(こそこそ)
大人げないリンチ……ではなく戦闘行動を終えた後、自分達は先程まで戦闘していたミリアムという少女と一緒に石切り場の仲を探索していた。
ガイウスは最初、ここに来た時懐かしさを感じていた。
思わず驚く。
何せ自分は故郷を離れてそんなに時間が経っていないのだ。
それなのに随分と長い時間を経た、と肉体と意思、両方がそう感じ取ったのだ。
つまりは自分は思ったよりも士官学院での生活を謳歌していたという事なのだろう。
分かってたつもりなのだが実際に感じてみると感慨深くなる。
ちなみに探索する前にここの扉を見たときの会話なのだが
「随分と頑丈そうな扉だな……そこの馬鹿。その自慢の拳でこの扉叩いて壊したらどうだ」
「すまないなミリアム。そこの黒髪坊ちゃんは頭がおかしくてな。こんな扉を普通に叩いて壊せると思ってるイタイ人間なんだ……遠慮なく嘲笑ってやれ。やり方が分からない? じゃあ例を出してやろう───あっれ~~? リィン君どうしたのかな~? 子供でも分かる事を理解できない頭になったのかな~~?」
「離せアリサ! ユーシス! 今、あいつを滅さないと未来の子供達に暗い影が落ちる!」
この二人のやり取りに思わず頷いてしまう。
成程、慣れというのはこういう時に発揮するものだと思う。
何せここで慣れによる二人の停止と委員長がミリアムという少女に見えない角度でレイの脇腹に肘を打ち込んでいなければ醜い争いが幼気な少女の前で繰り広げられていただろう。
まぁ、当の本人は「シカンガクインの人達って皆こんな風にオカシイの?」って無邪気に聞いてきて何故かリィンとレイも含めてショックを受けた顔になる。
凄まじい連帯感にガイウスは帝国の教育に感心する。
自分もその教育に嵌っている事に関しては棚に上げている……もとい天然で気付いていないが。
ともあれ自分が懐かしさを感じていた古さを感じる巨大な扉はガーちゃん……正式名称はアガートラムというらしいがそれによって一撃で粉砕された。
別に楽しい思い出が詰まっていたとかそういうわけではないが、何故か切ない気持ちになってしまった。
ちなみに扉が破壊されて視界が固定されている間にリィンとレイは遠慮なく殴り合っていた。
そうした中で今までの人生である意味で結構な付き合いではあっても中を見た事が無かった石切り場に入った直後に妙な風を感じたと思ったと同時に二人程反応が起きた。
「……む」
「これって……」
レイと委員長であった。
レイは一気にテンションが急下降して不機嫌そうに右手を摩り、委員長は場の雰囲気に息を呑む。
どうしたのか、と周りのメンバーも謎に思い声をかけようとした瞬間に現れたのが魔獣とは何かが違う生き物であった。
石の怪物……とでも言えばいいのか。
まず魔獣ではないと断言出来る。
魔獣も普通の動物とは確かに違う生き物ではあるのは確かだが、それでも彼らは生物だ。
こんな石みたいな無機物で動く生き物は見た事がない。
「……いや。もしかしたらノルドにはいないだけか……?」
「ここはノルドだぞ!」
ユーシスの納得がいくツッコミにそういえばそうだったと思いつつ全員で武器を構え迎撃を行う。
「また固い系か……!」
その中で一人ガントレットを付けているとはいえ拳であれと立ち向かわなければいけない仲間の一人がちくしょう、と叫びながら突貫していった。
結果は確かに倒したがやはり拳を武器にした少年が両手を抱えて転がる結末になった。
それをリィンが鼻で笑い、アリサが回復にレイに近付くのだが……気のせいか。レイがアリサに対して余所余所しい。
誰とでも仲良くなりつつ無暗に近付かないという絶妙の間合いの取り方をしていた彼が自分をうまく扱えていない。
これがいい事なのかどうなのか。
