結城リトの受難   作:monmo

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第十八話

 彩南祭当日。校内放送で校長からの彩南祭を開始する放送を聴き終えた俺達『1-A』は、猿山との最終ミーティングを行った後、予定通りにアニマル喫茶を開店させた。彩南祭のスタートだ。

 

 「「「「「「「「「「いらっしゃいませ――!!!」」」」」」」」」」

 

 「「「「「「「「「「アニマル喫茶へようこそ〜〜♡」」」」」」」」」」

 

 

 

 開店してからすぐに、教室のテーブルは客で満員になった。天条院の言っていた通り、俺達のクラスの催し物は彩南祭の注目の的だったらしく、すでに外の廊下まで長蛇の列が並んでいた。

 想像以上の慌ただしさにクラスメイトは男女問わず、自分達の仕事に急かされている。一人一人に休憩が取れるだけの時間は確保していたが、もし、このアニマル喫茶が先輩のクラス『2-B』と合併していなかったら、今の倍以上の仕事をしなくちゃいけない事になっているのかと思うと、ゾッとしなくもない。

 

 

 

 「オーダー、全然止まんないんだけど……」

 

 「食器、洗ったぜ♪」

 

 「だったら早く片せ!」

 

 「誰か調理室行ってケーキ補充してきてくんね?」

 

 「大変大変ーーお客さんがお茶零しちゃった!」

 

 「はやくはやく!」

 

 「雑巾〜〜、ティッシュでもいい! 持ってきて!」

 

 「おいっ、百円玉切れちまったぞ!」

 

 「隣りの店から借りてこい!」

 

 「あぁぁ燃えるゴミはそこじゃねー!!」

 

 

 

 教室の狭い調理場からはそんな怒声と罵声がせわしなく聞こえてくる。仕切っているのは猿山なのか、彼の声がよく響く。そんな光景を悠々と眺めながら、可愛らしいデザインで『最後尾』と描かれた看板を掲げ、野郎共の長蛇の列を整理している自分はずいぶんと気が楽だ。仕事をサボって、他の所で売ってたラムネを飲むのもまた一興。久しぶりに飲んだ強めの炭酸は、舌の上でハジけて喉が痛くなった。

 

 今日は生徒だけの祭典で、一般公開は土曜日の明日。美柑もそっちは来る予定だ(ララが誘っていた)。その明後日は振り替え休日で学校はない。有意義に休もう。

 

 勤務開始から二時間ぐらい経った。ララ達、アニマルのウエイトレスをナンパしだすヤツらがちらほらと現れ始めたが、上手い事受け流している。本当にヤバいのが来たら俺達野郎共で何とかしなきゃならないが、たぶんその必要はないだろう。遊びにやってきた校長が思い切りボディタッチをしでかしたが、ものの見事に殴り返されてたし。

 

 「リト!」

 

 「んぁ?」

 

 急に俺を呼んだのは中で仕切ってた猿山だった。店の中はクーラーを効かせていたはずだが、さすがに今日の重労働は堪えているのか、額には汗が垂れている。

 

 「どした?」

 

 「いやーワリぃんだけどさ、飲みモン買ってきてくんね?」

 

 「ハッ!? 俺パシリかよっ!」

 

 俺は持っていた看板で、手を合わせている猿山の頭を小突いた。

 

 「大体、俺抜けたらココ誰がやんだよっ」

 

 「今は俺がやっとく。マジで買って持って来て! そしたらお前、そのまんま休憩行っていいから!」

 

 最初は断るつもりだったが、彼の言う通りそろそろ休憩の時間だった事もあったので、俺は仕方なく猿山の要求をのんだ。

 

 「あ〜……わかった。で何? 何買うの?」

 

 「えーと、ファンタとポカリとドクペとメッツと……

 

 「おいっ!?」

 

 そんなわけで猿山とプラスαの数人にパシられた俺は、購買の自販機で飲み物を買ってくる事となった。教室から購買まではそこそこ距離がある上、階段まである。そこからキンキンに冷えた大量の飲み物を持って運ぶのは正直言ってダルい。熱々のコーンスープか生姜湯でも買ってやろうかと思ったが、さすがにやめた。

