なりきり妖夢一直線!   作:月日星夜(木端妖精)

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なりきり妖夢一直線
第一話 妖夢になった日


 私はお兄ちゃんの事が好きだ。

 お父さん譲りの長い黒髪に、茶色の瞳。大きい手は力強くて、いつも優しく私の名前を呼んでくれていた。

 お父さんとお母さんが事故で死んじゃっても、お兄ちゃんがずっと傍にいてくれたから、寂しくなかった。

 

 私は、私が好きだ。

 お母さん譲りの長い銀髪に、薄い青色の瞳。お兄ちゃんが好きだと言ってくれたこの容姿が、私は好きだ。

 

 私は、お兄ちゃんが好きなゲームが好きだ。

 漫画もご本も、ドージンシだって、お兄ちゃんが好きなら、私は好きだ。

 

 だから、お兄ちゃんがいつも言う、『妖夢(ようむ)を見習いなさい』にも、私は従う。

 妖夢のように真っ直ぐであれ。妖夢のように強くあれ。妖夢のように誠実であれ。妖夢のように……。

 それはまるで、話に聞く『お母さんのお小言』というようなもので、何でもかんでもお兄ちゃんは『妖夢のように~』と言っていたけど、私はそのほとんど全部に従った。

 だって私は、お兄ちゃんが好きでいてくれる私が一番好きだから。

 

 小さい頃から、おもちゃの刀を握らされていた。

 重くて切っ先の鋭いそれは模擬刀と言うもので、小さい私には手に余るものだった。

 七年の経つ今ではすっかり体の一部のようになってしまったけど、最初の頃は怪我ばかりしていた。

 それでも、刀は手放さなかった。頑張れば頑張るほど、お兄ちゃんが褒めてくれる。頭を撫でてくれる。それが嬉しくて、私は刀を手放さなかった。

 

 魂魄(こんぱく)妖夢を見習うこと。

 それは、服装から私の生活まで(およ)んだ。

 お兄ちゃんが作ってくれた緑色の服とスカート。肩口がふんわりと膨らんだブラウスの上からベストを着て、ドロワーズという下着の上に、スカートをはく。

 ずっと昔から、この格好だった。これ以外の服は着ていない。

 近所の子供たちが毎日服装を変えていく中で、私だけが同じ服なのは凄く変な気分だったけど、お兄ちゃんが喜んでくれるならって着続けていたら、これも私の一部になっていた。

 お庭のお手入れは私の仕事だ。『妖夢』がどうしてお庭の仕事をしているのか最初はわからなかったけど、お兄ちゃんにゲームをやらせてもらって、漫画を読ませてもらって、ドージンシを読ませてもらって、それから、パソコンを読ませてもらって、その理由を知った。

 

 私は、魂魄妖夢が好きだ。

 お兄ちゃんが好きだというその少女が好きで、その全てが私と『似ている』というのがたまらなく嬉しくて、だから、私は妖夢が好きだ。

 さすがに『髪を切りなさい』と言われても、それだけはできなかったけれど。

 だって、髪は女の子の命だって、お母さんが言ってたから。それに、お兄ちゃんとお揃いの長い髪を切るのは、絶対に嫌だった。

 

 私は、好きだ。お兄ちゃんが、凄く好きだ。

 それは、ずっと変わらない気持ちなんだって思ってた。

 

 私はお兄ちゃんが好きだ。

 ……すごくすごく、好き、だった。

 

 

 振り下ろした。

 何度も何度も。

 右手は前に、左手は引く。教えてもらった通りに、毎日やっている通りに。

 腕が痺れて痛くても、()き出した汗が背中ににじんでも、誕生日ケーキが机の上から落ちて潰れても。

 

 必死に振り続けた。動かなくなっても、飛び跳ねたのが服についても。

 

 認めたくなかった。

 だって、違う。こんなのはおかしい。

 ありえないから、だから、振り続けた。

 