それとも自分の勘違いなのかは定かではないが今はそれを確認する時間もない。
ただ、やはり───どこかレイの表情が痛々しいものに思える。
勘違いであって欲しい、と俺はそう願い、疑問を封印する。
代わりの疑問はやはり先程の怪物の話になる。
だが、それの答えを知る者が二人いた。
「これは魔獣じゃなくても魔物だな。時たまこの場所のような上位三属性が働いている場所にうろついている、要は怪物だな」
「また知っているのかレイ状態か」
「親父に付き添っていたら嫌でも……」
ふっ、と遠い目をするレイを無視して詳細は何故か知っている委員長に補足して貰った。
この場では地水火風の通常の4属性に加えて時・空・幻の3属性も働いているおり、それらのアーツも効くことがあると。
「つまり厄介な場所であるというわけか。」
「リミットが近づいているのに……」
ユーシスとアリサの呟きに内心で同意する。
時間の余裕なんて一秒もない、というのが本音だ。
本当ならば馬でも乗ってそのまま一気に駆けて、件の犯人達を捜したい所なのだ。
無論、それがどれだけ不可能事を語っているのかも悟っている為、やるつもりは毛頭ないが、それでも落ち着け、と思わないと焦りを得てしまうくらいには心が逸っている。
だから、こんな提案を出された。
「成程……お前ら迅速がご所望か」
レイから唐突にニヤリ、という笑いと共にそんな言葉をかけられる。
その口調に
「え? 何々!? 何か面白い提案があるの!?」
「ああ………とんだアスレチック且つダイナミックな提案が俺にあるとも…………!」
その時ガイウスは気付くべきであったと深く反省する。
レイが微妙且つ非常に暗い瞳の状態の意見を聞いた場合、風と女神すらも驚く確率で酷い目に合う事を既に色々と経験した後であったというのに。
つまる、ところ洞窟で暗い場所にいた事が最も彼らにとって不運であったと言えるだろう。
保護色でその暗い瞳に気付かなかったのだから。
いや元から黒いが。
猟兵崩れ共を相手にしていた眼鏡の男は地震………………という程ではないが、洞窟が揺れている事を知覚した。
「何だ…………?」
地震か、とは思うが、地震にしてはやけに不規則で…………どちらかと言うと場所が揺れているというより…………揺れの原因がこちらに近付いている、という感じだ。
まず最初に考えたのは魔物だ。
対策はしているが、
油断は出来ない。
故に男は会談を中断して、懐にある導力銃に手を伸ばす。
一番有り得る可能性は魔物。
二番目に有り得るのは正規軍がこの場所を探し当てたか、だ。
それだと正直不味い。
事、武力という意味では私の他の皆には劣るし、ここにいる連中を使い捨てたとしても時間稼ぎにもならないだろう。
だが…………正直、これは無いとは思う。
何故ならば、正規軍が動いたにしては振動も数も少ないし──────何より分かりやす過ぎだ。
だから、ほぼ違うだろう、と考えていると……………………第三の選択肢が頭に浮かぶ。
まさかな……………………
"C"が気にしているというか、興味を抱いている相手……………………トールズ士官学院のⅦ組の子供といったか。
ここにも演習に来ているようだが……………………まさか、という思いは己がいる広場に通じる入り口から緋色の服の文様が複数突撃してきた事から、まさか、という思いは疑問から、驚きに変わった。
しかし、だからと言ってこちらの対応が変わるわけではない。
来たならば来たで、こちらは武力行使で排除するのみ。
正規軍ではなく、Ⅶ組の子供相手ならばこの猟兵達も十分に役に立つだろう。
そう思って、計画を立てて──────1秒後に入り口から
「は……………………?」
意味が分からない。
何をしているんだこの子達は?
不安要素ばかりを増やしてどうする?