 

 パシリを終えて休憩時間を貰った俺は、店の中である教室とは別に用意された休憩所の教室へと入った。生徒以外立ち入り禁止のこの場所は室内の半分が整頓された机で埋まった殺風景な部屋だが、休むには静かで丁度良い所だ。椅子もあるから床に座る事もない。

 と言っても、ほとんどのヤツらは学園祭へ遊びに行ってしまって、この教室の中には俺しかいない。俺だって本当はララと一緒に学祭の中をウロつきたかったが、今日は仕事のスケジュールが合わなかったから、どうしようもなかった。その代わり、一般公開の明日は同じ時間帯に休めるよう設定した。ララとの彩南祭は明日である。美柑と上手く待ち合わせる事ができれば良いが、携帯でなんとかなるだろう。

 

 それよりも、俺がここへ来た理由は『一応、彼女』との待ち合わせのためでもある。こうゆうのは余り人気のない所の方が変に緊張しなくていい。

 

 「結城くん、お疲れ様」

 

 「ん? あ、西連寺……」

 

 窓を背にして椅子に座り込んでいると、教室のドアから黒猫のアニマル姿の西連寺が入ってきた。昨日と違って、その立ち振る舞いは堂々としているものを感じる。

 

 「その格好には慣れたか?」

 

 「うん。最初は恥ずかしかったけど、みんなで仕事してる内に楽しくなって、慣れちゃった♪」

 

 「そうか。良かったな」

 

 彼女の言葉に、俺は少しだけ安心した。大きな問題にならなくて良かったと。

 開けっ放しの窓から、涼しい秋風が通り抜けた。

 

 「お前も休憩?」

 

 「う、ううん。私はまだちょこっとあるけど……疲れてるかなって思って飲み物、あ……」

 

 彼女はトレイを持ったまま、その上にジュースのグラスを載せていた。けれども、俺の手に持っていたペットボトルの緑茶を見て、言葉を詰まらせてしまった。

 

 聞くのは無粋だ。俺は二言告げた。

 

 「くれ、西連寺」

 

 「え?」

 

 「ん」

 

 俺は首だけを動かして、西連寺に促した。飲み物をくれ、と。

 

 「あっ、……う、ん」

 

 彼女はたどたどしく返事をして、飲み物を差し出してくる。落としてしまいそうに緊張した手で持つグラスを、俺は掴み取った。

 

 「ありがとな」

 

 「うん……♪」

 

 どこか嬉しそうな西連寺から視線を外し、俺はグラスのブルーハワイをすする。薄いザラザラ氷の上にはチェリーとパインと柑橘系の何かが乗っていた。

 

 俺が美味しそうにブルーハワイを飲んでいると、唐突に西連寺は話しかけてきた。

 

 「結城くん……ララさんは納得してくれたの?」

 

 来るとは思っていた問い掛けに、一泊だけの空白の後、俺は口元からグラスを離し、彼女に答えた。

 

 「ううん……休憩が別々だったから、言わなかった……」

 

 天条院との約束は今日一日で終わる事。だったら、あんな勘違いされかねない話なんか、むやみやたらに広げる必要はない。ララを困らせる様な事は、したくなかった。結果、彼女に昨日の事件は家でも言えず、今に至る。

 

 口の中の柑橘を噛み締めながら西連寺に苦笑いを返すと、彼女はやや膨れっ面で俺の事をニラんできた。

 

 「ふーん……なんだか浮気みたいだね……」

 

 「バカ……付き合ってなきゃ、浮気になんないだろ?」

 

 馬鹿。そりゃお前の思想でしかないだろうが、と俺は言った後に後悔する。

 

 今のは失言だった。言っちゃいけなかった。俺とララの関係を、彼女は認めてくれた存在なのだ。自分の思い人である事も、我慢して。

 訂正しようにも、もう遅い。俺が顔を上げると、彼女はそっぽを向いていた。何を言われるのか、わかったものじゃなかった。

 

