結城リトの受難   作:monmo

13 / 20
第十二話

 臨海学校の二日目は、なんと午前中から午後の終わりまで海水浴という、臨海学校の名目とは全くかけ離れたとんでもないスケジュールだった。旅館のすぐ近くの浜辺一帯は俺達の貸し切り状態であり、周りのやつらは皆、学校指定の水着ではなく自分の思い思いの水着を着てはしゃいでいる。

 

 まぁ、せっかく目の前に広がる海原を前にして勉強を始められても、このクソ暑い中ではやる気なんざ起こるわけがないので、俺もその事には一切ツッコまずに猿山達と朝から騒ぎ続けた。だが、時間が過ぎていく内に周りの高すぎるテンションについていけなくなった俺は、小さな海の家でぐったりとうなだれていた。灼熱の太陽の下では、日陰に隠れても体感温度が変わった気がしない。横にある扇風機は無駄に熱波を放出する邪魔な機械に成り下がっていたので止めた。時折流れてくる風は……残念ながら気休めにもならない。

 売店で買ったアイスを頬張りながら、俺は時間を確認した。

 

 「……まだ、二時かよ……」

 

 散々泳ぎ回ったはずなのだが、時間はまだ有り余っている。これからどうしようか、俺は溜め息を吐きながら砂粒の混ざり込んだ畳の上に、ごろんと寝転がった。さっきまで一緒に泳ぎ回っていた猿山達は、また他のやつらとつるんでどっかに行っている。うるさいのがいなくなった事だし、このまま終わりが来るまで寝てしまおうか。

 ふと、首を横に向けた先には、校長が女子生徒の水着姿に興奮しているところを若女将にどつかれている光景が目に入った。

 

 なんだよ……殴ってる割には、結構仲良いじゃないか。

 

 俺はようやく、この臨海学校が勉強のためではなく、ただ遊ぶだけのイベントでもなく、校長があの若女将に会いたいだけのものなんだと痛感する。まぁ、周りは一切気にしていないし、俺もなんやかんや言って楽しかったから、良しとしてしまおう。

 

 舐めつくしたアイスの棒をそこら辺に置いた。もう、捨てに行くのも面倒だった。きっと、誰かが捨ててくれるだろう。そう思いながら目を瞑り、いざ寝ようとしたその時、

 

 「リト〜!」

 

 遠くから俺を呼ぶララの声が聞こえてきた。瞼を開けると、視界に見えたそいつは俺の方へと走って来ていた。彼女はサンダルを脱ぎ捨てると畳の上を這いずって俺へと近付き、俺の上に覆い被さってくる。さっきまで、ずっと泳いでいたのだろう。水着姿の彼女の体は髪の毛までびしょ濡れだ。被さった衝撃で、乾いていた俺の体に彼女の水滴が飛び散る。

 

 「どしたの、眠いの?」

 

 何の悪気もなさそうに話す彼女だが、この状況は周りからの視線を広く集めてしまったであろう。チラッと周りの様子を窺うと、男子は何やら嫉妬の様な視線を向け、女子は面白そうなイベントでも見つけた様な視線で、俺達の事を見ているのだ。

 注目なんか集めたくなかったし、何より眠かった俺はララの質問を無視して、この状況からの脱出をはかった。

 

 「え〜い、うざい!」

 

 疲れている残り少ないスタミナで彼女を引き剥がそうと暴れるのだが、デビルーク星人である彼女に力で勝てるわけもなく、ものともしていない。むしろ「キャーキャー」言って喜んでる。

 俺は素直に、腰にしがみ付いているララへ話しかけた。

 

 「ララ……眠いんだ。ほっといてくれ……」

 

 『なっ!? ララ様が心配しているというのに、なんて失礼な!』

 

 彼女の頭にくっついているペケがプンプン怒る中、ララは妙に納得すると、

 

 「ふ〜ん、じゃあ……」

 

 俺の腰から手を放し、今度は頭の近くに移動して正座をするなり、色白の綺麗な手で俺の頭を掴むと、そのまま自分の膝の上へ添えた。俗に言う、膝枕の状態である。

 

 「はいっ♪ しっかり休んでね!」

 

 俺の顔を覗き込んで、微笑みながら頭を撫でてくるララにしばらく呆気に取られていたが、周りからの視線がすぐ俺を冷静にさせてくれた。もう、ララから目線をずらすのが恐かった。

 

 「ララ……こんな事、誰から習った……?」

 

 「えっ? リサとミオだよ。男の子はこーゆーのが好きなんでしょ?」

 

 彼女達の名前が出て、俺は頭を抱えた。何かを覚えるのは良い事だが、このままだと彼女は覚えた事を全て俺に見せつけてきそうだ。どうしたものだか……。

 暑さで考えるのが嫌になってきた俺は、そのままララの膝枕に頭を委ね、目を閉じた。こうしていれば彼女はおとなしくしているだろう。

 だが、またもや俺の眠りを妨げる事件が起こった。

 

 「キャーー!!! 水着ドロボーよーーーーッ!!」

 

 甲高い悲鳴が聞こえた。俺は素早くララを押しのけて起き上がり、海の方を見渡す。周りのやつらも、今の悲鳴が何だったのか、どこから聞こえたのか騒ぎながら、ちらほらと移動を始めている。

 そんな彼等彼女達は無視して、俺はここから悲鳴の発生源を探す。ララも「なんだろう……?」と言いながら、首をキョロキョロ動かしている。

 

 「リト、あれ何?」

 