 切っ先がぶつかって壊れた電気が火花を散らし、飛び散った破片が降り注ぐ。

 渾身の力を込めて叩きつけると、パキパキと欠片が砕ける音がした。

 息が苦しい。

 腕をだらんとさせて激しく呼吸を繰り返すと、思い切り走った後みたいに胸が痛んだ。

 ずきんずきんとうずく胸元をぎゅっと握り込むと、どっと汗が噴き出す。

 吸って吐いてを繰り返しながら、一歩下がる。潰れたケーキを踏んづけて、転びそうになった。

 取り落とした刀がガシャンと音を立てると、ラジオカセットがガシャッと鳴いた。

 

『――ッピ、ザ……ザザデ……ッピバースデ……』

 

 総毛立った。

 流れる歌に耳を塞いで、それでも音は聞こえてくる。

 悲鳴を上げたくても、口の中がカラカラで声が出なかった。

 刀を拾い上げ、勢いに任せて振り下ろす。割れた機械が不気味な音を出して、それが徐々に縮まると、部屋の中は静かになった。

 

 荒い息遣いだけが耳に届く。頭のどこか片隅で、近所の犬みたいだと思って、ぶんぶんと頭を振った。

 

 違う。

 違う、違う!

 

 見開いた目が、釘付けになって離れない。暗い中でなお赤黒く見える水溜りが足元まで広がってきて、私はまた悲鳴を上げそうになった。

 

 こんなはずじゃなかった。こんなの、ありえない。認めたくない。

 

 ドンドンと胸を叩く心臓が、頭の中に不安と気持ち悪さを混ぜた何かを送り込んできて、それがぐちゃぐちゃと動き回るのに、頭を掻き毟りたくなった。

 

 髪がべったりと張り付いた首元に生暖かい風が当たって、はっとした。

 動いた……?

 嘘だ。だって私、こんなにも叩いて……?

 

「……な、ぅ」

 

 喉にせりあがってきたものを堪えきれずに、床に吐き出した。

 どしゃどしゃと降り注ぐものが水溜りに混ざっていって、咳き込んでいた私はもう一度吐き出した。

 

 目元に滲んだ涙より先に、口を拭った。腕に熱い液体が擦り付けられて、それが焼けるように痛む。

 違う。

 痛いのは私じゃない。私じゃなくて、おにい――。

 

「――っ!!」

 

 ごきん。と音がした。

 振り下ろした刀が、頭を、砕いて、血が、いっぱい、お兄ちゃん、血が、頭……。

 

「――ぅあ」

 

 今度こそ私は悲鳴を上げた。

 掠れた音が、張り付く喉を押し退けて、部屋の中に(むな)しく消えていく。

 靴下越しに感じるスポンジや何かの感触も、魚を捌いた時みたいな臭いも、全部嫌だった。

 違う、間違いだ。そう、これは、全部違う。

 だって、おかしい。こんな、違うよ。おに、ちゃは、そんな事しない。優しい。優しいんだよ。絶対違う。

 

 

 じゃあ、なんで?

 

 

 ずきんと痛んだ胸に息を呑んで、胸元の服を握り締める。肩に引っかかっていた肌着の紐がずり落ちて、私は首を振った。

 

 怖かった。

 だから、違う。そんなんじゃない。

 

 お兄ちゃんに押し倒されて、乱暴に胸を掴まれて。

 違う。お兄ちゃんはそんなことしない。

 

 息を荒げるお兄ちゃんの目が、怖くて怖くて、私は腕を伸ばした。

 ……だって、今日は私の誕生日だよ? お兄ちゃんがケーキを作ってくれた。大事な誕生日プレゼントがあるって言ってた。

 

 びっくりして落とした果物ナイフが手の中にあって。

 そうだ、さっきの歌も、お兄ちゃんが私のために……。

 

 片目を真っ暗にしたお兄ちゃんは、私の知らない表情をしていた。

 

 ごぽりと、音がなる。

 それは、床に倒れたお兄ちゃんの口から赤黒い液体が零れ出す音で。

 

「――やだ」

 

 苦いものを飲み込んで、必死に絞り出した声は、私が踏んだ水溜りの音に掻き消された。

 胸の奥にある塊がじわじわと広がっていくのが苦しくて、テーブルに手をつく。

 指先に当たったナイフが音を立てて、私は無意識の内にそれを掴んでいた。

 