 だが西連寺の答えは、遥か斜め上を超えた。

 

 「浮気じゃなかったら……いいの?」

 

 「え?」

 

 

 

 「浮気じゃなかったら、私……

 

 

 

 けれども、彼女の言葉が続く事はなかった。教室のドアが緩やかに開かれ、別の人物が現れたからだ。

 

 気配を感じ取った西連寺が振り返った先、教室の入り口に天条院は立っていた。初めて出会った時にも見た、腕を組んだ仁王立ちで。

 

「お……お待たせしましたわ……!」

 

 前と違ってたどたどしく俺に挨拶した天条院は、ちらりと西連寺に視線をずらす。まぁ、こんな約束の待ち合わせ場所ぐらい、二人きりだと思っていても仕方がないよな。

 

 「あ……えっと……」

 

 きまずく言葉を詰まらせる西連寺に、俺は残ったブルーハワイを一気に流し込みながら椅子から立ち上がると、空にしたグラスを彼女に返した。トレーの上で中の氷がカランと音を立てる。頭がキーンと痛くなってきたが、表情には出さなかった。

 

 「じゃ……行ってくる」

 

 足を天条院へ歩ませながら、俺は西蓮寺にしか聞こえない程度の小声で彼女に呟いた。視線は合わなかった。

 

 「……うん」

 

 彼女も俺に聞こえる程度の一言だけを呟き返して、こちらを見ようとはしなかった。

 西連寺を通り過ぎた俺は、天条院のそばで立ち止まらずに彼女の肩を軽く掴んで注目をこちらへ向けさせた。少し強引だったが、今の彼女を西連寺と絡ませても気まずくなるのはわかっていたから、すぐにこの場から天条院と抜け出す事を俺は選んだ。

 

 「行きましょう、先輩」

 

 「あっ! え、えぇ……」

 

 こちらに振り向かせた天条院は半開きの口で何かを言おうとしていたが、俺は有無を言わせない声で彼女をこちらに連れさせた。西連寺の事は疑問に引っかかっているようだったが、俺は歩みを止めなかったので彼女はひとまず本来の目的であるデートの選択肢を選んでくれた様だ。

 休憩所の教室を出た俺達二人は、廊下の先に見える彩南祭真っ直中の喧騒へと歩く。腹の中が水っぽくて、歩く度に中で音が鳴っているのがわかる。妙に気持ち悪くてどうしようかと思っていた時、天条院がこちらを向いた。

 

 「ゆ、結城……さん」

 

 口元から開かれたのは、あまりにも口調のおぼつかない短い台詞。緊張し過ぎているその姿は、見ているこちらも冷や汗が垂れそうな、数日前の買い物の時の迫力と存在感が嘘みたいな(クイーン)がここにいた。

 この人、原作ではなにかと注目されたい目立ちたがり屋……悪く言うと自意識過剰なイメージがあったのだが、それが今俺の中で瓦解し始めている。男を侍らせる事とか慣れていそうだが、こんな風に一人の男性と対一で向かい合う事は初めてなのだろうか。

 

 「リトでいい……呼び捨てて」

 

 そう囁いて、俺は天上院と視線を合わせる。彼女の身長はララと同じぐらいだろうか。顔を寄せると僅かにだが、優しい香水の香りがした。よく見りゃ若干、化粧もしている。籾岡よりも香水の付け方は上手いが、もし風紀委員にバレたらアウトだな。

 

 「で、では……リト……まずはどこに行きますの?」

 

 呼び捨てする天条院に変な違和感を感じたが、話し口調はさっきより良くなってくれた。

 彼女の質問に対し、俺はズボンの後ろのポケットに突っ込んでいた彩南祭のパンフレットを取り出そうとしたが、それを止めた。

 

 「とりあえず……トイレ」

 

 「へ?」

 