そんな複数の疑問に飲まれ──────故に対応に遅れ、Ⅶ組事、魔物の群れに、男と猟兵は飲まれた。
「レイーーーーーーーーーー!!!!」
リィンとユーシスの二人の叫びを即座に無視しつつ、レイはふーーはっはーーー!! と笑った。
「どうだ!? お前ら! これが親父に習ったトラウマ戦術! "危険地帯、魔獣と一緒に渡れば運悪ければ全滅だ!"作戦だ!」
「貴様! 運が悪ければの部分を説明していなかったではないかさっきは!!」
「はぁーーー!!? ユーシスぅ──────説明するとお前らやらないだろ?」
「確信犯か……………………!!」
やかましい。
俺一人だけこのトラウマを持っているなんて不公平だろ。
折角のチームなんだから一緒に不幸になろうぜ……………と暗い野望を抱えて笑っておく。
まぁ、そうは言っても後衛メンバー二人はガイウスとリィンがちゃっかり守っているし、ミリアムという少女はむしろ笑って楽しんでいる。
「あはは! すっごぉーーーい! ぼく、流石にここまでおかしな作戦したことがないよーー!」
と楽しんでいるからいいだろう。
ユーシスもフォローしているし。
というわけで、流石に作戦通りに俺も一人、手軽な人間として、今、魔物の対応に追われている奴らに対して突撃を仕掛けた。
「くぅ……………………!!?」
あからさまな猟兵スタイルに何だか黒幕を気取りたいのかという感じの眼鏡がいたが、とりあえず脅威度を見て、猟兵の連中を相手することにする。
しかし、これに関しては予想外と言うべきか。
猟兵は俺が近づいてきている事より、近寄ってくる魔物を何とかしようと精一杯だったのだ。
はっきりと言えばこんなのランク外の猟兵だ。
本物はもっと冷徹に命を計算して捨てる。
駆出しの素人か、と思い──────ならば余計に遠慮はいらないと思い、そのまま突撃する。
「あら、よっと」
魔物の隙間を一歩踏み込んで通り過ぎ、振りかぶられた岩の巨人のような一撃を少し首を傾げることで避け、突撃してくる魔物二体を速度をもって突き抜け、背後で激突するのを無視していると猟兵の前に躍り出ているのである。
「──────は?」
それを見て動揺などしているので、欠伸をしたくなる。
たかだか、この程度の動きで驚くようならばどうせ先は短い。
いや、そういう意味では運が良かったのか、と思いつつ、遠慮なく馬鹿面晒している奴らに突撃をかます。
最も攻撃をするわけではない。
ただ、敵が手にしているそれぞれの武器に軽くタッチするだけだ。
触れれば怖るとかいう技術やクラフトを持っているわけではないが、今はただ触れるだけでいい。
それこそ鼻歌混じりに適当に武器類に触れつつ、そのまま通り過ぎ、再び魔物の集団を突破する。
魔物との距離も、猟兵集団からも一つ距離を取った所で
「ほいほいっと」
右の拳に稲妻が走る。
暗闇の同靴の中で唯一光る光に、少し自嘲しつつ、効果の発揮を待つ。
「なっ…………!?」
驚愕の叫びと共に、猟兵が持っている武器が全てこちらに飛び掛かるかのように浮いたのだ。
勿論、種も仕掛けもある手品だ。
敵の武器に触れた時に、こちらに引き寄せられるように磁化しておいたのだ。
そこら辺、しっかりとした理屈があるのだろうけど、一々理論を語るのも知るのも面倒なので知らない。
出来るから出来るのだ。
ともあれ、敵の武器は奪った。
放置していたら魔物に虐殺されるだけだから、そこら辺は残っているメンバーが何とかするという事になっているので俺は無視。
故に、後はもう一人の眼鏡をどうにかするだけなのだが…………
「あ」
そう思っていたら、眼鏡の男は早々とワイヤーガンを使って、離脱していた。
「おい! レイ! あんだけ色々やらかした癖に主犯を取り逃がしてどうする! 後でトワ会長に叱ってもらうぞ!?」
クソ馬鹿の言う事は華麗にスルーしておく。
あの野郎、人が一番苦手な所を突きやがって。
どうにも、あの人は何故か苦手なんだよなぁ、と思いつつ、
「あーー。こっちとしては捕まってくれたら超楽なんだけど──────というかその距離だとここにある銃器ぶっぱするしかねえんだけど」
「君は生きて捕まえる気がないのかね…………?」
敵にも何やらドン引きされているが、生死問わずはおかしいだろう、と犯罪者に説かれるのは中々新鮮である。
「仕方がない! 金らな幾らでもリィンとユーシスが払うし、美少女の奉仕が欲しければそこに金髪巨乳と眼鏡巨乳が二人いるぞ! まさか貧乳しか受け付けないなんて器量が小さい男じゃないだろ!」
「こ、この野郎…………!!」
身内からのヘイトが更に上がった気がするが、鮮やかにスルーする。
とりあえずボケれる余裕があるという事はいい事である。
あの分ならば、暫く俺の手はいらないだろう。
そう思っているとワイヤーガンに釣り下がられている男はふむ、と頷きつつ
「──────胸に貴賤は無いとも。大きくあっても、小さくあっても等しく女神の愛だ」
「──────せ、先生!?」
「一瞬で絆されるなぁーーーーー!!!」
アリサからのツッコミを空の彼方に送って、これ程の男らしさを曝け出した男に苦痛の色を見せてしまう。
何て惜しい……………………! こんな男を敵として相対しなければいけないとは…………!