「やだぁ……」

 

 刀を向けても、ナイフを向けても、お兄ちゃんはゴポゴポと言う。私を責めるみたいに。

 

「ちがう、わたし、わたし……」

 

 背に当たる硬い物が煩わしかった。回した紐が擦れるのも、頬に涙が伝うのも、全部、気持ち悪い。

 真っ暗だった。何かに塗り潰されてしまったみたいに部屋の中は真っ暗で、その中でただ、お兄ちゃんだけがほの暗くあった。

 んぐ、と唾を飲み込む。血の味がしたのは、きっと気のせいじゃない。

 

 やだ。

 ゆっくりと頭を振る。やだよ、と声に出して。

 だって、わたし、違う。だからお願い、お兄ちゃん――。

 

「きらわ、ないで……」

 

 はっきりとした声が部屋の中に響くのと、誰かの声が玄関の先から聞こえてくるのは、同時だった。

 

 

 雑木林の中を走っていた。

 血のついた刀を振って、ナイフを振って。

 露出した肩や腕に傷ができるのも気にせずに、転がるように走っていた。

 白い息がどんどん後ろに流れていく中で、背の低い木を跳び越え、枯れ葉を踏みしめて逃げる。

 私は、逃げていた。だって、声が聞こえた。逃げなければ、私は……。

 

「ちがう!」

 

 冷たい風が顔に吹き付けて、だけど、叫ぶ。

 そう、違う。あんなの、違う。お兄ちゃんを殺したのは、私じゃない。違う、三原秀樹(ひでき)を殺したのは、私じゃない!

 

「だから、ちがっ!?」

 

 木の根に足を引っ掛けて転びそうになり、咄嗟に地面に突き出した刀の柄に胸をぶつけて声を漏らす。

 受身も取れずに転がって、木にぶつかってようやく止まった。

 詰まっていた息は、木にぶつかった時に吐き出した。打った腰は痛いけど、ある意味で幸運だったのかもしれない。

 咳き込んでから、息を吸う。胸が凍りそうなほど冷たい空気なのに、然程(さほど)気にならなかった。

 枯葉の絨毯の上に座り、背中に下げた鞘を外して地面に置き、近くに刺さっている刀に手を伸ばした。

 土と、べっとりとついていた乾きかけの血を葉でできる限り拭き取り、鞘に(おさ)める。果物ナイフはと探して、すぐ近くにあったのを見つけて、同じように拭いておいた。

 

 きひ、と奇妙な笑みが漏れる。

 鈍く光る刃に映る、ぼやけた私の姿。

 そうだ、これだ。……そうだ、とは?

 笑みをおさめ、木に覆われた空を見上げて、えっと、と考えた。

 私は今、何に『これだ』と言ったのだろう。

 少し考えて、頭を振った。考えても思い出せないものはしょうがない。

 今はとにかく、()()()()()()()()()方法を探さねば。

 

 立ち上がり、刀を背負い、溜め息をつく。それにしても、『嫌な場面』に出くわしてしまった。

 血溜まりの中に沈む『兄妹(きょうだい)』の姿。強盗にでもやられてしまったのか……。

 哀れではあるが、私が見つけた時にはもう手遅れだった。せめて無事あの世に渡れればいいのだけど。

 ぱっぱと体のあちこちについた枯れ葉を払い、それにしても、と呟く。

 

「ここはどこなんだろう。迷っちゃったかな……」

 

 参ったな、と後ろ頭を掻きながら辺りを見回す。手についた赤い染みは、見えない。

 ……そんなことよりも、大事なことに気付く。

 

「……半霊がいない?」

 

 どうして? 半身のはずの半霊の気配がどこにも無い。感覚も掴めない。どういうことだ?

 せわしなく辺りを見回しながら、仮説を立てていく。

 もしかして、誰かに『盗まれた』?

 ……そうだ。そうに違いない。おのれ、盗人め。どこに逃げた。この『楼観剣(もぞうとう)』と『白楼剣(くだものナイフ)』の錆びにしてやる。

 

 きひ、と声を漏らし、腰を低くして走り出す。半霊。私の半霊返せ。


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