 気の抜けた様な彼女の声。今日一番の素の声を聞いて、俺は思わず微笑する。

 なんだかんだで彼女も純粋なのだ。原作通りに時間が進めば彼女はザスティンと邂逅し、そして一目惚れする。だがその愛しい想いはララのゴタゴタやリトのラッキースケベに巻き込まれて、結局は有耶無耶になってしまっていた。ちょっと気の毒な話だ。

 しかし、今この『ToLOVEる』の世界には『結城リト』ではなく『俺』という存在が或る。俺がなんとかすれば史実は変わってくれる。だからラッキースケベに巻き込まれる様なToLOVEるなんて起こさないで、どうかザスティンと幸せになってほしい。それが彼女の運命だと思うのだから。

 

 「先、行きますよ先輩っ」

 

 「あっ、そんな! まだ(わたくし)には心の準備がd、

 

 正午過ぎの彩南祭。俺と彼女の奇妙な関係が始まった。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 ひとまず膀胱に溜まっていたものを流し終えた俺は、気持ちを切り替えて天条院と彩南祭の中を歩く事にした。

 まさかトイレの中まで入ってくるとは思わなかったが、それは俺の言い方が悪かったと謝ったし、彼女もすぐ自分の勘違いに気づいてくれた。関係がこじれる様な事にならなくて、よかった。あとトイレに誰もいなかった事も。

 

 「さっきの子はあなたのクラスメイト?」

 

 「まぁ、なんて言うか…………そんな感じです……」

 

 こんな会話も、ここを歩いている時にあった。適当に言い逃れたが、彼女はまだ西連寺の事を怪しんでいる様だ。

 

 今、彼女と俺の手は繋がっていない。最初、彼女は「手を繋いでもよろしくて?」と求めてきたのだが、断った。ここは学校、しかも彼女は良い意味でも悪い意味でも名が知れている人だし、俺も然り。これ以上の悪目立ちはできなかった。

 彼女もそれには渋々納得してくれた。自分は目立っても関係ないと言っているが、俺は目立つと困るのだ。現に、今こうして二人で歩いている状態でさえ、妙に視線を感じるのだから。

 

 それでも天条院との彩南祭は十分に楽しめた。文化部の出し物も一通り見て回り、昼食の屋台で食べ物を分け合ったりもした。彼女は前回の反省点を踏まえてか、常に俺と密着しながら積極的に話題を振ってくる。けれども、そこにあったのはお金持ちのお嬢様ではなく、俺に認められようと渋々動く女でもなく、純粋にこの彩南祭を楽しんでいる女子高生の姿だった。

 

 昼食を終えた俺達二人は、まだ見て回っていない場所を歩いていた。お祭り騒ぎな校舎の中は、普段は人通りが少なくて閑散としている階層も、これ以上ないくらいの喧騒と人ごみでごった返している。

 

 だから、唐突に俺達は対面した。向かいの人ごみの中から現れた、古手川に。

 

 「「あ」」

 

 「あら」

 

 気の抜けた俺と彼女の声が重なり、天条院の穏やかな声が遅れる。目の前の女に意識が集中した俺は足を止めた。彼女も同じだった。

 

 「「………………」」

 

 こうして面と向かい合うのは、プールの事件以来だ。相変わらず、彼女の目つきはキツくつり上がったまま。いや、本当の事を言えば、俺達と視線が合った瞬間、一気にキツくなった。

 古手川は俺から視線をずらし、天条院の方を見る。この組み合わせを見て、彼女は何を思うだろうか。

 

 「失礼」

 

 ま、何を思われたとしても今は関係がない。因縁吹っかけられる前に逃げよう。

 俺は一言告げて天条院の手を引いて、古手川の横を通り過ぎようとした。

 

 「待ちなさい」

 

 古手川が呼び止める。無視して行こうとしたが、彼女は天条院の制服を掴んでいた。そしてこう言った。

 

 「香水と化粧の臭い。校則違反って事、わかってるわよね」

 