現実は常に苦しい──────と、まぁ適当に嘆いておく。
本音を言えば別に
敵だろうが味方だろうが、いい奴だろうが悪い奴だろうが、どうせ最後の結末は全てが綺麗さっぱり壊された、である。
だから、どうでもいいかと思い、稲妻を練っていると俺の様子から何かを視たのか。
眼鏡の男は俺を見下ろしながら
「──────成程。どうやら
小さかったが、しかし聞き逃せないような言葉が耳に入った。
一瞬、稲妻を練る意志が停止し、練っていた稲妻が霧散する。
戦闘においてしてはいけない事をした俺は当然の如くその隙を突かれた。
眼鏡の男がぶら下がりながら、空いた手で懐から何かを取り出し、口に咥える。
「……………? フルート?」
こんな修羅場で呑気な、とは思わない。
むしろ、こんな状況で在り来たりな武器を持ち出してこない方が、よっぽど嫌な予感を湧き出させる。
しかも、ご丁寧にフルートは禍々しい形をしているのだから、余計だ。
何が起きるかは分からないが、何かを起こすつもりだ、という事だけで止めに入る理由になるのだが、さっき一瞬、止まってしまったのはやはり、余計であり、つまり、男の演奏を止める事が出来ないという事であった。
鳴り響いた音は、余りにも魔的な響きであった
魔物を相手しているⅦ組の馬鹿共も、武器を奪われ、逃げ続けていた猟兵崩れ共も、そして魔物ですら硬直する魔響の音楽。
そのせいで、逆にそのフルートがどういった代物なのかを理解できてしまった。
「
「君は眼鏡を何だと思っているんだ」
「レイ。レーグニッツを評したいなら、後、クソか、馬鹿をつけるがいい」
演奏を終えた眼鏡とユーシスからのツッコミは遠慮なくスルーするが、古代遺物であるならば、ここからが厄介だ。
何せ、あれらは結構、リアルで何でも起こしてくるから最悪なのだ。
追撃を取りやめ、周りの警戒に当たり────────自分が気付くよりも先にガイウスからの警告が耳に届いた。
「上だ……………………!!」
警告と共に落ちてきたのはまぁ、蜘蛛としか言いようがないのだろう。
例え、その体格が戦車よりも一回り程大きく見えたとしても、形としては蜘蛛に似ているから蜘蛛と称するしかあるまい。
あーーーこれが、ガイウスが言っていたこの洞窟の主みたいなもんかーーーっと呑気な思考をするが────────蜘蛛が降り立った真正面に武装解除した猟兵崩れがいるというのが問題である。
「ひっ……………………!?」
武装が無い今、反撃する事も出来ない猟兵崩れは情けない悲鳴を挙げながら、腰を抜かしている。
未知の魔物を見た程度で死に捕らわれているとか猟兵としてどうなのか、とは思うが、別にアドバイスする気はない。
しかし、問題はこの蜘蛛を呼び寄せた眼鏡の男が、そのままワイヤーガンを利用して逃げようとしている。
どうにかして、撃ち落としてやりたいが、ここで派手に雷を練れば、蜘蛛がこちらに集中するかもしれないのが難点である。
不幸中の幸いはリィン達を囲んでいた魔物は、蜘蛛に怯えたのか。
とっとと逃げてくれたお陰で、リィン達の手が空いたのが救いである。
「おいレイ!! あんだけ煽った癖にこの始末! やっぱりテストの結果はイカサマか!?」
「はっはっはっ、現実を受け止めないのは勝手だが、面倒だがリィン。ちょっとこの蜘蛛の怒り? を鎮める為に、奴の口の中に突撃する気は無いか? ゲテモノの方が美味いっていうのが相場だからなぁ」
「その理屈だと貴方達二人とも美味しいと思うわ……………………」
アリサからの疲れたツッコミを華麗にスルーしながら────────とりあえずあの眼鏡は諦めるしかないかぁって思っていると
「ただで帰すか………………!!」
何やら、叫ぶリィンが懐から何か袋を取り出して、中身を取るのを見て、何だ何だ、と思ってそれを見て
「ば、馬鹿、おま、リィン! それ洒落になって……………………!!!」
「食らえ!! ────────奥義マルガリクッキー!!」
士官学院生……………………否、人としてもしてはならぬ行為を躊躇せずに行う様を見てしまった俺は反射的にクッキーが飛んでいく様を見る。
声に反応したのか、眼鏡の男も振り向きながら……………………何をしているんだ的な顔をしている。