 ララの指差す先、真っ白な砂浜の向こうに広がる、波の揺れ動く海から一枚の背びれが見えた。さながら『ジョーズ』の如く。

 そいつは、海を泳いでいた女子生徒に猛スピードで突進したと思うと、その彼女の身につけていた水着を剥ぎ取り……逃げる…………そんな光景が俺達が見る中、数回行われていた。

 

 って言うか、あのスピード……まさか地球外生物じゃないだろうな……。

 

 そんな事を考えている間にも事件は続き、悲鳴を上げる声が続出している。猿山が鼻の下伸ばしながら悲鳴を上げている女子に近付き、思いっきり殴られている光景も見えた。何やってんだあのバカ……。

 

 「……って、アレ……ララ!?」

 

 気が付くと、俺の隣りにララはいなかった。慌ててもう一度海を見渡すと、ピンク色の髪の人が、砂浜を走り海に飛び込んだかと思うと、沖の方へと泳ぎだしていた。地球外産の生物かもしれない、ソイツの背びれを追って。

 

 「あのバカ!」

 

 重い体を起こし、俺は素足のまま一直線に砂浜を駆け抜け、Tシャツ姿なのも構わず海へと突っ込んだ。あぁ、俺は海で泳ぐときは海パンとTシャツって決めてんだよ。

 そんな事はともかく、俺は泳いでララを追っかける。運動で彼女に勝るものなど全くもって存在しない俺だが、泳ぎだけは俺の方が上だった。まぁ、ララは銀河のお姫様なわけだし、そんな身分の人が『泳ぐ』という運動を学んでいるのかどうかと言われると、俺には甚だ疑問に思えてしまうし。事実、彼女は学校のプールの授業で初めて泳いだらしい。犬かきだったそうだ(西蓮寺 談)。

 

 そんな泳ぎの疎い彼女に(今はクロールである)案外簡単に追いついた俺は、とりあえず彼女を止めた。

 

 「オイ、あぶねぇぞ!」

 

 俺に肩を掴まれたララは、驚いて俺の方へと振り返ったが、そこにいるのが自分を心配してくれた人物だとわかると、丸く広げていた目を緩め、表情を和らげた。

 

 「あっ……えへへ〜ゴメンね♪ 気がついたら追いかけちゃってて……」

 

 どうやらアレを捕まえようとして無我夢中だったようだ。正義感があるは良いが、今のは無謀だったぞ。

 しかし、結構深い所まで泳いできてしまった様だ。自分の足は地面に着かない。ララは立ち泳ぎができないのか、俺にしがみ付いている。

 このままここにいるのも大変だったので、俺はララを連れて戻る事にした。きっと他の生徒は、さっき俺がくつろいでいた海の家に集まっているのだろう。一回、そこに戻って情報を集めた方がいい。多分、このまま探せばキリが無いと思うから。

 

 「……泳いで捕まえられる様な奴じゃない。戻ろう」

 

 「そうだね。一回、みんなの話を聞いた方がいいかもしれなi、

 

 バシャャア!

 

 「『「!!!」』」

 

 ララの言葉を遮って水面からソレは現れた。俺も、ララも、接近していた事には全く気が付かなかった。

 完全に油断していた俺達は、突然の出来事に驚くばかりで何もできず、そんな事を全くと言っていい程無視するソレは、ララへと突進し大きく口を広げると、

 

 パクッ!

 

 彼女のピンク色の髪の毛に付いていたペケ。白いおまんじゅうの様な髪飾りになっていた彼を咥え込み、激しい水音をたてて水面へと潜り、逃げた。

 

 衝撃的だったのはそれだけではない。ソレに咥え込まれ、ララの体から外れてしまったペケ。かなり前に言っただろう。ペケはララの衣服を作り、維持しているのだ。当然、彼が外れてしまうと…、

 

 ポンッ☆

 

 「あ」

 

 「へっ?」

 

 ララは全裸になってしまうのだ。

 

 軽い煙と、コミカルな爆発音と共に、ララの着ていた水着は消え、彼女の体は何にも衣服を纏っていない、ありのままの姿になってしまった。海の水は透き通る程綺麗ではないのだが、こんな密着している状態ならば肌の色ぐらい確認できた。何にも着ていないのだ。

 

 しまった、これじゃララを連れて海の家どころか、陸自体に上がれなくなってしまった。もし、全裸のララを連れた俺がクラスメイトに見つかったら、きっと俺の弁明など耳に入れず、俺を変態扱いするだろう。なんてこった。

 

 「あーーーっ、ペケがっ!」

 

 そんな危険な状態にあるララは、自分の裸など全く気にせず、ぶんどられてしまったペケの名を叫ぶ。

 すると、ソイツは案外俺達の近くに水面から顔を出した。これ見よがしに口でペケを咥えながら。

 

 『ひーーーーーララさまーっ!! リトどのーーーっ!!』

 

 おまんじゅうから元のぬいぐるみの姿に戻ったペケは、ソレに怯えながら俺達二人の名前を叫び、手足をばたつかせ脱出しようとする。が、自分の数倍もの大きさのあるソレに力でかなうわけもなく、一向にソイツは口を動かさない。

 

 ん、今なら捕まえられるか? そう思った俺はララを背負ったまま、暴れるペケを口で押さえつけているソイツに近付き、捕まえようと水中から手を伸ばした。

 

 バシャン!