 わかってる。休暇室で会った時からそんな香りがしてる事も、若干化粧入ってる事も。

 でも俺はシラを切った。

 

 「え? これは先輩の匂いっスよ! 先輩、お嬢様だから高級なシャンプーとか使ってるんでしょ?」

 

 そう言いながら俺は天条院の方を見る。焦る彼女と視線が合った。

 

 「え? ええ! これはわたくしの会社が販売しているシャンプーの香りですわ。化粧品の香りに間違われるのは不服ですけども……まぁ、庶民の貴方にはわからなくても仕方ありませんわね」

 

 天条院は片手を頬に当てながら、わざとらしく力が抜けた様に大きくため息を吐いた。意外にも、こうゆう事は得意なようだ。

 

 古手川は先程よりもキツイ視線で俺達を睨んだが、やがてその顔を背けた。

 

 「そう。ならいいわ。問題事を起こさない様に、気を付けてね」

 

 そう言って彼女は俺達を無視する様にスタスタと歩き、人混みの中へ消えていった。

 うるさいヤツがいなくなった途端、ドッと疲れが出てきた。喉もカラカラだ。

 

 「行きましょう先輩。俺、喉乾きました」

 

 俺が天条院の方を向くと、彼女は笑っていた。なぜか面白そうに。

 どうしたのかと問いかける前に、彼女は言った。

 

 「わたくしに嘘をつかせたのは、貴方が初めてですわ」

 

 「すみません。アレに絡まれるのは面倒だったんで……」

 

 「ふふ、わたくしもあの人には何度も呼び止められては、くどくど文句を言われてますから……助かりましたわ」

 

 彼女はわざとらしく息を吐いて、やれやれと首を動かした。

 

 「そうすか。ところで先輩……俺、喉乾きました。どっか喫茶店入りません?」

 

 「そうですわね……ティータイムにはまだ早いですけど、わたくしのクラスのアニマル喫茶に行きましょう」

 

 えらく自信気な彼女に先導されて歩いていくと、廊下の端からズラリと並んだ行列の先に、天条院達のアニマル喫茶が見えた。気のせいか、店に使われている装飾が豪華な気がする。看板に描かれているメニューも、外の喫茶店顔負けの品揃えだ。まぁ、大体はこの人が経費を付け足したからだろう。

 

 「どうです! わたくし達のアニマル喫茶も良いでしょう?」

 

 「そーですねー」

 

 自慢げに胸を張る彼女に、俺は相づちを打つだけだった。

 

 彼女と行列に並んで少し待ったが、回転率は良いのか、ものの十数分で店の中に入れた。

 

 「いらっしゃ、あっ……さ、沙希様!」

 

 バラの飾りで彩られた入口を抜けると、受付に立っていた女性……キツネ耳のカチューシャとフサフサの長い尻尾を付けたアニマル姿の女性が、天条院を見るなり若干顔を赤らめ慌てふためきながら応えた。

 

 「いいのよ凛、今の私はお客さんでここに来たんだから」

 

 「か、かしこまりました。それではど、どうぞこちらへ……」

 

 天条院になだめられてもえらくかしこまった言動をやめようとしない彼女は、昨日俺に竹刀を叩き付けようとした女性。『九条 凛』だった。

 彼女は天条院の取り巻き兼右腕の様な存在であって、子供の頃からの侍従関係を築いているらしい。友情でも結ばれているとはいえ、天条院の命令ならどんなアホな事でも本気で取り組むその姿勢は嫌いじゃないが、少し気の毒に見えても仕方ないかもしれない。

 

 そんな凛は、俺と目を合わせてもそっぽを向けて仕事へと戻って行った。どうやら俺は彼女に嫌われているらしい。理由はわかってる。天条院の事を真っ向から否定した人物は、俺が初めてなのだろう。

 

 凛に案内された席に座る。教室の端、窓から緩い日の差す二人用の席だった。

 そこへ座るなり、別の店員がやってくる。

 

 「こちらをどうぞ♪」

 

