 

「にとー……!?」

 

 一拍遅れに振られる二刀の間に、強引に体を捩じ込んでいく。足を前に、頭は後ろに。横倒しのような体勢。広がるスカートを斬り裂く刀に引っ張られながら、お腹につくくらいに畳んだ右足を伸ばす。矢と言うには、遅すぎるけど……その先となる足を、月詠の胸へ抉り込んだ。

 魔力が伝わって行く。刀から腕へ。腕から体へ、足へ、月詠へ。捩じった体の勢いのまま、ぐるぐる回転する魔力が、余すことなく注ぎ込まれて行く。炎が、水が、氷が、闇が、風が、雷が、土が。ぐるぐる回って、足の先から放たれていく。

 

「――っぐ、ぁ」

 

 苦しげな声は、果たしてどっちの口から漏れたのだろう。

 

「あああ――」

 

 ビキビキと不穏な音をたて、激痛を訴えてくる私の足。耐えきれないくらい、痛い。

 だからきっと、この声は、私の声なのかもしれない。

 

「あああああああっ!!」

 

 いつしか意識が戻っていた。いや、意識が戻るという言い方は適切ではないだろうけど、今自分が何をしているのか、急にはっきり認識できるようになった。

 気合いの声と共に放った蹴りが月詠に当たって、今なお、突き抜けるほどの威力のそれを押し当て続けている事……。

 ズバァ、と服の弾け飛ぶ音。月詠の背中の方から、赤青黄色の光が溢れて、それが膨らんで、破裂した。

 限界だと思った。このままじゃ、足が壊れてしまう。伸びていた時間が戻って行くのを意識の端で感じとりながら、足に力を込め、思い切り跳ぶ。

 意図せず宙返りをして、綺麗に着地した。ただ、右足は地面につけた途端、酷い痛みを発し、力が抜けて、膝をついてしまった。

 

「はっ、はっ、はぁ……!」

 

 荒い呼吸を繰り返す。顔を上げられない。水の中についた手が小刻みに震えていた。喉の奥に張り付く鉄の味を飲み込むと、余計に息が苦しくなる。

 月詠の様子は、水面に映る姿から窺えた。

 上を向いたまま、両腕をだらんとさせて立っている。緩く膝が曲がっていて、体の前に残っている服は、赤黒く変色していた。

 ……おかしい。

 違和感があった。服が微妙に残っている事とか、所々から煙が上がっている事とか……ではない?

 僅かに顔を上げる。月詠は、水面で見た様子と変わらず、上を向いたまま立っていて……。

 

「――っ!」

 

 違和感の正体に気付く前に、月詠と目が合った。

 白目と黒眼が反対になったような、異常な目。弧を描く口は最初と変わらないはずなのに、どこまでも不気味で。

 だから、一瞬、立ち上がるのが遅れた。

 足が痛いとか言っている場合じゃない。速く、刀を構えないと!

 

「あはっ」

 

 そうして立ち上がろうとしたところで、何かが右目に引っ掛かって、ぐい、と持ち上げられた。

 目の中で何かが破裂するような――いや、目が、破裂する感覚。頬から額にかけて一直線に熱が走る。強制的に立ち上がらされていた私は、ただ、後ろに一歩よろめいて、手で目を覆っていた。

 どろりと、熱い血液に混じって、冷たい何かが手の平を濡らし、溢れて、零れ落ちていく。

 右目が、真っ暗だった。

 何が起こったのか理解できないまま、ドクドクと脈打つ目元を押さえていて、ふと、影が差すのに顔を上げる。

 月詠が立っていた。

 片方の腕を振り上げて、その先に刀を握って。

 何も考えられないまま、それが振り下ろされるのを見ていた。

 鎖骨が断たれ、胸からお腹へ走って行った冷たいものが、脇腹から抜けていく。

 

「あ――」

 

 体の中にあった大事な何かが、ぶつんと音をたてて千切れた。


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