 

 が、ソイツは体をそっぽに向け、尻尾で器用に俺へ海水をぶっかけやがった。ララが何か言った気がするが、口にドバッと海水が流れ込み、軽いパニック状態になっていたので、返事をする余裕はなかった。

 

 「こら! ペケを返しなさーーーい!!」

 

 海水を吐き出し、顔を拭うと、そこにはいつの間にか俺から外れて、俺と同じくペケを助け出そうとするララが目に映った。やはり彼女は力持ちである。振り解こうと暴れるソイツに、耐えているのだから。

 だが、まだペケは助けられていない様だ。しきりに俺達の名前を叫んでいる。

 早く助け出そうと、もう一度ソイツに近付いた途端、奴はララがへばりついているのも構わず体を横に寝かした。どうやらこの状態で泳ぐ気の様だ。

 ヤバい、見失うと色々と面倒だ。俺は素早くソイツの尻尾を掴んだ。

 

 うえ……ゴムみたいにツルツルする……気持ち悪っ。

 

 そう思ったのも束の間、ソイツは人が二人もしがみ付いているというのに、とんでもないスピードで泳ぎ始めたのだった。

 掴んでいる場所が場所な為、尻尾の運動にぐわんぐわん振り回される俺。水の中を出たり入ったりしていて息継ぎが辛い。目を開くと、ララの足が微かに見えたが、激流に揺られる水中では瞼が半ば強制的に閉じてしまう。

 そんな状況でも、俺は尻尾をつかんだ手を放さなかった。既に体力は限界を超えていたが、何かわけのわからない使命感に駆り立てられていた俺は意地でも手を放そうとしなかったのだ。

 

 身を削りながら、必死にソレへしがみ付いていた俺はしばらく目を瞑っていた。あと、どのくらいでこの苦行は続くのだろうか。そう思っていた最中、急にソイツのスピードが落ちた。

 ようやくまともに水面から顔を出し、呼吸を整えてから目を開く。辺りは人気の無い砂浜。周りにはゴツゴツとした岩で囲まれている。ここは穴場か何かなのだろうか。

 しかし、重要なのは場所ではない。何故なら、その浜辺には明らか異常とも言えるモノがいたのだ。

 

 「わぁ〜〜、大き〜い!」

 

 ソレを見たララは、声を出して驚いていた。目の前の砂浜には、今俺達がしがみ付いているコイツよりも馬鹿でかいのが寝っ転がっていたのだ。

 

 ララは今しがみ付いているコイツから手を放すと、ペケを助けるのも忘れたのか、もうスピードで海を泳ぎ、裸なのも構わず浜辺に上がると、寝っ転がっているソイツに近付き、俺の方を向いた。その目は誰にでもわかりそうなくらい、好奇心に満ちていた。

 

 「リト! この子達ってイルカだよね。水族館で見たよ!」

 

 そう、彼女の目の前に転がっているのは、大きなイルカだったのだ。散々ToLOVEるに振り回されて、まともに確認ができていなかったのだが、今俺がしがみ付いているのも、イルカなのである。こっちの体長はララの方にいるものと比べて小さいが、それでも俺よりデカい。おそらく、この二匹は親子なのであろう。

 

 ララに生返事をしながら、俺は尻尾を掴んでいた手を放し、口に咥えられているペケを助けた。さっきとはうってかわって、ソイツは簡単に口からペケを放してくれた。ただ、イルカの唾液でヌベヌベだったので、彼を海水で軽く洗う。

 

 『アリガトウゴザイマス』

 

 お礼を述べるペケを抱え、俺は目の前にいるイルカを撫でた。水色の肌を持つイルカは「キュー」と可愛い声で鳴いてくれたが、俺の心は和らぐ事はなく、まだ驚愕の余波が残っていた。

 生返事をしたのには理由がある。ララの隣りにいるイルカの大きさには俺も驚いたが、それを上回る事実が存在した。

 

 俺は目を擦ってみせた。別に自分の目が悪いワケではない。そう、わかっていたとしても、擦らずにはいられなかった。目の前に映る大きなイルカには、ひとつだけ、あり得ない様な特徴があったのだ。

 ただ、答えは決まっていたので、気分はある程度楽だった。俺は、軽くツッコんでこのモヤモヤとした事実をスッキリする事にしたのだ。

 

 ゆっくりと息を吸って、俺はモヤモヤを吐き出した。

 

 

 

 「なんでピンクなんだよ……」

 

 

 

 ハイ、オマエ等宇宙外生物決定だ。親がピンクで子供が水色なんてイルカ、見た事も聞いた事もねえ。

 ただそれだけを呟き、俺は思考を切り替え、ピンク色のイルカに近付いたのだった。

 

 傍に寄ると、イルカは苦しそうな鳴き声で、弱々しく唸っている。どうやら、泳いでいたら砂浜に乗り上ってしまったのだろう。そうじゃなかったら、元々海の中で生きる生物がこんなクソ暑い砂浜の上に寝っ転がっているはずがない。

 そんな一大事に陥ってしまった親を助ける為に、あの子イルカは俺達が泳いでいた海の方へとやって来て、水着泥棒という事件を起こしたのだ。俺達人間に注意を引き寄せて、この母親を助けてほしかった。そんなトコである。

 

 ある程度状況がわかった俺達二人と一台は、早速このイルカの救助を実行。怪力のララがいた事もあってか、救助は予想以上に早く終わった。

 

 キュー キュー♪

 

 イルカを沖へと押し戻した俺達は、一息つきながら親子の再会を見守っている。心底疲れた俺は、岩陰の地面にあぐらをかいて項垂れた。これでようやく休める。ララは俺の隣りに体育座りで座り込んだ。ペケは俺の膝の上に乗った。

