なりきり妖夢一直線!   作:月日星夜(木端妖精)

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第十二話 京都へ

 

 視界が大きく揺れた。

 空間ごと前後左右に大きく揺れると、同時に視界もぶれる。

 沢山の悲鳴があった。パニックの波はあっという間に広がって、私は頭を押さえつけられていた。

 

 痛い。

 声を上げる。

 でも、手を離してはくれない。

 いつもなら、ぎゅっと抱きしめて、頭を撫でてくれるのに。

 

 また揺れる。ガツンとぶつかってくるような振動に、上から落ちてきた荷物が私にぶつかって、一瞬意識が遠のいた。

 悲鳴が上がる。

 

 ここにきてようやく、私も何か大変な事が起こっているのだと気が付いた。

 だから、縋った。どうにかしてくれるだろう人に。

 でも、どうにもしてくれなかった。

 それどころか、抱きしめてもくれなかった。

 ただ頭を押さえつけられて、叱るような声と誰かの悲鳴に、訳が分からなくなって、ただ泣いた。

 

 いつしか、世界は真っ白に染まって、何も感じなくなった。

 

 

 早くに目が覚める。

 身動ぎすると、少し汗を掻いているのに気づいて、シャワーを浴びる事にした。

 軽く汗を洗い流してしまうと、時間を確認して、準備をする。

 うん、着替えも、筆記用具も、詰め込んである。準備は万端だ。

 暗い中で朝ご飯を作り、一人もそもそと食べながら、ふと今朝見た夢の内容を思い出した。

 白米を口に運んだままの体勢で、頬に残る熱を感じて、腕を落とす。

 ……このかが、私の頬にくちづけをする夢。

 あんな夢を見てしまったのは、やっぱり、前にこのかが先生にそうしていたのを見てしまったからだろうか。

 そして、私も同じようにして欲しいと思っているからだろうか。

 ……まさか。そんな事は、思わない。

 小さく首を振って、もぐもぐと口を動かす。

 夢の事を思い出さないように箸を動かしていると、すぐ食べ終わってしまった。

 

 食器を洗っていると、隣の部屋から元気な声が聞こえてくる。

 先生だ。

 先生は今日の日をやけに待ち遠しく思っていたようで、私にもうざったいくらいに「楽しみですね!」と笑いかけてきていた。

 まるきり子供だ。

 ……かくいう私も、楽しみでない訳ではない。

 こういうのに参加するのは初めてだし、ちょっと心が浮わついてしまう。

 こういう気持ちを鎮めるには、刀を振るか、弄っているかが一番だ。

 

 手入れの必要のない刀を少しだけ抜いて、暗闇に映える銀の輝きを瞳に映していると、晴子の声が耳の奥に聞こえた。

 

『そうそう。旅行先であなたに手を貸してくれる女がいても、友達になろうだなんて思わない事ね』

 

 着替えの服を作って貰って、それを受け取りに行った昨日、出入り口までついてきた晴子がそう言った。

 以前、友達百人作れと言ってから、やけに友人作りを推してくる晴子がそんな事を言うのが、記憶に残っている。

 その後に、『いや、友達になってもいいけど、連れて来ないでよ?』と続けて、晴子は小さく笑った。

 年下だとは思えない、大人びた表情と、突き出された指。

 弧を描く唇に、細められた瞳が電気に照らされると、翡翠色の中に吸い込まれてしまいそうな感覚に陥って、後退るように店を後にした……。

 

 晴子は、なんで私に色々教えてくれるんだろう。

 刀に映る少女の姿を、目をつぶって消し去り、そんな事を考えてみる。

 ……それは、晴子だから。

 ああ、そうだ。晴子は色々教えてくれる女の子で、私は彼女を頼りにする。

 疑問を挟む余地もない間柄だというのに、私は何を疑問に思ったのだろう。

 ……変なの。

 

 遮光カーテンの隙間から、目の痛くなる光が漏れ出して来る頃にチャイムが鳴る。このかだ。

 手早く刀を取り付けて、大きなカバンを片手に玄関へ向かい、扉を開ける。差し込む光の中にサラリと長く黒とオレンジが交じり合って見えた。

 

「おはよ」

 

 短くも耳に心地良い挨拶に、少し遅れて挨拶を返す。それから、アスナにも声をかけると、軽く手を挙げて答えられた。

 柔らかな陽の光のような暖かさを持つこのかの笑顔に、一瞬頬が熱くなる。

 いけない。あんまりに気分が高揚しているみたいだ。小さく口を開けて、幾度か意識して呼吸をする。

 それから、差し出されたこのかの手に自分の手を乗せて、引かれるまま駅へ向かう。

 どこをどう行けばいいかわからないけど、このか達が案内してくれるなら安心だ。

 電車を乗り継いで大宮駅に行くと、既に幾人も女生徒達が集まっていた。そこに私達も加わり、見知った顔と挨拶を交わしたり、雑談に興じたりする。

 ……私はもっぱら、聞き役だけど。

 仲良しグループとでも言えばいいのか、ハルナに、ユエユエ? に、ノドカ。そこの端っこに加わって会話を聞いていると、私も一人の学生になれたのだと実感できて、なんだか良い気分になれた。