 レンズ大きめの丸眼鏡をかけ、焦げ茶色の丸みを帯びた耳とタヌキの尻尾を付けたアニマル姿の女子がメニューとおしぼりを手渡してきた。

 

 『藤崎 綾』 天条院の取り巻きその2。彼女は九条凛と違って家柄の関係ではないが、二人とは確かな絆で繋がっている。本編のヒロイン達の中では一番目立たないキャラクターだが、そこそこの人気はあるらしい。

 

 そんな彼女は真面目でおしとやかな雰囲気とは裏腹に、露出の際どすぎるアニマル姿は割と気に入っているのか、凛と違ってかなり楽しそうに仕事をこなしている。尻尾がフリフリと元気良く揺れ動き、機嫌の良い時のララを思い出した。

 

 メニューから適当に注文して俺と天条院は二人、お互いに向かい合う。背もたれに寄りかかってくつろいでいた俺に、彼女は少し背筋を伸ばして腰を下ろす。お嬢様らしく、気品が感じられた。彼女が良い所の出だって事を今更になって思い出した。

 

 「今日は、ありがとうございましたわ」

 

 「え?」

 

 「あなたのお陰で、自分自身の振る舞いを見つめ直す事ができましたもの」

 

 急に話し始めた天上院の言葉から出てきたのは、謝罪と感謝だった。

 曰く、彼女は今まで自分の意見はなんでも通るモノだと思っていたそうだ。自分の事を真正面からハッキリと否定してきた人間は俺が初めてだったらしい。

 

 「本当に申し訳がありませんでしたわ、初めてあなたと出会った時は……」

 

 「いいっすよ。こっちとしてもいい機会でしたし……(主にザスティン的な意味で)」

 

 「え?」

 

 「それより…………なんで先輩はいきなり俺に告白してきたんですか?」

 

 「えっ!? ……え、え〜と……それは、その……」

 

 「お、お待たせしました! ご注文のドリンクですっ」

 

 行き詰まって取り乱した彼女をフォローするかの様に、店員が注文していた飲み物が運んできた。凛だった。

 口調こそおぼつかない様子だったが、慣れた動作で飲み物を配ると、彼女はまた厨房の方へと引っ込んでしまった。

 天上院がわざとらしく息を整えて、飲み物のグラスの中の氷をかき混ぜる。彼女が頼んだのは生クリームの乗ったアイスラテだった。

 

 「お、オッホン! それで、私の評価はいかがですの?」

 

 話題を変えられた。俺は間髪入れずに答えた。

 

 「百点満点、文句なしですよ、先輩」

 

 「ふふ、当然ですわ♪」

 

 天上院は軽快に笑ったが、一晩でよくこれほど姿勢を変えられるのは、かなりの情報収集を行なったと思われる。そういえば彼女は努力家だった筈だ。

 目元の化粧は、隈を隠しているのだろうか。考えてしまった。

 

 「けれども……私としては、まだまだ未熟な部分があると思いますの。まだ……あなたと手を繋ぐ事も出来ていません……」

 

 

 

 「で、ですから……これからも、私と御一緒n、

 

 

 

 「先輩」

 

 

 

 俺は有無を言わせない強い口調で、それでも顔は普段通りの表情で、話した。

 

 「最初に言ったじゃないですか。先輩とは付き合えませんよ。先輩は情報網広いから知ってるんじゃないですか? 俺とララが婚約してるって事w、

 

 「嘘」

 

 ただ一言呟き、彼女は真っ直ぐ俺を見抜く。

 

 「ねぇ……貴方本当に、あのララという方の婚約者(フィアンセ)ですの?」

 

 俺は迷う。彼女に嘘は通じないと、瞬間的に悟った。

 

 「……いいえって言ったら、どうします?」

 

 「そうね……どうしましょうか……」

 

 彼女は両手を合わせ、視線を下げる。気が付けば、周りの視線が自分達二人に集中しているのを、俺は感じた。

 

 「先輩……場所、変えますか」

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 場所は変わって、俺と天上院は学校の屋上へとやってきた。といっても、俺が人気のない場所を選んで、ここへ連れてきたのだが。