 

 『あの親子、何だかお礼を言っているみたいですね』

 

 ペケの声に首を上げてみると、確かに二匹のイルカはこちらの方を見て、元気良く鳴いていた。

 

 「親子……か……」

 

 不意にララが口にした言葉。波の音に遮られつつも、俺の耳にはっきりと聞こえた。

 それは、とても寂しそうな口調だった。イルカの親子を見るララの表情は、羨ましそうに、微笑していた。微かに懐かしんでいる様にも感じた。

 

 俺は、ララとの記憶を思い返してみる。

 彼女が地球に来てから、既に二ヶ月以上が経つ。この間、様々なToLOVEる続きの俺だったが、ララが親と連絡を取っている様な話は聞いてはいない。

 

 会いたいのだろうか。親に。

 

 俺は彼女の気持ちを、予想してみる。

 

 「……寂しいのか?」

 

 「えっ?」

 

 俺の一言に、ララは驚いた様に眼を広げ、小さく跳ねる。図星だったのか、はたまた見当違いだったのか。

 はっきりわからなかったので、更に彼女へ問いてみた。

 

 「家族が……恋しいんだろ?」

 

 「う〜ん……よくわかんない……」

 

 困った様に表情を歪め、片手を頭につけるララ。半分正解。残り半分は……、って所か。

 彼女が迷っている理由は、何となくわかる気がした。自分は親に決められた、お見合い詰めの生活が嫌でこの地球に逃げて来たわけであって、戻る必要性なんかあるはずない。なのに今、あのイルカの親子を見て懐かしみ、『親に会いたがっている自分』を見つけてしまったのであろう。

 だが、会いに行ってしまうと『親から逃げてきた自分』の意味をなくす事になってしまう。彼女は自分の中で起こっている矛盾に、こんがらがっている様だ。

 

 でもララ。お前に居るのは、あのいい加減な父親だけじゃないだろ? 

 

 俺は、ただぶっきらぼうに「行ってこい」と思ってしまった。後悔するなよ? 「わかんない」って思ったときは……

 

 「もうすぐ、長い休みがあるから。そしたらお前、一回家戻れ」

 

 「え……で、でも……」

 

 「嫌ならいい。でも、お前は本気で親が嫌いなわけじゃないだろ?」

 

 「……うん。お見合いは嫌だったけど……優しいパパとママだよ♪」

 

 そう言って笑うララの笑顔は、とても嬉しそうだ。

 

 実は……俺は一回だけ、ララの母親の事をペケに聞いてみた事がある。話を聞く限り何やら、政治力がダメな親父に変わって、積極的に宇宙で他の星との外交に勤しんでいるらしい。親子揃って仕事詰めの様だ。まぁ……居ないよりはマシか。

 らしいと言うのも、ペケ自身あまりララの母親に会った事が少なく。データ自体もあまり無いそうなのだ。でも、原作では言葉ぐらいでしか出てこなかったから、そういう裏話みたいな事が聞けたのは、ちょっとラッキーだったのかもしれない。

 

 ララは、そんな不思議だらけの母親とダメ親父の事を嬉しそうに話している。これはもう、絶対に会いに行かせた方が良いな。彼女の話に耳を傾けながら、そう思った。

 

 「……会えばきっと喜ぶ。会える内に会っとけ……親には……」

 

 これは、俺からの切実な思い。よっぽど捻くれた家庭でない限り、親は自分の子供に会えば嬉しい筈なんだよ。

 ララの家庭なら尚更で、自分の娘を(ザスティンと言う優秀な護衛がいたとしても)安全なのかもわかっていないかもしれない未発達の星に預ける父親は、どうかしていると思う。(あんな酷い口調しているが)実際は心配なのではないのだろうか。俺はそう思っているのだ。

 

 これは、わかりきっている事なのだが……。『俺』はもう自分の親に会える事などないのだ。少々荒れた人生を歩いてきた『俺』は、親の愛情に気付くのが遅すぎた存在だった。

 

 だから、ララ。こんな事は俺が言う事じゃないのかもしれないが、それでも俺は口を開く。「いつでも戻ってきていい。会いに行っとけ」と……。

 

 「……うん……!」

 

 ゆっくりと、強く頷いたララの瞳には、強い光が輝いていた様な気がした。久しぶりに見た、彼女の真剣な表情だ。

 その彼女をゆっくりと確認し、俺は再び海の方へと顔を向ける。遠くを泳いでいるイルカの姿は、既に見えなくなっていた。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 その後、校長が水着泥棒の犯人として、女子達に袋叩きにされたとかどうとか、と言う話を他の奴らから聞いて、事件の幕は閉じた。

 

 時間は過ぎ、海で泳いだ体を洗うべく旅館の温泉に浸かった後、疲れていたので、旅館の自室で寝ていたら、その寝ている間にララがやって来たらしく、俺が目を覚ますと彼女は俺に寄り添って寝ていた。という状況を、猿山達に見られるというToLOVEるが発生した。

 詳細は語らないが、酷く大変だった。ララには叱っておいたが、正直言って叱るのは苦手だ。『結城リト』はそうでもなかったが、『俺』が叱るとどうしても尋問の様な、相手を追い詰める、空気を重たくさせるモノになってしまう。

 だから、俺はなるべく重たい雰囲気を出さない様に、ララへ優しく言い聞かせたが、彼女はちゃんと反省しただろうか……心配である。

 