非常に気持ちは分からないが、それは実に悪手だ……………………何故なら、そのクッキーは
「な────────」
何故か封から解き放たれると、意味もなく大爆発するからだ。
チュドーーーン、と分かりやすい効果音と共に爆発に巻き込まれる男を見届ける。
何やら粒子のように光が散らばっているように見えたが、あれはもしかしてあの男がかけていた眼鏡の破片だろうか。
逝ったか……………………とは思うが、攻撃料理一つで死ぬような間抜けでは無いだろう。多分。
さて、問題は運悪く、蜘蛛が目の前に落ちてきた猟兵崩れだろう。
あのまま放置すれば、最悪、一人か二人は食われるのか貫かれるのか潰されるのかは知らないが、まぁ、死ぬだろう。正直に言えば
でも、あの連中は連中で開戦を止める為の証人に利用できる人材であるのも事実だと思うと憂鬱だが、やるしかない。
まぁ、一番不幸なのは勝手に自分の庭であくどい事を行い、その上で肉体を操作されている蜘蛛かもしれねえしなぁっと思いながら、レイは右手を見て、心底から嫌そうな溜息を吐く。
レールガン及びそれ以外の大技を利用する時間がない今、真っ当な手段では猟兵達全員を救う事は不可能だ。
だからこそ、真っ当ではない方法がある自分が心底から■らしかった
アリサは弓を構えながら、自分はおろかリィン達もあの蜘蛛のような魔物が猟兵の一人を食おうとするのを止めるのが間に合わない事を悟ってしまった。
「いや……………!」
思わず、声を上げるが、現実はどうしようもない。
リィンもガイウスも間に合わないと悟りながら、足を止めてはいないが顔には諦めが浮かんでいるし、ユーシスは一応子供であるミリアムに見せないように、ミリアムの前にわざと立ち塞がり、エマはアーツを唱えながら、杖を力強く抱きしめ、ミリアムはそんな光景をまるで気にせず、ユーシス邪魔ーーなどと無邪気に笑っているが、とてもじゃないが注意している余裕はなかった。
「ひっ……………………!!」
蜘蛛の糸に捕らわれた男は迫る牙に情けない悲鳴を挙げながら、助けを求めるようにこちらを見ていて、間に合わない私達は一瞬だけど、反射的に目を閉じ────────その瞬間に肉を齧る生々しい音が聞こえた。
間に合わなかったという絶望は、しかし、そうなるだろう、という諦観のお陰と言うべきか。
閉じていた瞳を開けさせ
「────────え?」
食われているのが猟兵の一人ではなく、見慣れた少年の右手である事を認識した。
まるで、シーンが途中で切り替わったかのような急な展開にアリサの脳は反応しなかったが────────体は勝手に反応した。
「────────レイ!!?」
「ん? どうした? アリサ? あの眼鏡なら多分、マルガリクッキーを捕食した影響で多分、社会的に死んだと思うぞ?」
右手を蜘蛛の口に挟まれ、そこから赤い血が決して少なくない量が流れているというのに、彼はまるで何時ものように馬鹿な事を言うものだから、逆に脳が復活し、しかし次に動いたのはユーシスであった。
「阿呆が!! とっとと得意の稲妻を流さぬか!!」
叫びながら、それでも救出に走り寄るユーシスに触発されるように、他のメンバーも合わせて動く中、それでもレイの反応は変わらなかった。
「気にすんな気にすんな。こんなのアレだ。小動物が噛んでくるようなものだ。ほぅら怖くない怖くないガブリ。あいたたた────────蜘蛛じゃねえかこれ! こんなのに好かれても嫌だぞ俺!!」
「もう黙ってろ阿呆が!!」
全くもって完全同意するユーシスのツッコミを聞きながら、一斉にかかろうとした瞬間────────ようやく異変に気付いた。
「…………何だ?」
ガイウスの一言に、え? と思って、アリサは彼を見る。
彼が見ているのは、別の方向ではなく、蜘蛛のまま。
つまり、彼の呟きはここの主と思われる蜘蛛についてであり、何だ? って何……………? と思って、自分も改めて蜘蛛の方を見ると────────自分も違和感に気付いた。
さっきから、蜘蛛が何の動きも起こしていないのだ。
レイに噛みついてから既に十数秒ほど経っているのだ。