 まあ、このかがいるから私もいるんであって、そもそも、このかがいなければこの人達と会話する事も無いだろう。

 旅行への期待いっぱいの話に耳を傾けながら辺りを見回して、ふと、視界の端に見慣れた物を見つけた。

 

「…………」

 

 柱の陰から、セツナの背負う刀の袋が見えて、一瞬挨拶をしようかと思ったけど、挨拶するにはこのかの手を放さないといけない事に思い至り、思案する。

 ……後でいいか。

 

 そうこうしている内、整列するように指示があって、いつもとは違う形の電車に乗り込んでいく。

 新幹線……知ってる。人の名前がついているやつだ。ヒロシだかなんだか言うの。

 ……違う?

 ああ、そう。

 

 新幹線の中は、電車とは少し(おもむき)が違った。

 所狭しと座席が並んでいたりするのに、広いような気がする。それに、自動販売機なんて物が中にあった。

 先進的、という単語が頭を()ぎって、でも、自動ドアの開く先に見えた座席の並びが……気持ち悪くて、少し気分が悪くなった。

 こう、人が多くて、近いのもいけないのかもしれない。

 何度も何度も女生徒達とすれ違うと、クラスメイトとはいえ、無性に斬り伏せたくなってくるからいけない。

 ありていに言えば、目障りだった。

 浮わついた雰囲気やざわめきは、教室の中とは違った興奮をひっきりなしに運んできて、私はすぐにでも自分の席に座って気分を落ち着けたくなった。

 でも、その前に、テンコ―……いや、違う、点呼だったかをしなければならないから、私は同じ班員のセツナを待つ為に、このかに一言断って、自動販売機の傍に立った。

 

「……おはよう、妖夢」

 

 やがて乗り込んで来たセツナは、私に短く挨拶を寄越した後、女生徒達を奥の扉へ導いていた先生の下へ歩いて行って、指示を仰いだ。

 私の班は、エバとカラクリナニガシが欠席したとかで、私含め三人しかおらず、班の体裁を保てない……らしい。

 先生は考えるような仕草をした後、私達をそれぞれ三つの班に振り分けようとしてきた。三班にザジなんたら、五班にセツナ、四班に私。

 …………。

 先程ここを通って行った騒がしいピンク頭を思い出して、その案が決定してしまう前に素早く先生に近付き、脇を小突く。

 あれ、どうしたんですか? と私を見る先生に、控え目に私の意思を伝える。……私、このかと一緒がいい。それ以外で上手くやっていける気がしない。

 

「でも、四班のみんなもとっても良い人達ですよ? すぐに仲良くなれますよ!」

 

 握り拳を顔の前まで持ち上げて笑う先生に、首を振って、拒絶の意思を示す。

 仲良くなりたいと思わないし、嫌。

 でも、それを正直に伝えたって、きっと先生は頷かないだろうな。

 どうしようかと考えつつ周りを見回して、すいっと横を通って行ったセツナと目が合った。

 そのままセツナは行ってしまったが、私の中には案が生まれた。

 

「……不安すぎて」

 

 楼観剣の柄に手をかけ、わざとらしく息を吐いて見せると、え? と先生は冷や汗を垂らした。

 斬ってしまいそうです、と囁いて先生の目を覗き込むと、一歩引いた先生は、冗談ですよね? と乾いた笑いを浮かべた。

 しかし私が黙って柄を弄っていると、頬を掻いて、仕方ないですね、と困ったように先生は言った。

 

「一応班には入れますけど……でも、席や部屋は四班と一緒になりますよ」

 

 ……それではこのかの傍にいられないじゃないか。

 私の不満を感じ取ったのか、先生は手を振って、でも席が、とか、マキエさん達は良い人だとか、弁解を始めた。

 ごちゃごちゃとした話を要約すれば、『諦めてマキエらと仲良くしろ』だった。

 ……仕方ない。あまりわがままを言うのも見苦しいし、我慢しよう。

 でも先生、この件は覚えておきますからね。月の無い日の一人歩きにはご注意を……なんて。

 忙しそうに奥の車両へと走って行く先生を追って、私もこのか達と奥へ進んだ。

 手を繋いでくれるこのかがどうしてか元気のないように見えて、少し心配になった。

 

 すぐに別の新幹線に乗り換えると、ようやく腰を落ち着けられた。大分前の方の席へ追いやられてしまって、このかとは離れてしまったが、沢山の席を見ていると何故だか気分が悪くなってくるので、今だけは助かる。