 とまぁ、そんなドタバタをやっていたら、あっという間に夕食の時間になってしまい、俺達学生共はインターバルの狭いスケジュールに振り回され、ようやく解放されたと思った時には、時計の針は既に十時を超えていた。

 そろそろ消灯時間の為、俺達は布団を敷く。いくら旅館とは言え、俺達は高校生。布団の、敷き、畳み、など自分の身の回りの整理は、自分でやらなくてはならない。この臨海学校には、そういう教育の意図でもあるのかもしれない。

 

 そんな事を考えながら布団を敷き終えた俺は、自分の荷物を自分の傍へと引き寄せて、中身を開く。お土産の整理だ。最初は美柑の分しか考えていなかったのだが、買っている内にザスティンや親父の事を思い出し、量が一気に増えてしまったのだ。

 

 あ。知っている人は知っていると思うが、ザスティンは原作通り、漫画家である親父のアシスタントになった。ララからの命令だったらしいが、本人は結構ノリノリで引き受けてくれた、とか……。

 たまに結城家へやって来るので、彼らにも買っておいた方がいいと思ったのだ。

 

 整理した荷物を大きなバックの中に入れ、置いておいた所へ戻す。突然、さっきから他の仲間と喋っていた猿山が大きく項垂れた。

 

 「あーあ、明日で臨海学校も終わりかァ〜……」

 

 そう嘆く彼の頬には海水浴の時に殴られた後がある。微かに赤く晴れているそれが合わさり、彼の顔はとてもつまらなそうな表情だった。

 が、その瞳の奥では何か良からぬ事でも企んでいる様にも見える。

 

 「なーんか、思い返すと校長にふりまわされてばっかだったな〜」

 

 「ほんとほんと」

 

 「確かにな……」

 

 俺は猿山の機嫌を取る様に、話を合わせる。さっきから妙にソワソワしている友人が気味悪い。

 

 相変わらず、もう一人のヤツは猿山の言葉を無視してゲームに没頭している。俺も二人も慣れてしまったので、もうほっといてやる事にしたのだ。

 

 「せめて最後に楽しい思い出のひとつも残したくねー?」

 

 「確かに。このまま終わるのはさみしすぎる!」

 

 テンション高く、キリッとした目で言い放つ友人。うるせえよ。そろそろ消灯時間なんだから、少し声のボリュームを下げろ。

 

 「別にいいだろ……。海泳げたし、お土産も買えたし……」

 

 もうこれ以上行動を起こしたくなかった俺は、猿山達の提案を否定したが、即答で猛反発された。

 

 「いいや! お前が良くても、俺達は納得しない!!」

 

 「そうだそうだ。一日中ララちゃんとイチャイチャしやがって……!」

 

 ……まぁ確かに。一日を振り返って見ると、ララは隙あらば俺に絡んできたし。そんな彼女を放ったらかしにしてしまった自分もいた。情けない話だ。

 それでも、俺は彼女を拒んだのだが、あの純粋な瞳で迫られてしまうと、どうしても一瞬心に迷いができてしまう。

 

 結局、俺に弁明の余地などないのだ。

 

 「悪かったよ……。で、何すんだ? 今からじゃやる事なんざ寝るだけだぞ。こんなムサい男共で恋バナでもすんのか?」

 

 「そんな悲しい事誰がするか!!」

 

 友人の激しい突っ込みの勢いに、猿山も乗り出す。

 

 「そうだ! ここはもっと過激に……!! ララちゃん……もとい、女子の部屋へ遊びに行くのだ!!!」

 

 ビシッと指をさして、豪快に自分の欲望を暴露する猿山。それを冷めた眼で見る俺達二人。もう一人は「キャッホウ!!」と奇声を上げている。だから、うるせえっての。

 

 「善は急げだ! 行くぜリト!!」

 

 俺の腕を掴んで、部屋から引きずり出ようとした猿山を、俺は振りほどく。

 

 「おいおいおい、何が『善』だ! 俺は行かないぞ……」

 

 俺の答えは予想外だったのか、猿山ともう一人のヤツは驚いていたが、その表情はすぐ元に戻った。

 

 「はァ? ノリの悪い男だな〜。もしかして先生にバレるのが恐いのか? それとも……『春菜ちゃん』か?」

 

 「アホっ!」

 

 嫌らしい様な、小馬鹿にした様な目で見てきた猿山を、俺は一蹴する。好きでもない、ましてやお呼ばれもされていない女子の部屋に遊びに行くなど、自殺行為に近いものだと俺は思っている。

 例え行った所で、どうすれば良いのかが俺にはわからない。西連寺と話す事など何もない。むしろ『知らない』と行った方が正しい。俺には何かをする事もできないのだ。

 

 ふと思った。いっその事、俺は西連寺が好きではないという事を話してしまおうか……。

 そんな事を考えていたら、猿山が何やらどうしようもないうんちく話を始めていた。

 

 「いいかリト。こーゆー旅先の夜ってのはな、ウキウキ気分で心もオープンになるもんだ! つまり! 女子とお近づきになるチャンスなんだよ!!」

 

 「お〜い、早くしねぇと先行っちまうぞ?」

 

 部屋の外から、友人の声が聞こえる。どうやら彼は行く気満々らしい。

 

 反対に、なんとも動こうとしない俺に、猿山は呆れた様に溜め息を吐くと俺に顔を近付け、耳元でヒソヒソと呟いた。

 

 「春菜ちゃんと深〜〜い仲になれるかもよ……」

 