それこそ、レイの右手を食らうか、もしくは別のアクションを取ってもおかしくないというのに、蜘蛛の魔物は一切動かずに───────いや、よく見れば、ほんの少し、体を、揺らしていて………………まるで
「怯えている…………………?」
自分が放った言葉だが、内容が余りにも信じれない内容で、馬鹿な事を言っていると内心で呟くが……………まるで恐る恐ると言った感じで、レイの右手から口を離し、そのまま数歩退く姿を見たら、つい、自分の言葉を信じてしまいそうになる。
レイはレイで牙に貫かれ、自分の血で濡れた右手を、まるで心底どうでもいいような物を見ているという感じで、適当に振って、血を落としながら
「────────何だ。千切る事も出来ない程度の怪物かよ」
────────心底、失望した、という感じで、彼はそのまま右手を蜘蛛に向け
「────────!!!!!」
蜘蛛の魔物はまるでそこに絶望を見たという風に悲鳴のような叫び声を挙げながら、物凄い速度で逃げ出していった。
余りにも急展開に、私達はおろか、先程まで食われかけていた猟兵崩れまでもが動けない中、当の本人だけがそんな空気を無視して、先程、眼鏡の男性が落ちていった方に向かい、あーーーこりゃ、追跡は無理そうだなぁとか言っているのを少しの間、見届け……………………彼が怪我をしているという事実を思い出して、アリサは急いでレイの元に向かった。
「馬鹿! 貴方、右手!!」
「くっ…………!! 俺の封じられた右手が………………!! と思ったけど、右手は汚れているからじゃあ、左手でアリサの胸を遠慮がはっ!!」
「馬鹿言っている場合じゃないでしょうが!! エマ! 早く来て! 止血しないと!」
「あ、はい! でも今、アリサさん……………………思いっきり殴りましたね……………………」
馬鹿に漬ける薬が、これしかないのだから仕方がない。
ガイウスとリィンは猟兵の方を見ているみたいだし、ミリアムもそっちに向かっているのを横目に見ながら、アーツが得意のエマとユーシスが傍に来るのを感じ取りながら、アリサはレイの右手を取り、傷口を探そうとして
「…………え?」
本日何度目かの疑問の言葉を口から漏らした。
硬直する私に、不審を覚えたのか、ユーシスとエマも血に濡れた彼の右手に視線を走らせ
「…………何?」
「どうして……………………?」
彼の右手に
二人も一瞬で硬直したが、直ぐに手ではなく今度は腕を見たが、やはり傷らしいものは一切ない。
では、実は噛まれたように見せただけなのかと思うには、真っ赤に染まる彼の手が否定していた。
何をどう見ても異常事態としか見れない事態に、本人は無視してユーシスとエマの手を振り払い
「
などと、心の底からどうでもいいみたいな言葉だけを残して、立ち上がった。
うーーーん、と伸びをするレイの仕草には何一つ痛みを堪えている要素がない。
嘘でも幻でもなく────────彼の右手には一切の傷はないのだ。今は。
「ま、気味悪がるなら好きにしな。そうでないなら、ないで適当に。嫌われるのも同情されるのも慣れているさね」
顔も態度にも嘘はない。
その事からアリサは、本当に私達が彼を嫌おうが何しようが同じなのだ、と思っていると事に否応なく気付かされる。
敵意も悪意も、彼にとっては等しく普通なのだ、と思っている事を。
「……………………」
だからこそ、アリサは達観している馬鹿に対して遠慮なくもう一発平手をぶち込むのを躊躇わなかった。
ええ、それくらいで引くなんて女が廃るし、舐められているってもの。
両方の手を腰に当て、仁王立ちするくらいには怒りが込み上がるってものだ。
たかが、その程度の事で引くなら乙女というものを舐め過ぎというもの。
だから、続いて、叱責の言葉を、それこそ舐めるんじゃないわよ! と言おうとして
見事に顎を撃ち抜かれて気絶している事に気付いて、ヤってしまった、硬直するのであった。
……………………だからこそ、気付かなかった。
これだけの騒動を馬鹿が起こしたというのに、もう一人の馬鹿が何のアクションも起こさず、ただじっとレイを睨んでいる事に。
嫉妬とかそういう単純なものではなく……………………違うだろ、という視線を込めた目で、友を見ていたことに。
(こそこそ。あ、これでノルドの実習編は終わりです。では、こそこそ)