 火照るような、風邪の時のように嫌な汗が背を流れるのを、大きな席に背を預けて、息と共に不快感を深く吐き出す。

 手慰みに、大きなカバンに結び替えてある長方形の機械を握り締めると、気休めくらいには落ち着けた。

 ……不思議な機械。

 バッグから外して顔の前に掲げ、Xのマークを眺めながらそんな事を考える。

 冷たくて、でも、手に馴染む。晴子がくれたこれは、何かの役に立つんじゃないかと思って持ってきたのだけど……うーん、機械だし、使い方はわからない。

 後ろの席から身を乗り出してきた誰かが声をかけてくるのにてきとうに返事をして、席を立つ。

 どうにも、この空気は駄目だ。気持ち悪くなる。

 足下が覚束なくなるような、今にも崩れてしまいそうな不安が爪で引っ掻くみたいに幾度も胸の中を通り抜けて、その度に小さく息を漏らした。

 ……乗り物酔い、なのだろうか。

 原因のわからない体調不良に無理矢理知識を当てはめてみて、違うような気がするのに首を振り、近くの自動ドアの方へ寄って行く。

 それが開き切るのをまたずに身を滑り込ませて、隣の車両へと移った。

 隣の車両は、驚く程にガラガラだった。

 まばらどころか人がいなくて、扉を隔てたこの空間は、よっぽど静かだった。

 手近な座席に腰を下ろし、今度こそ体を落ち着ける。

 それから、握り締めて、少し暖まった機械を同じように顔の前に持ち上げて、スイッチのような突起を押し込んでみる。

 男性の声。くぐもって響くような、不思議な声。

 でも、押したって声が鳴るだけで特に何が起こる訳でもない。

 本当に、なんなんだろう、これ。

 晴子に限って、ただのおもちゃを渡すとは思えないし……。

 

 そういえば晴子は、この修学旅行で私に手を貸してくれる女がいると言っていた。

 手を貸す……手を貸されなければ斬り抜けられないような事態が起こると言うのだろうか。

 先生も、何かこの先にある困難に不安そうにしていたし……何かあるのかもしれない。

 ……いや、あるのだろう。隣の車両が一層騒がしくなってきたかと思えば、少しして、飛翔する何かを追って先生が飛び出して行った。

 さっきのはなんだろう……。鳥のようなものが、手紙のようなものをくわえていたけど……盗られでもしたのだろうか。

 手を貸そうかと立ち上がろうとして、出発前の仕打ちを思い出し、腰を下ろす。

 いいや。

 紙を盗まれたくらいで死ぬ訳でもないだろうし、それに、先生は私よりも強い。手を貸す必要はこれっぽちも無いだろう。

 鼻を鳴らそうとして、そもそも鼻を鳴らすとはどうすればいいのかわからなくて、一つ息を吐き、座り直す。

 と、膝の上に小さな何かが飛び乗って来た。

 緑色の……蛙?

 手の平サイズの蛙だ。

 ゲコゲコ鳴く蛙に、小さく首を傾げてから、私は飲めるけど、と馬鹿な事を言い返し、はぁ、と息を吐いて、だらしなく脱力する。

 もう一度機械を鳴らすと、合わせるようにカエルが鳴いた。

 

 ――それにしても。

 

「……、はぁ」

 

 気分が悪い。

 この座席の並び。座り心地。この振動。

 横にある窓、上にある棚、真ん中の道、この光景。

 嫌い。

 そう、そう。わかった。嫌いなんだ。

 嫌いというか、この空間に身を置いているのが嫌。

 何故かは知らないけど……。

 

 手の平に飛び乗って来た蛙を指先で撫でてやりながら、ずり下がって座席の下に滑り込んで行ってしまいそうな、立て掛けてある刀を気にする。

 ……ああ、そうだ。鞘に、この機械を括り付けでもしてみようか。

 困った時、いつでもどうとでも出来るように。

 何かあった時、それが必要な時、いつでも使えるように。

 思い立ったら、すぐ行動に移す。

 一度右手の内の機械を持ち直して、チェーンをかけようと手を伸ばす。

 

「……あれ? 妖夢さん、何でここに?」

 

 左手に蛙を乗せたまま右手で四苦八苦していると、ふっとセツナが通り過ぎた後を追うようにして現れた先生が、手紙を片手に私に何かを言ってきた。

 ……手紙、取り返せたんだ。

 

「こんな所にいちゃ駄目ですよ! さ、一緒に戻りましょう」

 

 言いながら私に手を伸ばしかけた先生は、あっと声を漏らして手紙を持っている手に目をやり、それを懐にしまい込んで、改めて手を差し出してきた。

 ……ここにいちゃいけないの? 何で? 誰もいないのに。

 

「何でって、決まりですから――っとと!?」

 

 決まり、なら仕方がない。

 先生に蛙をぶつけてやって、刀を掴んで立ち上がると、先生は蛙を抱えたまま困惑した様子で、しかし、私に続いて隣の車両へと戻った。

 決まりなら、仕方ない。……ああ、でも……おかげで気分の悪さは増す一方だ。

 でも、決まりなら仕方ないよね……センセ。

 一気に騒がしくなる周りに、先生に薄く笑いかけると、反射のように笑みを返された。

 

 ………………。

 


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