 その囁きに、全身の毛が逆立った様な気がした。ただの拒否反応である。もし、コレが『結城リト』だったのなら。危険すぎるデメリットも無視して、女子の部屋に遊びに行ってしまったであろう。

 だが、悲しい事に俺はこの誘惑を拒んだ。拒めた、逃げたと言っても正しいかもしれないが、俺は猿山の言葉が必要性のある事だとは思わなかったのだ。

 あ〜うざい! と叫びながら猿山を引き剥がし、ぐったりと布団に横たわる。俺は彼を見上げて、疲れ果てた小さな声で喋った。

 

 「……いいよ、危険すぎるわ。大体……俺もう疲れたんだよ……ちょい、筋肉痛が酷くて……」

 

 その言葉にようやく納得してくれたのか、猿山は俺から離れ、入り口へと続く襖に手を付けた。

 

 「ッたくっ、しょうがね〜。ガキは、そこでぐっすりおネンネしてな! 後で俺がスンバラシィ〜ィ体験談を語ってやっから!」

 

 「体験談じゃなくて、失敗談じゃないのか?」

 

 「永遠に眠らすぞ!!」

 

 少しからかいながら、俺はドアまで猿山を見送る事にする。

 

 「鍵は閉めとく?」

 

 「あっ、追い出されるかもしんないから、開けといて♪」

 

 ……どうやら、そこら辺の身の程は自分でわかっているらしい。てっきり無計画で進行していると思ったものだから、ちょっと驚いてしまった。鼻で笑ったら、「何だよ?」と猿山に気付かれてしまったが、心はもう女子達の部屋なのだろう。曖昧に終わった。

 

 俺はハイテンションに廊下を歩いて行く二人の背中を見送り、ゆっくりとドアを閉める。もう消灯時間だった。

 俺は閉めたドアの前で、両手を前に出した。そして、二人の冥福を祈って手の平をひとつに合わせたのだ。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 (西連寺視点)

 

 

 

 臨海学校も今日で最後。私は自分の部屋で布団を敷き終えてから、ララさんとリサとミオの四人で、お布団に座り込みながら、おしゃべりをしていた。

 話の内容は、今日の海水浴の事はもちろん、それ以外に好きな雑誌の事や、お気に入りの服やシャンプーの事。それと……ララさんの話。ホラ、外国から来たばっからしいから、日本の生活に慣れたのかな? って言う話。

 

 ララさんは私たちの話を聞きながら、楽しそうに笑ってる。そして、自分の知っている話を聞くと、それをすぐに『結城くん』との話に繋げてくるの。

 

 私はその話を聞いてしみじみ思う。ララさんは結城くんの事が本当に大好きなんだな、って……

 

 リサとミオは、それが面白いのかな? 今度はちょっぴりエッチな知識を、ララさんに教えてる…………こんな事していいのかな……?

 

 なんだか……結城くんが心配になってきちゃった……。

 

 三人がお喋りをしている目の前で、私はこの臨海学校で結城くんとの思い出を振り返って見た。

 

 そして、段々私は恥ずかしくなってきた。だって……あんまり良い思い出がなかったんだもん……。

 

 肝試しの時は、ひとりぼっちになっちゃった後、ララさんとペアだった結城くんに助け出されて……一緒にゴールまで連れて行ってもらって……そう言えばハンカチ! 鼻水でぐしゃぐしゃにしちゃったから、露天風呂で洗ったんだけど……まだ返せてないや………どうしよう……。

 

 本当は、もうちょっと結城くんと一緒の時間が欲しかったな……ゆっくり……

 

 情けない自分の思い出は、ひとりでにララさんの思い出と比較してしまう。止める事なんかできない。

 

 今日の海水浴。結城くんはララさんに膝枕されてた。結城くんは少し不機嫌そうだったけど、ララさんを責める事はしなかった。

 似合ってたよ? お似合いのカップルにも見えたんだよ。

 

 でも……やっぱり思っちゃうんだ。『私があの場所になりたい』って……

 

 結城くんは『結婚する気は無い』って言ってたけど…………そんな事で私は諦めたくないよ。だって、結城くんは私にも、ララさんにも優しい人だし、もしかしたら結城くん自身の考え方だって変わるかもしれない。

 だから……頑張らなきゃ!

 

 私がちょっぴり変な決意をしていると、リサがおでこを擦りながら立ち上がった。

 

 「ここのエアコン効いてんのかなーー」

 

 「何かあっついよね〜」

 

 リサの言葉に、ミオが乗っかる。私もさっきから思っていた。不便な事に、エアコンのリモコンはここにはない。何とかならないかな……。

 手で胸の辺りをパタパタ扇ぎながら、リサは私たちに提案をしてきた。

 

 「ロビーの自販機でジュース買ってくる?」

 

 「そーね」

 

 「あ、私も行く〜」

 

 提案に賛成したのは、ミオとララさん。それから三人はお財布を持って、出掛ける準備をしていたけど、

 

 「あれ? 春菜は行かないの?」

 

 私が座りっぱなしの事に気が付いたのかな、ララさんは私に一緒に行こうと誘ってくる。

 でも、私は別に喉が渇いてなかったから、留守番してると言った。

 

 「うん。別に、のどかわいてないし、留守番してる」

 

 「そっかー。じゃ早めに戻ってくるね春菜!」

 

 納得したララさんは、私に手を振りながらリサとミオと一緒に部屋から出て行った。出入り口である襖がパタンと閉じて、部屋が無音に包まれる。

 

 「……優しいな……ララさん」

 