 空は快晴、校舎の外は微かなノイズ混じりのBGMがスピーカーから流れ、人の喧騒と混ざり合う。柵の下を見下ろせば、中庭は屋台のテントがパズルの様に敷き詰められ、その間を人の波が往来している。向かいの校舎の窓にはどぎつい色合いの垂れ幕が風に揺らめいていた。

 

 「それで?」

 

 「はい?」

 

 「こんな所に誘って、どういうつもりですの?」

 

 言葉こそ怒っている様にも聞こえたが、天上院の様子は満更でもなく、いやしい笑みを浮かべていた。

 

 「そうっすね〜…………あんまり人に聞かれたくなかったもんで……」

 

 俺は手すりに寄りかかりながら、彼女の方を見た。その表情は笑みから一転、わずかに息を飲んだ様に見えた。

 

 「俺は……別にララの婚約者じゃないんッスよ」

 

 「!」

 

 「最初は保護者みたいなモンだったんスよ。ララは、こっちの生活に慣れてないから……俺がお守り役だったんス。最初は正直……面倒臭かったですし、大変でしたよ。でも……」

 

 

 

 「ちょっと楽しいとか、思ってる自分もいました……」

 

 

 

 「これが恋なのかは、自分でもわかんないです。ただ、ハッキリとわかるのは……あいつは俺に変われる切っ掛けを与えてくれました。後は……俺が変わるだけなんですよ。覚悟決めてね」

 

 天上院は黙って、俺の話を聞いてくれた。俺の言葉に肯定するわけでもなく否定するわけでもなく、真剣な表情で耳を傾けてくれた。

 

 「それが……あなたの意思なら、私には止める事が出来ませんわ」

 

 「止まるつもりは毛頭ありませんよ。俺は、彼女に応える義務があるです」

 

 ふと、携帯が鳴った。開いて見たら、猿山からだった。そういえば、そろそろ自分の働く時間だった。

 

 「さーてと、俺は仕事に戻る時間なんで、ここで上がらせてもらいます」

 

 俺は両腕のバネで跳ねるかの様に手すりから離れ、軽く手を振りながら天上院の横を通り過ぎようとした。

 

 「待って」

 

 不意に、彼女に服の袖を掴まれた。

 振り返れば、そこにはわざとらしい上目遣いなどではなく、真っ直ぐな視線で俺と目を合わせる天上院の素顔があった。

 

 「……貴方に説教を受けた時から、貴方は今まで私の見てきた男性とは違う事を、今確信しましたわ。だからこそ貴方にお願い申し上げます」

 

 

 

 「私と本気でお付き合いしてみません?」

 

 

 

 それは本気なのか冗談なのか、よくわからない口調で告げられた言葉。真っ直ぐに俺を見据えてくる視線。あぁ……この人なんだかんだで根は素直なんだよな、って思わされた。

 けれども、そんな顔は俺に向けるべきではない。この人には、ザスティンと結ばれる運命が待っているはずだから。

 

 俺は掴まれた袖をもう片方の手で優しく離し、そのまま彼女の手の平を自分の手に合わせた。

 

 「先輩、正直嬉しいですけど……やっぱり俺は先輩とは付き合えません。俺には……待ってくれてる相手がいるんで……」

 

 数秒間の無音の空間。彼女は告げる。

 

 「……やっぱり、あの人が好きなのですね……?」

 

 俺は答える。知らず知らず、彼女に笑顔を向けていた。

 

 「それを確かめにいくんですよ。大丈夫」

 

 

 

 「先輩には、もっと良い男ができますから」

 

 

 

 そう言い聞かせて彼女の手を離し、俺は屋上の出入り口に向かった。天上院の声は何も聞こえなかったが、後ろ姿を彼女がずっと見ていたような気がした。

 

 この時、俺は知る由もなかった。今日の出来事が、彼女の心境に大きな揺さぶりをかけた事になるなど。


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