 私は振り返していた手を止めて、静かになった部屋の何もない空間を見つめる。

 ふと、窓の外を見上げると、そこに見えるのは綺麗な満月。ジッと私の事を照らしている様にも見える。

 

 「私……嫉妬してるのかなぁ……」

 

 ふと呟いたその言葉。

 

 「……!! ………………!!! ……!!」

 

 そんな時だった。急に、部屋の襖の奥が騒がしくなってきた。一体なんだろう……。もう消灯時間ギリギリなんだから、他の友達とは思えない……

 

 もしかして……。そんな思いも持ち合わせちゃったのかな、私は少しだけ期待をしながら、その襖を開けた。

 

 でも……開けたそこには、誰もいなくて……、私はやっぱり思い違いだったと落ち込みながら襖を閉めて、トボトボと自分の寝る布団にしゃがみ込んだ。

 

 ……私ったら、開けた先に結城くんがいると思ったんだ……。バカだなぁ……そんなハズないのに……

 

 でも……とっても不思議だったの……。なんだろう……本当は、襖を開けた先、そこには絶対に結城くんがいた様な気がしたの……。

 

 いったい……何だったのかな…………あの感覚……。

 

 私が頭で考え込みながらしばらくしていると、また襖の向こうが騒がしくなってきた。

 今度は、ララさんの楽しそうな声が聞こえてた。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 「待てコラーーーーー!!!」

 

 「ギャーーー!! ごめんなさぁーーーーーーーいっ!!!」

 

 ドタドタと物凄い足音と共に、やかましい怒鳴り声と悲鳴が聞こえた。怒鳴り声は聞いた事がある。指導部の先生だ。悲鳴はもちろん……

 

 「あいつら……やっぱダメだったんだな……」

 

 猿山ともう一人のヤツだった。声だけでも俺はわかった。いやわかりきっていた結果だったと言った方が正解だったかもしれない。『結城リト』である俺が一緒に行かなかったら、何か変わるかもしれないと思っていたのだが、結局変わらなかったか……。

 

 「ラッキーじゃん。さっき断ってなかったら、お前も追いかけ回されるハメになってたかもよ?」

 

 そう、突然喋り始めたのは、先程からずっと壁の隅でゲームをやっていた、名前も知らない友人だった。一応、友人と表記しているが、今になって考えると友人でもないのかもしれない。

 だが、今彼の言った言葉は、とても的を射ているものだった。興味の湧いた俺は、素直にその言葉に惹かれた。

 

 「そうだな……行かなくて正解だ……」

 

 単調な会話を彼と交わしてみる。が、彼の性格と俺の性格が災いして、どうしても無言の空間が生まれてしまう。

 つたない会話をしながら、俺は頭の反対側で思考を回す。おそらく、猿山達はもう戻ってはこないだろう。戻ってこれない、と言った方が正しいかもしれない。アレに捕まったら最後、特別なお部屋で今夜を過ごす事になるだろうさ。

 

 猿山……お前等の勇姿を俺は忘れない。たぶん……

 

 海水浴の疲れもどっかに行ってしまったので、俺は背伸びをして立ち上がると、テーブルに置いてあった水飲み用のグラスを手に取り、それをベッドを敷く為に端に寄せてあった四角いちゃぶ台へと置く。そして今度は、自分のバックから色鮮やかに輝く缶を取り出し、それを持って、俺は台の近くに積んであった座布団を一枚取り、上にあぐらを組む。そこで缶のプルタブを開け、中身をグラスへと注いだ。

 

 「何それ?」

 

 興味を持った友達に、俺は何の罪悪感も無いかの様に一言告げる。

 

 「酒。飲む?」

 

 「あぁ……じゃあ、少しだけ……」

 

 その、背徳感を感じつつも、好奇心を感じている様な声の調子。数年前の自分によく似ていた。

 

 中学の頃、あるヤツが修学旅行でウイスキーを持ってきた時の話だ。あれが俺の初めて口にした酒。酷く苦々しいモノだったのを覚えているが、早く大人になりたいが為、必死で背伸びをしていた俺は、案外簡単に慣れてしまった。

 そんな昔話を思い出しながら、俺は少しだけ中身が残っている缶をソイツの方に置いてあったグラスへと注ぐ。最後の一滴まで垂らした缶を、俺は潰して畳み、自分で用意していた小さいビニール袋の中に入れ、それをバックの中へと戻す。部屋のゴミ箱には絶対に捨ててはいけない。これは悪友でもあり先輩でもあった、俺の元の世界からの教訓である。

 

 ようやくと言わんばかりに、グラスへ口を付ける。緩い苦みが、俺の思考回路を落ち着かせてくれる。懐かしくもないのだが、ようやく有り付く事ができた、俺の休息だ。

 

 ホッと溜め息をついて彼に視点を向けると、恐る恐る酒の入ったグラスへと口を近付けている。ますます昔の自分にそっくりだった。思わず含み笑いをしてしまう。

 

 「で、なんでアイツらと一緒に行かなかったんだ?」

 

 「え?」

 

 またもや突然的に口を開いた彼は、惚けた様な表情を俺に向けている。その言葉で質問の意味を理解できなかった俺に、彼は更に言葉を付け足した。

 

 「お前は…………何つったっけ? その……『春菜ちゃん』とか言うヤツが好きなんだろ? 筋肉痛や疲労なんか、我慢してついて行くと思ったんだよ……」

 

 あぁ……どうやらコイツは『結城リト』の事を少なからず知っているらしい。

 今疑問に思ったのだが、『結城リト』の恋愛事情を知っている人間は、あの彩南高校にどれだけいるのだろうか? それも少し調べる必要がありそうだ。

 頭の中で調べる方法を考えながらも、俺は彼に言葉を返す。

 

 「筋肉痛は嘘だ。それに、西連寺の事は別にいいんだよ……。行ったって話す事なんか無いからな……」

 

 「なんだ? ソイツの事、好きじゃなかったのか?」

 

 何気なく言ったのであろう彼の言葉が、俺の頭に重くのしかかる。そう、ここにいるのは『西連寺春菜』の事が好きではない『結城リト』なのだ。わかっていても、こんな身の状況では、体が嫌でも反応した。

 

 とにかく、今言った彼の言葉を返さなければ……

 

 「好き…………………………『だった』んだよなぁ……」

 

 結果だけを言い切った俺の言葉に、彼は納得した様に驚いた。

 

 「なぁんだ、勝手に自然消滅か。だから今は『ララちゃん』なんだな!」

 

 「お前、声落とせ。もう消灯時間過ぎてんだよ……」

 

 俺を見ながら大きな声で笑う彼の顔は、僅かに火照っている。

 酔ってんな……飲ませんじゃなかった。

 

 グラスに入った酒を半分程まで流し込み、思考を回す。自分の今の状況、これからすべき事、何でもいいから考えて、さっきのウエイトを下ろしたかった。

 その間にも、彼の話は続く。以外と話せるヤツだと言う事はわかった。だから俺は、コイツになら八つ当たりしてもいいかなと、自分の今考えている事を吐き出したのだ。

 

 「……ハァ……。今は、恋愛とか、そういうの……考えている暇じゃないんだ……。何つーか、自分の事で精一杯って言うか……何かそんなかんじなんだよ……」

 

 その言葉を聞いた彼は、信じられないといった様な表情で、俺の事を眺めていた。そして、少し遅れて言葉を喋ったのだ。

 

 「おっ!? 『ストーカーのリト』からそんな言葉が出るとは思わなかった!」

 

 相変わらず声が大きかったので、俺は大人しくさせようかと思ったが、中断した。絶対に聞き捨てならない単語が俺の耳に入ってきたのだ。

 

 「……オイ……その通り名……誰から聞いた?」

 

 「猿山」

 

 無表情で、何の悪気も無さそうに俺の事を見てくる彼。しかし俺は無意識に、手に持っていたグラスを握り潰そうかとしていた。そして、さっきまで勇姿として心の中に描いていた猿山に「ざまぁ」と捨て台詞を吐いたのだった。

 

 恋愛事情を探すのが思ったよりも面倒くさい事になりそうだと予想しながら、俺はグラスの酒を啜ったのだ。

 

 「まぁ、いいや……。お前、案外話せるヤツだな……」

 

 「見直した?」

 

 「いや全然♪」

 

 ちょっと皮肉ぶった様な口調で返し、無言の空間が生まれたと思えば、俺達は意味も無く笑い出す。何が面白いのかもわかっていない。ただ笑いたいから笑うのだ。

 俺は再認識される。この世界は漫画で言えば『モブ』呼ばれる様な存在も、はっきりと人として生きているのだ。今こうして笑い合っているのが、何よりの証拠だと思う。

 

 そんなこんなで笑い合いながら話をしていたのだが、彼は完全に酔っているのだろう。少し調子に乗り出してきた。

 

 「なぁ、そう言えばお前、ララちゃんと同居してんだろ!? と言う事はアレか? 洗濯物で下着とか見ちゃったり、お風呂入ろうかと思ってドア開けたら裸のララちゃんとバッタリ! とか!?」

 

 「あぁ……声うるせぇっての。ノーコメントで」

 

 「ちぇっ」

 

 不機嫌そうな彼を尻目に俺はグラスの中を飲み干すと、大きく欠伸をする。リラックスできたと言うか、ようやく睡魔が襲ってきたようなのだ。

 

 「悪い……眠くなってきたわ。先寝る。電気消していい?」

 

 「んぁ」

 

 何とも府抜けた返事をした彼も、手に持っていたゲームの電源を切り、布団の中へと潜り込んだ。眠たいのは同じだった様だ。

 

 部屋のスイッチを切り、俺は暗い布団の中に入り込む。猿山達が帰ってきていないが、この時間ではもう帰ってくる事はないだろう。そんな事考えながら目を瞑ると、

 

 

 

 ジリリリリリリリリリリリリリリリ!!!!!

 

 

 

 突然、眠気の入っていた俺の鼓膜をぶちこわす様な、ベルの音が旅館の中から鳴り響いた。

 

 「っ!? 何の音だ?」

 

 真っ暗な部屋の中、飛び起きて慌てる彼だったが、俺には何だかわかっていたので、耳元を塞ぎながら起き上がる。

 

 「ほっとけほっとけ。どうせ、どっかの寝惚けた奴が。バカやっちまったんだろ……」

 

 電気をつけて彼を落ち着かせた。俺の府抜けた言葉に、酒の酔いで色々と気持ちが大雑把になっていたのだろう、彼は「そうだよな……」とか言いながら、大人しく布団の中へと戻っていった。丁度そこで、ベルの音が鳴り止んだのだ。

 

 俺はもう一度電気を消し、酒の酔いの残ったまま、布団の中で目を閉じる。そしてこれから自分が何をするべきなのか考えながら、眠りに入った。

 

 もうすぐ………いや、また…夏休みが始まる…………


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。